(6)毎日が人生
年を取るに従い、人生は有限の時間のひとコマひとコマをいかに生きるかであることを知らされる。一度の人生、自分の好きなことをして生きるのが、幸せだという生き方もあるが、「人間は、人生の目的など何にも知らされないで、欲望だけ与えられて生まれて来る。欲望のままにのたうち回って、何をしたかわからないままに死ぬことが多い」(『勝つ極意 生きる極意』)のであり、「好きに生きるためには、どこかで自分を律するところがなければならない」のである(同著)。好きなことをして、のたうち回って死ぬのが自分の考える人生であるのなら残念ながら致し方ないが、人間に生まれた意味はなくなるのではなかろうか。
前項まで、心豊かに生きるには「自分はどう生きるか、正しい考えを定め」、常に内省する。自分の意志で(1)正しく生きるための考え方、を定め、(2)人生の目的・価値、幸福観、を持ち、(3)大事な「言行一致」を高め、それを毎日積み重る「良い習慣」を続ける。ある域に達するには長い年月と不断の努力を要する。そして(4)より良い社会づくりに向けて、社会参加し、(5)「人情の機微(人間への理解)と自然の摂理(自然の偉大さ)を感じ」こころにゆとりをもち、日常の生活の中で幸せを感じながら生き抜く大切さを述べてきた。それは、「君の精神は、君の平生の思いと同じようになるであろう。なぜならば、魂は思想の色に染められるからである」(『自省録』)。
この項では、矛盾だらけの人間社会と喜怒哀楽の人生を噛み締めながら毎日を生きる心構えについて記したい。
生きるということは、苦悩といかに付き合うかと等しいのだが、「生活のすべてを『たのしみ』に変えてしまう心をもち、人生を楽しく充足して生きる」ことだろう(『橘曙覧「たのしみ」の思想』)。人生に必須の苦しさや辛さは、心を鍛えるものとして受け入れ、人生の目的に向かって、何事も楽しみに変えてしまう「人生の錬金術師」の如く毎日を生き抜かなければならない。「ささいなことでいい。何か一つのきっかけでも掴んで自分を幸せにせよ。できる限り、機嫌よくあれ。気分上々にせよ。そうして、自分が本当にしたいことをなすがいい」(『超訳 ニーチェの言葉Ⅱ』)なのである。
そして、日々遭遇するすべての事柄について、これは何のためにあるのか、目的は何か、を反射的に考えるようにすること。大きくは人生の目的は何か、政府、企業は何のためにあるのか等々、すべて人間を主役に、人間のために何をしようとしているか自分で考え抜くこと。毎日をそのように過ごすことによって、物事の本質や核心をつかむことが出来るようになり、人の道に則した的確な判断が下せる力がつき、生き方に深みが増す。それは、『超訳 ニーチェの言葉Ⅱ』の「どんな価値を重んするのかは、道徳や思想といったものではなく、自分たちのふだんの生活条件から生まれる。だから、生活スタイルが変われば、わたしたちの価値観も変わることになる」に通じる。その上で宗教心、自然、人間、科学、芸術、スポーツ、あらゆる分野で興味あるものに親しみつつ人生に潤いと彩を添えながら毎日を生きる。
このように考えると、何気なく過ごしている“毎日”が“価値ある人生そのもの”であり、「感謝する心と、人間としての純粋性」(『超訳 ニーチェの言葉Ⅱ』)を失わず、一日一日を大切に。過ごしたいという気持ちになる。
2013年4月、久し振りに映画を観た。この年の米国アカデミー賞主演女優賞ほか多数の賞を獲得したメリル・ストリープ主演映画『マーガレット・サッチャー』の中で、成功や幸せは、思考スタイル(考え方)、行動スタイルとそれらと整合(内省、克己心)させる日々の努力(習慣)がもたらすものだ、と父から言われたというシーンがあった。また、スイスの哲学者のアミエルの『アミエルの日記』にも「心が変われば、態度が変わる。態度が変われば、習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば、人生が変わる」とある。自分のなしたことが自分をつくる。
「良からぬ習慣に成る狎(な)るべからず、人生は習慣の織物と心得るべし」(『帝王学ノート』)であり、自分で定めた“人生いかにいくべきか”を心底に置き、一度の人生の今日一日をしっかり生きることにつきる。
若くして急逝した哲学者池田晶子さんは言う。「人間は堕落する。最後まで一貫して変わらない、最後まで変質しない人間の方がいかに希有なのかということにも、同時に私は気がついた。晩節を汚すという所行もまた人間には可能だからである。死ぬまで人間には道を誤る可能性があるのだ。再び思う。なぜそれが可能なのだろうか。当たり前だが、これは裏返し、自分の道を見出していないからである。あるいはまた裏返し、自分の道はこれでいいのかと、自らに問うことをやめたからである。道は決して自明なものではない。だからこそ常に自らに自らの道を問うことで、人は自らの道を確認するのだ。ダイモンはそこにいる。生活がどうであれ、世評がどうであれ、自分にはこうとしかできないのだと」(『人間自身 考えることに終わりなく』)……(深考)……。
人の道を外さない、他人を不幸にしない、危害を与えないを守り、他を思う、夢を持ち、悪い習慣(悪行)を遠ざけ良い習慣(善行)を繰り返しながら、自ら定めた自分の道を自省しつつ、噛みしめて毎日を過ごす。このように毎日を送ることが、この世に一つしかない貴重な自分という意味での「唯我独尊」の人生を生き抜くことに繋がると思う。
こう考えて毎日を生きることを決めてしまえば、幸福を追い求めたりはせず、「日常生活のすべての営みが幸福を含んでいる」(『自分のための人生』)という境地になれる気がする。人は生まれ、自分の定めた生き方で毎日を自分らしく生き、そして死んで逝ける……。
そして、こころの肥やしとして読書の習慣を!体験しなくても本を読んで精神修行できるのである。『超訳 ニーチェの言葉』に「実は人は、その物から何かを汲み出しているのではなく、自分の中から汲み出しているのだ。その物に触発されて、自分の中で応じるものを自分で見出しているのだ。つまり、豊かな物を探すことではなく、自分を豊かにすること。これこそが自分の能力を高める最高の方法であり、人生を豊かに生きていくことなのだ」とある。『超訳 ニーチェの言葉Ⅱ』にも、人生の意味は自分が決めるもので、「自分がいきいきと生きれば、人生はいきいきと輝く意味に満ちる。暗く生きれば、真夏の昼であっても世界には暗雲が垂れ込めるだろう」とある。また、本当の知は自分のなかからくるもので、「他人が接木することはできない。自分の中から生まれた知だけが本当の理解」(『ソフィーの世界』)であり、正しい考えを定め、それを毎日の経験で磨いていけば行くほど読書によってその考えが自分のものとしてさらに高められ強化されるのである。いろいろと経験しつつ、先達の人たちのさまざまな意見を汲み取る力を高めて、昨日よりも“少しでもましな人間になる”という価値ある日々を送ってほしい。