<2018.12.17> 臨時ブログ「STOP辺野古工事電子署名」
17日の東京新聞の朝刊トップ記事で以下を知った。
ハワイ在住の日系4世(沖縄出身)の作曲家ロブ・カジワラさん(32歳)が来年2月24日の県民投票まで辺野古基地建設工事の停止をトランプ大統領に求める電子署名を呼びかけている(署名開始の12月8日から来年の1月7日までに10万人の署名が得られれば、60日以内にホワイトハウスが検討し回答する制度を活用)。
こんな活動をしてくれている日系4世の呼びかけに応えなくては、日本人として恥ずかしく、石頭団塊団の意志道(いしどう)一味(かずみ)は17日15時半に署名しました(77,304人目です)。10万人に間近です。ご参加を!電子署名のアドレスは以下です。
以上。
<2018.12.15> 今年の言葉
今年こころに残った言葉は、日本軍に集団自決を迫られたり、壕(ごう)から追い出されたり虐殺された人たちを含め日米で20万人を超える犠牲者(沖縄県民の4人に一人が犠牲)を慰霊する日、6月23日、「沖縄全戦没者追悼式」での中学3年生・相良(さがら)倫子(りんこ)さんが朗読した平和の詩「生きる」だ。
米国政府関係者に、日本人は沖縄人を日本人とは思っていないと言わせてきた戦争直後から今現在までの日本政府や国民の対応――沖縄への核持ち込みの例外処置や治外法権の継続、辺野古問題への日本国民の反応の低さ、将来にわたっての沖縄への基地集中など――を思うと、その慰霊祭での(スピ―チライターが草案したにせよ、首相が認めた)安倍首相の言葉はいつも通り、血の通わない言葉としか思えない。こんな人が首相でいることが恥ずかしい。
安倍首相のあいさつでは、「先の大戦で沖縄は苛烈を極めた地上戦の場となり、二十万人もの尊い命が奪われた。夢や希望を抱きながら倒れた若者たち、わが子の無事を願いながら息絶えた父や母、平和の礎(いしじ)に刻まれた全ての戦没者の無念を思う時、胸のつぶれる思いだ。私たちが享受する平和と繁栄は、沖縄の人々の筆舌に尽くしがたい困難と癒えることのない深い悲しみの上にある。そのことを深くかみしめ、静かにこうべを垂れたい」といいながら、憲法9条を解釈改憲し、海外での武力行使ができるように集団的自衛権行使容認)を強行採決、武器輸出解禁、軍備拡張(GDPの1%以内から2%へ)と、戦争に近づいている。言行不一致極まりないのに、恥ずかしくないんだね。
以下が中学生・相良さんの詩(全文)です。国の、国民の将来を決めるトップの資質として、どちらが好ましいでしょう。
生きる
私は、生きている。 マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、草の匂いを鼻孔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。 私の生きるこの島は、何と美しのだろう。
青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、山羊の嘶(いなな)き、小川のせせらぎ、畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三(さん)線(しん)の響き、照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今と言う安らぎとなり 私の中に広がりゆく。 たまらなく込み上げるこの気持ちをどう表現しよう。
大切な今よ、かけがいのない今よ、私の生きる、この今よ。
七十三年前、私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三味線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面(みなも)は、戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたんだ。 私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。 疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。 仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。 壊されて、奪われた。 生きた時代が違う。ただそれだけで。
無辜(むこ)の命を。あたりまえに生きていた、あの日を。
摩(ま)文(ぶ)仁(に)の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることができない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。 奪われた命に思いを馳せて、心から、誓う。
私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。 もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。
あなたも感じるだろう。この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。この島の悲しみを。
そして、あなたも、私と同じこの瞬間(とき)を一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当はないことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。 みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発信しよう。
一人一人が立ち上がって、みんなで未来を歩んでいこう。
魔文二の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
下記動画では、
「あなたも、私と同じこの瞬間(とき)を一緒に生きているのだ。今を一緒に、生きているのだ。 だから、きっとわかるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。頭じゃなくて、その心で。戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当はないことを。平和とは、当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。」の部分で目をつぶっている(耳も塞いでいる?)安倍首相が写っているが、理解できるのかなあー。
<2018.12.1> 日本国民に政治を正す力はあるのだろうか?
10月24日、臨時国会が開かれた。安倍首相は演説で、「常に民意の存するところを考察すべし」と言うが、言葉だけで民意に反して強行採決してきた数々の法律(安全保障関連法、共謀罪法、働き方関連法、カジノ整備法、衆議院定数6増法など)に対する自省力は皆無で、内閣支持率が下がらないことをいいことに世界に誇れる憲法を壊そうとしている。
本来憲法改正は国民が望むべきときに行うべきだが、立憲主義(憲法は、権力を縛るもので、第一義に権力者が守るべきもの)を理解できない安倍首相は、改憲発議に向けて猛進。野党に「対案を示せ」と言うだろうが、安倍一狂政権に対する対案は、「今の憲法を守れ!」と「ほとんどの憲法学者が違憲指摘した集団的自衛権行使を含む安保関連法を廃棄にすべし」、である。
沖仲仕哲学者エリック・ホッファー(1902‐1983)の『波止場日記』の二日目(六月二日)に、「フランスの危機(多分1929年のアメリカで発生した恐慌が遅れて波及した1932-1936年の政治的、経済的・財政的危機)について、専門家の分析や診断はあまりさえなかった。専門家より一般の人たちの方が、良い判断をしている」とある。専門家はその道に詳しいだけに、その知識に縛られ物事の判断が浅くなるのが普通らしい。
また、『哲学の使い方』(鷲田清一著)にも中井久夫(医学博士/精神分裂病)の言葉として「日本人は普通の人がえらい」というくだりがあり、「(日本は)市井(しせい)にいる『普通の人』の能力が高いので、リーダーに無能な人が就いてもそれなりにやって行ける社会だ」という。
この考えによれば、国家国民のためではなく、権力と金銭への執着とただ政界での駆け引きに長けているだけの政治家たちの下でも、日本社会が曲りなりにもやってこられたのは、政治家より正しい判断のできる国民がいたからなのだ。
だが今は違う。
ただの無能ならいいが、狡猾(こうかつ)で倫理観欠如、憲法違反の集団的自衛権行使を含む安保法制を強行採決し国民(自衛官)の命と財産(税金を軍備に際限なく使う)を奪う、この国を戦争に向かわせようとする狂信的な安倍首相に、自民党と自民党員は三年先までの総裁任期を与えた。
一方40%を超える国民が、権力の暴走を縛る立憲主義を理解できない無知なる安倍自公政権によって、国家の基軸である国民主権と平和憲法(戦争放棄)はもとより基本的人権さえもが破壊されつつあり、戦後最大の危機にあるのに、事の重大性と善悪の判断ができずに、安倍一狂内閣を支持している。“目を覚ませ!そして考えよ!”だ。
このような政権を野放しにしていては、憲法で定められた「国民主権」、「基本的人権の尊重」はもとより、「平和主義」さえ壊され、日本社会は取り返しのつかない状態になってしまうだろう。
プラトンではないが、いまほど、“人として何が正しいか?”で政治を行う真のリーダーの出現が望まれる時代はないのではないだろうか。真のリーダー探しの第一歩として、9月30日に行われた沖縄県知事選と那覇市長選で沖縄県民が示した“自公推薦候補の落選”を、来年の統一地方選と参議院選でも実現することだと思う。
異様な政権を葬り、まともな社会を取り戻すために、正義と良心の欠片(かけら)もない権力(官邸)と金銭に執着した自民党議員たちを政界からの追放する“自民党議員の落選運動”と“自公推薦候補の落選運動”を全国規模で展開しよう!!!
<2018.11.15> すべての国民に問いたい。“こんな安倍政権”でいいの?
下記のように、民主主義、憲法を無視し続ける安倍政権をなぜ支持するの?
事故が起きたら人間はただ逃げるだけの、命と国土を奪う原発は、「人を殺してはいけない、嘘をついてはいけない」と同じで、「理屈抜きの悪」であり、止めるべきである。そうすれば時間もお金も無駄にする馬鹿げた避難訓練などしなくて済む。なぜ国民は司法をも従えて再稼働を推し進める安倍政権を支持するのか。
どうしたら再稼働できるかを検討する原子力規制委員会も、政府の意向に沿って再稼動を認める司法もいらない。本当に原発が必要で、安全なら通産省と官邸の隣に新設すればいい。
さすがに来年の参院選に勝てないと思ったのか、自民党内の「再生可能エネルギー普及拡大議員連盟(2016年設立)」のメンバーが100人を超えたようだ。原発の早期再稼動を求めながらの欺瞞(ぎまん)に満ちた活動。顧問にあの麻生財務相、菅官房長官、二階幹事長が名を連ねており胡散(うさん)臭い。これは姑息な選挙対策に違いない。
歴史に汚名を残す安倍首相とその友たち(権力の私物化)――昭恵夫人は、名誉校長をしていた森友学園のために、自身の秘書を使って国有地を破格の値段での払い下げを実現した。「関与していたら首相も議員も辞める」から逃れるため、秘書(谷査恵子(さえこ)氏)をイタリア大使館に栄転させ、夫と共に、1回2億円近くかかる税金を使って外遊。公文書の改竄(かいざん)を部下に指示し国会で偽証を繰り返した当時の理財局長・佐川宣寿(のぶひさ)は、適材適所として国税庁長官に栄転(国民の不正申告を容認?と思ったら、改竄を強要された職員が自殺者した二日後に辞任)。
該当省庁である財務省のトップ麻生大臣は、責任も取らず居座り、第4次安倍内閣で留任。モリカケ問題では、安倍首相のウソを取り繕う(とりつくろう)多くの政治家・官僚が出たが、憲法違反の集団的自衛権行使を決めた閣僚に加え、この人たちも間違いなく、歴史に汚名が記録されるだろう。
朝鮮半島の緊張緩和が進む中、トランプの言いなりのままに米国製兵器を爆買いする安倍政権。防衛費がこの6年間急増しているようだ。14年度に5兆円(当初予算+補正予算)を突破し、本来ならば、災害対応などのための補正予算を兵器購入に充て、ついに兵器ローン残高は、今まで(2012年度まで3兆円前後)の倍近くになり5兆3千億円を超え、さらに増加する兆し。
既に核保有国以外では最強の軍事力を誇る日本が、安倍政権の下、専守防衛を超える攻撃的な武器装備にひた走る。この暴走アベ政権を止めるのは国民なのだが…
来年消費増税が行われる。消費増税10%を決めた時、与野党が国民に約束した「身を切る改革(議員定数の削減)と行政の無駄削除、社会保障と税の一体化」は、国会議員が6人増え、消費税増の財政再建分は幼児教育・保育の無料化に変質。案の定約束は反故(ほご)にされた。しかし、日本国民は、嘘つき内閣に寛容なのである。
11月9日、会計監査院が税金の無駄遣い1156億円(2017年度)の検査報告をした。過去十年間で二番目に少ないとのことだが、憲法で内閣とは独立した組織とは言え、日本は安倍政権への忖度横行社会にあり、信用できない。
オリンピック関連の国の支出(税金)は、当初1500億円とされていたが便乗支出などで、過去5年間で8千億円を超えた。このお金を被災地の救済・復興に使うべきではないだろうか。因みに、組織委、東京都の負担分を合わせると総額3兆円を超える大会になる。
財政再建は待ったなしで、消費増税の必要性を国民に説いてきたのに、消費増税は、際限のなく増える軍事費や議員定数増などの無駄遣いを補填するためとしか思えない状況にある。
世界の国々(57ヶ国・地域が署名、批准作業管量は6ヶ国/2018.3.21国連)が「核なき世界」を目指し、核廃絶に向けて批准する中、唯一の被爆国でありながら核兵器の保有や使用を全面的に禁止する核禁止条約に署名せず、まともな国から署名を促されるが拒否し続けている日本。こんな異様な国に何も期待するはずはないのに、安倍首相は、世界を俯瞰するといいつつ、外遊を重ねるが、国内と同じく、一向に世界中から信頼は得られず、国際社会での発言力は弱い。ただ税金の無駄遣い(外遊)を続けているだけだ。
沖縄の辺野古新基地は、将来にわたる沖縄県人の犠牲(過剰な負担)の固定化であり、新基地建設反対の民意は明らかなのに有無を言わせず工事を続行(埋め立て承認を撤回した県に対し、防衛省が同じ政府機関の国交省に、国民の権利救済目的の行政不服審査請求を悪用して、工事再開)。法治国家とは思えない。これが安倍首相のいうところの「法の支配」なのか。
本土の人たちは安倍政権の沖縄への理不尽な対応に何を感じているのだろうか。本土の沖縄への思いを伝えるためにも安倍内閣の不支持率を上げる必要がある。
10月24日から始まった臨時国会の最大の与野党対決法案である“外国人材拡大法案“(現在認めている高度人材だけでなく、ごまかしてやらせている研修生や実習生の単純労働も可能にする)について、11月13日のNHK時論公論で論点整理と解説(竹田忠解説委員)があった。この法案の必要性(今から20年後に労働人口が1000万人弱減少し、深刻な人手不足になり社会を支える税金や社会保障への影響大)から政府は来年4月からの施行を目指して、改正法案を今国会で成立させようとしているが、日本の将来を大きく左右することになる転換点というべきテーマであり、十分議論を尽くすべきとしている。
しかし安倍政権は、日本の雇用への影響や受け入れ態勢(地域、学校など)など内容(制度設計)が不鮮明のまま、すなわち国会での議論を避けて成立しようとしている。特に、前提としている現行の技能実習制度の問題(海外への技術移転=国際貢献が本来の目的だが、実態は、単純労働で、低賃金労働)――厚生労働省によると、7割の職場で法律違反、賃金不払い、違法残業、暴力や虐待など人権侵害、多数の失踪者(7000人超の実習生/2017年度)――は、アメリカの国務省に「日本では強制労働が行われている」と毎年指摘されており、まず現行制度の問題を解消し、その上であらゆる角度(納税、子どもの教育、年金や健保などの社会保障など)から環境整備を行わなければならない。
この法案は、経団連が望む人件費の削減(含む、日本人)や他国でも見られるように職の取り合いにもなる将来の日本社会を左右する重要法案であり、社会全体への影響など広範かつ慎重に審議する必要がある。
意味を知っているのか疑わしいが「民 信(しん)なくば立たず」(論語由来の格言)をよく使う安倍首相。 内閣支持率世論調査で、安倍内閣不支持理由のトップは「人柄が信頼できない」(政府に不都合な報道を控えるNHKの調査でさえ、42%が不支持の理由にあげている/11月3日)であり、意味を知っているなら、即刻辞任すべきだ。
<2018.11.1> 私事:金銭的小事件だが心問題の「自動車事故対応」を終えて
そろそろ2年近くになるが、ガソリン・スタンドで衝突され、多重被害(ぶつけられた上に、加害者の開き直りにより、相手の車の修理費の2割の支払いを迫られた)を被った怒りの自動車事故対応が、10月初旬に一応の解決に達した。当初は開き直る加害者の理不尽さに憤りを感じたが、相手はサイコパスなので責めても無意味であり、社会の乱れに繋がる人心の荒廃を阻止する方向に転換し、事故対応の流れを楽しみながら進めてきた結果報告です。今後、同様の被害を被る石頭団塊団の皆さまの相談に乗ります。
<事故の経緯と和解までの状況>一昨年12月初旬。ガソリン・スタンド内で、当方のスタンドへの進入路に、給油し終わった車がバックで急ハン侵入され、急ブレーキをかけたが間に合わず衝突。被害者、加害者共に保険会社は、東京海上。
事故直後、加害者は「見えなかった」(後日、頸椎損傷で首が回らず通院中が判明) 「いくらか払うから、それで済ませられないか?」と発言(後日「そんなことは言ってない」と平気でウソをつく)、と同時に保険代理店に電話。当日、保険会社(東京海上)も「停車条件の5秒以上停車のルール」に関わらず加害者の全面的過失と言っていたが、翌日加害者が豹変?東京海上が加害者説得のために使うと暗示した調査会社結果(被害者にも20%の過失割合)により縺(もつ)れ、東京海上(加害者側担当者)は当方に裁判を勧める。
裁判になれば、当方の無過失の可能性が下がり(この種の裁判の通例?)、加害者の修理費を支払いすることになりかねず、東京海上と交渉を重ねた結果、東京海上が事故当初の対応不備を認め、加害者の100%責任に向けて説得を開始したが、1年強経過後も説得できずにデッドロック状態が続いていた。
<結果>加害者の修理代を支払う可能性のある裁判を避け、道義的な判断を期待して、当方の担当者から勧められた、そんぽADR(裁判外紛争解決手続き)を利用。ここで、東京海上が提出した事故分析(被害者に2割の過失ありとする唯一の客観的根拠)が誤りであることが判明。ただし、東京海上は、この重大性を認識する能力に欠け謝罪もせず、平然としている(普通の企業ならありえない)。
和解案の根拠は明らかにされなかったが、9-1または9-0を提示された。当方は、加害者の車の修理は一銭たりとも払いたくないので、9-0を選択。後日、加害者が訴訟を起こす可能性は残るが、そうなれば裁判で良心を呼び戻させたい「人間の証明」。ただし、加害者の修理費は4万円(バンパー)なので、4000円のためには普通の人間なら訴訟を起こさないだろう、と思う。以上が終結内容だが、結局は、保険会社(東京海上)が利を得た(修理費支払いを1割値切った)だけだった。
ネットを見ると、どの保険会社も似たり寄ったりかもしれないが、東京海上について以下の評判書き込みがある。
仕事が遅くていい加減。不払いがとにかく多い。
取締役からして全然ダメ。役員や従業員の報酬が高すぎでは。<だから、今回のように保険料を減らすことだけに注力?>
過失割合の審査がでたらめ。<これは今回の事故分析でも明らか>
詐欺師かと訴えたいほど、手口が汚く、人事も教育も無責任極まりない。このような企業が日本一とは唖然とする。<担当者が平気でウソをつく>
話し合いもそこそこにクレームをつけると、弁護士に一任。その後は当然連絡一切なし。最低な会社 。<今回、裁判をしつこく催促>
加害者の味方、被害者の敵。この会社に加入した車には絶対当てられたくありません。
<保険料の値引き=利益優先を体験>
51名の評判があり、〇は8名だけで×が43名の8勝43敗と大苦戦です。オススメできる保険会社ではありません。
というところからも、東京海上火災さんの評判もよくありません。
なお、当方の修理代は30万円。金銭的には、小事件。知り合いの弁護士曰く、「日本には、アメリカのような(行為を戒(いまし)めるための)『懲罰的賠償』の考え方がないので、裁判でも被害者の損害の認定は、かなり保守的に認定され、懲らしめの形の賠償は期待できません。(中略)被害者のイライラは募るばかりかもね。美空ひばりの「柔」の一節に『ばーかぁを相手ぇの時ぃじゃあなぁい』というのがありましたが、その一節でも歌って気を静めてください。我が国で事故にあったときの、精神安定法です」と。しかし、心の問題であり、このような被害者が少なくなるように、立ち向かった結果が私事ですが今回の報告です。ウソを平気でつく人間と企業の不条理にも遭遇したが、十分楽しませて頂いた。「多重被害者救援の会(仮説)」を立ち上げるなど、もう少し楽しんで見たい気がしています。
以下が今自動車事故での石頭団塊団の取り組みの基本的考えです。
「民事交通訴訟における過失相殺率(過失割合)の認定基準がもたらす社会の不条理
~人心の荒廃~」・・・NHKの「クローズアップ現代+(プラス)」的社会問題!
近年、自動車事故の加害者の居直り(人間性喪失)あるいは加害者側代理店の教唆(きょうさ)によって、被害者が更なる被害――ぶつけられた上に、理不尽な居直り行為への怒りと精神的苦痛、加害者の車の修理代負担――を強いられる被害の累積化という社会問題が増加しています。
この累積被害者の訴えの増加*1に加え、被害者が泣き寝入りしているケースが増えているようです。増加の原因は、保険会社(東京海上日動)によると、車両保険に弁護士特約が加わったこと、と言うが、それだけではないと思われる。
もうひとつの増加要因として、民事交通訴訟における過失相殺率(過失割合)の認定基準――明らかに加害者の全面的過失による事故(対向車線への飛び出し)であっても、被害者にも数10%の過失がある――の悪用があると思われる。自分の過失によって相手に迷惑をかけたにもかかわらず、加害者側(加害者、保険会社、代理店)が、利(加害車の修理代を被害者に負担させる)のために、「認定基準」を悪用し「被害者にも過失がある」と迫る。
哲学者・池田晶子は、すべての人間は、善悪を分かっているが、損得が絡むとほとんどの人間が私利で動く、という。この人間の心の弱さにつけ込み、保険代理店あるいは保険会社が自社の利(保険支払い減額)のために、加害者をそそのかし利用する。それによって悪い心になった加害者は「人をだましたり、人を蹴落としたり、ずるいことをしながら、とにかく自分だけは生きてゆければいいと思ってしまい、よい人生を生きることができなくなる。そして、よって世の中全体が悪いことになってゆく」(『14歳の君へ』池田晶子)。
本来なら、“自分が悪かったゴメン“の世界なのだが、東京海上日動の「過失相殺率の認定基準」の悪用が、人間のこころの腐敗および看過できない社会問題をもたらしている。これは「豊かで快適な社会生活の発展に貢献する」という経営理念やトップメッセ―ジ、さらには創始相談役・渋沢栄一の「道徳合一説(道徳あっての利)」に反し、松下幸之助の「会社の存在が人々の共同生活にプラスにならないのであれば解散したほうがいい」に値する
この対応が保険会社の“お客さま第一主義”ならば、”間違ったお客様第一主義”だと思う。東京海上同士なのに、判断責任を放棄し、こんな理不尽なこと起こすとは!「企業人である前に社会構成員であり、人間である」。損得ではなく、“人として正しいかどうか”で事に臨み、たとえ加害者が居直っても、それを諫(いさ)め止めさせるべきではないだろうか。
加害者が同じ過ちを二度と繰り返さないために、累積被害者を増やさないために、人心の荒廃を誘発させ人間社会をギクシャクしたものに変質させていく保険会社および代理店の「過失相殺率の認定基準」の悪用を止めさせるために、賛同者を募り行動を起こしたい。
*1 最新の別冊判例タイムズ38の東京地裁交通部の新受事件数(簡易裁判の判決に対する控訴事件を含む)統計:1369件/平成20年、1477件/平成21年、1485件/平成22年、1593件/平成23年、1778件/平成24年、1846年/平成25年。ここ数年の増加は顕著。
<2018.10.15> 自民党議員はなぜ「安倍一狂」に従う?
権力の暴走を縛るための概念「立憲主義」を解さず、集団的自衛権を憲法違反として認めてこなかった常識ある歴代の首相とは段違いに無知な安倍首相は、「法の支配」という言葉の意味を知っているのか知らないのか、ほとんどすべての憲法学者が違憲とする集団的自衛権行使容認を含む安保法制や憲法第15条の②「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」違反の友だち優遇のモリカケ事件、第53条の「いずれかの議員の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」違反。第99条の【憲法尊重擁護の義務】「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」を無視し続けてきた異様な政治を行う戦後最低最悪の首相・安倍晋三を安倍首相の出身派閥・細田派を始め、非常識な麻生太郎率いる麻生派、二階派、そして岸田派、石原派が支持し、3選が決まった。
失望したのは安倍首相と政権運営は違うといいながらの安倍支持を決めた岸田氏だ。安倍支持によって、政治家としての価値はもとより、人間としての価値を落とした。
本題の自民党議員は“なぜ異様な安倍首相に従うのか?”だが、まず言えることは、安倍一強下での自己保身。憲法違反の安保法制や共謀罪、参議院定数6増法案、カジノ法案など民意に反する法案を強行採決し、モリカケ問題での政官の不誠実な対応や省庁が起こす多くの不祥事にほとんどの国民が怒らない――内閣支持率が下がらない――から、自民党公認をもらいたくて安倍内閣に従うのだろう。
早世の哲学者・池田晶子は、「実は人は、善悪を『知っている』。自分がしていることが善いことか悪いことかを知っているのである」(『知ることより考えること』)という。安倍政権に従う者の中で、虎の威を借りて、ただ威張りたいだけの者もいるだろうが、ほとんどの議員は、善悪を知っている人間だと思う。倫理観欠如の安倍首相に従っては、あまりに人間として恥ずかしく、情けない。自己否定にさえなる。そこをどのように帳尻を合わせ、自己否定を回避しているのか、元参議院議員の田村耕太郎氏の『頭にきてもアホとは戦うな!』にあった(見つけた)。
田村氏の人となりは知らないが、著書に「(親切にもアホを是正しようと思っても)残念ながら、すでにいい年になったこういう人物を正すのは不可能である いくら見事に論破しても、こういうアホたちが自分の考えを変えるとは思いにくい。美しく論破されたら、あなたに対する恨みが増すだけだろう。次は姑息な手を使ってでもリベンジしてくるかもしれない。(中略)被害者意識を持ちながらあなたを憎むことだろう」とある。
だから、アホを相手にするのは時間の無駄で、「“自分がコントロールできることだけに時間もエネルギーも集中するべき”だ」とある。ここまでは、石頭団塊団も同意する。
ここからが倫理観のない安倍首相に従うことの正当化なのだが、「力にすり寄るのは汚いことか」の項に、「(議員をやっていて)結局、本当にやりたいことを実現するためには組織を動かすことが必要で、そのために権力を手に入れないとできないということを実感し、権力者に逆らったり嫌われたりしたらいい仕事はできない。思想・信条がいかに合う人がいても、その人に力がなければ組織の中で目指すことを実現できる可能性は低い。だとしたら、自分の仕事の価値や意義を向上させてくれる力を持った人の傘下に入るべきだ」とある。倫理観欠如の安倍政権に従うことの理由付けをしている。
また、「与党の中にも『武士は食わねど高楊枝(たかようじ)』を気取る野武士風の先輩がいた。その信念ある自由人のような雰囲気にあこがれた時期もあったが、その人が何も成し得ないことに気づきやはり権力者に対してうまく振る舞うのは『過程』として大事なことだと思った。
うまく立ち回る人は、実はとても努力をしている。気に入れられる準備をしているのだ。権力者はすり寄られるのには慣れているので、普通のすり寄り方では認められない。人に呆れられるくらい忠誠を誓って初めて『愛(う)い奴じゃ』となるのだ」と権力者に認められる方法を伝授。
さらに、「ここまでやることを恥ずかしいと思うか、それとも潔(いさぎよ)いと思うか。ここが運命の分かれ道だ。私は、以前は前者(野武士風の自由人)だったが、政界を離れて振り返ってみると、相手を持ち上げるために頑張る姿勢は潔いと思えるようになった。やりたいことがあって、やれるチャンスが来たら、他人にどう思われようが、そんなチャンスをくれる人に徹底的に忠誠を誓って権力を手に入れようとするのは、汚いことでも、ずるいことでもなく、潔いことだと思う。
そこまでやるのが“本気”ということなのだ。それを『格好悪い』とか『汚い』とかあざ笑ったり忌(い)み嫌(きら)って批判したりしている人たちの気持ちはわかるが、そういう人たちにこそ『本気でやりたいことを実現させようという気があるのか?』」とある。
自民党には、倫理観欠如の異様な安倍政権に随(したが)うことを良しとしない人物もわずかながらいるが、このような人は、「無頼漢は楽だが損」、と田村氏は言う。やはり損得判断――政権に歯向かえば、公認はもらえないし、選挙に有利に働く大臣などの要職(知名度アップ)にもありつけない――。
「この世は不条理であり、正義や義理は大事だが、それを純粋無垢なまま鵜呑みにして行動していては、たった一度の奇跡のような人生を満足する形で使い切ることはできない」とも言う。田村氏を含め自民党議員の中で、どれほど自分の成し遂げたいこと行った人物がいるのだろうか。正義を捨てて、権力にすり寄ることで、たった一度の人生が満足したものになるのだろうか。異様な安倍政権の片棒を担ぐだけではないのか。
『若者のための政治マニュアル』に、「今政治家に求められるのは、生身の人間の苦しみや悩みを理解し、それを政治の場に伝えることである。(中略)人々が何に苦しんでいるのか、どのような助けを必要としているかを知ることは、政治の原点である」がある。
これにことごとく反し、権勢欲に冒されて民衆の苦しみが見えなくなった安倍首相を長期政権化させているのは、強者に擦り寄り横暴に振る舞うことが好きな人間と田村氏のように異様な安倍政権に従うことを屁理屈で正当化している自民党議員たち(安倍を支持した約8割の自民党議員)なのだ。その人たち選び、異様な安倍政権を40%超の支持率で支えているのが善悪の分からない愚民。情けない限りである。
あまりに次元が違うので比べてはいけないが、京セラ創業者の稲盛和夫氏は『生き方』で、「『この世へ何をしにきたのか』と問われたら、迷いもなく、生まれた時より少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答える。俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦(う)まず弛まず一生懸命生きていく。人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも高い次元の魂をもってこの世を去っていく。これが人間が生きる目的」、という。
田村氏の勧める権力に擦り寄る生き方とどちらが満たされた人生と言えるだろうか。田村氏著の『頭にきてもアホとは戦うな!』の帯に、発行部数50万部超えとあったが、田村氏に倣(なら)い権力に擦り寄る人間が増えないことを願う。
<2018.10.1> 戦後最低最悪の安倍総裁を三選させた自民党、沖縄県知事選で凋落の兆し
20日に、安倍氏の自民党総裁の三選が決まった。安倍氏は、「自由民主党の精神であるすべての国民のため、これから一致協力して力をあわせ新しい日本をつくっていこうではりませんか」というが、冗談ではない。我が石頭団塊団には、「安倍一狂の精神であるすべての友だちのため、これからも一致協力して力をあわせ安倍一狂(いっきょう)国家をつくっていこうではありませんか」と、聞こえる。
先の自民党総裁選で、国民の1%に満たない自民党員・党友の約55%と前ブログで報告した権力に従う自民党議員の約81%によって安倍氏が総裁に選ばれてしまった――わが国では立憲主義を解さず憲法を無視し、平気でウソをつく人間でも、総理大臣になってしまう。しかも異例の長期政権(来年11月に歴代内閣で最長)に――。
これによって、国民の多数から選ばれたわけではないのに、「安倍一狂(いっきょう)政権」が続くことになった。
NHK・BS「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル」(2018.7.15)で、哲学者・国分功一郎氏の「日本だと“民主主義とは多数決である”という通念がある」に対し、ガブリエル氏は「倫理の土台がなければ、多数決は無意味です。人々の95%が賛成したからといって、ユダヤ人を殺すわけにはいかないよね」と応じた。
さらに「今日本で役人が書類を書き換えたりして、話題になっている。あんまり大衆が怒っていない」との国分氏の問いかけに、ガブリエル氏は、「人間の尊厳は譲れない権利だ。これはドイツ憲法の最初の一文です。第二次世界大戦の後、この憲法を作ったのです。『権力をどう制限できるか』を考えました。倫理による法の支配を土台に置くべきとしたのです。倫理の土台がなければ、権力は無制限に暴走します」と応じる。
これに倣(なら)うと安倍内閣の暴走は、倫理観欠如とそれを許している倫理を軽んじる国民の資質から来ていることになる。
ただ、安倍政権を支持しない理由の一番が、「首相の人柄が信頼できない」にあり、国民の資質(倫理観)も捨てたものではなさそうでもある。今後この比率の伸長に注視したい。
いずれにせよ、一度でいいから、安倍首相に「倫理による法の支配」という言葉を言わせてみたいものだ。
自民党党員・党友による今総裁選で、10県で石破氏が安倍氏に勝った。得票率で見れば、鳥取95%(石破氏地元)、島根77%、高知72%、山形58%、茨城58%、徳島58%、宮崎58%、三重55%、群馬54%、富山53%。石頭団塊団は、この10県の党員は、まともなのだろう。反対に、安倍氏が勝利した次のベスト3県――山口88%(安倍氏地元)、和歌山81%、広島71%――は、異常です。ただ、基地問題を抱える沖縄と原発事故の福島の安倍氏投票率が、それぞれ62%、54%と石破氏を上回っているのが、自民党員の投票結果とは言え、大いに気になる。
そして昨日(30日)、沖縄県知事選の投開票があった。将来「アベ一狂(いっきょう)」に別れを告げる前兆ともいえる石頭団塊団が望む結果――安倍政権が支援し、自公、維新、希望が推薦する前宜野湾(ぎのわん)市長・佐喜眞(さきま)氏を翁長(おなが)雄志(たけし)前知事の遺志を継ぐ玉城(たまき)デニー氏が過去最多の得票で破った。玉城氏の得票率55%(39.6万票)、佐喜眞氏得票率44%(31.6万票)――が出た。非情な安倍政権に対する沖縄人の心の強さを感じたと同時に本土の人間の無関心への反省を強くした。ただ重要な意味を持つ選挙にしては、投票率は低く63.2%だった。国際社会からの日本人のマイナス評価――マックの値段は気にするが政治に無関心――が定着してきているのが恥ずかしい限りだ。
いずれにしても異様な安倍政治が続くことになったが、これでよかったのかもしれない。「人柄が信頼できない」安倍首相の政権が続くことで、来年の統一地方選そして参議院選挙での大敗が期待できる。
国民はガブリエル氏の「倫理の土台がなければ、多数決は無意味です。人々の95%が賛成したからといって、ユダヤ人を殺すわけにはいかないよね」を肝に銘じ、立憲主義を解させず、憲法違反を繰り返す、沖縄の基地問題をはじめ、中国の東シナ海進出など度々「法の支配」を口にする、安倍内閣の反人道的政治を厳しくチェックし、怒らなければならない。これは次世代に対する今を生きる者の義務であると同時に、善悪混在の社会は、自分の人間性を鍛える好機である。
平気でウソをつき、ウソがバレると開き直り議論を避け、強行採決をする安倍政権がこれからも続くことは、反面教師としての格好の教材が続くことを意味する。安倍政権の言行を、良心に照らし、自らの考えを巡らそう。
<2018.9.15> 自民党総裁選で自民党員の資質が分かる
憲法9条違反の集団的自衛権行使容認の安保関連法を始め、民意を無視した数々のルールづくり(共謀罪、高度プロフェッショナル制度、カジノ法案、参議院定数の6増など)を数の力で強行採決してきた安倍捏造首相と石破茂元幹事長の一騎打ちになった自民党総裁選投票が20日に行われる。
7月末、早々と岸田さんは出馬を断念し、次を狙うために、安倍氏支持を表明した。倫理観も何もない異常な政権運営をする安倍首相への支持表明は、岸田さんの政治家としての価値を下げただけでなく、人間としての価値を下げた。
また、国民感覚に近い発言で、自民党を内部から批判して人気を博している、将来の総裁候補・自民党筆頭副幹事長の小泉進次郎氏は、参議院定数の6増法案で、「国民をなめてはいけない」と政権批判をしていたが、賛成票を投じる言行不一致。また、「(森友・加計(かけ)問題やスーパーコンピューター開発の助成金詐欺事件では)与党は野党の質問に対して、真摯(しんし)に答えていくのが務めだと思う。まあ、将来的な国会のあり方をイメージすると、何度も同じような質問が繰り返される時は人工知能ではじいてほしいな、と。そういう人工知能の活用とか、未来の国会のあり方、やれることはいっぱいある」(国会内で記者団に向けて)とも言うが、何度も同じ質問をするのは、安倍内閣が質問をはぐらかし、まともに答えないからで、まともに答えるまでNGを出す人工知能の活用が真っ先に必要なのではないだろうか。
結局は、小泉進次郎氏も、あの憲法違反の安保関連法に賛成票を投じ、安倍内閣を支える自民党の一議員であり、単なる自民党の客寄せパンダなのかも知れない。次の次の総裁と言われているが、どうも胡散(うさん)臭い。見極めが必要だと思う。
20日投票の総裁選(リーダー選び)に当たって…
『ガリバー旅行記』に、「どんな地位にせよ、誰かを任命するときには、能力の高さよりも品性の正しさを重視する。(中略)徳義が欠けていたら、それは優れた才能などで補いようがないのだから、たとえどれほど身分が高くとも、そんな危険な人物を公の地位に就けてしまってはならない」とある。品性で判断すれば、政治と行政ばかりでなく民主的ルールの破壊、道義心の無さなどから安倍晋三(捏造)は、選ばれないはずだが、セクハラ発言を擁護する麻生副総理や「子供を作らないことは、生産性がない」という杉田水脈(みお)議員ら品位の欠片(かけら)もない自民党議員たちは、案の定85%以上が道義心のない安倍捏造氏を支持しているようだ。
総裁選に向けて、安倍氏は「新たな任期に挑戦する。この機会にさまざまなご批判を真摯(しんし)に受け止めながら自らを顧(かえり)みて、改めるべき点は、しっかりと改め、謙虚に、そして丁寧に政権運営を行ってまいりたい」という、アンダーラインの言葉をこれまで何度聞いたことか。意味が分からなくなってしまう。これに対し石破氏は「自由闊達に真実を語り、そしてあらゆる組織と協議し、国会を誠実に公正に運営し政府を謙虚に機能させる。私は何者も恐れない。ただただ国民のみを恐れ、この選挙を戦ってまいります」と言い、平気でウソをつく政府と恐れと保身からウソをつく自民党議員・官僚を批判し、本当の保守を目指そうとしているようだ。
また、水増した改定GDP値で成長を誇示し、団塊世代の退職や人口減少から来る有効求人倍率の1超えを過去最高と誇示する安倍氏に対し、石破氏は「働く人たちの所得は上がったのだろうか。企業の稼ぎから働く人に回る労働分配率は43振りに最低の水準に下がった。企業の収益を上げることと一人一人に所得が回るのは別問題です」といい、アベノミクスのミスを指摘。
憲法改正については、「憲法をしっかりと日本の平和と独立を守ること『自衛隊』と書き込んで私たちの使命を果たしていこうではありません」と、戦争を始める人が常に使う言葉「平和」を使い、さらには、憲法違反の他国への武力行使(集団的自衛権行使)を日本の国会に提案する前に、米国議会で約束したり、米国が言うままの武器購入、そしてドイツやイタリアが自国の法を優先しているのに、不公平な日米地位協定を黙認・継続。これが“独立”と言えるのだろうか?その安倍氏に対し、石破氏は「(憲法改正は国民の深い理解が必要として)必要なもの、急ぐものからやらせていただきます」という。
『「考える頭」のつくり方』には、「本来は、人間としてどちらがすぐれているかで選ぶには、そうとうな判断力が必要で、それがないとほんとうの民主主義は育たない」とある。
安倍首相と石破元幹事長、人間としてどちらが優れているかだが、安倍政権の5年半強は、憲法違反(集団的自衛権の行使容認)やウソの連発(集団的自衛権行使容認や高度プロフェッショナル制度などの立法事実の捏造とモリカケに見られるウソなど)、そして民意を無視し自分勝手なルールづくり(参議院定数の6増)など数々の目を覆いたくなるほどの反倫理的な愚行をしてきた。
「言葉を信じるな、信じられるのは行動だけだ」(ポラスの原則)――言葉ではなく、行動にその人間の性格と人格が現れる――を基に判断すれば、安倍晋三氏は、信じられる行動(5年半強の実績)があまりに酷(ひど)い。
今日本は“誰が次のリーダーになっても安倍よりはましだ!”状態にあり、民主主義を育てるために、否、安倍内閣によって壊されつつある民主主義を救うためにも、ここは言葉だけではあるが、「透明・公平・公正な政治・行政」「謙虚で正直で国民の思いに近い政治」などを公約に掲げる「正直・公正」の石破氏を選ぶしかないと思う。
前述した「誰かを任命するときには、品性の正しさを重視」が自民党員に出来るかどうで、今選挙で、自民党員(約106万人)の常識と人間性が問われている。
<2018.9.1> “ボーっと生きてんじゃねーよ! ”
今春からレギュラー番組になったNHKの「チコちゃんに叱(しか)られる」が面白い。
8月15日「終戦の日」、2001年の小泉首相以来、時の首相は、わが国のアジア諸国への加害責任を認め、加害と反省の意を表してきたが、心を持たない安倍首相は2013年以降言及を止め、今年も「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」と述べながら、そっぽを向いている。
また、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」といいながら、積極的平和主義として、「平和を唱えるだけで平和を実現することはできない」として軍備強化を進め、憲法違反の集団的自衛権を含む安保法制を強行採決し、海外での武力行使(戦争の出来る国へ)を可能にした。さらに、「わが国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた」と9条によってもたらされた平和、その9条を壊す改憲をやろうとしている。
「平和のために戦う」は、多くの為政者が戦争始める常套句であり、何の罪もない多くの市民の命を奪う戦争をすることなのに、国民は“平和”という言葉がつくだけで騙(だま)される。あのヒトラーも「平和はわれわれの最も貴重な財宝である/1937年2月1日の演説」(『危機の二十年』)と“平和”を口にする。異様な安倍首相が“平和”を口にしたら、真っ先に疑わなければならない。平和とは違う方向に進むことなのだと。
8月26日、安倍首相は、「あと三年、内閣総理大臣として日本の舵取りを担う決意だ」と、自民党総裁選への出馬表明(3選)をした。「新たな国造りを進める先頭に立つ決意」とも語り、2019年の夏の参議院選挙で憲法改正発議に必要な三分の二を割り込む前に国民投票を終え、2020年の新憲法施行を目指す考えを示した。
改憲の柱は、9条の改憲――条一項(戦争放棄)と二項(戦力不保持)をそのままにして、自衛隊を明記する――にあり、9条の空文化、すなわち日本を戦争の出来る国に変えることなのだ。
安倍首相は、「自衛隊の明記は、自衛隊の違憲論争に終止符を打つためだ」と言うが、それを言うなら、ほとんどの憲法学者が違憲と指摘し、大規模な国会前デモの中、2015年9月19日に強行採決をした集団的自衛権行使を含む安保法制をまず廃案にすべきではないか。左様に、安倍首相の頭は狂っている。まさに「安倍一狂」。
安倍政権のこの5年半は、憲法を無視し、民意に反する数々のルールづくり(安保関連法、特定秘密保護法、共謀罪など)や立法事実(法案の必要性)のない法案を、野党の質問をはぐらかし、強行採決(高度プロフェッショナル制度など。さすがにデータ捏造した裁量労働制は取り下げた)をする。そして、友だち優遇の不公平政治――森友問題では、「私や妻の関与があれば首相も議員も辞めると断言したが、匿(かくま)い続けた昭恵夫人の関与は明らかなのに辞めない――など、ウソで国民をだまし、「不祥事には指摘があれば、丁寧に説明責任を果たす」といいながら逃げ回る。“丁寧”や“真摯に”など日本語も理解できず呆れたコメントを繰り返し、国民が忘れるまで待つ。治しようのない心の病に冒された、異様な安倍首相は、戦後最低最悪の首相であることは間違いない。
緊急出版された国会最終日(7月20日)の内閣不信任案決議の趣旨弁明演説本『枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』を読むと、安倍政権が戦後最低最悪の政権であることがよく分かる。これをあと3年も続けられたらたまらない。
安倍首相の言う“新たな国”とは、都合のよいルール作りを進め、国民を意のままに操ることのできる国造りなのだろう。それは、国民から自由と生活を奪うことになる。
そこで、「チコちゃんに叱られる」よろしく、石頭団塊団は、“今こそすべての日本国民に問います” 「なぜこんな安倍晋三(捏造)率(ひき)いる安倍一狂内閣を支持しているのか」
そして、“今こそすべての安倍内閣支持者および安倍首相を囲んで恥ずかしくもなく、はしゃいでいる人たちに言います”・・・“ボーっと生きてんじゃねーよ!”
<2018.8.15> 国民の考える力を鍛えることが急務
天皇として最後の終戦記念日・追悼式でのお言葉に「(9条の下)戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という表現を盛り込んだ。その意図を解せない、戦争に近づく異様な安倍政権を支持する国民が40%に達している現状を変えるには、失われつつある人の行うべき正しい道“道義”心を取り戻す国民運動が急務だと思う。
平成六年(西暦1994年)、天皇皇后両陛下が米国を訪問した時の歓迎式典で、クリントン大統領が、幕末の歌人・橘曙覧(たちばなあけみ)の歌を読んだ。
ある先輩に『橘曙覧「たのしみ」の思想』(神一行(じんいっこう)著。岬龍一郎(みさきりゅういちろう)名でも執筆)を戴いた。人生をどういきるかを考えさせてくれる好書だと思うが、その中に「国を良くするのも悪くするのも国民次第」というのがある。
憲法違反の法案(集団的自衛権行使を認めた安保法制)を強行採決したり、友だちのために行政をねじ曲げた森友・加計問題の真相解明では、安倍内閣は丁寧に説明するという言葉だけで、関係省庁を従わせ、ウソとウソがばれたら開き直りで逃げ回る。揚げ句の果てにセクハラ事件でも被害者を追い詰める。こんな政権を国民の30%~40%の人が支持する日本。
常識的に判断すれば、誰しもこのような内閣を支持しないはずだが、①憲法学者ほとんどが憲法違反と指摘した集団的自衛権行使の一部容認を含む安保法制について、39%の人が憲法違反とは思わないと答え、憲法違反であり廃止すべきの31%を凌ぐ。
さらに②集団的自衛権行使を全面的に認めるように憲法を改正すべきだという意見が25%もある。さらに、「戦争放棄」や「戦力不保持」を定めた憲法9条を改正する必要があると回答したのが44%もある(必要ないは、46%)。日本人は道義心を無くしたのか。
非人道性や極限状態における人間の変質――先の大戦で、約310万人の日本人犠牲者(国内空襲による戦災死50万人を含む民間人が80万人。また、軍人・軍属の戦死者の内、約6割が餓死者)を出し、1900万人以上のアジアの民衆の命を奪ったことや日本兵を殺害・食料を強奪し人肉食を続けたグループ、上官による私的制裁、自殺の強要、初年兵や戦場経験を持たない補充兵に、中国人の農民や捕虜を小銃に装着した銃剣で突き殺させる訓練、爆薬を抱いた兵士による体当たり攻撃「肉攻」や「特攻」など(『日本軍兵士』)――。一部であれ強行採決によって、集団的自衛権行使が可能になった今、自衛隊を憲法に明記すれば、自衛隊は戦争に駆り出されることになる。自衛隊員を、“人肉を食べろ!人間を銃剣で刺せ!自爆をやれ!”といわれる戦地に送りだせますか?想像力の欠如甚(はなは)だしい。
4月25日に憲法に関する世論調査を共同通信社が行った。それによると、安倍政権下での憲法改正の反対者は61%いるが、賛成者が38%もいることに驚く。また、あのヒトラーを生んだ個人の権利を制限する緊急事態条項の新設への賛成者が42%もいることには驚くを通り越して呆れてしまう(反対が56%あるにしても)。
どんなに酷(ひど)い政権でも、支持する割合が30%はいるということを聞く(あのトランプ大統領だって)が、これは真実なのだろう。その多寡でその国民の質が分かる。
いま日本は、「リーダーシップの質に加えて、市民による批判的な思考と政治的行動が衰退する傾向にあり」(『百億の星と千億の生命』)、権力の監視というジャーナリズム精神を忘れた一部新聞、そして善悪の判断力が衰えた、考えない(=狂った政権を支持する)国民が、人間としてどういきるかという哲学観のない為政者の暴走を許している。
まさに、福澤諭吉の言う「リーダーよりもまず、大衆の間違いを正すことが天下の急務だ」(『超訳 福澤諭吉語録』)の状態にある。
同著によると、「孔子が諸国を歴遊して君子のあり方を説いたように、昔は国を治めるためには君主の心を正すことがもっとも重要だとされた。しかし、福澤諭吉は異を唱える。『リーダーよりもまず、大衆の間違いを正すことが天下の急務だ』と言うのだ。『つまり、国を動かす力は大衆が握っている。その大衆が間違った方向に行かないようにするのが、役人や学者の務めだということだ。ここでは、おもに国を憂える学者に対して、『政府を咎(とが)める暇があったら、人々の考えを正すほうに力を尽くしなさい』と言っているが、これは国民に対する『時勢をつくれ』というメッセージにも取れる。国が間違っていると思うなら、大衆の力でこれを正していく姿勢を持つことが重要だ」とある。
立憲主義を解せず、憲法違反を平気で行い、恥を知らない安倍首相を正すのは至難の技であり、異様な政治を行う非常識な安倍政権を高支持率で支えている国民の間違いをただすのが効果的で、今後も現れるかもしれない異様な為政者にも適用できる普遍的な取り組みだと思う。
「政治の世界には税金にツケを回すという安易な方法が存在し、指導者はしばしば責任逃れをする。(中略)彼らは自分の失敗を認めようとしない、傲慢(ごうまん)な人物である。また、他人に失敗を批判されたくないという小心な人物でもある。さらに、国民や住民の財産である公金で失敗の穴埋めをして平然としている厚顔な連中でもある」(『若者のための政治マニュアル』)と福澤諭吉が「専制政治に対しては断固、抵抗すべきだ。火事を消すのに水が入用であるように、政府の専制に対しては抵抗精神が必要だ。その抵抗精神を衰えさせてはいけない」を前提に、「小さなまちがいに見てみぬふりをしたり見落としたりすると、さらに大きなまちがいも容認する環境が生まれ、最後は破滅的なまちがいにつながってしまう」(『リーダーを目指す人の心得』)のだから、異様な安倍政権には、批判的精神――「自由」に考えることに(教育の)最上の価値を置くべきだという哲学者・マルクス・ガブリエルの「反民主的な態度に出会ったら、ノーと言おう。みんなと違っても言おう。ノーと言うことが非常に大事だ」――で立ち向かわなければならない。
<2018.8.1> 安倍政権の道徳教育を「かんぐる」
道徳観欠如の安倍内閣と文科省が道徳教育に力を入れている。2月に、2022年度から実施予定の高等学校の学習指導要領(法的拘束力を持つ)を発表した。小中学校では指導要領がすでに公示され、小学校は2020年度、中学校は2021年度から実施される。
この学習指導要領の問題点は何か?安倍政権が教育基本法改正に力を入れる狙いは何なのだろうか? 松本清張よろしく、「かんぐって」みた。
4月2日のNHKの視点・論点で、「新高校学習指導要領の問題点」(名古屋大学大学院・中嶋哲彦教授)があった。「視点・論点」は、あまり注目されていない裏番組?だが、NHKの公共放送としての面目を保つ権力監視の是々非々番組だと思う。
この他に同様の番組として「時論公論」があるが、両番組共に、NHKの解説委員には出来そうもない現政権の施策批判を(解説委員の中には政権の不手際を倫理的に批判する人もいるが)御用学者ではない真の学者・知識人の力を借りて行っている。
中嶋教授は、学習指導要領は大綱的基準のみ有効で、微に入り細に入り定めるべきではないとの最高裁判断(1976年)があるとして、二つの問題指摘をしている。
その一つは、「現代社会」を廃止する一方、「公共」を必須科目として新設したこと。もう一つは、すべての教科を通じて道徳教育を推進すること。これによって、すべての教科を通じて、特定の価値観や生き方が押し付けられることを問題視している。
石頭団塊団の意思道(いしどう)が大いに問題があると思っているのは、一つ目の「公共」の必須科目新設。中嶋教授の指摘を以下に記す。
「公共」新設の背景には、これを高等学校における道徳教育の柱にしたいという考えがあり、この「公共」に大きな問題があると思う
廃止になった「現代社会」は、現代の政治・経済・社会について、基本的な知識や原理を学び、個人として、自立した主権者として、的確な判断ができるようにするために設けられた科目で、特定の価値観や生き方を教え込もうとするものではないが、一方、新学習用指導要領には「公共」の目標として、生徒が「自国を愛」するようになることを指導すると明記していて、日本国憲法が保障する思想信条の自由に反して、愛国心をもつように指導し、生徒の思想信条を評価することになりかねない、特定の価値観や生き方の押しつけることになる、と指摘。
また、「公共」の学習内容を見ると、現在の「現代社会」で扱っている「基本的人権の保障」や「平和主義」が削除されており、中嶋教授は、なぜ削除するのか理解できないという。
意思道(いしどう)も同感。「基本的人権の保障」は、どの国であっても基本中の基本で、当たり前のことなのに削除とは…。そして「平和主義」削除は、何か大きな悪巧(わるだく)みがあるとしか思えない。
この学習指導要領は、現憲法の三大原則――「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」――の平和国家「日本」を自民党憲法改正草案にある「個人よりも公共優先」「国家主権(政権が国民を意のままに動かす)」「積極的平和主義(専守防衛から海外で戦争ができる集団的自衛権行使国家)」への大転換を受け入れてくれる人間づくりであり、この道徳教育方針は、改憲をめざす安倍政権の後ろ盾の「日本会議」の会長だった三好達元最高裁長官が語った「教育基本法を改正し、国民意識を立て直した上で憲法改正に臨むべきだ」(月刊誌「正論」07年11月号)に沿ったもので、改憲の足固めに違いない。
良識ある国民の多くは、“現憲法の国民主権の平和国家は愛せる”が、安倍首相が望む国家主権の“専制国家を愛せる”わけはない。
吉本 隆明、糸井 重里共著の『悪人正機』に、「何かこう、みんなが同じようにそのことに血道をあげて、一色に染まりきらないと収まりがつかない人たちは、根本の人間の理解から違っているんだよ」がある。国民を一色に染めたい「日本会議」と安倍首相は、根本の人間理解力が極めて低い人たちなのだろう。
安倍首相は、自分の品位のなさを補うために、しばしば吉田松陰の言葉を引用する。引用された人の人格的価値は落されてしまうのだが、吉田松陰は、「人として身につけるべきことを身につけていく、これこそが教育であろう」と言っている。安倍首相は「人として身につけること」が完全に欠落している。また、教育出版の教科書には「法に従い、秩序を守る気高さこそが、日本人のすばらしい国民性」とある。これは権力の暴走を縛る立憲主義を解さず、集団的自衛権行使容認や野党の国会開催要請の無視など憲法違反を繰り返す安倍首相に向けた言葉であり、「人間性欠落」と合わせ、道徳教育を受けるべき対象は安倍内閣と忖度(そんたく)省庁の人間たちなのだ。
小中学校の道徳指導要領に、22の価値項目があるが、その内の正直・誠実(ウソをつかない)、親切・思いやりや相互理解・寛容(弱者である沖縄の人たちに寄り添う)、規則の尊重(憲法違反をしない)、正義・公平・公正(行政を歪めない)などは政治家と官僚がまっさきに指導を受けるべきではないだろうか。
倫理観欠如の安倍政権とそれを支える不祥事連発の自民党議員の道徳教育の必要性。その前に、最低限、人としての基本であり、魂の発露ともいえる「嘘をつくな」「弱い者をいじめるな」を心に刻んでほしい。
「嘘をつくな」では、平気でウソをつき続ける安倍首相――先進国で起こりえないことが立証済みのトリクルダウン(富める者からのお零(こぼ)れ)や世界をだました東京オリンピック誘致での原発アンダーコントロール発言、集団的自衛権行使容認の必要性を説いた「紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」と説明していたが、米国は邦人輸送を想定しておらずウソだったことや、最近では森友・加計問題。事実が示されても認めず、ウソをつき続け逃げ回る――。枚挙にいとまが無いほどの嘘つき内閣に倣(なら)え、とばかりに、森友問題の佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官や加計問題の柳瀬唯夫(ただお)元首相秘書官の出現。極めつけは、加計学園渡辺事務長の「(加計理事長と安倍首相が会ったのは、)嘘だった」というウソ。「弱いものを苛(いじ)めるな」では、沖縄基地問題で沖縄の人々を苛めるのが最たるものだ。
意志道は、時代と環境によって変化する「道徳教育」よりも普遍的な考えを持たせるための「哲学」(いかに生きるべきかを考えさせること)が大事だと思う。人は、どう生きるかを考えるべきで、一つの価値体系(道徳教育)では、戦前戦中の国民が熱狂した戦争のように、全体が間違った方向に走る。
最後に、2014年に死去したノーベル経済学にもっとも近いと評された国家権力に与(くみ)しない真の学者・宇沢弘文の言葉を大塚真一著『宇沢弘文のメッセージ』から以下記す。
教育とは「一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長することをたすけることで、その際留意すべきは、「教育は決して、ある特定の国家的、宗教的、人種的、階級的、ないしは経済的イデオロギーによって支配されるものであってはならない」
前述したように、道徳教育の改正は、国民会議提案の「教育基本法を改正し、国民意識を立て直した上で憲法改正に臨むべきだ」に沿ったもので、個人よりも国家優先への改憲を実現するために、政権の意のままに動く国民づくり――安倍政権の思いどおりに動く、考えない国民を増やす――ためなのだ。
ウソをついたり弱いものを苛めたら、普通なら良心の呵責として心が痛むものなのだが、「恥を知らない」、すなわち自省の出来ない安倍ウソつき政権の人たちは、人の道を外した言動を繰り返す。この政権のたくらみを許している国民の40%近くの支持者たちは、次世代にどう申し開きをするつもりなのだろうか?
<2018.7.15> その1.羽生選手の国民栄誉賞授与 その2.「誰が次の首相になっても安倍よりはましだ!」
<その1> 7月2日、平昌冬季五輪で、フィギアスケート男子では六十六年振りの五輪二連覇を達成した羽生選手が、安倍首相から国民栄誉賞を受けた。
本件、今年3月1日のブログ「疫病神アベラ―には近づくな!」で、羽生選手には、安倍首相からの授与を避けるべきだとした――理由は、不人気挽回のために人気者に擦り寄り、パワーを吸い取り、災いをもたらす――が、授与決定(6月1日)から4ヵ月も経ったが、授賞に至った。
一方、フランスで先月開かれた第71回カンヌ国際映画祭で、最高賞「パルムドール」を受賞した「万引き家族」の是枝(これえだ)裕和(ひろかず)監督に対し、林芳正(よしまさ)文部科学相が文科省に招いて祝意を伝える考えを示したが、是枝監督は、自身のホームページ(HP)に「公権力とは潔く距離を保つ」として、辞退を表明した(毎日新聞6月8日記事)。
林文科相のこの動きは、それより先、フランスの有力紙が、是枝監督に対する安倍首相の「沈黙」を皮肉る記事「海外での受賞に賛辞を送って来た日本の首相は沈黙したままだ」を配信。安倍首相沈黙の理由を「是枝監督が映画やインタビューで日本の政治を告発―安保関連法の反対集会への参加や政府与党による放送法への圧力を懸念する発言――してきた」からだと推測していることへの対応かもしれない。
自身の不人気を人気者に擦り寄って補おうとする安倍首相は、羽生選手への国民栄誉賞を決めたが、過保護下で育てられた世襲議員の“おぼっちゃま”、批判を極度に嫌う小心者の安倍首相は、案の定、批判者を排除した。
羽生選手の授与理由について、菅官房長官は「世界の歴史に残る快挙を成し遂げ、多くの国民に夢と感動を、社会に明るい希望と勇気を与えた」と説明。
国民栄誉賞は首相が決め授与するのだが、安倍首相は自身に国民不名誉賞を与えたらどうだろうか。授与理由は、「憲法学者や国際連盟の度重なる勧告を無視し続け、日本政治の歴史に残る悪法を次々と強行採決し、多くの国民に不安と絶望を、社会に暗い未来と諦(あきら)めを与えた」だ。
<その2>西日本は、死者200人超の戦後最大の豪雨被害を被っているが、気象庁が異例の臨時記者会見をした6日夜、安倍首相は自民党の宴会にいた。その後、首相は、非常災害対策本部を設置し、「救命救助、避難は時間との戦い」と言い、「国として先手先手で、できることはすべてやる」と言う。時間との戦いと分かっていながら、なぜ宴会?いつもの言行不一致というか口先だけをいかんなく発揮した。
さらに、国民の不幸を隠れ蓑に、来年、国民に負担を強いる消費増税に対する身を切る改革(国会議員定数の削減/元民主党党首野田首相との約束)を反故にし、人口減少下、合区で失った自民党議員の議席復活のために、参議院の定数6増の公選法改正案(災害時の宴会に参加する人間を一人年間7千万円の税金で雇う)や国民の半数以上が反対するギャンブル(カジノ)法案の審議入りを強行した。
税金で優雅な生活を送る首相が仲間のために、税金で生活を送る議員を増やす。安倍首相は、二重詐欺師だ。それを真似て、災害義援金詐欺が現れたり、文科省の佐野太(ふとし)局長が私学助成金と引き換えに息子を不正入学させたり、加計学園のとぼけたNo2の渡辺事務局長は、「理事長が安倍首相と会ったというのはウソだった」と、嘘をつく。その上、加計理事長は、大阪地震のドサクサにまぎれ「(首相にあったということは)“記録にも記憶にもない” と、地域限定の珍会見を開く。
日本社会は、まさに「水は方円に随(したが)う(民は君主の善悪に感化されてどちらにでもなる)」状態になって、日本中に悪が蔓延してきている。
安倍政権の異様さは中学生にだってわかる。なぜ今の大人たちは分からないのだろう。戦後最低最悪の安倍内閣を40%の支持で支えている今の国民(有権者)は、戦後最低の国民なのか。支持理由が、「他にいない」とのことだが、石頭団塊団の意思(いし)道(どう)は違う。「誰が次のリーダーになっても安倍よりはましだ!」と、確信をもって言える。
安倍内閣の愚行は枚挙に暇(いとま)が無いが、今年半年が過ぎた今、安倍政権(2012.12.26~)の5年強の異常さを備忘録として、以下記しておく。
国民の「知る権利を侵す」特定秘密保護法の強行採決(2013.12.6)、2014.4.2には、憲法の平和主義に基づいて武器輸出を全面的に禁じてきた「武器輸出三原則」の撤廃を閣議決定し、武器輸出を解禁(アメリカが起こす戦争への参加→日米の軍事産業が潤(うるお)う)。そして、国家の最高規範の憲法(9条)の解釈改憲。歴代の首相や内閣法制局が憲法上できないとした集団的自衛権(海外での武力)行使容認を、内閣法制局長官を横畠裕介氏に替え、多くの憲法学者が違憲と指摘し、また多くの国民が反対する中、強行採決(2015.9.19)。テロ等準備罪と称して、実は広範に恣意的(しいてき)に反政府活動を押さえ込むのが狙いとも思われる史上最悪の法案といわれる「テロ等組織犯罪準備罪(共謀罪)」の強行採決(2017.6.15)。これらはいずれも、国民を意のままに操りたい、権力顕示欲旺盛な安倍首相が数の力で国民の自由を奪い、政権に逆らえない土壌づくりのルールなのだ。
2014年の武器輸出三原則の改定閣議決定に続いて、最近では、防衛費のGDP(国内総生産)1%枠を撤廃し、アメリカの武器購入要請「軍事ビジネスへの参入」に応じ十年後に2%を目指す方針を固めたようだが、既に日本は核保有国以外では世界第一位の軍備を持つ。何のために、社会保障費を削ってまで護衛艦の空母化など専守防衛を超える軍備を揃えるのか。まさに、戦後、自民党の総裁・首相を務めた石橋泰山の言う「わが国の独立と安全をまもるために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす」に向かって進んでいる。
安倍昭恵夫人と共に、友達優先の不正を秘匿。国民のために働くべき公務員も、安倍一狂の下、公文書の隠蔽・改ざん、防衛省の日報隠蔽、法制議論の前提となるデータの捏造(厚生省)で国家的不正を敢行。セクハラを容認する財務大臣の放置、数をもって国会議論の無価値化・無意味化。
三権分立の破壊――政財界を巻き込む大きな汚職や不正、脱税などの事件を専門に捜査する特捜部(法務省検察庁)の無価値化や仲間から自殺者が出た森友文書の隠蔽、改竄をした指示したとみられる財務省の佐川前国税庁長官や本省幹部たちの不起訴(大阪地検特捜部)。佐川氏等の不起訴は、検察の理念「検察の職員が,いかなる状況においても,目指すべき方向を見失うことなく,使命感を持って職務に当たるとともに,検察の活動全般が適正に行われ,国民の信頼という基盤に支えられ続けることができるよう云々」に反している。
世界の常識から外れた判断――最悪レベルの原発事故を起こしながら、あの中国を始め各国が原発廃止、再生エネルギーに転換するなど、多くの国が、安全上、コスト的に時代遅れになっている原発を止めている中、国内で原発再稼働をし、日本政府は日立製作所(会長は次期経団連会長に内定)と共に、損失発生時には日本の税金を充当する英国への原発輸出を進める。輸出先の国民の反感を買っている他国への原発輸出を推進。
昨年11月の温暖化対策会議(ドイツのボン)で、日本政府は、高効率の石炭火力発電所の輸出による環境貢献をアピールし、世界から嘲笑を浴びた(東京新聞社説)、ようだし、何から何まで世界基準からずれきている。「(原発も石炭火力発電も)時代遅れであり、脱炭素、脱原発への挑戦なしに、技術原発立国日本の持続可能性はありえません」と、指摘された。
さらに、唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約への不参加。加えて、条約成立に貢献した2017年のノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が、唯一の被爆国としての役割を果たすように条約への署名を日本に要請したが、無視。 特定秘密保護法や共謀罪では、国連人権委員会から批判を受け続けているが、国会答弁と同じく、質問に、まともに答えていない。ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶を目指す国際キャンペーン「ICAN」の事務局長が求めていた安倍総理との面会をも、いつもの「日程調整上」の理由で日本政府は断り、礼儀を欠き、日本の恥を世界に晒(さら)した。
報道の自由度ランク下落――国際NGO「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度ランキング」で、2001年の11位を最高に安倍政権によって下がり続け、特定秘密保護法などでランクを前年より二つ下げ、180の国・地域中61位となり、民主主義国家とは言えない状況にある。このまま安倍政権が続けば日本は、176位の中国、179位の北朝鮮のような独裁国家に近づくに違いない。
また、ILO(国際労働機関)のセクハラ禁止国際条約に、中国や欧州連合などが賛成する中、態度を保留するなど世界の中で異様を放っている。
これらは、いままで心地よい言葉のスローガンを掲げて、国民を騙(だま)してきた構図――「女性活躍」といいながら、真逆の結果をもたらし、2017年の男女平等度「ジェンダー・ギャップ指数」は、144ヶ国中、107位から114位に下がっている――と同じだ。
悲惨な事件の原因、ひいては戦争の原因ともなると貧困、格差拡大の放置――非正規社員は民主党政権の終盤の2012年10月から12月の1843万人から100万人以上も増加(2000万人超え、40%超え)し、実質賃金も低下(年収の減少は、2005年→2015年で、男性460.7万円→383.8。女性356万円→302.8)、この10年で平均所得は最低となった。さらに、預貯金ゼロ家庭の増加、相対的貧困率はOECD加盟国34か国の中、第4位。母子・父子家庭に限れば最下位の貧困率(54.6%)、子どもの貧困率も、イタリア、アメリカに次いで下から3番目など、アベノミクスで一般国民の生活は苦しくなっている。それにも拘わらず与党自民党の二階幹事長は、「日本は、食べるのに困るような人はいない」発言をする。これでは貧困の拡大・放置は、自民党が政権与党であるかぎり改善されないだろう。
政治は、多数派(富裕層ではない)のものでなくてはならないのに、意図的ともいえるほど、一部の大企業、富裕層優先の経済政策で、貧富の格差拡大・固定化を進めている。
このように国内的にも国際的にも批判されている異様な安倍政権は、まさに戦後最悪最低の政権だ。本ブログの最後にもう一度、「誰が次のリーダーになっても、安倍よりはましだ!」
<2018.7.1> 隠蔽政権に抗する手法を「隠蔽と暴露」の作家・松本清張に学ぼう
森友・加計問題での財務省の隠蔽・改ざん(安倍昭恵夫人や政治家の名前などの政権にとって不都合な記述の削除)、「働き方改革」の裁量労働制での厚労省のデータ捏造、防衛省自衛隊のイラク派遣の日報隠蔽(自衛隊派遣先は非戦闘地域なので、“戦闘”記載の日報を隠した)など役人による公文書の隠蔽、捏造、改ざん、が常態化している。
企業においても一昨年話題をさらった三菱自動車の燃費データ改ざんから始まり、昨年の神戸製鋼所、今年に入っての三菱マテリアルの品質データ改ざんなど、政官財総出演のデータの改ざんが起きている。
このような辞世を受けてか、NHKの「100分de名著 松本清張スペシャル」(3月)などで、「隠蔽と暴露の作家・松本清張が今ちょっとしたブームになっている。その松本清張に関する書『松本清張「隠蔽と暴露」の作家』を読んだ。
著者の早稲田大学院・高橋敏夫教授は、「政治、社会、国家のそこここに情報隠蔽(いんぺい)と実態隠蔽が暗く大きな穴をうがつ(=掘る)陰鬱(いんうつ)なこの時代は、“政財官界の汚職、疑獄、国家規模のたくらみ、重大機密、戦争に関する過度の機密保護まで、さらには国家間の密約やグローバル化する世界での経済的不正、政治的謀略までをも、その幾重もの隠蔽の黒い企てもろともさぐりあてそれを暴露し、しずかに告発をつづけた”松本清張の試みと方法“とを切実に求めている」という。
「社会の主要な領域で権力をにぎる勢力は、みずからの利権を独占し、他からの批判を拒むためにも、その力と構造を密室の中に閉じこめようとする」(同著)のだが、財界の隠蔽やデータねつ造は利益第一、官僚は、天下り先の確保、政権の意向を忖度して出世したい、すなわち保身で動く。
では、安倍政権は何のために隠蔽するのだろうか、軍産複合体の利益優先で世界中の7,8割の紛争を画策するアメリカの従属国として“戦争ができる国”にし、批判されることを極度に嫌う小心者の安倍首相は、小心者であるが故に国民を意のままに動かし、権力を誇示したいのだろう。
だから安倍首相は、大国の後ろ盾が欲しくて、2015年4月29日、アメリカ連邦上下両院合同会議で、憲法違反の集団的自衛権の行使を含む安全保障関連法案を成立させる考えを明言し、ほとんどの憲法学者が憲法違反と指摘していた法案を強行採決した。それ以前には、特定秘密保護法で、「隠蔽」を合法化(2013年成立、翌年施行)し、昨年(2017年6月15日)には、戦前の治安維持法に匹敵する共謀罪(改正組織的犯罪処罰法)で「暴露」活動を封じ込む法案を強行採決した。何も考えない国民の下、「隠蔽」と「暴露阻止」のルールがここまで固まってしまった。
その背後には、「皇室の尊崇、憲法改正、国防の充実、愛国教育の推進、復古的な家族観の重視などをかかげる日本会議」(同著)があり、小中高の道徳教育で国家主義を植え付け、政権に従順に従う国民教育を進め、憲法第九条改悪の道を着実に進めている。
まずは、自衛隊の憲法への明文化で、集団的自衛権(海外での武力行使容認)とセットで、九条の空文化を実現し、自民党改憲草案にある「緊急事態条項」を設け、政権への全権委任で独裁化の道へ突き進む。
同著には、「現在の憲法改悪論者のうしろだてが、アジアの戦力の肩代わりを日本に押しつけようとするアメリカであることをはっきり指摘したい」とある。だから、トランプ大統領の要望――現憲法の専守防衛に反する敵基地攻撃能力を有するアメリカの武器購入――に即応する。
「現在まで千六百回以上つづいている日米軍事委員会の決定事項は憲法より優先される」という。だから、アメリカ連邦議会での、違憲の集団的自衛権行使容認発言があり、強行採決もやったのだ。
政府がもっとも隠蔽したいのは「戦争」。同著は、「国家、社会に秘密、機密がやたらと増えてきたら、平和は危うい、といわねばならない。戦争がすぐ近くまできている。戦争が平和を名のりだしたら、平和はいよいよ危うい」と指摘。さらに、「戦争は隠す。始まる以前から、その最中はもちろん、終わってからも、戦争は隠しつづける。隠しつづけて、人びとの戦争への態度をゆがめ、戦争批判を許さず、そして人びとを次の戦争に送り込む」とあり、「戦争こそ、国家的社会的「隠蔽」の最大級の装置そのものなのである」という。
冒頭で記した隠蔽された真実を国民に知らしめる「松本清張の試みと方法」。それはまっとうな政治を取り戻し、国民にとって危険な政権を倒すためでもあるのだが、同著には、松本清張の以下の言葉を引用している。
社会的な出来事への関心の始まりとして、「何故だろうか。ぼくらの好奇心と探求心は、その『何故だろう、何故だろう』というところからすべて始まる」、「その謎に対しては何がどうなっているのかわけがわからないうふうにしてしまうのではなくて、これはこうではないかという勘繰りでも、憶測でも、何でもいいから、一つのそういう主観を持って調べて行かなければ、何も掴(つか)めない」とあり、「『かんぐり』、『邪推』『憶測』の形をとった、『何故だろう、何故だろう』という日々刻々のささやかな疑いが、容易には目に見えぬものへ、隠されたなにかへと、少しずつ少しずつ接近する、不安で怖くてそして楽しく希望にとどく試み――これこそが、松本清張の『隠蔽と暴露』という方法の実践であった」とある。
「何故だろう、何故だろう」という日々の疑問から出発し「隠蔽と暴露」の方法をもって、軍産複合体に乗っ取られたアメリカの従属国として戦争に近づく異様な安倍政権に立ち向かう。それは、知的活動であり、石頭団塊団の意思道(いしどう)にとって、桁外れに非常識な安倍政権の隠蔽の裏を邪推することは、格好のボケ防止なのだ。
6月4日、麻生財務大臣が、森友問題に関する財務省の調査結果と改ざんを指示した当時の理財局長・佐川宣寿(のぶひさ)氏と改ざんした理財局職員(計20名)の処分に加え、自身の閣僚給与一年分の自主返納を発表した(約8億円の値引き対して170万円?それよりも引責辞任でしょ)。しかし、事件の中心の安倍昭恵夫人や政治家の関与など改竄の動機など核心部分は触れなかった。
松本清張風に「隠蔽の裏」を邪推すれば、この問題(値引き)の発端は安倍昭恵夫人。そして加計問題と同じく「総理のご意向」を受けて、麻生財務大臣を始め閣僚と官僚たち(加計問題は、安倍首相と萩生田幹事長代行らの取り巻き)が国民を相手に詐欺行為をした。
安倍首相は、妻が関わっていたら総理も議員も辞めることになるので、麻生財務大臣に頼み、麻生大臣の財務省に改ざんをし、問題発覚後、すべて否定することを閣議決定。
だから、麻生大臣を解任できないし、国会で偽証を繰り返した財務省理財局長・佐川氏を「安倍政権を守った」論功行賞で財務省国税庁長官に昇進させた。
もし、公文書の廃棄や公文書の改ざんが麻生大臣の指示ではなく、佐川氏が勝手に廃棄、改竄をしたのなら、官邸は佐川氏を責めるべきで、昇進させることはないはずだ。ここに来て誰も責任を取らない訳にはいかず生かしておいた佐川を切り捨てた。それも、検察庁特捜部に佐川氏の不起訴を指示(事実、不起訴)し、使途非公表の官房機密費(正式名「内閣官房報償費」)から口止め料として数億円を渡したのではないだろうか。
“廃棄”したとされていた資料から、昭恵夫人や総理の意向に沿って動いた政治家の名前の削除を指示したのも財務省トップの麻生大臣に違いない。
核心部分を知る森友問題の昭恵夫人と加計問題の加計孝太郎理事長に、もしやましいことがなければ堂々と公の場で語ればよいのだが、ともに逃げ回る。
間違いなく安倍夫人は森友問題に関与。安倍さんは、首相はもとより議員も辞めるのが筋だ。そもそも不正の当該部署・財務省のトップで不正を指示した大臣が、「なぜ異常な値引きをしたのか」「なぜ公文書の廃棄、昭恵夫人や政治家の名前を削除するなどの改竄をしたのか」など真相解明「ウミ」を出し切れる訳がないし、その下では、信頼回復など夢のまた夢で、「再発防止のために公文書管理を改める」とあるが、再発防止の有効打は、異常な人間を国のトップに置かない、すなわち安倍内閣の退陣しかないと思う。自民党以外の政党が政権を握ったら、行政と政治の信頼回復のために徹底解明してほしい。「暴かれる事実」。これは必見に値すると思う。以上が、意思道の“かんぐり”。
「いつまでもモリカケやっている場合ではない」という人がいる。これら逃げ回る安倍政権の思う壺に嵌(はま)っている、この安倍内閣が期待する“何が重要か、そして善悪を考えることのできない人たち”には、次の言葉をよーく考えてから言ってほしい。
「今回の問題は、単に、官僚の無自覚、あるいは一省庁の不祥事と言った次元の問題ではなく、憲法が定めるように、内閣が正しく官僚機構をコントロールし、議会への責任を果たしているのか、そして議会がその内閣をきちっと監視できているのかという、この国の統治ステムの根幹に強い不信感を与えました。問題の真相はどこにあり、何を改めるべきか、それは与野党の利害や思惑といったレベルを超え、国会あるいは政治全体に突きつけられた深刻な問いかけであることを政治はあらためて強く認識する必要があるように思われます」(6月4日NHK時論公論、太田解説委員)
<2018.6.15> 異様な安倍政権は、「40%近くある支持率=民度の低さ」に支えられている
国民の質以上の政府はできない。前々回5月15日のブログで異様な政治手法で、国民にとって危険な安倍政権を葬(ほうむ)る即効薬は「支持率を下げる」ことだとしたが、平気でウソをつき、民意に反するルールづくり、友だちのための不公正行政、公文書改竄、疑義答弁政治を続けさせているのは、国民の民度*の低さにあると思う。
アインシュタインは言う「昨今の民主主義の時代では、国家の命運は民衆にかかっています。すべての人は、それを肝に銘じなければならない」(『アインシュタインの言葉』)と。
*民度(みんど)とはWikipediaによると、「特定の地域に住む人々の知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる」
立憲主義(国民の人権が侵害されないように、憲法によって権力を制限することで、憲法は権力者が率先して守らなければならない)を解せず、歴代首相が憲法違反として踏み込まなかった集団的自衛権の行使容認の安保関連法を強行採決(数の力で民主主義の手続きをしない)。国民の自由を束縛するル特定秘密保護法や共謀罪などのルールづくり、モリカケ問題では、嘘を覆(くつがえ)す資料が出て来ても開き直る、社会常識が通じない安倍政政権。今国会でも、反対の多い、過労死を助長する「高度プロフェッショナル制度(残業代ゼロ)」の創設やカジノ法案「統合リゾート(IR)実施法案」の強行採決を目論む。
企業の社会的使命を忘れた経団連は、過労死など目もくれず利益最優先の高プロ(残業代ゼロ)を要請し、その見返りとして、政府に三千億円を拠出する(カネで政策を買う)ようだ。
嘘を平気でつく戦後最悪最低の首相率いる安倍嘘つき内閣。それでも支持する国民が40%前後(*)もいる。特に、昨今の求人倍率の高さからか若者の支持率は高い。求人倍率の高さは、団塊世代の大量リタイアと非正規社員の求人増加によるものなのに。
この異様な安倍政権を良識ある方向に変える手立てはあるのか。塩野七生(ななみ)著『想いの軌跡』に、以下がある。
先進諸国内の民主主義政体の統治能力が問われるようになってから久しい。それなのに、人々はあいかわらず、統治能力の回復は、政権担当者が姿勢をただすこととか、責任を感じた野党が連合でもしてとか、つまり、人間の良識に訴えれば解決できるものと思い込んでいる。そのような善意あふれる期待だけでは、問題の根本的な解決にはまったく役に立たない現実を知ろうともしない。人間とは、しばしば、当初の意図とは反対の行動に走るものである。この人間の本性を冷静に見きわめさえすれば、彼らの良識に訴える前に、彼らが良識的に行動せざるをえないような情況づくりをすることこそ先決問題である。
5月23日、財務省が破棄した、としていた森友学園との交渉記録が提出された。何故かその中の「本省相談メモ」から安倍昭恵夫人と籠池夫妻が並んで写っている写真など重要な記録が取り除かれていた。得意技の隠蔽と改ざん。その隠蔽財務省のトップである麻生財務相が自身の派閥の総会で、語った言葉から、安倍政権がなぜ不誠実な言動を繰り返すのかが分かる。麻生大臣曰く、「我々は間違いなくこの5年数カ月の間、きちんと一つひとつ<憲法違反でも民意に反していても採決を強行しながら>結論を出してきていますから、そこで信頼を得ているのであって、マスコミにいくら叩かれようと間違いなく支持率というものがほとんど増えてきている*じゃないですか」、と。
何が善か悪か分からない、人間としての良識もない安倍内閣と麻生大臣。だから善悪の判断基準は、支持率なのだ。まさに、上述『想いの軌跡』の通り、政権の姿勢を批判しても良識に訴えても無意味なのだ。
安倍内閣が善悪の判断ができないことは、麻生副総理が「セクハラ罪はない」といい、わざわざ閣議決定をするという稚拙さからも分かる。ずーっと前に、舛添(ますぞえ)前都知事がルールよりも大事な心の問題、倫理観が問われているのに、ルール違反ではないと都知事に居座ろうとしたときと同じなのだ。
『想いの軌跡』にあるように、恥も感じない(恥じれば自省するのだが…)、非常識な安倍政権に対しては、良識的に行動せざるをえないような情況づくり、すなわち支持率を下げることなのだ。支持率を下げなければ、安倍政権は、非人道的言行をやり続けるだろう。
安倍政権の異様な政治を正す即効薬、もしくは退陣させる特効薬は、「安倍内閣の支持率を下げる」ことだ。
*<安倍嘘つき内閣延命指標(直近の安倍内閣支持率)>+-は、前回比増減
31%+1(毎日新聞)~42%—1(日経新聞)
(内訳)32.4%+5.7(5月18~20日NNN日本テレビ)、36%+7(5月19~20日ANNテレビ朝日)、31%+1(5月26~27日毎日)、36%+5(5月19~20日朝日)、38.9%+1.9(5月12~13日共同通信)、38%不変(6月9~11日NHK)、39.8%+1.5(5月19~20日産経・FNN)、38.9%+0.5(5月12~13日時事通信)、42%+3(5月18~20日読売)、39%—1.6(6月12~13日JNNTBSテレビ)、42%—1(5月25~27日日経)
<2018.6.1> こんな感じで日本社会が壊れて行く…
<その一>モリカケ問題と“同じで違う”日大アメリカンフットボール悪質反則問題
5月6日の定期戦(日本大学対関西学院大学)での日大選手による重大な反則行為が連日マスコミを賑わしている。
「22日の日大の選手の謝罪会見」と「翌日の監督・コーチの記者会見」のどちらの言葉を信じたか。国民の多くは、間違いなく選手の説明を信じた。
大学生の反則をした選手は、心の底からの言葉で誠実であった。一方、大人の内田正人監督とコーチは、アメリカンフットボールを熟知した人たちが一様に「(強い圧力がなければ起こりえない)通常ではありえないプレー」との判断をしているのに、事実(「指示した」)を歪め、不誠実さが際立った。それでも大学の回答書は、監督とコーチの言い分に沿った「指示していない」に固執。
日大の監督とコーチの対応は、モリカケ問題でのウソを嘘で繕(つくろ)う安倍首相とその仲間たち(佐川宣寿(のぶひさ)元国税庁長官や柳瀬唯夫(ただお)元首相秘書官)を容易に連想させた。その後の学長の目的不明の記者会見は、安倍内閣の菅(すが)官房長官の核心を避けた答弁に類似したものだった。
同時進行中の「日大アメフト問題」と「安倍モリカケ問題」は、スポーツ界と政治との土俵は異なるが、人の有り様を考える問題としては同種のものだと思う。
安倍首相、麻生財務大臣と人事権を握る菅(すが)官房長官の安倍内閣が日大の監督(日大のNo2として人事権を掌握(しょうあく))。関東学生アメフト連盟から「おおよそすべて信用性がない」とされた虚偽まみれの内田監督は、「人柄が信用できない」(不支持理由のトップ)と評される安倍首相に酷似。コーチが、トップのウソを知りながら守る官僚たち(佐川氏や柳瀬氏)。
ただ、コーチは良心の呵責からか指示したことを認めた(ただし「監督からの指示は無し」を堅持)が、佐川、柳瀬両氏は良心を持たずトップのウソを嘘で繕う。我々はこのような人たちに税金を納め続けていることも含め、もっと怒らなければならない。支持率を下げなければ、これまでの数々の安倍政権下での愚行が今後も繰り返されるだろう。
二つの問題で大きく違うのは、組織構成員の資質で、悪質タックルはしたが、選手一人に罪をかぶせる監督・コーチのウソを人間として許せなくて、真実を伝えようと一人で記者会見に臨んだ勇気ある選手の擁護心と世論(監督・コーチ批判)の後押しによって立ち上がった日大の選手たちと父母会の存在。
それに対し、モリカケでは、公文書改竄(かいざん)で自殺をした仲間を見殺し、自己保身の財務省の役人たちの存在。森友問題で「あるものを無いとは言えない」と行政を正すために独裁的政権を批判した前川前文科省次官に続くものは文科省の役人にはでなかった。
両組織のこの差、組織内部から間違いを正す力が生まれるか否か、自浄作用力があるかないかが、アメフト問題の日大とモリカケ問題の安倍内閣の大きな違いだ。
日大の監督とコーチの説明を信じない人は、80%。ウソを嘘で繕うモリカケの安倍+官僚の説明に納得しない人は、日大の場合とほぼ同じの70~80%。
29日、関東学生アメフト連盟によって監督とコーチは、永久追放の相当する一番重い「除名」処分が下された。ならば、モリカケ問題での不正、不誠実な対応の安倍政権は、社会に与える影響度の大きさから、政界から永久追放されるべきではないだろうか。
日大OBなど関係者は、アメフト首脳部の人間としての有り様を批判したが、国民のために働くべき役人は仲間から自殺者が出ても、民主主義を根幹から揺るがす憲法違反、公文書の隠蔽・改ざんや不公正行政を行っても立ち上がらない。
結果、安倍首相は、40%近くある内閣支持率を背景に、不支持の最大理由の「人柄が信じられない」を堅持したまま延命する…
追伸)31日、日大の教職員組合が、大学の信用・信頼の回復のために、アメフト部と日大の改革を求めて、内田監督の全職解任を始め、理事長、学長の辞任、アメフト部の全コーチの解任などの要求書を提出した。記者の「報復など心配を考えなかったか」の問いに、「心配している方もいて不安はあるが、ここで声を上げなくては、日本大学は良くならないだろう」という。憲法を無視し様々な悪事を平気で行う戦後最低最悪の安倍政権が続けば、日本は民主国家、平和国家でなくなるという非常事態に、「国と国民を救うために」退陣を迫る自民党議員はいないのか!
<その二>5月28日の国会。加計問題に関する野党質問に対する安倍首相の答弁中、野党から「(安倍首相の反論に対し)意味わかんなーい」とヤジが飛んだ。即座に「これ意味がわかりませんか?これ日本語の読解力だと思いますよ」と、安倍首相が返した。
中学生に言わせると、野党の質問内容は分かるが、安倍首相をはじめ政府の答弁は「質問に答えていないし、何を言っているのか分からない」と言われているようだが、日本語の読解力の問題よりも、安倍首相は日本語の意味を知らないのではないか。
憲法違反の安保関連法、特定機密保護法や共謀罪の国会審議時、“丁寧に”説明し国民の理解を得るといいながら強行採決をした。これが“丁寧”なのか。安倍首相の国語辞典には、“真摯(しんし)(まじめでひたむき)”は、“横暴(わがままで乱暴)”。“寄り添う(ぴったりとそばへ寄る)”は、友だちとゴルフ場へ、昭恵夫人と国費を使って外遊の“遁避(とんぴ)(のがれさける)”となる。“膿(うみ)を出し切る”は、膿は安倍首相と麻生財務大臣なのに、膿を増殖させつつ、官僚たちに嘘を平気でつける忖度(そんたく)菌という“ウミをばら撒く”ことなのだろう。ある人は、あこれを安倍政権による日本語の破壊という。
<その三>森友・加計問題の真相解明が進まない。政治家が都合の悪いことには答えないのは常套手段で、答えないのは質問が核心をついていて不都合なのだが、安倍首相を始めとした政府の答弁は「ご飯論法」だという。
27日の毎日新聞に、モリカケや法案などで審議が深まらないのは、「政府の答弁にごまかしや論点のすり替えを図る不誠実な政府の国会答弁が原因だとの指摘もある。ネット上でいま、そのからくりを暴く『ご飯論法』なるものが注目されている」とある。
その「ご飯論法」とは、「朝ご飯を食べましたか」と問われた場合、朝はパンを食べたので、「ご飯」は食べてない。だから、「食べてない」と答える論法で、幼稚園児でもやらない受け答え。安倍政権の答弁の特徴を掴んでいる。
今国会でも、安倍首相の答弁は、論点のすり替え「ご飯論法」を駆使。会期(150日間)が延長され、期日が6月20日から7月20日になった今国会。安倍首相の答弁にどんな「ご飯論法」が現れるか、乞うご期待!
<その四> 最終日の31日に、イヤーな問題がまた降ってきた。それは、森友問題での「国有地大幅値引き」と「財務省による公文書改竄」で関係者38人を大阪地検特捜部が不起訴としたこと(来週、検察審査会に審査の申し立てをするとのこと)。
これでは、今後公文書はどんどん廃棄・改ざんされることになる。検察OBや市民から納得できないとの声が上がっているが、安倍や麻生を守るために籠池夫妻を異常に長期拘留し続けている山本真千子特捜部長(初の女性部長)は、男性忖度役人に違(たが)わず、不起訴の判断は捜査の内容に関わるとして答えられないという。
この問題でのショックは、二つ。政財界を巻き込む大きな汚職や不正、脱税などの事件を専門に捜査する、権力者の悪にメスを入れる組織がなくなったことと女性の管理職登用促進への疑問。女性が活躍すれば世の中が良くなるのは妄想(あの自民党“うちわ女性議員”、“ハゲ~!”の自民党女性議員や排除発言の東京都知事などの存在)。
当たり前だが男も女も同じ不可思議なる人間。性差ではなく人間性が登用基準ですね。
<2018.5.15> 違憲で生まれた安倍内閣の改憲論を考える
過ぎてしまったが、5月3日の憲法記念日に、NHKスペシャル「憲法と日本人~1949-64知られざる攻防~(施行から71年 知られざる憲法論議)」があった。
半世紀以上秘蔵されていた資料などを基に、戦後ただ一度の憲法改正の国民的議論(1949-1964年)を扱ったものだが、議論の発端は、「(東西の冷戦の中、共産勢力の防波堤として日本の再軍備を望んだ)アメリカが改憲を迫っていた」ことが最大の要因。
元総理大臣・宮澤喜一の日記には「(アメリカが)軍事ビジネスに我々を引き込もうしている」ともある。事実、再軍備に向けて経団連内に防衛生産委員会(東条内閣の顧問であり“死の商人”三菱重工業の社長が会長)を設置し検討していた。
このアメリカ要請の「憲法改正」は、自衛隊の発足と民意を反映した選挙結果(自民党の議席が半数以下)によって頓挫(とんざ)した。多くの国民が戦争の悲惨さ、それによる社会の異常さを知っており、国民は改憲を望まなかったのだ。
ところが、2015年4月29日、安倍首相がアメリカ連邦上下両院合同会議で、国会での議論なしに、アメリカが望む「集団的自衛権の行使」を含む安全保障関連法案を成立させるといい、安保法制の強行採決以降、戦後、自民党の総裁・首相を務めた石橋泰山の言葉「わが国の独立と安全をまもるために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす」に反し、アメリカの武器購入要請「軍事ビジネスへの参入」に応じ、武器輸出を解禁し、三菱重工業を筆頭に軍事企業が“死の商人“の世界へ戻ってきている。このような反社会的企業の動きを正すには、倫理的消費活動(反社会的企業の商品・サービスを買わない)しかないが、どんなに非常識且つ横暴な政治をしても一定の内閣支持率にあることを背景に、安倍内閣はついに改憲に向けて実働を始めた。
政府による解釈変更は出来ないとして、他国での戦争に加わる集団的自衛権を認めてこなかった歴代の首相――佐藤栄作「憲法を守らなきゃならない。これは当然である」、田中角栄「憲法は既に4分の一世紀以上の歴史の中にあります。しかも国民に昇華され定着しております」、三木武夫、福田赳夫(たけお)、大平正芳(まさよし)、鈴木善幸、中曽根康弘など――の憲法順守、人間としての判断に反し、権力の乱用を憲法で縛る「立憲主義」を解しない“無知”で、中国の海洋進出や沖縄の辺野古基地建設反対運動に対し、「法の支配」を強調しながら、自らは、ほとんどすべての憲法学者が違憲と指摘する集団的自衛権行使容認を含む安保関連法案など違憲ルールを強行採決する“無恥(恥を知らない)”な安倍首相が覆(くつがえ)し、70年以上も平和国家として世界中から尊敬されている日本を支えてきた憲法9条壊憲に乗り出している。
今回取りざたされている安倍の自民党改憲草案は、戦争放棄、戦力不保持の平和憲法を「海外で戦争の出来る普通の国」にすることにあり、本丸の9条に関しては、9条1項の「永久に戦争を放棄する」という文言を、「国及び国民の安全を保つため必要な自衛の処置をとることを妨げず、そのための実力組織として、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」に変えている。これは、2015年に強行採決した安保関連法の集団的自衛権行使(海外での武力行使が可能)に自衛隊を加えることになり、政府が自衛のためだと判断すれば、世界中のどこでも武力行使が可能になることを意味し、9条の戦争放棄、専守防衛は完全に骨抜きになる。
もう一つの改憲理由は、「押しつけ憲法」論。先の改憲議論と同じく、戦争放棄の現憲法が、「アメリカに押しつけられた」という主張。
これはGHQ日本占領過程の報告書(1949年公開)の中にあるGHQの勧告――憲法作成の指針として用いるようにという勧告――が「(自主)憲法の制定」目標になったことから、「押しつけ憲法」論が生まれたのだが、1959年の憲法調査会による憲法制定過程の渡米調査結果――「日本の憲法学者らの考えも相当に重要視され、天皇制の維持と引き換えにアメリカ側に押しつけられたという改憲派の主張は誤解で、単純な押しつけとは言えない」――によって、「押しつけ憲法」は否定されている。
憲法調査会の結果や当時の民意からか、改憲派の理論的支柱だった憲法調査会副会長・矢部貞治(改憲派・中曽根康弘が師と仰いだ人)は、考えを転換し、“憲法は日本社会に根づいた“と考えるようになり、「改憲は国民の盛り上る支持なしにはやれないし、やるべきでない。改正を強引にすることによって、国内を分裂状態に導いた例があり、改憲勢力が三分の二を占めたというだけで、改憲などできるものではない」という文書を残している。以上がNHKスペシャルの要約だが、他にも、戦争放棄は、当時の幣原(しではら)首相の提案説が有力でもある。
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が復刻され、大ヒットしている。“どう生きるか”を考えたことがない、倫理観が欠如している安倍首相には、内容は理解できないだろうが、同じく復刻版に、戦後、政府が設置した憲法問題調査委員会の補助員や内閣法制局参事官として日本国憲法の制定作業を支えた佐藤功(いさお)の『憲法と君たち』には、解説欄の「(憲法制定作業に携わった著者)佐藤功先生について」に、「原案をGHQが作成したことだけにとらわれ、政治家や役人の努力・思い、さらには新たな憲法の制定について議論すべき国会議員を選挙によって選んだ国民の思い、それらをすべて無視して、『日本国憲法は押しつけ憲法だ』などというのは、当時の日本人への侮辱でしょう」とある。
何が大切か?現憲法は、戦争を実体験した多くの国民が万感の思いで受け入れ70年以上も守られてきたもので、「押しつけ憲法」論よりも中身が問題なのだと思う。
『憲法と君たち』に以下(つまみ食いさせてもらう)がある。
多数決と選挙の項で、「多数党が、自分のことだけを考えて、国民のことなどはどうでもいい、憲法などどうでもいいと考えるような政党だったらとしたなら、その多数党の数の力で、憲法がやぶられるということにもなりかねないわけだ。もしも、それに反対の政党が、この法律は憲法に反する、また国民のためにも悪い法律だからつくるべきじゃない、と主張しても、そして、この考え方が正しかったとしても、数が少ないばかりに負けてしまうことになる。そして、その結果、憲法を守り、国民の幸福を守るという役目をもっているはずの国会が、かえって憲法をやぶり、国民の生活を害することにもなってしまう」。
さらに、「少数党の反対の意見などははじめから聞こうともせずに、またろくに議論さえもしないで、数でおしきってしまうというようなことではいけないわけだ」と、強行採決することは、「形のうえでは民主主義にもとづいた議会政治のかっこうはしているけれども、じつは、むかしの専制政治と同じことだということになる」とあり、「こういう国会のやりかたが、正しい民主主義を定めている憲法をやぶっている」という。
まさに、この専制政治を安倍政権はやっているのだが、「内閣が憲法をやぶろうとするなら、国民の世論で、その内閣を倒すように努力することができる、たくさんの国民の声が、大きな世論の力となって、国会や内閣を責めたなら、いくら力の強い政党でも内閣でも、それを知らない顔をしてがんばりとおすことはできない」のであり、「国民は、憲法を踏みにじるようなことをしない議員を選び、憲法を守らない政党を多数党にしたりしないことが、民主主義の政治を実現するためにも、憲法を守るためにも、とても大事で、憲法を守るのは国民の仕事なのだ」という。異様な安倍政治を許している国民は大事な仕事をしていない、ことになる。
そして、「この憲法が何かの強い力でおびやかされ、また強い権力者のひきずる戦争で、ふたたび踏みにじられことのないようにというのが、この憲法がつくられた理由だ」とある。
安倍首相の歴史観も憲法観も今上(きんじょう)天皇のスタンスとは大きな違いが見られるが、「アベ政治を許さない!」を揮毫(きごう)した平和の俳人・故金子兜太(とうた)言うところの「アベという変な奴」に壊されたらたまったものではない。国民は安倍嘘つき内閣の「自衛隊の違憲論争に終止符を打つ」に騙されてはならない。真っ先に違憲論争に終止符を打たなくてはならないのは、自衛隊の問題ではなく、集団的自自政権を認めたあの安保関連法なのだ。
国民の命と国家滅亡を招く、戦争という最悪の事態を避けるための即効薬は、安倍一狂内閣の支持率を下げることで、先の改憲論議を止めさせたように、憲法違反の安保関連法に賛成票を投じたほとんどの自民党議員を落選させること、自民党の議席を半数以下にすることが、今を生きる人間としての次世代への責務だと思う。
<2018.5.1> モリカケの火は何故鎮火(ちんか)しないのか。官邸炎上崩壊?
野党が国会審議をボイコットしている。安倍政権下での数々の不祥事(友だち優遇のために行政をねじ曲げる、公文書の隠蔽・改竄)、その真相解明の質問にはまともに応えずはぐらかす、不誠実極まりない対応。法案審議では、その根拠となるデータの捏造などと合わせ、野党議員の国会欠席は致し方ない、と思う。
自民党議員も国民の代表議員として国会の正常化に向けて政府を正すべきだが、保身から安倍一強には逆らえない。日本の議会制民主主義は機能不全になってしまった。このような事態を招いた責任の全ては、憲法や国会軽視する戦後最悪最低の安倍政権にある。
最近も、「女性が輝く日本へ」というスローガンを掲げながら、女性記者にセクハラをした財務省事務次官を庇(かば)うだけでなく、麻生副総裁は被害者をさらに傷つける言葉を平気で吐き、安倍首相も黙認。これで「女性は輝けるのだろうか?」。国民は、どこまでこの異様な政権を野放しにしておくつもりなのだろうか。
安倍首相は、言葉では丁寧に説明すると言うが(安倍首相によって“丁寧”という言葉は、“乱暴”という意味になってしまったが)、真相を解明する気持ちは全くなく、安倍官邸主導によるモリカケ問題での一貫した政官関係者の姿勢「ウソと真実が明らかになっても強弁で逃げ切る」が、現在無所属で政治活動を続けている福島伸(のぶ)亨(ゆき)前衆議院議員(当時民進党)のインタビュー記事――権力の監視というジャーナリズムの使命を忘れた某大手新聞や捏造記事を連発する某新聞(『検証 産経新聞報道』参照)には書けない記事を報じ続ける東京新聞の「『森友関与あるなら辞める』首相答弁」(2018.4.14)――で理解できた。
それは、タイトルに「一切否定で疑惑の火広がった」とあるもので、それによると、昨年2月の国会審議で、「森友問題」での首相の進退発言「私や妻が関係していたら首相も議員も辞める」を引きだした福島氏は、「事前の質問通告を受け、首相官邸は『一切を否定する』という答弁ラインを最初に決めたと思う」と言う、それは、憲法違反の集団的自衛権行使容認を強行採決しても支持率は一時の急落ですぐに回復したことから、国民は何をしても忘れる(許してくれる)と読み、「首相が最初に強く否定すれば火は消えると踏んだ」からで、今「一切を否定したことで、火はむしろ燃え盛った」という。
福島氏は「全体像は単純。昭恵氏が名誉校長を務めている事情を鑑み官僚組織が工夫を重ね、国有地をただに近い価格で売り払った。経緯が明らかになれば首相が辞めなければならないので、文章も改ざんしたのでは。夫人付き職員が、財務省に紹介のフックスを送っており、昭恵氏は関与している。昭恵氏への陳情を処理する仕組みができていた」と語った。
「一切を否定すれば、乗り切れると決めた」ことによって、佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官はウソをつき続けた。ウソの上塗りがはがれてきてつじつまが合わなくなったら、「国民が忘れてくれないか」「この問題から国民の目を反らせてくれる大事件が起こらないか」と、だんまりを決め込み、その時が訪れるまで引き延ばすのが安倍嘘つき官邸の戦略なのだ。加計問題でも、官邸と柳瀬唯夫(ただお)元首相秘書官を始め関連省庁の人たちが明らかにウソと分かるウソを連発している。この国を統治する人たちの人間性は完全に喪失してしまったのだ。
加計・森友共に、時が経つにつれて事実関係が明らかになり、官邸の非常識な対応に与党内でも批判が出てきたが、東京新聞(4月17日)の本音のコラムに「泥船内閣」(社会派ルポライター鎌田慧(さとし))というものがあった。常識ある国民の感覚に沿った記事と思われるので、以下引用させてもらう。< >内は意志道(いしどう)のコメント。
トランプ政権のシリアへのミサイル攻撃まで支持した安倍首相。渡米中は、リゾート地でゴルフ三昧(ざんまい)とか。<日本政府がやるべき拉致問題解決をトランプに頼むしかない手を打てない無能さ>しかし、支持率は急落して26.7%(4月13~15日、NNN調べ)。尻に火がついている状態で、命運尽きようとしている。
加計問題。「首相説明に信憑性(しんぴょうせい)ない」が66%。ウソつき、改ざん首相として歴史に記憶されよう。共同通信の世論調査でも、女性の回答は「首相が信頼できない」が61.7%。泥沼内閣である。自浄能力を欠いた政権党の危機は深まっている。
妻が名誉校長を務めていた小学校が、ただ同然で国有地を入手。「腹心の友」が経営する大学が一校だけ、五十年ぶりに認可された獣医学部の受け皿になった。それらに関する公文書は、改竄(かいざん)隠蔽(いんぺい)。安倍首相は「ウミを出し切る」と官僚に責任を押しつけて、まるで他人ごとだが、ウミの発生源は本人自身なのだ。<少なくとも昭恵夫人は、この問題に関与しており、安倍さんは、首相はもとより議員も辞めるべきだし、ウミは安倍さん自身、に同感!>
この驚天動地の二つの不祥事件は、安倍首相が首相でなかったなら、発生していなかったのは自明の理である。まったく自省の足りない首相は取り巻きを引き立て、韓国の前大統領のように行政をねじ曲げた。この汚れた両手で、世界に誇れる平和憲法が絞め殺されるのは、あまりにも不幸だ。
防衛予算は過去最高、増額された分は押しつけられた米製兵器の輸入にまわされる。<税金の私物化>この国はどこへ向かうのか、私たちの理知(物の道理を分別理解する知恵)と怒りがまだ足りない。
以上が「本音のコラム」の記事だが、憲法違反や強行採決、そしてモリカケ問題や複数の省庁による情報隠蔽など、国民は政府と役所を信用しない状態なっていて、政府や役人の言うことには従わないだろう。となると、力づくとお金(出所は税金)で国民を従わせる方向に向かう。お金では原発再稼働、力づくは沖縄基地の建設強行のように。
日本社会はめちゃくちゃになってきた。何故国民は、この政権を倒さないのか、支持する層の一番の理由として「他に適当な人がいない」(支持理由の45%/3月31日、4月1日の共同通信調査結果)がある。これは、憲法無視の連続、政官界の不正の頻発、基本的人権を蔑(ないがし)ろにし、「国民主権」「戦争の出来る国」への大転換を目論む戦後最低最悪の首相を続けさせる理由にはなり得ない。
日本国民が“善悪の判断”や“大事なことは何か”を判断できなくなったとしか思えない。
共同通信調査(4月14~15日)によると、団塊世代の引退による人手不足などで民主党政権時代からの雇用環境の改善継続なのに18歳から30代の人の内閣支持率が49.3%もあり、将来にわたっての心配事だ。経済界も支持する企業が73%もある(だからか、日経調査の支持率がもっとも高い)。因みに、60代以上の支持率は31.3%、40~50代が33.2%。
<安倍嘘つき内閣延命指標(直近の安倍内閣支持率)>
26.7%(日本テレビ)~42%(日経)
内訳は、26.7%(4月13~15日NNN日本テレビ)、29%(4月21~22日ANNテレビ朝日)、30%(4月21~22日毎日)、31%(4月14~15日朝日)、37%(4月14~15日共同通信)、38%(4月6~7日NHK)、38.3%(4月21~22日産経・FNN)、38.4%(4月6~9日時事通信)、39%(4月20~22日読売)、40%(4月7~8日JNNTBSテレビ)、42%(3月23~25日日経)
<2018.4.15> 現実味を帯びてきた独裁政府による国民の権利制限
安倍政権による安倍政治を批判する市民への圧力が強まってきた。
森友問題での公文書改竄(かいざん)が問題になっていた先月16日、名古屋市の教育委員会が文科省の教育現場への異常とも言える干渉を受けた。
昨年、安倍首相の友だち優遇の「加計(かけ)学園の獣医学部新設」において、「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向」などの文書を菅義偉(すがよしひで)官房長官が「怪文書」と断じた折、「あったものをなかったものにできない」「公平、公正であるべき行政のあり方がゆがめられたと思っております」と語った前文科省事務次官・前川氏が2月中旬名古屋の公立中学で授業を行ったことへの文科省の圧力メール(3月1日~7日)が公開された。
それは、自民党議員(自民党文科部会長代理の池田佳隆衆院議員と会長の赤池誠章衆議院議員の二人の安倍チルドレン)の照会を受け、文科省が、中学校に、天下り問題で懲戒処分され、出会い系バーを利用した前川氏をなぜ招いたのか、講演の目的、内容を知らせろと事細(ことこま)かく、しつこく報告を迫ったものだった。
中学校の校長は、「天下りは省庁全体の問題」「バーの利用は、良心的な目的だったと報道されていた」と、良識ある応答をしたが、文科省は、当初“まずい”と思ったのか議員名を公表しなかった。また、市教育委員会がメール公開する際には、前川氏の氏名の黒塗りの要請をしていた。
「このような責任(天下り、出会い系バーの利用)を問われた方が、道徳教育を行う学校で授業を行ったことについて見解をご教授ください」との問い合わせから、この非常識な自民党議員の狙いは、政権批判をする人間に圧力を加えることなのだが、立憲主義を解さない、憲法違反の集団的自衛権行使を含む安保法制や友達のための政治を行う安倍政権与党の自民党議員が、何をかいわんやであり、文科省も小学校や中学校の道徳の教科書検定を行う資格は無いと言わざるをえない。
さらに問題なのは、林芳正(よしまさ)文科大臣の「誤解を招きかねない面もあった。表現ぶりを慎重に検討してもよかった」発言で、国が教育内容を統制した先の大戦の反省から、教育基本法には、「教育は不当な支配に服することなく」、すなわち国は教育内容には踏み込まない、とあるのに、「法令に基づいた行為だった」と、「これからもやるよ」という意味の言葉を発したことだ。文科省の役人も「現場にプレッシャーをかけた認識はない」という非常識なコメント発した。
安倍政権の友だちには、税金贈与(国有地の途方もない値引きや加計学園への私学補助金など)を始めさまざまな優遇や便宜を与え――佐川氏が、国税庁長官に昇進する。米英仏など海外の主要メディアでも取り上げられた安倍首相お抱えジャーナリスト山口敬之(のりゆき)氏の準強姦・逮捕もみ消し疑惑など――、一方で、非常識な政権(憲法違反の集団的自衛権行使容認や共謀罪などの強行採決)の不正を指摘する者には、人格攻撃や嫌がらせなどの圧力を加えたり、本来、不偏不党・厳正公平を旨とし、人権の尊重を基本に行使すべき検察が、不当な長期拘留(補助金適正化法違反容疑で逮捕された籠池(かごいけ)夫妻は、証拠隠滅や逃亡の恐れがないにもかかわらず半年以上も拘束)をする。
文科省の動きは、「政権批判をすれば、政府と役人から監視や圧力を受けることになるぞ」という国民への脅しであり、個人の自由への侵害であり、一般市民の自由な生活を脅(おびや)かす大問題なのだ。
我々国民は、こういうことをさせるために、政治家や役人を税金で生活させているのではない!二度とこうことをさせないためにも、声を大にして怒(いか)らなければならない。
そこで提案。「異常な政権のために働く文科省」に替わって、本件で「本来、教育に対する政治の不当な介入を阻(はば)む役割を負う文部科学省が、逆にそうした政治の介入に屈してしまったことは残念に思います」と語った前文科省事務次官・前川氏をトップに据えた「国民のための文科省(倫理的納税で財政的に支える)」を新設するのはどうだろうか。
これを手始めに、国民の税金で生活している役人が国民の生活と命を搾取するという二重詐欺者の巣窟(そうくつ)省庁――国有地を不当に安く安倍夫妻の友だちに与えることに加担する隠蔽・改竄(かいざん)財務省、そして、過労死を誘発させるかもしれない制度を要請する経団連を捏造データで後押しする隠蔽・捏造厚労省(あの消えた年金問題も起こした)、さらに、再生エネルギー事業普及の邪魔をして、「原子力ムラ」の人たちのために国土と国民の命を奪う原発を推進する経産省――に替わって、国民のための財務省・厚労省・経産省を設立しよう。
哲学者・内山節(たかし)氏は、代議制民主主義の下で「独裁政治」を産む民主主義は不完全であるといい、この不完全な民主主義を正すのに、社会学者のマックス・ウェーバーがいう「政治家や官僚への倫理観」と社会学者ハーバーマスの言う「徹底した情報公開と市民による監視」に解決の糸口を見いだそうとした(東京新聞2018.3.18)とある。しかし、今の日本の政治家と官僚には、嘘つきの巣窟(そうくつ)「安倍官邸」の下では倫理観や情報公開も期待できない状態にある。あとは、内山氏の言う「権力の弱小化=地方分権(地方主権の強化)」しかなさそうだが、憲法改正で国家主権を狙う安倍独裁政権下ではそれも不可能に近い。
現状打破の早期解決策は、省庁を使って国民の監視を強化する自民党と安倍嘘つき内閣の支持率を下げることだ。12日の財務省改竄発表後の3月17~18日調査の毎日が、支持33%/不支持47%、朝日は31%/48%とほぼ同じ。3月31日~4月1日調査の読売は42%/50%、共同通信社は、42.4%/47.5%。4月6~8日調査のNHKは、38%/45%といずれも支持率が急落し、不支持が支持を上回ってきた。
不支持の理由でトップは、いずれの調査も「首相が信頼できない」であり、憲法違反を繰り返し、平気でウソのつける首相の人間性が不支持の最大の理由になっている。
憲法を無視する人間が「法の支配重視」を口にするのと同様に、首相自身が「膿(うみ)」なのに、加計問題絡みで「行政に対する国民の信頼が揺らいでいる。徹底的に調査し、膿を出し切る。しっかりと立て直していきたい」という。信頼回復の即効薬は「退陣」なのに、「信頼回復」のために続投するという異常な感覚で行政を執り行う安倍政権の長期化を許してきた支持率を政権継続危険水域の30%以下にするしかない!
支持率が下がらなければ、国民監視や国民の権利制限に留まらず、反政府活動を封じる中国や政権に批判的な人間を殺害する北朝鮮と同じ全体主義国家に向かって進むことになるだろう。
<2018.4.1> 内閣支持率の多寡(たか)が日本の未来を決める
既ブログ(2月1日と15日)で記したように、日本国民はアベノミクのトリクルダウン(富裕者からのお零(こぼ)れ)に騙(だま)され続け、知らず知らずに増えつづける社会保険料や物価上昇などによって生活難が進み、加えて70年以上に亘り憲法9条の下で平和国家として国際社会から尊敬を得ている国から、国民が望まない「戦争の出来る国」に突き進んでいる。
この状況を作ったのは、異様な政治・行政を進める安倍政権を否定せず支持し続ける人たちなのだが、この人たちは、次世代になんと申し開きをするのだろう。
今国会でも、安倍政権は、下がらない支持率を背景に、愚行を続けている。
まずは、森友問題。友だち(今は、この友達を長期拘留)に便宜を図りウヤムヤしようとする行為をこのまま許せば、このようなことが今後も繰り返されることになるだろう。これは公正・公平であるべき行政の破壊、民主主義の崩壊と日本社会の無秩序化をもたらす重大な問題なのだ。
真相解明から逃げ続ける安倍政権の思う壺なのだが、「この問題をいつまでも国会で議論するのは時間の無駄で、もっと重要なことを議論せよ」という声がある。
もし不正がないなら、国会で虚偽答弁した国税庁長官の更迭はもとより(13日に辞任)、麻生財務相が監督責任を取って辞任すれば終わるはずなのに、詭弁(きべん)を弄(ろう)し続けた麻生財務相は、野党の辞任要求にヤクザ以上の凄(すご)みを見せ、ウソつき首相と共に逃げ回っている。
そして、27日の佐川前国税庁長官の証人喚問。前回のブログで「今後予定されている証人喚問で、あなたの人間としての価値が決まります」と記したが、佐川氏は良心を捨て、安倍首相夫妻の影響や官邸・麻生財務大臣の関与のところだけ明確に否定し、決済文書の改竄(ざん)は誰が何のためにやったのかなどの肝心なところは答弁を拒否した。
安倍政権の今までの行状(ぎょうじょう)(嘘つき)から、佐川氏が政権から何か将来にわたって論功行賞を受ける(使途開示不要の十数億円の官房機密費から?)のでは、と疑わざるを得ない。
安倍政権は、政治と行政の信頼回復のために真相解明をするとしたが特性発揮(口先ばかり)で、利益者である安倍首相・麻生大臣と佐川氏――政権の危機回避と将来の生活保障――を守るための台本にそって国会で寸劇を演じた丸川珠代(たまよ)自民党議員と佐川氏の人間性には呆れる。国民の疑問は晴れず、政治と行政に対する不信感は更に深まった。
日本社会と議会制民主主義を正常に戻すためには、国民が忘れるまで逃げようとする安倍首相への追及の手を緩めてはならない。政治や税金の私有化はもとより、権力の僅かな不正を許せば、もっと大きな問題(後述)を起こすことになると思う。
安倍政権が今国会の目玉としていた「働き方改革」の裁量労働制(定額残業代で仕事の進め方を労働者に任せる)は、国民の生活を豊かにするという企業の社会的使命を忘れた経団連の要請なのだが、長時間労働抑制につながるとしていた厚労省データの捏造――裁量労働制の下で働く人の方が、一般の労働者よりも労働時間が短い、というウソや一般労働者の1日の残業時間が45時間など――が指摘され、再調査をすればさらに不利な結果が出てしまうために再調査を拒否した。これにはさすがに、身内の与党からも異論が出て、得意技の民意無視(裁量労働制の「対象拡大に反対」57%、「対象拡大に賛成」18%/2月24、25日の毎日新聞調査結果)の強行採決もできず、法案から削除した(3月1日)。
いずれ時期を見て再提出するだろうが、残された「高度プロフェッショナル(残業代ゼロで成果が出るまで働かせる)制度」によって国際的にも問題になっている過労死者が増えるだろう。これが国民の命と生活を守るのが使命という安倍政権の「働き方改革」なのだ。
これらは、いままで心地よい言葉のスローガンを掲げて、国民を騙してきた構図――「女性活躍」といいながら、2017年の男女平等度「ジェンダー・ギャップ指数」は、144ヶ国中、107位から114位に下がっている――と同じなのに、安倍政権が見做(みな)す「考えない(権力を疑わない)国民」は、いつまでも安倍政権に騙され続ける…
もう一つ。いい加減な官僚が巣食う経産省+有識者会議の御用識者と経団連+商工会議所+電力会社連合の結託問題を取り上げたい。
多くの国々が、国土と国民の命を奪うだけでなく、コスト面からも原発を止め再生エネルギーへ向かっている中、大手電力会社は、全国平均で10~20%しか使われていない送電線に空きがないとウソをつき、再生エネルギーに取り組む新規事業者に法外な送電線の増設費用を要求して再生エネルギーの普及を阻止していることが分かった。
経産省は、反原発の国民の声など眼中になく、役人の天下り先確保を含む既得権益層のために働く。
原発事故関連費用の国費負担の総額は22.6兆円/(昨年12月の経産省試算)というが、経産省は試算の度にその費用を膨らましている。民間シンクタンク「日本経済研究センター」は総額で最大70兆円(人口128百万人として、1人55万円の負担)に上るとの試算結果を報じ、「国民負担(税金と電気料金)が大幅増の怖れがあり、国の原子力政策の見直しが必要だ」と提言している。
原発事故の原因究明もせずに民意に反し再稼働を目指し、トラブル続きの高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の廃炉決定後(2016年末決定)も核燃料サイクル政策や高速炉の研究開発を維持するようだが、「もんじゅ」には、昭和55年の建設から約1.6兆円も税金の無駄遣いをし、廃炉には30年で少なくとも3,750億円かかるという。
また、建設費が2.2兆円にふくらんだ六ケ所村の再処理工場は着工(1993年)以来試運転さえできず、稼働できてもこれから14兆円以上もかかるという。
さらに、核の最終処理場(経産省の昨年12月の試算では3.7兆円。電気料金で負担)は未決の状態だ。
これらの膨大な無駄遣い(税金投入費)は「原子力ムラ(政治家、経産省、原発メーカーと経団連幹部、電力会社、御用学者)法曹界、一部マスコミ」の人たちで支払うべきだ。
そんな中、なぜ原発を再稼動するのか、常識の通じない安倍政権では原発止められないと諦めた小泉元首相の言葉は的(まと)を得ている。安倍首相を辞めさせるしか道はなさそうだ。
以上の三つの問題は、政官財のトップたちが結託して普通の会社ではあり得ないことを平気で行っている反社会的行為なのだ。
日本の統治者たちのあまりに酷(ひど)い行いが、詐欺の横行、大企業のデータ捏造問題などの反社会的行動を誘導している。国のトップが非常識だからその真似をして何が悪い。こうやって正義は脇に置かれ、日本社会が壊れていく…
歴代のどの首相も守ってきた憲法9条(専守防衛)を壊し、武器輸出を解禁し、特定機密保護法や共謀罪を強行採決し、原発再稼働の推進、辺野古基地建設など民意を無視し続け、友だちに便宜を図ったのを隠蔽や虚偽で隠す。隠せなくなると開き直る。こういうことが平気で行えるのは、何をやっても安倍政権の支持率が下がらないからなのだが、ここへ来てやっと下がった。今までと同じような支持率回復をさせてはならない。
さてここからが日本の大問題です。何をやっても許してしまう国民を小ばかにして、安倍政権は、3月25日の自民党大会で9条を含む改憲案を示した(共同通信の世論調査では、安倍首相の下での改憲に国民の半分以上が反対)。
改憲草案には自衛隊の明記や緊急事態条項の加憲がある。そうなれば、先に強行採決された違憲の安保法制と合わせ、自衛隊の海外での武力行使を合法化させることになる。反対運動が起これば自民党改憲草案にある緊急事態宣言をして、全権を掌握(しょうあく)し、国会無視や反政権のメディアは排除され、国民の基本的人権も停止されることになるかも知れない。
麻生副総理が、以前ほとんどの憲法学者が違憲とした集団的自衛権行使を容認した安保法制強行採決に際し、ヒトラーの手法を真似たらいいと言ったのは、このことだ。そうなったら後の祭りで、日本国民はヒトラーが統治したドイツと同じ道を辿(たど)ることになるだろう。
それを望む国民(安倍政権支持者)がまだ44%(NHK3月調査結果)もいる…「独裁を安定などと狂い咲き」*
* 東京新聞2017.3.19
2月20日98歳で亡くなった俳人・金子兜太(とうた)さん(平和を訴え続け、「アベとかいう変な人に痛切な危機感」を抱き、2015年の安保法制に反対する全国のデモで用いられたプラカード「アベ政治を許さない」を揮毫(きごう)した俳人)が選者の「平和の俳句」より
<2018.3.15> 拝啓「心が壊れている」佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官さまへ、「壊れつつある」同胞へ。
今回のブログは、只今進行中の森友問題について、です。今後の展開は、非常識な政権下では読めませんが、今までのところでの報告は以下です。
安倍政権の友だち便宜疑惑に加担した忖度隠蔽官僚・佐川宣寿国税庁長官は、財務省近畿財務局長当時の安倍政権への論功行賞(森友問題で8億円の値引き協議はしていないなどと国会で答弁)で、昨年7月に国税庁長官に昇進したが、その後虚偽を立証する音声データの存在や交渉記録の書き換え疑惑が出ても国税庁長官に居座っていた。
その佐川氏が、幾重にも貼りつけられたウソの壁紙が次々と剥がされ、関係者に自殺者――安倍昭恵夫人の言動(自身と付き人を使っての働きかけ)から始まった森友への特例的土地売却の交渉にあたっていた近畿財務局の職員が自殺(7日)。遺書には書き換えを指示した上司の名前が?――が出て、今年度の確定申告中の9日、慌てて辞任した(佐川氏と理財局の一部の者の仕業として、麻生財務大臣は自身の責任回避狙い?で即決了承)。
辞任の理由が(麻生大臣と事前調整したのか)可笑しい。「このたび財務大臣に対しまして理財局時代の国会対応に丁寧さを欠き、国会審議の混乱を招いたこと、行政文書の管理状況について様々な指摘を受けていますこと、さらに今回とりざたされている決済文書の国会提出時の担当局長だったことを踏まえ、国税庁長官の職を辞し、退職したいと(麻生財務大臣に)お伝えし、お認めいただきました。今回処分を受けましたこと、および確定申告期間中に辞職となったことをお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした」と、白々(しらじら)しい。本当は、安倍政権の疑惑隠しのために、国会で国民に対しウソをついた、というべき。
これは政府の犯罪(刑法156条の「虚偽公文書変造罪」)であり、民主主義の根幹を揺るがす国家的大罪である。さらに、結果的に昭恵夫人の言動が職員の命を奪った事件なのだ。
麻生財務相は、最後まで真実を語らず心性(しんしょう)(心の本来の姿/広辞苑)を取り戻せなかった俗物(ぞくぶつ)(名誉や利益にとらわれてばかりいるつまらない人物/広辞苑)佐川氏を「極めて適切な人物」という。次は、安倍内閣の偽装大臣に栄転?させるつもりなのかも…
昨年12月の国家公務員倫理週間で、佐川氏は国税庁長官として、『国税庁の使命を果たすためには、国民からの信頼を得ることが不可欠で、国民の疑惑や不信を招くことがないように心がけていただきたい』と、自身のやったことはどこへやら、職員に文章で呼びかけた。事の善悪は分かっているが真実を語らず辞任する佐川さんに、哲学者・池田晶子さんの次の言葉を送りたい。
「悪い心になった時、人はよい人生をいきることができなくなるのだから、生きる目的だって、本当はなくなっているんだ。悪い心になってまで生きなければならない理由なんか、本当はないんだ。このことに気がつくのが怖いから、世のほとんどの大人たちは、適当に悪いことをしながら、悪いことをしている自分をごまかしながら、なんとなく生きてゆくことになっている。こういう人生を幸福な人生だと君は思うかい?」(『14歳の君へ』)
1年前の昨年1月、友だち優遇特区今治の加計学園問題で「行政がゆがめられた」と語っていた前文科省事務次官の前川氏は、「行政に無理なことは、役人が自発的にやるはずがない。何らかの政治の力が働いているからこういうことが起こる」「辞めるのであれば、もっと自由に発言したらいい」と語った(10日の岐阜市民会館/11日の朝日新聞)が、ここへ来て、ごまかしながら生きることさえ出来なくなった佐川君は、この場に及んでも安倍夫妻や「信頼回復が一番大切なので、必要な対応を行っていくのが、私どもの仕事だ」と、信頼回復には自身の辞任が効果的なのに大臣の椅子に居座る麻生大臣、加計問題で「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向」などの記録があるのに、「まったく当たらない」と得意の言葉で言い放った菅官房長官らを守り続けている。
「佐川くん。君は、まさに池田さんが言っている状態で、人生80年の時代に、自分を誤魔化しながら、家族親族を道連れに良心の呵責に苛(さいな)まれつつ残りの20年を生きるのですね?生きる目的さえ無くして、本当にそれでいいのですか?」
今後予定されている証人喚問で、あなたの人間としての価値が決まります。
以上は佐川さん個人の人間性の問題ですが、もっと大きな問題は、国民の質の低下によって引き起こされると、思っています。
どんな不祥事を起こす企業でも、本来の職務(使命)を忘れただけでなく、人間性に問題がある人間を昇進させることは基本的にはありえない。
ドラッカーの言葉『経営の哲学』に、次の言葉がある。
「不公正な人事の弊害…追従や立ち回りのうまい者が昇進するのであれば、組織そのものが業績の上がらない追従の世界となる、公正な人事のために全力を尽くさないトップマネジメントは、業績への敬意を損なう」。
企業にとって一番大事なのは、人事。安倍政権の世界は違うようだ。そして安倍政権への不信はもとより、行政全体への国民の不信は取り返しのつかないところに達した。
安倍政権の税金の私財化はあまりに酷(ひど)い――政治献金を受けながら政党助成金を受け続け、政権に有利かどうかで国政選挙を行い、税金を使う。今後続く増税(国民健康保険料の引き上げ、介護保険の自己負担引き上げ、消費税増税など)で国民の生活を引き下げる一方、トランプ大統領の武器売り込みに即応し、友達(加計学園)に便宜を図る(森友への国有地値引き、加計学園への助成金など)。地球儀を俯瞰(ふかん)する外交と称して、夫婦で外遊を続ける安倍夫妻(一回平均約2億円の外遊費用)。米軍機の燃料タンク投棄の経済的被害を税金で補償するなど――血税の私財化は甚だしい。
本田宗一郎さんは生前「国民は、自分で納めた税金を無駄遣いされているのに、なぜもっと怒らないのか」といっていた。
いま日本は、ベストセラー『コスモス』の著者、惑星天文学者カール・セーガン(1934-1996)が言っていた「リーダーシップの質に加えて、市民による批判的な思考と政治的行動が衰退する傾向にある」(『百億の星と千億の生命』)、と思う。
この政権をこのまま許せば、福田元首相の言うように、国は間違いなく壊れるだろう。
善悪の区別が出来ず、事の重大性が理解できない、こんな政権を高い支持率で支えている国民“心が壊れつつある国民”が諸悪の根源であり、自分で自分の首を絞めているのが今の日本だと言えよう。
<2018.3.1> 「疫病神アベラ―には近づくな!」
首相官邸のサイトに、「2月19日、安倍総理は、平昌(ピョンチャン)オリンピックで金メダルを獲得した小平奈緒(こだいらなお)選手へお祝いの電話をかけました」とある。
『女性セブン』(2014.8.15日号)によると、女性が選ぶ嫌いな政治家と女性が選ぶ嫌いな男の両方で、安倍首相が1位(不人気メダル2個)をゲットしている。この不人気を挽回するために、国民的英雄にすり寄っているのだ。
<備考>この嫌われ者の調査は、3年半前のものだが、安倍政権に不利な調査結果報道をすると森友学園の籠池(かごいけ)夫妻のように、異例とも言える長期拘留(半年以上になる)になること恐れたのか、その後『女性セブン』からの同様の調査結果が見つけられない。
嫌われ者のNo.1挽回のための人気者への擦り寄り作戦として、トランプ大統領来日時の昨年11月6日、安倍首相は、大統領と大統領要望の松山英樹プロと3人でゴルフ(安倍首相はバンカーにバク転落した)を行った。
今年2月13日には、将棋の羽生善治永(はぶよしはる)世7冠と囲碁の井山裕太7冠に、国民栄誉賞(昭和52年に創設。広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者または団体に栄誉を与えるため、内閣総理大臣が授与する賞/デジタル大辞泉)を贈った。広く国民に嫌われ、国民に不信と不安を与え続けている安倍総理大臣が、国民栄誉賞を与える茶番を演出している。
その後、安倍首相に擦り寄られた人気者たちには以下の災厄(さいやく)が降りかかった。
松山プロは、2月5日、プロツアー第13戦「フェニックス・オープン」の第2ラウンドスタート前「左手首に痛みがあり、プレーできない」として棄権し、将棋の羽生さんと囲碁の井山さんは、直後の対局で、羽生さんは中学生棋士の藤井聡太六段(15)との公式戦初対局に敗れ、井山さんは、「世界一」に挑んだ囲碁のLG杯朝鮮日報棋王戦(毎日新聞社後援)で、中国の棋士(19)に敗れた。安倍首相は疫病神なのだ!?
なにやら、フィギュアスケートの羽生結弦(はにゅうゆづる)選手とスピードスケートの小平奈緒選手にも国民栄誉賞を与えるという話が聞こえる。両選手には、疫病神・安倍首相からの受賞を辞退するよう下記アドバイスを送りたい。
さすがに国民に災禍をもたらす人からの受賞は受けられないとは言えないだろうから、これまで2度(2001年と2004年)も受賞を固辞したイチロー選手のように、「まだ現役で発展途上のため」と言って断ることを勧めたい。同様に、オリンピック終盤金メダルを奪取した女子パシュート・チーム皆さんとマススタートの初代女王高木菜那(なな)選手へも。
安倍首相には次のことを分かってほしい。嫌われ者の安倍首相が金メダリストに近寄よることは、金メダルを汚(けが)すと同時に、憲法さえ蔑(ないがし)ろにし、弱者をいじめて切り捨てる、友達に便宜を図って逃げ回る、嫌われ者の安倍首相が小平さんに近寄ることは、オリンピック3連覇を逃し泣き崩れる韓国の李(イ)相花(サンファ)選手への気遣いなど人柄の良さや品性から世界中の人に愛されている小平さんの評価に泥を塗る、ということを。
また、この国民栄誉賞の話は、少なくとも、9日から始まるパラリンピックに挑むアスリートの純粋な気持ちに悪影響を与えないように、パラオリンピックが終わる18日までは控えてほしい。
最近の世論調査で固定している安倍首相を支持しない理由のトップは、「人柄が信頼できなから」(嫌いの35%)であり、どんなに人気者に擦り寄っても人間性に問題があるのだから、好感を持たれるようには決してならない。それでも、安倍首相は嫌われ者1位を挽回するために国民的人気者に擦り寄ってくるだろう。擦り寄られる人気者たちに次の合言葉を送りたい。「疫病神アベラ―には近づくな!」
<2018.2.15> アベノミクスの総まとめ
この4月に5年の任期切れとなる安倍政権の下請け機関・日銀の黒田総裁の再任が決まったようだ。富める者が更に富む、格差拡大の放置、ほとんどの国民の生活を壊す弱者切り捨てのアベノミクスが続くことになった。
以下は、前回のブログで扱った『アベノミクスによろしく』の総まとめです(意志道が若干加筆)。
異次元の金融緩和を行っても、マネーストック(世の中に出回っているお金の総量)の増加ペースは変わらず物価も上がらない結果を招いた。物価上昇は消費税の増税(5%→8%/2014.4.1から)と円安によるものだけで、マイナス金利政策もマネーストックの増加、物価上昇に効果なし。
増税と円安で物価は上昇したが、賃金がほとんど伸びなかったので消費が異常に冷え込み、経済は停滞した。
経済停滞をごまかすため、2008SNA(約20兆円/2011年の研究開発費加算)対応を隠れ蓑に、この改定によって異常なGDPのかさ上げが行われた。
雇用の数字改善は労働人口減、高齢化のよる医療・福祉分野の需要増など労働構造の変化によるもので、これはアベノミクス以前から続いており、アベノミクスとは無関係。
株高は日銀と年金(GPIF)で吊り上げているだけ。実体経済は反映されていない。
輸出は伸びたが製造業の実質賃金は伸びていない。また、輸出数量が伸びたわけでもなく、円安効果だけで一部の輸出企業が儲かっただけ。
3年連続賃上げ2%は全労働者(役員を除く)のわずか5%にしかあてはまらない。
アベノミクス第3の矢の目玉である残業代ゼロ法案は長時間労働をさらに助長し、労働者の生命と健康に大きな危険を生じさせる他、経済にも悪影響を与える。
金融緩和をやめると国債・円・株価すべてが暴落する恐れがあるので出口がない。このまま続けるといつか円の信用がなくなり、結局円と株価の暴落を招く恐れがある。引くも地獄、進むも地獄。
GDPは民主党時代の3分の1しか伸びてない、揚げ句の果てにGDPをごまかす改定をし、公金投入の為替と株高で好調を演出しているだけのアベノミクスは、超特大の副作用を残すと同時に、賃上げがないままでの円安による物価上昇で生活を壊す、大多数の国民には何の恩恵も与えていない史上最悪の経済政策だ、と指摘。
経済統計をちゃんと分析してアベノミクスの失敗を国民に知らせるべき野党、メディアの不甲斐なさは目に余るとも指摘。
また、この現実を見て「民主党よりマシ」って言えるかな?とも記されているが、面白いことに、昨年暮れの12月26日(ロイター)「デフレは人災」と題して、麻生財務相の旧民主批判の次の記事があった。
「麻生太郎財務相は26日の閣議後会見で、『デフレという経済現象は人災による部分が大きい。政府や日銀の対応が適切ではなかったが故だ』と述べ、旧民主党による政権運営を批判した。一方、政権奪還以降の5年間に関しては、最重要課題のデフレ脱却に向けて『少しずつだが確実にそういう流れが進みつつある』と語った。
麻生財務相はまた、企業収益が賃金や設備投資にもっと振り向けられていれば『景気が良くなってきたという感じはもっと広く浸透していただろう』と指摘。
アベノミクスの柱である金融緩和は『デフレ脱却に向けたものだった』としつつ、結果としてドル安/円高が是正されたとの見方を示した。」
<意志道(いしどう)談:旧民主党の成果を横取りした上で、自身を含む安倍政権の不適切な対応=人災によって最悪の事態を招いているのに、なんというコメント!
下記『経済政策を売り歩く人々』を読むと、これは過ちではなく、安倍政権の狙い(富める者が更に富む)なのかもしれない。事実、物価上昇や社会保険料の値上げなどの増税により、可処分所得な減少し、ほとんどの国民の生活は苦しくなっている>
『経済政策を売り歩く人々』(ポール・クルーグマン/ノーベル経済学受賞者)に以下がある。「(経済学者というよりも政策プロモーターの)ガルブレイス(1908-2006)などは政治とは上から二〇%以内の富裕所得層に入る選挙民の利益代表にすぎないと見ていて、選挙民はどこに自分たちの利益があるのかさえわかっていないことが多く、政治家は何をするかというと、自分たちの利益を誘導するような形で、人々(国民)に彼ら(政策プロモーター)の政策ビジョンを説明する」とある。
アベノミクスを称賛する経済知識人、権力を“よいしょ”する御用学者(政策プロモーター)を信じてはならないのだ。
『アベノミクスによろしく』の最終章には、「アベノミクスは、ごく一部の人たちに利益をもたらし、為替と株価という目立つ数値が良く見えるだけで、いつかの時点で円と株価の暴落が起きて経済に大混乱が起きれば、さすがに国民も目を覚ますかもしれない」とあり、「気づいた時には日本は終了じゃん」とある。先月23日の施政方針演説では、2014年4月実施の消費増税時(5%→8%=年間約8兆円の国民負担増)に、財政危機*を煽(あお)っていた財政再建にほとんど触れなかった。失政を追求されるこの問題には触れず逃げ回る安倍政権、問題を次世代に先送りする姿勢は変わらない。
安倍政権は、戦争法案「安保関連法」や「共謀罪」など憲法違反もどきのルールづくりや、森友・加計問題などで真摯に、謙虚に丁寧に説明すると言いながら真逆の対応をしてきた。同様に、「国民の生活と命を守るのが使命」と言いつつ、アベノミクスで大多数の「国民の生活を壊し」、次は、憲法改正(9条改正)で、「国民の命を奪う」(自衛隊員を戦地に送る)ことになるだろう。
<お勉強>*財政赤字は問題であることには間違いないが、それがもたらす害は大小二つの見方がある。消費増税の必要性を国民に理解せてもらうために、御用学者は日本の財政は危機的状況にあると煽(あお)っていたが、海外は、日本の純負債はGDPの額とほぼ同額でありそれほど問題視していなかった。
<2018.2.1> 「気づけ!アベノミクスのまやかし!」
第三次安倍内閣(2014年以降)の施策評価(朝日新聞2017年12月16,17の世論調査結果)で、アベノミクスの3本の矢「異次元の金融緩和、財政政策、民間投資を促す規制緩和による成長戦略」について、「評価するとどちらかと言えば評価する」が38%、「どちらとも言えない」が33%、「評価しないどちらかと言えば評価しない」が29%と、評価する人(=騙されている人)が多い。これを楯に、安倍政権は、憲法をも無視する横暴な政治運営や森友・加計問題の批判を受けながらも生き延びている。
内閣府は、昨年11月の景気動向指標発表時、景気の基調判断は2012年12月から改善が続き、1967年11月から5年弱続いた「いざなぎ景気」を超え、戦後2番目の長さになったと説明。しかし、国民の多くは、実感が無い(昨年11月のJNN調査では83%)。
石頭団塊団は、アベノミクスの成果はみせかけで、本当は多くの国民の生活を壊していると思っていたが、それを解き明かしてくれる本『アベノミクスによろしく』が昨年の10月に刊行されていた。
この本の帯に、「豊富なデータにより、アベノミクスの本当の姿が今、明らかに!」とあり、裏表紙には「アベノミクスが大失敗しているという事実を、多くの人は知らない。日本にとって最大のリスクであるアベノミクスの『中身』と『結果』を、政府や国際機関による公式発表データを駆使して徹底検証する」とある。
名目賃金がほぼ同水準の中、アベノミクス以降、増税と金融緩和による円安で物価上昇をもたらし、円安の恩恵を受けた輸出企業の従業員も含み、ほとんどの国民の実質賃金は下がり、可処分所得(家庭で自由に使えるお金)は、この5年間で0.7%減少し、GDP(国内総生産)の約6割を占める国内実質消費は、2014年度、リーマンショック時の下落率を超え戦後最大の下落率を記録するなど景気改善とは言えない状況にあることを、データを基に分析している。
さらに驚くべきことは、「アベノミクス以降の実質GDPは、民主党政権時代の3分の1しか伸びていなかった!しかも、そのGDPの数値も、算出基準の改定(基準年の変更ほか約20兆円の研究開発費などが加算)のどさくさに紛れて、異常なかさ上げ(約8兆円/2015年度)が行われていた」(同著)とあり、景気改善基調は、安倍政権のまやかしだと断じている。これなら、ほとんどの国民が景気回復の実感がないということと合致する。
「景気が良くなれば物価が上がる」のが正論であって、「物価が上がれば景気がよくなる」というとんでもない理論で、賃金上昇を伴わない――2016年参院選での自民党テレビCMの3年連続賃上げ2%達成は、労働者全体の5%しかいない――中、物価上昇によって日本経済を停滞させているアベノミクスは、現代日本の最大のリスクだと筆者は言う。社会保障の後退などによって将来不安は増し、今後、個人消費は更に低迷すると思う。
安倍政権は、多くの国民がアベノミクスの効果を疑問視していることに対し、ノーベル経済賞受賞のクルーグマン教授の説――景気の好循環には、毎年、3~4%の賃金上昇と毎年2%以上の物価上昇(過去の高インフレの経験から出て来たもので確固たる根拠はない)が好ましい――の「賃金上昇>物価上昇」部分にやっと気づき?3%の賃金アップを経団連に要請(官製春闘)した。
円安で儲かった一部の大手輸出企業(輸出数量の増加ではなく為替差益)が応じるかもしれないが、大手企業の従業員の給料が上がり、それに準じて公務員の給料が上がる(税金が使われる)ことになる。一方、生産人口の7割強を占める中小企業の従業員は、円安によって物価があがり生活が苦しくなっていて(家計の消費支出に占める飲食費の割合=エンゲル係数は上昇)、主要先進国で二番目に(相対的)高い貧困率や今後の生活保護費の引き下げなど富める者(大手企業と役人)と貧者(中小企業従業員や非正規社員など)との格差拡大がますます進むことになるだろう。
弱者切り捨て社会への突入。これがアベノミクスの実体なのだ。
また、安倍首相が強調する雇用の改善――失業率低下、有効求人倍率上昇――も、少子高齢化で生産年齢人口の減少や医療・福祉分野での大幅な需要拡大などで民主党時代から続いていて、正規社員数の増加(2年前の2015年以降)も、民主党時代の労働契約法の改正(5年経過で非正規を申請があれば正規化)の効果で増えているのであってアベノミクスの成果ではない、と分析。
円安や株価上昇についても、2012年12月の第二次安倍政権誕生後のアベノミクス――金融緩和政策や財政出動――とは無関係だと、4年前の2013年に、「国民よ、失敗に気づけ!アベノミクスのまやかし!」という伊藤光晴京都大学名誉教授が2013年8月の『世界』で、「安倍・黒田(日銀総裁)は何もしていない」「株の上昇も円安も別の要因に基づくものであると断言できる」と指摘している。
詳しくは、同雑誌を読んでほしいのだが、株価上昇は、アベノミクス以前、すなわち政権交代以前に25%の外国人筋(個人&ファンド)の買いで動いていた――日本の株式市場は海外投資家の売買で株価が決まり、株価の変動で利を得る個人がそれに乗る――のであり、円安についても、アメリカが望むアメリカ国債の買い(円安容認)や財務官の為替介入(為替の安定化調整)、金融機関を使った複雑な介入によって起こったのであり、日銀の巨額な介入で動いたのではないと説く。
先の『アベノミクスによろしく』と合わせると、円安予想から売買合計額の6~7割の海外投資家がアベノミクス以前に株価を上げ(外人投資家にとって円安下での日本株はお買い得)、外国投資家が売り入った今、公的資金――リスクの大きい株への年金の大量投入や日銀のETF(上場投資信託)購入(株価の下落局面でETF購入)――で株価の下支えをしており、利益確定のために株を高値で売っても、公的資金(日銀の量的金融緩和とETFの購入、GPIF(年金資金投入))を止めても、株価の暴落を招く(年金も無くなる)ので異次元の金融緩和は止められない。だから出口戦略は語らない、語れない。
それでもいつかはその時が来る。この責任は誰が取る?安倍政権は、最近よく口にする「自己責任」を楯に、責任は、安倍政権のギャンブルを許してきた国民にある、と言うに違いない。
いずれにしても、安倍政権の成果としている円安、株高でさえ、「民主党の政権下でも株価上昇と円安への動きは同時進行していた」のであり、政権が自画自賛するアベノミクスによってもたされた成果ではなく、アベノミクスがもたらしたのは、実体経済の破壊、将来世代への地雷(株価暴落、年金の破綻、超インフレなど)と貧富の拡大・固定化だけのようだ。
そう言えば、トリクルダウン(富める者からのお零(こぼ)れ)も単に富裕層を更に豊かにしただけで終わった英国、フランスの経験知を無視し、安倍政権はトリクルダウンが起こると国民に説明していたなぁ―。最近では、トリクルダウンを言わなくなったが、早晩、トリクルダウンと同じく、アベノミクスという言葉も、世界の主要な中央銀行がどこもやっていない、止めた途端に、国債、そして円と株が暴落し、激しいインフレを起こす国債買いという人類が学んだ貴重な教訓(財政法第5条でも禁止)を無視した黒田日銀総裁の退任(3月)と同時に、安倍首相の口から発せられなくなるに違いない。
哲学者、故池田晶子氏は、考えるとは疑うことであるという。政府が(特に安倍政権が)望む国民像は、考えず、権力に従順な国民である。
この通りに進んでいるのが今の日本。「いざなぎ景気」超えは、政権に都合よく改ざんされたGDP値と公金介入による株高維持によるもので、民主党時代から続いている雇用環境改善(有効求人倍率や失業率)も含め、アベノミクスの成果は何もない。安倍政権が声高に言う成果には、眉(まゆ)に唾(つば)して聞かなければならない。
「国民よ、次世代のために、自分の頭で考え、アベノミクスのまやかしに気づこう!」
(以下補講)
「マネタリスト(マクロ経済の変動において貨幣供給量(マネー サプライ)、および貨幣供給を行う中央銀行の役割など、経済のマネタリー(貨幣的)な側面を重視する経済学の一派およびその主張をする経済学者を指す通貨主義者/wikipedia)の経済学者も安倍首相も、『不況からの脱却のために思い切った金融緩和をする』というが、通貨量(民間銀行の持っている国債を日銀が購入)が増えようと金利が下がろうと、不況期には投資対象はほとんどなく、リスクを考え、企業は投資を抑える(物価上昇につながる市中に出回るお金=マネーストックが増えない)から実体経済の活況化をもたらさない。金融政策はインフレに対策には有効であるが、不況対策には無効である、と解説。「不況期の1930年代では、不況期に金融政策をという愚かな人間はいなかったのであろう」と、アベノミクスの愚かさを指摘している。
<2018.1.15> 日本は、世界から異様な国(国民)と見られている
昨年12月11日の「報道ステーション」で、が「中曽根元首相は、外交4原則の中で、『世界史の正統的潮流から外れてはならない』と言っていた」(コメンテイター後藤謙次氏談)というのがあったが、安倍政権は間違いなく外していて、国際社会から日本は異様な国と評されている。
世界の流れは核廃絶に向かっていて、日本は唯一の被爆国として、核廃絶に向けて先頭に立つ資格と義務があるにも関わらず核兵器禁止条約に署名しない。
昨年12月10日のオスロ、ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の受賞式で、被爆者のサーロー節子さんは「核武装した国々(アメリカ、ロシア、英国、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮)の当局者と、いわゆる『核の傘』の下にいる共犯者たちに言います。(中略)自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです」とスピーチ。
また、最悪レベルの放射能汚染を起こした2013年の福島原発事故を受けて、ドイツを始め、何事も世論を無視して突き進む中国でさえも、原発を止め再生エネルギーに方針転換をした。原発事故が起これば大河が汚染され何億人もの人が死ぬ、と判断したようだ。
東京新聞の1月9日の社説/(ネットの新聞社説一覧)にも、日本の大問題「もはや環境途上国」があった。それによると、欧州はもちろん、トランプ政権の米国でも、中国で脱炭素革命はスタートしており、アラブ首長国連邦で世界最大級の太陽光発電所を建設中で、世界有数の産油国でさえ再生可能エネルギーに舵を切り始めたとある(太陽光パネルは中国製で、電力の供給価格は日本の原発の四分の一)。
多くの国が、安全上、コスト的に時代遅れになっている原発を止めている。なのに、日本政府は日立製作所(会長は次期経団連会長に内定)と共に、損出発生時には税金を充当する英国への原発輸出を進める。安倍政権は森友や加計と同様に、既得権益仲間の利得で政策決定している。
東京新聞の社説には、昨年11月の温暖化対策会議(ドイツのボン)で、日本政府は、高効率の石炭火力発電所の輸出による環境貢献をアピールし、世界から嘲笑を浴びた、とあり、「(原発も石炭火力発電も)時代遅れであり、脱炭素、脱原発への挑戦なしに、技術原発立国日本の持続可能性はありえません」と、指摘。
安倍政権は、国民の命と生活を守ると言いながら、核兵器禁止条約に署名せず、原発の再稼動を進めている。人類を破滅させる核と原発事故の二つの経験をした唯一の国、日本は世界から異様な国と見られている。
加えて、特定秘密保護法や共謀罪など国連人権委員会からも批判を受け続けているが、国会答弁と同じく、質問に、まともに答えていない。今日(15日)、ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶を目指す国際キャンペーン「ICAN」の事務局長が求めていた安倍総理との面会を、いつもの「日程調整上」の理由で日本政府は断った(逃げたに違いない。礼儀を欠き、日本の恥を世界に晒(さら)した)。
国際的に恥ずべき異様な政権を支持する国民も奇異な国民だと見做(みな)されるに違いない。
『よみがえる力は、どこに』(城山三郎著)の「同い歳の戦友と語る」の章で、吉村昭氏は次のように語っている。「『あの戦争は軍部がやったのであって、国民は騙(だま)されたのだ』という説。あの戦争の定義にまでなっていましたよね。嘘ですよ。文化人とマスコミによる責任転嫁です。庶民が一所懸命やったんです。われわれが、国民が、こぞってやったんですよ」と。そのあとに「それを認めないと戦争の怖さはわからない」とあるが、原発事故が起こったり、戦争やテロによって死傷者がでることになれば、また沖縄での米軍機の事故で死傷者が出たら、異様な政権を続けさせている国民全員も共犯者として糾弾されることになるだろう。
10日に吉報が入った。「安倍政権で原発ゼロを進めるのは難しい(政官財の既得権益層のため)」といい、「原発(即時)ゼロ法案」を発表した小泉元首相の働きかけ――狙いは、脱原発、省エネ推進への国民的議論の先導、反安倍政権の野党結集剤――により、原発を推進する安倍政権の支持率が下がり、これを起爆剤に、違憲の安保法制や共謀罪などの廃案、沖縄の人たちへの対応転換を促す(国民のための)国民会議的組織が生まれ、狂信的に国家主権への改憲を企てる異様な戦後最悪の安倍政権を倒すことが出来るかもしれない。
<2018.1.1> 明けましておめでとうございます。
台湾(主に高雄)で3週間住んでみました。高雄の観光地龍虎塔にある龍のガイドさん曰く「頭を撫でると賢くなる、首を撫でると金持ちになる、背中を撫でると健康になる」。石藤的には「バカにならない、時にはご褒美が出来る、病気にならない」がいい。その状態にあれば感謝する“足るを知る”。
そして、幸せを感じるものに出来るだけ多くの時間を使おうと思う“毎日が人生”。
昨年楽しんだ本は、『君たちはどう生きるか』の吉野源三郎著『人間の尊さを守ろう』『ガリバー旅行記』『旅をする木』『人はなぜ悪をなすのか』。そして衝撃を受けたのは年末に読んだ『アベノミクスによろしく』でした。これは真実を曲げて国民を騙す安倍政権にとって、発禁本だと思う。
「石頭団塊団」のブログは、四年目を迎えました。本年もご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
石頭団塊団 意志道(いしどう)一味(かずみ)
17日の東京新聞の朝刊トップ記事で以下を知った。
ハワイ在住の日系4世(沖縄出身)の作曲家ロブ・カジワラさん(32歳)が来年2月24日の県民投票まで辺野古基地建設工事の停止をトランプ大統領に求める電子署名を呼びかけている(署名開始の12月8日から来年の1月7日までに10万人の署名が得られれば、60日以内にホワイトハウスが検討し回答する制度を活用)。
こんな活動をしてくれている日系4世の呼びかけに応えなくては、日本人として恥ずかしく、石頭団塊団の意志道(いしどう)一味(かずみ)は17日15時半に署名しました(77,304人目です)。10万人に間近です。ご参加を!電子署名のアドレスは以下です。
以上。
<2018.12.15> 今年の言葉
今年こころに残った言葉は、日本軍に集団自決を迫られたり、壕(ごう)から追い出されたり虐殺された人たちを含め日米で20万人を超える犠牲者(沖縄県民の4人に一人が犠牲)を慰霊する日、6月23日、「沖縄全戦没者追悼式」での中学3年生・相良(さがら)倫子(りんこ)さんが朗読した平和の詩「生きる」だ。
米国政府関係者に、日本人は沖縄人を日本人とは思っていないと言わせてきた戦争直後から今現在までの日本政府や国民の対応――沖縄への核持ち込みの例外処置や治外法権の継続、辺野古問題への日本国民の反応の低さ、将来にわたっての沖縄への基地集中など――を思うと、その慰霊祭での(スピ―チライターが草案したにせよ、首相が認めた)安倍首相の言葉はいつも通り、血の通わない言葉としか思えない。こんな人が首相でいることが恥ずかしい。
安倍首相のあいさつでは、「先の大戦で沖縄は苛烈を極めた地上戦の場となり、二十万人もの尊い命が奪われた。夢や希望を抱きながら倒れた若者たち、わが子の無事を願いながら息絶えた父や母、平和の礎(いしじ)に刻まれた全ての戦没者の無念を思う時、胸のつぶれる思いだ。私たちが享受する平和と繁栄は、沖縄の人々の筆舌に尽くしがたい困難と癒えることのない深い悲しみの上にある。そのことを深くかみしめ、静かにこうべを垂れたい」といいながら、憲法9条を解釈改憲し、海外での武力行使ができるように集団的自衛権行使容認)を強行採決、武器輸出解禁、軍備拡張(GDPの1%以内から2%へ)と、戦争に近づいている。言行不一致極まりないのに、恥ずかしくないんだね。
以下が中学生・相良さんの詩(全文)です。国の、国民の将来を決めるトップの資質として、どちらが好ましいでしょう。
生きる
私は、生きている。 マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、草の匂いを鼻孔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。 私の生きるこの島は、何と美しのだろう。
青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、山羊の嘶(いなな)き、小川のせせらぎ、畑に続く小道、萌え出づる山の緑、優しい三(さん)線(しん)の響き、照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが、この瞬間の愛おしさが、今と言う安らぎとなり 私の中に広がりゆく。 たまらなく込み上げるこの気持ちをどう表現しよう。
大切な今よ、かけがいのない今よ、私の生きる、この今よ。
七十三年前、私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三味線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面(みなも)は、戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたんだ。 私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。 疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。 仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。 壊されて、奪われた。 生きた時代が違う。ただそれだけで。
無辜(むこ)の命を。あたりまえに生きていた、あの日を。
摩(ま)文(ぶ)仁(に)の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることができない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。 奪われた命に思いを馳せて、心から、誓う。
私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。 もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。
あなたも感じるだろう。この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。この島の悲しみを。
そして、あなたも、私と同じこの瞬間(とき)を一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当はないことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。 みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発信しよう。
一人一人が立ち上がって、みんなで未来を歩んでいこう。
魔文二の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
下記動画では、
「あなたも、私と同じこの瞬間(とき)を一緒に生きているのだ。今を一緒に、生きているのだ。 だから、きっとわかるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。頭じゃなくて、その心で。戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当はないことを。平和とは、当たり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。」の部分で目をつぶっている(耳も塞いでいる?)安倍首相が写っているが、理解できるのかなあー。
異様な政権を葬り、まともな社会を取り戻すために、正義と良心の欠片(かけら)もない権力(官邸)と金銭に執着した自民党議員たちを政界からの追放する“自民党議員の落選運動”と“自公推薦候補の落選運動”を全国規模で展開しよう!!!
<2018.11.15> すべての国民に問いたい。“こんな安倍政権”でいいの?
10月24日、臨時国会が開かれた。安倍首相は演説で、「常に民意の存するところを考察すべし」と言うが、言葉だけで民意に反して強行採決してきた数々の法律(安全保障関連法、共謀罪法、働き方関連法、カジノ整備法、衆議院定数6増法など)に対する自省力は皆無で、内閣支持率が下がらないことをいいことに世界に誇れる憲法を壊そうとしている。
本来憲法改正は国民が望むべきときに行うべきだが、立憲主義(憲法は、権力を縛るもので、第一義に権力者が守るべきもの)を理解できない安倍首相は、改憲発議に向けて猛進。野党に「対案を示せ」と言うだろうが、安倍一狂政権に対する対案は、「今の憲法を守れ!」と「ほとんどの憲法学者が違憲指摘した集団的自衛権行使を含む安保関連法を廃棄にすべし」、である。
沖仲仕哲学者エリック・ホッファー(1902‐1983)の『波止場日記』の二日目(六月二日)に、「フランスの危機(多分1929年のアメリカで発生した恐慌が遅れて波及した1932-1936年の政治的、経済的・財政的危機)について、専門家の分析や診断はあまりさえなかった。専門家より一般の人たちの方が、良い判断をしている」とある。専門家はその道に詳しいだけに、その知識に縛られ物事の判断が浅くなるのが普通らしい。
また、『哲学の使い方』(鷲田清一著)にも中井久夫(医学博士/精神分裂病)の言葉として「日本人は普通の人がえらい」というくだりがあり、「(日本は)市井(しせい)にいる『普通の人』の能力が高いので、リーダーに無能な人が就いてもそれなりにやって行ける社会だ」という。
この考えによれば、国家国民のためではなく、権力と金銭への執着とただ政界での駆け引きに長けているだけの政治家たちの下でも、日本社会が曲りなりにもやってこられたのは、政治家より正しい判断のできる国民がいたからなのだ。
だが今は違う。
ただの無能ならいいが、狡猾(こうかつ)で倫理観欠如、憲法違反の集団的自衛権行使を含む安保法制を強行採決し国民(自衛官)の命と財産(税金を軍備に際限なく使う)を奪う、この国を戦争に向かわせようとする狂信的な安倍首相に、自民党と自民党員は三年先までの総裁任期を与えた。
一方40%を超える国民が、権力の暴走を縛る立憲主義を理解できない無知なる安倍自公政権によって、国家の基軸である国民主権と平和憲法(戦争放棄)はもとより基本的人権さえもが破壊されつつあり、戦後最大の危機にあるのに、事の重大性と善悪の判断ができずに、安倍一狂内閣を支持している。“目を覚ませ!そして考えよ!”だ。
このような政権を野放しにしていては、憲法で定められた「国民主権」、「基本的人権の尊重」はもとより、「平和主義」さえ壊され、日本社会は取り返しのつかない状態になってしまうだろう。
プラトンではないが、いまほど、“人として何が正しいか?”で政治を行う真のリーダーの出現が望まれる時代はないのではないだろうか。真のリーダー探しの第一歩として、9月30日に行われた沖縄県知事選と那覇市長選で沖縄県民が示した“自公推薦候補の落選”を、来年の統一地方選と参議院選でも実現することだと思う。
<2018.12.1> 日本国民に政治を正す力はあるのだろうか?
下記のように、民主主義、憲法を無視し続ける安倍政権をなぜ支持するの?
事故が起きたら人間はただ逃げるだけの、命と国土を奪う原発は、「人を殺してはいけない、嘘をついてはいけない」と同じで、「理屈抜きの悪」であり、止めるべきである。そうすれば時間もお金も無駄にする馬鹿げた避難訓練などしなくて済む。なぜ国民は司法をも従えて再稼働を推し進める安倍政権を支持するのか。
どうしたら再稼働できるかを検討する原子力規制委員会も、政府の意向に沿って再稼動を認める司法もいらない。本当に原発が必要で、安全なら通産省と官邸の隣に新設すればいい。
さすがに来年の参院選に勝てないと思ったのか、自民党内の「再生可能エネルギー普及拡大議員連盟(2016年設立)」のメンバーが100人を超えたようだ。原発の早期再稼動を求めながらの欺瞞(ぎまん)に満ちた活動。顧問にあの麻生財務相、菅官房長官、二階幹事長が名を連ねており胡散(うさん)臭い。これは姑息な選挙対策に違いない。
歴史に汚名を残す安倍首相とその友たち(権力の私物化)――昭恵夫人は、名誉校長をしていた森友学園のために、自身の秘書を使って国有地を破格の値段での払い下げを実現した。「関与していたら首相も議員も辞める」から逃れるため、秘書(谷査恵子(さえこ)氏)をイタリア大使館に栄転させ、夫と共に、1回2億円近くかかる税金を使って外遊。公文書の改竄(かいざん)を部下に指示し国会で偽証を繰り返した当時の理財局長・佐川宣寿(のぶひさ)は、適材適所として国税庁長官に栄転(国民の不正申告を容認?と思ったら、改竄を強要された職員が自殺者した二日後に辞任)。
該当省庁である財務省のトップ麻生大臣は、責任も取らず居座り、第4次安倍内閣で留任。モリカケ問題では、安倍首相のウソを取り繕う(とりつくろう)多くの政治家・官僚が出たが、憲法違反の集団的自衛権行使を決めた閣僚に加え、この人たちも間違いなく、歴史に汚名が記録されるだろう。
朝鮮半島の緊張緩和が進む中、トランプの言いなりのままに米国製兵器を爆買いする安倍政権。防衛費がこの6年間急増しているようだ。14年度に5兆円(当初予算+補正予算)を突破し、本来ならば、災害対応などのための補正予算を兵器購入に充て、ついに兵器ローン残高は、今まで(2012年度まで3兆円前後)の倍近くになり5兆3千億円を超え、さらに増加する兆し。
既に核保有国以外では最強の軍事力を誇る日本が、安倍政権の下、専守防衛を超える攻撃的な武器装備にひた走る。この暴走アベ政権を止めるのは国民なのだが…
来年消費増税が行われる。消費増税10%を決めた時、与野党が国民に約束した「身を切る改革(議員定数の削減)と行政の無駄削除、社会保障と税の一体化」は、国会議員が6人増え、消費税増の財政再建分は幼児教育・保育の無料化に変質。案の定約束は反故(ほご)にされた。しかし、日本国民は、嘘つき内閣に寛容なのである。
11月9日、会計監査院が税金の無駄遣い1156億円(2017年度)の検査報告をした。過去十年間で二番目に少ないとのことだが、憲法で内閣とは独立した組織とは言え、日本は安倍政権への忖度横行社会にあり、信用できない。
オリンピック関連の国の支出(税金)は、当初1500億円とされていたが便乗支出などで、過去5年間で8千億円を超えた。このお金を被災地の救済・復興に使うべきではないだろうか。因みに、組織委、東京都の負担分を合わせると総額3兆円を超える大会になる。
財政再建は待ったなしで、消費増税の必要性を国民に説いてきたのに、消費増税は、際限のなく増える軍事費や議員定数増などの無駄遣いを補填するためとしか思えない状況にある。
世界の国々(57ヶ国・地域が署名、批准作業管量は6ヶ国/2018.3.21国連)が「核なき世界」を目指し、核廃絶に向けて批准する中、唯一の被爆国でありながら核兵器の保有や使用を全面的に禁止する核禁止条約に署名せず、まともな国から署名を促されるが拒否し続けている日本。こんな異様な国に何も期待するはずはないのに、安倍首相は、世界を俯瞰するといいつつ、外遊を重ねるが、国内と同じく、一向に世界中から信頼は得られず、国際社会での発言力は弱い。ただ税金の無駄遣い(外遊)を続けているだけだ。
沖縄の辺野古新基地は、将来にわたる沖縄県人の犠牲(過剰な負担)の固定化であり、新基地建設反対の民意は明らかなのに有無を言わせず工事を続行(埋め立て承認を撤回した県に対し、防衛省が同じ政府機関の国交省に、国民の権利救済目的の行政不服審査請求を悪用して、工事再開)。法治国家とは思えない。これが安倍首相のいうところの「法の支配」なのか。
本土の人たちは安倍政権の沖縄への理不尽な対応に何を感じているのだろうか。本土の沖縄への思いを伝えるためにも安倍内閣の不支持率を上げる必要がある。
10月24日から始まった臨時国会の最大の与野党対決法案である“外国人材拡大法案“(現在認めている高度人材だけでなく、ごまかしてやらせている研修生や実習生の単純労働も可能にする)について、11月13日のNHK時論公論で論点整理と解説(竹田忠解説委員)があった。この法案の必要性(今から20年後に労働人口が1000万人弱減少し、深刻な人手不足になり社会を支える税金や社会保障への影響大)から政府は来年4月からの施行を目指して、改正法案を今国会で成立させようとしているが、日本の将来を大きく左右することになる転換点というべきテーマであり、十分議論を尽くすべきとしている。
しかし安倍政権は、日本の雇用への影響や受け入れ態勢(地域、学校など)など内容(制度設計)が不鮮明のまま、すなわち国会での議論を避けて成立しようとしている。特に、前提としている現行の技能実習制度の問題(海外への技術移転=国際貢献が本来の目的だが、実態は、単純労働で、低賃金労働)――厚生労働省によると、7割の職場で法律違反、賃金不払い、違法残業、暴力や虐待など人権侵害、多数の失踪者(7000人超の実習生/2017年度)――は、アメリカの国務省に「日本では強制労働が行われている」と毎年指摘されており、まず現行制度の問題を解消し、その上であらゆる角度(納税、子どもの教育、年金や健保などの社会保障など)から環境整備を行わなければならない。
この法案は、経団連が望む人件費の削減(含む、日本人)や他国でも見られるように職の取り合いにもなる将来の日本社会を左右する重要法案であり、社会全体への影響など広範かつ慎重に審議する必要がある。
意味を知っているのか疑わしいが「民 信(しん)なくば立たず」(論語由来の格言)をよく使う安倍首相。 内閣支持率世論調査で、安倍内閣不支持理由のトップは「人柄が信頼できない」(政府に不都合な報道を控えるNHKの調査でさえ、42%が不支持の理由にあげている/11月3日)であり、意味を知っているなら、即刻辞任すべきだ。
<2018.11.1> 私事:金銭的小事件だが心問題の「自動車事故対応」を終えて
そろそろ2年近くになるが、ガソリン・スタンドで衝突され、多重被害(ぶつけられた上に、加害者の開き直りにより、相手の車の修理費の2割の支払いを迫られた)を被った怒りの自動車事故対応が、10月初旬に一応の解決に達した。当初は開き直る加害者の理不尽さに憤りを感じたが、相手はサイコパスなので責めても無意味であり、社会の乱れに繋がる人心の荒廃を阻止する方向に転換し、事故対応の流れを楽しみながら進めてきた結果報告です。今後、同様の被害を被る石頭団塊団の皆さまの相談に乗ります。
<事故の経緯と和解までの状況>一昨年12月初旬。ガソリン・スタンド内で、当方のスタンドへの進入路に、給油し終わった車がバックで急ハン侵入され、急ブレーキをかけたが間に合わず衝突。被害者、加害者共に保険会社は、東京海上。
事故直後、加害者は「見えなかった」(後日、頸椎損傷で首が回らず通院中が判明) 「いくらか払うから、それで済ませられないか?」と発言(後日「そんなことは言ってない」と平気でウソをつく)、と同時に保険代理店に電話。当日、保険会社(東京海上)も「停車条件の5秒以上停車のルール」に関わらず加害者の全面的過失と言っていたが、翌日加害者が豹変?東京海上が加害者説得のために使うと暗示した調査会社結果(被害者にも20%の過失割合)により縺(もつ)れ、東京海上(加害者側担当者)は当方に裁判を勧める。
裁判になれば、当方の無過失の可能性が下がり(この種の裁判の通例?)、加害者の修理費を支払いすることになりかねず、東京海上と交渉を重ねた結果、東京海上が事故当初の対応不備を認め、加害者の100%責任に向けて説得を開始したが、1年強経過後も説得できずにデッドロック状態が続いていた。
<結果>加害者の修理代を支払う可能性のある裁判を避け、道義的な判断を期待して、当方の担当者から勧められた、そんぽADR(裁判外紛争解決手続き)を利用。ここで、東京海上が提出した事故分析(被害者に2割の過失ありとする唯一の客観的根拠)が誤りであることが判明。ただし、東京海上は、この重大性を認識する能力に欠け謝罪もせず、平然としている(普通の企業ならありえない)。
和解案の根拠は明らかにされなかったが、9-1または9-0を提示された。当方は、加害者の車の修理は一銭たりとも払いたくないので、9-0を選択。後日、加害者が訴訟を起こす可能性は残るが、そうなれば裁判で良心を呼び戻させたい「人間の証明」。ただし、加害者の修理費は4万円(バンパー)なので、4000円のためには普通の人間なら訴訟を起こさないだろう、と思う。以上が終結内容だが、結局は、保険会社(東京海上)が利を得た(修理費支払いを1割値切った)だけだった。
ネットを見ると、どの保険会社も似たり寄ったりかもしれないが、東京海上について以下の評判書き込みがある。
仕事が遅くていい加減。不払いがとにかく多い。
取締役からして全然ダメ。役員や従業員の報酬が高すぎでは。<だから、今回のように保険料を減らすことだけに注力?>
過失割合の審査がでたらめ。<これは今回の事故分析でも明らか>
詐欺師かと訴えたいほど、手口が汚く、人事も教育も無責任極まりない。このような企業が日本一とは唖然とする。<担当者が平気でウソをつく>
話し合いもそこそこにクレームをつけると、弁護士に一任。その後は当然連絡一切なし。最低な会社 。<今回、裁判をしつこく催促>
加害者の味方、被害者の敵。この会社に加入した車には絶対当てられたくありません。
<保険料の値引き=利益優先を体験>
51名の評判があり、〇は8名だけで×が43名の8勝43敗と大苦戦です。オススメできる保険会社ではありません。
というところからも、東京海上火災さんの評判もよくありません。
なお、当方の修理代は30万円。金銭的には、小事件。知り合いの弁護士曰く、「日本には、アメリカのような(行為を戒(いまし)めるための)『懲罰的賠償』の考え方がないので、裁判でも被害者の損害の認定は、かなり保守的に認定され、懲らしめの形の賠償は期待できません。(中略)被害者のイライラは募るばかりかもね。美空ひばりの「柔」の一節に『ばーかぁを相手ぇの時ぃじゃあなぁい』というのがありましたが、その一節でも歌って気を静めてください。我が国で事故にあったときの、精神安定法です」と。しかし、心の問題であり、このような被害者が少なくなるように、立ち向かった結果が私事ですが今回の報告です。ウソを平気でつく人間と企業の不条理にも遭遇したが、十分楽しませて頂いた。「多重被害者救援の会(仮説)」を立ち上げるなど、もう少し楽しんで見たい気がしています。
以下が今自動車事故での石頭団塊団の取り組みの基本的考えです。
「民事交通訴訟における過失相殺率(過失割合)の認定基準がもたらす社会の不条理
~人心の荒廃~」・・・NHKの「クローズアップ現代+(プラス)」的社会問題!
近年、自動車事故の加害者の居直り(人間性喪失)あるいは加害者側代理店の教唆(きょうさ)によって、被害者が更なる被害――ぶつけられた上に、理不尽な居直り行為への怒りと精神的苦痛、加害者の車の修理代負担――を強いられる被害の累積化という社会問題が増加しています。
この累積被害者の訴えの増加*1に加え、被害者が泣き寝入りしているケースが増えているようです。増加の原因は、保険会社(東京海上日動)によると、車両保険に弁護士特約が加わったこと、と言うが、それだけではないと思われる。
もうひとつの増加要因として、民事交通訴訟における過失相殺率(過失割合)の認定基準――明らかに加害者の全面的過失による事故(対向車線への飛び出し)であっても、被害者にも数10%の過失がある――の悪用があると思われる。自分の過失によって相手に迷惑をかけたにもかかわらず、加害者側(加害者、保険会社、代理店)が、利(加害車の修理代を被害者に負担させる)のために、「認定基準」を悪用し「被害者にも過失がある」と迫る。
哲学者・池田晶子は、すべての人間は、善悪を分かっているが、損得が絡むとほとんどの人間が私利で動く、という。この人間の心の弱さにつけ込み、保険代理店あるいは保険会社が自社の利(保険支払い減額)のために、加害者をそそのかし利用する。それによって悪い心になった加害者は「人をだましたり、人を蹴落としたり、ずるいことをしながら、とにかく自分だけは生きてゆければいいと思ってしまい、よい人生を生きることができなくなる。そして、よって世の中全体が悪いことになってゆく」(『14歳の君へ』池田晶子)。
本来なら、“自分が悪かったゴメン“の世界なのだが、東京海上日動の「過失相殺率の認定基準」の悪用が、人間のこころの腐敗および看過できない社会問題をもたらしている。これは「豊かで快適な社会生活の発展に貢献する」という経営理念やトップメッセ―ジ、さらには創始相談役・渋沢栄一の「道徳合一説(道徳あっての利)」に反し、松下幸之助の「会社の存在が人々の共同生活にプラスにならないのであれば解散したほうがいい」に値する
この対応が保険会社の“お客さま第一主義”ならば、”間違ったお客様第一主義”だと思う。東京海上同士なのに、判断責任を放棄し、こんな理不尽なこと起こすとは!「企業人である前に社会構成員であり、人間である」。損得ではなく、“人として正しいかどうか”で事に臨み、たとえ加害者が居直っても、それを諫(いさ)め止めさせるべきではないだろうか。
加害者が同じ過ちを二度と繰り返さないために、累積被害者を増やさないために、人心の荒廃を誘発させ人間社会をギクシャクしたものに変質させていく保険会社および代理店の「過失相殺率の認定基準」の悪用を止めさせるために、賛同者を募り行動を起こしたい。
*1 最新の別冊判例タイムズ38の東京地裁交通部の新受事件数(簡易裁判の判決に対する控訴事件を含む)統計:1369件/平成20年、1477件/平成21年、1485件/平成22年、1593件/平成23年、1778件/平成24年、1846年/平成25年。ここ数年の増加は顕著。
<2018.10.15> 自民党議員はなぜ「安倍一狂」に従う?
権力の暴走を縛るための概念「立憲主義」を解さず、集団的自衛権を憲法違反として認めてこなかった常識ある歴代の首相とは段違いに無知な安倍首相は、「法の支配」という言葉の意味を知っているのか知らないのか、ほとんどすべての憲法学者が違憲とする集団的自衛権行使容認を含む安保法制や憲法第15条の②「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」違反の友だち優遇のモリカケ事件、第53条の「いずれかの議員の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」違反。第99条の【憲法尊重擁護の義務】「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」を無視し続けてきた異様な政治を行う戦後最低最悪の首相・安倍晋三を安倍首相の出身派閥・細田派を始め、非常識な麻生太郎率いる麻生派、二階派、そして岸田派、石原派が支持し、3選が決まった。
失望したのは安倍首相と政権運営は違うといいながらの安倍支持を決めた岸田氏だ。安倍支持によって、政治家としての価値はもとより、人間としての価値を落とした。
本題の自民党議員は“なぜ異様な安倍首相に従うのか?”だが、まず言えることは、安倍一強下での自己保身。憲法違反の安保法制や共謀罪、参議院定数6増法案、カジノ法案など民意に反する法案を強行採決し、モリカケ問題での政官の不誠実な対応や省庁が起こす多くの不祥事にほとんどの国民が怒らない――内閣支持率が下がらない――から、自民党公認をもらいたくて安倍内閣に従うのだろう。
早世の哲学者・池田晶子は、「実は人は、善悪を『知っている』。自分がしていることが善いことか悪いことかを知っているのである」(『知ることより考えること』)という。安倍政権に従う者の中で、虎の威を借りて、ただ威張りたいだけの者もいるだろうが、ほとんどの議員は、善悪を知っている人間だと思う。倫理観欠如の安倍首相に従っては、あまりに人間として恥ずかしく、情けない。自己否定にさえなる。そこをどのように帳尻を合わせ、自己否定を回避しているのか、元参議院議員の田村耕太郎氏の『頭にきてもアホとは戦うな!』にあった(見つけた)。
田村氏の人となりは知らないが、著書に「(親切にもアホを是正しようと思っても)残念ながら、すでにいい年になったこういう人物を正すのは不可能である いくら見事に論破しても、こういうアホたちが自分の考えを変えるとは思いにくい。美しく論破されたら、あなたに対する恨みが増すだけだろう。次は姑息な手を使ってでもリベンジしてくるかもしれない。(中略)被害者意識を持ちながらあなたを憎むことだろう」とある。
だから、アホを相手にするのは時間の無駄で、「“自分がコントロールできることだけに時間もエネルギーも集中するべき”だ」とある。ここまでは、石頭団塊団も同意する。
ここからが倫理観のない安倍首相に従うことの正当化なのだが、「力にすり寄るのは汚いことか」の項に、「(議員をやっていて)結局、本当にやりたいことを実現するためには組織を動かすことが必要で、そのために権力を手に入れないとできないということを実感し、権力者に逆らったり嫌われたりしたらいい仕事はできない。思想・信条がいかに合う人がいても、その人に力がなければ組織の中で目指すことを実現できる可能性は低い。だとしたら、自分の仕事の価値や意義を向上させてくれる力を持った人の傘下に入るべきだ」とある。倫理観欠如の安倍政権に従うことの理由付けをしている。
また、「与党の中にも『武士は食わねど高楊枝(たかようじ)』を気取る野武士風の先輩がいた。その信念ある自由人のような雰囲気にあこがれた時期もあったが、その人が何も成し得ないことに気づきやはり権力者に対してうまく振る舞うのは『過程』として大事なことだと思った。
うまく立ち回る人は、実はとても努力をしている。気に入れられる準備をしているのだ。権力者はすり寄られるのには慣れているので、普通のすり寄り方では認められない。人に呆れられるくらい忠誠を誓って初めて『愛(う)い奴じゃ』となるのだ」と権力者に認められる方法を伝授。
さらに、「ここまでやることを恥ずかしいと思うか、それとも潔(いさぎよ)いと思うか。ここが運命の分かれ道だ。私は、以前は前者(野武士風の自由人)だったが、政界を離れて振り返ってみると、相手を持ち上げるために頑張る姿勢は潔いと思えるようになった。やりたいことがあって、やれるチャンスが来たら、他人にどう思われようが、そんなチャンスをくれる人に徹底的に忠誠を誓って権力を手に入れようとするのは、汚いことでも、ずるいことでもなく、潔いことだと思う。
そこまでやるのが“本気”ということなのだ。それを『格好悪い』とか『汚い』とかあざ笑ったり忌(い)み嫌(きら)って批判したりしている人たちの気持ちはわかるが、そういう人たちにこそ『本気でやりたいことを実現させようという気があるのか?』」とある。
自民党には、倫理観欠如の異様な安倍政権に随(したが)うことを良しとしない人物もわずかながらいるが、このような人は、「無頼漢は楽だが損」、と田村氏は言う。やはり損得判断――政権に歯向かえば、公認はもらえないし、選挙に有利に働く大臣などの要職(知名度アップ)にもありつけない――。
「この世は不条理であり、正義や義理は大事だが、それを純粋無垢なまま鵜呑みにして行動していては、たった一度の奇跡のような人生を満足する形で使い切ることはできない」とも言う。田村氏を含め自民党議員の中で、どれほど自分の成し遂げたいこと行った人物がいるのだろうか。正義を捨てて、権力にすり寄ることで、たった一度の人生が満足したものになるのだろうか。異様な安倍政権の片棒を担ぐだけではないのか。
『若者のための政治マニュアル』に、「今政治家に求められるのは、生身の人間の苦しみや悩みを理解し、それを政治の場に伝えることである。(中略)人々が何に苦しんでいるのか、どのような助けを必要としているかを知ることは、政治の原点である」がある。
これにことごとく反し、権勢欲に冒されて民衆の苦しみが見えなくなった安倍首相を長期政権化させているのは、強者に擦り寄り横暴に振る舞うことが好きな人間と田村氏のように異様な安倍政権に従うことを屁理屈で正当化している自民党議員たち(安倍を支持した約8割の自民党議員)なのだ。その人たち選び、異様な安倍政権を40%超の支持率で支えているのが善悪の分からない愚民。情けない限りである。
あまりに次元が違うので比べてはいけないが、京セラ創業者の稲盛和夫氏は『生き方』で、「『この世へ何をしにきたのか』と問われたら、迷いもなく、生まれた時より少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答える。俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦(う)まず弛まず一生懸命生きていく。人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも高い次元の魂をもってこの世を去っていく。これが人間が生きる目的」、という。
田村氏の勧める権力に擦り寄る生き方とどちらが満たされた人生と言えるだろうか。田村氏著の『頭にきてもアホとは戦うな!』の帯に、発行部数50万部超えとあったが、田村氏に倣(なら)い権力に擦り寄る人間が増えないことを願う。
<2018.10.1> 戦後最低最悪の安倍総裁を三選させた自民党、沖縄県知事選で凋落の兆し
20日に、安倍氏の自民党総裁の三選が決まった。安倍氏は、「自由民主党の精神であるすべての国民のため、これから一致協力して力をあわせ新しい日本をつくっていこうではりませんか」というが、冗談ではない。我が石頭団塊団には、「安倍一狂の精神であるすべての友だちのため、これからも一致協力して力をあわせ安倍一狂(いっきょう)国家をつくっていこうではありませんか」と、聞こえる。
先の自民党総裁選で、国民の1%に満たない自民党員・党友の約55%と前ブログで報告した権力に従う自民党議員の約81%によって安倍氏が総裁に選ばれてしまった――わが国では立憲主義を解さず憲法を無視し、平気でウソをつく人間でも、総理大臣になってしまう。しかも異例の長期政権(来年11月に歴代内閣で最長)に――。
これによって、国民の多数から選ばれたわけではないのに、「安倍一狂(いっきょう)政権」が続くことになった。
NHK・BS「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル」(2018.7.15)で、哲学者・国分功一郎氏の「日本だと“民主主義とは多数決である”という通念がある」に対し、ガブリエル氏は「倫理の土台がなければ、多数決は無意味です。人々の95%が賛成したからといって、ユダヤ人を殺すわけにはいかないよね」と応じた。
さらに「今日本で役人が書類を書き換えたりして、話題になっている。あんまり大衆が怒っていない」との国分氏の問いかけに、ガブリエル氏は、「人間の尊厳は譲れない権利だ。これはドイツ憲法の最初の一文です。第二次世界大戦の後、この憲法を作ったのです。『権力をどう制限できるか』を考えました。倫理による法の支配を土台に置くべきとしたのです。倫理の土台がなければ、権力は無制限に暴走します」と応じる。
これに倣(なら)うと安倍内閣の暴走は、倫理観欠如とそれを許している倫理を軽んじる国民の資質から来ていることになる。
ただ、安倍政権を支持しない理由の一番が、「首相の人柄が信頼できない」にあり、国民の資質(倫理観)も捨てたものではなさそうでもある。今後この比率の伸長に注視したい。
いずれにせよ、一度でいいから、安倍首相に「倫理による法の支配」という言葉を言わせてみたいものだ。
自民党党員・党友による今総裁選で、10県で石破氏が安倍氏に勝った。得票率で見れば、鳥取95%(石破氏地元)、島根77%、高知72%、山形58%、茨城58%、徳島58%、宮崎58%、三重55%、群馬54%、富山53%。石頭団塊団は、この10県の党員は、まともなのだろう。反対に、安倍氏が勝利した次のベスト3県――山口88%(安倍氏地元)、和歌山81%、広島71%――は、異常です。ただ、基地問題を抱える沖縄と原発事故の福島の安倍氏投票率が、それぞれ62%、54%と石破氏を上回っているのが、自民党員の投票結果とは言え、大いに気になる。
そして昨日(30日)、沖縄県知事選の投開票があった。将来「アベ一狂(いっきょう)」に別れを告げる前兆ともいえる石頭団塊団が望む結果――安倍政権が支援し、自公、維新、希望が推薦する前宜野湾(ぎのわん)市長・佐喜眞(さきま)氏を翁長(おなが)雄志(たけし)前知事の遺志を継ぐ玉城(たまき)デニー氏が過去最多の得票で破った。玉城氏の得票率55%(39.6万票)、佐喜眞氏得票率44%(31.6万票)――が出た。非情な安倍政権に対する沖縄人の心の強さを感じたと同時に本土の人間の無関心への反省を強くした。ただ重要な意味を持つ選挙にしては、投票率は低く63.2%だった。国際社会からの日本人のマイナス評価――マックの値段は気にするが政治に無関心――が定着してきているのが恥ずかしい限りだ。
いずれにしても異様な安倍政治が続くことになったが、これでよかったのかもしれない。「人柄が信頼できない」安倍首相の政権が続くことで、来年の統一地方選そして参議院選挙での大敗が期待できる。
国民はガブリエル氏の「倫理の土台がなければ、多数決は無意味です。人々の95%が賛成したからといって、ユダヤ人を殺すわけにはいかないよね」を肝に銘じ、立憲主義を解させず、憲法違反を繰り返す、沖縄の基地問題をはじめ、中国の東シナ海進出など度々「法の支配」を口にする、安倍内閣の反人道的政治を厳しくチェックし、怒らなければならない。これは次世代に対する今を生きる者の義務であると同時に、善悪混在の社会は、自分の人間性を鍛える好機である。
平気でウソをつき、ウソがバレると開き直り議論を避け、強行採決をする安倍政権がこれからも続くことは、反面教師としての格好の教材が続くことを意味する。安倍政権の言行を、良心に照らし、自らの考えを巡らそう。
<2018.9.15> 自民党総裁選で自民党員の資質が分かる
憲法9条違反の集団的自衛権行使容認の安保関連法を始め、民意を無視した数々のルールづくり(共謀罪、高度プロフェッショナル制度、カジノ法案、参議院定数の6増など)を数の力で強行採決してきた安倍捏造首相と石破茂元幹事長の一騎打ちになった自民党総裁選投票が20日に行われる。
7月末、早々と岸田さんは出馬を断念し、次を狙うために、安倍氏支持を表明した。倫理観も何もない異常な政権運営をする安倍首相への支持表明は、岸田さんの政治家としての価値を下げただけでなく、人間としての価値を下げた。
また、国民感覚に近い発言で、自民党を内部から批判して人気を博している、将来の総裁候補・自民党筆頭副幹事長の小泉進次郎氏は、参議院定数の6増法案で、「国民をなめてはいけない」と政権批判をしていたが、賛成票を投じる言行不一致。また、「(森友・加計(かけ)問題やスーパーコンピューター開発の助成金詐欺事件では)与党は野党の質問に対して、真摯(しんし)に答えていくのが務めだと思う。まあ、将来的な国会のあり方をイメージすると、何度も同じような質問が繰り返される時は人工知能ではじいてほしいな、と。そういう人工知能の活用とか、未来の国会のあり方、やれることはいっぱいある」(国会内で記者団に向けて)とも言うが、何度も同じ質問をするのは、安倍内閣が質問をはぐらかし、まともに答えないからで、まともに答えるまでNGを出す人工知能の活用が真っ先に必要なのではないだろうか。
結局は、小泉進次郎氏も、あの憲法違反の安保関連法に賛成票を投じ、安倍内閣を支える自民党の一議員であり、単なる自民党の客寄せパンダなのかも知れない。次の次の総裁と言われているが、どうも胡散(うさん)臭い。見極めが必要だと思う。
20日投票の総裁選(リーダー選び)に当たって…
『ガリバー旅行記』に、「どんな地位にせよ、誰かを任命するときには、能力の高さよりも品性の正しさを重視する。(中略)徳義が欠けていたら、それは優れた才能などで補いようがないのだから、たとえどれほど身分が高くとも、そんな危険な人物を公の地位に就けてしまってはならない」とある。品性で判断すれば、政治と行政ばかりでなく民主的ルールの破壊、道義心の無さなどから安倍晋三(捏造)は、選ばれないはずだが、セクハラ発言を擁護する麻生副総理や「子供を作らないことは、生産性がない」という杉田水脈(みお)議員ら品位の欠片(かけら)もない自民党議員たちは、案の定85%以上が道義心のない安倍捏造氏を支持しているようだ。
総裁選に向けて、安倍氏は「新たな任期に挑戦する。この機会にさまざまなご批判を真摯(しんし)に受け止めながら自らを顧(かえり)みて、改めるべき点は、しっかりと改め、謙虚に、そして丁寧に政権運営を行ってまいりたい」という、アンダーラインの言葉をこれまで何度聞いたことか。意味が分からなくなってしまう。これに対し石破氏は「自由闊達に真実を語り、そしてあらゆる組織と協議し、国会を誠実に公正に運営し政府を謙虚に機能させる。私は何者も恐れない。ただただ国民のみを恐れ、この選挙を戦ってまいります」と言い、平気でウソをつく政府と恐れと保身からウソをつく自民党議員・官僚を批判し、本当の保守を目指そうとしているようだ。
また、水増した改定GDP値で成長を誇示し、団塊世代の退職や人口減少から来る有効求人倍率の1超えを過去最高と誇示する安倍氏に対し、石破氏は「働く人たちの所得は上がったのだろうか。企業の稼ぎから働く人に回る労働分配率は43振りに最低の水準に下がった。企業の収益を上げることと一人一人に所得が回るのは別問題です」といい、アベノミクスのミスを指摘。
憲法改正については、「憲法をしっかりと日本の平和と独立を守ること『自衛隊』と書き込んで私たちの使命を果たしていこうではありません」と、戦争を始める人が常に使う言葉「平和」を使い、さらには、憲法違反の他国への武力行使(集団的自衛権行使)を日本の国会に提案する前に、米国議会で約束したり、米国が言うままの武器購入、そしてドイツやイタリアが自国の法を優先しているのに、不公平な日米地位協定を黙認・継続。これが“独立”と言えるのだろうか?その安倍氏に対し、石破氏は「(憲法改正は国民の深い理解が必要として)必要なもの、急ぐものからやらせていただきます」という。
『「考える頭」のつくり方』には、「本来は、人間としてどちらがすぐれているかで選ぶには、そうとうな判断力が必要で、それがないとほんとうの民主主義は育たない」とある。
安倍首相と石破元幹事長、人間としてどちらが優れているかだが、安倍政権の5年半強は、憲法違反(集団的自衛権の行使容認)やウソの連発(集団的自衛権行使容認や高度プロフェッショナル制度などの立法事実の捏造とモリカケに見られるウソなど)、そして民意を無視し自分勝手なルールづくり(参議院定数の6増)など数々の目を覆いたくなるほどの反倫理的な愚行をしてきた。
「言葉を信じるな、信じられるのは行動だけだ」(ポラスの原則)――言葉ではなく、行動にその人間の性格と人格が現れる――を基に判断すれば、安倍晋三氏は、信じられる行動(5年半強の実績)があまりに酷(ひど)い。
今日本は“誰が次のリーダーになっても安倍よりはましだ!”状態にあり、民主主義を育てるために、否、安倍内閣によって壊されつつある民主主義を救うためにも、ここは言葉だけではあるが、「透明・公平・公正な政治・行政」「謙虚で正直で国民の思いに近い政治」などを公約に掲げる「正直・公正」の石破氏を選ぶしかないと思う。
前述した「誰かを任命するときには、品性の正しさを重視」が自民党員に出来るかどうで、今選挙で、自民党員(約106万人)の常識と人間性が問われている。
<2018.9.1> “ボーっと生きてんじゃねーよ! ”
今春からレギュラー番組になったNHKの「チコちゃんに叱(しか)られる」が面白い。
8月15日「終戦の日」、2001年の小泉首相以来、時の首相は、わが国のアジア諸国への加害責任を認め、加害と反省の意を表してきたが、心を持たない安倍首相は2013年以降言及を止め、今年も「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」と述べながら、そっぽを向いている。
また、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」といいながら、積極的平和主義として、「平和を唱えるだけで平和を実現することはできない」として軍備強化を進め、憲法違反の集団的自衛権を含む安保法制を強行採決し、海外での武力行使(戦争の出来る国へ)を可能にした。さらに、「わが国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた」と9条によってもたらされた平和、その9条を壊す改憲をやろうとしている。
「平和のために戦う」は、多くの為政者が戦争始める常套句であり、何の罪もない多くの市民の命を奪う戦争をすることなのに、国民は“平和”という言葉がつくだけで騙(だま)される。あのヒトラーも「平和はわれわれの最も貴重な財宝である/1937年2月1日の演説」(『危機の二十年』)と“平和”を口にする。異様な安倍首相が“平和”を口にしたら、真っ先に疑わなければならない。平和とは違う方向に進むことなのだと。
8月26日、安倍首相は、「あと三年、内閣総理大臣として日本の舵取りを担う決意だ」と、自民党総裁選への出馬表明(3選)をした。「新たな国造りを進める先頭に立つ決意」とも語り、2019年の夏の参議院選挙で憲法改正発議に必要な三分の二を割り込む前に国民投票を終え、2020年の新憲法施行を目指す考えを示した。
改憲の柱は、9条の改憲――条一項(戦争放棄)と二項(戦力不保持)をそのままにして、自衛隊を明記する――にあり、9条の空文化、すなわち日本を戦争の出来る国に変えることなのだ。
安倍首相は、「自衛隊の明記は、自衛隊の違憲論争に終止符を打つためだ」と言うが、それを言うなら、ほとんどの憲法学者が違憲と指摘し、大規模な国会前デモの中、2015年9月19日に強行採決をした集団的自衛権行使を含む安保法制をまず廃案にすべきではないか。左様に、安倍首相の頭は狂っている。まさに「安倍一狂」。
安倍政権のこの5年半は、憲法を無視し、民意に反する数々のルールづくり(安保関連法、特定秘密保護法、共謀罪など)や立法事実(法案の必要性)のない法案を、野党の質問をはぐらかし、強行採決(高度プロフェッショナル制度など。さすがにデータ捏造した裁量労働制は取り下げた)をする。そして、友だち優遇の不公平政治――森友問題では、「私や妻の関与があれば首相も議員も辞めると断言したが、匿(かくま)い続けた昭恵夫人の関与は明らかなのに辞めない――など、ウソで国民をだまし、「不祥事には指摘があれば、丁寧に説明責任を果たす」といいながら逃げ回る。“丁寧”や“真摯に”など日本語も理解できず呆れたコメントを繰り返し、国民が忘れるまで待つ。治しようのない心の病に冒された、異様な安倍首相は、戦後最低最悪の首相であることは間違いない。
緊急出版された国会最終日(7月20日)の内閣不信任案決議の趣旨弁明演説本『枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』を読むと、安倍政権が戦後最低最悪の政権であることがよく分かる。これをあと3年も続けられたらたまらない。
安倍首相の言う“新たな国”とは、都合のよいルール作りを進め、国民を意のままに操ることのできる国造りなのだろう。それは、国民から自由と生活を奪うことになる。
そこで、「チコちゃんに叱られる」よろしく、石頭団塊団は、“今こそすべての日本国民に問います” 「なぜこんな安倍晋三(捏造)率(ひき)いる安倍一狂内閣を支持しているのか」
そして、“今こそすべての安倍内閣支持者および安倍首相を囲んで恥ずかしくもなく、はしゃいでいる人たちに言います”・・・“ボーっと生きてんじゃねーよ!”
<2018.8.15> 国民の考える力を鍛えることが急務
天皇として最後の終戦記念日・追悼式でのお言葉に「(9条の下)戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という表現を盛り込んだ。その意図を解せない、戦争に近づく異様な安倍政権を支持する国民が40%に達している現状を変えるには、失われつつある人の行うべき正しい道“道義”心を取り戻す国民運動が急務だと思う。
平成六年(西暦1994年)、天皇皇后両陛下が米国を訪問した時の歓迎式典で、クリントン大統領が、幕末の歌人・橘曙覧(たちばなあけみ)の歌を読んだ。
ある先輩に『橘曙覧「たのしみ」の思想』(神一行(じんいっこう)著。岬龍一郎(みさきりゅういちろう)名でも執筆)を戴いた。人生をどういきるかを考えさせてくれる好書だと思うが、その中に「国を良くするのも悪くするのも国民次第」というのがある。
憲法違反の法案(集団的自衛権行使を認めた安保法制)を強行採決したり、友だちのために行政をねじ曲げた森友・加計問題の真相解明では、安倍内閣は丁寧に説明するという言葉だけで、関係省庁を従わせ、ウソとウソがばれたら開き直りで逃げ回る。揚げ句の果てにセクハラ事件でも被害者を追い詰める。こんな政権を国民の30%~40%の人が支持する日本。
常識的に判断すれば、誰しもこのような内閣を支持しないはずだが、①憲法学者ほとんどが憲法違反と指摘した集団的自衛権行使の一部容認を含む安保法制について、39%の人が憲法違反とは思わないと答え、憲法違反であり廃止すべきの31%を凌ぐ。
さらに②集団的自衛権行使を全面的に認めるように憲法を改正すべきだという意見が25%もある。さらに、「戦争放棄」や「戦力不保持」を定めた憲法9条を改正する必要があると回答したのが44%もある(必要ないは、46%)。日本人は道義心を無くしたのか。
非人道性や極限状態における人間の変質――先の大戦で、約310万人の日本人犠牲者(国内空襲による戦災死50万人を含む民間人が80万人。また、軍人・軍属の戦死者の内、約6割が餓死者)を出し、1900万人以上のアジアの民衆の命を奪ったことや日本兵を殺害・食料を強奪し人肉食を続けたグループ、上官による私的制裁、自殺の強要、初年兵や戦場経験を持たない補充兵に、中国人の農民や捕虜を小銃に装着した銃剣で突き殺させる訓練、爆薬を抱いた兵士による体当たり攻撃「肉攻」や「特攻」など(『日本軍兵士』)――。一部であれ強行採決によって、集団的自衛権行使が可能になった今、自衛隊を憲法に明記すれば、自衛隊は戦争に駆り出されることになる。自衛隊員を、“人肉を食べろ!人間を銃剣で刺せ!自爆をやれ!”といわれる戦地に送りだせますか?想像力の欠如甚(はなは)だしい。
4月25日に憲法に関する世論調査を共同通信社が行った。それによると、安倍政権下での憲法改正の反対者は61%いるが、賛成者が38%もいることに驚く。また、あのヒトラーを生んだ個人の権利を制限する緊急事態条項の新設への賛成者が42%もいることには驚くを通り越して呆れてしまう(反対が56%あるにしても)。
どんなに酷(ひど)い政権でも、支持する割合が30%はいるということを聞く(あのトランプ大統領だって)が、これは真実なのだろう。その多寡でその国民の質が分かる。
いま日本は、「リーダーシップの質に加えて、市民による批判的な思考と政治的行動が衰退する傾向にあり」(『百億の星と千億の生命』)、権力の監視というジャーナリズム精神を忘れた一部新聞、そして善悪の判断力が衰えた、考えない(=狂った政権を支持する)国民が、人間としてどういきるかという哲学観のない為政者の暴走を許している。
まさに、福澤諭吉の言う「リーダーよりもまず、大衆の間違いを正すことが天下の急務だ」(『超訳 福澤諭吉語録』)の状態にある。
同著によると、「孔子が諸国を歴遊して君子のあり方を説いたように、昔は国を治めるためには君主の心を正すことがもっとも重要だとされた。しかし、福澤諭吉は異を唱える。『リーダーよりもまず、大衆の間違いを正すことが天下の急務だ』と言うのだ。『つまり、国を動かす力は大衆が握っている。その大衆が間違った方向に行かないようにするのが、役人や学者の務めだということだ。ここでは、おもに国を憂える学者に対して、『政府を咎(とが)める暇があったら、人々の考えを正すほうに力を尽くしなさい』と言っているが、これは国民に対する『時勢をつくれ』というメッセージにも取れる。国が間違っていると思うなら、大衆の力でこれを正していく姿勢を持つことが重要だ」とある。
立憲主義を解せず、憲法違反を平気で行い、恥を知らない安倍首相を正すのは至難の技であり、異様な政治を行う非常識な安倍政権を高支持率で支えている国民の間違いをただすのが効果的で、今後も現れるかもしれない異様な為政者にも適用できる普遍的な取り組みだと思う。
「政治の世界には税金にツケを回すという安易な方法が存在し、指導者はしばしば責任逃れをする。(中略)彼らは自分の失敗を認めようとしない、傲慢(ごうまん)な人物である。また、他人に失敗を批判されたくないという小心な人物でもある。さらに、国民や住民の財産である公金で失敗の穴埋めをして平然としている厚顔な連中でもある」(『若者のための政治マニュアル』)と福澤諭吉が「専制政治に対しては断固、抵抗すべきだ。火事を消すのに水が入用であるように、政府の専制に対しては抵抗精神が必要だ。その抵抗精神を衰えさせてはいけない」を前提に、「小さなまちがいに見てみぬふりをしたり見落としたりすると、さらに大きなまちがいも容認する環境が生まれ、最後は破滅的なまちがいにつながってしまう」(『リーダーを目指す人の心得』)のだから、異様な安倍政権には、批判的精神――「自由」に考えることに(教育の)最上の価値を置くべきだという哲学者・マルクス・ガブリエルの「反民主的な態度に出会ったら、ノーと言おう。みんなと違っても言おう。ノーと言うことが非常に大事だ」――で立ち向かわなければならない。
<2018.8.1> 安倍政権の道徳教育を「かんぐる」
道徳観欠如の安倍内閣と文科省が道徳教育に力を入れている。2月に、2022年度から実施予定の高等学校の学習指導要領(法的拘束力を持つ)を発表した。小中学校では指導要領がすでに公示され、小学校は2020年度、中学校は2021年度から実施される。
この学習指導要領の問題点は何か?安倍政権が教育基本法改正に力を入れる狙いは何なのだろうか? 松本清張よろしく、「かんぐって」みた。
4月2日のNHKの視点・論点で、「新高校学習指導要領の問題点」(名古屋大学大学院・中嶋哲彦教授)があった。「視点・論点」は、あまり注目されていない裏番組?だが、NHKの公共放送としての面目を保つ権力監視の是々非々番組だと思う。
この他に同様の番組として「時論公論」があるが、両番組共に、NHKの解説委員には出来そうもない現政権の施策批判を(解説委員の中には政権の不手際を倫理的に批判する人もいるが)御用学者ではない真の学者・知識人の力を借りて行っている。
中嶋教授は、学習指導要領は大綱的基準のみ有効で、微に入り細に入り定めるべきではないとの最高裁判断(1976年)があるとして、二つの問題指摘をしている。
その一つは、「現代社会」を廃止する一方、「公共」を必須科目として新設したこと。もう一つは、すべての教科を通じて道徳教育を推進すること。これによって、すべての教科を通じて、特定の価値観や生き方が押し付けられることを問題視している。
石頭団塊団の意思道(いしどう)が大いに問題があると思っているのは、一つ目の「公共」の必須科目新設。中嶋教授の指摘を以下に記す。
「公共」新設の背景には、これを高等学校における道徳教育の柱にしたいという考えがあり、この「公共」に大きな問題があると思う
廃止になった「現代社会」は、現代の政治・経済・社会について、基本的な知識や原理を学び、個人として、自立した主権者として、的確な判断ができるようにするために設けられた科目で、特定の価値観や生き方を教え込もうとするものではないが、一方、新学習用指導要領には「公共」の目標として、生徒が「自国を愛」するようになることを指導すると明記していて、日本国憲法が保障する思想信条の自由に反して、愛国心をもつように指導し、生徒の思想信条を評価することになりかねない、特定の価値観や生き方の押しつけることになる、と指摘。
また、「公共」の学習内容を見ると、現在の「現代社会」で扱っている「基本的人権の保障」や「平和主義」が削除されており、中嶋教授は、なぜ削除するのか理解できないという。
意思道(いしどう)も同感。「基本的人権の保障」は、どの国であっても基本中の基本で、当たり前のことなのに削除とは…。そして「平和主義」削除は、何か大きな悪巧(わるだく)みがあるとしか思えない。
この学習指導要領は、現憲法の三大原則――「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」――の平和国家「日本」を自民党憲法改正草案にある「個人よりも公共優先」「国家主権(政権が国民を意のままに動かす)」「積極的平和主義(専守防衛から海外で戦争ができる集団的自衛権行使国家)」への大転換を受け入れてくれる人間づくりであり、この道徳教育方針は、改憲をめざす安倍政権の後ろ盾の「日本会議」の会長だった三好達元最高裁長官が語った「教育基本法を改正し、国民意識を立て直した上で憲法改正に臨むべきだ」(月刊誌「正論」07年11月号)に沿ったもので、改憲の足固めに違いない。
良識ある国民の多くは、“現憲法の国民主権の平和国家は愛せる”が、安倍首相が望む国家主権の“専制国家を愛せる”わけはない。
吉本 隆明、糸井 重里共著の『悪人正機』に、「何かこう、みんなが同じようにそのことに血道をあげて、一色に染まりきらないと収まりがつかない人たちは、根本の人間の理解から違っているんだよ」がある。国民を一色に染めたい「日本会議」と安倍首相は、根本の人間理解力が極めて低い人たちなのだろう。
安倍首相は、自分の品位のなさを補うために、しばしば吉田松陰の言葉を引用する。引用された人の人格的価値は落されてしまうのだが、吉田松陰は、「人として身につけるべきことを身につけていく、これこそが教育であろう」と言っている。安倍首相は「人として身につけること」が完全に欠落している。また、教育出版の教科書には「法に従い、秩序を守る気高さこそが、日本人のすばらしい国民性」とある。これは権力の暴走を縛る立憲主義を解さず、集団的自衛権行使容認や野党の国会開催要請の無視など憲法違反を繰り返す安倍首相に向けた言葉であり、「人間性欠落」と合わせ、道徳教育を受けるべき対象は安倍内閣と忖度(そんたく)省庁の人間たちなのだ。
小中学校の道徳指導要領に、22の価値項目があるが、その内の正直・誠実(ウソをつかない)、親切・思いやりや相互理解・寛容(弱者である沖縄の人たちに寄り添う)、規則の尊重(憲法違反をしない)、正義・公平・公正(行政を歪めない)などは政治家と官僚がまっさきに指導を受けるべきではないだろうか。
倫理観欠如の安倍政権とそれを支える不祥事連発の自民党議員の道徳教育の必要性。その前に、最低限、人としての基本であり、魂の発露ともいえる「嘘をつくな」「弱い者をいじめるな」を心に刻んでほしい。
「嘘をつくな」では、平気でウソをつき続ける安倍首相――先進国で起こりえないことが立証済みのトリクルダウン(富める者からのお零(こぼ)れ)や世界をだました東京オリンピック誘致での原発アンダーコントロール発言、集団的自衛権行使容認の必要性を説いた「紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」と説明していたが、米国は邦人輸送を想定しておらずウソだったことや、最近では森友・加計問題。事実が示されても認めず、ウソをつき続け逃げ回る――。枚挙にいとまが無いほどの嘘つき内閣に倣(なら)え、とばかりに、森友問題の佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官や加計問題の柳瀬唯夫(ただお)元首相秘書官の出現。極めつけは、加計学園渡辺事務長の「(加計理事長と安倍首相が会ったのは、)嘘だった」というウソ。「弱いものを苛(いじ)めるな」では、沖縄基地問題で沖縄の人々を苛めるのが最たるものだ。
意志道は、時代と環境によって変化する「道徳教育」よりも普遍的な考えを持たせるための「哲学」(いかに生きるべきかを考えさせること)が大事だと思う。人は、どう生きるかを考えるべきで、一つの価値体系(道徳教育)では、戦前戦中の国民が熱狂した戦争のように、全体が間違った方向に走る。
最後に、2014年に死去したノーベル経済学にもっとも近いと評された国家権力に与(くみ)しない真の学者・宇沢弘文の言葉を大塚真一著『宇沢弘文のメッセージ』から以下記す。
教育とは「一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長することをたすけることで、その際留意すべきは、「教育は決して、ある特定の国家的、宗教的、人種的、階級的、ないしは経済的イデオロギーによって支配されるものであってはならない」
前述したように、道徳教育の改正は、国民会議提案の「教育基本法を改正し、国民意識を立て直した上で憲法改正に臨むべきだ」に沿ったもので、個人よりも国家優先への改憲を実現するために、政権の意のままに動く国民づくり――安倍政権の思いどおりに動く、考えない国民を増やす――ためなのだ。
ウソをついたり弱いものを苛めたら、普通なら良心の呵責として心が痛むものなのだが、「恥を知らない」、すなわち自省の出来ない安倍ウソつき政権の人たちは、人の道を外した言動を繰り返す。この政権のたくらみを許している国民の40%近くの支持者たちは、次世代にどう申し開きをするつもりなのだろうか?
<2018.7.15> その1.羽生選手の国民栄誉賞授与 その2.「誰が次の首相になっても安倍よりはましだ!」
<その1> 7月2日、平昌冬季五輪で、フィギアスケート男子では六十六年振りの五輪二連覇を達成した羽生選手が、安倍首相から国民栄誉賞を受けた。
本件、今年3月1日のブログ「疫病神アベラ―には近づくな!」で、羽生選手には、安倍首相からの授与を避けるべきだとした――理由は、不人気挽回のために人気者に擦り寄り、パワーを吸い取り、災いをもたらす――が、授与決定(6月1日)から4ヵ月も経ったが、授賞に至った。
一方、フランスで先月開かれた第71回カンヌ国際映画祭で、最高賞「パルムドール」を受賞した「万引き家族」の是枝(これえだ)裕和(ひろかず)監督に対し、林芳正(よしまさ)文部科学相が文科省に招いて祝意を伝える考えを示したが、是枝監督は、自身のホームページ(HP)に「公権力とは潔く距離を保つ」として、辞退を表明した(毎日新聞6月8日記事)。
林文科相のこの動きは、それより先、フランスの有力紙が、是枝監督に対する安倍首相の「沈黙」を皮肉る記事「海外での受賞に賛辞を送って来た日本の首相は沈黙したままだ」を配信。安倍首相沈黙の理由を「是枝監督が映画やインタビューで日本の政治を告発―安保関連法の反対集会への参加や政府与党による放送法への圧力を懸念する発言――してきた」からだと推測していることへの対応かもしれない。
自身の不人気を人気者に擦り寄って補おうとする安倍首相は、羽生選手への国民栄誉賞を決めたが、過保護下で育てられた世襲議員の“おぼっちゃま”、批判を極度に嫌う小心者の安倍首相は、案の定、批判者を排除した。
羽生選手の授与理由について、菅官房長官は「世界の歴史に残る快挙を成し遂げ、多くの国民に夢と感動を、社会に明るい希望と勇気を与えた」と説明。
国民栄誉賞は首相が決め授与するのだが、安倍首相は自身に国民不名誉賞を与えたらどうだろうか。授与理由は、「憲法学者や国際連盟の度重なる勧告を無視し続け、日本政治の歴史に残る悪法を次々と強行採決し、多くの国民に不安と絶望を、社会に暗い未来と諦(あきら)めを与えた」だ。
器禁止条約への不参加。加えて、条約成立に貢献した2017年のノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が、唯一の被爆国としての役割を果たすように条約への署名を日本に要請したが、無視。 特定秘密保護法や共謀罪では、国連人権委員会から批判を受け続けているが、国会答弁と同じく、質問に、まともに答えていない。ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶を目指す国際キャンペーン「ICAN」の事務局長が求めていた安倍総理との面会をも、いつもの「日程調整上」の理由で日本政府は断り、礼儀を欠き、日本の恥を世界に晒(さら)した。
報道の自由度ランク下落――国際NGO「国境なき記者団」が発表した「報道の自由度ランキング」で、2001年の11位を最高に安倍政権によって下がり続け、特定秘密保護法などでランクを前年より二つ下げ、180の国・地域中61位となり、民主主義国家とは言えない状況にある。このまま安倍政権が続けば日本は、176位の中国、179位の北朝鮮のような独裁国家に近づくに違いない。
また、ILO(国際労働機関)のセクハラ禁止国際条約に、中国や欧州連合などが賛成する中、態度を保留するなど世界の中で異様を放っている。
これらは、いままで心地よい言葉のスローガンを掲げて、国民を騙(だま)してきた構図――「女性活躍」といいながら、真逆の結果をもたらし、2017年の男女平等度「ジェンダー・ギャップ指数」は、144ヶ国中、107位から114位に下がっている――と同じだ。
悲惨な事件の原因、ひいては戦争の原因ともなると貧困、格差拡大の放置――非正規社員は民主党政権の終盤の2012年10月から12月の1843万人から100万人以上も増加(2000万人超え、40%超え)し、実質賃金も低下(年収の減少は、2005年→2015年で、男性460.7万円→383.8。女性356万円→302.8)、この10年で平均所得は最低となった。さらに、預貯金ゼロ家庭の増加、相対的貧困率はOECD加盟国34か国の中、第4位。母子・父子家庭に限れば最下位の貧困率(54.6%)、子どもの貧困率も、イタリア、アメリカに次いで下から3番目など、アベノミクスで一般国民の生活は苦しくなっている。それにも拘わらず与党自民党の二階幹事長は、「日本は、食べるのに困るような人はいない」発言をする。これでは貧困の拡大・放置は、自民党が政権与党であるかぎり改善されないだろう。
政治は、多数派(富裕層ではない)のものでなくてはならないのに、意図的ともいえるほど、一部の大企業、富裕層優先の経済政策で、貧富の格差拡大・固定化を進めている。
このように国内的にも国際的にも批判されている異様な安倍政権は、まさに戦後最悪最低の政権だ。本ブログの最後にもう一度、「誰が次のリーダーになっても、安倍よりはましだ!」
<2018.7.1> 隠蔽政権に抗する手法を「隠蔽と暴露」の作家・松本清張に学ぼう
森友・加計問題での財務省の隠蔽・改ざん(安倍昭恵夫人や政治家の名前などの政権にとって不都合な記述の削除)、「働き方改革」の裁量労働制での厚労省のデータ捏造、防衛省自衛隊のイラク派遣の日報隠蔽(自衛隊派遣先は非戦闘地域なので、“戦闘”記載の日報を隠した)など役人による公文書の隠蔽、捏造、改ざん、が常態化している。
企業においても一昨年話題をさらった三菱自動車の燃費データ改ざんから始まり、昨年の神戸製鋼所、今年に入っての三菱マテリアルの品質データ改ざんなど、政官財総出演のデータの改ざんが起きている。
このような辞世を受けてか、NHKの「100分de名著 松本清張スペシャル」(3月)などで、「隠蔽と暴露の作家・松本清張が今ちょっとしたブームになっている。その松本清張に関する書『松本清張「隠蔽と暴露」の作家』を読んだ。
著者の早稲田大学院・高橋敏夫教授は、「政治、社会、国家のそこここに情報隠蔽(いんぺい)と実態隠蔽が暗く大きな穴をうがつ(=掘る)陰鬱(いんうつ)なこの時代は、“政財官界の汚職、疑獄、国家規模のたくらみ、重大機密、戦争に関する過度の機密保護まで、さらには国家間の密約やグローバル化する世界での経済的不正、政治的謀略までをも、その幾重もの隠蔽の黒い企てもろともさぐりあてそれを暴露し、しずかに告発をつづけた”松本清張の試みと方法“とを切実に求めている」という。
「社会の主要な領域で権力をにぎる勢力は、みずからの利権を独占し、他からの批判を拒むためにも、その力と構造を密室の中に閉じこめようとする」(同著)のだが、財界の隠蔽やデータねつ造は利益第一、官僚は、天下り先の確保、政権の意向を忖度して出世したい、すなわち保身で動く。
では、安倍政権は何のために隠蔽するのだろうか、軍産複合体の利益優先で世界中の7,8割の紛争を画策するアメリカの従属国として“戦争ができる国”にし、批判されることを極度に嫌う小心者の安倍首相は、小心者であるが故に国民を意のままに動かし、権力を誇示したいのだろう。
だから安倍首相は、大国の後ろ盾が欲しくて、2015年4月29日、アメリカ連邦上下両院合同会議で、憲法違反の集団的自衛権の行使を含む安全保障関連法案を成立させる考えを明言し、ほとんどの憲法学者が憲法違反と指摘していた法案を強行採決した。それ以前には、特定秘密保護法で、「隠蔽」を合法化(2013年成立、翌年施行)し、昨年(2017年6月15日)には、戦前の治安維持法に匹敵する共謀罪(改正組織的犯罪処罰法)で「暴露」活動を封じ込む法案を強行採決した。何も考えない国民の下、「隠蔽」と「暴露阻止」のルールがここまで固まってしまった。
その背後には、「皇室の尊崇、憲法改正、国防の充実、愛国教育の推進、復古的な家族観の重視などをかかげる日本会議」(同著)があり、小中高の道徳教育で国家主義を植え付け、政権に従順に従う国民教育を進め、憲法第九条改悪の道を着実に進めている。
まずは、自衛隊の憲法への明文化で、集団的自衛権(海外での武力行使容認)とセットで、九条の空文化を実現し、自民党改憲草案にある「緊急事態条項」を設け、政権への全権委任で独裁化の道へ突き進む。
同著には、「現在の憲法改悪論者のうしろだてが、アジアの戦力の肩代わりを日本に押しつけようとするアメリカであることをはっきり指摘したい」とある。だから、トランプ大統領の要望――現憲法の専守防衛に反する敵基地攻撃能力を有するアメリカの武器購入――に即応する。
「現在まで千六百回以上つづいている日米軍事委員会の決定事項は憲法より優先される」という。だから、アメリカ連邦議会での、違憲の集団的自衛権行使容認発言があり、強行採決もやったのだ。
政府がもっとも隠蔽したいのは「戦争」。同著は、「国家、社会に秘密、機密がやたらと増えてきたら、平和は危うい、といわねばならない。戦争がすぐ近くまできている。戦争が平和を名のりだしたら、平和はいよいよ危うい」と指摘。さらに、「戦争は隠す。始まる以前から、その最中はもちろん、終わってからも、戦争は隠しつづける。隠しつづけて、人びとの戦争への態度をゆがめ、戦争批判を許さず、そして人びとを次の戦争に送り込む」とあり、「戦争こそ、国家的社会的「隠蔽」の最大級の装置そのものなのである」という。
冒頭で記した隠蔽された真実を国民に知らしめる「松本清張の試みと方法」。それはまっとうな政治を取り戻し、国民にとって危険な政権を倒すためでもあるのだが、同著には、松本清張の以下の言葉を引用している。
社会的な出来事への関心の始まりとして、「何故だろうか。ぼくらの好奇心と探求心は、その『何故だろう、何故だろう』というところからすべて始まる」、「その謎に対しては何がどうなっているのかわけがわからないうふうにしてしまうのではなくて、これはこうではないかという勘繰りでも、憶測でも、何でもいいから、一つのそういう主観を持って調べて行かなければ、何も掴(つか)めない」とあり、「『かんぐり』、『邪推』『憶測』の形をとった、『何故だろう、何故だろう』という日々刻々のささやかな疑いが、容易には目に見えぬものへ、隠されたなにかへと、少しずつ少しずつ接近する、不安で怖くてそして楽しく希望にとどく試み――これこそが、松本清張の『隠蔽と暴露』という方法の実践であった」とある。
「何故だろう、何故だろう」という日々の疑問から出発し「隠蔽と暴露」の方法をもって、軍産複合体に乗っ取られたアメリカの従属国として戦争に近づく異様な安倍政権に立ち向かう。それは、知的活動であり、石頭団塊団の意思道(いしどう)にとって、桁外れに非常識な安倍政権の隠蔽の裏を邪推することは、格好のボケ防止なのだ。
6月4日、麻生財務大臣が、森友問題に関する財務省の調査結果と改ざんを指示した当時の理財局長・佐川宣寿(のぶひさ)氏と改ざんした理財局職員(計20名)の処分に加え、自身の閣僚給与一年分の自主返納を発表した(約8億円の値引き対して170万円?それよりも引責辞任でしょ)。しかし、事件の中心の安倍昭恵夫人や政治家の関与など改竄の動機など核心部分は触れなかった。
松本清張風に「隠蔽の裏」を邪推すれば、この問題(値引き)の発端は安倍昭恵夫人。そして加計問題と同じく「総理のご意向」を受けて、麻生財務大臣を始め閣僚と官僚たち(加計問題は、安倍首相と萩生田幹事長代行らの取り巻き)が国民を相手に詐欺行為をした。
安倍首相は、妻が関わっていたら総理も議員も辞めることになるので、麻生財務大臣に頼み、麻生大臣の財務省に改ざんをし、問題発覚後、すべて否定することを閣議決定。
だから、麻生大臣を解任できないし、国会で偽証を繰り返した財務省理財局長・佐川氏を「安倍政権を守った」論功行賞で財務省国税庁長官に昇進させた。
もし、公文書の廃棄や公文書の改ざんが麻生大臣の指示ではなく、佐川氏が勝手に廃棄、改竄をしたのなら、官邸は佐川氏を責めるべきで、昇進させることはないはずだ。ここに来て誰も責任を取らない訳にはいかず生かしておいた佐川を切り捨てた。それも、検察庁特捜部に佐川氏の不起訴を指示(事実、不起訴)し、使途非公表の官房機密費(正式名「内閣官房報償費」)から口止め料として数億円を渡したのではないだろうか。
“廃棄”したとされていた資料から、昭恵夫人や総理の意向に沿って動いた政治家の名前の削除を指示したのも財務省トップの麻生大臣に違いない。
核心部分を知る森友問題の昭恵夫人と加計問題の加計孝太郎理事長に、もしやましいことがなければ堂々と公の場で語ればよいのだが、ともに逃げ回る。
間違いなく安倍夫人は森友問題に関与。安倍さんは、首相はもとより議員も辞めるのが筋だ。そもそも不正の当該部署・財務省のトップで不正を指示した大臣が、「なぜ異常な値引きをしたのか」「なぜ公文書の廃棄、昭恵夫人や政治家の名前を削除するなどの改竄をしたのか」など真相解明「ウミ」を出し切れる訳がないし、その下では、信頼回復など夢のまた夢で、「再発防止のために公文書管理を改める」とあるが、再発防止の有効打は、異常な人間を国のトップに置かない、すなわち安倍内閣の退陣しかないと思う。自民党以外の政党が政権を握ったら、行政と政治の信頼回復のために徹底解明してほしい。「暴かれる事実」。これは必見に値すると思う。以上が、意思道の“かんぐり”。
「いつまでもモリカケやっている場合ではない」という人がいる。これら逃げ回る安倍政権の思う壺に嵌(はま)っている、この安倍内閣が期待する“何が重要か、そして善悪を考えることのできない人たち”には、次の言葉をよーく考えてから言ってほしい。
「今回の問題は、単に、官僚の無自覚、あるいは一省庁の不祥事と言った次元の問題ではなく、憲法が定めるように、内閣が正しく官僚機構をコントロールし、議会への責任を果たしているのか、そして議会がその内閣をきちっと監視できているのかという、この国の統治ステムの根幹に強い不信感を与えました。問題の真相はどこにあり、何を改めるべきか、それは与野党の利害や思惑といったレベルを超え、国会あるいは政治全体に突きつけられた深刻な問いかけであることを政治はあらためて強く認識する必要があるように思われます」(6月4日NHK時論公論、太田解説委員)
<2018.6.15> 異様な安倍政権は、「40%近くある支持率=民度の低さ」に支えられている
国民の質以上の政府はできない。前々回5月15日のブログで異様な政治手法で、国民にとって危険な安倍政権を葬(ほうむ)る即効薬は「支持率を下げる」ことだとしたが、平気でウソをつき、民意に反するルールづくり、友だちのための不公正行政、公文書改竄、疑義答弁政治を続けさせているのは、国民の民度*の低さにあると思う。
アインシュタインは言う「昨今の民主主義の時代では、国家の命運は民衆にかかっています。すべての人は、それを肝に銘じなければならない」(『アインシュタインの言葉』)と。
*民度(みんど)とはWikipediaによると、「特定の地域に住む人々の知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる」
立憲主義(国民の人権が侵害されないように、憲法によって権力を制限することで、憲法は権力者が率先して守らなければならない)を解せず、歴代首相が憲法違反として踏み込まなかった集団的自衛権の行使容認の安保関連法を強行採決(数の力で民主主義の手続きをしない)。国民の自由を束縛するル特定秘密保護法や共謀罪などのルールづくり、モリカケ問題では、嘘を覆(くつがえ)す資料が出て来ても開き直る、社会常識が通じない安倍政政権。今国会でも、反対の多い、過労死を助長する「高度プロフェッショナル制度(残業代ゼロ)」の創設やカジノ法案「統合リゾート(IR)実施法案」の強行採決を目論む。
企業の社会的使命を忘れた経団連は、過労死など目もくれず利益最優先の高プロ(残業代ゼロ)を要請し、その見返りとして、政府に三千億円を拠出する(カネで政策を買う)ようだ。
嘘を平気でつく戦後最悪最低の首相率いる安倍嘘つき内閣。それでも支持する国民が40%前後(*)もいる。特に、昨今の求人倍率の高さからか若者の支持率は高い。求人倍率の高さは、団塊世代の大量リタイアと非正規社員の求人増加によるものなのに。
この異様な安倍政権を良識ある方向に変える手立てはあるのか。塩野七生(ななみ)著『想いの軌跡』に、以下がある。
先進諸国内の民主主義政体の統治能力が問われるようになってから久しい。それなのに、人々はあいかわらず、統治能力の回復は、政権担当者が姿勢をただすこととか、責任を感じた野党が連合でもしてとか、つまり、人間の良識に訴えれば解決できるものと思い込んでいる。そのような善意あふれる期待だけでは、問題の根本的な解決にはまったく役に立たない現実を知ろうともしない。人間とは、しばしば、当初の意図とは反対の行動に走るものである。この人間の本性を冷静に見きわめさえすれば、彼らの良識に訴える前に、彼らが良識的に行動せざるをえないような情況づくりをすることこそ先決問題である。
5月23日、財務省が破棄した、としていた森友学園との交渉記録が提出された。何故かその中の「本省相談メモ」から安倍昭恵夫人と籠池夫妻が並んで写っている写真など重要な記録が取り除かれていた。得意技の隠蔽と改ざん。その隠蔽財務省のトップである麻生財務相が自身の派閥の総会で、語った言葉から、安倍政権がなぜ不誠実な言動を繰り返すのかが分かる。麻生大臣曰く、「我々は間違いなくこの5年数カ月の間、きちんと一つひとつ<憲法違反でも民意に反していても採決を強行しながら>結論を出してきていますから、そこで信頼を得ているのであって、マスコミにいくら叩かれようと間違いなく支持率というものがほとんど増えてきている*じゃないですか」、と。
何が善か悪か分からない、人間としての良識もない安倍内閣と麻生大臣。だから善悪の判断基準は、支持率なのだ。まさに、上述『想いの軌跡』の通り、政権の姿勢を批判しても良識に訴えても無意味なのだ。
安倍内閣が善悪の判断ができないことは、麻生副総理が「セクハラ罪はない」といい、わざわざ閣議決定をするという稚拙さからも分かる。ずーっと前に、舛添(ますぞえ)前都知事がルールよりも大事な心の問題、倫理観が問われているのに、ルール違反ではないと都知事に居座ろうとしたときと同じなのだ。
『想いの軌跡』にあるように、恥も感じない(恥じれば自省するのだが…)、非常識な安倍政権に対しては、良識的に行動せざるをえないような情況づくり、すなわち支持率を下げることなのだ。支持率を下げなければ、安倍政権は、非人道的言行をやり続けるだろう。
安倍政権の異様な政治を正す即効薬、もしくは退陣させる特効薬は、「安倍内閣の支持率を下げる」ことだ。
*<安倍嘘つき内閣延命指標(直近の安倍内閣支持率)>+-は、前回比増減
31%+1(毎日新聞)~42%—1(日経新聞)
(内訳)32.4%+5.7(5月18~20日NNN日本テレビ)、36%+7(5月19~20日ANNテレビ朝日)、31%+1(5月26~27日毎日)、36%+5(5月19~20日朝日)、38.9%+1.9(5月12~13日共同通信)、38%不変(6月9~11日NHK)、39.8%+1.5(5月19~20日産経・FNN)、38.9%+0.5(5月12~13日時事通信)、42%+3(5月18~20日読売)、39%—1.6(6月12~13日JNNTBSテレビ)、42%—1(5月25~27日日経)
<2018.6.1> こんな感じで日本社会が壊れて行く…
<その一>モリカケ問題と“同じで違う”日大アメリカンフットボール悪質反則問題
5月6日の定期戦(日本大学対関西学院大学)での日大選手による重大な反則行為が連日マスコミを賑わしている。
「22日の日大の選手の謝罪会見」と「翌日の監督・コーチの記者会見」のどちらの言葉を信じたか。国民の多くは、間違いなく選手の説明を信じた。
大学生の反則をした選手は、心の底からの言葉で誠実であった。一方、大人の内田正人監督とコーチは、アメリカンフットボールを熟知した人たちが一様に「(強い圧力がなければ起こりえない)通常ではありえないプレー」との判断をしているのに、事実(「指示した」)を歪め、不誠実さが際立った。それでも大学の回答書は、監督とコーチの言い分に沿った「指示していない」に固執。
日大の監督とコーチの対応は、モリカケ問題でのウソを嘘で繕(つくろ)う安倍首相とその仲間たち(佐川宣寿(のぶひさ)元国税庁長官や柳瀬唯夫(ただお)元首相秘書官)を容易に連想させた。その後の学長の目的不明の記者会見は、安倍内閣の菅(すが)官房長官の核心を避けた答弁に類似したものだった。
同時進行中の「日大アメフト問題」と「安倍モリカケ問題」は、スポーツ界と政治との土俵は異なるが、人の有り様を考える問題としては同種のものだと思う。
安倍首相、麻生財務大臣と人事権を握る菅(すが)官房長官の安倍内閣が日大の監督(日大のNo2として人事権を掌握(しょうあく))。関東学生アメフト連盟から「おおよそすべて信用性がない」とされた虚偽まみれの内田監督は、「人柄が信用できない」(不支持理由のトップ)と評される安倍首相に酷似。コーチが、トップのウソを知りながら守る官僚たち(佐川氏や柳瀬氏)。
ただ、コーチは良心の呵責からか指示したことを認めた(ただし「監督からの指示は無し」を堅持)が、佐川、柳瀬両氏は良心を持たずトップのウソを嘘で繕う。我々はこのような人たちに税金を納め続けていることも含め、もっと怒らなければならない。支持率を下げなければ、これまでの数々の安倍政権下での愚行が今後も繰り返されるだろう。
二つの問題で大きく違うのは、組織構成員の資質で、悪質タックルはしたが、選手一人に罪をかぶせる監督・コーチのウソを人間として許せなくて、真実を伝えようと一人で記者会見に臨んだ勇気ある選手の擁護心と世論(監督・コーチ批判)の後押しによって立ち上がった日大の選手たちと父母会の存在。
それに対し、モリカケでは、公文書改竄(かいざん)で自殺をした仲間を見殺し、自己保身の財務省の役人たちの存在。森友問題で「あるものを無いとは言えない」と行政を正すために独裁的政権を批判した前川前文科省次官に続くものは文科省の役人にはでなかった。
両組織のこの差、組織内部から間違いを正す力が生まれるか否か、自浄作用力があるかないかが、アメフト問題の日大とモリカケ問題の安倍内閣の大きな違いだ。
日大の監督とコーチの説明を信じない人は、80%。ウソを嘘で繕うモリカケの安倍+官僚の説明に納得しない人は、日大の場合とほぼ同じの70~80%。
29日、関東学生アメフト連盟によって監督とコーチは、永久追放の相当する一番重い「除名」処分が下された。ならば、モリカケ問題での不正、不誠実な対応の安倍政権は、社会に与える影響度の大きさから、政界から永久追放されるべきではないだろうか。
日大OBなど関係者は、アメフト首脳部の人間としての有り様を批判したが、国民のために働くべき役人は仲間から自殺者が出ても、民主主義を根幹から揺るがす憲法違反、公文書の隠蔽・改ざんや不公正行政を行っても立ち上がらない。
結果、安倍首相は、40%近くある内閣支持率を背景に、不支持の最大理由の「人柄が信じられない」を堅持したまま延命する…
追伸)31日、日大の教職員組合が、大学の信用・信頼の回復のために、アメフト部と日大の改革を求めて、内田監督の全職解任を始め、理事長、学長の辞任、アメフト部の全コーチの解任などの要求書を提出した。記者の「報復など心配を考えなかったか」の問いに、「心配している方もいて不安はあるが、ここで声を上げなくては、日本大学は良くならないだろう」という。憲法を無視し様々な悪事を平気で行う戦後最低最悪の安倍政権が続けば、日本は民主国家、平和国家でなくなるという非常事態に、「国と国民を救うために」退陣を迫る自民党議員はいないのか!
<その二>5月28日の国会。加計問題に関する野党質問に対する安倍首相の答弁中、野党から「(安倍首相の反論に対し)意味わかんなーい」とヤジが飛んだ。即座に「これ意味がわかりませんか?これ日本語の読解力だと思いますよ」と、安倍首相が返した。
中学生に言わせると、野党の質問内容は分かるが、安倍首相をはじめ政府の答弁は「質問に答えていないし、何を言っているのか分からない」と言われているようだが、日本語の読解力の問題よりも、安倍首相は日本語の意味を知らないのではないか。
憲法違反の安保関連法、特定機密保護法や共謀罪の国会審議時、“丁寧に”説明し国民の理解を得るといいながら強行採決をした。これが“丁寧”なのか。安倍首相の国語辞典には、“真摯(しんし)(まじめでひたむき)”は、“横暴(わがままで乱暴)”。“寄り添う(ぴったりとそばへ寄る)”は、友だちとゴルフ場へ、昭恵夫人と国費を使って外遊の“遁避(とんぴ)(のがれさける)”となる。“膿(うみ)を出し切る”は、膿は安倍首相と麻生財務大臣なのに、膿を増殖させつつ、官僚たちに嘘を平気でつける忖度(そんたく)菌という“ウミをばら撒く”ことなのだろう。ある人は、あこれを安倍政権による日本語の破壊という。
<その三>森友・加計問題の真相解明が進まない。政治家が都合の悪いことには答えないのは常套手段で、答えないのは質問が核心をついていて不都合なのだが、安倍首相を始めとした政府の答弁は「ご飯論法」だという。
27日の毎日新聞に、モリカケや法案などで審議が深まらないのは、「政府の答弁にごまかしや論点のすり替えを図る不誠実な政府の国会答弁が原因だとの指摘もある。ネット上でいま、そのからくりを暴く『ご飯論法』なるものが注目されている」とある。
なのだ。
麻生財務相は、最後まで真実を語らず心性(しんしょう)(心の本来の姿/広辞苑)を取り戻せなかった俗物(ぞくぶつ)(名誉や利益にとらわれてばかりいるつまらない人物/広辞苑)佐川氏を「極めて適切な人物」という。次は、安倍内閣の偽装大臣に栄転?させるつもりなのかも…
昨年12月の国家公務員倫理週間で、佐川氏は国税庁長官として、『国税庁の使命を果たすためには、国民からの信頼を得ることが不可欠で、国民の疑惑や不信を招くことがないように心がけていただきたい』と、自身のやったことはどこへやら、職員に文章で呼びかけた。事の善悪は分かっているが真実を語らず辞任する佐川さんに、哲学者・池田晶子さんの次の言葉を送りたい。
「悪い心になった時、人はよい人生をいきることができなくなるのだから、生きる目的だって、本当はなくなっているんだ。悪い心になってまで生きなければならない理由なんか、本当はないんだ。このことに気がつくのが怖いから、世のほとんどの大人たちは、適当に悪いことをしながら、悪いことをしている自分をごまかしながら、なんとなく生きてゆくことになっている。こういう人生を幸福な人生だと君は思うかい?」(『14歳の君へ』)
1年前の昨年1月、友だち優遇特区今治の加計学園問題で「行政がゆがめられた」と語っていた前文科省事務次官の前川氏は、「行政に無理なことは、役人が自発的にやるはずがない。何らかの政治の力が働いているからこういうことが起こる」「辞めるのであれば、もっと自由に発言したらいい」と語った(10日の岐阜市民会館/11日の朝日新聞)が、ここへ来て、ごまかしながら生きることさえ出来なくなった佐川君は、この場に及んでも安倍夫妻や「信頼回復が一番大切なので、必要な対応を行っていくのが、私どもの仕事だ」と、信頼回復には自身の辞任が効果的なのに大臣の椅子に居座る麻生大臣、加計問題で「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向」などの記録があるのに、「まったく当たらない」と得意の言葉で言い放った菅官房長官らを守り続けている。
「佐川くん。君は、まさに池田さんが言っている状態で、人生80年の時代に、自分を誤魔化しながら、家族親族を道連れに良心の呵責に苛(さいな)まれつつ残りの20年を生きるのですね?生きる目的さえ無くして、本当にそれでいいのですか?」
今後予定されている証人喚問で、あなたの人間としての価値が決まります。
以上は佐川さん個人の人間性の問題ですが、もっと大きな問題は、国民の質の低下によって引き起こされると、思っています。
どんな不祥事を起こす企業でも、本来の職務(使命)を忘れただけでなく、人間性に問題がある人間を昇進させることは基本的にはありえない。
ドラッカーの言葉『経営の哲学』に、次の言葉がある。
「不公正な人事の弊害…追従や立ち回りのうまい者が昇進するのであれば、組織そのものが業績の上がらない追従の世界となる、公正な人事のために全力を尽くさないトップマネジメントは、業績への敬意を損なう」。
企業にとって一番大事なのは、人事。安倍政権の世界は違うようだ。そして安倍政権への不信はもとより、行政全体への国民の不信は取り返しのつかないところに達した。
安倍政権の税金の私財化はあまりに酷(ひど)い――政治献金を受けながら政党助成金を受け続け、政権に有利かどうかで国政選挙を行い、税金を使う。今後続く増税(国民健康保険料の引き上げ、介護保険の自己負担引き上げ、消費税増税など)で国民の生活を引き下げる一方、トランプ大統領の武器売り込みに即応し、友達(加計学園)に便宜を図る(森友への国有地値引き、加計学園への助成金など)。地球儀を俯瞰(ふかん)する外交と称して、夫婦で外遊を続ける安倍夫妻(一回平均約2億円の外遊費用)。米軍機の燃料タンク投棄の経済的被害を税金で補償するなど――血税の私財化は甚だしい。
本田宗一郎さんは生前「国民は、自分で納めた税金を無駄遣いされているのに、なぜもっと怒らないのか」といっていた。
いま日本は、ベストセラー『コスモス』の著者、惑星天文学者カール・セーガン(1934-1996)が言っていた「リーダーシップの質に加えて、市民による批判的な思考と政治的行動が衰退する傾向にある」(『百億の星と千億の生命』)、と思う。
この政権をこのまま許せば、福田元首相の言うように、国は間違いなく壊れるだろう。
善悪の区別が出来ず、事の重大性が理解できない、こんな政権を高い支持率で支えている国民“心が壊れつつある国民”が諸悪の根源であり、自分で自分の首を絞めているのが今の日本だと言えよう。
<2018.3.1> 「疫病神アベラ―には近づくな!」
首相官邸のサイトに、「2月19日、安倍総理は、平昌(ピョンチャン)オリンピックで金メダルを獲得した小平奈緒(こだいらなお)選手へお祝いの電話をかけました」とある。
『女性セブン』(2014.8.15日号)によると、女性が選ぶ嫌いな政治家と女性が選ぶ嫌いな男の両方で、安倍首相が1位(不人気メダル2個)をゲットしている。この不人気を挽回するために、国民的英雄にすり寄っているのだ。
<備考>この嫌われ者の調査は、3年半前のものだが、安倍政権に不利な調査結果報道をすると森友学園の籠池(かごいけ)夫妻のように、異例とも言える長期拘留(半年以上になる)になること恐れたのか、その後『女性セブン』からの同様の調査結果が見つけられない。
嫌われ者のNo.1挽回のための人気者への擦り寄り作戦として、トランプ大統領来日時の昨年11月6日、安倍首相は、大統領と大統領要望の松山英樹プロと3人でゴルフ(安倍首相はバンカーにバク転落した)を行った。
今年2月13日には、将棋の羽生善治永(はぶよしはる)世7冠と囲碁の井山裕太7冠に、国民栄誉賞(昭和52年に創設。広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者または団体に栄誉を与えるため、内閣総理大臣が授与する賞/デジタル大辞泉)を贈った。広く国民に嫌われ、国民に不信と不安を与え続けている安倍総理大臣が、国民栄誉賞を与える茶番を演出している。
その後、安倍首相に擦り寄られた人気者たちには以下の災厄(さいやく)が降りかかった。
松山プロは、2月5日、プロツアー第13戦「フェニックス・オープン」の第2ラウンドスタート前「左手首に痛みがあり、プレーできない」として棄権し、将棋の羽生さんと囲碁の井山さんは、直後の対局で、羽生さんは中学生棋士の藤井聡太六段(15)との公式戦初対局に敗れ、井山さんは、「世界一」に挑んだ囲碁のLG杯朝鮮日報棋王戦(毎日新聞社後援)で、中国の棋士(19)に敗れた。安倍首相は疫病神なのだ!?
なにやら、フィギュアスケートの羽生結弦(はにゅうゆづる)選手とスピードスケートの小平奈緒選手にも国民栄誉賞を与えるという話が聞こえる。両選手には、疫病神・安倍首相からの受賞を辞退するよう下記アドバイスを送りたい。
さすがに国民に災禍をもたらす人からの受賞は受けられないとは言えないだろうから、これまで2度(2001年と2004年)も受賞を固辞したイチロー選手のように、「まだ現役で発展途上のため」と言って断ることを勧めたい。同様に、オリンピック終盤金メダルを奪取した女子パシュート・チーム皆さんとマススタートの初代女王高木菜那(なな)選手へも。
安倍首相には次のことを分かってほしい。嫌われ者の安倍首相が金メダリストに近寄よることは、金メダルを汚(けが)すと同時に、憲法さえ蔑(ないがし)ろにし、弱者をいじめて切り捨てる、友達に便宜を図って逃げ回る、嫌われ者の安倍首相が小平さんに近寄ることは、オリンピック3連覇を逃し泣き崩れる韓国の李(イ)相花(サンファ)選手への気遣いなど人柄の良さや品性から世界中の人に愛されている小平さんの評価に泥を塗る、ということを。
また、この国民栄誉賞の話は、少なくとも、9日から始まるパラリンピックに挑むアスリートの純粋な気持ちに悪影響を与えないように、パラオリンピックが終わる18日までは控えてほしい。
最近の世論調査で固定している安倍首相を支持しない理由のトップは、「人柄が信頼できなから」(嫌いの35%)であり、どんなに人気者に擦り寄っても人間性に問題があるのだから、好感を持たれるようには決してならない。それでも、安倍首相は嫌われ者1位を挽回するために国民的人気者に擦り寄ってくるだろう。擦り寄られる人気者たちに次の合言葉を送りたい。「疫病神アベラ―には近づくな!」
<2018.2.15> アベノミクスの総まとめ
この4月に5年の任期切れとなる安倍政権の下請け機関・日銀の黒田総裁の再任が決まったようだ。富める者が更に富む、格差拡大の放置、ほとんどの国民の生活を壊す弱者切り捨てのアベノミクスが続くことになった。
以下は、前回のブログで扱った『アベノミクスによろしく』の総まとめです(意志道が若干加筆)。
異次元の金融緩和を行っても、マネーストック(世の中に出回っているお金の総量)の増加ペースは変わらず物価も上がらない結果を招いた。物価上昇は消費税の増税(5%→8%/2014.4.1から)と円安によるものだけで、マイナス金利政策もマネーストックの増加、物価上昇に効果なし。
増税と円安で物価は上昇したが、賃金がほとんど伸びなかったので消費が異常に冷え込み、経済は停滞した。
経済停滞をごまかすため、2008SNA(約20兆円/2011年の研究開発費加算)対応を隠れ蓑に、この改定によって異常なGDPのかさ上げが行われた。
雇用の数字改善は労働人口減、高齢化のよる医療・福祉分野の需要増など労働構造の変化によるもので、これはアベノミクス以前から続いており、アベノミクスとは無関係。
株高は日銀と年金(GPIF)で吊り上げているだけ。実体経済は反映されていない。
輸出は伸びたが製造業の実質賃金は伸びていない。また、輸出数量が伸びたわけでもなく、円安効果だけで一部の輸出企業が儲かっただけ。
3年連続賃上げ2%は全労働者(役員を除く)のわずか5%にしかあてはまらない。
アベノミクス第3の矢の目玉である残業代ゼロ法案は長時間労働をさらに助長し、労働者の生命と健康に大きな危険を生じさせる他、経済にも悪影響を与える。
金融緩和をやめると国債・円・株価すべてが暴落する恐れがあるので出口がない。このまま続けるといつか円の信用がなくなり、結局円と株価の暴落を招く恐れがある。引くも地獄、進むも地獄。
GDPは民主党時代の3分の1しか伸びてない、揚げ句の果てにGDPをごまかす改定をし、公金投入の為替と株高で好調を演出しているだけのアベノミクスは、超特大の副作用を残すと同時に、賃上げがないままでの円安による物価上昇で生活を壊す、大多数の国民には何の恩恵も与えていない史上最悪の経済政策だ、と指摘。
経済統計をちゃんと分析してアベノミクスの失敗を国民に知らせるべき野党、メディアの不甲斐なさは目に余るとも指摘。
また、この現実を見て「民主党よりマシ」って言えるかな?とも記されているが、面白いことに、昨年暮れの12月26日(ロイター)「デフレは人災」と題して、麻生財務相の旧民主批判の次の記事があった。
「麻生太郎財務相は26日の閣議後会見で、『デフレという経済現象は人災による部分が大きい。政府や日銀の対応が適切ではなかったが故だ』と述べ、旧民主党による政権運営を批判した。一方、政権奪還以降の5年間に関しては、最重要課題のデフレ脱却に向けて『少しずつだが確実にそういう流れが進みつつある』と語った。
麻生財務相はまた、企業収益が賃金や設備投資にもっと振り向けられていれば『景気が良くなってきたという感じはもっと広く浸透していただろう』と指摘。
アベノミクスの柱である金融緩和は『デフレ脱却に向けたものだった』としつつ、結果としてドル安/円高が是正されたとの見方を示した。」
<意志道(いしどう)談:旧民主党の成果を横取りした上で、自身を含む安倍政権の不適切な対応=人災によって最悪の事態を招いているのに、なんというコメント!
下記『経済政策を売り歩く人々』を読むと、これは過ちではなく、安倍政権の狙い(富める者が更に富む)なのかもしれない。事実、物価上昇や社会保険料の値上げなどの増税により、可処分所得な減少し、ほとんどの国民の生活は苦しくなっている>
『経済政策を売り歩く人々』(ポール・クルーグマン/ノーベル経済学受賞者)に以下がある。「(経済学者というよりも政策プロモーターの)ガルブレイス(1908-2006)などは政治とは上から二〇%以内の富裕所得層に入る選挙民の利益代表にすぎないと見ていて、選挙民はどこに自分たちの利益があるのかさえわかっていないことが多く、政治家は何をするかというと、自分たちの利益を誘導するような形で、人々(国民)に彼ら(政策プロモーター)の政策ビジョンを説明する」とある。
アベノミクスを称賛する経済知識人、権力を“よいしょ”する御用学者(政策プロモーター)を信じてはならないのだ。
『アベノミクスによろしく』の最終章には、「アベノミクスは、ごく一部の人たちに利益をもたらし、為替と株価という目立つ数値が良く見えるだけで、いつかの時点で円と株価の暴落が起きて経済に大混乱が起きれば、さすがに国民も目を覚ますかもしれない」とあり、「気づいた時には日本は終了じゃん」とある。先月23日の施政方針演説では、2014年4月実施の消費増税時(5%→8%=年間約8兆円の国民負担増)に、財政危機*を煽(あお)っていた財政再建にほとんど触れなかった。失政を追求されるこの問題には触れず逃げ回る安倍政権、問題を次世代に先送りする姿勢は変わらない。
安倍政権は、戦争法案「安保関連法」や「共謀罪」など憲法違反もどきのルールづくりや、森友・加計問題などで真摯に、謙虚に丁寧に説明すると言いながら真逆の対応をしてきた。同様に、「国民の生活と命を守るのが使命」と言いつつ、アベノミクスで大多数の「国民の生活を壊し」、次は、憲法改正(9条改正)で、「国民の命を奪う」(自衛隊員を戦地に送る)ことになるだろう。
<お勉強>*財政赤字は問題であることには間違いないが、それがもたらす害は大小二つの見方がある。消費増税の必要性を国民に理解せてもらうために、御用学者は日本の財政は危機的状況にあると煽(あお)っていたが、海外は、日本の純負債はGDPの額とほぼ同額でありそれほど問題視していなかった。
<2018.2.1> 「気づけ!アベノミクスのまやかし!」
第三次安倍内閣(2014年以降)の施策評価(朝日新聞2017年12月16,17の世論調査結果)で、アベノミクスの3本の矢「異次元の金融緩和、財政政策、民間投資を促す規制緩和による成長戦略」について、「評価するとどちらかと言えば評価する」が38%、「どちらとも言えない」が33%、「評価しないどちらかと言えば評価しない」が29%と、評価する人(=騙されている人)が多い。これを楯に、安倍政権は、憲法をも無視する横暴な政治運営や森友・加計問題の批判を受けながらも生き延びている。
内閣府は、昨年11月の景気動向指標発表時、景気の基調判断は2012年12月から改善が続き、1967年11月から5年弱続いた「いざなぎ景気」を超え、戦後2番目の長さになったと説明。しかし、国民の多くは、実感が無い(昨年11月のJNN調査では83%)。
石頭団塊団は、アベノミクスの成果はみせかけで、本当は多くの国民の生活を壊していると思っていたが、それを解き明かしてくれる本『アベノミクスによろしく』が昨年の10月に刊行されていた。
この本の帯に、「豊富なデータにより、アベノミクスの本当の姿が今、明らかに!」とあり、裏表紙には「アベノミクスが大失敗しているという事実を、多くの人は知らない。日本にとって最大のリスクであるアベノミクスの『中身』と『結果』を、政府や国際機関による公式発表データを駆使して徹底検証する」とある。
名目賃金がほぼ同水準の中、アベノミクス以降、増税と金融緩和による円安で物価上昇をもたらし、円安の恩恵を受けた輸出企業の従業員も含み、ほとんどの国民の実質賃金は下がり、可処分所得(家庭で自由に使えるお金)は、この5年間で0.7%減少し、GDP(国内総生産)の約6割を占める国内実質消費は、2014年度、リーマンショック時の下落率を超え戦後最大の下落率を記録するなど景気改善とは言えない状況にあることを、データを基に分析している。
さらに驚くべきことは、「アベノミクス以降の実質GDPは、民主党政権時代の3分の1しか伸びていなかった!しかも、そのGDPの数値も、算出基準の改定(基準年の変更ほか約20兆円の研究開発費などが加算)のどさくさに紛れて、異常なかさ上げ(約8兆円/2015年度)が行われていた」(同著)とあり、景気改善基調は、安倍政権のまやかしだと断じている。これなら、ほとんどの国民が景気回復の実感がないということと合致する。
「景気が良くなれば物価が上がる」のが正論であって、「物価が上がれば景気がよくなる」というとんでもない理論で、賃金上昇を伴わない――2016年参院選での自民党テレビCMの3年連続賃上げ2%達成は、労働者全体の5%しかいない――中、物価上昇によって日本経済を停滞させているアベノミクスは、現代日本の最大のリスクだと筆者は言う。社会保障の後退などによって将来不安は増し、今後、個人消費は更に低迷すると思う。
安倍政権は、多くの国民がアベノミクスの効果を疑問視していることに対し、ノーベル経済賞受賞のクルーグマン教授の説――景気の好循環には、毎年、3~4%の賃金上昇と毎年2%以上の物価上昇(過去の高インフレの経験から出て来たもので確固たる根拠はない)が好ましい――の「賃金上昇>物価上昇」部分にやっと気づき?3%の賃金アップを経団連に要請(官製春闘)した。
円安で儲かった一部の大手輸出企業(輸出数量の増加ではなく為替差益)が応じるかもしれないが、大手企業の従業員の給料が上がり、それに準じて公務員の給料が上がる(税金が使われる)ことになる。一方、生産人口の7割強を占める中小企業の従業員は、円安によって物価があがり生活が苦しくなっていて(家計の消費支出に占める飲食費の割合=エンゲル係数は上昇)、主要先進国で二番目に(相対的)高い貧困率や今後の生活保護費の引き下げなど富める者(大手企業と役人)と貧者(中小企業従業員や非正規社員など)との格差拡大がますます進むことになるだろう。
弱者切り捨て社会への突入。これがアベノミクスの実体なのだ。
また、安倍首相が強調する雇用の改善――失業率低下、有効求人倍率上昇――も、少子高齢化で生産年齢人口の減少や医療・福祉分野での大幅な需要拡大などで民主党時代から続いていて、正規社員数の増加(2年前の2015年以降)も、民主党時代の労働契約法の改正(5年経過で非正規を申請があれば正規化)の効果で増えているのであってアベノミクスの成果ではない、と分析。
円安や株価上昇についても、2012年12月の第二次安倍政権誕生後のアベノミクス――金融緩和政策や財政出動――とは無関係だと、4年前の2013年に、「国民よ、失敗に気づけ!アベノミクスのまやかし!」という伊藤光晴京都大学名誉教授が2013年8月の『世界』で、「安倍・黒田(日銀総裁)は何もしていない」「株の上昇も円安も別の要因に基づくものであると断言できる」と指摘している。
詳しくは、同雑誌を読んでほしいのだが、株価上昇は、アベノミクス以前、すなわち政権交代以前に25%の外国人筋(個人&ファンド)の買いで動いていた――日本の株式市場は海外投資家の売買で株価が決まり、株価の変動で利を得る個人がそれに乗る――のであり、円安についても、アメリカが望むアメリカ国債の買い(円安容認)や財務官の為替介入(為替の安定化調整)、金融機関を使った複雑な介入によって起こったのであり、日銀の巨額な介入で動いたのではないと説く。
先の『アベノミクスによろしく』と合わせると、円安予想から売買合計額の6~7割の海外投資家がアベノミクス以前に株価を上げ(外人投資家にとって円安下での日本株はお買い得)、外国投資家が売り入った今、公的資金――リスクの大きい株への年金の大量投入や日銀のETF(上場投資信託)購入(株価の下落局面でETF購入)――で株価の下支えをしており、利益確定のために株を高値で売っても、公的資金(日銀の量的金融緩和とETFの購入、GPIF(年金資金投入))を止めても、株価の暴落を招く(年金も無くなる)ので異次元の金融緩和は止められない。だから出口戦略は語らない、語れない。
それでもいつかはその時が来る。この責任は誰が取る?安倍政権は、最近よく口にする「自己責任」を楯に、責任は、安倍政権のギャンブルを許してきた国民にある、と言うに違いない。
いずれにしても、安倍政権の成果としている円安、株高でさえ、「民主党の政権下でも株価上昇と円安への動きは同時進行していた」のであり、政権が自画自賛するアベノミクスによってもたされた成果ではなく、アベノミクスがもたらしたのは、実体経済の破壊、将来世代への地雷(株価暴落、年金の破綻、超インフレなど)と貧富の拡大・固定化だけのようだ。
そう言えば、トリクルダウン(富める者からのお零(こぼ)れ)も単に富裕層を更に豊かにしただけで終わった英国、フランスの経験知を無視し、安倍政権はトリクルダウンが起こると国民に説明していたなぁ―。最近では、トリクルダウンを言わなくなったが、早晩、トリクルダウンと同じく、アベノミクスという言葉も、世界の主要な中央銀行がどこもやっていない、止めた途端に、国債、そして円と株が暴落し、激しいインフレを起こす国債買いという人類が学んだ貴重な教訓(財政法第5条でも禁止)を無視した黒田日銀総裁の退任(3月)と同時に、安倍首相の口から発せられなくなるに違いない。
哲学者、故池田晶子氏は、考えるとは疑うことであるという。政府が(特に安倍政権が)望む国民像は、考えず、権力に従順な国民である。
この通りに進んでいるのが今の日本。「いざなぎ景気」超えは、政権に都合よく改ざんされたGDP値と公金介入による株高維持によるもので、民主党時代から続いている雇用環境改善(有効求人倍率や失業率)も含め、アベノミクスの成果は何もない。安倍政権が声高に言う成果には、眉(まゆ)に唾(つば)して聞かなければならない。
「国民よ、次世代のために、自分の頭で考え、アベノミクスのまやかしに気づこう!」
(以下補講)
「マネタリスト(マクロ経済の変動において貨幣供給量(マネー サプライ)、および貨幣供給を行う中央銀行の役割など、経済のマネタリー(貨幣的)な側面を重視する経済学の一派およびその主張をする経済学者を指す通貨主義者/wikipedia)の経済学者も安倍首相も、『不況からの脱却のために思い切った金融緩和をする』というが、通貨量(民間銀行の持っている国債を日銀が購入)が増えようと金利が下がろうと、不況期には投資対象はほとんどなく、リスクを考え、企業は投資を抑える(物価上昇につながる市中に出回るお金=マネーストックが増えない)から実体経済の活況化をもたらさない。金融政策はインフレに対策には有効であるが、不況対策には無効である、と解説。「不況期の1930年代では、不況期に金融政策をという愚かな人間はいなかったのであろう」と、アベノミクスの愚かさを指摘している。
<2018.1.15> 日本は、世界から異様な国(国民)と見られている
昨年12月11日の「報道ステーション」で、が「中曽根元首相は、外交4原則の中で、『世界史の正統的潮流から外れてはならない』と言っていた」(コメンテイター後藤謙次氏談)というのがあったが、安倍政権は間違いなく外していて、国際社会から日本は異様な国と評されている。
世界の流れは核廃絶に向かっていて、日本は唯一の被爆国として、核廃絶に向けて先頭に立つ資格と義務があるにも関わらず核兵器禁止条約に署名しない。
昨年12月10日のオスロ、ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の受賞式で、被爆者のサーロー節子さんは「核武装した国々(アメリカ、ロシア、英国、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮)の当局者と、いわゆる『核の傘』の下にいる共犯者たちに言います。(中略)自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです」とスピーチ。
また、最悪レベルの放射能汚染を起こした2013年の福島原発事故を受けて、ドイツを始め、何事も世論を無視して突き進む中国でさえも、原発を止め再生エネルギーに方針転換をした。原発事故が起これば大河が汚染され何億人もの人が死ぬ、と判断したようだ。
東京新聞の1月9日の社説/(ネットの新聞社説一覧)にも、日本の大問題「もはや環境途上国」があった。それによると、欧州はもちろん、トランプ政権の米国でも、中国で脱炭素革命はスタートしており、アラブ首長国連邦で世界最大級の太陽光発電所を建設中で、世界有数の産油国でさえ再生可能エネルギーに舵を切り始めたとある(太陽光パネルは中国製で、電力の供給価格は日本の原発の四分の一)。
多くの国が、安全上、コスト的に時代遅れになっている原発を止めている。なのに、日本政府は日立製作所(会長は次期経団連会長に内定)と共に、損出発生時には税金を充当する英国への原発輸出を進める。安倍政権は森友や加計と同様に、既得権益仲間の利得で政策決定している。
東京新聞の社説には、昨年11月の温暖化対策会議(ドイツのボン)で、日本政府は、高効率の石炭火力発電所の輸出による環境貢献をアピールし、世界から嘲笑を浴びた、とあり、「(原発も石炭火力発電も)時代遅れであり、脱炭素、脱原発への挑戦なしに、技術原発立国日本の持続可能性はありえません」と、指摘。
安倍政権は、国民の命と生活を守ると言いながら、核兵器禁止条約に署名せず、原発の再稼動を進めている。人類を破滅させる核と原発事故の二つの経験をした唯一の国、日本は世界から異様な国と見られている。
加えて、特定秘密保護法や共謀罪など国連人権委員会からも批判を受け続けているが、国会答弁と同じく、質問に、まともに答えていない。今日(15日)、ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶を目指す国際キャンペーン「ICAN」の事務局長が求めていた安倍総理との面会を、いつもの「日程調整上」の理由で日本政府は断った(逃げたに違いない。礼儀を欠き、日本の恥を世界に晒(さら)した)。
国際的に恥ずべき異様な政権を支持する国民も奇異な国民だと見做(みな)されるに違いない。
『よみがえる力は、どこに』(城山三郎著)の「同い歳の戦友と語る」の章で、吉村昭氏は次のように語っている。「『あの戦争は軍部がやったのであって、国民は騙(だま)されたのだ』という説。あの戦争の定義にまでなっていましたよね。嘘ですよ。文化人とマスコミによる責任転嫁です。庶民が一所懸命やったんです。われわれが、国民が、こぞってやったんですよ」と。そのあとに「それを認めないと戦争の怖さはわからない」とあるが、原発事故が起こったり、戦争やテロによって死傷者がでることになれば、また沖縄での米軍機の事故で死傷者が出たら、異様な政権を続けさせている国民全員も共犯者として糾弾されることになるだろう。
10日に吉報が入った。「安倍政権で原発ゼロを進めるのは難しい(政官財の既得権益層のため)」といい、「原発(即時)ゼロ法案」を発表した小泉元首相の働きかけ――狙いは、脱原発、省エネ推進への国民的議論の先導、反安倍政権の野党結集剤――により、原発を推進する安倍政権の支持率が下がり、これを起爆剤に、違憲の安保法制や共謀罪などの廃案、沖縄の人たちへの対応転換を促す(国民のための)国民会議的組織が生まれ、狂信的に国家主権への改憲を企てる異様な戦後最悪の安倍政権を倒すことが出来るかもしれない。
<2018.1.1> 明けましておめでとうございます。
台湾(主に高雄)で3週間住んでみました。高雄の観光地龍虎塔にある龍のガイドさん曰く「頭を撫でると賢くなる、首を撫でると金持ちになる、背中を撫でると健康になる」。石藤的には「バカにならない、時にはご褒美が出来る、病気にならない」がいい。その状態にあれば感謝する“足るを知る”。
そして、幸せを感じるものに出来るだけ多くの時間を使おうと思う“毎日が人生”。
昨年楽しんだ本は、『君たちはどう生きるか』の吉野源三郎著『人間の尊さを守ろう』『ガリバー旅行記』『旅をする木』『人はなぜ悪をなすのか』。そして衝撃を受けたのは年末に読んだ『アベノミクスによろしく』でした。これは真実を曲げて国民を騙す安倍政権にとって、発禁本だと思う。
「石頭団塊団」のブログは、四年目を迎えました。本年もご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
石頭団塊団 意志道(いしどう)一味(かずみ)