三行半(みくだりはん)2:団塊世代からの『自公政権への三行半』 2014.7.1
~平和国家日本と国民を破壊する自公政権との決別~
行動指針① 次期国政選挙、地方選では、「自公両党及び自公議員には投票しない」
<政党&候補者投票基準>
憲法(国民主権、平和主義、基本的人権)の堅持。
秘密保護法の廃案もしくは大幅改定(有期限化など)、武器輸出三原則の復活を実現してくれるかどうか。
格差拡大阻止、官富民貧の官僚支配・傀儡政権体制改革の本気度。
税金の無駄遣いの撲滅と議員定数削減の敢行、そして原発ゼロ推進。
行動指針② 既得権益層優遇政策と格差拡大の阻止のため「世襲議員には投票しない」
三行半その1『国家支配者たちへの三行半(みくだりはん)(三頁半)』改定版(2012.8.29)~国民を不幸にする官僚支配・傀儡政権への離縁状~から1年半強が経った。
2013年12月6日衆議院選挙、括弧付き公共放送から国営放送化が危惧されるNHKのニュースセンター9時のキャスターの口から幾度と無く発せられた「決められない政治」のアシストもあって、過去最低の投票率(59.3%)の中、有権者の僅か16%の得票(比例区)で、国際人権規約に反し海外からも今世紀最大の悪法といわれた特定秘密保護法案(国民主権から国家主義へ)の強行採決、武器輸出三原則の廃棄(人道的世界平和貢献から死の商人へ)、憲法無視の集団的自衛権(他国への武力行使)容認の閣議決定、辺野古への基地移転問題などの民意の無視。そして脱原発を公約に掲げながらベースロード(安定供給)電源として再稼動を進めるなどTPP断固反対の公約違反を含め平気でウソをつく、「(人間として)正しく決められない」安倍IJ(違憲状態下)独裁政権が生まれた。
その後の異様な政治運営を目の当たりにして、『賢人たちの世』(城山三郎著)にある昭和40年代から50年代にかけて自民党三役を歴任した“政界の三賢人”と呼ばれた自民党の灘尾弘吉の言葉「保革伯仲の方が、国会の中味はいいな。どっちも責任を感じるんですかね」や、前尾繁三郎の「政治家を必要としない国家があれば、いちばんいい。政治家を必要とするけれども、それに値しない総理が国政を預かるときが、いちばんみじめになる」という言葉が身に沁みる、と同時に国民の質が問われる時が来たと感じる。
世界政治の潮流――軍備縮小と貧困対策――に逆行
いま世界の国々の最大の関心事は、自殺の流行や社会の崩壊を招く貧困問題にあり、軍事産業とその利潤に群がる人間が潤うだけで、罪なき人々の命を奪う武力紛争の回避に動いており、米国は軍備予算を縮小し貧困対策に乗り出した。そして、その軍事予算削減の肩代わりを日本に求めているのだが、意味不明の積極的平和主義を唱える安倍内閣は、それ幸いにと元CIA秘密エージェントだった祖父・岸信介のように米国の要望を受け入れ、1965年アメリカによるベトナム空爆に繋がったアメリカ駆逐艦への北ベトナム軍の攻撃はアメリカの謀略であったし、実際は無かった大量破壊兵器保有のイラク攻撃など多くの罪なき市民を殺戮したように世界の約8割の紛争原因国である米国の意向に沿い海外での武力行使の道(集団的自衛権)―米国への日本国民の命の提供―を閣議決定(限定容認)し、濁った瞳を大きく垂れ下がった瞼で覆い隠しながら暴走をはじめた。
憲法は国家権力が暴走しないように縛り、個人の尊厳や言論の自由など、国民の基本的な権利を守るためのもので、その時々の政権が意のままに変えてはならない。こうした考え方が民主的な憲法を持つ世界各国で共有されているが、この基本(立憲主義)さえ理解していない安倍首相率いる内閣は、外交・安全保障政策の司令塔「国家安全保障会議(NSC)」の法制化に続き、「政権に都合の悪い情報隠蔽とそれを暴いた者を罰する恐れを招く」特定秘密保護法案を福島での公聴会(2013年11月25日)で公述人7人全員が批判や更なる議論を要請する中、議論を重ねれば重ねるほど悪法であることが白日の下に晒されるのを恐れて、民意(意見公募9万件のうち8割が反対)をも無視し、公聴会の翌日衆議院で強行採決をした(みんなの党もこれに賛成し、“自民党の党”となる)。
特定秘密保護法で情報を隠し国民の口を塞ぎ、平和国家の理念を支えてきた武器輸出三原則を全面的に見直し、「防衛装備移転三原則」を閣議決定(2014.4.1)して死の商人として踏み出した。国際的軍需産業に組み込まれることで、ベトナム戦争からの撤退を決めたJFKが軍産複合体によって暗殺されたように、平和主義リーダーの出現が阻まれ、将来わたって戦争から脱け出すことが出来なくなるだろう。国民の命よりも政官財の利権優先の原発推進と同じ構造体がまたひとつ増えてしまった。さらに国民の命を守ると言いつつ若者を戦地に送る集団的自衛権行使容認に向けて、国の最高法規である憲法の根幹である第9条の解釈変更とういう憲法無視の暴挙に打って出た。
そして、格差拡大を増長させる既得権益層・富裕層優先経済政策(アベノミクス)で、相対的貧困率(国民の平均所得の半分以下の割合)が第1位のアメリカに、第2位の日本が1%の富裕層と99%の貧困層のアメリカ強欲資本主義社会の再現を目指している。
安倍首相は、2014年春の新人官僚への訓示で「グローバルな時代にあって『日本のことしかしらない』ガラパゴス人間では、話になりません」といいながら、世界が目指す武力によらない紛争解決や貧困対策とは真逆の方向(ガラパゴス化)に国家運営を行っている。真摯に国民の声を聞くといいながら主権である国民の脱原発の声(段階的減で将来ゼロを含め原発ゼロが77%/2014年3月18日朝日新聞世論調査)を無視して国際的には高コストで過去の技術と見なされている原発を安定的電源として継続を決め、他国に売り込んだり、「不戦の誓い」と言って世界中で戦争が出来る国にしようとする。さらに、国会答弁の場では、法制局の人間への野党の質問に対し、「俺に答えさせろ。(俺と法制局の人間と)どっちが偉いんだ!」と怒鳴ったりと、人間性が疑われる非常識な言動を連発している。“偉い”とは、優れている人、人に尊敬されるべき立場にある、という意味であり、自ら言う言葉ではないのである。安倍首相が望む道徳教育が最も必要な人間にこの国の舵取りを任せていては日本の将来はないのではなかろうか。
社会の問題を解消するための政治が、格差拡大と集団的自衛権行使容認を進めるなど、国民の命と生活を危機に陥(おとしい)れる重大な問題を引き起こしている。先の選挙で日本国民は、日本を破滅させる自民党圧勝という今世紀最大の過ちを犯し、そして自民党議員は自民党解党につながる安倍総裁誕生という過ちを犯したのである。第二次世界大戦のように、国民を不幸にする指導者に盲従することがないよう、一人一人が人として深く考え異様な政権を選んだ償いをしなければならないと思う。
安倍内閣は日本人の恥
2014年4月24日の日米首脳会談後のオバマ大統領発言「尖閣諸島は日米安全保障条約の適用範囲」は、「アメリカは、日本を守るが日本に守ってもらう必要はなく、その代わりに基地を提供してもらう」という日米安保条約の範囲に尖閣の言葉を入れたに過ぎずないのに、安倍政権は、抑止力が高まると称して日米軍事同盟強化の一環として、国の最高法規である(非戦の)憲法を無視し、集団的自衛権行使容認の閣議決定をした。
米国は、日本よりも中国と上手に付き合いたいに間違いない。米国がGDP2位の中国と武力衝突をすることは、ウクライナ問題以上に世界経済の混乱、すなわち経済至上主義の米国に不利益をもたらすことからしてありえない。オバマ発言は、日本と中国の偶発的衝突に米国が巻き込まれないために中国の挑発行為抑制効果を狙ったものであり、本心は「隣国との信頼醸成に努力し、平和的解決をしてほしい」という言葉にある。しかし平和的外交能力を欠き、アメリカの核と軍事力に頼るしか能がないと思われる自公政権は、日米軍事同盟の強化が中国から日本を守る唯一のカードと考えており、「尖閣諸島は、日米安全保障の適用範囲」という言葉に浮かれて、大統領の本意“信頼関係醸成による平和的戦争回避”を受け止めることができない情けない政権なのだろう。国際紛争の当事者は共に正義を主張する。それを武力で解決することは、将来にわたって危機を内在させる愚者の振舞いであることを理解できないでいる。世界平和へのビジョンと道筋を描き、事を進める能力がないから、隣国の脅威を自ら拡大させつつナショナリズムを煽っているのだろう。
安倍首相の外交手法は、相手の嫌がることをしながら「対話のドアは開いている。いつでも遊びにおいで」という子供でもやらない手法であり、他国との信頼を築けそうにない。韓国の朴大統領は、「言葉ではなく、行動で示せ!」と、ポラスの法則“言葉を信じるな、信じられるのは行動だけだ”で迫る。それは、“政治家の言葉を信じるな”を地でいく安倍政権に向けた言葉だが、選挙公約違反の脱原発依存、議員定数削減等々で騙され続けた日本国民の思いでもある。靖国参拝問題では、不戦の誓いと国のために命を落とした英霊への尊崇の念を表わすためといいながら、国民を戦争に送ろうとしている。靖国に眠る英霊の多くは、敗戦確実下で無念の死を強いられた人たちであり、再び戦争ができる国にしようとする与党自民党議員には参拝してもらいたくないのではなかろうか。
「君死にたもうことなかれ、、、親は刃をにぎらせて、人を殺せとをしへしや、人を殺して死ねよとて、二十四までそだてしや、、、」(与謝野晶子)
平和憲法は、日本人の誇りであり人類の願い
近隣の無法国家の存在上、個別的自衛権行使のための軍備は必要だ(集団的自衛権行使容認賛成者の多くは、個別自衛権の範疇である中国が攻めて来た時の対抗上必要という、情けない状況にある)が、憲法9条(海外での武力行使をしない)は、唯一の被爆国で悲惨な第二次世界大戦を経験した日本だからこその憲法なのだと思う。第二次世界大戦当時の日本は、いまの北朝鮮以上に国際社会から見れば理解し難い異様な国だったに違いない。それが故に日本が二度と戦争を起こさないようにと米国主導で制定された現憲法ではあるが、彼らの人間としての魂が生み出した理想憲法だと思う。戦争の悲惨さを体験した日本国民は、多くの国民の命と引き換えに生まれた平和憲法という娘を心から受け入れた。それは全世界の人々が理想と仰ぐ器量よし、心良しの娘なのである。有権者のほんの16%の支持を得たに過ぎない安倍晋三首相は、人命救助などの国際平和協力活動によって紛争当事国の国民からも愛されるこの心優しい娘との離縁を迫り、新たに狡猾(こうかつ)で血の臭いのする娘(基本的人権の97条の削除や緊急事態宣言時には何人も国家機関の指示に従わなければならないなどの国家至上主義的な自民党憲法改正草案)、安倍晋(しん)子を国民に押し付けようとしているが、どちらが日本国民を幸せにする娘なのかは明らかだ。加えて、国の最高規範である憲法の軽視をはじめ、今世紀最悪の秘密保護法の強行採決や公約違反の原発再稼動など独裁的に事を進める政権だからこそ、国政を任せられないと思う国民は多いに違いない。これでは、日本は普通に生きていけない国になる。
日本人の手による自主憲法が必要なら、国家至上主義の安倍晋(しん)子ではなく、あらためて、先制攻撃や自国以外での軍事行動を行わない専守防衛に徹し、他国への武力行使(集団的自衛権)禁止の憲法を国民投票で決めたら、世界が日本人の高い精神性に尊敬の意を表明するだろう。それが、国際的に日本の存在価値を高め、日本人に生まれた喜びと愛国心をもたらすに違いない。
天皇陛下は政治について語れない中で、現憲法について、平和と民主主義を守るべき大切なものと語られ、皇太子さまは、「今日の日本は戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しております」と述べられた。国民の命を守るべき為政者は、人間を人間ではなくする戦争を起こさないために歴史に学ぶことはもとより、高い地位に伴う道徳的精神的義務(ノーブレス・オブリージュ)を負うべきなのだが、皇室のこの発言を、天皇を元首とする憲法草案を掲げる自民党議員はどう受け止めるのだろか?
積極的平和主義という詭弁を排し、人道的平和主義としての世界貢献を目指せ
安倍首相が2014年2月の国会で述べた「武力をもって世界平和に貢献する積極的平和主義」――国際協調主義に基づく積極的平和主義の下、米国と手を携えて、世界の平和と安定により一層積極的に役割を果たす――というのは、誰も歯向かうことのできない軍事大国が政治的、経済的に国益に反する小国を武力で排除することに加担することを意味し、それは日本が報復の連鎖でテロとの戦いに明け暮れるアメリカなどのように国民の命が奪われる国になることである。事実、国際法上違法行為であったイラク戦争に加担したイギリス、スペインではテロによって各々50ないし200人以上の国民の命が奪われている。国民の命を守るには外交努力と専守防衛(個別自衛権)で行くと腹を括ることだ。全国民の命を危険に晒すことになる他国の戦争に加わる集団的自衛権行使が、安倍首相の「国民の命を守るのが私の使命」実現のためというなら明らかな詭弁で、国益優先の大国側に立つ武力的平和主義ではなく、人間なら誰しもが描く人道的平和主義で国際貢献を目指すことが、玉砕戦と原爆で落命した英霊の望んでいる日本の姿なのだと思う。平和的アプローチで国として存在感を高めることこそが、自国の安全をも確固たるものにする積極的平和主義ではないだろうか。
団塊世代は「子孫のための最後のご奉仕として自民党との決別」を宣言する
立花隆著『天皇と東大 上 大日本帝国の生と死』のはしがきに以下がある。「歴史をふりかえると、日本は大きな曲り角をまわるたびに、大きな過誤を犯してきた。客観情勢の判断ミスあるいは行動のオプションの選択ミスである。曲り角におけるちょっとした判断ミスあるいは選択ミスが、のちのち、取り返しのつかないほど大きなミスとなって、自分にハネ返ってくるということが歴史にはよくある」。海外メディアの力を借りて公共放送としての体裁を整えようとしている括弧付き公共放送のNHKの「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」(アメリカ2012年)で、世界の歴史が大きく変わったのは、反帝国主義・人道主義者でアメリカの良心と言われた第33代副大統領(1941年から45年)のヘンリー・A・ウォレスが圧倒的支持を得ながらも反対勢力の選挙工作でルーズベルトの死後大統領になった邪悪な白人至上主義者トルーマンに敗れた第四期ルーズベルト大統領の民主党副大統領候補指名選挙(1944年)だという。他人の痛みが分からないトルーマンではなく、核兵器の一国独占に異を唱えたウォレスが大統領になっていれば、核の国際管理というオッペンハイマーの進言を受け入れ、核開発競争はなくなり、またその後の米ソ冷戦も軍拡競争もない、そして二つの世界戦争で富を築いた人たちが牛耳るアメリカ政治ではない平和な世界に向かったという。いま日本は、これに相当する平和国家として生きるかどうかの重大な分岐点にあると思う。
あらゆる場面で人格を疑いたくなる異様な言動が見られる安倍首相の集団的自衛権行使容認の狙いが、民主党最高顧問の江田五月氏が述べた(読売新聞2014年4月30日)ように、「安倍首相の頭の中には、『日本は運悪く戦争に負けたが、日本がやろうとしたことは正しかったから、この誇りを取り戻そう』という歴史修正主義がある」のなら、あの残虐なヒットラーが第一次世界大戦の雪辱を第二次世界大戦で晴らそうとしたのと変わらない。国の失政によって将来に希望が持てない若者が増え(2014.6.3内閣府発表で7ヵ国中圧倒的最下位)戦地に送り込まれ、為政者を含む1%の富裕層はゴルフに興じる。ユネスコ憲章は「戦争は心の中で始まるのだから、平和の砦は心の中に作らねばならぬ」と宣言する。いま世界市民から、自公政権の愚行に対する日本人の反応(心の在り様)が試されている。
格差拡大の経済政策と平和国家の放棄を進める安倍首相は、国を自分の思い通りに動かしたい権力誇示と軍事力で国際的に存在感を高めたいという狂信的欲求に起因しているようで、「法を尊ぶ」と言いながら「(憲法解釈の)最高責任者は私だ」と独裁者のような国会答弁をし、秘密保護法で反対派をことごとく排除しながら、集団的自衛権行使で、人殺しのために若者を海外に送る戦後最低最悪の総理大臣の道を盲信中だ。平和な時代を生かされてきたリタイア団塊世代の最後の社会貢献として、この暴走を阻止するために、損得を離れた人間として、このような安倍政権を放置する自公政権との決別を宣言する。
(補足)安倍世襲議員政治の本質 以上。