66 川村壇(川村家のお墓) 大巻字八竜


川村壇は、大巻の中央の元喜久屋商店裏に位置する。この付近に屋号「だん」「だんこ」という家がある。「だん」とは墓のことであるという。

文治5年(1189)、源頼朝が藤原氏を討った時、功績のあった川村四郎秀清に岩手紫波の河東の地を与えられ大巻舘に居った。この壇は川村氏一族の墓を営んだと伝えられる。旧記に「お村の中に川村壇と申して壇あり石塔3本あり、其古しえ墓参りに森岡より御出被成候て、むし菓子など有之由森岡の川村喜六と申て御詣上候只今大巻喜六殿と申由承候」

この墓守りは屋号壇の彌兵エとあるは先代阿部駒蔵(現在は阿部幸雄氏)の祖先であると思料される。

この壇は川村氏の後裔大巻六三(夫人はアキ)、現に盛岡市大沢川原に居住、当主は昭和38年春死亡した。ちなみに昭和37(1904)8月同人が墓参にこられ、ついで高金寺に立寄られ、川村壇の由緒を書いた掛軸を同寺に寄贈された。

なお、この墓の段の西側に墓石2基があった。この墓は北日詰川村長次郎氏の祖先の墓で、おそらく川村氏一族の後裔であったものと思料される。

なお、現在の川村壇は、昭和61年(1986)10月吉日と同62年(1987)4月吉日に、東京都杉並区成宗1丁目288川村章一氏(川村氏の末裔で『川村家の歴史』の著者)が墓域に石の柵を廻し、中に五輪塔や「川村壇」という石碑、家紋「丸に違い棒」を記す等整然と整備された。

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