<友人> よき師、よき友は人生の宝で、「よき友、よき師匠をもたない人は不幸であ
る」(『人間の魅力』)。
1)「『人生を決めるのは性格である』と書いたが、友を選ぶのも要は自分の性格が決
めている」(『橘曙覧「たのしみ」の思想』)。よって友を見ればその人が分かるの
である。類は類を呼ぶ。安倍首相が任命した友達人事のNHK会長(理事への辞表提
出強要)、内閣法制局長官(国会議場外乱闘)など人格に疑問府があるのは、安部首
相も同類?信じられる友は、困難のなかにあっても信念を実践している(行動してい
る)人である。
2)『14歳からの社会学』(宮台真司)の<誰にいわれるかで説得力が違う>の項
に、人間を見る目の重要性について記述されていた。「これから君が生きていくには
『本物(の人間)』と『ニセ物(の人間)』を見わける力が必要だ。君に必要な人間
とそうじゃない人間を見わける力が必要だといってもいい。
さして必要じゃない人間とは、適当につき合えばいいだけだ。でも、君にとって必要な人間は、君に『感染』をあたえてくれる大切な存在だ。だから『目の前にいるこの人は本物かニセ物か』を見ぬく力が必要になってくる。その力がなければ、君は不幸になるだろう」。しかし、今まで数えきらないほど外れている。訪問セールスにだまされたりもする。人を見抜く能力は特殊能力なのかもしれない。
3)『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(キングスレイ・ウォード)には、
息子に以下のように伝えている。「人間の持つ頭脳の力のうち、私たちが日常生活で
活用しているのはごく一部で、潜在能力の大部分は休眠状態になっている。才気煥発
な友人との話し合いで、この頭脳の力を呼び醒まし、伸ばすことほど楽しく、刺激に
なるものはない。これ以上に人生から得るものはないし、これ以上に人生を豊かにす
るものもない」、「性格が良く、しっかりした倫理観を持ち、羞恥心とユーモアがあ
り、勇気と確信を持つ人は、探し求め、親しみ、大切にすべき友人である。そういう
人は少ない。『片手の指に余る親友がいれば、恵まれていると思え』とよく言われ
る」。そして「友だちは疑いもなく人生の薬味である」と。
4)「自分の人生を変える出来事に遭遇する確率を上げることはできます。それは、優
秀な人と出会える環境に身を置くことです」(茂木健一郎『脳を活かす勉強法』)。
また「独創的な考え方をする人とのつき合いが多ければ、新境地を開ける可能性は高
い」(『その他大勢から抜け出す 成功法則』)で、新たな道の発見につながる。
5)企業においては権力と富が絡むので、人選びは至難の技だ。さらに、同じ職場で働
く場合、いやでも顔を合わさるを得ない。『超訳 仏陀の言葉』に以下がある。「価
値観や考え方は、本人の口から出た言葉よりも、選択したものを見た方がよくわか
る。言うことと、することが一致していない人を見る場合、私はすること、つまり選
択したことに重きを置く。選択したものを見れば、価値観がわかる。言葉に表現され
たことは価値観ではなく願望をあらわす」のであり、やはり「言葉を信じるな、信じ
られるのは行動だけだ」(ポラスの原則)なのだ。
6)「偽物と付き合っていれば、知らず知らずのうちに、自分も偽物の仲間になってし
まう恐れがある。偽物に慣れてしまうと、偽物に対して抵抗がなくなる。その観点か
ら考えれば、付き合う人はできるだけ本物の人に限る必要がある」(『本物の生き
方』)。すなわち「身の周辺に『よきもの』を置き、『よき人』と接するだけでも、
内面は浄化される」のである。さらに過激に言えば、『自助論』でいうところの「つ
まらぬ友と付き合うくらいなら一人で生きよ――これを処世訓として肝に銘じておき
なさい。自分よりすぐれた人間か、せめて同程度の人間を友とすべきです。人間の価
値は常に、友の価値によって決まるのですから、、、」だ。
7)避けるべきは「悪人とはっきり分る人との交際は、精神的に絶対に有害であり、神
経のこまやかな人にあっては不愉快な思いにからだをも損なうほどで、要するにこれ
はあらゆる意味において不健康である」(ヒルティ『幸福論』)。「卑怯なる人、小
狡い人は言語道断である。次にどうしても好きになれないのが根の暗い人。(中略)
こういう人は他人をも不幸にする人だからだ」(『橘曙覧「たのしみ」の思想』)。
『超訳ニーチェの言葉Ⅱ』にも、こういう人には近寄るなという「危なっかしいの
は、気の小さい連中だ。何か厄介ごとが起きたり、いさかいが起きたりすると、やつ
らは極端に走りやすいからな。ちょっとした行き違い、誤解、揉めごとをそれなりに
丸く収めたり、適当に仕返しをしてすませる方法をやつらはしらないんだよ」とあ
る。致命的な結果を招く恐れ大である。
また、注意すべきは「知性あふれる人間を尊敬するのはいっこうにかまわない。だが知性以上の何かがなければ、彼らを信用するのは早計に過ぎる」(『自助論』)である。知識が豊富であることだけで、友としてはならない。一方、これでは段々友がいなくなる。友になれなくなる……かも。強弱の幅があることをお忘れなく。
8)同様な観点から、『世俗の価値を超えて 菜根譚』で、幕末の志士・橋本左内の自
省訓『啓発録』で次を紹介している。「友人は自分と交際してくれる者なのだから。
みな大切にしなければならないが、損友と益友とがあるので、選択して交際すること
が肝要だ」。損友とは、その人の性格として、はしゃいだり、小才のきいた言葉を吐
いたり、軽薄であったりして、人の心にとりいろうとする傾向があり、こちらもつい
心安くなりやすい人である。このような人は、いくら親しくしても、こちらの徳性を
充たしてくれることはない」。確かに、つい付き合ってしまい。最後には苦い思いを
してきた。
益友については、以下の徳性のうち、いくつかを身に備えた人と言う。
剛(ごう)正毅(せいき)直(ちょく)(気性がつよくまっすぐ)
温良篤実(とくじつ)(温和で誠実)
豪壮英果(男らしくてすぱっと決断する)
俊邁(しゅんまい)明亮(めいりょう)(才智すぐれて明朗)
闊達(かったつ)大度(たいど)(度量がひろくておおらか)
そして、「このような人との交際は、ないかと気骨が折れるが、このような人こそ、こちらの過誤を知らせてくれ、意見もしてくれるのであって、その意見をききいれることによってわが欠陥を補正することができるのだ。だから、益友はこちらから親交を求め、相談をもちかけて、常に兄弟のように交際すべきである。世の中に益友ほど有難く、また、得がたいものはないのだから、一人でもそういう人を見つけたら、なにはともあれ大切にすべきだ」とある。自分がこのような徳性を持ち合わせていないのに、他に求めるのはどうかと思うが、五つの徳性のうち、いくつかを身に備えた人であることに救われる。その数を増やす日々を送ろうとも思う。
9)「地蔵本願経に『多逢聖因(たほうしょういん)』とある。いい人に交わっていると、
しらずしらずにいい結果に恵まれる、という意味で、『多く聖因に逢(あ)う』とも読
む。
人と人との邂逅(かいこう)は、たった一度きりのものであっても、それが終生つきまとって離れないことがある。全く『縁』という言葉でしか説明できないことがある。いや、人生はすべて『縁』にはじまる。
だから、縁を大事にすることが人生を大事にすることだし、それがうまく発展する
と、いい縁がさらにいい縁を生んで、、、」ということになる(『人間的魅力の研
究』)。