74 星山舘跡  星山字間野村 イワテプリミート(株)


星山館のこと、そして城主といわれている星山左馬丞のことは、紫波町史をはじめとして記述されているほかは公的なものはなく、紫波町史には「俗称:星山館 城主 星山左馬丞 形式:平城 所在地:紫波町星山字間野村」としかない。星山館の築城年月、何年間あったかなど、ほとんど分からなかったのは、まさに「勝者による歴史」しかのこらなかったためかと思われる。

星山館の所在地とされるところは、現在イワテプリミート(株)の本社・工場が建っているが、館のあった証拠といえるものとしては、北上川岸に自然石の石積み跡があり、そこから北は城山が一望でき、南側は川の下流が遠くまで見渡せる場所である。

さらに、館の守り神と思われる「八幡宮」や「星の宮」がすぐそばにあることも、館跡があったことを今に伝えているのではないかと思う。

紫波町の郷土史家工藤隼人氏が、調査・研究され、斯波氏没落、逃亡し秋田県大仙市千畑町に末裔の方々が住んで居られることを知り、その後の「星山氏」のことが分かってきて、平成6年(1994)には、星山の有志が彦部公民館事業として千畑町を訪問し、星山氏の方々と交友を深めてきた。工藤氏の調査では、星山左馬丞は勇猛果敢で知略に富む武将であったことが記されている。

平成22(2010)の11月、間野村公民館で「星山館」を学ぶ機会を持った。講師は、阿部春男氏。彼の父である阿部栄吉氏が星山館に興味を持ち、「星山館の想像図」を書いていたことが分かったからである。

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