渡瀬荘次郎『将棋奇巧録』

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解題

『將棋竒巧録攻法』は、愛知県半田市にある半田市立図書館が所蔵する和古書(写本)である。

本の大きさは、縦18.2cm×横13.0cm。表紙に題簽等はなく、『將棋竒巧録攻法』の題名は、本文1丁表の記述による(「攻法」の字に「ツメカタ」のルビあり)。

1丁裏には「慶應紀元年次乙丑晩秋 渡瀬書」とあり、慶応元(1865)年9月に書かれたと思われる(「晩秋」は陰暦9月の異名)。また、27丁裏に「長月末二日燈下執筆」(「長月」も9月の異名)とあるのも、これを裏付ける。

筆者は、「渡瀬書」とあることと、同じ半田市立図書館が所蔵する、渡瀬荘次郎『將棊𣖯縄 』の書体と一致することから、渡瀬荘次郎と思われる。

本文は、題名に「攻法(ツメカタ)」とあるように、詰将棋の詰手順が50局、2丁表から21丁裏に記されている。22丁は白紙で、23丁から27丁には、和歌が32首書かれている。その後の28丁から91丁はすべて白紙である。なお、詰手順に対応する作品の図面を記した『將棋竒巧録』の上巻は、半田市立図書館では所蔵していない。

詰将棋作品は、添田宗太夫『象戯秘曲集』(宝暦2(1752)年)、桑原君仲『将棋極妙』(嘉永2(1849)年)などから引用されたあぶりだし曲詰が大部分だが、渡瀬荘次郎作と思われる作品も含まれている。また、渡瀬荘次郎が従来の作品を改作したと思われるものもあり、全体として渡瀬荘次郎は編著者という位置づけになるだろう。

和歌は、23丁表に「将棋乃言乃葉」という題があり、すべて渡瀬荘次郎の作と思われる。内容は将棋の格言などで、五五の地点の重要性や飛車先の歩の交換の利は、渡瀬荘次郎の「飛角論」(※3)と共通するものがある。なお、32首のうち最後の一首は、『待宵後集』(明治2(1869)年)や『必至二十題』(明治11(1878)年)にある歌とほぼ同じである

1丁表

2丁表

23丁表

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作品概要

『將棋竒巧録攻法』の原文は、題名と詰手順だけで図面がなく、番号も付けられていない。そのため、掲載にあたって番号を付与し、図面を追加した。(図面の「全」は成銀、「圭」は成桂、「杏」は成香)

大部分は既出の作品の引用のため、その図面を掲載したが、改作と思われるもの(第27番、第35番、第48番、第50番)は、編者による推定の図面を掲載した。

渡瀬荘次郎『将棋奇巧録』

謝辞

この資料の所蔵者である半田市立図書館には、大変お世話になりました。また、インターネットでの公開もお許しいただきました。

資料の調査・研究には、詰将棋一番星の磯田征一氏にいろいろとお世話になりました。

作品のチェックには、「柿木将棋脊尾詰」などの将棋ソフトが威力を発揮しました。

 和歌の翻刻は磯田征一氏、校正は古文書解読サービス 羊雲庵よるものです

みなさま、どうもありがとうございました。

2019年8月3日作成/2023年5月22日修正

※1 半田市立図書館は、『將棋竒巧録攻法』以外にも将棋関係の和古書を所蔵している。そのほとんどが「八日会」からの寄贈図書で、小栗平蔵(1859-1925)の旧蔵書である。この「八日会」と小栗平蔵については、"八日会寄贈図書について". 半田市誌 文化財編. 半田市編. 半田市, 1977.10, p.252-261, https://dl.ndl.go.jp/pid/2991760/1/138 (参照 2023-05-04). を参照のこと。

※2 渡瀬荘次郎(とせ そうじろう)。別名:渡瀬昇治、昇次、荘治郎、庄次郎、正明など。清水孝晏によると、天保2(1831)年生まれ、明治元(1868)年没。天野宗歩の弟子で、四天王の一人。段位は六段。詰将棋(必至を含む)の作品集として、『待宵』、『待宵後集』、『將棋必勝法』(上編下編)が有名。

※3 渡瀬荘治郎. "飛角論". 将棋必勝法 上編. 渡瀬荘治郎原作, 木見金次郎講解. 大阪屋号, 1915.9, p.18-21, https://dl.ndl.go.jp/pid/1182573/1/15 (参照 2023-05-04). 読みやすくしたものをこちらに掲載した。

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