XF55は北急車両製作所が建造した自由形電気機関車です。第22回JAMコンベンション(2023年8月実施)のテーマ「電気機関車」に合わせて建造しました。
戦後、各幹線の急激な需要増大に合わせて電化近代化を迫られていた国鉄はEF55やEF58に続く旅客電気機関車の設計と新造・増備に追われていた。
そんな中、とある列車の計画が持ち上がった。それは制御客車と客車と流線型電気機関車を組み合わせた動力集中型高速長距離列車の計画であった。リーズナブルな座席とさまざまな価格帯の寝台、さらには寝台個室を備え、食堂車も連結、これまでの旧式客車寝台列車が担っていた都市間夜行列車を置き換えるものとされ、高性能連結器と制御客車の採用で運転時の機関車の付替えの必要もなく、また上野駅のような頭端ホームにも減速なしの推進運転で入出でき、機回しや減速しての推進回送を不要とする画期的なものであった。海外では例があるが本邦での計画はこれが初めてのものであった。その新型長距離列車は計画名「X列車」とされた。
計画は実施にむけて要素検証が進んでいった。そのなかで先頭と最後尾を務める機関車はXF55と名付けられた。運用が煩瑣だとされて一線から外された流線型機関車EF55の遺伝子を継ぐ流線型機関車で、足回りはEF58を改良した2C-C2方式となった。また本邦では初のシングルアームパンタグラフも2基搭載、さらに電気暖房だけでなくSG(蒸気発生器)も搭載、X列車の牽引だけでなく一般客車列車の牽引運用能力ももつ、究極の旅客機関車となることを期待された。流線型の前頭部はなめらかなボディに広い窓の高運転台とされ、長距離運転での機関士の疲労低減も図られていた。また長距離運転のために運転室内には簡易トイレと乗務員用湯沸かし器も装備された。この機関車は「Thunderbolt(サンダーボルト)」と名付けられ、1号機がXF55 1として落成、国鉄に引き渡された。
機関車の設計・製造は順調だったが、客車も順調に設計製造が進んでいった。とくに制御客車は流線型の前頭部となり、またサービス電源を自給できるように電源荷物車も連結することとなった。この電源荷物車も制御客車機能をもつこととなった。客車にも関わらず前照灯とワイパー、スカートやスノープローを装備し、その姿は客車でも電車でもない特徴的なものとなった。また客室設備も次々と決定、製造が始まった。ルーメットと呼ばれる寝台個室なども狭い狭軌の車体に収めるため設計陣の苦心が払われ、それが実り客車も順次姿を表した。
だが、そこで大きなネックとなったのが連結器だった。自動連結器では遊間などによって連結が不安定で推進運転時に高速を発揮すると座屈を起こす危険が懸念されていた。そのため密着自動連結器や、さらには電車用の密着連結器までもが検討されたが、XF55の推進力とX列車の編成重量に耐えて安定した高速推進運転を行うには不足が多かった。そのために車間ダンパが試作されたが、車体の動揺を抑えるものは可能だったが連結までを安定させる強力な車間ダンパは当時の技術力ではとうとう実現不可能と結論されるのだった。ちなみにそれが実現したのは21世紀近くのE531系などの登場まで時間がかかった。
その実現不可能となったX列車であるが、当時の国鉄としてはそれを不可能だからとただ中止することは許されなかった。そのため、客車のみを通常の準固定編成客車として登場、運用に入れることとし、高速推進運転は断念、そのための専用機関車XF55は運用に入れないという決定がくだされた。制御客車となるはずの流線型緩急車と流線型電源荷物車からはワイパーや前照灯、スカートやスノープロウが撤去され、通常の新型客車として登場することとなった。それでもその新型客車の設備などの先駆性は素晴らしく、走るホテルとして大好評を博した。しかしその名はX列車ではなく20系客車とされ、X列車計画はXF55とともに歴史の闇に封印されることとなったのである。
だが21世紀、JR東日本は国鉄以来の保留車を密かに保存していた成田新幹線の遺構の秘密保管庫からXF55を取り出し、運用復帰を計画することとなった。当初計画の高速推進運転のネックとなった連結機構には現代の強力な車間ダンパもある。ついに半世紀の眠りを超えて、X列車計画が復活するのだ。その始まりのイベントとして車間ダンパは装備せずなおかつ高速推進運転もしないが寝台特急「DXあけぼの」の先頭にXF55を立たせて臨時寝台列車の運転が行われることになったのだった。列車の愛称は「ナイトカプセル」とされた。
この模型運転編成はその臨時寝台列車の運転を再現するものです。
・北急架空自由形列車のラインナップのさらなる充実。
・架空運転列車を的確に再現。
・室内灯全車装備
・ウェザリング一部車両施工済み