1)「小事にこだわらない広い心と、他人への寛大な思いやり……こういうものの総和
が外ににじみ出た人は、必ず第一印象がよい」(『人間の魅力』)のだが、小事には
こだわらないといって、いい加減な対応では人格が疑われるのである。論語に「小事
にその人間がよく現われると言いますが、その通りで、何でもない些細(ささい)なこと
にその人の性格がよく出る」とある(安岡正篤『論語に学ぶ』)。そして、芥川龍之
介も「人生を幸福にするには、日常の些事を愛さなければならない」といっている。
それはマナーにも言える。「偉大な人物ほど礼儀を知っている」(『ビジネスマンの
父より息子への30通の手紙』)。そして、本物は生き方に自信があり「常に謙虚で献
身的」(『本物の生き方』)。これは、経験的に真理だと思う。
さらに「人生は些事の連続だ。些事をやり過ごしてしまう人もいるが、些事を味わえるようになると、人生の楽しみはぐんと増える。しかも、人生の伴侶となってくれる。遊び心とは些事を愛する心なのだ」(川北義則『男の品格』)のようだ。
2)『人生の流儀』(城山三郎)に、魅力を感じさせる人々の三つの共通項として、以
下があった。
一、常に生き生きしていること。
二、いつも在るべき姿を求めていること。
三、卑しくないこと。ポストに執着するのも驕りもまた一種の卑しさである。
一は、会うと楽しくなる雰囲気を持っていて、生きるエネルギーを与えてくれ、また会いたいと思える人。二は、人間として正しい道義心のあること。三は、清々しさ。人としてどう生きるかが定まっている人は資格がある。あくまでも資格なのだが、言葉では表せないのが人間。だとすると「また会いたい、人生を通じていつでも思いたいといえる人」こそが魅力的な人なのだろう(少なくとも自分にとって)。
3)ある雑誌に次のような成功の定義づけが載っていた。
「成功した人は、健康に暮らし、よ
く笑い、よく愛する。真の女性から信頼され、教養ある男性から尊敬され、子供たちから慕われる。得意な分野で仕事を成し遂げ、当人が生まれたときよりも住みやすい世界をつくり上げてからこの世を去る。地球(自然の偉大さ)の美しさを賞賛し、(人情の機微をありがたく思い)それを表現することを忘れることがなく、常に相手から最高の部分を引き出し、自分の最高のものを与える。その人生は創造的刺激に満ち、その思い出は祝福である」。遠く及ばないが、そんな人に私はなりたい。少しでも近づきたいものだ。
一方で、『生命の木の下で』(多田富雄)の中で、変人について、「何でもつまらぬことを面白くしてしまう人のことである。(中略)変人ぶっている変人は大勢いるが、平凡にして変人というのはそう多くはない。そして身の回りのどんな小さなことでも面白くしてしまう天性の才能を持っている人は稀(まれ)である。そんな人を世界は求めているのではないだろうか」にも成りたい。こっちの方が近づけそうだ。
4)一方、これは難しいが、『正法眼蔵随聞記』の中に、幸田露伴『洗心録』からの引
用として、有徳の人についての次の記述があった。「香木のよいのは、香をたかない
うちに芳しい気がたちのぼるように、人の心の匂も同じであるという」。「その人の
一念が自分に向かって、まことに優しく美しい時は、その人がまだ口を開いて言葉を
発せず、身をもって行いを示さなくても、その人の心の優しさ、美しさが迸(ほとばし)
り出て、自分の胸に染み透るものである。『此の心の匂のいつもめでたき人をば徳の
ある人』というのである」。
5)そして最後に。。。「僕は僕の客のなかでもいちばん好きなのは快活な男だ。自分
自身をおかしがることのできぬ者は最上等の人種には入らないだろう」(『人生につ
いて―ゲーテの言葉』)。