1.企業とは何か、何のためにあるのか
物事について考えるとき、対象となる物事の定義 ――“何のためにあるのか”、その存在意義と目的――を明らかにすることが何よりも大事である。往々に企業活動をする過程で、忘れてしまうものである。問題に遭遇したら、壁にぶち当たったら、この原点に戻ることが極めて重要だと思う。
ウキィペディアには、「企業とは、営利を目的として一定の計画に従って経済的活動を行う経済単位で、広義には、営利目的に限らず、一定の計画に従い継続的意図を持って経済活動を行う経済単位を指す」とある。
その企業が行う経済活動の“経済”とは、福沢諭吉が中国の古典に登場する儒教の経世済民(けいせいさいみん)をpolitical economyの訳として引用したものだが、経世済民(経国済民)は、『世を経(おさ)め、民を済(すく)う』ことで、世の中を上手におさめ、人々を苦しみから救うことであり、経済だけでなく、政治的・社会的にも広い意味で使われ、『世のため人のため』というのがもともとの意味のようだ。これに従えば、企業はただ利益を追求するだけでなく、社会と人々の生活に大きな影響力を持つ政治にも、経済活動の場である社会と人々の生活を守る観点から物申し、総合的経済活動を通じて人びとの生活を豊かにする環境を整えるという重大な社会的使命を負っていることになる。
さらに「企業とは何か、何のためにあるのか」を経済評論家の内橋克人氏の言葉を借りて表現すると、「企業の役割あるいは目的は何かと問われれば、市場至上主義者らからは企業とは生産・事業活動を行って利潤をあげる存在、といった答えが返ってくるのですが、これほど次元の低い解釈もない。企業・事業は何のために利潤を追求するのか、その真意は人びとの生活・生存の基盤を強固なものに築くために存在し、活動をつづけるもの、というべきです。すなわち『暮らし』を守るということです」(『共生経済が始まる』)になる。また、経営の神様・松下幸之助は、「経営というものは、人間が相寄って、人間の幸せのために行う活動だ」(『実践経営哲学』)といい、さらに、企業は何のために存在しているのか、まず高い理念を掲げ、人びとの生活・生存基盤に立ってよりよい地域社会を築く、それが事業の目的であり、また経営の魅力なのであり、経営者と従業員、すなわち働く人びと自身の働き甲斐(がい)、生き甲斐もそこにあるのだという。
企業は、そこに働く人々にとって生活の糧を得る場であると同時に、人生の大半の時間を過ごす場所でもあり、企業の良し悪しが働く人の、国民の生活の質を左右する存在なのであり、正しい企業活動をする企業が増えれば、社会にとって好ましい社会人が増えて、より良い社会をづくりに繋がる、ことを意味する。
1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞したアレキシス・カレルの1939年の著書『人間 この未知なるもの』の「知能は努力が育て、道徳・美的感覚は環境がつくる」項に、「道徳観念、美、神秘は、それがわれわれの周囲にあって、毎日の一部となっている時にだけ修得できる。知能の発達は訓練と練習によって得られるが、精神の他の活動には、それがはっきり存在している地域社会(環境)が必要なのである」とある。
これは必要条件であって、「あとは個人の資質の問題。同じ風土から、善人も悪人も生まれます。善も悪もあわせ持つ普通の人びとは、与えられる手本にしたがって良くも悪くもなるし、悪党の手下は悪党の心に、勇者の部下は勇者の心に染まる」(『インカ帝国の滅亡』)ことも考慮する必要がある。いずれにしても、人びとの生活を豊かにする正しい活動をする企業は、多くの普通人を社会に役立つ人材に育てる環境を提供していると言えよう。企業は、より良き社会形成およびその原動力となる社会人を育てる上で、重要な役割を担っている。
反面、「社会環境が劣っていれば、知性と道徳観念は発達しない」(『人間 この未知なるもの』)のであり、社会的使命を忘れた企業が蔓延(はびこ)ると、社会は荒廃する。意に反し反社会的企業で人生の大半を過ごすことになる従業員は、「何のために働いているのだろうか」「何のために人生を生きていることになるのだろうか」と後悔することになる。
企業は人なり
“経済”活動を行う企業は、「より良い社会づくり(世のため人のため)」という重要な社会的使命を負っており、これは一人では成しえない大事業である。従って必然的に、集団(組織)でその実現に挑むことになる。社会的使命を果たせる永続的な発展企業になるには、多様な価値観、意思を持つ人間を、経営理念の下で一つにまとめ、強靭な組織体をつくり上げられるかどうかにかかっているといえる。
“企業は人なり”で言い尽されているように、優れたリーダーを選び、組織に属する一人ひとりを活かし、組織力をいかに高めるかという人の面を考えずには企業経営は成り立たない。企業経営とは、徳と能力を併せ持つ優れたリーダー選び、人をどう活かすかにかかっている。それには、複雑怪奇な人間への高い対応力が求められる。
また、経営とはリスクヘッジであり、「普段から、見込まれる多様なリスクをなくしたり、最小限に食いとめたりする体制を整えていることが肝要」(『新訂いい会社をつくりましょう』)とある。企業を取り巻くすべてのリスク項目を明らかにし、その分析評価や対応を決める能力が求められ、2006年に会社法の施行、2008年度から日本版SOX(会計監査制度の充実と企業の内部統制 強化を求める日本の法規制)が施行され、以来、危機管理手法として、コンプライアンス(法令順守)から企業損失の回避、低減を効果的に処理する経営管理手法のリスクマネジメントへと移行してきている。リスクには、製造物責任、情報セキュリティリスク、災害リスクなど様々なリスクがあるが、最大のリスクは、大手ホテルの食の偽装、東芝の不正会計処理や三菱自動車の燃費問題などで見られる人的リスク――松下幸之助は「トップが一番危険と自覚せよ」と言っている――であり、リスクヘッジの面でも“企業は人なり”なのである。
経営者の資質が問われるのは言うまでもないが、組織に属する人間一人ひとりが、人としてどう生きるか、企業活動はどうあるべきかという基本的考えが定まっているか否かが組織、企業の盛衰を決めると言えよう。
加えて、組織は壊れやすい――優良企業も利益至上主義で保身に走る経営者の出現で簡単に壊れる――ものである。そして、企業は、難解な人間を知り社会を知る絶好の場なのである。