『象戯經』の伝来

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唐代象棋漫話

「詰棋めいと」の第14号で、門脇芳雄氏は「将棋のルーツ考」(※1)という文を発表されました。その中で同氏は、中国の李浭氏による「唐代象棋漫話」(※2)という文章を紹介されていますが、これは中国唐代の象棋について考察したもので、さらに古代日本の将棋のことにもふれており、大変興味深く読みました。

しかし、この李浭氏の文章の信憑性について、門脇氏は「Bクラス」と論評されています。その理由として同氏は「発表誌がローカル誌であることと、肝心な部分の出典が曖昧だから」としていますが、発表誌はともかく、出典の点では小生も同感です。彼の引用した文献『玄怪録』や『通鑒綱目』(=『資治通鑑綱目』)、『綱鑑易知録』については、確かに該当する項目があって裏付けがとれたのですが、玄宗皇帝が人間象棋に興じたことを記載したという「史書」は、さっぱりみつけることができませんでした(ただし、李浭氏は「史書の記載と雑誌の紹介による」と書いているので、どこかに人間象棋について書かれた論文があって、そこから孫引きしたのかもしれません)。

このように、内容的にはいささか不明な点があるものの、日本の将棋について書かれた中には、見過ごすことのできない部分があります。以下はその部分を小生なりに訳してみたものです。

西暦824年、日本国の滋野貞主が『秘府録』という書を編集し、その中には象棋譜の書が載せられていた。惜しいことにこの書は西暦875年の一大火災の中で、その他の本とともに燃えてなくなってしまったのだが、そうでなければわれわれは唐の時代の駒の形と、初期の棋芸についての著作を間近かに見ることができたのである。

これが正しければ、9世紀前半(平安時代の初期)に、中国の象棋書が日本にあったということになります。しかし、今までそうした報告はないようです。そのため、このことについて裏付けをとれるならとってみたいと思い調査したところ、以下のようなことが判明したので報告したいと思います。

秘府略

まず、『秘府録』は『秘府略』の誤りで、これは平安初期の漢籍・漢文の事典です。滋野貞主らの編で、全1000巻。編纂にあたっては、『初学記』『翰苑』『藝文類聚』など中国の類書を参考にしたようで、多くの漢籍からの引用をふくんでいます。しかし、現存するのは巻864(百穀部中)と、巻868(布帛部三)の2巻のみで、残念ながらその中で象棋書らしきものをみつけることはできませんでした(なお、この2冊は『続群書類従』の雑部に収録されており、活字でみることができます)。

と、すると、何を根拠にして『秘府略』に象棋書が収録されていたと書いたのでしょうか。そこでまず、875年(貞観17年)の大火災に注目してみました。年表によると、この年の1月28日、宮中の秘閣冷然院で火災があり、図書財宝等が灰塵に帰したとあります。冷然院はのちの冷泉院のことで、ここには現在も貴重な古典籍が多数存在していますが、当時も「秘閣」という名にふさわしい貴重な図書が納められていたことでしょう。ですから、『秘府略』もこの火災で燃えた可能性はあるのですが、年表の記述の元になった『三代実録』を見ても、火災があったという以上のことはわかりませんでした。

では、角度を変えて、この当時の日本にはどんな中国書(漢籍)があったかわからないでしょうか。実は、この火災の後で、日本最古の漢籍目録が作成されているのです。

日本国見在書目録

『日本国見在書目録』(『にほんこくげんざいしょもくろく』と読む)は、藤原佐世の編による、平安朝初期の漢籍目録です。一説では、先の冷然院の火災により、漢籍を大量に補充する必要が生じたが、その前にまず、今ある漢籍を調査しておこうと、勅命によって藤原佐世が目録を編纂した、のだそうです。成立の時期は、火災のあった875年(貞観17年)から891年(寛平3年)の間と推定されています。

この目録には、漢籍1,579部、17,345巻が収録されています。現存するのは、奈良室生寺旧蔵の平安時代末期の古写本(現在は宮内庁書陵部所蔵)が唯一のもので、その他の写本は、これをさらに書写したものです。ただ、その唯一の古写本も、実は完全なものではなく、筆写のとき省略された部分があるとのことです(なお、『日本国見在書目録』については、矢島玄亮『日本国見在書目録 集証と研究』汲古書院刊(※3)と、同書に紹介されている参考文献等を参考にしました。また、室生寺旧蔵本の復刻版は『古典保存会覆製書』(※4)に収録されており、活字版は『続群書類従』雑部にあります)。

また、この目録は国内のみならず国外でも注目されており、中国で出版された叢書・全集類にも収録されています。その理由は、中国にも見当たらない書物の書名が記載されているからだそうです。李浭氏がそれを見て、平安時代の日本に象棋書があったと推測したというなら、いちおう話のつじつまが合います。では、この目録に象棋書はあるのでしょうか。答えはイエス、です。

象戯經

『日本国見在書目録』の33、兵家の部に、次のような記述があります。

象戯經一

実際の記述はこれだけで、いささか拍子抜けかもしれませんが、なにせ目録なので仕方ありません。『象戯經』という書物が一巻あるよ、ということです。

もう少しくわしくみてみましょう。まず、『象戯經』は兵家、すなわち兵法の中に分類されています。なるほど、象棋は兵法の一種だったのかと思ったのですが、どうやらそうでもないようです。確かに、ここには兵法書が多数収録されていますが、『象戯經』の前後には、『投■經』(■は「右」の下に「皿」)(投■=投壺で、壺の中に矢を投げ込むことを競う競技)、『弾棊法』(おはじきの一種。この弾棊用の遊戯盤は正倉院にもある)といった書物の名が並んでいます。これをみると、兵家という分類の中には、勝敗を競う遊戯類までふくまれているようです。

また、先に掲げた矢島玄亮氏の研究によると、『象戯經』は中国の『象經』という書物と同一であると推定しています。この『象經』(周の武帝撰、王襃注、何妥注)は、『隋書経籍志』『旧唐書経籍志』『唐書藝文志』といった中国の古い目録にも登場しているので、この書が日本に伝来したとしてもおかしくありません。実際これらの目録にあたってみると、象棋の書物としては『象經』しか見当たらないので、『象戯經』イコール『象經』としてほぼまちがいないようです(ただし、ここでは混乱をさけるため『象戯經』のままにしておきます)。

なお、この『象經』も現物は残っていないのですが、『藝文類聚』(唐代、624年成立)『太平御覧』(宋代、983年成立)等に序文が引用されているので、その内容の一端をうかがうことができます。『藝文類聚』の巻74、藝部(※5)には、以下のように書かれています。

象戯

周武帝造象戯。王褒爲象經序曰、一曰、天文、以觀其象、天日月星是也。二曰、地理、以法其形、地水木金土是也。三曰、陰陽、以順其本、陽數爲先本於天、陰數爲先本於地是也。四、時……、五曰、算數……、六曰、律呂……、七曰、八卦……、八曰、忠孝……、九曰、君臣……、十曰、文武……、十一曰、禮儀……、十二曰、觀徳……

(『藝文類聚』上海図書館蔵本の影印版・中華書局刊より引用。ただし句読点は筆者の追加)

これが現在の将棋にどうつながるのかよくわからないのですが、なんとも仰々しい序文ですね(当時の漢文はこういうものなのかもしれませんが)。とはいえ、本文には象棋のルール等、もっと実際的なことが記載されていたのでしょう。

まとめ

以上、『日本国見在書目録』により、平安時代初期の九世紀後半に『象戯經』もしくは『象經』という書物が、日本に存在していたことがわかりました。

しかし、日本に『象戯經』があったとしても、李浭氏のいうように『秘府略』に『象戯經』が収録されていたのでしょうか。『秘府略』の編纂には『藝文類聚』も参照されたそうですから、『象戯』の項目も『藝文類聚』からそのまま孫引きされた可能性もあるのではないでしょうか。いずれにせよ、もしこれらの書物が残っていれば、唐代の象棋のみならず、中国古代の象棋を知る上での貴重な資料になったことは確実なのですが。

また、日本側からみれば、『象戯經』の名から、平安朝初期の日本に象棋書が伝来していたことが確認できたわけで、彼の書いた文章の是非はともかく、このことついては感謝しなくてはならないでしょう(※6)。

初出:岡本正貴. 『象戯經』の伝来. 詰棋めいと, 1994.4, 16号, p.53-56(原文PDF)

2014年6月15日作成/2023年9月21日修正

※1 門脇芳雄. 将棋のルーツ考. 詰棋めいと. 1993.3, 14号, p.82-87

※2 李浭. 唐代象棋漫話. 象棋. 1989?, 11巻, p.53(「カピタン」1990.1に再掲)

※3 矢島玄亮. 日本国見在書目録 集証と研究. 汲古書院, 1984

※4 藤原佐世[撰]. 日本国見在書目録. 古典保存会, 1925 なお、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、「日本国見在書目録」の1835(天保6)年の写本を見ることができる。

※5 維基文庫(中文版ウィキソース)に、『藝文類聚』の全文が公開されている。

※6 「詰棋めいと」に掲載されたこの文について、増川宏一氏から反論があった(増川宏一. 将棋の起源. 平凡社, 1996, p.178-179, (平凡社ライブラリー, 172))。増川氏は、『象戯經』は盤上遊戯の象棋書でなく、天文書であろうと書いている。しかし、もし『象戯經』が天文書なら、『日本国見在書目録』を編集した藤原佐世は、『象戯經』を"兵家"の部ではなく、その次にある"天文家"の部に入れたはずである。そうなっていないということは、『象戯經』が天文書ではないということを示しているのだろう。

2018.10補記:最近、次の本が出版されていることを知った。孫猛. 日本國見在書目録詳考 上, 中, 下. 上海古籍出版社, 2015  中巻のp.1301-1305に「象戯經」の考証が掲載されている。

2023.9補記:この文が、永井晋. 将棋の日本史 : 日本将棋はどのように生まれたのか. 山川出版社, 2023. のp.17で言及されました。「岡本は漢籍に詳しくない」というのは、まったくその通りです。

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