人物評価軸を正せば社会は良くなる……似非リーダーを排し、真のリーダーを探そう
2011年3月11日の東日本大震災・原発事故対応の理不尽な対応でこの国のリーダーたちが反倫理的な似非リーダーであることがより明らかになったのだが、被災地救済よりも保身のための権力闘争に明け暮れる国会議員、既得権益拡大のために走る高級官僚をはじめ、社会秩序維持や生活のベースとなる企業においても、経団連の原発や武器輸出の反社会的言動、東電幹部、みずほ銀行頭取をはじめ倫理観欠如のトップたちなど、道義心の薄いリーダーたちが知らず知らずのうちに蔓延(はびこ)ってきている。
それは、“何を大切に生きるか”が定まっていないいわゆる世渡り上手な人物、または人として一番大切な道理を権力と富を得ることによって無くした人物が、政府をはじめ、あらゆる組織に似非リーダーが生まれているのだが、日本社会が長期にわたって国民から希望を喪失させている諸悪の根源は、そういう人物を国や組織のトップに選んでしまう人物評価軸の狂い、にあると思う。
為政者は、長期の視点で物事を判断しなくてはならない。
“人として正しいか”であり、ノーブレス・オブリージ(高い地位に伴う道徳的・精神的義務)なのであるのだが、この国をどうしたいかのかビジョンも掲げられず、あらゆる政策の判断基準となる長期目標が定まらず、対処療法的な近視眼的対応しかできない
今だけを考える赤字国債の垂れ流しや途方もなく長い将来にわたって地上のすべての生命体の命に関る放射能被爆を起こす原発を推進する感覚、常識では考えられないことが続く。
加えて、集団的自衛権の容認や平和憲法の改悪を考え、国民に本質を悟られないように特定秘密保護法を強行採決で通す。歴史の審判、時間の先例に耐えられないから、それによって人としてあるまじき言動を永久に隠そうとする。
「仁」のない権力者が出れば権力をもって保身に走り、多くの人間を不幸にする。
それは社会生活を壊し、人間社会の秩序を乱し、人心を汚し、再生不能の荒廃社会が続くことを意味する。
「道理、徳」の薄い人間が権力者になったら、多くの人間に不幸をもたらし、組織や社会全体を潰す。曰く「国家・組織は頭から腐る」。
2500年以上前の孔子の時代は、道徳観の薄い我欲の強い人間が統治者になりやすく、我欲の強さゆえに民に不幸をもたらすのが常だった、と思われる。
権力者の心得として「仁」を涵養し、自らを律する必要性を説いたわけだが、それが出来ないのがほとんどの人間であり、我欲で成りあがった権力者が“徳”を得るのは不可能に近い。
聖人君子は少なく探し出すことは難しいが、『大衆の反逆』にあるように「本人の資質からいって当然無資格な知識人がしだいに優勢になりつつあるのである。(中略)以前ならばわれわれが『大衆』と呼んでいるものの典型的な例たりえた労働者の間に、今日では、練成された高貴な精神の持ち主を見出すことも稀ではないのである。」で、今のリーダーたちの言動を見れば、大衆の中に優れた人格者が多いのは間違いない、と断言できる。
この国が乱れてきた最大の原因である人物評価軸の狂いを正すには人物評価軸を「仁、義、信」の三点に置き、「仁」「義」で人の道を定め、それを「信」、たがわず判断・実行する人物を選ぶことである。
ポラスの原則(「言葉を信じるな、信じられるのは行動だけだ」)で人物評価し、あらゆる組織で人間力の高い真のリーダー(人間として正しい考えを持ち、言行と行動が一致する人物)を選び出すことが最優先事項だと思う。
人を不幸に陥れる狡知で卑劣なる輩、社会秩序の乱れを増長させる不届き者が引き起こす不条理を人間社会から“仁”のこころをもって排し、道理を貫くことを奨励、評価する社会にしなければならない 。