<苦境・悩み> 「挫折こそが人間を豊かにする」(落合信彦『無知との遭遇』)。
「生きている限り迷うのである。生きているということは迷っていることなのである」(『正法眼蔵随聞記』)。順風満帆な人生はなく、逆風を孕んでこそ飛翔するのだから、苦難に直面しても笑い、楽しめ!
1)In the face of great hardship, you have to keep your sense of humor.
逆境の持つ意味は、人間として大きくなる試練である。それを楽しみながら乗り越えることによって弱い人間が生きていく価値を知り、苦境を乗り越えた人ほど(人に)優しく、(精神的に)強い人間となる。逆境は、豊かな人生を送るために万(よろず)の神が授けた逃れる事のできない重要な贈り物のひとつなのである。
2)「限界状況にぶつかるというのは、大事なことなのです。限界状況に至ってはじめ
て理想を垣間見ることができるのですから。この状況を知らない人は、いつまでたっ
ても壁のはるか前に立ち尽くし、嘆いているだけです。そこに壁があって、その先に
何があるのかも知ることもなく」(『人生をやり直すための哲学』)。あ~ぁ。いま
だ壁の前。
3)梅原猛『仏のこころと母ごころ』に、「人一倍、大きな夢をみて、それを実現した
人がいる。私は、そういう人たちには、一つの共通したものがあるように思います。
それは何か。すべてがそうとはいいませんが、そういう夢を見る人間には、心に大きな傷をもっている人が多いのです。歴史上、偉大な足跡を残した人たちの人生を見ていくと、心に大きな傷、コンプレックスをもっている場合が多いように思います」、「心に傷があっても、それを悲しんではいけない。悲しんで自暴自棄になったら、自分を滅ぼしてしまうだけです。だから、そうではなく、自分の傷が深ければ深いほど、素晴らしい夢を見る人間になることができる、そう考えるといいのではないでしょうか」とある。
さらに、「逆境や困難の労苦こそ、ひとかどの人物を焼き鍛えるためのひと組の溶鉱炉のようなものである。その鍛錬をよく受けおおせれば、心身の両面に益があるし、受け損じると、心身の両面に損を受けて、できそこないになってしまう」(中国の古典『菜根譚』)であり、「どんな逆境にあっても希望を失ってはならない。いったん希望を失えば、何ものをもってしてもそれに代えることはできない。しかも、希望を捨てた人間は人間性まで堕落してしまう」(『自助論』)のだから、苦境にあっても、それが人生であり楽しめるのだと、笑って仕切りなおせる精神構造が望まれる。
4)また「どんな困難でも、必ず打開する道がある、という信念は、その人にとって非
常に大きな力になる」(茅野健『平常心』)のである。
5)ウエイン・W・ダイアー『自分のための人生』に、「まわりの人間やものが自分を
不幸にするのではない。自分で自分を不幸にするのだ。それは、自分の生活にかかわ
りあうものや人間に対する自分の考え方のせいである」とある。不安が不安を招き、
その「不安には、未来を変える力はまったくなく」、「不安に対する最善の対抗手段
は行動なのである」。思い悩むより体を動かせ!ほどよく汗をかけば、悩みや心配事
を軽くでき、新しい観点から物事の本質が見え、打開策が見つかる。何かよい汗を流
せる趣味を持つこと。
そして、「人間として、市民として、死すべき存在として物事を見よ。(中略)わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。もう一つは、すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ。そしてすでにどれだけ多くの変化を君自身見とどけたことか、日夜これに思いをひそめよ」(『自省録』)なのである。
6)悩みの消し方の究極は、荘子の言葉にある。『老子・荘子の言葉100選』に、「も
し、あなたが二十万年も生きるとしたら、いま、あなたの頭の中に湧いている悩み
は、一瞬のうちに消えているでしょう」と。「人間の心が、ちっぽけな世間体に凝集
すると、悩みの深みに入る」のだから。それとは逆に、“明日死んでしまう”(全て
無にする)というのはどうだろう。
7)マーティン・セリグマン著『オプティミストはなぜ成功するか』で、オプティミス
トは、困難に直面したときに、その現実を直視した上で楽観的に捉え、無気力や絶望
や抑うつに陥らないよう自分を守ることができるとしている。「職場でも学校でもス
ポーツでもよい成績を上げる。健康状態もよく、長生きするという説さえある」。そ
して楽観は、希望と同じように人生に恩恵をもたらしてくれる。だからアメリカ人
は、過酷な職業である大統領にオプティミストを選ぶようだ。一方「ペシミストは順
調にいっている時でさえ暗い予感におびえる」とある。オプティミストになるには、
「挫折を味わった時に、もっと元気が出るようなものの考え方で自分自身に語りかけ
るにはどうしたらいいか、という方法を身につける」ことで、ここでも心の持ちよう
で、こころを沈ませる否定的な考えは、排除しなければならない。そして苦境の時は
「どうやったら状況を変えられるかに力を集中し、困った状況が大きな災難に発展し
ないように努めること」とある。加えて、本質でないことはやり過ごすのが精神疲労
回避と時間の節約につながると思う。「楽観主義は早く身につけるほど、基本的な習
慣になる」のである。
8)「こころの傷とは、相手が人間であるときに生じるものである。人の心は、『愛』
を感じるときも傷を受けるときも、実は相手が人間の場合に限られるのである」
(『平常心』)。その一番辛い他人によってもたらされた傷とそれに伴う恨みの感情
をどのように処理すればよいのかは、悩みを取り去る宗教、仏教の教え『仏教入門』
にある。怨みを解決するために怨みをぶっつけることは易しいが、それは怨みを解決
することにはならず、かえって、傷口をひろげるので「忍を行ぜよ」と教えている。
「忍とは、与えること、考えること、耐えることのできる知恵です。相手を許し、相
手を救う慈悲で、ただわずかでも、相手を許そう、救おうとの一念が起きたとき、怨
みが、怨みなきことに転ずる」ともある。まさに仏様。並の人間にはできそうもな
い。相手と人生に対する価値観がまったく違っていれば、このような考えが死を招く
こともある。たとえば、北朝鮮が相手で核実験や拉致を許していれば、自省すること
もなく、核装備を進め殺されるかもしれない。それは、二〇〇年強以前のポリネシア
の話ではあるが『銃・病原菌・鉄(上)』にあるように、もめごとはおだやかな方法
で解決するという伝統を持つモリオリ族が、異民族を殺し食べるのが習慣になってい
たマリオ族に征服されたのと同じ結果を招くだろう。価値観の違う者に慈悲をもって
許すことは、現実問題として不可能に近い。「良心に訴える」ということも無理だ。
これは、集団や権力で他人を不幸にする輩を許してはならないことと同じだと思う。
怨みは、人間の精神現象として起るもので避けられない。怨みの存在を肯定した上で「怨み心に執着しないこと」の方ができそうだ。その上で、相手を怨むのではなく、このようなことが二度と起らないように、するにはどうしたら良いかと、自己を超えた発想に転ずるのも方便になるだろう。他人に精神的にも肉体的にも危害を加えないことが気持ちよく生きるためには欠かせない。
9)「人間として、市民として、死すべき存在として物事を見よ。(中略)わずらわし
いのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。もう一つは、すべて君の
見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ。そしてす
でにどれだけ多くの変化を君自身見とどけたことか、日夜これに思いをひそめよ」(『自省録』)。
10)悩みなど煩わしいものは、ただ内心の主観からくるものに過ぎず、それの対処法とし
て『ハーバードの人生を変える授業』に以下有用な情報があった。
悩むと更に悩みを増大させる悩みから逃れるには、悩みを起こす「歪んだ考えを取り除き、現実感を取り戻す――不合理な考え方、つまり認知の歪みがあることがわかったら、その出来事に対する考え方を変え、違ったように感じればよい――」とする認知療法があり、認知療法の基本前提は、「人は出来事そのものに反応するというより、その出来事への自分の解釈に反応する」というもので、悩みを消すには、解釈を変える、俗に言う見方、考え方を変えることで可能だという。心をかき乱すような不安な感情に対処するのに役立つ方法のひとつとして、PRP法を紹介。それは、自分自身が人間であることを許すこと(Permission=P)、状況を再構築すること(Reconstruction=R)、そしてより広い視野から見ること(Perspective=P)の3段階を踏む方法で、自分が人間であることを許し、起こった出来事とそのときに感じた感情をあるがままに認め、そして、その出来事がもたらしたよいことは何かをじっくりと考え、最後の段階として、一歩引いて、その状況を広い視野で眺めてみることと紹介。このワークは定期的に繰り返してやるようにやれば、多くの効果が得られるようになるという。悩みの原因となった事象の捉え方(解釈)を大きなスケールで捉え直すのがポイントなのでしょう。これはただくよくよするな、とか悩みは考え方を変えればよいとか、心の問題だというよりも効果的だと思う。
⒒)『現代に生きる 無門関』に以下がある。「巨大な揺らぎの中のひとつとして生まれた自分は貴重なものであると感じる。(中略)それをおろそかにして一生を過ごす者は、煩悩と不安に悩まされる」し、その上で「大きな因果に囚われず、それをごまかさず、なお自分というものを確保し、そこに大きな安心を得る。それは日常の事件や事象で揺らぐことのない高次元の安心であり、それが禅の究極の目的であろう」とある。悩みに負けない自分を制御する形を作り上げことの重要性を言っている。