(弊社自由環状線チームメイトの作品です)
古すぎる設計に震災被災の浸水などのダメージで重改造するにはもとの車体が持たない可能性がありました。
それゆえ観光列車への改装には塗装や塗装除去加工などは最低限にすることが求められました。
車体に負担をかけず、それでいて視認性が良く、材料として入手しやすいものということで行き着いたのが百均シール紙でした。貼り付けのための切り抜き作業は難しかったのですがそれを乗り越えました。
版権は弊社が持っているキャラクター「ホッキー」を使うことで解決。あとは工作の困難ですが、もともとの香港製12系のテイストからそれほど違和感なく、それでいて程よくアイキャッチーな仕上がりとなったと思います。
オーナーを転々としてきたこの展望車もようやくおちついて就役しました。
元寝台車がファミリー用のコンパートメント車になりました。
さまざまな機関車とペアを組むことで運用運転の可能性を飛躍的に増やせます。
運用としては御殿場線観光列車ですが、閑散期には他の運用も可能です。
また牽引機もC63・D51(1119号機)といった北急の蒸機をはじめとした豊富な牽引形態で鮮やかに観光シーンを彩ります。
むかしむかし、
山北のさくらの駅から、海のきらめく沼津のまちまで、
一本の線路がのびていました。
その線路を走る北急電鉄は、
山のうつくしさも、富士山の大きさも、海のかがやきも、
ぜんぶつなぐ、とっても大事なお仕事をしていました。
けれどある日、北急電鉄の人たちは考えました。
「ただ電車にのるだけじゃなくて、
この道のりぜんぶを“ぼうけん”にできたら…
子どもたちは、もっともっと電車を好きになってくれるんじゃないかな?」
そのとき、ふしぎな旅するきつねがあらわれました。
なまえはホッキー。
ホッキーは、はるか昔から旅人の道案内をしてきた、やさしいきつねです。
ホッキーは言いました。
「ぼくといっしょに、電車を“わくわく大冒険号”に変えてみよう!
山も森も、トンネルのむこうの海も、
みんなでたのしめるぼうけんにできるよ!」
こうしてうまれたのが――
「ホッキーわくわく大冒険号」。
山北を出発した列車は、富士山のふもとをかけぬけ、
トンネルをぬけるたびに、新しい冒険のお話がはじまります。
そしてゴールは、海のひかりあふれる沼津のまち。
ホッキーといっしょに旅するその列車は、
ただの電車じゃありません。
それは、みんなの“ゆめ”をのせた、
とってもとっても特別な冒険号なのです。
その日は、空がすみきった青い青い朝でした。
山北の駅には、たくさんの子どもたちと家族があつまっていました。
みんな、これからはじまる“ぼうけん”に胸をどきどきさせています。
駅のホームにあらわれたのは――
カラフルなラッピングにかざられた特別な列車。
まるで宝の地図みたいに、窓ぎわには森や海や山の絵がえがかれていました。
「おまたせ!」
先頭車のまどから、ホッキーが顔をのぞかせました。
赤いスカーフをひるがえしながら、しっぽをふりふり。
「さあ、きょうはみんなといっしょに大冒険のはじまりだよ!」
列車がゆっくりと動きだすと、
子どもたちは車窓にかじりついて、
「つぎはどんな冒険がまっているの?」と、目をきらきらさせました。
御殿場にさしかかると、どーんと大きな富士山があらわれます。
そのときホッキーが言いました。
「この山には、むかしむかし宝をまもる竜がすんでいたんだ。
でも大丈夫! みんなの笑顔があれば竜もにっこりして、
宝物を見せてくれるよ。」
トンネルをぬけるたび、車内のあかりがかわって、
森の精霊や海の歌声がきこえてくるようなふしぎな演出。
子どもたちは大はしゃぎでスタンプをあつめたり、
冒険マップにシールをはったりしました。
やがて列車は、海の香りただよう沼津の町に到着しました。
終点のホームには、大きな宝箱が用意されていて、
みんなでふたをあけると――
なかから出てきたのは金銀ざいほう……ではなく、
キラキラ光る「冒険の証明書」と、
ホッキーのにっこり笑顔。
ホッキーは言いました。
「ほんとうの宝物は、みんなといっしょに旅した時間なんだよ。」
そして、その日から。
「ホッキーわくわく大冒険号」は、
子どもも大人も、心にわくわくをのせて走りつづけることになったのです。
(鉄道ジャーナル誌 取材記事風)
北急電鉄が今春から山北―沼津間で運行を開始した「ホッキーわくわく大冒険号」。ファミリー層をターゲットとしたキャラクター列車だが、その誕生には特別な物語がある。
使用されているのは、かつて東日本大震災で被災した12系客車である。もともと東北地方の模型店がイベント用に保有していたものの、津波により大きな被害を受け、長らく倉庫に眠っていた。腐食や損傷は深刻で、一時は廃車も検討されたが、保存活動を続ける有志の働きかけにより北急電鉄へと譲渡されることとなった。
譲り受けた北急は「失われた車両をただ保存するのではなく、再び多くの人を乗せて走らせたい」との方針を打ち出し、車体の補修・再塗装、車内設備の更新を実施。さらに「旅する狐」ホッキーのキャラクターを全面に取り入れ、家族連れに楽しんでもらえる“冒険列車”として生まれ変わらせたのである。
初列車運転となった○月○日、山北駅のホームには震災の被災地から招かれた関係者の姿も見られた。北急電鉄社長は出発式でこう語った。
「この車両が再び子どもたちの笑顔を乗せて走ることが、被災地への小さなエールになればと願っています。」
車内では、冒険マップやスタンプラリーといった企画が展開され、御殿場では富士山を望む絶景に合わせてホッキーによる“宝探し物語”が放送される。沼津到着後には宝箱を開けるセレモニーと「冒険証明書」の配布が行われ、初列車の参加者たちは大きな歓声で列車を見送った。
ただの観光列車ではなく、「被災車両を蘇らせ、未来へとつなぐ」シンボルとしての意味をもつホッキーわくわく大冒険号。保存・活用・観光振興の三要素を兼ね備えた新たな挑戦として、今後の展開が注目される。