将棋史研究家・三宅青夢

ホーム > 将棋 > 将棋史研究家・三宅青夢

はじめに

三宅青夢(せいむ)、本名は三宅鏙吉(かんきち)。三宅青夢(靑夢)のほか靑夢畫人の名で、将棋の歴史関係の論考を発表している。

「将棋世界」誌に連載された清水孝晏「将棋史人名録」によると、以下のとおり(※1)。

三宅 正夢

(みやけ・せいむ)

昭和初期の人で本名を鏙吉(かんきち?)といった。

画家と伝えられているが、戦前の将棋雑誌「将棋日本」に、御城将棋の研究を「日本将棋史稿」として連載し将棋史の開発に貢献された。

昭和十五年頃、すでに五十歳を過ぎていたが、戦後の混乱期で、その後の消息はわからない。

氏が研究に費やされた蔵書のすべては、いま天理図書館にある。

先人の努力に感謝したい。

門脇芳雄によると、以下のとおり(※2)。

三宅青夢氏は小杉次郎氏と並んで戦前の二大棋書蔵書家でした。

小杉氏があまり発表が無かったのに対し、三宅氏は真摯な研究家で、「日本将棋史考」はまとまった将棋史の文献がなかった当時画期的なもので、戦後の山本亨介氏の「将棋文化史」の先駆をなしたものと言えましょう。

氏は文献蒐集だけでなく将棋家元の墓など自分の足で調査し、発表されたようで、戦後発表号が見つからなくなり結論は不明になったものの、二代宗印の出自を「九州の寺」で調べ、発表されたことがあると清水孝晏氏から聞いたことがあります。

判ってみればそれは「唐津の鎮道寺」だったのですが、情報の乏しかった当時、個人の力でそこまで調査されたのには驚きます。

なお、氏は非常な達筆家で、氏が将棋家元の過去帳を調べた肉筆の記録が遺っていますが、書道のお手本のような美しいものです。

三宅青夢氏が蒐集された蔵書は天理(大学?)図書館に残っています。

数10年前に加藤徹氏が調査され(※3)、膨大な数ではないが、図巧・無双・勇略・手段草など貴重な江戸時代の原本が含まれているようです。

画家・三宅鏙吉

『東京美術学校一覧』によると、三宅鏙吉は、1908(明治41)年に東京美術学校の西洋画科に入学し、1913(大正2)年3月に卒業している(※4)。なお、東京美術学校は修業年限が5年だった。

また、三宅鏙吉が、光風会の光風会展(第2回、1913(大正2)年2月20日-3月20日)に作品を出品していたことが、『大正期美術展覧会出品目録』から判明した(※5)。

氏名、題、種別、価格

三宅鏙吉、風の日、油繪、非賣品

なお、『大正期美術展覧会出品目録』で、三宅鏙吉の名があるのはこの第2回光風会展のみで、他には見当たらなかった(三宅青夢の名もなし)。

三宅青夢の著作リスト

昨年(2013年)、「傳記」(※6)という雑誌に三宅青夢の論考が掲載されているのを知った。

また、「国立国会図書館サーチ」で検索したところ、「将棋日本」(※7)という雑誌にも三宅青夢の論考が掲載されていることがわかったので、あわせてリストにしてみた。

三宅青夢

国立国会図書館が所蔵していない「将棋日本」の1937(昭和12)年1月以前や、これ以外の雑誌にも三宅青夢が書いたものがあると思われるが、残念ながら不明である。

(2017.6追記)1937(昭和12)年に創刊された「将棋世界」にも三宅青夢の論考が掲載されていたことが判明したので、リストに追加した。

森銑三と三宅青夢

森銑三は、1934(昭和9)年から渡辺金造(刀水)らと共に三古会という会を催していたが、三宅青夢もこの三古会に出席している。

    • 森銑三の「読書日記」1938(昭和13)年2月5日には、三古会で三宅鏙吉が天野宗歩について話したと書かれている(※8)。

    • 同じ森銑三の「三古会」によると、1938(昭和13)年2月5日は第43回の会合で出席者は18名、三宅鏙吉は「将棋史に就いて」の題で語ったとある(※9)。

    • 「読書日記」1938(昭和13)年8月9日には、三宅青夢から「将棋日本」4月号以降を贈られたと書かれている(※10)。

三宅青夢が、1940(昭和15)年から「傳記」に発表の場を移したのは、「将棋日本」が1939(昭和14)年10月で休刊になったこともあるが、三古会のメンバーが「傳記」を編集していたことも関係しているのだろう。

三宅青夢の蔵書リスト

清水孝晏や門脇芳雄によると、三宅青夢の蔵書は天理図書館にあるとのことだが、天理図書館OPACを検索したところ、「青夢」の印や「三宅鏙吉」の識語がある本が、71点(105冊)見つかった。

この71点はすべて将棋の古棋書で、いずれも三宅青夢の蔵書であったと思われる。ただし、天理図書館の囲碁将棋コレクションは全部で1,750冊(※11)だそうなので、これ以外にも三宅青夢の蔵書があると思われる

三宅青夢蔵書リスト


2014年6月14日作成/2021829日修正

※1 清水孝晏「将棋史人名録」は、雑誌「将棋世界」1986年1月-1988年12月の連載で、該当記事は1988年8月号に掲載(小澤書房 2014年6月26日付け情報による)。この項は「将棋パイナップル」http://shogi-pineapple.com/ の「古典 三宅青夢」の掲示板に、mtmtが2005/2/14に投稿したものから引用。なお、「将棋パイナップル」は2014年に閉鎖されたが、Internet Archiveに保存されたものを見ることができる。

※2 「将棋パイナップル」http://shogi-pineapple.com/ の「古典 三宅青夢」の掲示板に、門脇芳雄が2005/2/21と2005/4/18に投稿したものを引用。

※3 加藤徹. 古図式を求めて 図書館の古棋書. 詰将棋パラダイス. 1977.1, 252号, p.2-8。

※4 『東京美術学校一覧. 明治41-43年』のp.90 https://dl.ndl.go.jp/pid/813196/1/48 には、明治41年10月31日調の生徒姓名として、西洋画科第一年の項に三宅鏙吉の名前がある。また、『東京美術学校一覧. 従大正2年至3年』のp.141 https://dl.ndl.go.jp/pid/940883/1/76 には、大正二年三月卒業の卒業生姓名として、三宅鏙吉の名が掲載されている。

※5 東京文化財研究所美術部編. 大正期美術展覧会出品目録. 中央公論美術出版, 2002.6, p.139上段。

※6 「傳記(伝記)」は、伝記学会による雑誌で、1934(昭和9)年から1944(昭和19)年まで刊行。この雑誌は、 1974-1975年に復刻版が出ている。

※7 「将棋日本」は、1934(昭和9)年10月の創刊。国立国会図書館は、28号(1937.1)から60号(1939.10)を所蔵。

※8 森銑三. "読書日記 昭和13年2月5日". 森銑三著作集, 続編14巻. 中央公論社, 1994.12, p.308

※9 森銑三. "三古会". 森銑三著作集, 続編15巻. 中央公論社, 1995.2, p.373-374

※10 森銑三. "読書日記 昭和13年8月9日". 森銑三著作集, 続編14巻. 中央公論社, 1994.12, p.387

※11 天理図書館編. "附録 参考資料 二 収館諸文庫一覧(昭和四十五年末現在)". 天理図書館四十年史. 天理大学出版部, 1975.4, p.514-517

ホーム > 将棋 > 将棋史研究家・三宅青夢