<2020.12.15> 民主主義を知らない菅首相、国民から自由を奪う
今年最大の政治話題は、安倍首相の辞任。内密で行ったルール改定をはじめ、政治・税金の私物化のみならず、民意を無視し、批判には証拠となる文書の隠蔽・破棄や論点外しで国民が忘れるのを待つ異様な安倍一狂政治は幕を閉じたが、その異様さを継承する菅首相は、国民が知りたいことに対して、「お答えを差し控える」で逃げ、独裁化を強めている。それは学術会議への人事介入(批判者・異論の排除)で顕在化し、今後の日本社会へ方向性――思想統制、言論統制の強化・独裁政治の端緒――を暗示する大問題だと思う。
机の上に、11月10日の東京新聞「じゅんかん記」――補助金は当然、「国=政府」ではないのだ(作家・保坂和(かず)志(し)著)、がある。以下です。*から*の間は意志(いし)道(どう)加筆
政権や体制に批判的な文化・芸術・研究に補助金を出す必要はない、「国を批判する者に補助金を出す必要はない」というこの理屈は間違いだ。こういうことを言う人たちは、<国=政府>だと思っている。<国>は政府のものでは全然ない。<国>は国民のもので、国民はいろいろな人がいるものなのだ。みんながみんな、政府のすることを良いと思っているわけがない。これまで国がしてきたこと(つまり歴史)に全面的に賛成のひとばかりでないのは言うまでもない。国の現状や歴史を批判する人も国民なんだから国から補助金や研究費をもらうことは少しもおかしくない。繰り返すが、「国から」というのは「政府から」ではない。政府は国のいくつもある機関の一つでしかない。学問・芸術活動している人はそのお金を、政府からもらっているわけではないのだ。その人たちは、国民の自由や幸福のため、この国が間違った方向に進まないためにやっているんだから、国からお金をもらうのは正当な報酬だ。
そもそも批判することのどこがいけないのか。批判と否定は同じではない。最近みんな、批判することと誹謗中傷を混同していないか?批判は間違いや誤解を指摘して糾(ただ)すことだ。
批判を受けとめるプロセスを経て、考え方やシステムは良くなってゆく。
民主主義の研究から、「参加と責任のシステム」――人々が自分たちの社会を問題解決に参加すること、それを通じて、政治権力の責任を厳しく問い直す――が民主主義の不可欠の要素という、学術会議で任命拒否をされた宇野重規(しげき)東大教授は、著書『民主主義とは何か』で、独裁と民主主義についての比較で、独裁的手法が効果をもつことはあるが、独裁体制の下では、人々は受動的になり、すべて権力者に依存することになり、政治体制が長期的に発展するためには、多様性を許容する民主主義の方がはるかに有効だといい、「その前提にあるのは、政治は社会の問題についてつねに唯一の答えがあるわけではなく、多様なアイディアに基づく試行錯誤が不可欠であるという考えです。民主主義はしばしば誤った決定を下さいますが、それを自己修正し、状況を立て直す能力をもつのも民主主義です」とある。異論に耳を傾けない、議論を避け批判者を排除する菅政権は、民主主義の基本が理解できない独裁者なのだ。この政権を放置していたら北朝鮮になってしまうに違いない。
批判は例えれば、科学の実験やスポーツのトレーニングのようなものだ。科学者が自分の仮説を立証するために実験して、仮説を裏切る結果が出てしまったらどうするか?「仮説が不十分だったんだな。どこがおかしかったか、練り直しだ」と、再び理論に戻る。科学は失敗の繰り返しだ。それを結果を伏せて、「総合的・俯瞰(ふかん)的見地から仮説に誤りはない」とだけ答えていたら学問は滅びる、というより人間が考えるという行為自体が滅びる。ほぼそういうことになっていたのが第二次世界大戦に突入していった日本だ。日本学術会議はその「思考停止」ないし「思考することの禁止」の歴史の反省から作られた。
だから政府から独立しているし、必要なら批判もする。*だから先進国の殆どが、民主主義をより良いものに進化させるために、政府から独立した学術会議のような組織を日本以上に税金を使って維持しているのだ。
政府はいつも国民の生命・財産を守るとは限らない。国民の生命・財産を蹂躙した政府が過去に間違いなく存在した。政府を監視するために政府から独立した組織を置く。それは何よりも国民のためだ。
批判を抑圧する空気は企業も学校も社会全体を覆っており、「弱いものをたたく」社会になる旗振り役を政府がしている、のが日本の現状、で締め括っている。
この菅政権を支持するか否かは、国民が自由を放棄するどうか、思考するのを放棄するかにかかっている。
<2020.12.1> アベノウソ
市民団体などの告発を受け、東京地検の関係者事情聴取から、安倍前首相の悪事が蒸し替えされた――税金の私物化疑惑「桜を見る会」の前夜祭での費用補填(公職選挙法や政治資金規正法に違反)問題での国会答弁「安倍事務所側が補填した事実は全くない」が虚偽だったようだ(ホテル側の領収書を事務所が受領し、その後廃棄――ここでも証拠隠滅)。森友問題でも事実に反する答弁を139回(衆院調査局)もしていたようで、7年強の首相在任中の安倍の嘘を挙げ、国民の反応の鈍さ(問題は国民にある)を列記してみた。
アベノウソ①2012.12で政権奪取して発足した第二次安倍政権の経済政策(アベノミクス)の説明で、トリクルダウン理論――富裕層、持てる者が富めれば、そのお零(こぼ)れが大衆に行きわたる――を掲げたが、富の格差が拡大し、固定化が進んでいる。トリクルダウンは、ヨーロッパの国々で起きないことは立証されており、安倍首相は直ぐにトリクルダウンを口にしなくなったが、初めから国民を騙すつもりの確信犯だったのだ。メディアを含み、経済学者たちも国民も皆、“ぼーっ”としていたのだ。
アベノウソ②2013/9/8 -オリンピック誘致で、国際社会を相手に、「私が保証します。(放射能は)アンダーコントロール(制御)されている」と、9年半経過後の今でも汚染水は流出し、多くの避難者がいる状態なのに、嘘をついてオリンピックを持ってきた。「福島の復興無くして、日本の再生はない」や「アスリートファースト」は言葉だけで、コロナ対応で「利権ファースト」が明らかになった。
アベノウソ③2014.7に解釈改憲した憲法違反の集団的自衛権行使容認では、現実にはありえない「アメリカ艦船にいる日本人母子を救出できなくていいのか」といい、もしあったとしても個別自衛権の範囲(邦人保護)内なのに、集団的自衛権行使が必要なのだと、国民を騙した。国民の多くは法案に反対したが、「強行採決など考えたこともない」の言下、違憲の法案を強行採決した(2015.9.19)。本件で、安倍政治を継承する菅官房長官(当時)は、憲法学者が「何百人もいる日本の憲法学者の内、違憲ではないというのは、2,3人で、違憲とみるのが学説上の常識であり、歴史的常識だ」とする中、記者会見で、「『違憲じゃない』という憲法学者はいっぱいいる」と、安倍虚偽政権の継承者らしく嘘をついた。
アベノウソ④2016.2森友問題が浮上。「私や妻、事務所が関わっていれば、首相も国会議員も辞める」と見栄を切った。昭恵夫人が小学校の名誉校長として、付き添いの谷査恵子氏と共に、この不公正行政に深く関わっていたのに、安倍首相は辞めず憲政史上最長の政権となった。真っ先に「憲法尊重擁護の義務(憲法第99条)」を負うべき首相が、憲法15条「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」に違反。
それでも<2016.7の参議院選挙で自民党は勝利し、改憲勢力が衆参共に2/3以上になった>
アベノウソ⑤2017.6過去3回廃案になった「共謀罪」を「テロ等準備罪」改名し、「これがなければ、オリンピックが開催できないと言っても過言ではない」との嘘。
それでも、<2017.9衆議員選挙で与党圧勝。国民はどこを見ているのだろうか>
アベノウソ⑥2018.7(参議院6増)――2012年11月、当時の野田総理大臣(民主党)と自民党の安倍総裁が、衆議院議員自らが身を切る改革である定数削減問題を含めて、消費税増税法案が議論され、身を切る改革と消費税増税をセットで解散総選挙を行う約束をした。選挙で勝利した安倍首相は、約束した議員定数削減を反故にし、逆に6増(参議院議員-約2億円の増だが、半年後歳費減額で相殺させる法案提出)を行った。身を切る改革はウソだったのだが、メディアも国民も反応は鈍かった。
アベノウソ⑦2015.9施行の「すべての女性が輝く社会づくり」は、2013年に49万人だった女性の非正規労働者は、2019年には1475万人。国税庁の調査では、2018年、男性の最多年間給与額の400万円超~500万円以下は524万人(構成比約18%)に対し、女性の最多は100万円超~200万円以下で495万人(構成比約24%)と、明らかになったのは、女性の奴隷化だ。何が「女性が輝く社会づくり」なのか分からない。国民は安倍政権得意の打ち上げ花火に惑わされただけだ。
アベノウソ⑧核兵器の全廃と根絶を目的とする国際条約の核兵器禁止条約への不参加に対し、核保有国と非保有国の橋渡しで目的を達成する、「結果を出すのが政治」だと言っていたが、何の成果もない。
アベノウソ⑨あちこちで「寄り添う」と、虚偽の連発。玉城デニー沖縄県知事談「総理はこれまで『県民に寄り添う』と発言しているが、言葉だけなのかという印象をぬぐえない」(これまでの知事選や国政選挙で辺野古新基地建設に反対する民意が示されたにもかかわらず、それを無視した対応から)。また、原発事故の自主避難者や2016年4月の熊本地震の被災者に対しても「寄り添う」を連発したが、安倍首相の「寄り添う」は、日本語の理解力欠如のその場しのぎの言葉だったのだ。
濃厚アベノウソ⑩「名目GDP600兆円を2020年ごろに達成する」では、成長戦略第3の矢は飛ばず(嘘)、GDPの算出方法を改定(嵩上げ)しても500兆円台で届かず。それどころか一人当たりの名目GDPは、12年の世界ランキング15位から18年には26位まで下落した。
アベノウソ⑪2020.9拉致問題は「政権の最重要、最優先課題」と位置づけ、2014年1月の施政演説でなどで繰り返したが、7年半以上経過してもトランプ大統領頼みで何の兆しもなかった。嘘総理の面目躍如だ。
まだまだアベノウソはいっぱいあるが、もう疲れてしまった。嘘の連発で国民は何を言っても信じなくなった。これは新型コロナウイルスの対応に表われている(政府の言うこと信じないで、自己防衛をした)。当初「37.5℃が4日間続けば病院へ」(後に国民の誤解だといった加藤厚労大臣は、菅政権の官房長官になった。嘘つき官房長官の継承)で、国民に笑顔をもたらした大切な志村けんさんが亡くなった。
こんなに嘘をついてきた安倍政権がよくもまあ憲政史上最長の政権になったものだ。この政権が後世まで語り継がれるものは、憲法違反と公文書の破棄・改竄そしてアベノマスク。
どうして、国民は安倍一狂を許したのだろうか…
安倍前首相は、政治と税金の私物化で逮捕されるべき資格がある。証拠隠滅の恐れがあるので、今回の検察庁による「桜を見る会」の疑惑解明に期待したいが、まずは昭恵夫人と共に、長期拘留された籠池夫妻と同等期間の拘留に処すべきだと思う。検察の動き(独立性と良心)に注視!
<2020.11.15> アメリカは良心の覚醒で大転換。日本は?
4年前国民の分断(エリートたちの政治から取り残された国民の不満など)を背景に、対立を煽(あお)って大統領になった、世界を混迷に導く常識外の人物、トランプ大統領が中間選挙に敗れ、来年1月にホワイトハウスを離れることになった(いまだに得意の虚言「選挙に不正があり選挙は無効」を発し、敗北を認めず大統領職を明け渡さないつもりだが)。
次期大統領・バイデン氏は、投票日(4日)の数日後れの7日、「米国に癒しの時がきた。分断ではなく融和を目指す大統領になる。すべての国民の信頼を得られるように全力を尽くす」と勝利宣言を行い、「私達は国民のための政権だ。米国の魂を取り戻す」と誓った。
米国社会の問題は、コロナ禍で鮮明になった「貧富の格差問題」やイエスマンで周辺を固め、異論に耳を傾け議論し解決策を見出すという民主政治を避け、独善的判断で突き進んだ政権の暴走――パリ協定(環境問題の国際協調)からの脱退やオバマケアの廃止など――で米国社会の未来は、混迷度を深めていたが、過去最高の65%超の投票率で、トランプに“No!”を突き付けた。
日本もまっとうな民主政治を取り戻すために、日本版バイデンの出現を熱望したい。
日本はいま、憲法を無視した集団的自衛権行使容認、法を勝手に解釈し、国会での議論をせずに(国民に知らせない)法を変更するという独裁的政治、新自由主義政策推進による富裕者優先の経済政策、貧富の格差拡大・固定化、税の私物化(友達優遇)や唯一の被爆国でありながら核兵器禁止条約に不参加、重大な原発事故を起こしながら再稼動を推進、沖縄の人達に寄り添うと言いながら辺野古基地工事を強行、学術会議への人事介入問題など独裁的、非人道的で異様な政治下にあり、米国以上に民主主義が危機的状況にあると思われる。
学術会議問題は、この先国民の自由が侵される前兆であり、看過できない重大な問題だ。多様な意見から議論し解を求めるという民主主義上欠かせない組織(批判があってもそれを政策に入れるか否かは、政府が決めること)であり、民主主義をより進化させるために、他国でも同様の政府から独立した組織があり、日本以上に国費を投入している。
自民党は、任命拒否問題を学術会議のあり方にすり替えたが、独立した組織のあり方を政府と学者が議論することはもとより、利潤を追求する企業人を会員にし、議論に参加させることは論外なのだ。死の商人を生むだけだと思う。政権の政策を様々な角度から研究し、より高度な政策策定を促す学者の排除は、他国では信じられない愚行であり、戦時中の言論統制や思想統制が全国民に降りかかる前触れで重大事だと思う。
今回の米国で見られた忘れられた人々(現代社会で見捨てられた人々)の反逆――高い投票率で、トランプ政権を終わらせた――が、日本で起こることかどうかだが、「国民を憲法で縛る」自民党憲法草案を目論む陰険な菅自民党政権は、置き去りにされている貧困層の反逆を恐れ、「自助、共助、公助」で、国民に自己責任感を植えつけ、貧困層の反逆阻止に動いている。
バイデン次期大統領は勝利宣言で、「良識を取り戻し、民主主義を守り、全ての人に公正な機会を与える闘い」だと言ったが、日本人も、良識を取り戻し――人として正しい判断のできる日本人の心を甦らせ――、民主主義をより進化させるために、米国国民を見倣い、異様な菅自民党政治を終わらせようではないか。
<2020.11.1> 菅首相の本性(狡猾(こうかつ))再認識
安倍政治の負の遺産を正そうとした石破氏の首相誕生だけは阻止したい、腐り切った自民党議員たちの邪心で生まれた安倍継承・菅新首相の支持率が、学術会議問題で急落した。
そもそも、憲法も民意も無視し、全有権者の約1/4以下(2013年以降2019年の参院選で、比例代表では20%以下、選挙区では25%以下)の得票で生まれた自民党政権がルールを政権の都合のよい形に内密に変更し、税金を含め政治の私物化を共に行ってきた戦後最悪最低の首相・安倍晋三と官房長官だった菅新首相への高い支持率が、石頭団塊団から見れば大きな間違いだと思うのだが。
この高支持率は、考えない、騙されやすい国民によってもたされていて、学術会議問題で菅首相の陰険な本性が明らかになって、支持率が急落したことは、高支持率を献上した国民に、まだ人としての判断が出来ている証であり、少し安堵した。
社会に弊害をもたらす数えきれないほどの愚行への批判に対し、恥を恥とも思わない無恥で、民主主義の基本を知らない無知の安倍前首相と共に誤魔化してきた菅新首相は、官房長官時代の記者会見での横暴な態度――記者の批判的指摘に対し「その指摘はまったく当たらない」と応じ、また、質問をはぐらかす官房長官に、同じ質問をした記者を排除するなどの権力を傘にかけた横暴な態度――から人間性に疑問府付だったのだが、それは安倍政権を補佐する立場上、やむを得ずやっていたのだろうと、性善説的に見ていた意志道(いしどう)の過ちだったのだ。
意志道が、菅氏のトップとしての資質(人間性)に問題があると感じたのは総裁選だった。当初、やっと誰にも気兼ねなくありのままの自分を出せる立場になれば、安倍政権下での悪行の共謀者として、良心の呵責から政治手法を改めると思ったのだが、総裁選で、自死に追い込まれた財務省職員の妻が求める再調査要求に対し、「森友問題は解決済み」の発言でトップとしての人間性に問題がることを確信した。違憲立法の安保関連法やモリカケ・桜を見る会などでの友達優遇政策や公文書の改竄等々の不公正で非常識な言動を指摘されても、「まったく問題は無い」といい、不都合なことには答えず、公文書さえも「怪文書」といい放ち、論点をすり替え、国民が忘れるのを待つ――事実、安倍内閣での支持率は問題発生時に下がるが直ぐに元に戻る。この官房長官時代の権力に笠をかけた傲慢な態度は菅首相の本性だったのだ。
また、総裁選で、自身の原点(生い立ち)「たたき上げの人生」を誇らしく語っていたが、それは他人が語ることで、自分が苦労人であることを自身で語るのは、その裏に何かやましいことがあるに違いないとも思った――集団就職ではなかったことや、時の権力者に擦り寄り、その都度鞍替えした人生も分かっていきている。同じく総裁選で、「現場の声に耳を傾け、何が当たり前なのか見極めて判断をし、そして大胆に実行する」とも言っていたが、学術会議問題で、何が当たり前なのか分からず、逃げ回る。平気でウソをつけることや逃げ回る体質も安倍首相から継承しているようだ。国家規模の隠蔽を暴露する作家・松本清張なら、菅首相が描く国民にとって暗黒部を明らかにすると思うのだが、自身が語る苦労を乗り越えた先が、法を無視し、独裁化を強めるのでは困る。新首相は戦後最低最悪の安倍前首相を超えるつもりなのだろうか。
以前にも記したが、トップ選びの最重要要件として『ガリバー旅行記』に、「どんな地位にせよ、誰かを任命するときには、能力の高さよりも品性の正しさを重視する。(中略)徳義が欠けていたら、それは優れた才能などで補いようがないのだから、たとえどれほど身分が高くとも、そんな危険な人物を公の地位に就けてしまってはならない」がある。
トップ選びに大切なのは、政治手腕よりも人間性ということで、「人として正しい判断ができるか」という倫理観・道徳心の有無が大前提なのだ。前例のない不確実な問題への対応なら尚更人間性が問われる。これは新型コロナ対応で、国民の命よりもオリンピックを優先し、検査体制構築を遅らせ、感染者数を低く抑え、意味のない学校閉鎖をしたり、時機を失した上に汚れたマスク配布に税金を使ったりと、右往左往した安倍政権をみれば分かる。また、政策にしても安倍前首相は、政策の殆どが未達成――2%のインフレ目標や待機児童ゼロ、女性活躍、非正規を無くすなど――、これに対し「道半ば」で言い訳をし、次から次へとアドバルーンを掲げ、国民を騙しつづけた。
安倍傀儡政権の菅政権は、安倍政権の悪行に蓋をし、自身の著書をも改竄――旧民主党政権が東日本大震災時に議事録を残していなかったことに対し、「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為である」云々を削除した。
かように、菅新首相は人間性に問題があるのだが、所信表明は、メモの棒読みであまりにお粗末(小3の孫娘は、自分でも出来ると言う)で、浅薄な知識を露呈――「日本をどんな未来へと導こうとしているのか」の立憲民主党の枝野氏の問いに、「行政の縦割りや悪しき前例主義の打破し、改革を実現」という的外れの答えには呆れた。目指す社会像の「自助・共助・公助」は、新自由主義者の竹中平蔵氏がブレーンであることや菅氏の今までの言動から菅首相の本当に言いたいのは、「自己責任社会」としか思い浮かばない。この内閣での未来は、夢のない、息の詰まる社会なんだね。
これも以前に記述したが、鷲田清一の『哲学の使い方』に「(日本は)市井にいる普通の人の能力が高いので、リーダーに無能な人が就いてもそれなりにやっていける社会だ」という。時の政権(リーダー)が多少の愚行を犯してもそれなりにやっていけるが、欺瞞に満ちた言動で憲法を無視し、学術会議への人事介入などで思想統制をするという基本的人権を蔑(ないがし)ろにする独裁的人物を野放しにしていては日本社会が根底から壊される。
トップは、人間性が何にもまして重要なのだが、安倍前首相、菅現首相共に不支持理由トップが「人柄が信頼できない」にあり、首相としての資格のない人物だと、国民は見ている。不支持の判断している人は、どんな人がリーダーとして求められているかが分かっている人で、このような人が増えれば、国民のためにならない政権を選挙で退陣させることができ、日本の北朝鮮化(政府が国民の自由を奪う)の流れを阻止できるに違いない。
学術会議問題で国民の多くが菅首相の人間性に疑問を深め、就任直後の世論調査の70%超のご祝儀高支持率が、瞬く間に下落したが、問題なのは、まだ50%超の人が支持していることだ。携帯料金の引き下げなどを餌に国民を、そしてパンケーキ懇談会(10月3日)でジャーナリストを懐柔――朝日新聞と東京新聞は不参加。権力監視が使命のジャーナリストが菅首相を庶民派総理と持ち上げ、パンケーキ懇談会に参加し、自ら存在価値否定とは、情けない。国民は、パンケーキ新聞社の記事と狡賢(ずるがしこ)い菅首相に騙(だま)されてならない。
<2020.10.15> 早くも露顕、菅政権の独裁願望
安倍政治を継承する菅内閣が秘密裏に進めたルールの解釈変更で、学者の立場から政策提言をする国の特別機関「日本学術会議」への人事介入を行った。先の総裁選の言「安倍政権の継承」が「政治手法(憲法や法律の身勝手な解釈変更)をも継承」するとは思わなかった国民(特に、権力監視を使命とするメディア)が悪いのか。これは加藤勝信新官房長官が厚労大臣時のコロナ対応での発言「37.5℃以上の発熱が四日間以上続いているという受診の目安」で受診を受けず亡くなった人(志村けんさんなど)が現れ、「それは受診基準ではなく、国民の誤解だ」(5月8日の記者会見)と同じで、菅首相の言う安倍路線の継承は、政治手法を含む継承であり、石頭団塊団の誤解だったようだ。
政権の政策に異を唱える者は排除し、社会全体を支配下にする動き――人事権を握って官僚を支配し、電波停止発言(当時の高市総務相)でメディア(ジャーナリスト)を脅し、司法への人事介入(検察法を解釈変更し、定年延長(政権の守護神と言われた黒川氏を検事総長にしようとしたが、黒川氏の賭けマージョンによる辞任・検察OBや国民の批判を受け未行使)で司法支配に及んでいる。
今度は学者を言いなりにしようと、集団的自衛権行使容認を決めた安保関連法が違憲であると指摘した人や過去の歴史に学び「戦争と目的とする科学の研究は絶対に行わない」とし、軍事転用可能な科学技術開発に消極的な日本学術会議への人事介入――特定秘密保護法、安保関連法や共謀罪などを批判した学者の排除――で、次世代のために社会正義の立場から政府に意見具申をする「日本学術会議」を政商・竹中平蔵(安倍政権や菅新政権の経済ブレーンで、新型コロナ対策の持続化給付金を委託企業電通や経産省と結託して横領した人材派遣会社パソナグループ取締役会長)のような御用学者に変え、学者支配を進めようとしている。
菅首相は、「会員は公務員の立場」であり、「政府の言うことに背くな」といいたいのだろうが、森友問題での公文書改竄を強要し自殺に追い込んだ財務省職員が「自分の雇い主は国民であり、国民のために働く」と言っていたように、国のトップが率先遵守すべき憲法――15条「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」――を犯している。しかも、「日本学術会議」の運営資金は、国民の税金であり、政府の自由に使えるお金ではないのである(国民の大半が、6人の拒否理由を説明しない内閣に批判的)。
2008年のノーベル物理学授賞者・益川敏英(としひで)京大名誉教授は、「菅首相がこんな乱暴なことをした。歴史上長く糾弾されるだろう。戦争の反省の上に作られた『日本学術会議』に汚点を残すものである」という。学者が戦争に加担した反省の上にできた会議体を軍事利用に背いたことや、戦争に近づく自公政権に協力しないからと言って人事介入で政府のいいなりの組織にしようとする暴挙が許されないことは、火を見るより明らかだ。
日本学術会議は、任命拒否された6人(安保関連法制や戦前の治安維持法に繋がりかねない「共謀罪」への異論者)の拒否理由を要求し続け、この問題の本質を国民の前で明らかにし、法を勝手に解釈しながら「法の支配」を公言する異様な菅政権に辞表を叩きつけ、政権を恐れず社会のため、国民のために活動する独立した組織「日本国民のための学術会議」として再出発したらどうだろうか。
ともあれ本件から見えることは、菅首相が官房長官時代に見せた「都合の悪いことには答えず、論点すり替え(なぜ6人を任命拒否したのかの問いかけを学術会議のあり方へ)で国民を欺(あざむ)き、国民が忘れるのを待つ」という安倍政権で功を奏した戦術の継承だ。
一連の批判者の口封じ・排除の行き着く先は、自民党の憲法草案にあり、国民を憲法で縛る自民党による国民支配なのだ。菅内閣は、「国民のために働く内閣」ではなく、「国民を意のままに動かしたい内閣づくり」にあり、“思想統制強化+監視社会化”の路線をひた走っており、終着点は、共産党支配の中国や独裁の北朝鮮と変わらない国にすることなのだろう。この菅自民党政権の支持は、自殺行為に他ならない。
<2020.10.1> さよなら安倍一狂
9月16日、第99代首相が決まり、戦後最低最悪の首相・安倍晋三による「一狂政権」が終わった。「安倍政権継承」を掲げ、安倍政権と共に数えきれない悪行演出した菅新首相は戦後最悪最低の安倍前首相を(悪行の数で)超えるかは、今後のお楽しみにして、今は触れない。
能学者・安田登氏がNHKの100分de名著の『平家物語』で、組織存亡の要因は「驕(おご)り」と悪行で、「驕りは驕りだが、悪行は、現在の社会を成立させている根本秩序を壊そうとすること」だという。
安倍前首相が高い支持率時に、「信無くんば立たず」――民(たみ)信(しん)無(な)くば立(た)たず 《「論語」顔淵から》政治は民衆の信頼なくして成り立つものではない。 孔子が、政治をおこなう上で大切なものとして軍備・食糧・民衆の信頼の三つを挙げ、中でも重要なのが信頼であると説いた――と、よく言っていたが、安倍一狂の終焉は、長期政権からくる「驕り」によって倫理観欠如体質を露呈し、集団的自衛権行使容認や国会無視など数々の違憲立法、身勝手な法解釈などの反民主主義的言動、さらに桜を見る会やモリカケの道義上の問題などの悪行で、社会の根本秩序を壊し続けた結果、「信無くんば立たず」に至ったのだ。と同時に、「党として説明責任を果たさなければならない」と言った前法相の河合克行・杏里夫妻が公職選挙法違反容疑での逮捕された件では、自民党本部から送った買収原資の1億5000万円の内の1億2000万円が税金(政党助成金)であったことも含め、支持率低迷状態が続けば次期国政選挙に勝てないと辞意表明に至ったのであり、辞任の理由は病気の悪化ではないと思う。
それにしても安倍政権は何だったのか。
安倍前首相の師・加藤節が嘆く哲学の欠如。前政権で始まった「政府の暴走」(毎日新聞9月18日 吉野理記)に、以下がある。
もしかしたら、誰よりも厳しいまなざしでこの7年8ヵ月を観てきた人かもしれない。安倍晋三前首相の母校・成蹊大の加藤節・名誉教授である。政治哲学の泰斗は、悲しげに元教え子の政権を「落第」と評するのだ。なぜ落第なのか。そして、その政権が長く続いたのはなぜか。初秋の一日、警鐘に耳を傾けた。――一個別の政策の評価はさまざまですが、この7年8ヵ月を、少し大きな視点で考えたいと思います。日本政治にとって、安倍政権とはどんな存在だったと考えていますか、の問いに対し、加藤教授は、「端的に言えば、法の基づく支配と法的安定性を破壊し、政府の暴走が始まった、という意味で、歴史に残る内閣です」と応えた。
長く続いたのは何故かも知りたいところだが、多分、政治は我々の生活に関係ないとするノンポリ人間の増加、友達優遇の政治に何も期待できないと思わせることによって、安倍政権が見做す愚民――考えない国民――づくりに成功したのだと思う。
では、安倍一狂後の政治はどうなるのだろうか。携帯電話料金の引き下げやデジタル改革で省庁の縦割り改革を進めるなど大衆受けのする政策を掲げ、「自助・共助・公助」と自己責任を前面に出した社会像を目指すといい、(国民のために働くのは当然なのに、今まで国民のために働いていなかったのか)「国民のために働く内閣」などと、考えない国民に向けてのスローガンでスタートした、嘘つき安倍内閣の継承内閣でもある菅新首相の言動が人間として正しいかどうか、厳しくチェックし、菅政権の本質を見極めることが必要だと思う。
また、核兵器禁止条約への不参加、原発再稼働、沖縄新基地建設工事の強行や5年前に強行採決した集団的自衛権行使を容認した違憲立法、財務省職員を死に追いやった不正事件森友疑惑の解明拒否や責任回避など加計・桜を見る会など民主主義はもとより社会秩序を壊す悪行に加担した自民党国会議員とそれを正そうとしない自民党党員を厳しく問い詰める必要があると思う。
菅新政権は、ボロが出る前に(ご祝儀支持率の高いうちに)衆議院選挙を考えているようだが、「多数派の圧政は、一人の独裁者の圧政と同じように堕落する可能性がある。君主制と同様に、民主制は適度であれば有益だが、度を過ごせば有害である」(『世界の政治思想 50の名著』の『自由と権力についての考察』(アクトン卿/19世紀のイギリスの政治家・思想家)を肝に銘じ、今後の国政選挙において、悪行を重ねてきた安倍政権を継承する菅自民党を圧勝させてはならない――たとえ野党がだらしなくても最悪の選択(自民党への投票)は避けなくてはならない。そして組織票の自公を有利にする“棄権は危険!”
<2020.9.15> 第三次安倍内閣「安倍傀儡政権」のはじまり
昨日14日、自民党新総裁が菅官房長官に決まった。明日、9分9厘第99代総理大臣になる。戦後最悪最低の首相から、やっと解放されたかと思いきや、菅新首相の、今までの言動から「第三次安倍政権(安倍傀儡政権)」のはじまりが危惧される。
上記考えに至ったのは、総裁選公示の前々日(6日)のNHK日曜討論「自民党総裁選候補に問う」(菅義偉(よしひで)、岸田文雄、石破茂の3各出演予定)の出来事――安倍政権継承を表明した菅官房長官が台風のために突然欠席――による。欠席理由が、討論によって安倍政権末期の批判の再燃と自民党国会議員票で優位に立っている総裁選にマイナスに働くことを恐れたに違いない、と思ったからだ。
討論会の冒頭、司会者は「政治の信頼から伺いたいと思います。森友などを巡る問題などに、文書管理のあり方が指摘され、あるいは官邸主導の一方で、官僚の過度の忖度が拡がっているのなどの指摘がありました。国民の政治への信頼にどう取り組むか」と、安倍内閣不支持理由のトップが「首相が信頼出来ないから」を踏まえた質問から始めた。出席した両氏の回答を以下だった。
「分断から協調」を訴える岸田自民党政調会長:「新型コロナウイルス対策一つとってみても、政治課題を解決するためには、国民の協力なくして結果を出すことは出来ない、こういった時代だと思っています。そうであるなら、尚更、政治の信頼は重要であるということだと思っています。そして、説明責任をしっかり果たすのは当然のことではありますが、やはり政治の意思決定の方式、これについてもいま一度考えなければいけないかと思っています。(中略)(スピード重視の)トップダウンと(多くの意見を汲み上げる)ボトムアップを賢く使い分ける政治を目指さないと国民の安心につながらない、信頼にはつながらないと強く感じています」と、少数意見に配慮するという民主主義の一般論を述べた。安倍政権は本来あるべき姿に反しているということだ。コロナ対策で何をやっても批判されるのは、安倍内閣の数々の不正(友達優遇で官僚を巻き込んでの不正、自分のために税金を使った桜を見る会開催など)で説明責任を果たしていないことや憲法違反の安保法制などを強行採決したことで国民の信頼を欠いたと、禅譲(ぜんじょう)の梯子を外された岸田氏は、遠慮しながらではあるが語った。また、菅氏が問題とは捉えていない経済格差の拡大・固定の是正に言及しており、岸田氏が常識的な感覚も持ち主であることが分かった。
「納得と共感」を訴える石破元自民党幹事長:安倍政治を痛烈に批判――森友・加計を念頭に、「特定の人だけが利益を受けることを政府がやって良いはずがない」など。同時に、本来の保守本流を彷彿させる内容――「権力は丁寧に、謙虚に使っていくことが大事」や国民のために働いた財務省職員を自殺に追い込んだことを挙げ、役人が国民のために働くようになる仕組みに変えなければならないと指摘――で、政治家のあるべき姿など、政治家の必須要件である倫理観を全面に押し出したものだった。更に、「信頼無くしては何もできない。森友にしても加計にしても桜にしても、そうだね、分かったネっていう国民の方は少ない。そして文書が改ざんされたり、破棄われたり、そういうことがあって検証のしようがない。それはもう根本的な問題だと思います。これをきちんとする。説明責任をどう果たすかということで、何でそんなことになったのか。そして誰かが関与しなければこんなことにならないかもしれない。それもきちんと責任を取るということでなければいけません」と安倍政治の負の遺産を放置してはいけないと訴えた。石破氏が、前回の総裁選で自民党党員に人気だったのが理解できた。
この石破氏の発言に対し、戦後最低最悪の政治を強行してきた安倍一狂政権を支えてきたことを良心に恥じることもなく、安倍政治を継承する(不正の継承)という、あるべき姿を語った石破氏の言葉に青ざめる安倍政治の共犯者・菅官房長官の反応を見たかったのだが、前述した理由と自身の不甲斐なさが露顕することを恐れて、討論会に急遽欠席したのだ。
続いて8日の立会演説会の印象を書き添えておく。
石破氏は、自民党が下野した時(2009.9)に、谷垣総裁(当時)の下で策定した自民党の綱領「自由民主党は勇気を持って自由闊達に真実を語る政党でなければならない。自由民主党はあらゆる組織と協議する政党でなければならない。自由民主党は国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる。そういう政党でなければならない」を挙げ、憲法に反してきた安倍政権が綱領にも反した政治運営をしてきたことを暗示。自民党のあり方や政治家としての心がまえ、どういう政治を目指しているか、の基本姿勢を語った上で政策を論じたが、菅氏は、コロナ対策、自身の生い立ち、安倍政権の功績とその中での自分の果たした役割(自画自賛)に触れ、全ての行動の指針となる政治への基本姿勢を語らない、語ることのできないという政治家としての能力不足を露呈した。岸田氏は、石破氏人気を意識しつつ、菅氏の次狙いに照準を移した内容だった。
これらを経ての総裁選が行われての結果は、1位菅氏総数377票(地方票89の1位/議員票288の1位)、2位岸田氏89票(10票の3位/79票の2位)、3位石破氏68票(42票の2位/26票の3位)で、地方票トップ石破氏、国会議員票トップ菅氏の予想に反する結果だった。菅氏トップは、自民党本部が菅氏への投票圧力を地方議員にかけたのか、地方議員が強い者にまかれたのだろうが、岸田氏2位、石破氏3位の結果は、総裁選前に囁(ささや)かれていた石破つぶし(2位にさせない)――地方の党員に総裁選に参加させないことで地方票の絶対数を減じることで石破氏の得票数を抑え、国会議員票を岸田氏に振り分け、石破氏を最下位にする作戦(石破が嫌いな麻生派の策略)――通りになった。自民党は今やこんなに恥ずかしいことをする政党になったのだ。
明日(16日)、「安倍総裁が全身全霊を傾けた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めるために全力を尽くす覚悟だ」という、塩野七生(ななみ)著『ローマ人の物語』に、「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさから脱出しようと努めないことは、恥とされる」はあるが、自己責任第一の「自助、共助、公助」の第三次安倍政権「安倍傀儡政権(菅政権)」が始まる。その船頭は、加計問題では、「総理の意向」の内部文章が出ると「怪文書」だといい、安倍政権の不正を指摘されると「まったく問題ない」「そうした指摘は当たらない」を常套句とする菅氏である。
再生エネルギーより費用が嵩(かさ)む原発の費用を電気量で払わせ、難工事で完成も危ぶまれ、工事費が嵩む辺野古基地建設費を国民に払わせ、米国製武器の爆買いはもとより、ウソと官僚を巻き込んだ不正で国民の血税を友達や支持者に配りつつ、全身全霊を傾けて民主主義破壊を続けるものと思われる。今後どんなことが起こるか、楽しみでもある。
この民意から乖離した非常識な政治を支える、国民を省みない自民党議員の主導権争いを見ると、権力は彼らにとって、国民の命と生活を守るために使うというのは口だけで、保身と自民党憲法草案にあるように、国民を意のままに動かしたいように思える。
『モモ』の著者ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』での狡賢い魔王女の言葉「からっぽだからこそ、わたくしの意思にしたがうのでございます。中身のないものならなんでも、わたくしの意思で操ることができるのでございますよ」を噛みしめ、考える国民になろう!
討論と総裁選を終えての意志道の結論は、国民は、権力の使い道の是非を考え、行動に移すことが重要で、次期国政選挙では、野党の不甲斐なさを理由に自民党議員に投票するとしても、菅新総裁を推した派閥(特に二階派と麻生派)の人には投票しないことだ。
最後に、菅氏が次期首相にほぼ決まった途端に権力に擦り寄る斜陽のメディア(新聞社)に苦言を呈したい。
自民党が総裁選の3候補について、報道各社に「平等・公平な扱いを要請」したようだが、報道各社は何故、「森友・加計など数えきれないほどの不正を働いた自民党が、そんなことが言えるのか!」と反論せよ!
<2020.9.1> 国民の意を察したコロナウイルス、安倍首相を辞任に追い込む
8月28日安倍首相が突然辞意を表明。まずは「お疲れさま」を、と思ったが、あまりに酷い常識では考えられない安倍政治ゆえに、この言葉を発することが出来なかった。
意志道(いしどう)は、17日の検査入院、24日の追加検査の報道直後、以下のブログ草稿を起こした。
安倍首相の健康問題が取り沙汰されている。倫理観ゼロ集団(安倍内閣)から“働きすぎ”との声が上がっているが、国民感覚では、コロナ対応や今後の政権運営の基本姿勢を知りたい重要な時期に、国会も開かず様々な不正から逃げ回っていたのに、“何が働きすぎだ!”と言いたい。察するに、国民の望まない政策の強行採決や省庁を巻き込んだ不正の連発を批判され、揚げ句の果てに内閣支持率低下など自身の愚行・悪行が原因のストレス性精神腐敗病なのだと思う。内閣不支持率が50%を超えた今、どんな形であれ国民の半数以上が辞任を歓迎するだろうが、あと1年の任期を待たず退陣するのではないだろうか。
以上が草稿案だったが、あと1年を待たず、草稿の数日後に辞任表明(後任決定まで職務続行)となった。
辞意表明の記者会見で、安倍首相は「大切な政治判断を誤ること、結果をだせないことがあってはなりません。国民の皆様の負託に自信をもって応えられる状態でなくなった以上総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断しました」と前置き、「正しい政治判断ができない」とも言ったが、特定秘密保護法、集団的自衛権行使を含む安保関連法、「共謀罪」法やカジノ法などどれも国民の半数以上の反対に対し理解を得る努力をすることなく、強行採決で押し切ったもので、「正しい判断」をしてきたとは到底思えない。人は、重い病を抱えたら人間性に目覚め、人として正しい判断をするようになるのだが、この人は病で正しい判断が出来なくなったのではなく、正常時でもできなかったのであり、国民のためにもっと前に辞めるべきだったと思う。
残された課題に対し「拉致問題を解決できなかったことは痛恨の極み。ロシアとの平和条約、憲法改正など志半ばで職を去るのは断腸の思い。憲法改正は国民的な世論が十分に盛り上がらなかった。コロナ対策では反省すべき点は多々ある」と振り返ったが、広島県被団協理事長代理の人は、「安倍総理は、ヤルヤルと言いながらやっとらん。たとえば、拉致問題もヤルヤルと言いながら、ずるずる実現できないまま横田滋さんも亡くなった。同じように私たちの被爆者問題でも、核保有国と非保有国の間を取り持つと言っていたが、実現せんまま終わった」と言う。記者会見では、モリカケや桜を見る会、自殺者を出した財務省の公文書の改竄、憲法違反の安保法制強行採決等々反省すべき点、国民に謝罪すべき不正は数えきれないほどあるのに、ほとんどの記者が、安倍政権が社会にもたらした負のレガシー(数々の疑惑や不正隠し)や沖縄基地問題などについて質問しない中、国民が質(ただ)したい「権力の私物化」を指摘した記者に対し、安倍首相は、「政権の私物化はあってはならいことであり、私は政権を私物化したというつもりは全くないし、私物化もしていない。国家、国民のために全力をつくしてきたつもりだ」と言い放った。モリカケ、桜を見る会など誰が見ても私物化なのだが、この非常識な安倍政権を7年半も放置してきた国民は、この間“ボーっと生きてきた国民”だった、としか思えない。
公共放送から国営放送と化したNHKは、安倍政権の成果として、経済政策(株高)、外交、長期政権の3つを挙げたが、株価は第二次安倍政権前から上昇傾向にあり、金融緩和と掛け声だけの成長戦略(飛ばない第三の矢)で実体経済が浮上しない状態下、だぶついたお金が株に向かっただけの株高。外交は、北方領土問題や拉致問題の未決と韓国との不仲深刻化。中国とは疎遠の結果、中国脅威論から軍拡を推し進めている状況にあり、隣人との関係は進展せず。国際的に嫌われ者のトランプ大統領と日本国民の信頼感ゼロ首相、嫌われ者同士がゴルフに興じただけの、昭恵夫人と高額の国費を使った外遊を頻繁に行っただけの外交だったと思う。三つ目の長期政権は、国民の質の低下(安倍政権の非倫理的愚行を批判しない国民)によってもたされたものであり、国民の責任は大きい。
今年1月20日に発行された『仕事と心の流儀』(伊藤忠の社長・会長を経て、民間出身では初の駐中国大使(2010年6月~2012年10月)で、安倍政権によって中国寄りだとされ更迭させられた丹羽宇一郎著)に、「人は三年権力を握ればバカになる」という中国の歴史上、最も繁栄した唐の時代の話がある。名君と言われた皇帝には、トップの過ちや行き過ぎを正し、暴走に歯止めをかける諫言(かんげん)の士がいて、皇帝が名君と称されるのは、自戒をさせてくれるその人の存在を認め、重宝したからで、組織がうまく回る秘訣、とある。
ポイントは、諫言の士の存在価値を知り、その人を重宝するトップの器量にあるのだが、批判者を排除し、友達(特に世襲議員)で回りを固める「人柄が信頼できない」安倍首相には、到底できないことだ。
著書には、今の日本は、「出世のためにトップにおもねる人や自分に被害が及ぶのを恐れて苦言を呈さない人ばかりに思えます。これは経済界だけでなく、政界や官界、スポーツ界も同じです。結果的に、忖度する部下が悪いトップを育て、不正やパラハラなどの暴走を許してしまっているかもしれません。
下から注意されないと、トップは傲慢になります。現場で働いている人たちの苦労を考えなくなり、世間の常識からずれた判断をするようにもなります。『人間、三年権力を握ればバカになる』と昔から言われているのは、あながち間違いではない」とある。世間の常識からずれた判断は、非常識なコロナ対応(自宅でのくつろぎやアベノマスクなど)で露顕した。
『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里著)に、「権力とは、持った途端にそれを維持することが至上命題となり、どんな優れた人徳者をもそのためなら卑劣で残忍な亡者にする恐ろしい魔力である。人類は幾多の悲劇と誤りを経て、いくつかの国々ではその被害をなるべく小規模にとどめるべく権力者を早めに交代させるシステムとか、権力者の横暴に枠をはめる機構を作るようになった。複数政党制にもとづく議会制度やいくつかの国々における大統領三選禁止など、そのいい例である」とある。
2017年3月6日の党大会で、総裁任期を今までの2期6年を3期9年に延長し、「三年権力を握ればバカになる」をはるかに超え、第一次安倍政権(2006.9.26-2007.8.27)の1年を除き、2012年9月26日から現在までの7年半以上も権力に座にしがみついている安倍晋三は超バカに違いない。歴史から学ぶことができず、総裁任期延長を決めた自民党は、救いようのない超バカ集団なのだ。
これ以上安倍政権が続けば、国民を意のままに動かしたい戦後最悪最低の首相によって、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三原則の憲法が破壊され、日本は国家主権の暗黒社会になってしまうところだったが、なんと国民ではなく、コロナが安倍首相を退治してくれた。
いま話題は、次期総裁に移ったが、トップに欠かせない倫理観を持つ人間を選んでほしい。しかし、異常な安倍政権に擦り寄ってきた与党・自民党議員と権力の発言を鵜呑みにし、安倍政権を高い支持率で支え続けた考えない国民が変わらなければ、安倍政権と同じ政治手法が繰り返される確率は高い。
民主主義は国民の不断の努力によって保たれる、を肝に銘じて、安倍政権によって葬られた日本社会の倫理観を取り戻すために、権力のどんなに些細な不正をも許さない目に見えるアクション(支持率を下げ、選挙では投票しない)と個人の自由よりも社会秩序を優先する国家主権社会、すなわち国民を政府の意のままに動かせる国造りを目指す安倍晋三のような人物が長期にわたり権力の座に居座らないような仕組みづくり(長期政権規制)が必要だと思う。それにしても、数々の不正・不祥事を隠蔽したまま、逃げてしまうのはあまりにずるい!
<2020.8.15> コロナ禍、安倍政権の失政は続く
今日は、終戦の日。人類を滅ぼすのは、戦争と細菌。人間が人間を殺す戦争を止める術は未だ確立できず、止めるには人類の滅亡しかなさそう(属の平均寿命は八百年なのでまだ先)だが、コロナ禍は人間の智慧によって乗り越えることができるのに、日本では政府の無作為・人災によって依然収まる気配はない。
7月30日の内閣府の有識者会議で、2019年1月の政府見解「景気回復期間が戦後最長になったとみられる」(「月例経済報告」を基に、当時の茂木経産相)が否定された――2018年10月には景気は後退局面に入っており、「いざなみ景気(2002.2~2008.2)」に届かず――。実質賃金(物価を考慮)は伸び悩み、とても好景気とは言えない、やはり実感の伴わない偽装景気だったのだ。
嘘は安倍政権の専売特許。それより問題なのは、景気の後退局面で、不公平税制の消費税増税(2019.10~)をしたことだ。これは、コロナウイルスを押さえ込んでいない状況下で、Go Toトラベルの強行という失政と同じだ。経済は勿論重要。だが、経済を回しているのは人間であり、その人間が感染の不安(死)を抱えたままでのGo Toトラベルは、時期尚早と思うのが普通の感覚だと思う。Go To トラベルの開始決定後(7月20日頃)の世論調査でも、朝日新聞:反対74%(賛成19%)、毎日新聞:69%(19%)と反対が圧倒的に多く、日経新聞では80%が早すぎるという結果だった。もう一つ問題なのは、税金を使ってコロナウイルスを全国に拡散へと見境なく突っ走ったのは、強力推進者の全国旅行業協会(ANTA)会長・二階幹事長へ協会から政治献金として税金が還流する利権構造だと言われていることだ。
毎日新聞(8月6日)に、作家・中村文則氏のつぶやき『コロナから逃げる政権』がある――8月1日に発表された海外からの渡航者を除く1日の新規感染者は、台湾が1人、韓国が8人、タイ0、日本が1534人。同じ島国のニュージーランドでも2人と少ない。コロナウイルスの猛威は地域差があり、東アジアの日本は被害も少なく済んだ可能性が高かったが、近隣国のフィリピンと同様に失敗した。景気回復は、感染者数を減らすことではないだろうか。感染者数が激減すれば、マインドも変わり景気も当然上がる――。また、同じ毎日新聞の6月30日付「日本の対策『失敗』」(児玉龍彦東大名誉教授)で、安倍首相がコロナ対策を「日本モデルの力」と自負したことに対し、「東アジアの中で、コロナ対策に失敗したのは日本でした」と断言。それは、「医療崩壊を防ぐという名目で政府主導によりPCR検査(遺伝子検査)の数を制限してきたからで、大量の検査をしないというのは世界に類を見ない暴挙です。感染症を専門としている人間にとって、この発想はあり得ない。感染症対策のイロハのイは、誰が感染しているかをきちんとつかむことです」と投稿。
Go Toトラベルに限らず、Go Toイート含めGo Toキャンペーンは、台湾や韓国のように感染を抑えてから実施するのが常識だと誰しもが思う。結果として、一連の失政によって安倍内閣の支持率が下がったのが吉兆ではある。
8月7日、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会(尾身茂会長)が、都道府県が感染状況を見極め、対策を練る目安を提案した。4つの区分に分けられ、レベル1:感染者の散発的段階(医療体制に支障なし)、レベル2:感染漸増段階(医療体制に支障発生)、レベル3:感染急増段階(医療供給体制への負荷蓄積)、レベル4:感染爆発段階(医療供給体制の機能不全)で、「中京地区と沖縄は感染拡大のスピードが速い。沖縄は二つの指標がレベル4」との見解を述べた。ところで、この指標を政権評価に転用すると、レベル1:友達優先の不公正行政散発段階(モリカケや桜を見る会など)、レベル2:不正是正自浄力欠如段階(責任は自分にあると言いつつ責任を取らない無責任体質)、レベル3:政権に都合のよいようにルール変更段階(検察定年延長など)、レベル4:憲法無視&独裁化移行段階(国会召集要求「第53条」無視や集団的自衛権の行使容認「第9条」違反などが選挙違反や贈賄(カジノ)の形で国会議員に浸透、更には国民主権から国家主権への憲法改正を起案)に置き換えると、安倍一狂内閣は間違いなくレベル4にあり、退陣あるのみ。
<2020.8.1> これ以上安倍政権の愚行を許してはならない
28日、不評のアベノマスクを介護施設などに配布するという。国民のブーイングを知らないのだろうか?市場に行きわたっている不織布製よりも防疫性能が劣っている上に、小さくて要洗濯のお荷物・布製アベノマスクの配布に、新たに約250億円もの税金を使うようだ。その税金を他国より大幅に少ないPCR検査の強化や医療体制を整えるために有効に使って欲しい、と誰もが思う。国民の大きな批判に、政府は29日、配布見送りを決めたが、翌日には、「希望者だけに配布」と変更。税金を使って仕入れた物を、政権の政策に賛同する者だけに渡す?これって変だよ。この政権はやっぱりダメだ。救いようがない!
安倍政権は、なぜこのような愚策を考え、モリカケ・桜を始めとした不正や憲法違反の集団的自衛権行使容認など数々の法令違反を、そしてどんなに不正を働いてでも、政権に従う者や友達を厚遇するのか――森友問題で公文書改竄を指示した佐川元理財局長と財務省役人38人を不起訴にし、部下を自殺に追い込んだ佐川氏を国税庁長官に昇進させた政権。さらに、ジャーナリスト伊藤詩織さんに性暴力を振るった安倍友記者・元TBSワシントン支局長山口敬之(のりゆき)氏の逮捕状を取りながら、当時刑事部長だった中村格(いたる)氏が逮捕を取りやめ、その後の人事異動で、彼は警察庁のナンバー2(警察庁次長)に就任(佐川と同様に、政権の指示で逮捕状を握りつぶした論功行賞だと思われる)。
安倍政権に従うか、逆らうかで捜査の方向(起訴か不起訴)が決定され、従う者は、何をやっても罪に問われず、それどこころか、官僚は昇進する。安倍首相は、ルイ14世の「朕(ちん)は国家なり」的独裁者の様相を呈してきた。
この状態から脱するには、倫理的責任の覚醒に繋がる「恥の意識」(昔から「恥を知れ!」が“まっとうな大人”への道)が必要なのだが、「無恥」なる安倍首相には望めず、内閣支持率を大幅に下げるしかないと思われる。しかし、何をやっても支持率は40%近くある――私の周りにいる殆ど全員が安倍首相に“ノー”というが、何故か大手新聞やテレビの内閣支持率は高い。
このカラクリと以前から言われていた「内閣支持率は、大手新聞が地方紙よりも大幅に高い(地方紙は、概ね約25%)」の謎が最近のニュースで明らかになった――6月19日、「フジサンケイグループは内閣支持率調査で過去1年間架空データを発表していた」と報じられた。これ自体大問題なのだが、事の重大さにもかかわらず、大手新聞とテレビの扱いが驚くほど小さかった。同様の不正を他のメディア(テレビと新聞)もやっているからなのか、各紙共に深追いはせず、鎮火させた。国民は、大手新聞社とテレビをだんだんと信じなくなるに違いない。
このニュースは、不正を許せない内部告発者によってもたされたようだが、このような人物が安倍政権に擦り寄るフジサンケイグループ内にいることが一縷(いちる)の救いなのだが、公文書改竄を強要され自殺者を出した財務省の中に、真実を語る人間が出ないということは、国民のために働くべき公僕組織が腐り切っている証だ。日本社会の秩序維持が曲がりなりにも保たれているには、内部告発者の存在、という日本の現状はあまりに情けない。
いずれにしても、何をやっても、内閣支持率は下がらず、今後も安倍政権の反社会的愚行が繰り返される。この状況を変えるには、選挙で安倍政権を倒すしかないのだが、1年以上も先になる。内閣支持率を激減させることも、前述したように、大手新聞やテレビの内閣支持率が操作されており期待できない状況においては、SNSを屈指した国民的運動しかないと思われる――黒川氏の検事総長任命という検察の私物化の企て(検察法の改定)は、検察の存在意義を痛切に感じている先輩検事たちや三権分立への国民の危機意識から発生したSNSでの批判によって、見送らせた。
些細なことでも権力の愚行を見逃してはならない。黙認すれば、愚行を繰りかえし、エスカレートする。テレビなどでコメンテイター(御用知識人)が「桜を見る会」の不正批判を繰り返す野党に対し「もっと重要なことについて議論をすべきだ」と、もっともらしいことを言うが、これに同調すれば権力の更なる暴走を許してしまう。非倫理的な政官財のトップ層だけでなく、平気で愚行を真似る市民の大量生産に繋がる。権力者の愚行は、どんなに些細なことでも徹底的に批判することが豊かな社会を保つために必要なのだ。
安倍政権の愚行は何故繰り返され、市民に波及するのか、そして阻止する方法についてのヒントが内田樹(たつる)の『疲れすぎて眠れぬ夜のために』にある。以下援用させていただきながら、今日のブログを終えたい。
内田樹氏は、「愛していたら、人を殴れない」の項で、「人間は徹底的に社会的な動物ですから、社会的に認知されない行動は取りません。『反社会的な』行動と言われるものでさえ、それが『反社会的な行動』として社会的に認知されているからこそあえて行われるのです。『社会のルールを守らない人間』であるということが即座に分かるような記号的な服装をして、しゃべり方をして、顔つきをしています。(中略)暴力をふるう人はその表現方法を学習し、模倣し、実践しているのです」。そして、「DVが巷にあふれているということは、暴力と暴力的なことばで自己表現する仕方を人々が「学習」したからです。そういうことばづかいで『自分の生な感情』を表現することが社会的に許容されていると考えるからです」という。
これは意志道(いしどう)流に補足すれば、「『社会のルールを守らない人間』であるということが即座に分かるような記号的な服装をして、しゃべり方をして、顔つきをしています」の服装のところは、麻生副総理のヤクザファッションであり、しゃべり方は、数々の問題発言を放つ麻生氏の特徴的な口元と大言壮語で言うだけで何もしない安倍首相の口調であり、顔つきでは、濁った眼が宙を舞う安倍首相の顔つきだ、と容易に連想できる。
後段の「DVが・・・」は、政権の反社会的で非常識な行為が繰り返されることによって、一部の自分の頭で考えることができない国民が、安倍政権の愚行が黙認されたことを学習(「社会的に許容されている」)して、ルール違反や詐欺などの犯罪を起こしていると思われる。この政権が社会に及ぼす悪影響の原因は、長期政権の驕(おご)りではなく、戦後最低最悪の政権の性格にあると思う。
改めて言いたい。「どんなに些細なことでも権力の愚行を許してはならない」と。黙認すれば、安倍内閣は更に愚行を繰りかえし、美しい日本の社会と日本人の心も壊されてしまう。
<2020.7.15> 『天上の葦(あし)』を読もう!
本日は、本の紹介です。2017年に単行本として刊行された『天上の葦』の文庫本上下巻の一気読みをしてしまいました。一気読みといっても、上下各巻を3日で読んだのですが、意思道(いしどう)としては近年稀な速さでした。作者は、「相棒」などの脚本家・太田愛さん。多くのリスナーから惜しまれながら、先月末で終わってしまった土曜日のTBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」で紹介されて読んだのですが、是非、終戦記念日(8月15日)までに読んでほしい本です。
下巻の解説(町山智浩(ともひろ))の頁に、著者の執筆動機があります。インタビューで、「このところ急に世の中の空気が変わってきましたよね。特にメディアの世界では、政権政党から公平中立報道の要望書が出されたり、選挙前の政党に関する街頭インタビューがなくなったり。総務大臣がテレビ局に対して、電波停止を命じる可能性があると言及したこともありました。こうゆう状況は戦後ずっとなかったことで、確実に何か異変が起きている。これは今書かないと手遅れになるかもしれないと思いました」(ダ・ヴィンチ2017年3/6号)とあり、さらに、「事態は、本書が上梓された2017年2月よりも悪化している。政府を批判するキャスターは次々と番組から消える。総理の御用記者にレイプされた女性が告発してもテレビは報道しない。選挙期間中、テレビは野党候補の街宣活動は放送しないが、与党のCMを垂れ流す。内閣に人事権を握られたNHKが政府の報道機関と化していくのはもちろん、(米国では大問題となるのだが)テレビ朝日ですら早河会長と安倍総理が会食して、頭を押さえらてしまっている。日韓関係悪化においてテレビは嫌韓一色。この翼賛的メディア支配のまま、政府はオリンピック、そして改憲を成し遂げようとしている。しかし、報道は政府に殺されるのではなく、自ら忖度し、権力の意向を「察して動く」うちに死ぬのだと『天上の葦』は語る」、「戦争という大火になる前に、あちこちで燃え始めた火がまだ小さいうちに消していかなければ。そんな切実な思いが作者に『天上の葦』を書かせたのだ」と解説。
今権力によって、自由を奪われつつある香港の状況を想起させると同時に、権力が憲法無視を始め、司法の支配を目論むなどあらゆる面で好き勝手にやっている安倍政権に対するメディアと国民の反応の鈍さ、危機意識のなさが嘆かわしい。
少々脇道に逸れるが、東京都知事選での、現職の小池百合子氏の圧勝に驚いた。政治家で一番大切なのは倫理観、人間性だと思う石頭団塊団の意志いし道どうから見れば、ヘイトスピーチ禁止条例に後ろ向きで、歴代の都知事が関東大震災時(1923年)に行政機関や新聞によって広まったデマによって多くの朝鮮人を虐殺した追悼式典に送っていた追悼文を取り止めた小池都知事。庶民より高い倫理観をもっているはずのトップが、同じ間違いを繰り返さないために、歴史に学ぶことや民族差別をなくす社会形成の牽引役を放棄し、さらには4年前の公約・7つのゼロ「待機児童、介護離職、残業、都道電柱、満員電車、多摩格差、ペット殺処分」の殆どが未達な上に、オリンピック優先でコロナウイルスの感染拡大を後押しした小池氏がなぜ圧勝できたのが意志道には分からない。「憾(うら)みを残して死んだ者(デマにより殺された人、コロナウイルスで亡くなった人)」は報われないだろうなぁ―。
12日には、注目の鹿児島県知事選があった。都知事選とこの選挙で分かったことは、4年前に脱原発を公約に掲げ知事になりながら、川内(せんだい)原発稼働容認に転じても恥じることなく自公の推薦を受け再出馬した三(み)反園(たぞの)氏を落選させた鹿児島県人と東京都民の倫理観に大きな差があったということだ。
都知事選後、小池氏は安倍首相と会談(二枚舌会?)したようだ。二人は反目しあう仲だと聞くが、公文書隠蔽と嘘つき仲間であり、共に思想家・内田樹(たつる)氏の言うところの「他者の痛みに対する想像力の欠如(安倍首相は、沖縄県人に対し、小池都知事は朝鮮人などへのヘイトを放置)」、および「おのれの権力性についての無自覚」の共通項を持つ低級の為政者で、コロナ禍でマスクをかけることで目立つ眼(濁った眼が宙を泳ぐ)も共通しており、同じ穴の貉(むじな)なのだ。
閑話休題。『天上の葦』に戻る。一気読みさせたのは次の要因――話しの展開の匠さとフィクションなのに綿密な事実調査結果を組み込んだ構成。終戦期のメディア(大新聞)と軍部一体の国民への騙し、煽り、恫喝。戦争がもたらす平時では考えられない人間の暗部の露出、それを異常と捉えない人間への不信から来る人間性喪失社会。そして、それへの何とも言えない憤り(安倍政権でも財務省の職員が自殺に追い込まれたことや追い込んだ人たちが不起訴になったことなど同様のことが起きている)。特に、無力な庶民と子供たちが無残に殺されていく場面は、高い描写力によって凄惨さが眼前に再現される。戦争の悲惨さ、残忍さを伝えるためだけに書かれた書物よりも読者の心に迫る、等々。
執筆動機と合わせ、作者の人間性に共感した。知名度と才能をより良き社会のために使う本物の知識人だと思う。
<2020.7.1> 安倍一狂を知るための『内田樹の生存戦略』(意志道(いしどう)による縮訳) 同時アップ:安倍一狂政治への三行半(縮訳『内田樹の生存競争』)
最近、内田樹氏の書物(見解)に嵌(はま)ってまして、ちょっと古い(2016年)のですが、コロナ禍の自粛時間を使って、『内田樹の生存競争』の縮訳を試みました。
6年前の今日(2014.7.1)、歴代の内閣が「憲法上許されない」としていた集団的自衛権行使を安倍内閣が憲法改正の手続きなく臨時閣議で容認決定した。異常事態発生から6年、この倫理観欠如の安倍内閣が今も続いているのだが、友達企業への税金再配分を続ける安倍内閣は、コロナ対策で無駄遣いを続けている――スマートフォン用アプリ(COCOA))は、個人情報保護を徹底していると説明したが、普及は効果を発揮する人口の6割(約7000万人)には遠く及ばず(500万人弱)、アベノマスクと同様に、税金の無駄遣いになる公算大だ。もう安倍内閣が何をやっても国民は従わない。安倍首相が以前よく言っていた論語の「信なくば立たず(政治は民衆の信頼なくして成り立つものではない)」を自ら立証した形だ。
様々な問題から、逃げを決め、国会を閉じたが、もうここらが潮時だと思い早期退陣の社会的価値を考える材料・縮訳版『内田樹の生存競争』を提供(三行半に掲載)します。
以下が意志道(いしどう)による縮訳版のレジメです。詳しくは上記縮訳版参照。
・ 9条がもたらしている外交的なアドバンテージは大きい・・・日本の軍隊が市民をひとりも殺さず、外交的には「起きてもよかった破局的事態」を抑止していて、日本人ボランティアの無防備さを担保しているなど。
・ 9条改憲:自民党改憲草案の方向性はアメリカの建国理念そのものを否定しており、護憲の最終ラインは、アメリカ政府と天皇陛下
・ 北方領土返還は在日米軍基地の撤収とワンセットになってしか解決しない
・ 安倍首相の目指す「美しい日本」とは・・・国民は金儲けだけに専念して、政治については政府に丸投げしてコミットしない国。
・ 安倍一狂<意志道命名>政治は独裁政治
・ 日本国民の民度とメディア・・・軍事的に脆弱な日本は、とにかく戦争をしないことが最善の道だが、メディアも国民も戦争をする気になっている現政権を、国会もメディアも見逃し、国民の半数近くが支持しているのが、大問題。
・ 日本社会の現状と将来・・・人口大幅減の「縮みゆく社会」下で、逆立ちしても経済成長はなく、新自由主義で貧富の格差は拡大し、配分方法をフェアで合理的なものにしないと、社会秩序は保てなくなる。
・ 「強者に手厚く、弱者に冷たい」政策に多くの国民が賛成してきた結果が今の日本
以上ですが、『内田樹の生存戦略』の縮訳版を読んで頂けると、安倍政権の狙いと日本の置かれている状況の理解が深まると思います。
<2020.6.15> コロナ禍で確定した安倍大嘘つき内閣
安倍首相は、事ある毎に「国民の命と生活を守る」のが使命というが、安倍政権は嘘で奪還した政権であり、その生まれからいって、安倍政権の言うことは信じられない――2012年、衆議院解散の2日前11月14日のNHKの党首討論で、野田総理大臣(当時)の「それは0増5減のレベルではありませんよ!定数削減にご決断をいただけるならば、16日に解散します。やりましょう」に対し、解散総選挙の言葉に気色ばんだ安倍自民党総裁(当時)は、「約束ですね!約束ですね!定数削減と選挙制度の改正を行っていくと、しっかりとやっていくと約束しますよ!」。しかし、その後の選挙で二人の立場は逆転し、身を切る改革(定数削減)の約束を反故にした上に、参議院の6増をした。
新型コロナウイルスの対応では、専門家の意見とは異なる受診目安「37.5℃以上の発熱が4日以上続いたら受診」を公表し、検診遅れで命を奪われ人が出た。嘘で誕生した安倍政権に違(たが)わず、それは国民の誤解だといい、「国民の命と生活を守る」もウソだったのがコロナ禍で確定した。
コロナ対策に軍事費を回す国(韓国)もある中、国民の血税を、民意を無視し完成も危ぶまれる沖縄の辺野古基地の難工事(当初計画の3倍の1兆円迫る総工費)につぎ込み、役に立たない迎撃ミサイル・イージス・アショア(総額6千億円超/本日、やっと配備計画の停止を発表)や1機百億円超のF35戦闘機47機(総額約5千億円)の爆買い、そして国土消失と国民の命を奪う原発再稼動など、安倍政権が国民の命と生活を守るというのは言葉だけで、戦争好き(命令一下で国民を動かすのが好き)で、税金を私財と思っている、世界を俯瞰する外交と称して夫婦で成果皆無の外遊を続けてきた安倍首相が、外交で戦争を回避するとは到底思えない。こんな人には、国民の命と生活は守れないし、“守るつもりはない”ことがコロナ対応でも明らかになった。
コロナ対応の国民の批判に対し、「責任はすべて自分にある」と認めながら、何故か「先頭に立ってやる」と、新型コロナウイルス感染の影響から国民の暮らしを守る責任があるとして、「身を引き締めて行政運営に当たることで責任を果たしたい」と続投するようだ。
違法に定年延長を決め、賭け麻雀で辞任した黒川前東京高検検事の任命責任については、黒川氏のあまりに軽い処分をも含め、国民からの批判を受けたが、官僚をも巻き込んだ森友、加計、桜の問題への対応と同じく、何の責任も取らず恥じさえ感じていない無恥な首相。
国民からの信頼ゼロの安倍首相が辞めることが国民の命と生活を守るのに一番の特効薬であるのに、今の支持率の大幅急落の意味(“もういいだろう安倍一狂”)を理解できないようだ。これほど身勝手で悪質な政権運営――数えきれないほどの違憲立法の強行採決とルール違反の閣議決定――と民意の無視、そろそろ“国民のために辞めるべき時”だと思う。
<2020.6.1> 安倍政権の暴挙防止即効薬「支持率激減」
国民の税金を、既得権益者(政治家、官僚、経団連加入企業の経営者たち)に再配分する安倍政権が、憲法と民意の無視を強め、「巨悪を眠らせない(政界や財界の不正を摘発)」ためにある検察の人事に介入し独裁の道をひた走る…
異様な政権運営に、検察OBと日本には数少ない社会派著名人が動き、国民がやっと事の重大さに気づいた。与党は、これによって引き起こされる安倍政権の愚行の拠り所である支持率の大幅減を予感(5月22,23日の毎日新聞調査で、支持率:前回比-10ポイントの26%、不支持率:前回比+12ポイントの56%)し、さらに21日発売の週刊誌報道――閣議決定で定年延長された黒川氏の違法な賭けマージャン――を事前察知したのだろうが、18日に、違法な検察トップ人事への介入を正当化するための法案「公務員法改正」の今国会での強行採決を見送った。さらに、22日の黒川氏辞職に続き「廃案」調整に入ったようだ。
麻雀事件(1月の閣議決定で違法に定年延長になった黒川氏が賭けマージャンで辞職)の謎――週刊誌に情報をリークしたのが政権に擦り寄る産経新聞(賭けマージャンの記者2名)であり、何か裏があると思う。「隠蔽(の裏を読む)と暴露」の作家・松本清張がいたらどう読み解くだろうか?それは安倍政権を救うためか、それとも、安倍政権の異様な政治運営を許せないというジャーナリズムの矜持を持つ人間(政権に擦り寄る産経新聞にいるかな?)が仕組んだものなのか?
また、本件で黒川氏が、検察の規定通り懲戒免職(退職金無し)のところが、あの森友事件の佐川氏が国税庁長官に栄転したように、安倍官邸の仲間優遇ルールで、軽い訓告処分と決め、首相が好き勝手に使えると思っている税金から高額の退職金が支払われるようだ。これも世論の批判を受け、市民団体や弁護士から東京地検に刑事告発されているが、今まで通り、支持率の回復と国民の諦めによって、首相の地元・山口県にある“安倍疑惑墓”に葬られるのだろうか?
本題の法案の取り下げに繋がった核心的要因(SNSでの批判拡散と支持率の急落を生んだ検察OBと著名人の動き)に戻る。検察の動きは、ロッキード事件の捜査に関わった元最高検検事・清水氏の「(定年)延長をするとすれば、検察庁法の改正という形でやらなくてはならない。閣議決定でやったことは憲法違反になり適切ではない。内閣は、行政権による立法権の侵害だと認めて、内閣決定自体を取り消すべき」という前代未聞の検察OBの意見書で、このインパクトは大きかった。
もう一つの動き――著名人、特に芸能人のSNSでの反対表明――は、日本では珍しい事で、欧米の動きにやっと近づいた動きだ。日本の芸能人は、政治的な意思表示をしないのが一般的で、一方欧米の芸能人は、成功者になったのは現在の社会システムとそれを維持してくれている国民のお陰であることを自覚しており、自由と民主主義の社会基盤を壊す政権のルール違反には強い反対の意思表明をするのが一般的で、有名人・著名人としての社会貢献であり使命だと思っている。日本の著名人・芸能人は自分だけ良ければいいという人が多いのではと思う。「桜を見る会」で、異様な首相に擦り寄る芸人の社会貢献度はゼロ以下で、反社会的だとも思う。特に高齢の芸能人には最後のお勤めとして、その役割を果たして欲しいものだ。
本件は、黒川氏の処分も含み告発されるようだが、安倍内閣は、その他にも不正を強いられ自殺に追い込まれた財務省近畿財務局の職員の奥さんが起こした裁判(森友の公文書改竄事件)、「桜を見る会」での地元支持者の接待の公選法違反、背任容疑で首相自身への告発や広島の河合克行元法相・杏里(あんり)夫妻の公選法違反と、検察マターの刑事告発が列をなしている。
今、安倍首相は次期検事総長に黒川氏を起用して、森友事件での佐川氏ほか37名を不起訴にしたように、全ての事件を「立件できず」で不起訴にしてくれる人物探しに血眼になっているに違いない。現検事総長の稲田氏に頑張って(留任あるいは「巨悪を眠らせない」という検察使命を守れる人の後継指名)ほしい。安倍政権の独裁化阻止・三権分立を守るために、この人選動向に注目しよう。
加えて、今回の騒動で明らかになったのだが、狂った政治運営をする「安倍一狂」の愚行阻止には、「支持率の激減」が特効薬であり、安倍一狂を終わらせるには、支持率の長期低迷とそれにより唯々諾々(いいだくだく)と安倍晋三に従う自民党議員に落選危機を抱かせることで、違法な法案や閣議決定を連発する政権に対し、一々個別案件に反対するよりも、支持率を下げ、「自民党議員に投票しない運動=落選危機感醸成」が即効性のある特効薬なのだ。
<2020.5.15> 沖縄の悲劇の根っこ
今日は、沖縄本土復帰(1972年5月15日)の記念日。その前年に沖縄返還協定が結ばれたが、『米軍(アメリカ)が最も恐れた男~その名は、カメジロウ~』の瀬長亀次郎氏の日記(1961年11月19-21日の日米首脳会談)に「核かくし。アメリカの真意、有事の場合もちこむ」(ニクソン大統領と佐藤首相の密約)とある。1971年12月4日に、沖縄の市民が初めて選んだ国会議員のひとりとして初登院したカメジロー氏と佐藤栄作首相(当時)との間で、以下のやり取りがある。カメジロー:「沖縄県民に施政権が下りましたら、ねぇ、ちゃんと憲法が適用されますね?そしてこの憲法のいちばんの根本は、法の下での平等であるはずであるが、なぜ沖縄県民は、法の下での平等の恩恵に浴さないで、このような過酷な裸の強奪法みたいなようなものを適用されなければならんのか。これを聞いているんですよ。」佐藤;「ご承知のようにアメリカが沖縄に施政権を持っておるんですよ。そういう状態が解消しようとするその瞬間にですよ、過渡的な状態で、いま特別なことが考慮されようとしている。これはもうお分かりだと思うんです。瀬長君、百も承知で私共に困るようなお尋ねをされている」。カメジロー;「私は百も承知はしていない。佐藤総理の口から言ったでしょう。あの今国会の冒頭の所信表明の沖縄問題に対するあの結語は、軍事基地の継続使用は、返還の前提ともなる。覚えておられるでしょう。返還が目的ではなくて、基地の維持が目的である。ですから、この協定は決して沖縄県民が26年間死の叫びで求め、要求した返還協定ではない。この沖縄の大地は再び戦場となることを拒否する。基地となることを拒否する。」佐藤;「私と瀬長君との間には、ずいぶん隔たりもございます。また、この結論に至りましては、大きな隔たりであります。只今の状態で基地のない沖縄、かように言われましても、それはすぐにはできないことであります。しかし私共は、只今言われる、そういう意味の平和な豊かな沖縄県づくり、これにひとつ邁進しなければならない。かように思う次第であります」。このやりとりの5か月後に沖縄は日本に復帰した。しかし、その後見えた政治の姿は、佐藤の言葉からはあまりに程遠いものである、とナレーターが続く。
1945年4月1日に米軍が沖縄に上陸した沖縄戦から始まった沖縄の捨て石(本土の犠牲)的扱い――51年の沖縄本土復帰のサンフランシスコ講和条約時に締結された基地の提供など――。沖縄がどのように扱われてきたか、以下残しておきたい言葉を書物及び新聞記事から転記する。
『井上ひさしベスト・エッセイ』に、被爆した父と娘を描いた『父と暮らせば』(一九九四年初演)の芝居を書くきっかけは、二つの言葉でしたとして、「ひとつは、広島の原爆投下に関する昭和天皇の『広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえない』という一言(一九七五年十月三十一日)。
もうひとつは、中曽根康弘首相(当時)が広島の原爆養護老人ホームで原爆症と闘う方々に「病は気から。根性さえしっかりしていれば病気は逃げていく」と語ったこと(一九八三年八月六日)。これを聞いたときにキレて、どうしても書かねばと思いました。」とある。
同著で井上氏は、「開戦前の御前会議で天皇が、(略)近衛首相や杉山参謀総長に、戦争準備よりも平和的な外交を先行させるようにと仰せられたことを知っている。しかし、…『統帥権がかかわる軍のすべての行動は、天皇の裁可した大命によるものであった』(藤原彰)ことも知っている」と言い、「私人としてはよいお人柄のお方だろうと推察申し上げるが、公人としてはどうか。はっきりと責任をお認めになれば、それこそ内に醇風(じゅんぷう)を育て、外に信頼をかちとられたのではないか」と記している。
昭和天皇に関してもう一つ。沖縄大名誉教授・仲地博氏が東京新聞(2010.1.10)の「視点」で、以下記している。今では天皇制支持が八割を超えている(平成三十年、沖縄タイムズ調査)が、「沖縄が天皇と出会ったのはたかだか百四十年前」として、昨年(1919年)八月、田島道治初代宮内庁長官が在任中、昭和天皇との会話を記した公開文書に、天皇が1952年の独立回復式典で戦争への悔恨や反省を表明しつつ、再軍備の必要性に言及した際、「基地問題でも…全体の為二之がいいと分かれば、一部の犠牲は己(や)むを得ぬ…その代わり…補償する」という発言があった、とある。そして「『一部』とは沖縄と明示されていないが、四七年、天皇が米国に対して沖縄の長期占領を望むと伝え「天皇メッセージ」と重ねると、一部の犠牲が沖縄であることは容易に推察できる。基地負担の代償に振興策を与えればよいという政府の姿勢の源流がここにある。」昭和天皇が「沖縄と沖縄県民に対する思いは大変深く強いものがあった」とのことだが、病で沖縄の土地を踏むことは無かった。
上皇閣下が沖縄を訪問、ひめゆりの搭参拝時、火薬瓶を投げつけられる事件があったが、「天皇制に対する沖縄の反感は強いものがあった」とある。
「上皇が皇太子時代を含め十一回沖縄を訪れ、戦争遺族に頭をたれ、ハンセン病療養所の施設を訪ね、琉歌を詠んだ。その姿は沖縄で受け入れられた。まさに、国民統合の機能を果たしたといえそうだ」と仲地氏は記す。石頭団塊団の意志(いし)道(どう)は、昭和天皇の終戦決断の遅延によって沖縄戦で多くの人が犠牲になったことや沖縄を捨て石にして来たことに対する天皇家としての償いの行幸(ぎょうこう)だったのだ、と思う。
歴代の政治家の多くは、沖縄県民を犠牲に今の日本があることや過去の過ち(沖縄を犠牲にした)を直視し申し訳ないという気持ちを持っていたが、安倍首相は別人(温かい血が通っていない)と思わざるを得ない。先の亀次郎と佐藤栄作首相との国会でのやり取り――で、沖縄の長年に亘る不幸をもたらした協約を結んだのは安倍晋三首相の叔父(岸信介)の実弟(佐藤栄作)であり、沖縄県人が望む、平和な豊かな沖縄(佐藤談)のために邁進するのではなく、真逆の言動をしているのが安倍首相であり、基地を提供する一方でアメリカ側には日本を防衛する義務はなく、また日本はアメリカの基地使用に対する発言権もないという不平等条約を締結(マッカーサーと、ここでも密約)した岸信介、佐藤栄作、そして安倍晋三、この一族によって沖縄の不幸は今も続いている。
この一族が、なぜこのような振る舞いをするのか。それは、『内田樹の生存競争』の次の記述にある。
「戦争指導部にいたエリートたちが、保身のために敵国のエージェントになることによって戦後の統治機構に入り込んだ。でも、それを開示すると、現在の自分の権力の源流が『属国支配の手先』になった事実にあることを認めなければならない。だから、靖国神社に参拝したり、東京裁判を否定したり、平和憲法を罵倒して、ことさらにアメリカに対する強硬姿勢を演じてみたりする人がいる。(中略)植民地支配に協力したことで、『今日の地位』を築いたのではないかという疑念をつねに否定し続けなければならない」。さてここでクイズです。敵国のエージェントになることで戦後の統治機構に入り込んだ人とは誰のことでしょう。ヒント「A級戦犯でありながら生き延びて、敵国の×××として動いた人」。
<2020.5.1> 「理念なき政治」
ちょっと古くなるが、東京新聞2月25日の「本音のコラム」に、石頭団塊団のブログで書きたかった内容の記事・ルポライター・鎌田慧(さとし)氏の「理念なき政治」を紹介したい。「コロナウイルスの厄災拡大にともなって、安倍私物化政治への批判が、紙面から消えだした」から始まるのだが、その前に、コロナ禍の報告から始めます。
隣の韓国が終息を迎える中、国民の命よりもオリンピック開催を優先し、感染者の数減らしのためにPCR検査(遺伝子検査)を遅らせた統治者(政府、東京都)が感染を広め、初動のまずさから検査体制の不備が挽回できずに検査後れ→未治療→肺炎死→コロナ死としてカウントされないままの変死者が増えている(先日11名の報道有)。NHKも不信にまみれた政府情報を垂れ流すのみで、未だ解決の道筋は見えず、日本は、コロナ渦中にある。
先のブログ(4月15日)以降も安倍政権のコロナ対応の失態連発中。リスク管理の基本は最悪の事態を想定し、その極小化を図ることなのだが、4月7日に発した2週間の様子見緊急事態宣言後、16日には一転、対象を全国に拡大するなどすべてが後手後手だ。加えて、誤手(ごて)も続く――減収世帯への条件付き30万円給付は、実質国民の一割配布や手続き上の混乱などの批判を受け撤回し、野党が提案していた全国民一律の10万円給付に変更したり、多額の税金を使って(当初の466億円から、批判を弱めるために大幅減額)、小さくて効果の薄い布製、しかも髪の毛と虫入りで、シミ、黄ばみの腐食布マスク(アベノマスク)の配布や外出自粛を要請しながら、昭恵夫人の九州旅行を許し、国民の窮状を自宅でテレビ観戦する姿を動画投稿するなど国民の苦しみ・痛みを感じ取ることのできない偏桃体(へんとうたい)障害(共感力欠如)のサイコパス夫婦。この後手誤手の安倍政権を早期退陣に追い込まないと国民の命と生活は守れない。
では、ルポライター・鎌田慧氏の「理念なき政治」に戻って、以下、転記と意思道の思いも加筆(……<内に記述>……)させてもらいます。
コロナウイルスの厄災拡大にともなって、安倍私物化政治への批判が、紙面から消えだした。
……<国民の気質=大事なことも些細なことも区別なく忘れてしまう。安倍政権の狙い通りに進んでいる>……
この混乱期に「非常事態条項」設置が、いわば火事場泥棒的に唱えられている。どさくさに紛れ、新手の憲法改定策動である。
わたしの大いなる疑問は、自民党内に存在するはずの良識派が、安倍首相のこれまでの民主的手続きを無視する政治に、民主主義破壊との苦言を呈しないのか、である。
すくなくとも、自由と民主主義を標榜する政党なら、モリ、カケ、サクラ、揚げ句の果てに政権を監視するはずの検察トップ、検事総長をも自分の息のかかった者にする、そのために法をねじ曲げる卑劣な工作など、認められないはずだ。
……<NHKとして頑張った報道が持論公論にあった。3月12日「検事長定年延長 法の理念と国民の信頼」(清永聡解説委員)で、「検察における不偏不党とは、検察権の行使は常に一党一派に偏することなく厳正中立であって、いささかもそれが疑われるようなことがあってはならない」(特捜検察の基礎を作った河井信太朗)と、解説。憲法の「司法の独立」理念に反し、民主主義の根幹を揺るがす反社会的行為であり、この事件は、「法の支配」(権力の制限)からの脱出=独裁政治へ突き進むことを意味し、立法府(国会)を無視してきた安倍首相は、司法をも行政府の下部組織とし、三権分立は骨抜きにし、独裁体制を敷いたのだ。日本は独裁国家になってしまった。(下段*参照)>……
政権を延命させて、あなたは何をやろうとしているのですか、とわたしは安倍首相に問いかけたい。過労死するほど働いても、将来の生活はおろか、現在も食べるのに精いっぱい、という膨大な層の若者たちに、どんな希望を与えるのですか。
……<それでも若者は安倍政治を黙認するのか?>……
とにかく祖父の夢。戦争のできる憲法にする。首相が全権掌握する「非常事態条項」を入れる。
……<ヒトラーはこれによって異様な独裁政権を可能にした>……
そのために延命を図ろうというのでは、将来必ず歴史から復讐(ふくしゅう)されよう。
……<それは安倍首相とそれを支える自公民議員だけでなく、危険な安倍政権を延命させている国民も復讐される。アメリカの倫理学者・ジョン・ロールズは、「開戦時の大日本帝国議会が国民によって正しく選ばれた議員で構成されていたなら、それならば国民に開戦責任があるが、どうやらそうではなさそうだ。つまりそのこころの日本はちゃんとした選挙をやることができないでいた。したがって国民に責任を問えるとは思えない」と言ったが、選挙制度の不備とは言え、違憲の安保法制を強行採決した自公政権を選挙で勝たせたのだから、アメリカの戦争に加わり自衛隊員が命を落としたら、その責任は、選挙で棄権した者も含め、日本国民にもあるということだ>……
法の解釈を自分の欲望に合わせて勝手に変えるのは、民主主義に敵対する。それでも支持するのは、もっとも危険な政治家にいのちを預ける無謀、である。
……<他に適当な人がいない。というのが支持のトップ理由なのだが、だからといってもっとも危険な人物を支持している国民はどうかしているとしか思えない>……以上。
いま日本に必要なのは、権力維持のために、憲法を含め、あらゆるルールを勝手に変え、政治の不正を見張る検察までをも意のままにしようとする「安倍一狂による異常事態宣言」なのだと思う。目覚めろ!日本人!!!
*:独裁について、内田樹(たつる)の『内田樹の生存戦略』に、安倍内閣=独裁そのものの以下の記述がある。
独裁政治の際立った特徴は「立法府に実質的な審議をさせない」という点にあります。新しい法律をつくらず。既成の法律の解釈変更や解釈拡大でやりたいことを「合法的に行う」必要とあらば政令に法律に代わる強制力を与える、そうすることによって、外見的には「合法的」「民主的」な手続きを経ているようにごまかしながら、内閣総理大臣が事実上すべてを専管できる政体、それが独裁です。
<2020.4.15> コロナ禍中、ここまでで分かったこと
コロナ禍がもたらしものは大きい。
日本の近隣諸国でコロナ禍対応の評価が高いのは、台湾、韓国で、日本は中国よりも低く、最低の評価のようだ。
コロナによる人災は甚大で、多くの感染者や死者をもたらした安倍政権の初期対応のまずさ――豪華船での隔離→感染者増加→公共機関を使った帰宅や検疫体制不備。そして防疫に欠かせない感染者の実態把握ができない状態(海外メディアから日本政府の発表数は「不可思議」との指摘)にあったこと――が国際社会の批判の的になっている。
これはオリンピックへの影響(中止)を避けたいがために、感染者数を抑えるためではないか言われていたが、各国のスポーツ関係者から開催はあり得ないという指摘や批判によって延期になった途端に、感染者数が大きく跳ね上がったことで、真実味が増した。
その東京オリンピック誘致は、汚職(会長辞任)や嘘(安倍首相の放射能アンダーコントロール発言)によって実現したものであり、おもてなし(「表なし」)、すなわち「裏あり」の東京オリンピックだったということで、賄賂と嘘で誘致した東京オリンピック、原発事故からの復帰とは言えない中でのオリンピック開催をコロナは襲ったということだろう。
対応が後手後手になっているという世論の批判に対し、起死回生で放った策の一つに、マスクの配布がある。今更の感があるが、これには世界も驚き、日本国民の反応を見ている。異様な政権を支えているイエスマンの自民党の議員の中でさえ、「世紀の愚策」との指摘があり、忖度化したメディアも、アベノマスクと批判し、休校中の子どもたちも呆れてしまった。5000万世帯へのマスク2枚の配布に使われる466億円の税金をもっとましな事に使ってほしい(受取人支払いで返送したい心境だ)と誰しもが思う。膨れ上がった武器の購入や沖縄の新基地建設費、原発再稼働に使われる税金をコロナ対応に回すべきではないだろうか。
折しも、駐日アメリカ大使館が、自国民の日本脱出を在日米人に促している。原発事故での対応――日本政府は30km圏外への避難を出したが、アメリカは80㎞県外への避難を指示――と同じで、日本政府を信用していない。
リスク管理は、最悪の事態を想定し、その極小化を図ることなのだが、情報を公表せず、結果国民を危機に陥れる。歴史に学ばない、公文書の隠蔽・捏造を平気で行う安倍首相は、コロナによって崩壊するだろう…して欲しい。
4月7日、ウイルス対応の世論調査で、「評価しない」60%超を挽回するためともいえる、行動自粛+開店というチグハグな「緊急事態宣言」(7都府県――東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡。約1ヵ月)を放った。この異例の長時間宣言で残ったものは、「心に響かない」の一言。これは首相を支持しない理由トップの「信頼できない」に起因する。宣言で、「正しい情報を基に冷静な対応をお願いいたします」と訴えたが、情報の捏造・隠蔽を役人に促す人が、「正しい情報」という言葉をよくも恥ずかしくもなく使えたものだ。この人は、どうみても非常識。その人が宣言の冒頭「国民を代表して」という。こんな人が国民の代表!?国民の一人として恥ずかしい!!!
安倍政権の憲法無視、民主主義の機構・体制を破壊、権力維持のために今までのルールを勝手に変える(検察への人事介入など)、とんでもない政権運営に加え、コロナ禍で明らかになった、国民の命を守れない安倍政権。宣言の中で、「もっとも重要なことは、国民の皆様の行動を変えることです」と言う。最大の危機を乗り越える原動力は、政治への信頼であり、「今日本にとって、もっとも重要なことは、安倍首相の言動を変えること」ではないか!
今日本は、コロナリスクとアベノリスクの二重苦下にある。
流石にどんなことも見過ごしてきた(これ自体が大問題)のだが、日本国民も本件で目覚めると思うのだが、それでも安倍政権を継続させる判断をするのなら、日本国民の頭は細菌に冒されているとしか思えない。この政権の存在そのものがリスク(アベノリスク)であり、歴史に名を遺したいと憲法の体裁を為していない(国民主権ではなく国家主権の)自民党改憲草案を成立させたい戦後最悪の首相・安倍首相が、戦後最長の首相であったという奇怪と歴史的愚策・アベノマスクと共に、歴史に汚名を遺すことになるだろう。
<2020.4.1> 親日・台湾の憂い
以下は友達からの情報です。
① 友人の奥さん(台湾の人)曰く、親日・台湾で、“日本はどうしちゃったの?」という声が高まっている、ようだ。
新型コロナウイルス絡みで、世界中から防疫体制が賞賛されている台湾から見た日本政府の対応の不手際――台湾は早々に中国人の入国を禁じるなど万全の防疫策を施したのに、日本は春節時に中国人の訪日を許していたことや豪華客船での船内感染助長と解放、思い付きの小中高の一斉休校要請など――による対応差が原因かと思ったが、そうではなくて、昨今の日本社会の劣化――異様な政治運営(憲法や民意の無視、憲法の「司法の独立」理念を壊す検察への人事介入など)とその政権を支持している国民の倫理観的・知的劣化――を指摘していて、今まで台湾は日本の社会システム全体を手本にしていたのだが、今の日本は手本から大きく逸脱してきていて、日本は、日本人はどうなっているのか、という失望感から来ている、とのことだ。
今回の安倍首相による思い付きの一斉休校要請は、安倍政権下での憲法改正は危険だという野党の言い分の納得性を高めた。
自民党が改憲で入れようとしている憲法よりも優先する、ヒットラーが利用して独裁体制を敷いた緊急事態条項(今回のコロナ対応の緊急事態宣言とは異なる)を成立させたら、今でも憲法を無視し、自身に都合のよいルールを勝手に作ってしまう、意のままに国民を動かしたい安倍首相とその暴挙に盲目的に従う自公議員たちなら、緊急事態宣言によって、政府批判者を投獄し、場合によっては、処刑する恐ろしい事態が訪れるに違いない。
これは、今までの安倍政権の実績――非倫理的、且つ独裁的な対応――から確信を持って言える。緊急事態宣言が出てしまってからは、何もできないのであり、日本を救うためにも、日本を良く知る台湾の人たちが抱く手本となる日本を取り戻すためにも、支持率低下で安倍政権を退陣に追い込むことが喫緊の課題だと思う。
② AI自動翻訳機の悩み
AIによって翻訳機の精度が飛躍的に向上している。欧州各国間の言語翻訳はかなり正確になっているが、日本語の翻訳では混乱をきたしている、とのことだ。
原因は、昨今の安倍政権による意味不明な日本語の乱用(「募ったが、募集はしていない」)や意味破壊――「検討する」は、「何もやらない」、「丁寧に説明する」は、「どうやったら騙せるか、または、はぐらかせるかを考える」、「(沖縄の人たちに)寄り添う」は、「突き放す」で、「真摯に受けとめる」は、「無視する」、「様々な国民の声に耳を傾ける」は、「聞き流す」など――にあり、日本語の意味を確定する時系列データの分析過程で混乱をきたしていることによるようだ。
美しい日本語守るためにも、安倍政権の早期退陣を迫らなくてはならない。
(追記)今回の新型コロナウイルス対応(安倍首相の休校要請)で分かったことがある。
全国一斉の休校要請に対し、各都道県の知事や市長の対応で分かったことなのだが、この国のトップよりも常識的な対応をされた方がかなりの数いることが分かったことだ。信頼できない人物の筆頭・安倍首相を支持する人の理由のトップは、「他に適当な人がいない」なのだが、知事や市長の中に山ほどいるということ分かった。安倍首相に何も言えない、言わない自公の国会議員をその人たちと総入れ替えすれば、日本はまともな国に戻れるのではと思う。これが分かったことは大きい。
最近の事件からもう一つ。これも台湾の人が日本はどうしちゃったのかに入ると思うのだが、3月21日午前10時過ぎ、川崎のコンビニに帽子とマスクで顔を隠し刃物を持った市内に住む43歳の女性が「1万円下さい」と店員を脅し、強盗未遂で逮捕されたというニュースがあった。普通の強盗なら「下さい」とは言わないだろう。生活に困窮しての犯罪だと思うが、少し前に、関電の社員75名が原発のある福井県高浜町の元助役から3.6億円相当の金品を受け取っており、さらに、東日本大震災後役員報酬をカットしていた元会長ら18名が、約3年間にわたって最高約90万円/月を電気料金から補填されていたという報道があった。しかも、よりによって、一昨日(30日)、この関電を立て直すのに、政治献金を復活させ、武器輸出、原発再稼動や労働者派遣法改正など反社会的政策を政府に要請してきた前経団連会長の榊原定征氏が関電の会長になるようだ。これによって関電は、安倍政権が進める原発再稼働の先頭に立ち、日本最低の電力会社が確定するだろう。
また、自殺者を出した安倍夫妻発端の森友問題の文書改ざんに関わった財務省の官僚の多くが現在要職についてノウノウトして(中尾横浜税関長、中村駐英公使、冨安内閣官房内閣参事官、田村福岡財務支局理財部長)、あの佐川氏をはじめその者たち全員の不起訴を決めた当時大阪地検特捜部長だった山本真知子氏も、函館の検事正を経て、1919年11月に大阪地検のナンバー2に栄転している。これも安倍内閣への功労人事で、第二第三の山本真知子が出ていくるだろう。これら出世欲の塊の非倫理的な人たちと、「1万円下さい」の生活苦の女性との境遇差を想うと、世の中の理不尽さを改めて感じると同時に、やるせない気持ちになる。官僚に本来の公務員のあり方を取り戻させること、および日本人の心の腐敗拡散を防ぐために、早く安倍政権を終わらせなければならない。
<2020.3.15> ニューオータニはやめて社会正義を取り戻そう
「桜を見る会」で、国のトップ(安倍首相)が、政治資金規正法と有権者への寄付行為・公職選挙法の違反――しかも国民の血税を使って自身の支援者をもてなした――に問われている。案の定、違法指摘に対しその潔白を証明できる立場にありながら、ウソに嘘を重ねている。「桜を見る会」の前夜祭の主催が安倍事務所ならば、政治資金収支報告は必須なのだが、800人超の参加者個人が直接ホテルとやり取りしたなどと常識では考えられない言い訳をしている。ここでも昭恵夫人が招待に関与――夫婦そろって税金の私物化。
前夜祭の場所として使われたニューオータニは、安倍首相の言い訳に沿った説明をしており、国民の多くは、ニューオータニの対応に減滅したと思われる。ウソをついているのが明らかなのに不正義な政府に加担するニューオータニに対して、もう一つのホテルANAインターコンチネンタル東京(港区)の対応は立派だった。ただ事実を話しただけだと思うが、結果として勇気と正義を示したもので、安倍首相のウソを明らかにしたのだ。
ところが、後日、野党やメディアのANAへの再質問に対し、自民党内部から「ANAをもう使わない」との声があったからなのか、「回答を差し控えたい」と回答拒否に転じた。
ここで我々国民の質が問われる。安倍一狂に恐れをなし正義を忘れ、安倍首相のウソを繕う対応をした忖度ホテルのニューオータニをボイコット(利用しない)し、ANAインターコンチネンタルを使う――自民党内部の声「ANAをもう使わない」に対抗し、国民は「ニューオータニをもう使わない」――という倫理的消費活動で、じわりと社会に正義を取り戻そう!
「桜を見る会」関連でもう一つ。桜を見る会の出席者にはがっかりした。
日曜日に楽しみにしている「笑点」のメンバーの三平。一家総出で桜を見る会に出席した時の喜び様には呆れた。以前からネットでも話題になっているが、「笑点」メンバーの中で、面白くないNo1らしい。「笑点」の価値を落としており、噺家の笑いのネタの一つである権力者たちの権力欲や名誉欲からくる愚行を面白がる、嗤(わら)う噺家として失格だ。早くメンバーから外れてほしいものだ。
また、特に残念なのは、文珍が参加していたことだ。彼の創作落語『老婆の休日』は何度聞いても面白く、友人に薦めていたが、「桜を見る会」で安倍首相に擦り寄る様を見て以来、何を聞いても面白さは半減。文珍の落語を友達に薦める気持ちは失せてしまった。安倍首相と同じ「人間性に問題」という人種に成り下がった。一度人間性に疑問符がついてしまったら、復活は難しい。
<2020.3.1> 習近平と安倍晋三の国民
中国発の新型コロナウィルスが世界中を騒がせている。いまだ終息せず。
日本では、横浜港に停泊中の「ダイアモンド・プリンセス」の封じ込めに失敗し、船内感染者を日本中に放ち、感染拡大を招くなどの対応のまずさを国際的に指摘されている(56ヶ国の乗客の内、複数の国が自国民の救出に乗り出した)が、まさに防災を怠ってきた昨今の自然災害対応不備(人災)と同じで、日本政府のリスク管理能力の低さを露呈した。かなり前から話題にのぼったリスク・マネジメントに真剣に取り組んでこなかった結果だと思う。
加藤厚労相が、26日、政府の基本方針を発表したが、冒頭「今まで通り先手先手で云々」と、今まで通り非を認め改めない姿勢が首相の唐突な全国一斉の小中高休校要請発言を生み、日本中を混乱に陥(おとしい)れている。この政府の言うことを丸呑みしてはいけない、ということを改めて感じた。この対応のまずさによる問題の深刻化は、国民やメディアの目を「桜を見る会」から逸(そ)らすためではないか、とさえ思ってしまう。いずれにしても国民は安倍政権を頼らず、自己判断で対処するしかない。
それにしても本件に限らず、政治家や役人は、誰から生活費をもらい何をしているのだろうかと思うことが多い。
習近平は、このままでは国民の追求が厳しさを増し反政府運動に転化すると判断したのだと思うが、反政府の火種を消すために初期対応の不手際――言論・情報統制による被害の拡大――を謝罪した。一方、「桜を見る会」に公金を使っての地元支持者の招待問題を追及されている安倍首相は、森友や加計問題と同様に一切を否定する方針を固め、忖度官僚を抱え込んで隠蔽・改ざんとウソで、必死に逃げ切ろうとしている。
安倍首相は、森友・加計から得た教訓――今までと同じようにウソとはぐらかしで一時凌ぎすれば、支持率もいったんは下がるがすぐに回復する。「3だけ主義(今だけカネだけ自分だけ)」の国民は、どんなことでも簡単に忘れ去る――をなぞっているのだ。
「桜を見る会」絡みでは、政治家の腐敗・政権の犯罪を暴く機関のトップ(検事総長)人事への介入を開始した。この狙いは、桜を見る会で自身の支援者を公金で招待(買収)した政治資金規正法違反と公職選挙法違反の罪から逃れようとしているしか思えない。違憲の指摘のある集団的自衛権を閣議決定する前に、法の番人(内閣法制局長官)を横畠祐介氏に据えたのと同じで、安倍政権は、三権分立(国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことにより、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障する原則)を侵し、不公正な行政を行使し、立法権を持つ国会を無視し、ついには法律違反を取り締まる司法の独立性をも破壊しており、独裁国家へとまっしぐらなのだ。
ここに至って、安倍政権は、公務員の定年延長ルールを作ろうとしている。これには与党も、厳格な評価法を定めてから議論すべきと言っている。しかし、安倍の言いなり自民党では止められないだろう。評価は簡単だ。「正義・公正や道徳心や公務員の使命を捨て、なりふり構わず安倍政権を守るかどうか、守ったかどうか」の一点だと思う。あの佐川――森友問題で部下に不正を強い、自殺まで追い込んだが、「適材適所」(麻生財務大臣評価)で国税庁長官に昇進した佐川宣寿(のぶひさ)――の増産体制に入る…。
歴代の内閣が憲法上許されないとしてきた、憲法違反の「集団的自衛権の行使」を容認し、強行採決しても恥じない、格差拡大を増長させる消費増税分を原資に、国民が雇っている官僚・政治家を含む既得権益層・富裕者のための政策を進めている戦後最低の人物率いる戦後最悪の政権を国民の40%もの人が支持している(許している)のだから、日本人は自らが生きる社会への自傷行為状態下にある。
先月(2月)の11日に亡くなられた勇将・野村克也氏について新聞各社は、野球技術論だけでなく、人としてどうあるべきか、リーダー論について野村氏の考え・言葉を取り上げていた。その中に「人間の最大の罪は鈍感である。最もやっかいなのは、恥を恥とも思わない鈍感さだ」がある。安倍首相(史上最悪の人間性)、麻生副総理(この人は評価する価値がない)、記者の指摘に対し、「その指摘は当たりません」、「まったく問題ない」とオウム返しを繰り返す菅官房長官、萩生田文科大臣(加計学園との癒着)、森雅子法務大臣(次期総長がらみで安倍政権寄りの黒川東京高検検事長を違法に定年延長を内閣に請願)等々、安倍内閣は無恥(むち)軍団、戦後最悪の内閣に違いない。
言論統制されても政府を果敢に批判する著名人のいる中国。「桜を見る会に」で、非常識な政治運営をする安倍晋三と嬉しそうに写真に納まる日本の著名人、最低の人物を総理大臣に選んだ自民党議員、その政権を支持している心貧しき日本人。嘆(なげ)かわしい限りだ。
<2020.2.15> 人物評価軸
前号ブログ(2020.2.1)で予告しましたが、『街場の戦争論』(内田樹)の「ありうべき大人」の項について報じたい。そこには、米国の従属国状態から脱し、主権を取り戻すための喫緊の課題として、人材育成があり、今の日本社会を動かしている層に人間として尊敬される人物が極めて少なく、これは望まれる人物とはどういう人物なのかが定まっていないからだ、と指摘している。以下内田氏の見解の拾い書きを試みる。なお、< >内は、意思道(いしどう)の独り言。
「未来の理想社会をめざして進むときに導きの旗として掲げられるような広々とした、風通しの良い、指南力のあるヴィジョンが日本にはない」として、「僕が言う『ヴィジョン』というのは、一言で言えば、『人間のありよう』のことです。挙措(きょそ)の鮮やかさとか礼儀の正しさとか、ことに処すときの自己規律のたしかさとか、判断における公正さとか、弱者に対する気づかいとか、そういう人間の風貌(ふうぼう)のことです。輪郭のはっきりした模範的な人間像が提示できれば、そのモデルに導かれて、そのようなタイプの人間を(たとえわずかなりとも)安定的に備給するためにはどのような社会制度が適切かという順序で推論がおこなわれる。まず人間です。どういう人を範例的な『おとな』として自己陶冶(とうや)のロールモデルに掲げるのか。それが最終的には国民性格を決定し、国のかたちを決定する。この「ありうべきおとな」の像は分子生物学から文学までさまざまな領域から発信される『人間とはどういうものか』『どういう人間が望ましいのか』についての知見が行き交い、入り交じり、輻輳(ふくそう)するなかでゆっくりと形成されてゆくものです。誰かが専一的に決定できるものではない。<専一的に決定しようという試みが、現代において最も望ましくない人物・安倍首相によって、施行されたのが、個人の人権、自由よりも社会治安を優先して、国家に従順に従わせようとする道徳教育である>(中略)輪郭のはっきりした、範例的な「おとな」の像が描かれていない。そのような像の提示が、国家意思の形成のために不可欠であるという基本的な合意さえない。」、と内田氏は指摘しています。この望まれる人物評価軸の欠如が日本の心を狂わしていると思う。
倫理観欠如で、「人としてどう生きるかを考えたことのない」、ロールモデルとしての反面教師軍団が今の安倍内閣であり、憲法違反の安保法制に賛成票を投じ、安倍政権を支えている自民党の議員たちなのだが、内田氏が提示した模範的人間とは程遠い安倍首相(内閣)を40%の国民が支持――結党以来最低の自民党を国民の約25%が支持しているということは、国民の多くが「どういう人間が望ましいか」、「どういう人間が望ましくないか」が分からない状態であり、反面教師にもならない状態は、致命的状態かもしれない。
このことは、今の日本を見わたしても、各層(政治家、経団連、大企業の経営者、官僚、司法界)のリーダーに人格者が少ないからも察しられる。政財界の不祥事は、ほとんどトップによって引き起こされている。爽やかさが溢れるあのスポーツ界でさえも問題が起こり、その収拾過程でも醜悪さが際立って、目を覆うばかりだ。
人格者を育てる環境、人格者探しが急務だと思う。そのためにも、まず内田氏の言う「どういう人物が望ましいか」、「どういう人間が望ましくないか」という人物評価軸を衆知させる地道な社会的合意の形成が望まれる。
<2020.2.1> 日本は「米国の従属国」で、全てがガッテン
今日は、目に鱗、「みんながいつも同じ枠組みで論じていることを、別の視座から見ると別の様相が見えます」という、過激だが正論だと思うことの多かった内田樹いつきの『街場の戦争論』(初版2014.10.20)の中にあった記述――安倍首相が首相に返り咲いた当初、頻繁に言っていた「戦後レジーム」についての内田さんの見解(2014年)――。5年前に記述されたものだが、「日本の現状は、今も完全なる米国の従属国である」、について報じたい。
安倍首相が、集団的自衛権の行使容認や武器の爆買いなど米国・トランプの言いなりに動く、「トランペット(トランプ大統領のペット)」であることと、憲法改正の狙いが分かる。
以下です。なお< >内は、石頭団塊団の意思道(いしどう)の独り言。
「戦後レジーム」という言葉に彼らがどのような定義を与えているのか、首尾よくそこから脱却した先に「どこ」に着地するつもりなのか。そのイメージがまったく僕には伝わってこない。ただ「戦後レジーム」とか「美しい国」という記号だけしかそこでは行き交じっていない。
僕が「戦後レジーム」と呼びたいのは、今の首相を二度政権の座につけたレジームの徴候なのです。彼が今おこなっている政治活動そのものがまさしく「戦後レジームの最終形態、そのグロテスクな完成形」以外の何ものでもない。かって小泉純一郎は「自民党をぶっつぶす」と獅子吼(ししく)して総選挙に圧勝しました。いま安倍晋三は「戦後日本をぶっつぶす」と称号して高支持率を保っている。でも、彼らは自分たちが掲げたスローガンが彼らを最高権力者に就けたシステムそのものの破壊、つまり彼ら自身の政治的正統性を否定することなしには果たしえないタスクだということにどれくらい自覚的なのでしょう。
僕が「戦後レジーム」と呼ぶのは一言にして言えば、主権のない国家主権国家あるようふるまっている事態そのもののことです。どうせそう呼ぶなら、それをこそ「戦後レジーム」と呼んでいただきたい。
この国は久しく重要な政策については自己決定権を持っていません。重要な政策についてはアメリカの許可なしには何もできない。自前の国防戦略も外交戦略も持つことができない。起案しても、アメリカの同意がなければ政策を実現することができない。
<以下、ポイントとなる言葉を拾い簡略化を試みる>最終決定権を持てないのであれば、自前で考えて、それについてアメリカに可否の判断を仰ぐより、最初から「アメリカの許可してくれそうなこと」を忖度して政策起案した方が万事効率的である。そういう考え方を人々がするようになった。それが七十年二世代にわたって続いている。<集団的自衛権行使を容認した安保関連法は、アメリカが起こす戦争に日本が加わることは米国に利益になるので、アメリカが許可し、日本の国会で議論をする前に、安倍首相がアメリカ議会で約束し、その必要性をごまかし、国民が真実を知る前に議論を打ち切り、強行採決したんだった>ブッシュ大統領がイラク戦争の開始を宣言したとき、世界中のアメリカの同盟国の多くはその拙速をたしなめました。日本だけです、アメリカの国益をいずれ大きく損なうリスクの高い決定を断固支持したのは。日本がアメリカの軍事的従属国であるという「現実」をまっすぐみつめているのは、沖縄県民だけかもしれないと僕は思います。<安倍応援団の作家・百田氏が、ぶっ潰せと言った>『琉球新報』や『沖縄タイムス』の政治記事と本土の大新聞の政治記事を読み比べると、どちらが生の現実に向き合い、どちらが幻想のスクリーン越しに世界を見ているのか、その違いがよくわかります。日本政府は米軍に日本から出ていってほしくないのです。米軍が日本から撤収してしまったら、それから後は国防戦略を自前で考えなくてはいけなくなるからです。今の日本に自前で国防戦略を考えられる人間なんかどこにもいません。うっかりそんなことを企てる人間は叩き潰された。日本はどんな国になりたいのか、よそから見ても分からない、どんな世界を実現したいのかがわからない。いかなる理想も掲げない。いかなる大義名分のためにも立つ気がない。「アメリカの国益に資するために行動する国」というのが唯一国際的に理解可能な日本の戦略です。
以前国連安全保障理事会の常任理事国拡大を求めたときも支持する国がきわめて少なかった。国連拠出金がアメリカに次いで世界第二位の国であり、平和憲法を掲げ、戦後一度も海外派兵をしていない、つまり世界のどこにも敵のいないはずの国<だから2020東京オリンピックが決定した。けっしておもてなしではなく、安倍首相が嫌いな第九条のお陰と本著で解説>であるにもかかわらず日本が常任理事国になることに国際社会が気乗りしないのは「アメリカの票が一つ増えるだけだから」という理由からでした。日本が主権国家として国際問題について自己決定している実例を示せば済む話ですが、それができなかった。
上記の他に、記憶しておきたいのは次です。「日本がアメリカと無関係に独自な軍事行動を取ることは不可能です。アメリカ以外の国と軍事同盟を結ぶ、アメリカと敵対していない国と独自に戦闘状態に入るということをアメリカが許すということは絶対にありません」と「明文改憲しても、解釈改憲で九条を空洞化しても、日本は軍事上のフリーハンドを得ることはできません。アメリカの軍事従属国としてポジションからは動くことはできない。でも、できることがある。それは『戦時政府』は国民に対し超法規的にふるまうことができることです。狙いはむしろこちらにあると見るべきでしょう。<これが自民党改憲草案にあり、あのヒトラーが使って独裁政治体制を敷いた緊急事態法(首相が緊急事態と宣言すれば、憲法を停止、国会を閉鎖し、独裁体制が可能になる。平時でも憲法違反をする、あのアベ首相ならやりかねないし、同胞の麻生副総理がかってヒトラーの真似をしろと言っていた、そのものなのだ>
自民党改憲案は、「平時」ではなく「非常時」のほうに力点が置かれている。通常の民主主義のルールに基づいた国民的な合意形成が「できない」状況において、行政府が国会の議を経ずに独裁をおこなうための法的基礎づけの作業にはずいぶん熱心で、ほとんど『うれしそう』になっていることが文面からうかがえます」。
すなわち、「自民党改憲案は、「『時代遅れ』の改憲案、『憲法ができるだけ機能しないことをめざす憲法草案』で、『官邸が国会よりも憲法より優位に立つ』統治体制を理想とする人びとの作品」だという。
上記に関し、内田氏は、「短期的には準独裁的な政体が日本に出現し、戦後七十年間続いてきた平和主義外交が終わるという見通しはかなり蓋然性(がいぜんせい)が高くなってきました。
『創造すること』に比べて破壊することは圧倒的に容易です。短期的ではあれ、安倍政権が今進めている『戦後レジームからの脱却』諸政策は日本社会に深いダメージを与え、それから回復するためには、破壊に要した時間と資源の何十倍、場合によっては何百台を要求されるでしょう。そのために投じられる未来の国民資源の『無駄』を僕は惜しむ」と言い、加えて「この『迂回』と『浪費』のいくぶんかは国民自身が望んだことであるのは間違いありません。なぜ、日本人は人類史の『順目』に逆らって民主制と平和主義を捨てようとしているのか。その理由について考えることがもっとも緊急に必要な学的課題だとうと思います」と提言している。
次の重要な提言としては、この状態の改善は人物評価軸にあるとして、「ありうべき大人」の項があるが、機会を捉えて掲載したい。
<2020.1.15> 中村哲さんの言葉
昨年の最終ブログ「今年の言葉」で、ローマ教皇訪日時の言葉をあげたが、アフガニスタンで長年人道支援活動――1984年パキスタンで医療活動を開始し、2003年アフガニスタンで用水路建設(不毛の大地を緑ゆたかな土地に変えた)や学校やモスク建設など広範囲に活動――をしていて昨年の12月4日アフガニスタンで殺害された中村哲医師(73)の言葉を本ブログに残しておきたい。
アフガニスタン国民の生活を改善するために人生を捧げた中村氏に対し、アフガニスタン大使館は「アフガニスタンの偉大な友人。その生涯を国民の生活を変えるために捧げてくれた」報じ、国連も「もっとも弱い立場にいる人たちを助けることに人生の大半をささげた人人だ」と声明を出した。
安倍首相の集団的自衛権行使容認などで日本は米国側と見られ、中村氏は「日本の国旗を移動車から外す」などの対応を余儀なくされたが、安倍首相は「危険で厳しい地域にあって、本当に命がけでさまざまな業績をあげられ、アフガンの人々からも大変な感謝を受けていた。このような形で亡くなったことは本当にショックで、心からご冥福をお祈りしたい」と、自分が中村氏の足を引っ張っていたことを棚の上にあげて、記者団に語った。アフガニスタンの大統領が帰国する中村氏の棺を担いでいたのに対し、日本政府は役人一人が迎えただけだった。
以下、12月5日の「報道ステーション」で報じられた内容を記す。
報道によると、氏は、10年前から西日本新聞に活動を寄稿していて、亡くなる2日前の記事で、地元の有力者に灌漑計画の協力を求めた時の話を紹介。
題名は、「信じて生きる山の民」
「小さな村はしばしば関心をひかず、昔と変わらぬ生活を送っていることが少なくない。こうした村は旧来の文化風習を堅持する傾向が強く、過激な宗教主義の温床ともなる。当然治安当局が警戒し外国人はもちろん政府関係者でさえも恐れて近寄らない。村の指導者は、カカ・マリク・ジャンダール。伝説的な英雄で、村民は、彼への忠誠で結束が成り立っている。10月中旬、我々は予備調査を兼ねて初の訪問を行った。ジャンダールは年齢80歳、村を代表して応対した。彼と対面するのは初めてで、いかめしい偉丈夫を想像していたが、意外に小柄で人懐っこく温厚な紳士だ。威いあって猛たけからず、周囲の者を目配せ一つで動かす。『水や収穫のことで困ったことはありませんか』『専門家の諸君にお任せします。諸君の誠実を信じます。お迎えできたことだけで村はうれしいのです』。こんな言葉はめったに聞けない。彼らは神と人を信じることでしかこの厳しい世界を生きられないのだ。かつて一般的であった倫理観の神髄を懐かしく聞き、対照的な都市部の民心の変化を思い浮かべていた。
約18年前、2001年の軍事介入とその後の近代化は、結末が明らかになり始めている。アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、忠誠だの信義だのは、時代遅れとする風潮が台頭している。近代化と民主化はしばしば同義である。巨大都市カブールでは、上流層の間で東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。見たこともない交通ラッシュ、かすみのように街路を覆う排ガス、人権は叫ばれても街路にうずくまる行き倒れや流民たちへの温かい視線は薄れた。泡立つカブール川の汚濁は、もはや川とは言えず、両岸はプラスッチックごみが堆積する。国土を省(かえり)みぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ、終末的な世相の中でアフガニスタンは何を啓示するのか。見捨てられた小世界で心温まる絆を見出す意味を問い、近代化のさらにかなたを見つめる」
我々は近代化のさらにかなたをどうしたいのかを考え、行動しなければならない。一部の富裕者が潤う格差社会は誰も望まないのに現実社会は望まない方向に進んでいる。
中村氏は、全ての国民が、国の隅々が豊かになることを目指しており、その実現に向けて行動する人だった。新年を迎え、このような心を持ち行動するリーダーを大切にする、このようなリーダーが選ばれる社会でありたいと思う。
今年は、ネズミ年。テニス、ゴルフ、陶芸…お上も太極拳、ヨガ、殿の食事と過食(多忙)気味ですが、干支に合わせ、更に色々食べ散らかし、夫婦一緒に来年の「桜を見る会」に招待されるよう頑張ります。「石頭団塊団」の読薬ブログは、六年目に突入しました。本年もご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
昨年読んで考えさせられた本は、アル・ゴア『不都合な真実』、丹羽宇一郎『戦争の大問題』、内田樹『街場の戦争論』と今後の日本の岐路関連の『「憲法改正」の真実』です。小説では昔の直木賞作品『海狼伝』でした。
話は変わって、今年の意思道の挑戦(大袈裟かな)だが、言葉の行き違いから生じるストレス、幸せ感減退回避のために、いま一度コミュニケーションのあり方を見つめ直してみようと思っています。
哲学解説書で、哲学者・小川仁志が、どうすれば人間関係がうまくいくか?の問いに、「言葉が使われる文脈を意識する。そしてコミュニケーションの際は、相手を説得するのではなく、合意に達しようと努める。大事なことは常に他者を尊重することである」と答えている。
解説では、ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」から、「言葉は文脈によって意味が変わってくる――相手の言葉を理解する時も、自分が言葉を使う時も、文脈に配慮していれば言葉の行き違いは軽減されるはずで、それがコミュニケーションの本質です」といい、日本人は自分の意見を押し付けるのが議論だと思っていているが、ハーバーマスは、「コミュニケーション的理性は合意に達しようと努める」ことだといい、加えて、「説得しようという態度と、合意に達しようという態度の大きな違いは、相手を尊重しているか否かにあり、相手を尊重することではじめて、コミュニケーションは円滑なものとなる。他者は自分とは絶対的に違う存在であって、決して自分の思いどおりになる類のものではないのですから」とある。さあ、意思道(いしどう)の石頭をどこまで砕くこと(改造)ができるかだ。その先は、俵(たわら)万智(まち)の歌“「寒いね」と話しかければ、「寒いね」と答える人のいるあたたかさ”的現象が訪れるだろう。
教皇は、「苦しみを抱えている人を助けるのは私たちの義務だ」といい、安倍首相は「弱者に寄り添う」と言いながら、自己責任として突き放し、沖縄県人をいじめ、非正規社員増、格差の拡大・固定化で弱者増産の政策を進めている。
「桜を見る会」では、税金を自身の後援者に使う。こんな安倍首相と教皇を比べるのは、おこがましく、恥ずかしいが、友達優先、富裕者優先の政治を行う、品格の欠片(かけら)も無い安倍首相と教皇とは雲泥の差であるのは明らかなのだが、教皇との会談で、安倍首相は、「日本とバチカンは平和、『核なき世界』実現、貧困撲滅、人権、環境などを重視するパートナーだ。訪日を契機に協力を拡大したい」と表明(教皇は「両国関係を一層強化したい」と応じた)。さらに悪いことに、無知(むち)無恥(むち)仲間の麻生副総理を「教皇と同じ『フランシスコ』の洗礼名を持つ」と、教皇と各国外交団に向けて紹介。
「核兵器禁止条約を含む国際法の原則にのっとり飽くことなく迅速に行動していく」という教皇の本心は、原発の再稼動を推進、核兵器条約批准を拒否し、戦争放棄の日本国憲法を壊そうとしている、人間性に問題のある安倍首相のパートナー発言や麻生大臣の洗礼名が同じだと言って、不人気挽回のために教皇に「友達になってよ」と、ラブコールされては迷惑千万だと思う。日本国民として、「両国関係を一層強化したい」と応じた教皇のお気持ちをお察しします。
ところで、安倍内閣の支持率は、「桜を見る会」問題を起こして5.4ポイント減の48.7%に下落した(共同通信調査11/22,23)が、それでも国民の統計的には40%超が支持している(不支持の方が少なく、38.1%)。これ自体異常だと思うが、もっと驚いたことは、桜を見る会に地元の支援者が多数招待されたことを「問題だと思わない」人が35%もいて(「問題だと思う」は59.9%)、さらにウソに塗(まみ)れた首相の発言を「信頼できる」と答えた人が21.4%(5人に一人)いたことだ(因みに「信頼できない」と答えた人は69.2%)。
この国の5人に1人以上が善悪の判断ができない倫理観欠如人間という現実。安倍政権が長く続いたことで、その毒気で日本国民の頭も狂ってしまったようだ。
教皇の訪日に関するブログをここで終えては、核兵器禁止条約に背を向け、米国と共に戦争に近づく、格差の放置、弱者を苛め、政治の私物化(友達優先など)を進める安倍政権の酷さ確認で終わっては、教皇の切実な思いに対し日本国民として申し訳ない。
日本がまともな社会になる希望を込めて、離日の日に、上智大学で学生を諭した以下の言葉で締めたい。
「どんなに複雑な状況であっても自らの行動が公正、人間的であること、正直で責任を持つことを心がけ弱者を擁護する人になってください。ことばと行動が偽りや欺瞞(ぎまん)であることが少なくない今の時代において、必要とされる誠実な人になってください」。
<2020.1.1> あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
今年は、ネズミ年。テニス、ゴルフ、陶芸…お上も太極拳、ヨガ、殿の食事と過食(多忙)気味ですが、干支に合わせ、更に色々食べ散らかし、夫婦一緒に来年の「桜を見る会」に招待されるよう頑張ります。「石頭団塊団」の読薬ブログは、六年目に突入しました。
本年もご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
昨年読んで考えさせられた本は、アル・ゴア『不都合な真実』、丹羽宇一郎『戦争の大問題』、内田樹『街場の戦争論』と今後の日本の岐路関連の『「憲法改正」の真実』です。小説では昔の直木賞作品『海狼伝』でした。
話は変わって、今年の意思道の挑戦(大袈裟かな)だが、言葉の行き違いから生じるストレス、幸せ感減退回避のために、いま一度コミュニケーションのあり方を見つめ直してみようと思っています。
哲学解説書で、哲学者・小川仁志が、どうすれば人間関係がうまくいくか?の問いに、「言葉が使われる文脈を意識する。そしてコミュニケーションの際は、相手を説得するのではなく、合意に達しようと努める。大事なことは常に他者を尊重することである」と答えている。
解説では、ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」から、「言葉は文脈によって意味が変わってくる――相手の言葉を理解する時も、自分が言葉を使う時も、文脈に配慮していれば言葉の行き違いは軽減されるはずで、それがコミュニケーションの本質です」といい、日本人は自分の意見を押し付けるのが議論だと思っていているが、ハーバーマスは、「コミュニケーション的理性は合意に達しようと努める」ことだといい、加えて、「説得しようという態度と、合意に達しようという態度の大きな違いは、相手を尊重しているか否かにあり、相手を尊重することではじめて、コミュニケーションは円滑なものとなる。他者は自分とは絶対的に違う存在であって、決して自分の思いどおりになる類のものではないのですから」とある。さあ、意思(いし)道(どう)の石頭をどこまで砕くこと(改造)ができるかだ。その先は、俵(たわら)万(ま)智(ち)の歌“「寒いね」と話しかければ、「寒いね」と答える人のいるあたたかさ”的関係が訪れるだろう。