2021/12/16 アフリカ地域研究会

ニュースにも掲載しましたが,先日アフリカ地域研究会で原田先生が研究の紹介をしました。

わたしひらおも参加しまして,考えることがあったので感想を書きます。

アフリカ地域研究会に出席した目的

夏以降、発表に関する相談やWeeklyゼミのレクチャーを通して、原田先生にプレゼンの見せ方について色々教えてもらいました。わたしは今年度の前期に原田先生の授業を受けていたのですが、ここ最近は原田さんのプレゼンを見る機会があまりなかったので、日ごろ教わっていることを自身はどういう風に実践しているのか知りたいと思い、今回の発表を聞いていました。

出席した感想

スライドの見せ方

一枚のスライドにたくさん情報が詰まったプレゼン資料を見る機会が多いからか、私には「情報量が多くてinformativeなデザインがよい」と思う節があることを自覚しています。今回は①スライドのデザイン②話の構成を意識しながら聞いていましたが、結論から言うと見やすくわかりやすかったです。

スライドのデザインに関しては、図と文字の大きさが印象的でした。Weeklyゼミでスライドの作り方についてレクチャーしてもらった際最小18ptにすること、と言っていたのを覚えています。今回のスライドでも小さすぎる文字はなく、図で言いたいことを簡潔にまとめていたりと、文字や図の配置が勉強になりました。


話の構成に関しては、イントロでの課題の整理と、本題の2つの話題に入る前の道しるべのスライドが、聴衆を導いていたように思います。本題となる話題はどういう問題意識に根付いて紹介されているのかわかりやすかったです。

私だったらもっと字を詰めてしまう...

し尿やごみの始末を担う「べき」アクターとは

さて、サニテーションシステムの性格のひとつとして、し尿の始末にまつわる個人および公共性の並存がイントロで紹介されていました。

サニテーションサービスチェーンの入り口にあたるトイレでの排泄がオープンでない個人の行為であるのに対し、トイレ以降は名前が書いていないし尿は個人のものではもはやなく、「社会」が対処すべき公共の課題と認識されます。責任が複数にまたがるため、全体を成り立たせる難しさがここにあると理解しました。責任の所在に関して言うと、政府や自治体主導のシステムに対し、コミュニティや個人が主体的に担う仕組みや実践もあります。


私はベナンの同僚とNGOとしてごみ収集を行っています。そう言うと、し尿やごみなど公共性が高いサービスの分野で研究を行う方々から、「これからもNGOが頑張るのか、誰が担うのかというのは大事な点だ」「行政との協力はどうすべきだと思うか」と言われることが時々あります。行政が、頑張る民間に頼ることで、本来やるべきことをやらずに甘んじることへの懸念でしょうか。


日本や高所得国などでの集中型のシステムがアフリカで機能していない理由は、よく「お金の不足」「技術の不足」などと論文で指摘されます。零細ながらも2年間現場でごみ収集を続けてきた同僚らの隣で思うのは、アフリカでは行政も税金を集めきることができていないのだから、やりたい人・できる人がお金を回してやればいいじゃないかということです。また、これはアフリカ政府のだめだめさというよりむしろ、従来の集中型のシステムの限界だとも思います。うん。アフリカの「不足」ではなくこちら側の実力不足です。


では、行政が介在しないまたは行政の役割がとても小さいシステムはどんな姿か。そのシステムが実現するとき、し尿やごみの始末の個人性や公共性はどうなっているか。あるいは、理想の責任のモザイクを始点に考え、それを実現させるシステムはどんな姿か。


今回の発表で紹介されたし尿分離型トイレは家族のし尿を家族の畑に利用する仕組みだったので、これに関し再び考える機会になりました。