<死>“死を忘れるな(メメント・モリ)”で、毎日を生きる。
1)『新版 人間をみつめて』(神谷美恵子)では、誰でも「死を本当に自分の中にと
りこんだ人は、かえってたいへん明るいのだ」。そして「いったん死を覚悟すれば、
ものの価値判断も変わってくる。なるべく価値あることに自分の生命を使いたいとい
う気持ちだけは、たしかに出てくる。つまらない事をしている暇はないことに気づく
からだ。こう考えたときはじめて、死というものは生にとってプラスの意味を帯びて
くる」。
死を考えたら、テレビでの芸能人による無駄話なんかに付き合ってはいられなくなってしまう。テレビ局の人は公共の電波を使って何をしているのだろうか?
2)「もし<死>の不安がずっと続くなら、必ず<生>に問題があるんだ」(宮台真司
『14歳からの社会学』)。いつ死んでも悔いはないといえるように、道義にそって
人間の道を外さず、自分らしさを発揮して毎日を生きよう。
また、「死は人生の終極の悲劇ではない。終極の悲劇は非人間化だ。見知らぬ殺風景な場所に置かれ、愛情のこもった手にすがれる精神的慰藉(いしゃ)からも引き離され、生き甲斐を味わう望みも絶たれ、希望を断ち切られて死ぬことだ」(『笑いと治癒力』)であり、他を思う心と希望を失わないで、苦しい時は「苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる」(『置かれた場所で咲きなさい』)と考えること。
3)「なぜつらくあたるのか? それはその人の死を意識していないからです。いつか
その人がいなくなってしまうという事実に気づかないと、どうしても感情をむき出し
にしてしまいがちです」(『人生をやり直すための哲学』)。「う~ん。相手もそう
思っていたら、、、、」では、並みの人。
4)「葬式は誰も泣かないようでなければいけない。生き尽くし、思い残すことはな
い、という状態になって、死んでこそ、残るものには爽(さわ)やかな気持ちが与えら
れるのである」(曽野綾子『完本 戒老録』)。“人間らしく生き切れ!”というこ
とだが、そのような人は、多くの人が清々しく涙すると思う。
5)「人間はなんとなく生まれて、なんとなく死んでいくというかたちが自然だったと
思うのです」(栗田勇『白隠禅師の読み方』)と、人類誕生の七〇〇万年前に旅立
つ。