須藤三重郎(定吉)について

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※詰将棋パラダイス2018.6に掲載された、森美憲「『新撰詰將棊百番』の須藤三重郎実戦集」(※1)を読んで書いたもの。


パラ6月号で、森美憲氏が須藤三重郎の実戦集を紹介されていましたが、この須藤三重郎に関することがいくつか判明したのでご紹介いたします。

まず、『小千谷市史 上巻』の1162頁、「将棋」の項(※2)に、次のように書かれています。

「万延元年出版の『越後将棋見立番付』には、勧進元差添吉沢伝六、行事宮木茂兵衛、長橋伝六、西大関久保田弥三右衛門、東関脇高野徳太郎、西関脇須藤定吉以下上位陣の半数以上を小千谷人が占めた。四段須藤定吉(後、三重郎)は西脇の番頭で、天野宗歩・小野五平らにつき、その遺作二千八百題より選んだ『新撰詰将棋百番』が後年博文館から出版されている」

万延元年(1860)の将棋番付で、須藤定吉が大関に次ぐ関脇の地位にあったということは、当時の越後(新潟県)ではかなりの強豪だったようです。

西の大関の久保田弥三右衛門は、安政4年(1857)の『将棊段式人名録』(※3)で二段となっているので、それに近い棋力があったのでしょう。

また、「須藤定吉(後、三重郎)」とあることから、森美憲氏が紹介された『將棊拙覽』は、須藤三重郎の著作で間違いないと思います。

なお、「西脇」とは、小千谷の縮(ちぢみ)問屋「西脇商店」のことで、須藤定吉はここの番頭として働いていたようです。

ちなみに、『越後将棋見立番付』は、西脇新次郎著『小千谷縮布史』(※4)の417頁に図版で掲載されています。


次に、須藤三重郎の『新撰詰將棋百番』(※5)をみると、序の例言五則(※6)で校正者の水月鏡花は次のように書いています。

「本書ノ著者須藤金重郎氏(引用者注:金重郎は三重郎の誤植?)ハ、越後ノ人、家ハ世々農ヲ業トス、生レテ穎敏、幼ヨリ将棊ニ趣味ヲ有シ、少壮既ニ老成ノ風アリ」

これは、『小千谷市史』に書かれていたことと矛盾しません。

また、『新撰詰將棋百番』の標題紙をみると、「四段 須藤三重郎編輯 男 健吉校閲」と書かれているので、水月鏡花は、須藤三重郎の息子の健吉と同一人物ではないでしょうか。


次に、門脇芳雄氏は『古図式総覧』の解題で、次のように書かれています(※7)。

「その後私が偶然国会図書館の目録から発見した内容では、須藤三重郎は明治時代の東京市会議員とかで、伝記が出版されている」

そこで、『東京市会史』などを調べたところ、須藤時一郎という名前はありましたが、須藤三重郎、須藤定吉の名は見つけることができませんでした。(須藤時一郎は、旧幕臣の銀行家・政治家で、須藤三重郎とは別人)

もし、須藤三重郎が議員だったら、そのことが『新撰詰將棋百番』に書かれていてもよさそうなものですが、そうした記述は見当たらないので、門脇氏の勘違いか何かではないでしょうか。


初出:岡本正貴. 読書サロン : 須藤三重郎(定吉)について. 詰将棋パラダイス. 2018.11, 752号, p.46-47(原文PDF)

2023.6追記

小千谷市文化財協会編『年表小千谷』(※8)のp138によると、須藤三重郎(定吉)は明治41(1908)年没です。

2019年12月26日作成/2023610日修正

※1 森美憲. 知られざる古棋書シリーズ 3 : 『新撰詰將棊百番』の須藤三重郎実戦集. 詰将棋パラダイス. 2018.6, 747号, p.41-43

※2 "将棋". 小千谷市史 上巻. 小千谷市史編修委員会編. 小千谷市, 1969, p.1162, https://dl.ndl.go.jp/pid/3028312/1/620 (参照 2023-06-10). 

※3 大橋宗金,吉田市輔校正. 将棊段式人名録. 刊, 安政4(1857) この本の内容は、増川宏一の『将棋 II』を参照。 増川宏一. "安政四年の名簿". 将棋 II. 増川宏一著. 法政大学出版局, 1985, p282-286, (ものと人間の文化史, 23-II)

※4 西脇新次郎. "九  小千谷の將棋". 小千谷縮布史. 西脇新次郎著. 小千谷縮布史刊行会, 1935, p.417-418, https://dl.ndl.go.jp/pid/1234553/1/233 (参照 2023-06-10). 

※5 須藤三重郎編. 新撰詰將棋百番. 博文館, 1911. https://dl.ndl.go.jp/pid/861287 (参照 2023-06-10). 

※6 「例言五則」の中で、水月鏡花は須藤三重郎が書いた本のことを「遺著」と言っているので、「例言五則」が書かれた明治43年蝋月(=1910年12月)の時点で、須藤三重郎はすでに亡くなっていたと思われる。

※7 門脇芳雄. "第三十九巻 須藤三重郎図式". 古圖式総覧 解題. 全日本詰将棋連盟, 2002, p.27

※8 "一九〇八 明治四一". 年表小千谷. 小千谷市文化財協会編. 小千谷市文化財協会, 1984, p.138, https://dl.ndl.go.jp/pid/9539643/1/77 (参照 2023-06-10). 

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