お雇い外国人ホルツと将棋

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はじめに

ヴィクトル・ホルツ(Viktor Holtz, 1846.5.3-1919.9.3)は、ドイツ人の教育者(※1)。

この人は、1870(明治3)年から1875(明治8)年にかけて、お雇い外国人として来日して、大学南校や東京医学校でドイツ語などを教えた。

ホルツが日本滞在中の1873(明治6)年、在日ドイツ人の学術交流団体であるドイツ東洋文化研究協会(Deutsche Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens、略称OAG)が発足した。この会の会員名簿には、ホルツの名も入っている(※2)。

そして、この会の Mitteilungen der deutschen Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens(OAG会報)(※3)には、ホルツの論文が3本掲載されている。

日本の将棋

Das japanische Schachspiel(日本の将棋)は、1874(明治7)年のOAG会報に掲載された(※4)。内容は次の通りである。

A. DAS BRETT(盤)
B. ALLGEMEINES UEBER DIE FIGUREN(駒の概要)
C. Oo, DER KOENIG(王)
D. KINSCHO UND GINSCHO(金将と銀将)
E. KEI-M'MA UND YARI(桂馬と香)
F. HISCHA UND KAKU(飛車と角)
G. FU, HIYO, HEI(歩兵)
H. RESULTAT DES WERTHES DER FIGUREN(駒の動かし方のまとめ)
I. REGELN(ルール)

図1 将棋盤と駒

このドイツ語の論文は、日本の将棋書を参照せずに書かれたようで、将棋の歴史や、大橋家など将棋家のことは書かれていない。

最後に、指将棋の棋譜が1局掲載されているが、これはドイツ語で書かれた最も古い棋譜のようである。

棋譜は、ホルツの以前の教え子同士による対局で、ホルツが教鞭をとっていた大学南校か東京医学校の学生が指したものと思われる。戦型は居飛車で、両方とも棒銀である。最後の81-82手目(原文では41手目)は、原文でも3通り書かれていて、どう指しても詰みということを示している。

日本の唄

ホルツは、日本の歌に関する論文を2本、1873(明治6)年にOAG会報に発表している。

Zwei japanische Lieder(2つの日本の唄)では、次の歌を五線譜付きで紹介している(※5)。

1. 春の歌「一つとや 一夜明ければ にぎやかで にぎやかで 飾り立てたる 松飾り 松飾り
二つとや 二葉の松は 色ようて 色ようて 三蓋松は 上総山 上総山」

2. 「君と別れて 松原行けば 松のつゆやら 涙やら」

Japanische Lieder III, IV, V(日本の唄 3, 4, 5)では、以下の歌を五線譜付きで紹介している(※6)。

3. 「お前とならば どこまでも 親を捨て さいかち原の中までも こちゃかまやせぬ かまやせぬ
お前を待ち待ち 蚊帳の外 蚊に食われ 七つの鐘鳴るまでも こちゃかまやせぬ かまやせぬ」

4. 「梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳やよなよな 風次第 山吹ゃ浮気で 色ばかり しょんがいな」

5. 「わが恋は 住吉浦の夕景色 ただ青々と 待つばかり 待つは憂いもの つらいもの」

これらの歌は端唄とか小唄と呼ばれるもので、明治初期の歌を五線譜で採譜した、貴重な記録と思われる。

せっかくなので、ボーカロイドのMewに歌ってもらった(※7)。

2021.10追記

ホルツの「Das japanische Schachspiel(日本の将棋)」は、細川裕史による日本語訳がある。参考文献の一つに、当サイトがあげられていている。感謝。

ヴィクトル・ホルツ, 細川裕史[訳]. 日本のチェス  お雇いドイツ人の将棋論. 阪南論集. 人文・自然科学編. 2019, 54巻2号, p.111-121, http://id.nii.ac.jp/1104/00002394/ (参照 2021-10-27).


2018年3月20日作成/2024年4月19日修正

※1 ホルツについては、Wikipediaと以下の論文を参照した。

Viktor Holtz. Wikipedia.en. https://en.wikipedia.org/wiki/Viktor_Holtz (accessed 2018-03-20).

Viktor Holtz, 宇和川耕一. 教師V.ホルツの江戸におけるドイツ語学級に関する報告書(翻訳). 愛媛大学法文学部論集 人文学科編. 2010, no.28, p.1-20, https://opac1.lib.ehime-u.ac.jp/iyokan/TD00002682 (参照 2018-03-20).

※2 OAG会報に掲載された、1873(明治6)年5月1日現在の会員名簿による。

MITGLIEDER DER GESELLSCHAFT WAREN, am 1sten Mai d. F. Mitteilungen der deutschen Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens. 1873, Band 1, Heft 1, p.2-3, https://oag.jp/books/band-i-1873-1876-heft-1/ (accessed 2018-03-20). 

※3 OAG会報は、OAGのサイトで全文が公開されている。

※4 (日本の将棋) Holtz, V. Das japanische Schachspiel. Mitteilungen der deutschen Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens. 1874, Band 1, Heft 5, p.10-12, https://oag.jp/books/band-i-1873-1876-heft-5/ (accessed 2018-03-20).
なお、Basil Hall Chamberlain の "Things Japanese"(日本事物誌)のChessの項には、ホルツの "Das japanische Schachspiel" が参考文献としてあげられている。

※5 (2つの日本の唄) Holtz, V. Zwei japanische Lieder. Mitteilungen der deutschen Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens. 1873, Band 1, Heft 3, p.13-14, https://oag.jp/books/band-i-1873-1876-heft-3/ (accessed 2018-03-20). 

※6 (日本の唄 3, 4, 5) Holtz, V. Japanische Lieder III, IV, V. Mitteilungen der deutschen Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens. 1873, Band 1, Heft 4, p.45-47, https://oag.jp/books/band-i-1873-1876-heft-4/ (accessed 2018-03-20). 

※7 ボーカロイドによる歌の作成には、VOCALOID3 Library MewとCubase Elements 7の体験版を使用した。

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