2022/04/26 土木学会講演

こんにちは。

4月26日、土木学会の環境技術思想小委員会の講演会で原田先生が発表をしました。発表タイトルは、「開発のための環境工学とサニテーション」でした。修士論文の内容から始まり現在の考えに至るまで、これまで研究者としてたどってきた道のりをなぞる形で、1時間半ほどの発表が進んでいきました。

今回の記事では、発表から考えたことをまとめます。

安易に得られる解はない


研究を積み重ね、今も模索し続けている原田先生の発表を聞いて、勉強の先に安易に解を求め、期待ばかりしていた自分の甘さを一層感じます。「研究者がどこまでやるのか」、「開発実践はそれを専門とする人々に任せた方がよいのではないか」といった問いかけがありました。これは、自分が何を目指して今ここで時間を過ごしているのか、いつまで、どこまでやるのか、そもそも自分に何ができるのか、自身に深く返ってきました。


自問自答につながったのは、ある論文が心のどこかに引っかかっていたからだと思います。それは、ASAFASで教鞭をとっていた重田先生が20年前に書いた論文でした。開発の対象ともされるアフリカでの開発実践と研究(者)との関わりを、研究の側から主に書いたこの論文には、こんな一節がありました。


「読者の中にはアフリカに赴いて地元のひとに「あなたの仕事は我々にとって何の役に立つのか」と問われた経験のあるひとは多いだろう。アフリカの開発援助の現場でこのような問いに直面し、「幸せ」とは何かを考え、開発のための役に立つ手段として研究に期待をよせ、あるいは失望を感じたのは多くの海外青年協力隊(JOCV)のひとたちではなかったであろうか。」(重田2001)


現場で複雑に山積する課題の解きほぐし方を求めて入学してから1年が経ち、色々なことがありました。3年前にベナンで、「NGOを作ってごみを収集しよう」と話していたあの瞬間の裏には世界の、アフリカの厚い歴史があることを知るとともに、調査に際して活動パートナーと密に連絡を重ね、彼らの想いと現実を見ていました。多大な協力を得てごみ量や組成のデータを得ても、現場で奮闘する彼らにとって魅力的で具体的な解は私にはすぐに提示できず、しまいには近づきすぎたことで齟齬が生まれ始めました。こうした中で自分の言動を客観視するようになったころ、意見が必ずしも合わない人々に出会いました。意見の不一致が自分の譲れない部分を良くも悪くもあらわにし、活動パートナーらに共感し、大きなものに立ち向かう彼らの側にやっぱりいたいと思いました。


私の場合、研究に「失望」するには早すぎるものの、研究を通して自分がどれほどの現実を作り出せるのか、自分に対して手放しでは期待ができていないのかもしれません。

サニテーションシステムのゴールは何だろう?

原田先生の発表の最後に、学問が「何を」「どのように」導入するのかに答えていった先に、「そもそも何をゴールと捉えられるのか」に関する問いかけがありました。


開発には様々な立場の人が関わっていて、研究者、援助を実施する実施者、被援助者、援助者(ODAであれば国民など、実施費用を負担する人)が各々の視点から評価をします。


活動パートナーらとの評価軸のずれを認識することは多々ありますが、昨年度のやり取りの中でもそんなことがありました。現在彼らは「状況が改善する時が来るのを待ちながら」ごみ収集事業を続けています。彼らが決して投げ出さないその原動力と、現状の改善したい点について話を聞いた際、給与額の話になりました。NGOでの仕事を、家具の製作販売、井戸掘り、バイクタクシー、農業などと組み合わせて生計を立てているものの生活は楽ではなく、NGOの給与は現在の額の倍以上を希望していることを伝えてくれました。ただし、事業の利益率の向上はこれまでも模索してきたことです。現場でそれを身をもって理解している同僚は同時に、「(増額が)難しければ今のままでよい」と付け加えました。そうせざるを得ない中で、自分たちで始め、続けていくNGOの仕事と現金収入を取り込みながら生活するスタイルができつつあるのだと思いました。


ごみ収集事業は、現場で取り組む同僚らの生計の一助となることを部分的に果たしており、これはNGOを始めた彼らの動機でもあります。しかし、開発を評価するどの立場にとっても理想の姿からはかけ離れています。例えば、収集したごみは市郊外に野積みされ、物質は循環していません。もっとお金を得られれば、生活はより楽になります。さらに、ごみ収集員の人手は安定していません。


目指すゴールは何か?誰にとっても理想の姿は、どのようなものでしょうか。当事者である人々が各々にとって大切なことを死守する過程で、意見の不一致のたびに、相反するように見えるいくつかの目的を満たす答えを探り続けた先にたどり着くものだと思います。だからこそ、当事者同士でひざを突き合わせて、未来のことを話し合う機会が重要です。もしかしたら、その話し合いはすぐには役に立たないかもしれません。それでもおそらく、ベナンの調査地でそうした場を作ることは、私にできる数少ないことのひとつだと思っています。


そんなことを考えながら、発表を聞いていました。



【引用文献】

重田眞義,(2001). 「アフリカ研究と「開発」―研究と実践の実りある関係を求めて」『アフリカ研究』59:23-28.