全身が一つになる。オール【1】全身同時一致への追求と【±0】の感覚
それらの存在を知り【±0】全身が一つになることを体得したか?
その1
練習の段階では、結果結論を急ぎ求めてはいない。
格好良さと形を真似て中身が無い形骸化する必要は無い、格好良さには大きな代償を払わなければならない。
地味でも中身と言える担保が有れば代償は少なくて済む道理と言える。
それらは相手は忙しくても、こちらは忙しくない境地である。
俗に言われる【急がば回れ】である。
それを導き出す効果の確認が無ければ、ただの早急的に結果を求めた博打である。
効果の確認とは、好機となる条件でありその状態である。
最も有利が最も不利の条件と状態を体得して受動的立場から主導権を捉える戦機【±0】を管理掌握できていると言える。
その2
前回の引用
プラスマイナス0ゼロの感覚とは、有る力が働けば必ず同時に反対に力が働く、このように双方の力が互いに打ち消し合うこの状態の技術体系を矛盾の状態陰陽、表裏一体、攻防一体などの中間作用ととは【±0】の状態となるセンスを体得することである。
その3
感覚としては【±0】の状態である条件とは何か
動作において全身同時一致の状態である。
具体的には足裏から頭頂まで全て一つの動作で同時一致する。
代表的武術の数種類等
【順力逆行】
【表裏一体】
【攻防一体】
【陰陽】
【矛盾】
【六合】
(外三合、内三合)
【六心】
(頭頂、左右の手心、心臓、左右の足心)
【六面力】
(前後、上下、左右)
【一枝が動けば百枝が動く】
【一法を立てれば万法が崩れる】
代表的力学の数種類等
【絶対的と相対的】
【重力と抗力】
【作用反作用】
【軸力】
【応力】
【弾性力】
【慣性力】
【つり合い力】
【摩擦力】
代表的心理の数種類等
【意識と無意識】
【緊張力と脱力】
【力みと緩み】
これらの説明は既に練習日誌において紹介しているホームページを参照されたい。
全て一貫した共通事項は、有る力が働けば必ず同時に反対に力が働く。
その4
これらの感覚は、前後上下左右のどの方向、状態においても【±0】は静止不動の状態となる站椿から感覚統合で均整のとれた整体を体得し試力、摩擦歩、発力、単操手の動きにも常時【±0】の状態を何時でも何処でも発揮できる均整整体を体得し対人練習となる推手、断手においても双方互いの力が打ち消し合い接触箇所は常時【±0】の状態となる好機を体得すれば受動的立場から主導権を獲得できる。
その5
【±0】を例えると
絶対的な力を使わず、水に浮いた板、ボール
引っ張り合うバネ、飛び立とうする鳥、水飴の中、泥濘地の中などのような条件と状態で軽く押さえて相対的な力を全身同時一致で体得する。この際、意識的な例える物のような固執した思考は排除し
無意識的な【±0】感覚を優先する。即ち考えて感じることは排除し、感じて考えるを優先する。
俗に言われる【直感的】である。
全ては、これら【±0】状態と条件を捉え動き始めから終わりまで何時でも何処で止まっても足裏から頭頂まで同時一致して何処でも【±0】斜面を形成し動けば【±0】螺旋状になっている。その状態で相手と当たればブレーキが発生し慣性力で進行方向に弾き飛ばされる。
日本意拳協会参考資料11
節、点、面、線の運用
★節とは中節の前腕部を紆余曲折から僅かな力と僅かな動きから効率的なテコ入れが可能となる優先巧妙に労力をかけて「形曲力直」を体得する必須条件である。
★点とは接触点から接触感覚を力量方向相手の意図を読みとる為、労力をかけて体得する必須条件である。
「指力」とは「点」における指向の力であり、ただ相手に向ける指先の力ではない。推手時は常に、どの場所でも「点」で対手の中線を狙い邪魔する様に指さなければならない。
★面とは地面への作用反作用を下肢伝達による起伏から斜面をつくり相手の平衡を崩す上下の振動運動を労力をかけて体得する必須条件である。
★線とは直線運動ではなく全て曲線運動の捻りにより打円を学ばねばならず、大円より小円を、小円より無形の小円を、全身により労力をかけて体得する必須条件である。
「出入は螺旋、腰は車輪の如く、脚は鉆の如し」
強調するところ、全て「ただ神意の足るを求め、形骸に似るを求めず」
節、点、面、線はそれぞれ切り離せない【±0のオール1】である。
日本意拳協会参考資料12
★【勁力と打法】意拳は現代科学を理論的基礎とする意拳における身体全体の力(勁)の使い方を先人から学ぶ。
古きは、東洋の陰陽思想からニュートンの林檎の落ちる法則まで★一貫して共通する事項は、【有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に発生】する。
この働く力は、重力と接触力(最適なつり合い力を持った互いに争い打ち消し合う力)の二つであり、全ての力量は、リラックスと緊張、意識と無意識、交感神経と副交感神経、原始系と識別系、重力と抗力、接触力における反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合との合力のと効果は、互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと即ち【±0】この中間作用を利用しそれに反応する全ての機能は同時同一の一体【オール1】となる。
【勁力と打法】
意拳散手と現代散手の違いは主に勁力と打法の違いである。
意拳は精神意念の訓練を採用し、全身の各部位の感覚統合により、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの五感に加え、固有受容覚(手足の状態や筋肉の伸び縮み、関節の動きを感じる感覚)や前庭覚(身体の動きや傾き、スピードを感じる感覚)感覚神経がよく鍛えられ、最適なつり合い力を持った下肢伝導から力学を伴って十分に協調できるようになり、それによって大きな力量を発揮できるようになる。
また、感覚神経の訓練を重視しているため、打闘の際の変化が非常に速い。同時に、意拳は全身性の打撃であり、全身の各部位が最適なつり合い力を持った打撃の武器になり得る。
手を動かさず身を動かし、身体を調整する。あなたの動きが相手を緊張させることができるなら、それはあなたが技術的に優れていることを理解する。
自分が何をすべきかを知っていれば、緊張することはなく、相手を制御するのは、一回力一回でなく、最適なつり合い力を持った下肢伝導及び十字原理により上下の力から常に前後に方向を変え最適なつり合い力を持って、相手を移動中及び準備中にさせて対応できないようにする。
相手の力を分散させる方法で制御する。
相手が迫るときは一手を放棄し、全身一致、同時同一の別の面で反撃する最適なつり合い力を持った攻防一体ダブルインパクトによる迎撃である。
相手が力を発して攻撃する時、太極拳のように化開して撃つのではなく、下肢伝導及び十字原理から最適なつり合い力を持って、攻防一体により後ろに借勢して同時同一に前に反撃する。
最適なつり合い力を持って、弓矢の如く、後ろに引くには、前に行くためである。
重心の前後の移動距離は、下肢伝導及び十字原理により最適なつり合い力を持って上下の力を伴って極限まで小さい方が良く、理想を言えば外形上は動きが分からない程度が良く決定的な距離は1歩半離れた距離で、自己は、絶え間なく動き、相手も絶え間なく動き、相手の歩法の動きの合間となる移動中及び準備中の位置の悪い部分を見つけ、そこに突然侵入し大地と争う作用力と反作用力から勁力を発揮する。
それでは、身体全体の力(勁)の使い方は、日常に物を持ち上げる力及び物を運ぶ力の使い方とは異なる。
意拳では、勁は意念を通じ力量を模索できる「勁」から最適なつり合い力を持って、阻力感を掌握する感覚を求めている。
阻力感とは身体の周りの最適なつり合い力を持った争力を感覚統合として捉えたことになる力量で、平衡する力量であり、これを渾円力と呼ぶ整体力を求める。
練習において、力学では【有る方向に働く力と反対方向に働く力が同時に起きる】状態となる【互いに争い打ち消し合う】この状態を争力と呼び仮説数値で現すと「即ち±0」この中間作用となる【作用力と反作用力】を実感する。
故に【作用力と反作用力】上下、前後、左右がすべて【互いに争い打ち消し合う】最適なつり合い力を持った平衡した力量を【渾円力】と呼びこの力量と感覚統合を獲得した後に、この站樁を立つときにも、この姿勢を作り前後、左右、上下に動くかもしれませんが、力が備わった後は、具体的な形を作ることは求められない。
この様に最適なつり合い力を持った互いに争い打ち消し合う力を【争力】と呼び、当初は、有意識による意念を以って誘導し無意識による感覚調整を持って全身の重点を大小の関節に導き、上下、左右、前後が互相に牽引し、中心を共に争うことによって生じる【十字原理】の如き意中力で、この種の最適なつり合い力を持った争力を感覚調整による感覚統合をえた後、試力、発力の段階的な練習を経て、整体力を発揮する目的を達することができる。
更に具体的には、前に向かうときは上下・左右を想い、上下のときは前後・左右を想い、左右の開合のときは前後・上下を想う。
【争わないところはない】最適なつり合い力を持った状態を感覚調整するには防衛反応による感覚統合から作り出します。感覚統合には、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの五感に加え、固有受容覚(手足の状態や筋肉の伸び縮み、関節の動きを感じる感覚)や前庭覚(身体の動きや傾き、スピードを感じる感覚)も含まれ【共争一中】で、その【中】とは上下を指します。
【争】とは、意念を用いて探求するもの【形曲力直】に注意し、八面の矛先が一中のなかで争い合う均整、平衡している中でのみ、力量を一方向に発し、発した後にも力学では有る方向に働く力と反対方向に働く力が感覚統合と同時に起きる状態となる最適なつり合い力を持った互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと「即ち±0」この中間作用となる再び平衡することができる。
主要争力に三つがある
争力の力量は対称的に相殺され、手は動かないと想像する。
1,頭頂と両脚の中心。
2,頸と前腕。
3,左右の両手。
これら3つの争力は、力学では、有る方向に働く力と必ず反対方向に働く力が感覚統合と同時に起きる状態となる最適なつり合い力を持った互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと「即ち±0」この感覚調整が同時に発生する様により互いに牽引することを想像し、体は動くことができず、またどの場所にも微動の意思がある状態となる。
これが拳術家の言う「頂上の力は空霊で、身は縄に吊られているようである」感覚調整により「形は松で意は須く緊、毛髪の勢は矛槍」の力学と感覚統合された意の状態である。
「均衡」とは最適なつり合い力を持った争力、リラックスと緊張は反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合との合力のと効果は、互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと「即ち±0」この中間作用である。
意拳では練習の時は【リラックスであっても解けず脱力しない、緊張であっても硬直しない】と明確に述べられ同時に【有意を用いるが力は用いず】、一度有意念が往けば軽微な無意の力が自ずとあるが、再び有意によって力を用いる必要はない思考による有意から争力による力学と感覚統合により、心理的にも緊張による不安感ではなく真のリラックスは、ぼんやりとした感じで、どこにでもそのような意があるように感じる感覚による互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと「即ち±0」この中間作用である無意への転換である。
站樁時、優先要求は「自我放大」であり、そこに立つには「天と高さを競う」ような、「頂点に立てば、山を一望できる」
孫子にある「兵は、高きを好み低きを憎む」
剣術にある「遠山の付け目」戦術にある「制高点」といった「必ずや相手の上手を取る」状態である。
意拳の創始者・王薌齋が「自我放大」が優れた良い心理訓練の手段である心理的には、緊張は不安、反対に真のリラックスは脱力てはない、快適である互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと「即ち±0」この中間作用である理論を提唱している。
その要求は、曲がっていても、自己を中心にあらゆる方向に真っ直ぐに力が働く【形曲力直】に注意し、八面の矛先が一中のなかで争い合うこの一中は頭頂と両足の中心までの上下一筋の線を指し、力学では重力と抗力及び感覚調整が同時に起きる状態となる最適なつり合い力を持った互いに打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと「即ち±0」この中間作用となる平衡のこれは均整と力学と感覚統合の関係がある。
【分野別参考資料】
【重力利用下肢伝導】
足の力は、手の5倍以上てあり上手く活用するには、地面からの反作用が必要不可欠である。また、足裏の感覚神経は、運動神経の3倍以上であることにほとんどの人が気付いていない。
NASAの研究によると、宇宙飛行士の身体研究の結果として、足裏から振動を与えて、耳石を刺激する装置が紹介されていた。
重力の活用、【立姿は、身体に非常によい】、特に、三半規管にある耳石を上下左右前後に振ることにより、全身の自律神経を調整し、全身の筋肉と連動し筋力を鍛え、各内臓器官を調整し、骨密度を増やし、糖尿病や中性脂肪を抑制し、老化防止に効果的であると興味深い。
拳術の先人は「リラックスと緊張の中枢は上下にある」と説いたが、上下とはこのことを指しており、一定の思考による有意念を切実に使い誘導するが、これに執着してはいけない無意による感覚を捉え下方に重力を作用させ下盤に力を用いれば、中盤上盤、上肢は意図して反作用による抗力により力を入れなくても力が入る。
站樁は、下盤を地下に埋めたように、大地に根を下ろすように足裏の土踏まずから下方に重力を作用させ反作用による抗力を頭頂の上方までの最適なつり合い力を持った争力を鍛えることである。
もし、重力と抗力から下肢の力の伝導がなければ、上肢は整体発力とは言えない。
いわゆる「その跟は脚にあり、腰が主宰し、手指に形成される」ゆえに、上虚下実、上松下緊こそが内家拳の奥妙である。
内家拳は力を用いないのではなく力の用い方が、筋力鍛錬による力を用いる外家拳とは異なるだけで、リラックスであるところはリラックスで、内家拳の力は下肢からの重力及び重力以外の力となる接触力の伝導による力学と筋力等を最適なつり合い力を持って同時に勁力として必ず用いる。
真のリラックスは力加減が適切で、過不足なく同期して働き、王薌齋先生はこれを「均衡」と呼んだ。
「剛柔相済」は皮膚と筋肉のリラックスと緊張の転換でも、動態中の力の大小の変化でもなく、リラックスの中に緊張があり(骨格と関節の支撑力を失わない)、緊張の中にリラックスがある感覚統合の【固有受容覚】(肌肉の弾力性と感受性を失わない)ことである。
リラックスと緊張は最適なつり合い力を持って反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合による合力の効果である。
このようにしてこそ渾圓一体であり、陰陽の区別が難しい整体、つまり「矛盾統一」の状態なのである。
リラックスは皮膚と筋肉の働きの状態を指し、緊張は関節の働きの状態を指すこれらは感覚統合の【固有受容覚】(手足の状態や筋肉の伸び縮み、骨格と関節の動きを感じる感覚)である。決してリラックスと緊張をある一つのものの相互変化と見なしてはならない。
【分野別参考資料】
【リラクセーション】
リラクセーションとは、「広辞苑」によると、「心身の緊張をときほぐすこと、リラックスすること」とされている。医学的には「ストレス反応として交感神経が興奮するのに対し、副交感神経の働きを優位にすること」と捉えることが多く、そのような状態をもたらす方法を指します。(「交感神経」=活動しているときに働く神経、「副交感神経」=休んでいるときに働く神経と考えていただくと良い。)リラクセーションの種類として、マッサージやストレッチ、楽な体位、呼吸介助法などの指導等があります。力の入っていない筋肉は滑らかに動いてしまうので、筋肉を固く収縮させて、関節が動かないようにしてしまう。
【阻力感】とは身体の周り【争力】を感覚統合として捉えたことになる。
全ての力量は、リラックスと緊張、意識と無意識、交感神経と副交感神経、原始系と識別系、重力と抗力、接触力における反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合との合力のと効果は、最適なつり合い力を持った互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと即ち【±0】この中間作用を利用しそれに反応する全ての機能は【一枝が動けば百枝が動く】例えの如く、動かないところはない状態、同時同一の一体【オール1】となる。
★最も重要なことは、技の使い方は習得にすぎず技をいくら頭で要領を覚えても咄嗟に使えず身につかず応用が効かないことを理解しているか?
身につけるには身体全体の力(勁)の使い方を求め体全体が覚えて【体得】をすることである。
基礎練習となる下肢伝導と十字原理のプロセスを無視した者には、体得することは不可能である。
日本意拳協会参考資料13
会員各位
続編①【梃子原理探求】意拳は現代科学を理論的基礎とする意拳における身体全体の力(勁)の使い方を先人から学ぶ。
古きは、東洋の陰陽思想からニュートンの林檎の落ちる法則まで一貫して共通する事項は、【有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に発生】する。
【力は重力と接触力】 この二つが物体に働く力である。
【重力】
地球と地球上の物体の間で働く力である。
例えば、重りに働く力、床の上で机を動かす、丘に車を押し上げる、ボールを蹴るなど重力は物体の質量に重力加速度をかけて求めることができる。
【接触力】
物体が接触しているものから受ける力。
接触面と垂直に働き、接触面と平行方向には摩擦力が働いている。
この他につり合い力、作用反作用、慣性力、応力、軸力、弾性力等の重力以外の力を指している。
【つり合い力】
静止状態である1つの物体に着目してその物体に働く力である。
例えると重力とバネ秤による弾性力、ヘリコプターのホバリングなど静止している状態である。つり合い力で物体の重心となるつり合い点【0】が中心点と判明する。
人間では、重力とのつり合い点が人体の中心点(一次元的)である。
【作用・反作用】
物体の静止及び運動状態に関係なく2つの物体に着目してその物体間が接触し作用点となり及ぼし合う力である。作用反作用では、例えると地面上に物体が設置されていれば、
設置箇所が【重力と抗力】(上下の力)の作用点(二次元的)となる人間立姿では、足裏である。
【意拳への適用】
人体の中心は、つり合い力によるつり合い点及び作用反作用による作用点が一致した状態、即ち足裏から頭頂までの上下の点(一次元的)ではない線状領域(二次元的から十字原理及び六面力を含む三次元的へ)を中心感覚【一中】として体得する。即ち静止しても運動してもこれは、変わらない。
【感覚統合】
感覚統合とは、脳が全身の器官から受け取るさまざまな感覚情報を整理し、【適切な反応をする機能】である。
①適切に反応する機能
【全身梃子運動】
正しいやり方は、関節の曲折を利用して反対方向に働くつり合い力を伴った梃子運動を行うこと、つまり前腕を梃子棒とみなし、両者の腕が交差する部分を支点とし、体重や大腿で地面を蹴る反作用力を力点として、単純な梃子運動を行うことである。
大きな力を得ようとすれば、支点から遠く離れたところに力点を置き、作用点の近いところに支点を置くことにある。
大地と争う作用力と反作用力を形成するには運動中の重心の伝導は前後の水平的な位置移動ではなく、上下の移動を通じて前後左右を促進してこそ優れている。
この様に、意拳は、支点から遠く離れたところは地面に接する足裏土踏まずを力点とし力点から遠く離れた接触箇所を支点とし、その間近に作用点がある為、下肢伝導から反対方向に働くつり合い力及び作用反作用を伴い梃子運動への最適な状態である。
体を梃子と例えれば、作用点を鼻口の部位とすれば、支点は腕の支点である肘部位であり作用点の近くは前腕でありそれでは、そこから遠い力点は、足裏であり、反対方向に働くつり合い力及び作用反作用を伴った動力は、重力で地面の反作用を使った抗重力である。
【分野別参考資料】
【梃子の原理】
そもそも「梃子の原理」とは、物理の原理のひとつ。「小さな力で大きな力を生み出すことができる原理」
大きな重量物に対し、おもりを乗せる位置を支点から遠く離れた場所にすると、小さなおもりでも「つりあった状態」にすることができる。
つまり「回転しようとする力」が支点を中心に発生することに関係する。この力は「モーメント」と呼ばれ、
支点から距離が長いほど、回転させる力が高くなるということである。
作用点、力点、支点の3つの点の間に力点がある状態である。
力点に加えた小さな僅かな運動は、反対方向に働くつり合い力及び作用反作用を伴い作用点では、大きな運動となる。
【分野別参考資料】
【台手動はかり】(さお式台はかり)の原理は、梃子の原理を利用して計量物の荷重と付加されたおもりを反対方向に釣り合わせることで、つり合ったときのおもりの重量から測定重量を出す機能である。
【倍力機構】
倍力機構とは、モーメント(力 × 距離)が釣り合うことを応用し、小さな力で大きな力の作用が得られる機構のことを言います。
倍力機構は、リンク、梃子、スクリュー、くさび、ギア、滑車などの機械要素に使われている。
【倍力機構】
【梃子】
梃子は、棒と支点で構成された装置で、大きなものを小さい力で動かすため、または小さな運動を大きな運動に変えるために使われるものである。
【梃子の構成要素】
梃子は、支点・力点・作用点の3つで構成されている。
1. 支点(The fulcrum)
: 梃子を支える
2. 力点(The post of effort)
: 外部の力が梃子に加わる点
3. 作用点(The point of load)
: 力が作用する点
梃子のメカニズム
梃子の原理で最も重要なのは、力点でのモーメント(力点に加える力 × 支点から力点までの距離)と作用点でのモーメント(作用点で得られる力 × 支点から作用点までの距離)が同じである。
つまり、力のモーメントが釣り合っているということになる。
よって、作用点と支点の間を短くすることで、力点に加えた力よりも大きな力を作用点に与えることができる。
梃子を使った倍力道具は、つめきり・くぎ抜き・蛇口の取っ手などがあり、日常生活でも広く使われている。
王薌齋先生は「松(リラックス)緊(緊張)の枢紐は上下にある」と述べている。
【具体的な練習法】 站樁の際、後頸部(耳下あたり)に一本のばねが前脚先の下に斜めに続いていると想像し、頂心(頭のてっぺん中心)が上を指すように意識して同時に、頸部をわずかに後ろに引き、この勁を感じ取った後、さらに頂心(頭のてっぺん中心)から後足の裏(土踏まず中心)までばねが続いていると想像する。
頂心(頭のてっぺん中心)が上を指し、後足(土踏まず中心)が下へ蹴り出すようにして、これらはすべて意の中で求めるもので、動作中の練習法としては、摩擦歩の練習時に、前足の先が地面につく際、頭が上後方に引っ張られ、足先と一争を生じさせる。
前進と後退の両方でこれを行い力を掌握したら、さらに足先が地面につく際に、心頂(頭のてっぺん中心)と後足の間に争力を生じさせ、一争したら止めるようにして、その後は、任意の歩行の中で、これを探求でき、これが意拳発力の最も基本的な練習法であり、「消息は全て後足の踏み切り(土踏まず中心)に頼る」が表すところである。
人の重心はいつも同じ位置にあるとは限らない地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける上下のつり合い箇所により身体の外に出ることもある。重心とは、質量中心であり、重力と抗力が働いている「重心は上下のつり合い点だ」即ち人の立姿の中心は地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける足裏土踏まずから頭頂までの全てが上下のつり合い領域一体が点であり線である。これを【中】と呼ぶ。
【一中】
頭頂(頭のてっぺん)と両足(土踏まず)の中心点を指し、この領域は線でもあり、均整を保ちながら軽霊(軽く活発)であることが鍵である。
【定中力】
「定中力」は搭手(手合わせ)の際に、内部で変換される不定の力用いて相手を牽制し、進退を難しくさせる境地を指す。
故に【定中力】と名付けられている。
【中】は単純な硬直した板(機械)ではなく、両腿の中線にある重心は昇降や転移が可能である。
【守中】は動作中に、常に自身の均整を保持することを指す。
相手の力が均整を失ったり、上下のつり合い力及び作用反作用がない滞って霊(効果的)でなくなった時、或いはその力が前や後ろにある時、相手の重心を的中した状態で、自身の均整な力で相手を撃つ、これを「用中」という。
【重心体得感覚】
頂心(頭のてっぺん中心)が上を指し、後足(土踏まず中心)が下へ蹴り出すように上(抗力)下(重力)のつり合い及び作用反作用による【上下の力】及び大腿部を利用した梃子運動からの作用反作用を【一中】感覚として体得できれば、軽快に臨機応変に動けるようになり、緊張硬直した力は転換されリラックス状態【上虚下実】となり、まるで体が地面に吸い込まれるように足裏が地面に張り付き、根を生やしたような感覚で立つ足裏は吸盤のように地面に張り付つき歩法では、股関節を融通かつ柔軟に使いながら吸盤をゆっくり剥がしたり、くっ付けたりする感覚でありスポーツ運動による飛んだり、跳ねたりの軽さではなく、地に足が着き、体は軽い俗に言う【軽霊】を体得できる。
全ての力量は、リラックスと緊張、意識と無意識、交感神経と副交感神経、原始系と識別系、重力と抗力、接触力における反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合との合力のと効果は、最適なつり合い力を及び作用反作用を持った互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと即ち【±0】この中間作用を利用しそれに反応する全ての機能は【一枝が動けば百枝が動く】例えの如く、動かないところはない状態、同時同一の一体【オール1】となる。
【最大効果向上練習】
站樁が根本中の根本である。站樁の練習において、姿勢と意念の要求を次第に高めていき、試力、推手、発力の練習を通して、自身の力量の弱さ、反応の鈍さ、空白の部分に気づけば、再び站樁の中で意念による誘導を通じて、内力を探求、強化する。静から動へ、動から静へと絶え間なく行きつ戻りつしながら、相互に参照し合う練習を重ねていけば、境地は無限に広がっていく。
★最も重要なことは、技の使い方は習得にすぎず技をいくら頭で要領を覚えても咄嗟に使えなず身につかず応用が効かない。
身につけるには身体全体の力(勁)の使い方を求め体全体が覚えて【体得】をすることである。
基礎練習となる下肢伝導と十字原理のプロセスを無視した者には、体得することは不可能である。
日本意拳協会参考資料14
会員各位
続編②【重心的中探求】意拳は現代科学を理論的基礎とする意拳における身体全体の力(勁)の使い方を先人から学ぶ。
古きは、東洋の陰陽思想からニュートンの林檎の落ちる法則まで一貫して共通する事項は、【有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に発生】する。
【力は重力と接触力】 この二つが物体に働く力である。
【重力】
地球と地球上の物体の間で働く力である。
例えば、重りに働く力、床の上で机を動かす、丘に車を押し上げる、ボールを蹴るなど重力は物体の質量に重力加速度をかけて求めることができる。
【接触力】
物体が接触しているものから受ける力。
接触面と垂直に働き、接触面と平行方向には摩擦力が働いている。
この他につり合い力、作用反作用、慣性力、応力、軸力、弾性力等の重力以外の力を指している。
【つり合い】
均衡すること調和。
複数の事物が互いに同程度で、適切に対応し、調和するという意味で、「つり合い」は2つ以上のものの間で、その大きさ、重さなどが互いに同程度であり、物理学においては、1つの物体にはたらく力に注目するのが「力のつり合い」で、2つの物体にはたらく力の関係を表すのが「作用・反作用」である。
計りに例えると矛盾計(バランスメーター)
(最適なつり合いを持った互いに争い打ち消し合う力【±0】)と表現が適切かもしれない。
【つり合い力】
静止状態である1つの物体に着目してその物体に働く力である。
例えると重力とバネ秤による弾性力、ヘリコプターのホバリングなど静止している状態である。つり合い力で物体の重心となるつり合い点【0】が中心点と判明する。
人間では、重力とのつり合い点が人体の中心点(一次元的)である。
【作用・反作用】
物体の静止及び運動状態に関係なく2つの物体に着目してその物体間が接触し作用点となり及ぼし合う力である。作用反作用では、例えると地面上に物体が設置されていれば、
設置箇所が【重力と抗力】(上下の力)の作用点となる人間立姿では、足裏(二次元的)である。
【分野別参考資料】
【足裏蹬踩(アーチ)】
(足裏土踏まずの機能)
下がる時は大地を圧迫し、上がる時は大地を蹴り踏む(=蹬踩)【出力】(吐く)状態
体が地面に吸い込まれる【入力】(吸う)ように足裏が地面に張り付き、根を生やしたような感覚で立つ足裏は吸盤(最適なつり合いを持った互いに争い打ち消し合う力【±0】)のように地面に張り付いていて、この力学は地面と足裏の接触箇所で起き作用反作用における作用点になった瞬間であると同時に梃子運動においては力点でもあり、この状態で相手と接触した場合【±0】と同様に濘定化髄(吸盤の様な或いは、鳥もちがくっ付いた状態の様な)の力学を発揮する。
歩法では、股関節を柔軟に三七重心を巧みに使いながら上下起伏運動により、吸盤をゆっくり剥がしたり、くっ付けたりする【出力入力】(吸う吐く)作用・反作用の感覚を追求する。
【足裏アーチの3分類】
人の足の裏(土踏まず)には①外側縦のアーチ、②内側縦のアーチ、③横のアーチ形状がある。片足には3箇所のアーチがあり、それぞれ、前後方向、左右方向、水平回転方向の姿勢制御を容易にする機能を果たしている。又、アーチ形状がバネのように作用【出力入力】(吸う吐く)つり合い力及び作用・反作用の感覚(最適なつり合いを持った互いに争い打ち消し合う力【±0】)があることで、足にかかる衝撃を緩和させる役割もある。
①【外側縦アーチ】
足の外側の縦方向にあり、かかとから小指の付け根を結ぶアーチである。
②【内側縦アーチ】
内側縦アーチとは、足の内側の縦方向に走る最も大きなアーチで、土踏まずもこの部分に入る。
③【横アーチ】
足を前方(指先側)からみると、真ん中がやや浮いた半円をえがいたアーチになる。(非荷重のとき)
これは、中足部や足根部(足の甲)でも同じように弓状になっている。横アーチの役割は、他の二つのアーチと連動して、つり合い力及び作用・反作用の感覚(最適なつり合いを持った互いに争い打ち消し合う力【±0】)により体重の分散とバランス、衝撃吸収歩行(走行)推進力アップさせる。
【縦アーチ機能】
かかと(踵骨)から指先に向かって扇状に広がる半円形の弓状のものであり、外側縦アーチと内側縦アーチの二つに分類され、いくつかの骨を経由することで柔軟性が生まれて、強い弾性力を発揮し、強い衝撃も吸収する(つり合い力及び作用・反作用の感覚)ことができ、さらにそれぞれを結ぶ靭帯には【位置覚】という神経センサーが足裏にあり、これと一致して頭部の三半規管にも耳石センサーがあり、上下左右前後にこれによって、バランスをとるときにもわずかな傾きも検知しやすくなっている。
これらが、感覚統合の要因の一つである前庭覚(身体の動きや傾き、スピードを感じる感覚)感覚神経である。
【縦アーチ3機能】
1【ウィンドラス機構】
(踏み返し補助)
「windlass」(ウィンドラス)とは、巻き上げ機のこと。
船についている錨(いかり)を巻き上げる機械です。アーチの弓矢を射る様に反発力を踏み返し時(つり合い力及び作用・反作用の感覚)に利用して推進力を増加させる。
2【トラス構造】
(衝撃吸収)
歩行時(走行時)足指が反る(MTP関節背屈)状態になると足底腱膜が引っ張られ、
引っ張られた足底腱膜は縮もうとするので、この時に足裏の指のつけ根(中足骨頭)で地面を蹴るように働く
簡単にいうと、踏み返し(地面を蹴る動作)を補助することになる。(推進力をプラスする)三角形の集合体トラス構造をつくり衝撃を吸収する。(つり合い力及び作用・反作用の感覚)
3【バランス保持】
人は足の内側・外側どちらにも体重をかけることができ、さらに身体のバランスを崩して重心がズレた時に足部のアーチがたわむことで姿勢を保持することができる。
縦アーチを形成する骨どうしは強力な靭帯でつながっていて、筋肉でさらに補強され靭帯には【位置覚】というセンサーがついていて関節の曲げ具合や傾きを細かく検知できる仕組みになっている。
これにより、不安定なバランスディスクの上でも立位・片足立位などでのバランスをとる緩衝作用がある。
【意拳への適用】
人体の中心は、つり合い力によるつり合い点(物体の中心点)及び作用反作用による地面と足裏が接する作用点が一致した状態、即ち足裏から頭頂までの上下の点(点状一次元的)ではない線状領域(線状)二次元的から十字原理及び六面力を含む(立体状)三次元的へ)を中心感覚【一中】として体得する。即ち静止しても運動してもこれは、変わらない。
【感覚統合】
感覚統合とは、脳が全身の器官から受け取るさまざまな感覚情報を整理し、【適切な反応をする機能】である。
②適切に反応する機能
【重心的中】
【孫子】
【敵を知り己を知れば百戦危うからず】
【相手の重心を知りたければ、先ず自己の重心を知らなければならない】
【分野別参考資料】
【重心】
重力は物体の各部に働いて、 その各部に働く重力の合わさった力の中心点が重心となる。
重心は、力学において、空間的広がりをもって質量が分布するような系統において、その質量に対して他の物体から働く万有引力の合力の作用点であると定義される点のことである。
物体には、その物体がどのような姿勢状態にあってもかならずつりあいを保つ点がある。
即ち、この点で物体を支えると、どのような姿勢状態でもその物体は安定して静止状態を保つことができ、このような点が重心(または、質量中心)である。
球の重心は球の中心点。平面の四角形の重心は対角線の交点。三角形の重心は中線の交点である。
複雑な形状の場合は、複数の部分的な物体の集合体とみなして重心を考える。
例えば、四角形の集合体。それぞれの重心は対角線の交点となる。この3つの重心にそれぞれの重量の力が作用すると考えて、この3つの力の合力の作用点が重心となる。
人の重心を求める時、正方形の様に対角線の交点ではなく、重力と抗力が働いている「重心は上下のつり合い点だ」足裏土踏まずが地面と争う場合その位置が作用点となり、頭頂までの間、全部がつり合い点となる為、例えるなら線状領域の表現に置き換えても重心ということは変わらない。
【重心体得感覚】
頂心(頭のてっぺん中心)が上を指し、後足(土踏まず中心)が下へ蹴り出すように上(抗力)下(重力)のつり合い及び作用反作用による【上下の力】及び大腿部を利用した梃子運動からの作用反作用を【一中】感覚として体得できれば、軽快に臨機応変に動けるようになり、緊張硬直した力は転換されリラックス状態【上虚下実】となり、まるで体が地面に吸い込まれるように足裏(土踏まず)が地面に張り付き、根を生やしたような感覚で立つ足裏(土踏まず)は吸盤のように地面に張り付つき歩法では、終始十字原理を備え均整を保ち上下の昇降起伏移動を通じて前後左右を促進し、股関節を融通かつ柔軟に使いながら吸盤をゆっくり剥がしたり、くっ付けたりする感覚でありスポーツ運動による飛んだり、跳ねたりの軽さではなく、地に足が着き、体は軽い俗に言う【軽霊】を体得できる。
変わる身体重心位置
をつり合いで求めた重心は、全て重力と抗力が働いている「重心は上下のつり合い点である」この人の、直立立位時の重心だと、人は関節で体節の位置を変えられ、重心は形で決まり逆に言えば、形が変われば重心位置も変わる
特に前後の移動が大きければ空白領域が発生する。故に、動く状態であっても終始十字原理を備え均整を保ち重心領域限界(上方眉、下方臍、左方右方鼻中、前方後方一尺)を超えない僅かな動き僅かな力の体幹操作練習が必須である。
【中】
人の重心はいつも同じ位置にあるとは限らない地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける上下のつり合い箇所により身体の外に出ることもある為、
終始十字原理を備え均整を保ち重心領域限界(上方眉、下方臍、左方右方鼻中、前方後方一尺)を超えない体幹操作練習が必須である。
重心とは、質量中心であり、重力と抗力が働いている「重心は上下のつり合い点だ」即ち人の立姿の中心は地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける足裏土踏まずから頭頂までの全てが上下のつり合い領域一体が点であり線である。これを【中】と呼ぶ。
【一中】
頭頂(頭のてっぺん)と両足(土踏まず)の中心点を指し、この領域は線でもあり、終始十字原理を備え均整を保ちながら(シームレス)軽霊(軽く活発)であることが鍵である。
【定中力】
搭手(手合わせ)の際に、終始十字原理を備え均整を保ち、重心と接触力を内部で変換される不定の力を用いて、相手を牽制し、相手の安定を不安定にして終始調整中(空白状態)にさせ、もちろんこちらは、シームレス状態で、相手の進退を難しくさせる境地を指している。
故に、この様な終始十字原理を備え均整を保つシームレス状態を【定中力】と名付けられている。
【中】
単純な硬直した板(機械)ではなく、終始十字原理を備え均整を保ち両腿の中線にある重心はつり合い力及び作用反作用によりバネの様に弾性力を持ち十字原理を備えた起伏上下前後左右への昇降や転移が可能である。
【守中】
動作中に、常に十字原理を備え自身の均整(つり合い力及び作用反作用)をシームレス状態で保持することを指して、終始相手を調整中(空白状態)に誘導する。
【用中】
相手の力が均整を失ったり、上下のつり合い力及び作用反作用がない空白状態により、不安定から安定に再起する調整中(空白状態)により滞って霊(効果的)でなくなった時、或いはその力が前や後ろにある時、作用反作用により、相手の重心を的中した状態で、自身の十字原理を備え均整(つり合い力及び作用反作用)な力で相手を撃つ、これを【用中】という。
【守中】と【用中】は状況に応じて常に十字原理を備え均整を保ちシームレス状態で転換される【定中状態】にある。
即ち、【矛】(用中)の状態にある時も【盾】(用中)の状態でもあり【盾】(守中)の状態にある時も【矛】(用中)の状態でもあり【矛】(用中)と【盾】(守中)の終始十字原理を備え均整を保つシームレス状態である。
何時でも何処でも接触しても空白時間と距離を極限まで短縮する。この様に【定中状態】が解除されない練習が必要不可欠である。
【最大限の支撑状態】
【三七重心】
意拳の重心は三七の転換であり、前三後七、前七後三、相互に転換し、倒錯して互いに用いる。この状態は、終始十字原理を備え均整を保つ【定中状態】であり、相手から観察されても身体の予備動作や起こりが見て判らない為、相手は無備を攻められ不意を突かれた受動的立場となる。
これは非常に深奥で精妙な課題であり、樁桩功、試力、発力および実戦が成就できるかどうかに関わる鍵である。
技撃樁の三七重心は実際には【一中】であり、終始十字原理を備え均整を保つ【定中】であり、丹念なプロセスによる最終的な結果であり、決して最初からできるものではない。
仮に五五重心、四六重心への転換の過渡期(プロセス)がなければ、この三七重心は本当に「虚歩」空手の猫足立ちの様(体重をかけない空白状態の前足)になってしまう。
その根拠として、站樁の基本的な要求は終始十字原理を備え均整を保つ前腿に【支撑力】があることであり、前腿の【支撑力】を高めるための鍵は重心を後ろに移動させることだからである。
前腿の【支撑力】は終始十字原理を備え均整を保ち重心を後ろに移動させることで前に突き出す(=頂)ことで得られるものであり(特に後ろ足の膝が後ろに寄りかかりと同時に前足の膝が前に突き出る)、脚部で弓矢を引いた強力な弾性力発揮状態にある様に争(つり合い力及び作用反作用)って出てくる前への力量であって、前腿が主動的に力(前足重心)を用いるものではないと言うべきである。
【前足重心の欠点】
故に、前腿が主動的に前足重心を用いた場合、十字原理は無く、均整もない状態での方向変換は、不可能であり、その場に居着き、動けず、融通性がなく、支撑力もない前足状態となり後ろ足は空白状態に陥いて常に受動的立場へ追い込まれることになる。
したがって、重心が前三分後七分であることは、樁功の【最大限の支撑状態】であり、【前足重心】は、相手に主導権を奪われる最悪の状態と言える。
【前足支撑力の利点】
最悪は、前足重心、最善は、前足支撑力であり、その争力(つり合い力及び作用反作用)が最大であるため、人体の牽拉が極めて顕著で、運動量も非常に大きい。
真の使い手だけが重心を前三分後七分にすることができる。
【重心感覚不全特徴】
①ある練習者は三七樁(技撃樁)を練習しても十字原理を備えず、均整もなく前腿に【支撑力】がないため、下盤に力がなく、脚部の弾力を生み出すことができない。
②大地と争う作用力と反作用力を形成できない為、運動中の重心の伝導は前後の水平的な位置移動(上下空白状態)となり、上下の昇降起伏移動を通じて前後左右を促進し斜面的利用と螺旋的利用ができていない。
③水平的な前後の位置移動(上下空白状態)は、十字原理を備えず均整を保つこともなく自分の力を弛緩させ、脚下に軽霊状態がなくなる。
【明鏡止水】
水平的位置移動の欠点から観察して、相手の状態は、全ての情報である。
こちらの状態から相手は、状態を変化させる。こちらの状態が水平であれば、相手も安定して水平であり、瞬間的に鏡に写した相対的状態である。
相手を不安定にさせるには、こちらは、終始十字原理を備え均整を保ち上下の昇降起伏移動を通じて前後左右を促進し斜面的利用と螺旋的利用を行いその効果の確認は、相手の肩の水平が保てず頭と体が、まるで同時にこちらとは、逆に傾く状態であり、相手の均整を破り重心を的中させる好機を獲得した状態となる。
逆に相手の欺騙行為の場合は反方向性転移における梃子運動から倍力機構の実感がないことが確認でき、相手の空白状態の有無を見極めることの判断の基準となる。
【重心感覚不全改善】
①改善には、位置移動の際には必ず終始十字原理を備え均整を保つ融通性及び柔軟性を備えた胯部の昇降起伏上下動を行わなければならない。斜面的利用及び螺旋的利用として、下がる時は大地を作用させ圧迫し、上がる時は大地を蹴り踏む反作用足裏土踏まずの反力(=蹬踩)により力を得る。
②このようにすれば、下肢は常に力強い【支撑状態】終始十字原理を備え均整を保ち足裏が吸盤の状態となり、自由自在に縦横無尽に転換でき、つり合い力及び作用反作用を発揮でき上下の昇降起伏移動を通じて前後左右を促進し斜面的利用と螺旋的利用ができてこそ優れている。
③試力も発力も全てこれが基準となる。
④内家使い手の爆発力が強いかどうかは、自身の本来の力や体格の大きさにあるのではなく、終始十字原理を備え均整を保ち倫軸梃子運動による腿部の弾力、および下盤と大地の合力(つり合い力及び作用反作用)にある。
【上下の争力】 重点は前脚先と頸部、後脚と頭頂部は、体の各部位が関与する必要があり、特に重点となるのは「肩は担ぐかのように、手は篭を持つかのように」という意念である。
例えば、10本の指先にそれぞれ小さなばねがついていると想像し、意念でそのばねを引っ張るように体を後方下方に傾けることで平衡を保ち、終始十字原理を備え均整を保ちその中から争力(つり合い力及び作用反作用)を生み出すということである。
【挺抜】(上下の争力)は、とても繊細なものである。
【主導権獲得】
【重心的中】
実践で最も重要なのは歩法である。接触する前は常に距離があり、その距離を詰めることができなければ、どれだけ力があっても発揮できない、双方の動作の中で、こちらは有利な位置を奪い、相手を調整中(上下空白状態)にさせ、相手に受け身の状態を強いる必要があり、その一歩(半歩小歩)を踏み出し、再び調整中(上下空白状態)にさせ、時間と距離の短縮の為、一歩(半歩小歩)を踏み、更に調整中(上下空白状態)から時間と距離の短縮を測り、一歩(半歩小歩)を巧みに踏み、接触する前の距離から接触に至るまで、何時でも何処でも、接触すれば終始十字原理を備え均整を保ち上下の昇降起伏移動を通じて前後左右を促進転換し、相手の重心の真下の位置に進撃する接触と邪魔の技術である。これにより相手に抵抗の余地を残さない。
【脚打七分手打三分】
進んで進むか、退いて進むかは関係なく(横方向からの攻撃でも、前に出て相手の一時的な平衡を崩すのも含まれる)、これこそ拳術家が言う「脚打七分、手打三分」の意味である。つまり、「位置を奪う(奪位)」ということである。「脚」とは蹴ることではなく、接触する前の距離から接触に至るまで、何時でも何処でも接触すれば、終始十字原理を備え均整を保ち立つ位置や、手身脚の位置が全て到達して、一歩(半歩小歩)踏み込んで、上下の昇降起伏移動を通じて前後左右を促進転換し、相手の重心の垂線を踏み主導権を獲得する接触と邪魔の技術である。
これは「踏中門」と呼ばれ、また「踩中門」とも呼ばれている。
【全身一致】
即ち「どこかが到れば到らないところはない」という何時でも何処でも全身一致の意味で、動作は終始十字原理を備え均整を保ち接触と邪魔の技術が協調されている必要がある。
この原則は、【一中】人の重心の垂線(上下の力となる重力と抗力)に関するものである。
垂線(重心線)を踏むとは、場を奪われることであり、場を譲って場を奪う様に相手にこれを踏まれたら、前進はできない【チェックメイト】受動的立場に追い込まれ、抵抗すればするほど、投げられる可能性が高くなり下部が安定していると、後退し抵抗しない方が得策である。
これは単なる手の打撃であり、主に二人の距離の問題から始まり、これはチェスをするようなものである。
チェスにおいて、相手がこちらに既成の事実(すでに起こってしまっていて、変えることのできない事実)を作らせたなら、たとえチェスの名人であっても負けを認めざるを得ない。
それでは、どうやって、そのような状況を作りその形を作り出すかは、拳術では一つ一つの技や形を研究する考えでは無い、軍事的に例をあげると支隊による局地戦の考えではなく、主力部隊による総力戦の様に全体的な視点を持つべきである。
【詭道】
二人が互いに引き分けもあり、こちらが相手よりも能力があれば、一歩一歩計略を練り、相手をその道に追い込みもあり、利して場を誘い乱して場を取るもあり、また、罠を仕掛けて、気づかれずに行き止まりに追い込むこともありその無備を攻めその不意を打つ。
その為の第一に、二人の距離と位置について、接触する前の距離から接触に至るまで何時でも何処でも終始十字原理を備え均整を保ち接触と邪魔の技術により相手の重心の垂線を踏み主導権を獲得するには、こちらがどの位置をとれば主導権を獲得し、相手をどのように不安にさせ、緊張させ、受動的立場へ追い込むことができるか、或いは、こちらがどのようにすれば受動的立場から主導的立場へ転換できるのかを研究することが重要である。
その転換の時期は、
【最も不利最も有利】
【ピンチがチャンス】
を認識しているかが鍵となる。
【分野別参考資料】
クラウゼヴィッツは『戦争論』の中で、「戦争の目標は、その概念からす ると、常に敵の撃破でなければならない」としながらも、「敵国の占領は、 必ずしもそのために必要とは限らない」とし、「重心、すなわち力と運動の 中心」に焦点を当てることを強調している。
重心を攻撃する
重心とは敵の力の中心であり、弱点でもある。この重心を攻撃することによって敵の撃破、すなわち戦争の目標が達成される。
○重心は敵の最大弱点
この項では、『戦争論』第八編ではじめて登場する「重心」の概念について見てみよう。
重心の概念は、第8編第4章「戦争の目標に関するさらに厳密な定義――敵の撃破」の中でとりあげられている。重心とは、敵の力の中心であるとクラウゼヴィッツは述べている。いいかえれば、敵の弱点である。クラウゼヴィッツは、あらゆる力をもって重心を攻撃することによって戦争の目標、すなわち敵を撃破することができると述べている。
一般に物理学の用語としての重心は、ある物体がどのような姿勢であっても、そこを支えれば必ず釣り合いを保って静止するような点をいい。
しかし、軍事学では軍隊の力が凝集しており、また部隊移動の中心となる点を重心といいます。もし敵を攻撃するときは、敵の重心を狙うことが効果的であると考えられており、それを判別する要領は重心分析と呼ばれています。この記事ではクラウゼヴィッツが示した重心分析の要領について解説してみたいと思います。
兵力を中心とした重心分析の考え方まず、クラウゼヴィッツの説によれば、基本的には兵力が集中し、最も密度が高まっている場所に重心があるとされています。一部の兵力が移動した際に生じる影響の範囲を理解することに役立つとされており、攻撃目標を選定する上でも重要だと説明されています。
これはいったん敵の重心を正しく判断することができれば、状況が流動的になり、敵情が不明確になったとしても、我が兵力を指向すべき作戦方向を適切に推定できるためです。敵情不明であっても、最適な攻撃の方向を推定できることは、短時間で次々と決心を下さなければならない機動戦において非常に重要なことです。防御においても、重心分析を行って敵が意図する攻撃の方向を判断するための資料となります。無論、陽動や陽攻の可能性も考慮しなければなりませんが、防御線の後方に拘置する予備隊の位置を決定する上で役に立ちます。
王薌齋先生は「松緊の枢紐(鍵)は上下にある」と述べている。具体的な練習法は、站樁の際、後頸部(耳下あたり)に一本のばねが前脚先の下に斜めに続いていると想像し、頂心(頭頂中心)が上を指すように意識し、同時に、頸部をわずかに後ろに引く、この勁を感じ取った後、さらに頂心から後足の裏(土踏まず中心)までばねが続いていると想像し、頂心(頭頂中心)が上を指し、後足(土踏まず中心)が下へ蹴り出すようにする。これらはすべて意の中で求めるもので、動作中の練習法としては、摩擦歩の練習時に、前足の先が地面につく際、頭が上後方に引っ張られ、足先と一争(全身一つに、まとまったつり合い力及び作用反作用)を生じさせるようにし、前進と後退の両方でこれを行い力を掌握したら、さらに足先が地面につく際に、心頂(頭頂中心)と後足(土踏まず中心)の間に争力(つり合い力及び作用反作用)を生じさせ、一争(全身一つに、まとまったつり合い力及び作用反作用)したら止めるようにする。その後は、任意の歩行の中で、これを探求できる。これが意拳発力の最も基本的な練習法であり、「消息は全て後足の踏み切りに頼る」が表すところである。
全ての力量は、リラックスと緊張、意識と無意識、交感神経と副交感神経、原始系と識別系、重力と抗力、接触力における反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合との合力のと効果は、最適なつり合い力及び作用反作用を持った互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと即ち【±0】この中間作用を利用しそれに反応する全ての機能は【一枝が動けば百枝が動く】例えの如く、動かないところはない状態、同時同一の一体【オール1】となる。
【最大効果向上練習】
站樁が根本中の根本である。站樁の練習において、姿勢と意念の要求を次第に高めていき、試力、推手、発力の練習を通して、自身の力量の弱さ、反応の鈍さ、空白の部分に気づけば、再び站樁の中で意念による誘導を通じて、内力を探求、強化する。静から動へ、動から静へと絶え間なく行きつ戻りつしながら、相互に参照し合う練習を重ねていけば、境地は無限に広がっていく。
★最も重要なことは、技の使い方は習得にすぎず技をいくら頭で要領を覚えても咄嗟に使えなず身につかず応用が効かないことを理解して、身につけるには身体全体の感覚及び力(勁)の使い方を求め体全体が覚えて【体得】をすることである。
基礎練習となる下肢伝導と十字原理のプロセスを無視した者には、体得することは不可能である。
日本意拳協会参考資料15
会員各位
続編③【視覚探求】意拳は現代科学を理論的基礎とする意拳における身体全体の力(勁)の使い方を先人から学ぶ。
古きは、東洋の陰陽思想からニュートンの林檎の落ちる法則まで一貫して共通する事項は、【有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に発生】する。
③適切に反応する機能
【視覚】
練習中に、意を用いて視界のリラックス状態を訓練し、広視界レンズの様に【遠山の付け目】とも言われる全域的には一時は何も見ず、何も見ないようにし、次の瞬間には突然、狭視界レンズの様に目標に注意を払うと緊張状態となり、この広視界状態と狭視界状態を最適なつり合い力及び作用反作用を持って臨機応変に変換する。
この状態は、例えると車の運転中の視界変換と類似している。
対象目標まで遠い時車間距離が広い時は広視界となり信号、標識、対人、対向車等の対象目標が近い時や狭い時は狭視界となり視界変換に伴うリラックスと緊張が最適なつり合い力及び作用反作用を持って交互に変換される。
【視力の訓練】
精神的なリラックスと緊張と身体のリラックスと緊張を目を使って統一する。
実例として、前に広がる景色にある建物や自然を視界に入れる。
練習を始め景色を同時に見ていないようなぼんやりとした状態で広視界にいれる。1、2分待ってから、目の筋肉を少し収縮させて、狭視界ではっきりと見る。
木を見て森を見ず。
森を見て木を見ず。
この広視界と狭視界及び遠方と近方をリラックスと緊張を交互に変換し繰り返していく。
木々や緑色は目に良い影響を与える。
この練習を繰り返すことで、見ることと見ないことの違いを体感し、皮膚にも感覚が現れリラックスと緊張の感覚が、この広視界と狭視界での最適なつり合い力及び作用反作用を持った変換で全身の感覚が一致し視力を体得する。
比率は、リラックス時間が多く、緊張時間は少なくが効果的です。
格闘には、視力と眼法は重要な役割である。
視力は、自分と相手との距離を測る機能を持ち、距離、位置、攻撃の機会を正確に捉えることができれば、一発で的中させることができ、正確な目測能力は相手を倒したり、重く撃つことと大きな関係がある。
リラックスの中に緊張があり、緊張の中にリラックスがある最適なつり合い力を持って、瞬間的変換が可能な状態と言える。
【目光暗示】
意拳においては、技撃の戦術上「目光暗示」という用法がある。
つまり、意識的にこの広視界と狭視界での最適なつり合い力を持った焦点変換で全身の感覚が一致し相手を微妙に上か下か左か右に視線を移すことで、時には相手に誤解を招き、判断の誤りを引き起こさせることができる。
眼光は電光に似て、威厳ある注視は、しばしば相手に恐怖と不安を感じさせる。これらはすべて、この広視界と狭視界での最適なつり合い力及び作用反作用を持った焦点変換でリラックスと緊張を転換することから全身の感覚が一致し実戦訓練中に徐々に探索し、養成する必要がある。
いくつかの補助練習を通じて、継続的に向上させることができ意拳の站樁の中にも視力の訓練が含まれ全身各部にも、リラックスと緊張の最適なつり合い力及び作用反作用を持った矛盾が存在し、視力も同様である。
站樁練習時に目標をじっと見つめることはできないが、目標がないわけでもない状態で物を気楽に見るとき、実際にはすべてを同時に見ているが、何もはっきりとは見ていない。
しかし、ある物体を注視すると、注意力が集中するため、見たいものだけを見ることになり、他のものは注意しない。
練習中においても同様に意を用いて眼のリラックスと緊張を訓練し、最適なつり合い力及び作用反作用を持って一時は何も見ず、何も見ないようにし、次の瞬間には突然、目標に注意を払う焦点変換を行う。
この時、目のリラックスと緊張に伴い、全身の皮膚もそれに応じてリラックスと緊張の反応を示す感覚を体得する。そのため、対人の練習では、相手を理解するために眼を使うことは、簡単で実践的な方法である。
実戦経験のない人は、眼に驚きの表情が現れその時、体は「リラックス」や「整体」の状態には絶対にない。したがって、対人では、相手を有意または無意に見て、全身を放松させながら、最適なつり合い力を持って一瞬にしてすべての眼を相手に注ぎ、精神的に相手に圧力をかける。
格闘中には、相手の両眼を見たり、相手の中心線を見たり、相手の脚の位置を見たり、さらには相手の全身を注視することもできる。
これを実践の中で探索し、最適なつり合い力を持って積極的に運用する必要がある。
基本功による眼のリラックスと緊張感覚訓練のほかに、以下のような補助功を通じて、眼の訓練を行うことができる。
【眼力の練習】
【瞬き抑制練習】
平時に、清潔なハンカチを使って、瞬きの抑制となる仰角で目線はやや上方向にし、ゆっくりと眼窩(がんか)を叩くことができる。力を入れる必要はない。この方法で、散打中に瞬きをする悪い条件反射をすぐに克服できる。
【上下左右視力練習】
両眼を前に向け、頭の位置を動かさずに、眼球を直接上に動かし、目光をできるだけ上に向けて見る(約3~4秒間)、次に直接下を見て、その後両眼を平行に左をできるだけ見て、最後に右をできるだけ見る。このようにして、初心者はそれぞれ30回練習する。
【旋転視力練習】
頭の位置を動かさずに、瞬きの抑制となる仰角で目線は両眼をできるだけ上に向け、眼窩(目のくぼみ)に沿って左に眼球を旋転させる。旋転しながら見て、元の位置に戻るまでの周回軌道を1回とする。その後、右側に旋転させる。それぞれ20回。
【動態視力練習】
時間があり、機会があれば、瞬きの抑制となる仰角で目線はやや上方向にし、広視界リラックスと狭視界緊張を交互に繰り返し焦点変換を飛んでいる鳥や昆虫をより多く見たり、浅瀬で泳ぐ魚を見ることができる。その不規則な動きについていくことで、目の敏捷性と動態視力を鍛えることができる。
【分野別参考資料】
①【動体視力】
動いているものを見たり、動きながらものを見たりする能力であり、スポーツや運転など、さまざまな場面で重要とされている。
動体視力は、横方向の動きを識別するDVA動体視力と、前後方向の動きを識別するKVA動体視力に分けられる。
動体視力の重要性や例は次のとおりである。
スポーツでは、ボールや相手選手などの目標が常に動いているため、目標に素早く両目のピントを合わせる能力が求められる。
運転では、遊んでいる子供のボールが路地の横から飛び出してくるのを素早く認識するDVA動体視力や、右折する時に反対車線を前方から走ってくる車の距離感をつかむKVA動体視力などが重要である。
動体視力は瞬発力の向上にも大きく関係して速く動くものを高い動体視力により素早く見極めることにより、脳から筋肉への伝達時間が短縮され、結果的に瞬発力を高めることになる。
動体視力は、眼球より、脳や神経の働きで決まっている。日々おこなうトレーニングや競技経験によって獲得される技術である。
②【眼力】
「視力」や「物事の善悪・真偽・成否などを見抜く能力」といった意味がありますが、どちらかといえば、後者の「洞察力や観察力に優れている」といったニュアンスで用いられる。
③【観察眼】
物事や状況をさまざまな視点から多角的に捉え、細かな変化に気づく能力である。
観察眼がある人は、常に周囲に目を配り、相手の様子にいち早く気づいて細やかな気遣いをするといったコミュニケーション能力も高いと言われている。
観察眼を鍛えるには、会話中に相手の表情や身振り手振りといったボディランゲージに注目することである。
普段とは違う部分がないか、会話の冒頭から変化した箇所がないかという観点から、相手をよく観察されたい。
【力は重力と接触力】 この二つが物体に働く力である。
【重力】
地球と地球上の物体の間で働く力である。
例えば、重りに働く力、床の上で机を動かす、丘に車を押し上げる、ボールを蹴るなど重力は物体の質量に重力加速度をかけて求めることができる。
【接触力】
物体が接触しているものから受ける力。
接触面と垂直に働き、接触面と平行方向には摩擦力が働いている。
この他につり合い力、作用反作用、慣性力、応力、軸力、弾性力等の重力以外の力を指している。
【つり合い力】
静止状態である1つの物体に着目してその物体に働く力である。
例えると重力とバネ秤による弾性力、ヘリコプターのホバリングなど静止している状態である。つり合い力で物体の重心となるつり合い点【0】が中心点と判明する。
人間では、重力とのつり合い点が人体の中心点(一次元的)である。
【つり合う】
均衡すること調和。
複数の事物が互いに同程度で、適切に対応し、調和するという意味で、「つり合い」は2つ以上のものの間で、その大きさ、重要さなどが互いに同程度であり、物理学においては、1つの物体にはたらく力に注目するのが「力のつり合い」で、2つの物体にはたらく力の関係を表すのが「作用・反作用」である。
【作用・反作用】
物体の静止及び運動状態に関係なく2つの物体に着目してその物体間が接触し作用点となり及ぼし合う力である。作用反作用では、例えると地面上に物体が設置されていれば、
設置箇所が【重力と抗力】(上下の力)の作用点(二次元的)となる人間立姿では、足裏である。
【意拳への適用】
人体の中心は、つり合い力によるつり合い点及び作用反作用による作用点が一致した状態、即ち足裏から頭頂までの上下の点(一次元的)ではない線状領域(二次元的から十字原理及び六面力を含む三次元的へ)を中心感覚【一中】として体得する。即ち静止しても運動してもこれは、変わらない。
【感覚統合】
感覚統合とは、脳が全身の器官から受け取るさまざまな感覚情報を整理し、【適切な反応をする機能】である。
王薌齋先生は「松緊の枢紐(鍵)は上下にある」と述べている。具体的な練習法は、站樁の際、後頸部(耳下あたり)に一本のばねが前脚先の下に斜めに続いていると想像し、頂心(頭頂中心)が上を指すように意識し、同時に、頸部をわずかに後ろに引く、この勁を感じ取った後、さらに頂心から後足の裏(土踏まず中心)までばねが続いていると想像し、頂心(頭頂中心)が上を指し、後足(土踏まず中心)が下へ蹴り出すようにする。
これらはすべて意の中で求めるもので、動作中の練習法としては、摩擦歩の練習時に、前足の先が地面につく際、頭が上後方に引っ張られ、足先と一争(全身一つに、まとまったつり合い力及び作用反作用)を生じさせるようにし、前進と後退の両方でこれを行い力を掌握したら、さらに足先が地面につく際に、心頂(頭頂中心)と後足(土踏まず中心)の間に争力(つり合い力及び作用反作用)を生じさせ、一争(全身一つに、まとまったつり合い力及び作用反作用)したら止めるようにする。
その後は、任意の歩行の中で、これを探求できる。これが意拳発力の最も基本的な練習法であり、「消息は全て後足の踏み切りに頼る」が表すところである。
【中】
人の重心はいつも同じ位置にあるとは限らない地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける上下のつり合い箇所により身体の外に出ることもある為、
終始十字原理を備え均整を保ち重心領域限界(上方眉、下方臍、左方右方鼻中、前方後方一尺)を超えない体幹操作練習が必須である。重心とは、質量中心であり、重力と抗力が働いている「重心は上下のつり合い点だ」即ち人の立姿の中心は地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける足裏土踏まずから頭頂までの全てが上下のつり合い領域一体が点であり線である。これを【中】と呼ぶ。
【一中】
頭頂(頭のてっぺん)と両足(土踏まず)の中心点を指し、この領域は線でもあり、終始十字原理を備え均整を保ちながら(シームレス)軽霊(軽く活発)であることが鍵である。
【定中力】
搭手(手合わせ)の際に、終始十字原理を備え均整を保ち、重心と接触力を内部で変換される不定の力を用いて、相手を牽制し、相手の安定を不安定にして終始調整中(空白状態)にさせ、もちろんこちらは、シームレス状態で、相手の進退を難しくさせる境地を指している。
故に、この様な終始十字原理を備え均整を保つシームレス状態を【定中力】と名付けられている。
【中】
単純な硬直した板(機械)ではなく、終始十字原理を備え均整を保ち両腿の中線にある重心はつり合い力及び作用反作用によりバネの様に弾性力を持ち十字原理を備えた起伏上下前後左右への昇降や転移が可能である。
【守中】
動作中に、常に十字原理を備え自身の均整(つり合い力及び作用反作用)をシームレス状態で保持することを指して、終始相手を調整中(空白状態)に誘導する。
【用中】
相手の力が均整を失ったり、上下のつり合い力及び作用反作用がない空白状態により、不安定から安定に再起する調整中(空白状態)により滞って霊(効果的)でなくなった時、或いはその力が前や後ろにある時、作用反作用により、相手の重心を的中した状態で、自身の十字原理を備え均整(つり合い力及び作用反作用)な力で相手を撃つ、これを【用中】という。
【守中】と【用中】は状況に応じて常に十字原理を備え均整を保ちシームレス状態で転換される【定中状態】にある。
即ち、【矛】(用中)の状態にある時も【盾】(用中)の状態でもあり【盾】(守中)の状態にある時も【矛】(用中)の状態でもあり【矛】(用中)と【盾】(守中)の終始十字原理を備え均整を保つシームレス状態である。
何時でも何処でも接触しても空白時間と距離を極限まで短縮する。この様に【定中状態】が解除されない練習が必要不可欠である。
【重心体得感覚】
頂心(頭のてっぺん中心)が上を指し、後足(土踏まず中心)が下へ蹴り出すように上(抗力)下(重力)のつり合い及び作用反作用による【上下の力】及び大腿部を利用した梃子運動からの作用反作用を【一中】感覚として体得できれば、軽快に臨機応変に動けるようになり、緊張硬直した力は転換されリラックス状態【上虚下実】となり、まるで体が地面に吸い込まれるように足裏が地面に張り付き、根を生やしたような感覚で立つ足裏は吸盤のように地面に張り付つき歩法では、股関節を融通かつ柔軟に使いながら吸盤をゆっくり剥がしたり、くっ付けたりする感覚でありスポーツ運動による飛んだり、跳ねたりの軽さではなく、地に足が着き、体は軽い俗に言う【軽霊】を体得できる。
全ての力量は、リラックスと緊張、意識と無意識、交感神経と副交感神経、原始系と識別系、重力と抗力、接触力における反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合との合力のと効果は、最適なつり合い力及び作用反作用を持った互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと即ち【±0】この中間作用を利用しそれに反応する全ての機能は【一枝が動けば百枝が動く】例えの如く、動かないところはない状態、同時同一の一体【オール1】となる。
【最大効果向上練習】
站樁が根本中の根本である。站樁の練習において、姿勢と意念の要求を次第に高めていき、試力、推手、発力の練習を通して、自身の力量の弱さ、反応の鈍さ、空白の部分に気づけば、再び站樁の中で意念による誘導を通じて、内力を探求、強化する。静から動へ、動から静へと絶え間なく行きつ戻りつしながら、相互に参照し合う練習を重ねていけば、境地は無限に広がっていく。
★最も重要なことは、技の使い方は習得にすぎず技をいくら頭で要領を覚えても咄嗟に使えなず身につかず応用が効かないことを理解し、身につけるには身体全体の力(勁)の使い方を求め体全体が覚えて【体得】をすることである。
基礎練習となる下肢伝導と十字原理のプロセスを無視した者には、体得することは不可能である。
日本意拳協会参考資料16
続編④【斜面的原理探求】意拳は現代科学を理論的基礎とする意拳における身体全体の力(勁)の使い方を先人から学ぶ。
古きは、東洋の陰陽思想からニュートンの林檎の落ちる法則まで一貫して共通する事項は、【有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に発生】する。
即ち【最適なつり合い状態】を意味する。
⑤適切に反応する機能
【斜面的利用】
【最適なつり合い状態】から斜面を用いることで敵の力の一部を落空させ、力の向きを偏らせる。
力の方向の変化と歩法、身法の移動(前後左右上下)、重心の昇降を用いて敵の圧力を水平状態から【最適なつり合い状態】により斜面的利用及び螺旋的利用により破壊する。
同時にこれらの変化によって敵に接近して感じる(接触点の感触及び敵の位置)。
敵の力が変化することが難しくなった(緊張硬直した)状態になれば停止ブレーキ時と同様に【最適なつり合い状態】になる好機が発生、即ち、つり合い力及び作用反作用並びに慣性力により再び発力する。
練習中には当然間違いを避けることはできず、力の瞬間的な変化を判断することは難しい。抽象より学び始め、精神は切実であり、有形であれば力は散じ、無形であれば神は集まる。
【用法は形を現さず、【最適なつり合い状態】により用力は純粋な意にある。】
【意】
人間の理知的、情意的な精神機能をつかさどる器官、また、心の働きと【力】(勁)は尖らず、【渾円】(まんまるいこと。かどのないこと。)に定式はない。
感覚統合と密接である。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの五感に加え、固有受容覚(手足の状態や筋肉の伸び縮み、関節の動きを感じる感覚)や前庭覚(身体の動きや傾き、スピードを感じる感覚)も含まれ站樁から始めて、【最適なつり合い状態】による両腕の間架は平らな面積が現れることはない。
両腕の姿勢が千変万化でも、最適なつり合い状態を持って一定の傾斜度を保っており、つまり両腕は永遠に斜面の間架である。
【分野別参考資料】
【メビウスの輪】
この状態は、例えるとメビウスの輪の表裏一体の変換と類似している。
メビウスの輪とは∞(無限)記号の形を表し「無限」というのは「限りが無い」わけですがこの「限りが無い」ということの意味には「変化し続ける」ということと矛盾、陰陽の繰り返しである「輪廻」するという意味が同時に含まれている。
このように千変万化するのは、実戦の需要に適応するためである。
精神は厳かで、力量は活発である。精神と力量は全て「不丟離(フティユ離れず)(=落とす)不頂(フティンぶつからず)(=支える)」であり、「丟であり頂であり」、精神は全面に注意を払い、最適なつり合い状態による力量は平衡を建立しては斜面的利用及び螺旋的利用を持って破壊するのを繰り返す。
【第一の階段】
外力があっても、動作は停まらず変化して、安定した水平状態を固定化せず、力量の平衡(つり合い力及び作用反作用)を斜面的利用及び螺旋的利用を持って何時でも何処でも最適なつり合い状態により、不安定状態と安定状態の転換機能を保持する。
【第二の階段】
自己の平衡を保持して、相手の平衡(つり合い力及び作用反作用)を何時でも何処でも最適なつり合い状態により、不安定状態と安定状態の転換機能から斜面的利用及び螺旋的利用を持って破壊する。
【第三の階段】
相手の平衡(つり合い力及び作用反作用)状態をかき乱している一方で自己の重心は定まり、重心を調整し、歩の平衡(つり合い力及び作用反作用)を掌握して最適なつり合い状態により、斜面的利用及び螺旋的利用を持って破壊し一瞬の機に突然発力する。
推手でも平らな支撑面が現れるべきではなく、両肘は常に横に支え(=撑)縦に包む(=裹)力を保ち、最適なつり合い状態により、斜面的利用及び螺旋的利用を持って平らに持ち上げてはいけない平らに持ち上げると力量がなくなる。
もし持ち上げざるを得ない場合は、思い切って高く持ち上げ、肘関節を上に、手首関節を下にして下向きの最適なつり合い状態により、斜面的利用及び螺旋的利用を持って斜面を作り、【最適なつり合い状態】を持った力学の原則を失わないようにする。
例えると、手を振り上げずに下肢伝導により体幹操作で鞭打をする様な体の使い方である
推手とは、二人で試力を行うことである。相手の圧力を受けながら、自身の力量の平衡(つり合い力及び作用反作用)を保ちつつ、相手の平衡(つり合い力及び作用反作用)の水平、垂直、直角を傾けて破壊する必要がある。互いの力の変化の中で体勢や歩位が絶え間なく移動する状況で、相手の平衡【最適なつり合い状態】により、斜面的利用及び螺旋的利用を持って破壊したり牵制したりできた瞬間が、「発力の機」となる即ち【好機】である。
斜面に作用する圧力はその分力に過ぎず、これは間違いなく腕にかかる負担を相対的に軽減し、実質的に【最適なつり合い状態】による自分の力量を増やして優位に立つことになる。
とにかく、進攻でも防守でも、【最適なつり合い状態】による斜面的利用及び螺旋的利用を持って十分に考慮する必要がある。
【分野別参考資料】
【斜面の原理】
この状態は、例えるとねじ締結体におけるねじ山を斜面と見て、他方を荷物と見立てて斜面を荷物を押して進む場合の【最適なつり合い状態】による力の作用斜面の原理と類似している。
斜面の原理とは(角ねじの場合)では、ねじ締結体(ボルト・ナット)は、リード角の角度で螺旋状にねじ山が切られている状態であることを紹介しいる。
ねじ締結体においては、締付けトルクと軸力の関係は、ボルトまたはナットのどちらかのねじ山を斜面と見て、他方を荷物と見立てて斜面を荷物を押して進む場合の力の作用である。
【斜面上物体の特徴】
斜面上の物体に働く力は、重力と接触力がある。
斜面に置かれた物体では、重力などにより物体が受ける力はそのまま【最適なつり合い状態】により、斜面に作用し、その反作用として、重力は鉛直下向きに働き、斜面が物体を押し上げる垂直抗力と動摩擦力が働いている。
斜面の傾きが大きくなると、斜面に平行な方向の重力の分力が大きくなるため、物体は速く落ちる。
斜面上の物体の運動エネルギーの大きさは、物体の質量に比例し、速さの2乗に比例する。
【リラックスと緊張】
拳術では、接触しない状態でのリラックスと緊張についても【最適なつり合い状態】が関係する。
それは【最適なつり合い状態】による精神的なリラックスと緊張である。
双方、接触しない状態において、こちらの動きが何時でも何処でも【最適なつり合い状態】により、接触して対応できる終始十字原理を備え均整を保ち相手を緊張(防衛反応)させることができるなら、それはこちらが技術的に優れていることの意味である。
自分が何をすべきかを知っていれば、緊張することはなく受動的立場ではなく、【最適なつり合い状態】により、主導権を獲得している。これは唯心論ではない。
具体的に実際には、接触しない状態において、何時でも何処でも【最適なつり合い状態】により、接触対応可能な状態であれば、意拳の中で、相手はすでに完全に受動的立場になっており、つり合い状態及び主導権を奪われ、こちらの終始十字原理を備え均整を保つ指揮下におかれている。
相手は、安定できず次々と受動的立場へ追い込まれ、こちらをどのように攻撃すべきか判断できず、つり合い状態を失い迷走状態となっている。
こちらは相手がどのような問題と矛盾を抱えているかを【最適なつり合い状態】により、知っていて好機を捉えている。
実際には、相手はつり合い状態及び主導権を失い、受動的立場(上下空白状態)に追いやられ、こちらを攻撃する暇もなく、何をするのかを忘れ、完全に精神が錯乱している
地に足が着かず浮き足だつ状態である。
【機会】
機会は、求めてはならない、誰にでも平等であり、【最適なつり合い状態】により、自ら終始十字原理を備え均整を保ち相手の失策の一瞬の隙間をつき、僅かな動き僅かな力をもって獲得するものであり、特別に有利な状況は与えられていない。
最初に明確にしたいのは、初めて接触(ファーストコンタクト)する時、【感覚で相手を知り】未来にも過去にも心配をする問題がなく、接触しない状態から接触する状態においても、【最適なつり合い状態】により、何時でも何処でも接触と邪魔により、終始十字原理を備え均整を保ち瞬時に現在進行形で接触し、相手の特徴を捉え調整中にさせ、受動的立場に誘導し主導権を獲得し或いは、こちらが受動的立場であれば、相手の空白領域に進撃し転換して最適なつり合い状態により、主導権を獲得し、逆に希望的観測による策略方法を使わない。
【策士策におぼれる】ことが、あってはならない、【感覚で相手を知り】【最適なつり合い状態】により、実感で捉える。決して、希望的観測及び博打に値する予想はしない。
相手は歩法を組み合わせてくるので、歩が侵入してくるのを見て、自分自身を撤退しない【最適なつり合い状態】により、迎撃態勢をとり。歩は常に活発にするが、自己の上下前後左右の領域境界線(上方眉、下方臍、左方右方鼻中、前方後方一尺)を越えてはいけない中で相手の緊要位置(相手が防衛反応から調整する位置)最適なつり合い状態により、相手の空白領域へ進撃し不安定にして移動中及び調整中状態をとらせその無備を攻めその不意をつき相手の重心の垂線を踏み【最適なつり合い状態】により、主導権を獲得する。
太極拳では、ここまで覆うと言われるが、実戦で、相手が下に一蹴りすれば、倒れてしまう。
【最適なつり合い状態】により、終始十字原理を備え均整を保ち相手に有利な状況を作らせ主導権をとらせてはならない、相手が安定すれば、こちらから積極的に相手の嫌がる緊要位置へ【最適なつり合い状態】により、方向変換し不安定に追い込み安定の為の調整中(移動中及び準備中)の好機を捉えて一歩(半歩小歩)踏み込んで、上下の昇降起伏移動を通じて前後左右を促進し、重心の垂線を踏み相手の防衛反応により不安定に導き、さらに安定すれば、さらに不安定にして常に【最適なつり合い状態】により、主導権を獲得する。
歩法は活発でなければならず、相手がどのように力を使っているかを【最適なつり合い状態】により、観察し相手の意図を曝露し理解できなければならない。
手で相手の方向を変えるだけでなく、【最適なつり合い状態】から反方向性転移により同時に相手の距離を伸ばし、力を奪う自転と公転に伴う最適なつり合いの原理を用いて、こちらの回転と相手の回転を逆転転換から利用することも重要である。
【反方向性転移】
【攻防一体双推掌】
①相手が来た場合、この時点で二つの相反する力量(つり合い力及び作用反作用)を終始十字原理を備え均整を保ち【最適なつり合い状態】による倫軸梃子運動を使って、斜面的利用及び螺旋的利用により反対方向に転移して相手に譲りながら奪って相手の重心の垂線を踏み【最適なつり合い状態】により、主導権を獲得する。
②この手で相手の二つの部分を分けて、【最適なつり合い状態】により、斜面的利用及び螺旋的利用により、前に推し込む時、私は一方の手を上に、もう一方を下に持っていくことが反対方向に転移して相手に譲りながら奪うことがつり合い力及び作用反作用並びに終始十字原理を備え均整を保ち【最適なつり合い状態】による倫軸梃子運動で可能である。
即ち、相手が下にいて、こちらが上にいるということである。
③これら二つの手も平等な機会である。
【最適なつり合い状態】による斜面的利用及び螺旋的利用により、こちらの手を上に持っていき、彼が積極的に攻撃してきたら、こちらの功夫が相手より高ければ、相手がこちらに向かって来た時、方向を移動して、相手を推し出し、もしこちらの功夫が等しいか、こちらが相手より劣っている場合は、相手の重心を動かす必要があり相手がこちらに向かって来たら、相手をこちらに牽引(つり合い力及び作用反作用)する。
④【最適なつり合い状態】により、こちらに牽引(つり合い力及び作用反作用)することも、あちらに牽引(つり合い力及び作用反作用)することもでき多くの変化が可能であり、これが「形曲力直」である実際にはこちらの場を捨て斜面的利用及び螺旋的利用により、反対方向に転移して相手に譲りながら奪っている。
⑤相手はこちらの力を完全に分断できると思い、その瞬間にこちらが【最適なつり合い状態】により、少し遅く動けば完了である。
⑥これは太極拳とは異なり太極拳では、引進落空、四両抜千斤で相手を完全に引き寄せてから、つり合い力及び作用反作用の実感に伴うリードタイムとタイムラグを持って【最適なつり合い状態】により、発出する。
⑦これでは、【最適なつり合い状態】により、相手を引き寄せた後、こちらが同時同一に肘を使えば、同様に相手を倒すことができ、さらに重傷を負わせることもできる。
【孫子】
【人を致して人に致されず】(なにごとも主導権を取ることが大切で、そうすれば自己が人を動かせる立場になれるが、反対に相手に主導権を握られると相手に振り回されてしまう、ということである)
間髪を入れず、こちらはつり合い力及び作用反作用を用いて、迂回及び包囲の態勢をとりつつ突破の機会をうかがい相手の緊要位置へ接近し、相手を調整中(準備中及び移動中)の翼に進撃し空白状態に追い込み相手の手を【最適なつり合い状態】による斜面的利用及び螺旋的利用により、安定させず、相手が安定すると、こちらは【最適なつり合い状態】により、変化をし重心を的中させる。
そのため、しばしば肘を付ける(=貼)時に、例えば相手がこちらを引き連れようとするなら(=帯)、【最適なつり合い状態】による斜面的利用及び螺旋的利用により、こちらは相手を振り払い、相手が前に倒れた瞬間に、こちらは、崩れ方向に相手を打撃するこの推手は太極拳とは異なる目的は、常に本当の打撃の範囲を離ない為である。
【明鏡止水】
水平的位置移動の欠点から観察して、相手の状態は、全ての情報である。
こちらの状態から相手は、状態を変化させる。こちらの状態が水平であれば、相手も安定して水平であり、瞬間的に鏡に写した相対的状態である。
相手を不安定にさせるには、こちらは、【最適なつり合い状態】により、終始十字原理を備え均整を保ち上下の昇降起伏移動を通じて前後左右を促進し斜面的利用と螺旋的利用を行いその効果の確認は、相手の肩の水平が保てず頭と体が、まるで同時にこちらとは、逆に傾く状態であり、相手の均整を破り重心を的中させる好機を獲得した状態となる。
逆に相手の欺騙行為の場合は反方向性転移における梃子運動から倍力機構及び最適なつり合い状態による実感がないことが確認でき、相手の空白状態の有無を見極めることの判断の基準となる。
【打撃円運動】
拳を習う者は両の手を使って【最適なつり合い状態】による螺旋状の力を帯びる打円(打撃円運動)を学ばねばならず、大円(大円運動)より小円(小円運動)を、小円(小円運動)より無形の小円(小円運動)を、全身の斉動(つり合い力及び作用反作用を伴いそろって【最適なつり合い状態】により、一つになる動き)を学ぶべきである。
この全ての精神意向、全ての力が、拳を習う者が極中(極める中)の効用を求めるべき道なのである。
打円とは、手腕の動作だけでなく、十字原理(つり合い力及び作用反作用)に伴い両の手頭、肩、肘、股、膝、腰、足の全身一致(そろって一つになる)の【最適なつり合い状態】による打円を意味する。
両の手を使って描かれる円環(まるい輪)は正円でなく、斜めでもなく、相手の平衡を破壊する為、【最適なつり合い状態】による全身一致の斜面的利用及び螺旋的利用であり、立円、臥円、斜円、楕円、横円、縦円など相手の力量とは逆の反方向性転移により多様である。
両の手は、直線運動はなく、相手の平衡を破壊する為、【最適なつり合い状態】による全身一致の斜面的利用及び螺旋的利用により発生した傾きに応じて、左右の手の間隙にはつり合い状態(つり合い力及び作用反作用)があり、左右同時同一に片方の手の傾きに相対して同時同一に、反対の片方の手は反対の傾きを持って、片方の手が引き回し相対して同時同一に反対の片方の手が押し回し、メビウスの輪のようにシームレスであり、【最適なつり合い状態】による全身一致の螺旋運動である少なくとも環中(対立や矛盾を超越して、あらゆる現象に対応する絶対境地)の意味合いがある。
「出入は螺旋、腰は車輪の如く、脚は鉆(ドリル)の如し」は、【最適なつり合い状態】による全身一致の螺旋運動であり全身何処でも、斜面を帯びている精神意向を表している。
強調すべきは、これらはすべて「ただ神意の足るを求め、形骸に似るを求めず」(形ではなく【最適なつり合い状態】による矛盾の力とその内容である。)という点だ。
その環中(対立や矛盾を超越して、あらゆる現象に対応する絶対境地)の精神意向は意念に宿り、【最適なつり合い状態】による極限まで時間と距離を短縮した状態では、外形にあらわれるとは限らない。
外形だけで円を描けば、矛盾の力は使えない、その軌跡には終始【最適なつり合い状態】による矛盾の状態及び体の使い方があり、形を真似、技を真似ることは本意ではない。
【力は重力と接触力】 この二つが物体に【最適なつり合い状態】により、働く力である。
【重力】
地球と地球上の物体の間で【最適なつり合い状態】により、働く力である。
例えば、重りに働く力、床の上で机を動かす、丘に車を押し上げる、ボールを蹴るなど重力は物体の質量に重力加速度をかけて求めることができる。
【接触力】
物体が接触しているものから受ける力。
接触面と垂直に働き、接触面と平行方向には摩擦力が働いている。
この他につり合い力、作用反作用、慣性力、応力、軸力、弾性力等の重力以外の力を指し全て【最適なつり合い状態】である。
【釣り合う】
均衡すること調和。
複数の事物が互いに同程度で、適切に対応し、調和するという意味で、「釣り合い」は2つ以上のものの間で、その大きさ、重さなどが互いに同程度であり、物理学においては、1つの物体にはたらく力に注目するのが「力のつり合い」で、2つの物体にはたらく力の関係を表すのが「作用・反作用」である。
計りに例えると矛盾計(バランスメーター)
【最適なつり合いを持った互いに争い打ち消し合う力【±0】】と表現が適切かもしれない。
【つり合い力】
静止状態である1つの物体に着目してその物体に【最適なつり合い状態】により、働く力である。
例えると重力とバネ秤による弾性力、ヘリコプターのホバリングなど静止している状態である。つり合い力で物体の重心となるつり合い点【0】が中心点と判明する。
人間では、重力とのつり合い点が人体の中心点(一次元的)である。
【作用・反作用】
物体の静止及び運動状態に関係なく2つの物体に着目して【最適なつり合い状態】により、その物体間が接触し作用点となり及ぼし合う力である。作用反作用では、例えると地面上に物体が設置されていれば、設置箇所が【重力と抗力】(上下の力)の作用点(二次元的)となる人間立姿では、足裏である。
【意拳への適用】
人体の中心は、つり合い力によるつり合い点及び作用反作用による作用点が一致した状態、即ち足裏から頭頂までの上下の点(一次元的)ではない線状領域(二次元的から十字原理及び六面力を含む三次元的へ)を中心感覚【一中】として体得する。即ち【最適なつり合い状態】により、静止しても運動してもこれは、変わらない。
【感覚統合】
感覚統合とは、脳が全身の器官から受け取るさまざまな感覚情報を整理し、【適切な反応をする機能】である。
王薌齋先生は「松緊の枢紐は上下にある」と述べています。具体的な練習法は、站樁の際、後頸部(耳下あたり)に一本のばねが前脚先の下に斜めに続いていると想像し、頂心が上を指すように意識します。同時に、頸部をわずかに後ろに引きます。この勁を感じ取った後、さらに頂心から後足の裏までばねが続いていると想像し、頂心が上を指し、後足が下へ蹴り出すようにします。これらはすべて【最適なつり合い状態】により、意の中で求めるものです。動作中の練習法としては、摩擦歩の練習時に、前足の先が地面につく際、頭が上後方に引っ張られ、足先と一争を生じさせるようにします。前進と後退の両方でこれを行います。力を掌握したら、さらに足先が地面につく際に、心頂と後足の間に争力を生じさせ、一争したら止めるようにします。その後は、任意の歩行の中で、これを探求できます。これが意拳発力の最も基本的な練習法であり、「消息は全て後足の踏み切りに頼る」が表すところです。
人の重心はいつも同じ位置にあるとは限らない地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける上下のつり合い箇所により身体の外に出ることもある為、
終始十字原理を備え均整を保ち重心領域限界(上方眉、下方臍、左方右方鼻中、前方後方一尺)を超えない体幹操作練習が必須である。重心とは、質量中心であり、重力と抗力が働いている「重心は上下のつり合い点だ」即ち人の立姿の中心は地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける足裏土踏まずから頭頂までの全てが上下のつり合い領域一体が点であり線である。この【最適なつり合い状態】を【中】と呼ぶ。
【一中】
頭頂(頭のてっぺん)と両足(土踏まず)の中心点を指し、この領域は線でもあり、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ちながら(シームレス)軽霊(軽く活発)であることが鍵である。
【定中力】
搭手(手合わせ)の際に、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ち、重心と接触力を内部で変換される不定の力を用いて、相手を牽制し、相手の安定を不安定にして終始調整中(空白状態)にさせ、もちろんこちらは、シームレス状態で、相手の進退を難しくさせる境地を指している。
故に、この様な終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保つシームレス状態を【定中力】と名付けられている。
【中】
単純な硬直した板(機械)ではなく、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ち両腿の中線にある重心はつり合い力及び作用反作用によりバネの様に弾性力を持ち十字原理を備えた起伏上下前後左右への昇降や転移が可能である。
【守中】
動作中に、常に十字原理を備え自身の均整【最適なつり合い状態】をシームレス状態で保持することを指して、終始相手を調整中(空白状態)に誘導する。
【用中】
相手の力が均整を失ったり、上下のつり合い力及び作用反作用がない空白状態により、不安定から安定に再起する調整中(空白状態)により滞って霊(効果的)でなくなった時、或いはその力が前や後ろにある時、作用反作用により、相手の重心を的中した状態で、自身の十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】な力で相手を撃つ、これを【用中】という。
【守中】と【用中】は状況に応じて常に十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ちシームレス状態で転換される【定中状態】にある。
即ち、【矛】(用中)の状態にある時も【盾】(守中)の状態でもあり【盾】(守中)の状態にある時も【矛】(用中)の状態でもあり【矛】(用中)と【盾】(守中)の終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保つシームレス状態である。
何時でも何処でも接触しても空白時間と距離を極限まで短縮する。この様に【定中状態】が解除されない練習が必要不可欠である。
【重心体得感覚】
頂心(頭のてっぺん中心)が上を指し、後足(土踏まず中心)が下へ蹴り出すように上(抗力)下(重力)のつり合いによる【上下の力】及び大腿部を利用した梃子運動からの作用反作用を【一中】感覚として体得できれば、軽快に臨機応変に動けるようになり、緊張硬直した力は転換されリラックス状態【上虚下実】【最適なつり合い状態】となり、まるで体が地面に吸い込まれるように足裏が地面に張り付き、根を生やしたような感覚で立つ足裏は吸盤のように地面に張り付つき歩法では、股関節を融通かつ柔軟に使いながら吸盤をゆっくり剥がしたり、くっ付けたりする感覚でありスポーツ運動による飛んだり、跳ねたりの軽さではなく、地に足が着き、体は軽い俗に言う【軽霊】を体得できる。
全ての力量は、リラックスと緊張、意識と無意識、交感神経と副交感神経、原始系と識別系、重力と抗力、接触力における反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合との合力のと効果は、【最適なつり合い状態】を持った互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと即ち【±0】この中間作用を利用しそれに反応する全ての機能は【一枝が動けば百枝が動く】例えの如く、動かないところはない状態、同時同一の一体【オール1】となる。
【最大効果向上練習】
站樁が根本中の根本である。站樁の練習において、姿勢と意念の要求を次第に高めていき、試力、推手、発力の練習を通して、自身の力量の弱さ、反応の鈍さ、空白の部分に気づけば、再び站樁の中で意念による誘導を通じて、内力を探求、強化する。静から動へ、動から静へと絶え間なく行きつ戻りつしながら、【最適なつり合い状態】により、相互に参照し合う練習を重ねていけば、境地は無限に広がっていく。
★最も重要なことは、技の使い方は習得にすぎず技をいくら頭で要領を覚えても咄嗟に使えず身につかず応用が効かないことを理解しているか?
身につけるには【最適なつり合い状態】による身体全体の力(勁)の使い方を求め体全体が覚えて【体得】をすることである。
基礎練習となる【最適なつり合い状態】による下肢伝導と十字原理のプロセスを無視した者には、体得することは不可能である。
日本意拳協会参考資料17
【継続は力なり】
過去に師から教わったことは、今は解らなくても後で解る。チャンスは必ず来ると教えられました。
地道な継続と誠実な行動、そして本物の関係性を築くことから始まりる。
その1
天才凡人関係なく続けた人が勝つ
「自分には才能がない」と諦めてはいけない。実は、継続する力こそが最大の才能である。
その2
一日一日の小さな積み重ねは、いずれ大きな差となって現れる。
誰にでも停滞期はあるが、そこで踏ん張り成功するまでやめない、諦めない限り、可能性は残り続ける。
その3
成功した人には「諦めなかった」という共通点があり、うまくいかない時は方法を変えるが、目標は変えない。その粘り強さを持つ人こそが、最後に大きな差となって現れ最後に望む場所にたどり着けるチャンスがある。
その4
言い訳をした分だけチャンスは遠ざかる
「でも環境が...」「だってタイミングが...」という言葉を口にする時間があれば、その分を行動に向けることができる。
その5
言い訳は一時的な心の安定をもたらし、現実を変える力にはならない。今の状況で何ができるのか、それを考えることがチャンスへの一歩となる。
日本意拳協会参考資料18
続編⑤【間架探求】意拳は現代科学を理論的基礎とする意拳における身体全体の力(勁)の使い方を先人から学ぶ。
古きは、東洋の陰陽思想からニュートンの林檎の落ちる法則まで一貫して共通する事項は、【有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に発生】する。
即ち【最適なつり合い状態】を意味する。
⑩適切に反応する機能
【間架】
間架とは、二人が対峙し立っている場合、経験が浅く基本的姿勢を体得していない状態で一度出拳すると、自然に動きや傾き方を正面と奥行きの十字原理からつり合い力及び作用反作用により、【最適なつり合い状態】を捉えてバランス良く組み合わせその姿勢になり、なぜか斜めになる。
それは間架と呼ぶ感覚統合と密接に視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの五感に加え、固有受容覚(手足の状態や筋肉の伸び縮み、関節の動きを感じる感覚)や前庭覚(身体の動きや傾き、スピードを感じる感覚)も含まれ動きや傾き方を正面と奥行きの十字原理から【最適なつり合い状態】を捉えバランス良く【最適なつり合い状態】を持って調整している。
例えば、相手がこちらの頭部に向けて猛烈な一拳を打とうとする場合、意拳は単なる受動的立場の消極的防御ではなく、積極的同時に拳を出し迎撃を行い自然に動きや傾き方を正面と奥行きの十字原理から【最適なつり 合い状態】を捉えバランス良く組み合わせた【最適なつり合い状態】を持った攻守を組み合わせ主導的立場を捉え、単なる拳や蹴りを出して引く様な直行直帰の技術ではなく、出すも引くもその間に必ず【最適なつり合い状態】を発揮できる技術が意拳の特徴である。即ち【最適なつり合い状態】により相手を倒すのである。
「面」の問題に触れると、意拳の站樁、試力、応用はすべて斜面の間架を保つ。外力が斜面に作用すれば、その強度は自然と減少し、一部の分力しか作用しない。
正面から人に発するとは、自然に動きや傾き方を正面と奥行きの十字原理から【最適なつり合い状態】を捉えバランス良く組み合わせ【最適なつり合い状態】を持って、相手の力量をわずかに斜めに偏らせ、その力がまだ残っている間に、その身体の後ろ斜め上(もしくは下)に力を発することである。
これは双方が接触した後に発力する方法の一つで、双方の力が合成される角度の大小は、その時の自然に動きや傾き方を正面と奥行きの十字原理を【最適なつり合い状態】を捉えバランス良く組み合わせた【最適なつり合い状態】による。
相手の重心を【最適なつり合い状態】を捉え自分の腕の上に乗せ、突然方向を変換して発力することで、相手を放り出すことができる。
相手が一拳を打つと、同時に拳を出しそれを捻れば、相手の方向をずらせ滑らせ相手の手を安定させない
相手が安定すると、自然に動きや傾き方を正面と奥行きの十字原理から【最適なつり合い状態】を捉えバランス良く組み合わせた最適なつり合い状態を持って、こちらは変化し受動的立場から主導的立場へ転換し好機を伺う。
重要なのは、【好機】【重心的中】打撃の機会である。
この状況から前庭覚(身体の動きや傾き、スピードを感じる感覚)で、自己が相手を攻撃するなら、動きや傾き方を正面と奥行きの十字原理から【最適なつり合い状態】を捉えバランス良く組み合わせて【最適なつり合い状態】を持って最も鋭い方向を捻り受動的立場から主導的立場へ転換できるこれが間架である。
【形不破体】
攻防練習の進退反側の中で、最初から最後まで自身の間架を保ちかつ、【最適なつり合い状態】を捉え均整のとれた予備動作の状態を維持し、形に固執すれば本来の力を発揮できない為、状況に応じて発力でき、一気に敵を撃破できるようにすることだ。
【孫子曰く】
「善く戦う者は、人に致して人に致されず」
「善戦者、致人而不致於人」
致すという言葉を「自分の思うように動かす」と理解すればよい。「人に致す」とは、他人を自分の思うように動かす、誘導する、ということである。だから、「人に致される」とは、他人の思うように自分が動かされてしまうこと、となる。
【第一の階段】
外力があっても、動作は停まらず変化して、力量の平衡(十字原理を伴うつり合い力及び作用反作用)【最適なつり合い状態】を保持する。
【第二の階段】
自己の平衡(十字原理を伴うつり合い力及び作用反作用)【最適なつり合い状態】を保持して、斜面的利用及び螺旋的利用により相手の平衡(十字原理を伴うつり合い力及び作用反作用)【最適なつり合い状態】を破壊する。
【第三の階段】
相手の斜面的利用及び螺旋的利用により、平衡状態(十字原理を伴うつり合い力及び作用反作用)【最適なつり合い状態】を攪乱している一方で自己の重心は定まり、重心をつり合い状態により調整し、歩の平衡(十字原理を伴うつり合い力及び作用反作用)【最適なつり合い状態】を掌握して一瞬の機に突然発力する。
【平衡の管理的要因】
①自己の平衡を変化
(つり合い状態を変化)
②自己の平衡を保持
(つり合い状態を保持)
③相手の平衡を破壊
(つり合い状態を破壊)
④相手の平衡を攪乱
(つり合い状態を攪乱)
⑤相手の平衡を掌握
(つり合い状態を掌握)
【代表的要因】
①【斜面的利用】
斜面を用いることで敵の力の一部を落空させ、力の向きを偏らせ斜面の傾きが大きくなると、斜面に平行な方向の重力の分力が大きくなるため、物体は速く落ちる。
★【最適なつり合い状態】を体得した者のみが力の向きを偏らせる機会を獲得できる
②【鈍角三角形強度】
全員が同じ向きに力を合わせていると、その合力は最大になり、その力に直角方向の力が加わったときには、なす術もない。
三角形は、斜めに働き合う力が存在すると、想定外からの向きの力に対し安定した【最適なつり合い状態】が発揮でき、あらゆる向きの力が働き合っている為、全体的には突発的想定外の外力にも強度を発揮する。
③【螺旋的利用】
螺旋の利用は【最適なつり合い状態】により、多くの力気を節約し、同時に多くの力気を増加させることは理解に難くない。この状態は、足裏が力点となり体幹部が回転し支点から影響を受ける作用点は、大きく回される。
④【十字原理】
相手が軽く押したり、打ったりすると想像すると、迎撃の意念が動き、身体は緊張状態となり、力は相手から来る力の接触部位から外へと発出される。
押してくる力が常に変化すると想像し、それが上、下、前、後、左、右であったりすると、力は【最適なつり合い状態】により、一つの中心から異なる方向へと放出される。
それには、十字原理による渾円力と争力を体得しなければならない。生じる力は「身は弓弩、拳は弾のようである」の拳術の力となり、弓背の上下の圧縮から伸展へ、矢を前方に射出する。
この種の要因は、【矛】の状態でも或いは【盾】の状態でも単一的ではなく、【最適なつり合い状態】による相互作用により同時同一の状態で働いて【矛】と【盾】の転換時も終始不断がないこの矛盾の状態は、シームレスである受動的立場から主導的立場へ転換できるこれが間架である。
【分野別参考資料】
【間架】
柱,梁,椽(垂木),(棟木)などの部材を正面の柱間の数を間(けん),奥行きの梁組み構架の数を架(か)で ( 「間」は梁(はり)と梁の間、「架」は桁(けた)と桁の間 ) 家屋の構造を間隔や組み合わせ方を考えて、【最適なつり合い状態】により、バランス良く造形する方法で、いくつも繰り返すという原則の上に成立しており,きわめて整合性に富む。
【力は重力と接触力】 この二つが物体に【最適なつり合い状態】により、働く力である。
【重力】
地球と地球上の物体の間で【最適なつり合い状態】により、働く力である。
例えば、重りに働く力、床の上で机を動かす、丘に車を押し上げる、ボールを蹴るなど重力は物体の質量に重力加速度をかけて求めることができる。
【接触力】
物体が接触しているものから受ける力。
接触面と垂直に働き、接触面と平行方向には摩擦力が働いている。
この他につり合い力、作用反作用、慣性力、応力、軸力、弾性力等の重力以外の力を指し全て【最適なつり合い状態】である。
【釣り合う】
均衡すること調和。
複数の事物が互いに同程度で、適切に対応し、調和するという意味で、「釣り合い」は2つ以上のものの間で、その大きさ、重さなどが互いに同程度であり、物理学においては、1つの物体にはたらく力に注目するのが「力のつり合い」で、2つの物体にはたらく力の関係を表すのが「作用・反作用」である。
計りに例えると矛盾計(バランスメーター)
【最適なつり合いを持った互いに争い打ち消し合う力【±0】】と表現が適切かもしれない。
【つり合い力】
静止状態である1つの物体に着目してその物体に【最適なつり合い状態】により、働く力である。
例えると重力とバネ秤による弾性力、ヘリコプターのホバリングなど静止している状態である。つり合い力で物体の重心となるつり合い点【0】が中心点と判明する。
人間では、重力とのつり合い点が人体の中心点(一次元的)である。
【作用・反作用】
物体の静止及び運動状態に関係なく2つの物体に着目して【最適なつり合い状態】により、その物体間が接触し作用点となり及ぼし合う力である。作用反作用では、例えると地面上に物体が設置されていれば、設置箇所が【重力と抗力】(上下の力)の作用点(二次元的)となる人間立姿では、足裏である。
【意拳への適用】
人体の中心は、つり合い力によるつり合い点及び作用反作用による作用点が一致した状態、即ち足裏から頭頂までの上下の点(一次元的)ではない線状領域(二次元的から十字原理及び六面力を含む三次元的へ)を中心感覚【一中】として体得する。即ち【最適なつり合い状態】により、静止しても運動してもこれは、変わらない。
【感覚統合】
感覚統合とは、脳が全身の器官から受け取るさまざまな感覚情報を整理し、【適切な反応をする機能】である。
王薌齋先生は「松緊の枢紐は上下にある」と述べています。具体的な練習法は、站樁の際、後頸部(耳下あたり)に一本のばねが前脚先の下に斜めに続いていると想像し、頂心が上を指すように意識します。同時に、頸部をわずかに後ろに引きます。この勁を感じ取った後、さらに頂心から後足の裏までばねが続いていると想像し、頂心が上を指し、後足が下へ蹴り出すようにします。これらはすべて【最適なつり合い状態】により、意の中で求めるものです。動作中の練習法としては、摩擦歩の練習時に、前足の先が地面につく際、頭が上後方に引っ張られ、足先と一争を生じさせるようにします。前進と後退の両方でこれを行います。力を掌握したら、さらに足先が地面につく際に、心頂と後足の間に争力を生じさせ、一争したら止めるようにします。その後は、任意の歩行の中で、これを探求できます。これが意拳発力の最も基本的な練習法であり、「消息は全て後足の踏み切りに頼る」が表すところです。
人の重心はいつも同じ位置にあるとは限らない地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける上下のつり合い箇所により身体の外に出ることもある為、
終始十字原理を備え均整を保ち重心領域限界(上方眉、下方臍、左方右方鼻中、前方後方一尺)を超えない体幹操作練習が必須である。重心とは、質量中心であり、重力と抗力が働いている「重心は上下のつり合い点だ」即ち人の立姿の中心は地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける足裏土踏まずから頭頂までの全てが上下のつり合い領域一体が点であり線である。この【最適なつり合い状態】を【中】と呼ぶ。
【一中】
頭頂(頭のてっぺん)と両足(土踏まず)の中心点を指し、この領域は線でもあり、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ちながら(シームレス)軽霊(軽く活発)であることが鍵である。
【定中力】
搭手(手合わせ)の際に、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ち、重心と接触力を内部で変換される不定の力を用いて、相手を牽制し、相手の安定を不安定にして終始調整中(空白状態)にさせ、もちろんこちらは、シームレス状態で、相手の進退を難しくさせる境地を指している。
故に、この様な終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保つシームレス状態を【定中力】と名付けられている。
【中】
単純な硬直した板(機械)ではなく、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ち両腿の中線にある重心はつり合い力及び作用反作用によりバネの様に弾性力を持ち十字原理を備えた起伏上下前後左右への昇降や転移が可能である。
【守中】
動作中に、常に十字原理を備え自身の均整【最適なつり合い状態】をシームレス状態で保持することを指して、終始相手を調整中(空白状態)に誘導する。
【用中】
相手の力が均整を失ったり、上下のつり合い力及び作用反作用がない空白状態により、不安定から安定に再起する調整中(空白状態)により滞って霊(効果的)でなくなった時、或いはその力が前や後ろにある時、作用反作用により、相手の重心を的中した状態で、自身の十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】な力で相手を撃つ、これを【用中】という。
【守中】と【用中】は状況に応じて常に十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ちシームレス状態で転換される【定中状態】にある。
即ち、【矛】(用中)の状態にある時も【盾】(用中)の状態でもあり【盾】(守中)の状態にある時も【矛】(用中)の状態でもあり【矛】(用中)と【盾】(守中)の終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保つシームレス状態である。
何時でも何処でも接触しても空白時間と距離を極限まで短縮する。この様に【定中状態】が解除されない練習が必要不可欠である。
【重心体得感覚】
頂心(頭のてっぺん中心)が上を指し、後足(土踏まず中心)が下へ蹴り出すように上(抗力)下(重力)のつり合いによる【上下の力】及び大腿部を利用した梃子運動からの作用反作用を【一中】感覚として体得できれば、軽快に臨機応変に動けるようになり、緊張硬直した力は転換されリラックス状態【上虚下実】【最適なつり合い状態】となり、まるで体が地面に吸い込まれるように足裏が地面に張り付き、根を生やしたような感覚で立つ足裏は吸盤のように地面に張り付つき歩法では、股関節を融通かつ柔軟に使いながら吸盤をゆっくり剥がしたり、くっ付けたりする感覚でありスポーツ運動による飛んだり、跳ねたりの軽さではなく、地に足が着き、体は軽い俗に言う【軽霊】を体得できる。
全ての力量は、リラックスと緊張、意識と無意識、交感神経と副交感神経、原始系と識別系、重力と抗力、接触力における反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合との合力のと効果は、【最適なつり合い状態】を持った互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと即ち【±0】この中間作用を利用しそれに反応する全ての機能は【一枝が動けば百枝が動く】例えの如く、動かないところはない状態、同時同一の一体【オール1】となる。
【最大効果向上練習】
站樁が根本中の根本である。站樁の練習において、姿勢と意念の要求を次第に高めていき、試力、推手、発力の練習を通して、自身の力量の弱さ、反応の鈍さ、空白の部分に気づけば、再び站樁の中で意念による誘導を通じて、内力を探求、強化する。静から動へ、動から静へと絶え間なく行きつ戻りつしながら、【最適なつり合い状態】により、相互に参照し合う練習を重ねていけば、境地は無限に広がっていく。
★最も重要なことは、技の使い方は習得にすぎず技をいくら頭で要領を覚えても咄嗟に使えなず身につかず応用が効かないことを理解しているか?
身につけるには【最適なつり合い状態】による身体全体の力(勁)の使い方を求め体全体が覚えて【体得】をすることである。
基礎練習となる【最適なつり合い状態】による下肢伝導と十字原理のプロセスを無視した者には、体得することは不可能である。
日本意拳協会参考資料19
続編⑥【リラックス転換探求】意拳は現代科学を理論的基礎とする意拳における身体全体の力(勁)の使い方を先人から学ぶ。
古きは、東洋の陰陽思想からニュートンの林檎の落ちる法則まで一貫して共通する事項は、【有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に発生】する。
即ち【最適なつり合い状態】を意味する。
⑯適切に反応する機能
【リラックス転換】
真のリラックスは【最適なつり合い状態】により、力加減が適切で、過不足なく同期して働き、王薌齋先生はこれを「均衡」と呼んだ。
「剛柔相済」は皮膚と筋肉のリラックスと緊張の転換でも、動態中の力の大小の変化でもなく、リラックスの中に緊張があり(骨格と関節の支撑力を失わない)、緊張の中にリラックスがある【最適なつり合い状態】による感覚統合の【固有受容覚】(肌肉の弾力性と感受性を失わない)ことであり
その状態は、リラックスは常時長く、緊張は瞬間瞬時短く、何時でも転換が可能な状態へ練度を高める。
リラックスと緊張は【最適なつり合い状態】を持って反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合による合力の効果である。
このようにしてこそ【最適なつり合い状態】による渾圓一体であり、陰陽の区別が難しい整体、つまり「矛盾統一」の状態なのである。
リラックスは皮膚と筋肉の働きの状態を指し、緊張は関節の働きの状態を指すこれらは【最適なつり合い状態】による感覚統合の【固有受容覚】(手足の状態や筋肉の伸び縮み、骨格と関節の動きを感じる感覚)である。決してリラックスと緊張をある一つのものの相互変化と見なしてはならない。
【分野別参考資料】
【リラクセーション】
リラクセーションとは、「広辞苑」によると、「心身の緊張をときほぐすこと、リラックスすること」とされている。医学的には「ストレス反応として交感神経が興奮するのに対し、副交感神経の働きを優位にすること」と捉えることが多く、そのような状態をもたらす方法を指します。(「交感神経」=活動しているときに働く神経、「副交感神経」=休んでいるときに働く神経と考えていただくと良い。)リラクセーションの種類として、マッサージやストレッチ、楽な体位、呼吸介助法などの指導等がある。力の入っていない筋肉は滑らかに動いてしまうので、筋肉を固く収縮させて、関節が動かないようにしてしまう。
【阻力感】とは身体の周り【争力】を【最適なつり合い状態】により、感覚統合として捉えたことになる。
次に、意拳の特徴と鍛錬方法について話すと意拳の鍛錬方法は主に大きく二つに分類できる。
一つは健身、もう一つは王先生がかつて「自衛」と呼んでいたもので、古代では技撃と呼ばれ、現代では散打と呼ばれている。
意拳には決まった套路の練習はなく、招法(定めた技法)に重点を置いていない。
招法(定めた技法)は戦いの際のあらゆる方法である。
意拳には方法がないわけではないが、特定の鍛錬方法を総括しているだけで、特定の招法(定めた技法)によって特定の招法(定めた技法)を破るということを重視していない。
我々は、二人が戦いで自己の能力を発揮する際、思考する時間はなく、【最適なつり合い状態】により、完全に自己の反応と力量、速度に依存すると考えている。
このような考え方から、招法(定めた技法)を重視せず、技撃面でも健身面でも、最も基本的な鍛錬法を站樁としている。
一般的に、保健(健康)のための站樁は健身樁と呼ばれている。
技撃面での站樁は技撃樁と呼ばれ、技は技術の技、撃は打撃の撃である。古代では渾円樁と呼ばれていた。
健身では、静止した状態で特定の姿勢を取り、不動の状態で鍛錬する。もちろん、站式に加えて、坐式、臥式があり、歩き(=行走)ながら鍛錬することも含まれている。
【健身樁】
訓練を始める際に3つの基本原則がある。
第一の要求
【精神集中】
第二の要求
【周身放松】
第三の要求
【呼吸自然】
【第一の要求】
精神集中とは、鍛錬を始めてすぐに何も想わない状態になることではない。
求められるのは、精神が比較的に安静であることである。
つまり、相対的に静であれば十分である。
頭の中で乱雑なことを考えないようにすることが大切で、特に考えてはいけないのは不愉快なこと、いらいらするようなこと、ささいなことなどである。
これらのことを考えないようにする一方で、站樁中の精神集中について考える必要がある。
意拳では意念活動が求められる。
これは、他の雑念を払いのけるために、主導的に想うことである。
これが意念活動の第一の目的である。
第二に、意念を通じて、ある種の境地を想像し、自分自身をその想像の状態に導くことで、精神的に伸び伸びとしてし、放松(リラックス)ができる。したがって、精神集中ではまず精神的に放松(リラックス)することが求められる。
例えば、站樁を始めるときには、まず適切な姿勢を取り、最初にここで練功をしていて、練功によって希望的観測及び迷信的思想は一切排除し、病気を治したり、体を鍛えたりできるといったことを考えないようにする。
空き地で站樁を行う場合も、室内で行う場合も窓を開けて新鮮な空気を取り入れる。
外を見ながら、站樁をしているとは考えず、ここに立って休息しているという心持ちでいることが大切である。自分の気持ちが少し静まったら、鍛錬を始める。この時、姿勢を正しく整え、意念を使って始める。
まずは頭の中で想像することから始め、自分が地面に立っていないと想像し、練習の際には目を閉じるのが最善である。自分がプールにいるか、浴槽にいるかのように想像し、自分の体温とほぼ同じ温度の水中に横たわっていると想像する。
この時、顔は水の外にあり、この水は完全に静止していませんが、わずかに波が動いていると想像し、水の中で浮遊する感覚を持ち、水の動きに合わせて、【最適なつり合い状態】により、自分もわずかに上下する。
水の中にいるか、風の中にいるか、シャワーヘッドの下に立っているように想像するのではなく、水滴が非常に細かく、霧のように小さく、頭や身体の皮膚を滑り落ちるように想像し、全身にのびのびとした感覚を感じることである。
できるだけ周身を放松(リラックス)させる。
これが要求する目的であり、このような仮借を用いて、まるで体の外に非常に柔らかい力量が自分を推し動かし、放松(リラックス)させるように誘導する。
また、この意念を用いて、地面に立って練功を始める時、自分が春の暖かい花が咲く時期にいると想像し、春風がそよぐ中、自分は鳥の声を聞き、花の香りを嗅ぐことができるかのように感じる。
さらに、非常に軽い風が全身に吹き、自分の髪の毛が風によって浮かび上がったり(=浮蕩)揺れたりする(=蕩)【最適なつり合い状態による感覚】を想像する。
さらに進んで、この微風が全身に吹き付け、全身の毛が立ち上がったり伏せたりする【最適なつり合い状態】による感覚を持ち、これにより、皮膚も松(リラックス)とする必要があり、松(リラックス)でなければ、微風を感じることができない。 これらはすべて、ある種の想像の境界を通じて、自分の身体、精神、肢体が【最適なつり合い状態】により、相対的に松(リラックス)とするように誘導するもので、これが意念の役割の一面である。また、意念を通じて、自分の筋肉や肢体をより重点的に鍛えることもできる。
例えば、站樁を始めた後、両手で球を抱えていると想像する。
この球は紙であっても良いし、非常に薄いプラスチックのフィルム製であっても可能であり、両手でそれを軽く抱き、周囲には軽い風が吹いていると想像する。もし、この球を抱える意志がなければ、球は風に吹き飛ばされ
る。もし、飛ばされないようにしたいなら、手でそれを抱く必要がある。しかし、少し力を加えると、その球は破裂したり、潰れたりするかもしれない。
それを飛ばさず、また潰さないようにするために、意念を用い、実際には、爆発するか爆発しないかの【最適なつり合い状態】による間で行う。
一定の期間、鍛錬を積めば、意念を学ぶことによって、このような【最適なつり合い状態】による球の感覚を感じ取ることができるようになり、筋肉内での膨張感や熱感を感じることができる。中には、自分の体の血液が手先に向かって突き進むような感覚を覚える人もいる。
これは、初歩の段階で到達する感覚である。しかし、最初から一つの意念を使い続けることを要求しているのではなく、意念を使い始めた後、体に何か感覚があれば良く、それは、2、3分でも十分であり、もしそのような感覚がなく、1、2分間想像した後でも、感じない場合はそれ以上想像する必要はない、その時は、自分の体に違和感がないか注意する。
例えば、肩が痛くなったり、足が痛くなったりするかもしれない、もし肩がだるくなるような感じがしたら、手を少し下げてみることができ、それでも合わなければ、さらに下げてみて、それで楽になるまで【最適なつり合い状態】を調整する。
足は【最適なつり合い状態】による曲を要求し、全身も僅かに曲とし、もし脚、特に下脚が張るような感じがするなら、姿勢を少し高くすることができ、もし高くした後にあまりにも軽すぎる感じがするなら、自分で少し下げることもできる。
体の感覚にも注意する必要がある。
一般的に初心者は、体がだるくなったり、しびれたり、時には軽い痛みがあったり、熱く膨張する感じがしたりするかもしれない。
神経衰弱の人は、あくびをしたり、涙を流したりすることもあり、これは長期間続くものではなく、数日で反応はなくなり、涙を流した後は、目が非常にすっきりするように感じる。
また、過去に重傷を負ったり、大きな手術を受けたりした人、または既に病気を抱えている人は、站樁を行った後、異なる反応を示すことがあり、その部分が不快に感じることがあり、鍛錬中にだるさや痛み、時にはめまいを感じることがある。過去に傷ついた場所の筋肉は微細な震えを起こすことがあるが、恐れることはない、しばらく耐えてみると、その感覚が消えることがある。
一方で、しばらく耐えても感覚が強くなる場合、その時は休んだり、少し歩いたり、散歩したりすることが可能である。 もし站樁の時間が短ければ、更に一回、二回と試すことが可能である。
意念はある種の方法であり、求められる【最適なつり合い状態】により、目的に到達できれば、止めることが可能である。一定期間何も感じなくなれば、つまり、風が自分を吹いたり、水が身体を浮かべたりして、軽く伸び伸びした感じがなくなれば、再び用いることができる。これが最初の要求である精神集中と意念である。
【第二の要求】
周身をできるだけ放松(リラックス)させることである。
我々は姿勢をとって立っているため、仮に座っていても、絶対的な松(リラックス)は不可能である。
立っている上で姿勢を加えると、周囲の筋肉は【最適なつり合い状態】による張力運動を行っている。さもなければ、立っていることも、座っていることもできない、しばらく病気を抱えていた患者も、座ることができないことがある。
これは、座っている時も体の一部に力を使い、筋肉が緊張していることを意味する。
したがって、周身の放松(リラックス)も【最適なつり合い状態】による相対的なものである。
単純に言えば、その姿勢を維持するのに【最適なつり合い状態】によるちょうど十分な力だけを使えばよい。
意拳の站樁功での要求は、「松(リラックス)であっても懈(脱力)であってはならない」
ここでの懈は懈怠(怠ける)の意味である。
放松(リラックス)は必要ですが、あまりにも柔になりすぎてはいけない、【最適なつり合い状態】による最小限の体力の消耗でその姿勢を保持することが要求される。
松(リラックス)もまた【最適なつり合い状態】による相対的なものですが、ここでは身体の松(リラックス)を強調している。站樁の訓練中、自分の肢体が緊(緊張)となっているに気づいたら、注意する必要がある。
もし心臓が速く鼓動している場合、または体を使いすぎている場合は、頭の中で緊張することを考えていないか注意する。
緊張することを考えると、筋肉も緊となり、心臓の鼓動も速くなる。また、力を使いすぎると同様の状況が発生することもある。
心臓が速く鼓動しているのが、力を使いすぎているためなら、力を少なくする。もし頭の中で緊張することや不快なことを考えている場合は、それを考えないようにする。この松(リラックス)も【最適なつり合い状態】による相対的なものである。
【第三の要求】 呼吸を自然にすることである。これは、練習中に自然な呼吸を求めるということで、普段から呼吸しているように、練習中も同じように呼吸することを意味する。
過度に作為的にする必要はなく、気を持ち上げたり、沈めたりする必要もなく、ただ自然を保つことである。王薌齋先生は、人は生まれながらにして呼吸を知っており、作為的な呼吸や腹式呼吸、気沈丹田などを追求する必要は全くないと述べている。
例として、特に睡眠中の赤子がどのように呼吸するかを挙げている。赤子は寝ているときに腹部が均等に上下する呼吸をしている。
もう一つの例として、人が睡眠中に深く長い呼吸をすることが挙げられる。これは一般的に健康に良いとされる均等で細かく深く長い呼吸です。これは普段は起こらず、模倣や作為では再現できない。
つまり、心が平静で肢体が適切に松(リラックス)であり、全身が【最適なつり合い状態】により、快適で良好な刺激を受けている状態で、時間が経つと、いわゆる均等で細かく深く長い呼吸が自然に現れる。したがって、我々はこれを追求する必要はなく、自然な呼吸を強調する。
站樁の最中に自分が息を止めていることに気づいた場合、それは体の放松(リラックス)、心の緊張、力の使いすぎ、または呼吸が短く心臓の鼓動が速いことに起因するかもしれない。
その場合、練習中に口を軽く開け、意図的に深く長い呼吸をすることができる。
口と鼻で同時に呼吸し、3、4回、または1、2回呼吸して、呼吸が正常に戻ったと感じたら、口を軽く閉じて、呼吸の緊張を解消することができる。
練功の時間については、厳格な規定を設けるべきではない。
自分自身が以前に設定した時間、例えば10分、15分、20分などは、練習中に気持ちが落ち着いて快適であれば、長くなることがある。逆に心が落ち着かず、雑念が多く浮かんだり、体が不快であれば、練習の時間は長くならない。
不快感やいらいら感があると、時間が遅く感じられる。
しかし、適切な方法で練習して、体が快適であれば、時間は早く過ぎる。
ある初心者たちが練習を始めた時、5分間練習するのがとても長く感じられ、ある日から心を落ち着かせることができ、体もそれを感じられるようになると、【最適なつり合い状態】により、自分を忘れて練習に没頭できるようになり、練功時間は5分から30分へと跳ね上がった。
こうしたことは多くの例で見られ、初心者は「ああ、30分も練習していたのに、時間がこんなに早く過ぎるなんて」と驚くことになる。
実際には時間は変わらないが、個人の感覚が異なるためである。
つまり、練功する時は快適で【最適なつり合い状態】を求め、時間や特定の姿勢を追求するべきではない。
初心者の時には、姿勢の高さや手の形、足の要求などは主要なことではなく、重要なのは、快適で【最適なつり合い状態】による精神集中、周身放松、呼吸自然という三つの要求である。
姿勢については追求しないが、健身樁を行う際に姿勢を全く無視するわけではない。
練習を通じて体の反応を観察し、快適で【最適なつり合い状態】により、その人の体力に適しているかを確認することが必要である。
適さない姿勢は緊張を引き起こし、結果的に悪影響を及ぼすこともある。
一般的には、座って練習することを勧めているが、中には座っての練習は効果が低いと考え、立って行う人もいる。しかし、站樁に適応できず、結果が良くないこともある。
健康を維持し、体質を強化し、慢性病を改善し、健康を回復するためには、自分の身体の【最適なつり合い状態】により、客観的な条件に合わせることが必要である。
主観的な願望ではなく、実際に体が【最適なつり合い状態】により、適応できるかを考慮することが重要である。これが健身樁の一般的な要求である。
松(リラックス)緊(緊張)の問題についてもう一度説明する。
「松(リラックス)ではあっても怠けてはならず、緊(緊張)ではあっても硬まってはいけない(=松而不懈、緊而不僵)」というのは、【最適なつり合い状態】によることを各自ご存知の通りである。
これは実際には松(リラックス)緊(緊張)の転換である。
技撃でいつ松(リラックス)となり、いつ緊(緊張)となるべきかについての明確な基準はないが、【最適なつり合い状態】による基準は存在する。
どういうことかと言うと、実際の例を挙げる。
練習者の中には、この拳を練習している人も太極拳を練習している人もいるが、推手をする時に全く勁がない人もいる。
そうすると相手の手が来た時に、簡単に推し出されてしまう。
本当に勁を入れると、相手が一度引っ張れば(=扒拉)すぐにふらついてしまい、相手に動かされてしまう。
故に、どれくらいの勁を使うべきかは【最適なつり合い状態】により、完全に自分の感覚に依存する。
相手がこちら側を牽動しようとした時に松(リラックス)となれば、力を利用できず滑ってしまう。
これは相手の失敗となるため、松(リラックス)となることが正しい
しかし、こちら側が私に向かって推してきたなら、それに合わせて松(リラックス)となれば、一気に相手の力が入ってきて、こちら側に打撃を与えることができる。
そのような場合に松(リラックス)となるのは間違いである。故に、常に【最適なつり合い状態】により、松(リラックス)緊(緊張)は適切に使う必要がある。
相手の力を感じ、自分の体でどれだけの力を使うべきか、どの程度が松(リラックス)であるかを判断するのは【最適なつり合い状態】により、霊活でなければならない。
この緊(緊張)は松緊(リラックスと緊張)の相互使用である。
少しだけ緊(緊張)としても問題ないが、本当の緊(緊張)とは力を発する瞬間に、体の中で動かすことができるすべての力を動員することである。
例えば、その時は「気沈丹田」が求められる。
これは横隔膜を圧迫し、腹部の筋肉を全体的に膨らませ、動員可能なすべての力を出すことを意味する。
その瞬間の発力はすぐに終わる。
技撃と養生は同じで、【最適なつり合い状態】により、松緊(リラックス緊張)を互いに用いる時は、松(リラックス)の時間が長くなり、大部分を占めるべきで、緊(緊張)の時間は短くすべきである。
例を挙げて説明する。
私たちが健身樁を行う際に、想像上の球を抱えているという意念を使う。
我々の同学や同門の中で、站樁を教える人は少なくはないが、このような意念を使うことを好む人が多くいる。つまり、紙の球を抱えていると想像し、少しでも力を入れると破れてしまうというような意念を通じて、【最適なつり合い状態】による功夫の訓練を行うというものである。
これにより、自己の脳が考えることが、神経や筋肉を支配し、微妙に動かすことになり
また、このような【最適なつり合い状態】による練習を行うことができる。
この球を飛ばそうと思いながら、飛ばさないようにすると、実験をしてみるとわかるが、数分で汗が出てきて、呼吸も困難になる。
この意念は単なる想像とは異なり、真剣に考えるか、考えないかでは結果が全く異なる。
過去に世界の窓の翻訳で、運動選手の心理トレーニングの方法が紹介されていた。
ある女性運動選手は私に、20分か30分座って意念でトレーニングを行い、終わった後には全身が緊張していたと言っていた。
この様に球を飛ばさないようにするが、破らないようにも注意する必要があり、逆に球が飛び出そうとすると、すぐに手で抱え直し、飛ばないようにし、松となる【最適なつり合い状態】となる必要がある。
考えることを急いではならず、速すぎると耐えられない。
これは技撃でも同様で、ましてや健身ではなおさらである。
さらにもう一つ加えて、一つの球ではなく、二つの球を想像してみる。
一つはこちら、もう一つはあちらである。
一つの球を飛ばそうと想像し、それを抱え直し、もう一つの球は破れないように【最適なつり合い状態】により、注意する。
このような状況では、この力は【最適なつり合い状態】により、矛盾を生み出しますが、全体的には、意念によって統一された支配下にあり、実際には、力は異なる。
このように練習すると、先ほどの一つの球の練習とは効果が異なりますが、疲労度も異なる。
したがって、もう一度強調するが、拳法を練習する練習者も、松(リラックス)となる時間を長く取るべきである。
拳法を練習することは本来、体を健康にし、強くするためのものである。
もし疲れて自分を壊してしまったら、それは本末転倒で、間違っている。
特に健身を行う練習者たちは、さらに探求を深めるべきである。
これは正しいと考えるが、自分自身をしっかりとコントロールすることが必要である。
意拳全体においては、「不動の中での微動を求める」【最適なつり合い状態】と言われていまる。
これは具体的に何を意味するのか?
先ほどの例に戻ると、我々の外形は動かないように見え、静止状態のようである。
しかし、想像上の球が飛ぶと想像すれば、実際にはその球の微細に動いている。
また、水の中に立っていて、波が揺れるのを防ごうと思うと、実際には体が非常に小さく揺れている。
これが「不動の中の微動を求める」こと、つまり微細な動きで【最適なつり合い状態】がある。
探求を始める際には、まず精神を放松(リラックス)させ、緊張を解放することから始めるべきである。
少しの感覚があれば良いし、感じなくても問題はない。
非常に微細な【最適なつり合い状態】による動きである。
この方法なら、身体をさらに鍛えようとする過程で、身体に損傷を与えるリスクを最小限に抑えることが可能である。
もちろん、今月は身体がまだ準備ができていない練習者もいるかもしれないが、来月には完全にできるようになるかもしれない。
これは、自分自身の実践を通じて注意深く探る必要がある。
技撃樁について、さらに詳しく説明する。
技撃樁は拳の中でも技撃の部分に属する。
技撃樁は拳術であり、その要求も主に三点に集約される。
それは精神集中、周身放松、呼吸自然である。
養生や健身にとって、この三つの要求が良いとされるが、拳術や対抗性のある武術において、非常に激しい場合にも、なぜこの三つの訓練方法を取るだろうか?
体験から、もちろん浅い理解であるが、解説する。
古代の武術は、兵士や将士を訓練し、戦闘の基本的な技能を養うために使われていた。
【第一の要求】
精神の訓練であり、通常の訓練では我を忘れることができることにある。
つまり、頭の中には一切の雑念がなく、さらには無人無我の状態になり、勇敢で前進する精神が必要である。
自己の名誉や安全を考慮しない、これが基本である。これは養生と同じで、忘我になることが求められる。
【第二の要求】
全身を可能な限り放松(リラックス)させることで、この松(リラックス)は【最適なつり合い状態】による相対的なものである。
そのため、拳術の訓練におけるこの種類の松(リラックス)は、養生樁の初歩とは異なる。それは【最適なつり合い状態】による松緊(リラックス緊張)の互用を求めることである。
意拳では、松緊(リラックス緊張)に関して「松而不懈(松であっても怠けてはならない)」、「緊而不僵(緊であっても硬直してはいけない)」という【最適なつり合い状態】による二つの言葉があります。
これら二つの言葉から意拳における松緊(リラックス緊張)が【最適なつり合い状態】により、相対的であることがわかります。
つまり、松緊(リラックス緊張)は常に【最適なつり合い状態】により、転換している。
これが主要な訓練手段である。
したがって、身体を放松(リラックス)させる必要がありますが、この松(リラックス)は状況に応じている。
戦闘中、各人は自分の能力を最大限に発揮する必要があり、できるだけ迅速に行動することが望まれる。
これは現在「爆発力を持つ」と言われている。しかし、爆発力を発揮するためには、事前に適切に松(リラックス)となる必要がある。
力を発揮する前に十分に松(リラックス)にできなければ、力も十分に発揮できない。
従って、養生のための松(リラックス)とは少し異なり、松緊(リラックス緊張)が素早く交替する。
そして、松(リラックス)だからといって全く力量がないわけではなく、適度な力量が必要である。
どれほどの力量を使うかは、【最適なつり合い状態】による発力する瞬間の状況によって決まる。
もし力量をすべて使い果たしてしまったら、それ以上の力を発揮することはできない。
【第三の要求点】
実戦の模擬訓練の際でも、呼吸自然に注意を払うことが要求される。
つまり、呼吸を緊張させず、自分の動作の中で、または動作の軽重や緩急を通じて呼吸を調整し、一貫して行うことである。
これは拳術の訓練においても同様に求められるが、いくつかの事例がある。
例を一つ挙げると、精神訓練、つまり心理状態は非常に重要である。
現代の体育競技では、対抗性が明確で、平常時に高い水準の訓練を受けている運動選手もいる。
しかし、大きな試合に直面すると、経験が少ないために、通常の水準を発揮できず、動作も通常より遥かに劣ることがある。
これは、精神的な緊張、失敗への恐れ、様々な心配に影響されることを示している。
明代の民族英雄、戚继光は彼の著書『紀効新書』と『拳経捷要』で武術の訓練方法について触れている。彼は「一般の兵士を訓練する際、戦場で平時の訓練した武功を発揮できれば、十分の五を出せれば戦場で生き残ることができる。
全部を発揮できれば天下無敵になる」と述べています。また「兵士が戦陣に臨むとき、顔は黄色く、口は乾いている」とも言っている。
これは、常にこのような訓練を行うべきであることを示している。
精神が高度に集中しているときに、それが自身の肢体に影響を与えて、肢体が硬直してしまい、霊活さが失われると、本来の能力を発揮できなくなり、精神的な過度の緊張が呼吸を停止させてしまい、持続できないことがある。
これは身体をさらに緊張させる。
したがって、技撃においては、これらはすべて関連している。
主要な訓練は精神であり、瞬間的に高度に集中する能力が求められる。
一定の反応が必要であり、普段から精神を鍛えることが必要である。
精神が高度に集中しているとき、つまりどのように集中するか、大敵が目の前にいるような緊急の状況を想定し、生と死の戦いの中での訓練を想像する。
このような状況で精神が集中していても緊張せず、肢体が松となって動きやすく、霊活性と力量を発揮し、自然な呼吸を保つことが、拳術で求められる。
これは健身と矛盾していない。
拳術で求められる意念は、健身樁での養生よりも激しい要求である。
王薌齋先生は「松(リラックス)緊(緊張)の枢紐は上下にある」と述べている。具体的な練習法は、站樁の際、後頸部(耳下あたり)に一本のばねが前脚先の下に斜めに続いていると想像し、頂心が上を指すように意識する。同時に、頸部をわずかに後ろに引く、この勁を感じ取った後、さらに頂心から後足の裏までばねが続いていると想像し、頂心が上を指し、後足が下へ蹴り出すようにしする。これらはすべて意の中で【最適なつり合い状態】を求めるもので、動作中の練習法としては、摩擦歩の練習時に、前足の先が地面につく際、頭が上後方に引っ張られ、足先と一争を生じさせ【最適なつり合い状態】となる下肢伝導である。
前進と後退の両方でこれを行う。力を掌握したら、さらに足先が地面につく際に、心頂と後足の間に争力を生じさせ、一争したら止める。その後は、任意の歩行の中で、これを探求できる。これが意拳発力の最も基本的な練習法であり、「消息は全て後足の踏み切りに頼る」が表す【最適なつり合い状態】である。
【力は重力と接触力】 この二つが物体に【最適なつり合い状態】により、働く力である。
【重力】
地球と地球上の物体の間で【最適なつり合い状態】により、働く力である。
例えば、重りに働く力、床の上で机を動かす、丘に車を押し上げる、ボールを蹴るなど重力は物体の質量に重力加速度をかけて求めることができる。
【接触力】
物体が接触しているものから受ける力。
接触面と垂直に働き、接触面と平行方向には摩擦力が働いている。
この他につり合い力、作用反作用、慣性力、応力、軸力、弾性力等の重力以外の力を指し全て【最適なつり合い状態】である。
【釣り合う】
均衡すること調和。
複数の事物が互いに同程度で、適切に対応し、調和するという意味で、「釣り合い」は2つ以上のものの間で、その大きさ、重さなどが互いに同程度であり、物理学においては、1つの物体にはたらく力に注目するのが「力のつり合い」で、2つの物体にはたらく力の関係を表すのが「作用・反作用」である。
計りに例えると矛盾計(バランスメーター)
【最適なつり合いを持った互いに争い打ち消し合う力【±0】】と表現が適切かもしれない。
【つり合い力】
静止状態である1つの物体に着目してその物体に【最適なつり合い状態】により、働く力である。
例えると重力とバネ秤による弾性力、ヘリコプターのホバリングなど静止している状態である。つり合い力で物体の重心となるつり合い点【0】が中心点と判明する。
人間では、重力とのつり合い点が人体の中心点(一次元的)である。
【作用・反作用】
物体の静止及び運動状態に関係なく2つの物体に着目して【最適なつり合い状態】により、その物体間が接触し作用点となり及ぼし合う力である。作用反作用では、例えると地面上に物体が設置されていれば、設置箇所が【重力と抗力】(上下の力)の作用点(二次元的)となる人間立姿では、足裏である。
【意拳への適用】
人体の中心は、つり合い力によるつり合い点及び作用反作用による作用点が一致した状態、即ち足裏から頭頂までの上下の点(一次元的)ではない線状領域(二次元的から十字原理及び六面力を含む三次元的へ)を中心感覚【一中】として体得する。即ち【最適なつり合い状態】により、静止しても運動してもこれは、変わらない。
【感覚統合】
感覚統合とは、脳が全身の器官から受け取るさまざまな感覚情報を整理し、【適切な反応をする機能】である。
王薌齋先生は「松緊の枢紐は上下にある」と述べています。具体的な練習法は、站樁の際、後頸部(耳下あたり)に一本のばねが前脚先の下に斜めに続いていると想像し、頂心が上を指すように意識します。同時に、頸部をわずかに後ろに引きます。この勁を感じ取った後、さらに頂心から後足の裏までばねが続いていると想像し、頂心が上を指し、後足が下へ蹴り出すようにします。これらはすべて【最適なつり合い状態】により、意の中で求めるものです。動作中の練習法としては、摩擦歩の練習時に、前足の先が地面につく際、頭が上後方に引っ張られ、足先と一争を生じさせるようにします。前進と後退の両方でこれを行います。力を掌握したら、さらに足先が地面につく際に、心頂と後足の間に争力を生じさせ、一争したら止めるようにします。その後は、任意の歩行の中で、これを探求できます。これが意拳発力の最も基本的な練習法であり、「消息は全て後足の踏み切りに頼る」が表すところです。
人の重心はいつも同じ位置にあるとは限らない地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける上下のつり合い箇所により身体の外に出ることもある為、
終始十字原理を備え均整を保ち重心領域限界(上方眉、下方臍、左方右方鼻中、前方後方一尺)を超えない体幹操作練習が必須である。重心とは、質量中心であり、重力と抗力が働いている「重心は上下のつり合い点だ」即ち人の立姿の中心は地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける足裏土踏まずから頭頂までの全てが上下のつり合い領域一体が点であり線である。この【最適なつり合い状態】を【中】と呼ぶ。
【一中】
頭頂(頭のてっぺん)と両足(土踏まず)の中心点を指し、この領域は線でもあり、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ちながら(シームレス)軽霊(軽く活発)であることが鍵である。
【定中力】
搭手(手合わせ)の際に、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ち、重心と接触力を内部で変換される不定の力を用いて、相手を牽制し、相手の安定を不安定にして終始調整中(空白状態)にさせ、もちろんこちらは、シームレス状態で、相手の進退を難しくさせる境地を指している。
故に、この様な終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保つシームレス状態を【定中力】と名付けられている。
【中】
単純な硬直した板(機械)ではなく、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ち両腿の中線にある重心はつり合い力及び作用反作用によりバネの様に弾性力を持ち十字原理を備えた起伏上下前後左右への昇降や転移が可能である。
【守中】
動作中に、常に十字原理を備え自身の均整【最適なつり合い状態】をシームレス状態で保持することを指して、終始相手を調整中(空白状態)に誘導する。
【用中】
相手の力が均整を失ったり、上下のつり合い力及び作用反作用がない空白状態により、不安定から安定に再起する調整中(空白状態)により滞って霊(効果的)でなくなった時、或いはその力が前や後ろにある時、作用反作用により、相手の重心を的中した状態で、自身の十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】な力で相手を撃つ、これを【用中】という。
【守中】と【用中】は状況に応じて常に十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ちシームレス状態で転換される【定中状態】にある。
即ち、【矛】(用中)の状態にある時も【盾】(用中)の状態でもあり【盾】(守中)の状態にある時も【矛】(用中)の状態でもあり【矛】(用中)と【盾】(守中)の終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保つシームレス状態である。
何時でも何処でも接触しても空白時間と距離を極限まで短縮する。この様に【定中状態】が解除されない練習が必要不可欠である。
【重心体得感覚】
頂心(頭のてっぺん中心)が上を指し、後足(土踏まず中心)が下へ蹴り出すように上(抗力)下(重力)のつり合いによる【上下の力】及び大腿部を利用した梃子運動からの作用反作用を【一中】感覚として体得できれば、軽快に臨機応変に動けるようになり、緊張硬直した力は転換されリラックス状態【上虚下実】【最適なつり合い状態】となり、まるで体が地面に吸い込まれるように足裏が地面に張り付き、根を生やしたような感覚で立つ足裏は吸盤のように地面に張り付つき歩法では、股関節を融通かつ柔軟に使いながら吸盤をゆっくり剥がしたり、くっ付けたりする感覚でありスポーツ運動による飛んだり、跳ねたりの軽さではなく、地に足が着き、体は軽い俗に言う【軽霊】を体得できる。
全ての力量は、リラックスと緊張、意識と無意識、交感神経と副交感神経、原始系と識別系、重力と抗力、接触力における反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合との合力のと効果は、【最適なつり合い状態】を持った互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと即ち【±0】この中間作用を利用しそれに反応する全ての機能は【一枝が動けば百枝が動く】例えの如く、動かないところはない状態、同時同一の一体【オール1】となる。
【最大効果向上練習】
站樁が根本中の根本である。站樁の練習において、姿勢と意念の要求を次第に高めていき、試力、推手、発力の練習を通して、自身の力量の弱さ、反応の鈍さ、空白の部分に気づけば、再び站樁の中で意念による誘導を通じて、内力を探求、強化する。静から動へ、動から静へと絶え間なく行きつ戻りつしながら、【最適なつり合い状態】により、相互に参照し合う練習を重ねていけば、境地は無限に広がっていく。
★最も重要なことは、技の使い方は習得にすぎず技をいくら頭で要領を覚えても咄嗟に使えなず身につかず応用が効かないことを理解しているか?
身につけるには【最適なつり合い状態】による身体全体の力(勁)の使い方を求め体全体が覚えて【体得】をすることである。
基礎練習となる【最適なつり合い状態】による下肢伝導と十字原理のプロセスを無視した者には、体得することは不可能である。
日本意拳協会参考資料20
続編⑦【双推掌探求】意拳は現代科学を理論的基礎とする意拳における身体全体の力(勁)の使い方を先人から学ぶ。
古きは、東洋の陰陽思想からニュートンの林檎の落ちる法則まで一貫して共通する事項は、【有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に発生】する。
即ち【最適なつり合い状態】を意味する。
⑬適切に反応する機能
【攻防一体双推掌】
岳飛は双推掌を創始したと言われ、これは拳術の進化を完全に導いている。
それまでの時代は一方の手で防御し、もう一方の手で攻撃を交互にしていましたが、岳飛の時代には両手を攻防一体同時に使うこと(=双手斉出)が可能になった。
特に清朝が建国された後、中国の拳術は大きな変化を遂げた時代であった。
戚継光の古典的な著作『拳経』(理論の聖典)には、まだ全面的ではなかったとされている。
彼は拳術として「紀佩仙之腿、鷹爪王之拿、千跌張之跌、綿張短打」など、武術をいくつかに分類し、それぞれに長けたものであった。
全体として、清朝建国の百十年後には、中国の拳術には大きな変化があり、太極拳、形意拳、八卦掌、梅花拳、通背拳などはすべて勁を重視し、内在する力量を探求している。
古代の散打にはルールがなく、どこでも打つことができ、目を打ったり、股間を蹴ったり、肘を使うことができた。外家拳を学んだ者は、肩、肘、腕、胯、膝などを使って、打撃部位は自由であったため、比較的残酷で、今日のムエタイのような競技に近い状態であり、そういった状況におかれた拳術から、いわゆる内家拳が生まれ、内功と外功に分かれ、内功拳が出現した。
それがどの段階まで発展したかと言えば、拳術が高度な人は、相手が比較的弱い場合、傷つけずに相手を投げ飛ばすことができた。
しかし、投げ飛ばしても、相手を傷つけないようにできていた為、これは拳術の技術的な昇華(更に高度な状態への飛躍)である。
もともとは非常に残忍なもので、十分に高い技術水準を持つことができれば、これは非常に良い体育運動になり、自分を守りながら同時に他人を攻撃することができ、その基礎はやはり生身での厳しい訓練からである。
もし、訓練を経験していなければ、冷静さを保つことはできなく、心臓が激しく跳ねたり、逃げ出したくなるような精神状態では、とても期待できる成果は得られない、このような背景を伝える中で、内家拳の出現は確かに素晴らしい成果である。
それは、勁を探求し、人の精神状態について、より包括的に語っているからである。
特に清朝中期以降、拳術に関して話す拳家が増え、北京では形意拳、八卦掌、太極拳が代表的で、当時の北京ではこれら三派の拳術が支配的な地位であった。
これら三つの流派は互いに剽窃(盗んで使う)したり、模倣(できているものを真似る)したりすることなく、それぞれが独自の基本功の練習法を持っていましたが、全体の目的は一つの力の統一である。
太極拳は「円」を説き、円は平衡を意味し、どこに行っても同じ大きさの力量がある(エネルギー保存の法則)ことを意味している。
形意拳は平衡力や渾円力について語り、八卦掌は整を説いている。実際には、これらはすべて平衡的で、整体的な力量(エネルギー保存の法則)について語っているが、力の探求方法は異なり、それぞれの動作の風格も異なる。
そのため、この三種類の拳が登場した時代が、歴史上での最高潮であったと考えられる。
これは未来を指すわけではなく、当時の状況である。
以前にはこのような高潮に達したことはなく、理論、技術、健康に関して、非常に洗練された段階に到達することができた。
実際、拳術では両手を同時に使うことは【禁忌】( 忌(い)み嫌って、慣習的に禁止して避け、そのものをタブーとされていた。)両手を同時に出しながらも、実際は一方の手だけが進む状態である。
これはとても興味深く例えば、形意拳の虎形を変化させることで、これは適切に行え、虎形とは、形意拳の一般的な姿勢で、中国の伝統的な比武(手合わせ)でよく使われ虎形とは俗に老虎扑と呼ばれ、攻撃を開始する際には両手を同時に使う。
もし、このように攻撃する場合、大きな不利を被る両手が揃ってから攻撃に移ることになる為である。
王先生は、「双手斉出、单手独進」と説明している。
つまり、両手が一緒に動くように見せかけながら、実際には一方の手が先に到達して有る力が働き、後の手が時間差で到達後、反対方向に力が働き最終的には【最適なつり合い状態】を捉えて、同時同一に両手の力が相対的に一つになり、まとまった力としてのダブルインパクト機能を発揮する。
【反方向性転移】
相手が来た場合、この時点で二つの相反する力量を使って、【最適なつり合い状態】を捉えて、反対方向に転移して相手に譲りながら奪っている。即ちターゲットは、単なる顔面やボディー等の打撃部位に対する直接打撃ではなく、有る力と反対に働く力を同時に用いて重心を的中させさせるターゲットは、相手への重心打撃である。
この手で相手の二つの部分を分けて、【最適なつり合い状態】を捉えて、前に推し込む時、私は一方の手を上に、もう一方を下に持っていくことが反対方向に転移して相手に譲りながら奪うことが可能である。
つまり、【最適なつり合い状態】を捉えて、相手が下にいて、こちらが上にいる順逆矛盾の状態であるということである。
これら二つの手も平等な機会である。こちらの手を上に持っていき、彼が積極的に攻撃してきたら、こちらの功夫が相手より高ければ、相手がこちらに向かって来た時、こちらは方向を移動して、相手を推し出し、もしこちらの功夫が等しいか、こちらが相手より劣っている場合は、相手の重心を動かす必要があり相手がこちらに向かって来たら、相手をこちらに牽引する。
つまり、【最適なつり合い状態】を捉えて、押し回しながら引き回している順逆矛盾の状態であるということである。
こちらに牽引することも、あちらに牽引することもでき多くの変化が可能であり、これが「形曲力直」である実際にはこちらの場を捨てて、反対方向に転移して相手に譲りながら奪っている。
これも、【最適なつり合い状態】を捉えて、順逆矛盾の状態であるということである。
相手はこちらの力を完全に分断できると思い、その瞬間に【最適なつり合い状態】を捉えて、こちらが少し遅く動けば完了である。
これは太極拳とは異なり太極拳では、引進落空、四両抜千斤で相手を完全に引き寄せて(中間作用が無く、最適なつり合いが無い不完全な状態で)から発出するため意図が暴露され目に見える技となってしまう。
これでは、相手を引き寄せた後、相手の意図を暴露し、こちらが【最適なつり合い状態】を捉えて、同時同一に肘を使えば、同様に相手を倒すことができ、さらに重傷を負わせることもできる
間髪を入れず、こちらは相手の手を安定させず、相手が安定すると、こちらは【最適なつり合い状態】を捉えて、変化をし重心を的中させる。
対手の勝敗は、体力や技術のみにあらず、精神、文化、内心、堅毅、果敢、闘志、私生活など総合的に体現されるものである。
敵を迎え撃つ勇気と【最適なつり合い状態】が必要である。そうでなければ、打撃は洗練されておらず、脆(もろい)い。
実力が不足する場合、歩法を合わせ、五指は開き緊靠(隙間なく密着)してはならない。
虎口は円く支えられ(=撑円)、指先はわずかに収める。掌心は内部に【吸い】込み、物を持って落とさない精神意向がある。
掌心は外に【吐き】、指は外に張るが、糸に縛られて伸びない精神意向がある。
即ち、曲げ過ぎず伸ばし過ぎず【吸】と【吐】は相互に行われ、片方に偏ってはならない【最適なつり合い状態】である。
【打撃円運動】
拳を習う者は両の手を使って【最適なつり合い状態】を捉えて、螺旋状の力を帯びる打円(打撃円運動)を学ばねばならず、大円(大円運動)より小円(小円運動)を、小円(小円運動)より無形の小円(小円運動)を、全身の斉動(つり合い力及び作用反作用を伴いそろって一つになる動き)を【最適なつり合い状態】を学ぶべきである。
この全ての精神意向、全ての力が、【最適なつり合い状態】を捉えて、拳を習う者が極中(極める中)の効用を求めるべき道なのである。
打円とは、手腕の動作だけでなく、十字原理(つり合い力及び作用反作用)に伴い両の手頭、肩、肘、股、膝、腰、足の全身一致(そろって一つになる)の【最適なつり合い状態】を捉えた、打円を意味する。
両の手を使って描かれる円環(まるい輪)は正円でなく、斜めでもなく、相手の平衡を破壊する為、全身一致の斜面的利用及び螺旋的利用であり、立円、臥円、斜円、楕円、横円、縦円など【最適なつり合い状態】を捉えて、相手の力量とは逆の反方向性転移により多様である。
両の手は、直線運動はなく、相手の平衡を破壊する為、【最適なつり合い状態】による全身一致の斜面的利用及び螺旋的利用により発生した傾きに応じて、左右の手の間隙には【最適なつり合い状態】(つり合い力及び作用反作用)があり、左右同時同一に片方の手の傾きに相対して同時同一に、反対の片方の手は反対の傾きを持って、片方の手が引き回し相対して同時同一に反対の片方の手が押し回し、メビウスの輪のようにシームレスであり、【最適なつり合い状態】による全身一致の螺旋運動である少なくとも環中(対立や矛盾を超越して、あらゆる現象に対応する絶対境地)の意味合いがある。
「出入は螺旋、腰は車輪の如く、脚は鉆(ドリル)の如し」は、全身一致の【最適なつり合い状態】を捉えた螺旋運動であり全身何処でも、斜面を帯びている精神意向を表している。
強調すべきは、【最適なつり合い状態】であるこれらはすべて「ただ神意の足るを求め、形骸に似るを求めず」(形ではなく、矛盾の力となる【最適なつり合い状態】である。)という点である。
その環中(対立や矛盾を超越して、あらゆる現象に対応する絶対境地)の精神意向は意念に宿り、極限まで時間と距離を短縮した、【最適なつり合い状態】を捉えている為、外形にあらわれるとは限らない。
外形だけで円を描けば、矛盾の力は使えない、その軌跡には終始【最適なつり合い状態】を捉えて、矛盾の状態及び体の使い方があり、形を真似、技を真似ることは本意ではない。単なる拳や蹴りを出して引く様な直行直帰の技術ではなく、出すも引くもその間に必ず【最適なつり合い状態】を発揮できる技術が意拳の特徴である。即ち【最適なつり合い状態】により相手を倒すのである。
【明鏡止水】
水平的位置移動の欠点から【最適なつり合い状態】を捉えて、観察して、相手の状態は、全ての情報である。
こちらの状態から相手は、状態を変化させる。こちらの状態が水平であれば、相手も安定して水平であり、瞬間的に鏡に写した相対的状態である。
相手を不安定にさせるには、こちらは、終始十字原理を備え整を保ち、【最適なつり合い状態】を捉えて、上下の昇降起伏移動を通じて前後左右を促進し斜面的利用と螺旋的利用を行いその効果の確認は、相手の肩の水平が保てず頭と体が、まるで同時にこちらとは、逆に傾く状態であり、【最適なつり合い状態】で相手の均整を破り重心を的中させる好機を獲得した状態となる。
逆に相手の欺騙行為の場合は反方向性転移における梃子運動から倍力機構及び【最適なつり合い状態】の実感がない単なる緊張(力み)或いは、単なる脱力(緩み)であることが確認でき、相手の空白状態の有無を見極めることの判断の基準となる。
【力は重力と接触力】 この二つが物体に【最適なつり合い状態】により、働く力である。
【重力】
地球と地球上の物体の間で【最適なつり合い状態】により、働く力である。
例えば、重りに働く力、床の上で机を動かす、丘に車を押し上げる、ボールを蹴るなど重力は物体の質量に重力加速度をかけて求めることができる。
【接触力】
物体が接触しているものから受ける力。
接触面と垂直に働き、接触面と平行方向には摩擦力が働いている。
この他につり合い力、作用反作用、慣性力、応力、軸力、弾性力等の重力以外の力を指し全て【最適なつり合い状態】である。
【釣り合う】
均衡すること調和。
複数の事物が互いに同程度で、適切に対応し、調和するという意味で、「釣り合い」は2つ以上のものの間で、その大きさ、重さなどが互いに同程度であり、物理学においては、1つの物体にはたらく力に注目するのが「力のつり合い」で、2つの物体にはたらく力の関係を表すのが「作用・反作用」である。
計りに例えると矛盾計(バランスメーター)
【最適なつり合いを持った互いに争い打ち消し合う力【±0】】と表現が適切かもしれない。
【つり合い力】
静止状態である1つの物体に着目してその物体に【最適なつり合い状態】により、働く力である。
例えると重力とバネ秤による弾性力、ヘリコプターのホバリングなど静止している状態である。つり合い力で物体の重心となるつり合い点【0】が中心点と判明する。
人間では、重力とのつり合い点が人体の中心点(一次元的)である。
【作用・反作用】
物体の静止及び運動状態に関係なく2つの物体に着目して【最適なつり合い状態】により、その物体間が接触し作用点となり及ぼし合う力である。作用反作用では、例えると地面上に物体が設置されていれば、設置箇所が【重力と抗力】(上下の力)の作用点(二次元的)となる人間立姿では、足裏である。
【意拳への適用】
人体の中心は、つり合い力によるつり合い点及び作用反作用による作用点が一致した状態、即ち足裏から頭頂までの上下の点(一次元的)ではない線状領域(二次元的から十字原理及び六面力を含む三次元的へ)を中心感覚【一中】として体得する。即ち【最適なつり合い状態】により、静止しても運動してもこれは、変わらない。
【感覚統合】
感覚統合とは、脳が全身の器官から受け取るさまざまな感覚情報を整理し、【適切な反応をする機能】である。
王薌齋先生は「松緊の枢紐は上下にある」と述べています。具体的な練習法は、站樁の際、後頸部(耳下あたり)に一本のばねが前脚先の下に斜めに続いていると想像し、頂心が上を指すように意識します。同時に、頸部をわずかに後ろに引きます。この勁を感じ取った後、さらに頂心から後足の裏までばねが続いていると想像し、頂心が上を指し、後足が下へ蹴り出すようにします。これらはすべて【最適なつり合い状態】により、意の中で求めるものです。動作中の練習法としては、摩擦歩の練習時に、前足の先が地面につく際、頭が上後方に引っ張られ、足先と一争を生じさせるようにします。前進と後退の両方でこれを行います。力を掌握したら、さらに足先が地面につく際に、心頂と後足の間に争力を生じさせ、一争したら止めるようにします。その後は、任意の歩行の中で、これを探求できます。これが意拳発力の最も基本的な練習法であり、「消息は全て後足の踏み切りに頼る」が表すところです。
人の重心はいつも同じ位置にあるとは限らない地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける上下のつり合い箇所により身体の外に出ることもある為、
終始十字原理を備え均整を保ち重心領域限界(上方眉、下方臍、左方右方鼻中、前方後方一尺)を超えない体幹操作練習が必須である。重心とは、質量中心であり、重力と抗力が働いている「重心は上下のつり合い点だ」即ち人の立姿の中心は地面に対し重力で作用させ反作用で抗力を受ける足裏土踏まずから頭頂までの全てが上下のつり合い領域一体が点であり線である。この【最適なつり合い状態】を【中】と呼ぶ。
【一中】
頭頂(頭のてっぺん)と両足(土踏まず)の中心点を指し、この領域は線でもあり、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ちながら(シームレス)軽霊(軽く活発)であることが鍵である。
【定中力】
搭手(手合わせ)の際に、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ち、重心と接触力を内部で変換される不定の力を用いて、相手を牽制し、相手の安定を不安定にして終始調整中(空白状態)にさせ、もちろんこちらは、シームレス状態で、相手の進退を難しくさせる境地を指している。
故に、この様な終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保つシームレス状態を【定中力】と名付けられている。
【中】
単純な硬直した板(機械)ではなく、終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ち両腿の中線にある重心はつり合い力及び作用反作用によりバネの様に弾性力を持ち十字原理を備えた起伏上下前後左右への昇降や転移が可能である。
【守中】
動作中に、常に十字原理を備え自身の均整【最適なつり合い状態】をシームレス状態で保持することを指して、終始相手を調整中(空白状態)に誘導する。
【用中】
相手の力が均整を失ったり、上下のつり合い力及び作用反作用がない空白状態により、不安定から安定に再起する調整中(空白状態)により滞って霊(効果的)でなくなった時、或いはその力が前や後ろにある時、作用反作用により、相手の重心を的中した状態で、自身の十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】な力で相手を撃つ、これを【用中】という。
【守中】と【用中】は状況に応じて常に十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保ちシームレス状態で転換される【定中状態】にある。
即ち、【矛】(用中)の状態にある時も【盾】(用中)の状態でもあり【盾】(守中)の状態にある時も【矛】(用中)の状態でもあり【矛】(用中)と【盾】(守中)の終始十字原理を備え均整【最適なつり合い状態】を保つシームレス状態である。
何時でも何処でも接触しても空白時間と距離を極限まで短縮する。この様に【定中状態】が解除されない練習が必要不可欠である。
【重心体得感覚】
頂心(頭のてっぺん中心)が上を指し、後足(土踏まず中心)が下へ蹴り出すように上(抗力)下(重力)のつり合いによる【上下の力】及び大腿部を利用した梃子運動からの作用反作用を【一中】感覚として体得できれば、軽快に臨機応変に動けるようになり、緊張硬直した力は転換されリラックス状態【上虚下実】【最適なつり合い状態】となり、まるで体が地面に吸い込まれるように足裏が地面に張り付き、根を生やしたような感覚で立つ足裏は吸盤のように地面に張り付つき歩法では、股関節を融通かつ柔軟に使いながら吸盤をゆっくり剥がしたり、くっ付けたりする感覚でありスポーツ運動による飛んだり、跳ねたりの軽さではなく、地に足が着き、体は軽い俗に言う【軽霊】を体得できる。
全ての力量は、リラックスと緊張、意識と無意識、交感神経と副交感神経、原始系と識別系、重力と抗力、接触力における反対方向に同時に力を用いることで生じる力学と感覚統合との合力のと効果は、【最適なつり合い状態】を持った互いに争い打ち消し合うこの状態を仮説数値で現すと即ち【±0】この中間作用を利用しそれに反応する全ての機能は【一枝が動けば百枝が動く】例えの如く、動かないところはない状態、同時同一の一体【オール1】となる。
【最大効果向上練習】
站樁が根本中の根本である。站樁の練習において、姿勢と意念の要求を次第に高めていき、試力、推手、発力の練習を通して、自身の力量の弱さ、反応の鈍さ、空白の部分に気づけば、再び站樁の中で意念による誘導を通じて、内力を探求、強化する。静から動へ、動から静へと絶え間なく行きつ戻りつしながら、【最適なつり合い状態】により、相互に参照し合う練習を重ねていけば、境地は無限に広がっていく。
★最も重要なことは、技の使い方は習得にすぎず技をいくら頭で要領を覚えても咄嗟に使えなず身につかず応用が効かないことを理解しているか?
身につけるには【最適なつり合い状態】による身体全体の力(勁)の使い方を求め体全体が覚えて【体得】をすることである。
基礎練習となる【最適なつり合い状態】による下肢伝導と十字原理のプロセスを無視した者には、体得することは不可能である。