意拳練習日誌第特(51~60号)

意拳練習日詩第特51号

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

岳銘先生、岳崢先生、二人の先生の意拳への考え方として、手で感じて、足で操作する。操作するには、全身による相対的対立運動が必須要因となる。その起動となる足による操作を非常に強調されていました。

この足の操作を効果的に発揮するため重力から作用反作用力を得るニュートン理論を巧みに活用する。即ち

即ち螺旋力を伴った重力と対立する抗力を発揮させる。

その2

練習と演習

練習とは、機能別に各基本練習を通じて的確な指導を受けて身体操作により全身梃子体となる相対的対立運動のレベルアップを図り、次の段階となる演習への基盤を養成する。

演習とは、養成した基本練習を基盤に対人練習を通じて有形無形、千変万化による判断力と対応力を養成する。

その3

単推手による演習とは、片手で接触した条件から開始して、相手側との前後上下左右の対立を捕らえて、もう片方の手は、何時でも介入させ手は支点となり、足は力点となり臨機応変に判断力と対応力を養成して有形無形、千変万化の全身梃子体を発揮出きる為の双推手への段階的演習を行う。

その変化には、法則はない。

その4

双推手による演習とは、両手で接触した条件により前後上下左右の対立を捕らえて、両手により一方の手は、順行的にもう一方の手は、逆行的には、体は反方向性転移により反面操作を行い、手は支点となり、足は力点となり、片手落ちに成らないように何時でも臨機応変に判断力と対応力を養成し有形無形、千変万化の全身梃子体を発揮出きる為の断手への段階的な演習を行う。その変化には法則はない。

その5

断手による演習とは、単推手及び双推手の演習を通じた応用演習となる。離隔した状態から或いは接触した状態から距離と時間を短縮化させる為に側面斜面から相手側の移動中及び準備中へ進撃及び迎撃による接触を行い、接触する条件は、片手或いは両手あるいは、全身至るところ無条件の接触により、前後上下左右の対立を接触箇所から支点として捕らえ、同時に足の操作により力点を捕らえて全身一致して梃子体となり相手の中心線に作用させる即ち守中用中をを目的に何時でも臨機応変に判断力と対応力を養成し有形無形、千変万化の全身梃子体として効果的な発力を発揮する。

一度接触すれば、逃がさない、接触すれば終始梃子入れを追求して、止まることがない小さく短く強い最良最善の発力を体得する。

その変化には、法則はない。

その 6

対立を捕らえ全身一致をさせるには、この下半身操作となる地面からの反作用を効果的に発揮させる効率的な上半身操作が伴った上下相随による体得が必要となる。

体得するには

意拳論に示される【力量】

(甲、大綱)(乙、分布)

(丙、運用)の要求が必須である。

また、弁償法的唯物論として世界は全体として統一をもちながら相互に連関し発展する物質であり、思考や意識もその物質の模写の過程であるものが関連している。

その7

相手側からの対立を捕らえ

て梃子入れを行う対立を上手く捕らえるには、手で感じて足で操作する。足で操作するには、手で操作して腕力に片寄る寸前に手で感じた様に均整を捕らえ足で感じる様に足の操作へ移行する。

上手く均整を捕らえた感覚とは、頭で判断することではなく、閃きに似て全身で捕らえる瞬間的感覚の様である。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。

意拳練習日詩第特52号

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

岳銘先生、岳崢先生、二人の先生の意拳への考え方として、練習する時は、よく考えて練習すること、自分の考えのない人はだめとも言われてました。

また、相手と対戦する時は、体で行動しないと目で見て頭で考え行動しては間に合わないとも言われてました。

その2

それ故、基本練習においては、手で感じて相手の対立を捕らえて足で操作する体を使った全身梃子体による相対的対立運動の為の必須要因を分析して使える様によく考えて練習し体得をしなければならない。

基本練習を体得すれば、対人練習において効果を発揮しなければならない。

相手と対戦する時は、目で見て頭で考えず、何も考えず、相手側と対立する力を体で反応して捕らえる為に容赦なく優先積極的に接触と邪魔を行う。

その3

対立を捕らえるとは、反対に働く力を捕らえることで

上手く均整を捕らえた梃子体の感覚が無ければ、対立を捕らえることは、不可能である。頭で判断することではなく、全身梃子体となり均整状態から対立により体で判断して対応ができる閃きに似た全身で捕らえる瞬間的感覚の様である。

その感覚は、次のとおり分類される

感覚は受容器(感覚細胞)や刺激の種類によって分類され,視覚,聴覚,嗅(きゅう)覚,味覚,皮膚感覚(触覚,痛覚,温覚,冷覚)からなる【外感覚】と,生体内部からの刺激源に起因する深部感覚,内臓感覚,平衡感覚などの【内感覚】とがある。【内感覚】は【外感覚】と違って感覚の種類の区別や局在が不明確な場合が多い。また,一般に視・聴・嗅・味・触覚を五感と呼ぶ。

その4

それでは、対立をどのように捕らえるか?

相手と対峙する時、相手側と接触前の段階としては、【外感覚】から相手側の動きを振動として捕らえる

振動音を聞いて耳で捕らえ、動きの振動を目で見て捕らえ、空気の振動及び地面の振動を皮膚で感じて捕らえる。

水に泳ぐ魚がみずを感じて反応するように体で感じる。

相手側と接触すれば、皮膚感覚を通じて【外感覚】で捕らえた信号情報を【内感覚】でも捕らえて深部感覚や平衡感覚から均整状態を制御する即ち相対性対立情報を捕らえ、相対性対立運動により対立を捕らえた梃子体を発揮する。

これらから目で見て頭で考え行動しては遅く、体で矛盾の状態を知り矛盾の力を効果的に発揮する梃子体を体得する。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。

意拳練習日詩第特53号

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

実戦に使える判断力及び対応力とは、多種多様な経験から養われる。その経験とは、対人練習による演習からあらゆる対立情報を捕らえあらゆる角度から多種多様に試行錯誤の中で多くの問題点と失敗から臨機応変に潜在能力を発揮する閃きの如く対応出来る段階へと体得していく相対性対立運動である。

その2

基礎練習において相対性対立運動から均整を体得すれば、対人練習による演習を通じて、上下前後左右へと三次元的にそれぞれに順方向と逆方向、作用と反作用の相対性対立が同時に働く情報を捕らえて全身の梃子体により、相対性対立運動により、臨機応変となる効果的な梃子入れを行い相手側の均整を破る潜在能力を発揮する。

その 3

単推手からの潜在能力の発揮、単推手においては、接触状態から守中用中を基軸に次々と変化してくる片手方向から働きかけてくる順方向と逆方向の対立情報を捕らえそれぞれに対抗する順方向と逆方向を千変万化による身体操作から相対性対立運動を発揮して、更に効果を追求して、如何なる時も両手及び裏股による両足の介入を図って、多種多様な経験から養われる最良の相対性対立運動を発揮して双推手における臨機応変となる判断力及び対応力を錬成する。

その 4

双推手からの潜在能力の発揮、双推手においては、接触状態から守中用中を基軸に次々と変化してくる両手方向からそれぞれに働きかけてくる順方向と逆方向の対立情報を捕らえそれぞれに対抗する順方向と逆方向を千変万化による身体操作から相対性対立運動を発揮して、更に効果を追求して、如何なる時も両手及び裏股による両足の介入を図って、多種多様な経験から養われる最良の相対性対立運動を発揮して断手及び対人補助練習における臨機応変となる判断力及び対応力を錬成する。

その5

断手及び対人補助練習からの潜在能力の発揮

接触状態及び離隔状態から守中用中を基軸に次々と変化してくる為、片手及び両手並び全身の何れかの接触箇所の方向から無条件にそれぞれに働きかけてくる順方向と逆方向の対立情報を捕らえそれぞれに対抗する順方向と逆方向を千変万化による身体操作から相対性対立運動を発揮して、更に効果を追求して、如何なる時も両手及び裏股による両足の介入を図って、多種多様な経験から養われる最良の相対性対立運動を発揮して実戦における臨機応変となる判断力及び対応力を錬成する。

その 6

この様に、各練習段階において多種多様な経験から養われる最良の相対性対立運動を発揮するには、セオリーは無く、コンビネーションも無く、決まった形や法則性も無い、その為に身体による対立を多種多様に積極的に経験して学び臨機応変に発揮される。

逆に消極的に脱力したり、自らの中心を守らなかったり、必要以上に力んだりすることは、対立を多種多様に経験して学ぶことを消極的にしてしまい、臨機応変とは程遠い限定的及び形式的な方向へ自らを招いてしまい潜在能力の発揮を妨げる結果となることを認識しなければならない。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。

意拳練習日詩第特53号'

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

岳銘先生、岳崢先生、二人の先生の意拳への考え方として、決まった状態はない。それ故、ある技は順行から言えば正解であり、逆行から言えば不正解であるがため、決まったセオリーも無くコンビネーションも無くシステムも無い、技は対立からリアルタイムに相対的に発生する相対性対立運動である。即ち有る力が発生すれば、必ずそれとは反対の力が発生する。この順逆が次から次へと転換する状態を矛盾の状態と言う。

リアルタイムとは、想像する盲目的な未来でもなく、過ぎ去った過去でもない、文字通り現在進行形の中で相対性対立運動の範囲から見通しが見える範囲と見直しが見える範囲を越えてはならない。順逆は、絶えず転換する範囲であり一瞬の閃きの範囲である。

その2

基本中の基本となる静止不動の站椿練習から重力と対立する抗重力から中心線を体得し、全身を包容する大気圧と対立して全身の内外と様々な方向へと三次元的に上下前後左右それぞれの方向に相対的に対立する全身各部に働く六面力を体得する。

その3

この種の力を活用して動的運動においても、順逆が同時同一に発生する相対性対立運動を操作ができるように体得する。

即ち矛盾の状態を知り矛盾の力を発揮させる。

その4

更にこの種の力を自由自在、縦横無尽、千変万化へと向上させるために対人練習においても重力と抗重力による上下の力となる作用反作用を操作して、順行となる直接接触面から接触と邪魔の中心線を捕らえて相手側へ作用させ、それと対立する我側として相手側から逆行となる対立する反作用を捕らえ矛盾の状態を掌握し、我側の好機を捕らえるには、効果的な梃子入れ作用を発揮させなければならない。即ち力は対立する逆の反対方向から発揮する。

その5

故に順行となる作用接触面に相対性対立運動によって逆行する反対側の身体操作により矛盾の力を発揮させる。

練習において、相対性対立運動は、緊張しても自意識過剰と一定方向に働く筋力で対立を捕らえことができず、脱力しても次から次へと対立を捕らえて防ぐことができない何れも一過性の手段にすぎず使い者にならない。従って機能別練習においても相手側の対立を継続して終止捕らえる練習をしなければならない。

その理由は明白で技の発揮は、相手側が倒れるまで変化継続して行われる。そのために対立を継続して捕らえることを放棄すれば、直接的打撃により致命的な損傷を食らうことになり、決して一過性のもので有ってはならない。

継続して対立を捕らえていれば、高いレベルの対立を学ぶことができ、レベルが向上すれば、順逆を転換して、好機を捕らえるチャンスが訪れことも有り、最悪、間接的打撃で致命的な損傷を避けることが可能となる。

ひとつひとつの練習においても継続して対立を捕らえることが站椿練習からの基本中の基本であり最大限の護身術であることを気づかなければ無意味となり練習を怠ったことと同じである。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。

意拳練習日詩第特54号

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

岳銘先生、岳崢先生、二人の先生の意拳への考え方として、相手側の攻撃を避けて或いは防いでから攻撃するようなヒットアンドウェイは採用しない、相手が忙しくとも自分は忙しくない攻防一体で有るとをご教示されていました。

その2

即ち相手側が出てくれば直線的に後退し相手側が後退すれば、直線的に前進する例えば球技のドッチボール的動きであれば、相手がボールを投げればそのボールをこちらが受け止め、受け止めたボールを相手側に投げ、まるでドッチボールの様な球技の間合い或いは攻防転換のタイミングは取らない。この間合い或いは攻防転換のタイミングは、時間と距離の短縮をするこたとが出来ない。

それでは時間と距離を短縮して攻防一体化するには、相手側が僅かに動けばアウトレンジから摩擦歩の要領で側面斜面から螺旋式に進撃或いは、後退して接触と邪魔を行い対立を捕らえて推手の間合いに入って相手側本体にある中心線を捕らえインファイトによる梃子入れからの攻防一体による発力練習の効果を確認する。

その際、見る価値は、相手側の振り回す手足に目もくれず、相手側の本体にある中心線の在りかをリサーチして捕らえることにある。

進撃と後退は、接触と邪魔をして相手側の対立を捕らえ最良の機会を得る為であり、できなければ体得する価値はない。この際、正面からの直前進或いは直後退は、前後の対立だけで左右と上下の対立が発揮できないため相手側に十分な時間と距離を与えてしまいその場から逃げられ、アウトレンジからの攻撃を受け受動的立場になり側面斜面からの接触と邪魔をして相手側の対立を上手く捕らえることが出来ない。

その反面、螺旋式の進撃或いは後退は、前後上下左右の対立から側面斜面へ相手の場を奪い、その接触と邪魔をして相手側の対立を捕らえれば、時間と距離を短縮させて攻防一体化ができ相手側の中心線をリサーチして奪い均整を乱し相手側に攻撃の準備の為の余裕を与えない受動的立場へ追いやることができ、我側は主導的立場に転換することができる。

その3

主導的立場と受動的立場の転換は、リアルタイムに相対的に対立を捕らえてなければ攻防一体化ができない。

相手側の動きと同時に側面斜面に進撃或いは後退して推手練習から積極的に接触と邪魔を行いリサーチして中心線の均整を乱しで体得した梃子入れによる攻防一体化による発力の好機を得る対人練習行う。そうでなければ、何の為に站椿を基礎に試力、摩擦歩、推手、発力、の練習をしているのか一貫性がない。単なる手足を振り回し球技の様に当て合いをする試し合いをしても練習事態が無駄骨となる。站椿から推手及び断手まで一貫して共通してる状態は、両腕を抱く状態が終始働いていることが明白である。これは、家を守る様に或いは城を守る城壁のような意味で、しかもこの壁は、固執した固さでもなく、軟らかく弱いものでもない剛柔同時の力を発揮し、万里の長城ように上下左右前後に起伏があり凹凸があり、決まった形もない攻防同時の力を発揮する様な両腕を媒体として相手側の対立を捕らえる。単推手練習で双方の片腕を媒体として対立を捕らえ相手側の中心線の均整を乱し臨機応変に相対性対立運動を演練しこの種の機能と力を応用して、双推手練習で双方の両腕を媒体として対立を捕らえ相手側の中心線の均整を乱し、

臨機応変に相対性対立運動を演練しこの種の機能と力を応用して、断手練習ではアウトレンジから双方の体全体の広範囲を媒体として捕らえ相手側の中心線の均整を乱しインファイトができる臨機応変に相対性対立運動による梃子入れを演練する。

その4

武器も同じく相手が刀を振ってきたら或いは、槍を突いてきたらブロックしたりかわしたりするのではなく、螺旋式に側面斜面へ進撃或いは後退して刀を或いは槍をぶつけて接触と邪魔をして対立を捕らえ攻防一体化による相手側の中心線の均整を乱すのである。

なぜ螺旋式になるか螺旋回転の中で対立する内転と外転が同時に発生する即ち対立する攻撃と防御が同時に発生する故に対立する引きずり込んで突き放す状態が同時に発生する。

この様に接触すれば、対立が発生し発生すれば相対性対立運動による攻防一体化した梃子入れが発力の好機を捕らえる。

例えばサッカーとラグビーの違いの様でサッカーは接触することはないので、アウトボクシングのように離れた位置から振り回して打撃部を狙う打撃戦であれば相手の剣先又は拳先や足先を当てるだけで同時に発生する相対性対立運動による梃子入れ動作となる技が一切無い。その反面ラグビーは、アウトから接触してインファイトに入って攻防を転換するようにタックルやスクラムなど梃子入れの技術が活用され相対性対立運動が発揮される

また、直線的攻撃だけでなく、側面斜面となるウィングと呼ばれる翼を攻撃する。戦術の三要素の迂回、包囲、突破の中の相手側の側面斜面のバランスを叩き潰す迂回である。

包囲は、相手側の対立を捕らえて背面を捕らえ、突破は迂回と包囲から接触と邪魔を行って対立を捕らえ最良の発力の機会を捕らえる。

その5

この様にインファイトによる打撃タックルを行い技を磨いて行く、その為前後上下左右の各方向からから接触して、攻防一体化した相対性対立運動を体得する。

その為に相手の対立を捕らえ推手練習を行うのは、当たり前で一貫性がある。

その種の力をスパーリングによってあらゆる接触方向からの相対性対立運動を行うアウトボクシング派は、タックルされたり、接触されのを避ける為に手足を必死に振り回し接触を避ける受動的立場となるが打撃タックル側はいつでも接触を図って、主導的立場を取ることが出来る。

即ちインファイトによる推手練習の技が出来なければ無意味となる。

意拳のスパーリングの練習目的は、アウトからインファイトにおいて、梃子入れの技が出来るかを養うために行い、インファイトアンドインファイトにより時間と距離の短縮を目的として狙う。

その6

この様に終始、対立を捕らえて梃子入れを行い、相手側が対立を放棄して脱力状態或いはノーガード状態或いは、腕力だけの固定した力の方向が限定されたガードは、対立能力が無い状態と捕らえれば、その位置からガードのない肩部、首部、背部を媒体に即引きずり込んで突き放す致命的な直接打撃を行い或いは、相手側が直接的打撃を回避する為、対立能力を発生させれば、対立を捕らえて梃子入れを行い或いは、当初から相手側に対立能力が有れば、それを捕らえて接触箇所から間接的に梃子入れを行う。

即ち致命的な損害を回避し、受動的立場から主導的立場への転換をするには対立状態を終始捕らえていなければ、自己への損害を避けることも逆転して梃子入れの機会を捕らえることも出来ない。

即ち常に終始対立を捕らえ相手側が倒れるまで対立を捕らえ続けて相手側を管理することを怠れば、自己を守ることも出来ず、梃子入れの技も無い即ち対立を学ぶ為の站椿の価値はここに有る。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。

意拳練習日詩第特55号

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

岳銘先生、岳崢先生、二人の先生の意拳への考え方として、練習の段階として矛盾の状態を捕らえ、矛盾の状態を操作して、矛盾の力を発揮しなければならない。故に相対的に対立の状態を捕らえ、対立の状態を操作して、対立の力を発揮する。

その為は、自己の中心が判らなければならないとをご教示されていました。

その2

即ち矛盾とは、相対的に対立する状態であり、物理的には、重力と関係する作用反作用の法則に類似する。

この様に物理的に発生する位置エネルギー及び運動エネルギーを迷信的思想では気と表現されていたのは、過去の論文である。

その3

站椿訓練では、静的運動とも言える状態において、主に上下に働く重力と抗力にを中心に前後、左右、内外へと三次元的に位置エネルギーを均整に捕らえる為の相対性対立運動である。即ち矛盾の状態を捕らえ矛盾の状態を操作して、矛盾の力を発揮する。故に相対的に対立の状態を捕らえ、対立の状態を操作して、対立の力を発揮する。

その4

站椿訓練から三次元的に位置エネルギーを均整に捕らえれば、試力訓練、摩擦歩訓練、試声訓練、発力訓練などの動的運動により位置エネルギーを運動エネルギーへ転化させる相対性対立運動である。即ち矛盾の状態を捕らえ矛盾の状態を操作して、矛盾の力を発揮する。故に相対的に対立の状態を捕らえ、対立の状態を操作して、対立の力を発揮する全身一致の梃子体を体得する。

その5

単推手訓練では、自己側と相手側とそれぞれの片手媒体により接触し規則性のない環状運動を通じて対立を捕らえ接触箇所は、物理的に梃子の原理となる支点となり支点以外のもう片方の手及び足裏から頭頂までは、重力を操作して、力点となって、相対性対立運動により矛盾の状態を捕らえ矛盾の状態を操作して、矛盾の力を発揮する。故に相対的に対立の状態を捕らえ、対立の状態を操作して、相手側の重心を捕らえ作用させる重心とは、物理的に物体の合力の中心でありその中心を奪って対立の力を発揮する全身一致の梃子体を体得する。

その6

双推手訓練では、自己側と相手側とそれぞれの両手媒体により片手媒体よりさらに多種多面的多様的に接触し規則性のない環状運動を通じて対立を捕らえ接触箇所は、片方の手は主力となり、もう片方の手は助力となり、それらは左右交互に千変万化した相対性対立操作を伴った物理的な梃子の原理となる支点となり以外の足裏から頭頂までは、重力を操作して、力点となって、相対性対立運動により矛盾の状態を捕らえ矛盾の状態を操作して、相手側の重心を捕らえ作用させる重心とは、物理的に物体の合力の中心でありその中心を奪って対立の力を発揮する矛盾の力を発揮する。故に相対的に対立の状態を捕らえ、対立の状態を操作して、対立の力を発揮する全身一致の梃子体を体得する。

その7

補完的対人訓練及び断手訓練では、打つ、投げる、落とす、捻る、飛ばすなどあらゆる相対性対立運動による梃子体を体得するために推手訓練で体得した相対性対立運動による梃子体の機能訓練を通じた支点となる手及び前腕の接触媒体は、支点なる接触媒体を選らばず、更に肘、肩、首、頭、腰、背中、足、膝、等の接触媒体が支点となる多種多面的多様的に接触し規則性のない接触運動を通じて対立を捕らえ接触箇所は、片方の支点媒体は主力となり、もう片方の支点媒体は助力となり、それらは左右交互に千変万化した相対性対立操作を伴った物理的な梃子の原理となる支点となり以外の足裏から頭頂までは、重力を操作して、力点となって、相対性対立運動により矛盾の状態を捕らえ矛盾の状態を操作して、相手側の重心を捕らえ作用させる重心とは、物理的に物体の合力の中心でありその中心を奪って対立の力を発揮する矛盾の力を発揮する。故に相対的に対立の状態を捕らえ、対立の状態を操作して、対立の力を発揮する全身一致の梃子体を体得する。

この様にあらゆる千変万化を伴う多種多面多様的な相対性対立運動をから効果的な梃子体により局面打開を追究するため決まった組手を行わない終始対立を捕らえ相対性対立訓練を怠らない。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。

意拳練習日詩第特56号

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

岳銘先生、岳崢先生、二人の先生の意拳への考え方として、相手側に物理的な力を作用させる為には、反対側に働く力を発生させなければならない。

相手側へ効果的な作用を与えるには、直接接触している正面箇所において、相対的に対立の状態を捕らえ、直接接触していない裏面にある体全体側が反対側に働く反作用力を発生するように操作を行う。

即ち、操作は、接触していない反対側にある梃子体となる体全体で力を発揮する

間違って、全て接触正面で対立を捕らえて、その接触正面で操作すれば、単なる正面的な腕力沙汰の手技に過ぎず、梃子の原理により体全体を使った効果的な力を発揮することができない

接触正面で対立の状態を捕らえ体全体により対立の状態を操作して、相対的な対立の力を発揮することをご教示されていました。

その1

練習の要領については、静的運動と動的運動の両面から相対性対立運動を体得する。

その2

静的運動による静止不動の状態から体全体を通して相対的な対立を捕らえ、それを操作しその力を発揮する相対性対立運動を体得する。

その3

動的運動による微動、小動大動、遅動、速動、対人運動など、縦横無尽の偏り状態から体全体を通じて千変万化、自由自在、臨機応変に体全体を通して相対的な対立を捕らえ、それを操作しその力を発揮する相対性対立運動を体得する。

その4

護身を追究する為には、競技審判が判定する技の追究をしない、護身の状態において実際に効かない状態が有れば相手側は逆上し逆襲を招くことになるため、終始対立を捕らえ力を発揮して相手側の戦意喪失を求めるまで対立を捕らえることを追究する

追究する例えとして、下は床までの衝突へ追込み、横は壁までの衝突を追込み、或い複数であれば、人と人への衝突へ追込み、立姿であれば、頭を抱えるまで追込むように常に終始対立を捕らえて相手側の戦意喪失を追究することを怠らない。

対立を餌として捕らえる捕食者のように訓練を体得する。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。

意拳練習日詩第特57号

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

岳銘先生、岳崢先生、二人の先生の意拳への考え方として、好機とは、相手側に最も近い接触箇所から力を発揮できるかが鍵となる。

即ち近くに美を求めることにある。

その2

遠間より近間へ、アウトからインファイトへ即移行でき、力を発揮する。

アウトからインファイトへの移行は、摩擦歩の要領により、地面の反作用を利用して左右の足を半歩(小歩)を用いて相対性対立運動による方向変換により側面斜面から自己の場所を譲り、自己の場所を奪還して、相手側への接触と邪魔の線を捕らえ、更に相手側との対立状態を捕らえて全身一致の梃子体を発揮するような時間と距離の短縮の技術力が絶好の機会となる。

その3

機会は求めてはならず、捕らえることにある。

捕らえるには、最も近い箇所から何時でも捕らえる状態を維持できるかが鍵となる。

遠間であれば、武器となる箇所は、手首より前の掌か拳、膝より前の足低か脛などの限定されたところとなり大きな動作により時間と距離が短縮できず、機会が発生しても過ぎ去ってしまう。

その4

ルール上、相互に一定の遠間の間合から審判の判定の基に時間と距離が保証されている技術であれば、問題がないが、護身となると時間と距離のルールは保証されない状態が発生する。

例えば、遠間が保証されているパンチの速い者が遠間が保証されないクリンチになった瞬間、或いは遠間が保証されているキックの速い者が保証されないタックルを受けた瞬間、遠間が保証されている速い動きが邪魔されて力が発揮出来ない状態が発生してしまう。

よく見かけるスピードパンチが目に見える速さで抱きつかれて何も出来ない状態、スピードキックが目に見える速さでタックルされて何も出来ない状態、遠間保証者のスピードが勝っているのに技が発揮出来ないのは、何故かタックルや抱きつきは、遠間保証であるパンチやキックを受けたりパンチやキックでは仕掛けない接触と邪魔を使って相手側の本体をターゲティングしている為で力の発揮する場所がインファイトとなる相手側本体である為である。

その5

逆に近間であっても時間と距離が短縮できる修練が不足していれば、その機会は失われる。

修練の不足している者の特徴は、肘の張りがなく、肘を下げている。手首より前の掌や拳を直ぐに使い、合わせて直ぐに掴む動作や払う動作を使い、利き手と利き脚を主に使い、足のスタンスが大股で有り、飛び足、すり足、からす足を使い

遠間保証を使い、対立を捕らえない、空間フェイントを使い、即腕力を使い、梃子入れを使わないことが代表的な特徴と言える。

その6

逆に熟練者の特徴は、遠間から即近間へ移行する。

足のスタンスが小股で左右の足を地面の反作用で螺旋を効かせながら場所を相手側に譲りながら奪還する相対性対立運動を行っている

肘の張りが常に有る。前腕から肘にかけて接触と邪魔を行い相手側の対立を捕らえる。対立を捕らえて梃子入れを反面操作及び反方向性転移を行い、梃子入れを操作を行いつつ相手を管理し、拳、脚、投げを発揮し、利き手及び利き脚の概念がない、接触と邪魔によるフェイントを使い相手側からの対立を自由自在、縦横無尽に捕らえては、千変万化による梃子入れを行うことを下は、地面まで、横は壁まで追い込むように相手側を叩き付けるか、頭を抱えて或いは耳をふさぐような戦意喪失まで繰返し終始怠らない。

その7

その為、対立を餌として捕らえる捕食者のようにアウトから接触と邪魔によるインファイトへインファイトから相対性対立運動による梃子入れ操作訓練をあらゆる間合と方向から多種多様多面的に主導権的多面の螺旋を体得する。

主導的とは、相手側の対立を捕らえて、相対性対立操作により相手側を牛の鼻輪や馬の馬銜を操作するように管理する状態である。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。

意拳練習日詩第特58号

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

岳銘先生、岳崢先生、二人の先生の意拳への考え方として、自己の中心と相手側の中心が解らなければ好機を捕らえることはできない。

その2

基本練習によりに前後左右上下に相対的に働く対立を捕らえて自己の均整を操作して、中心を体得する。

対人練習により相互に相対的に対立する状態を捕らえて自己の中心を守り、自己の中心を用いて相手側の中心を暴露させ、均整を崩壊させる。

その3

相手側の中心を暴露崩壊させるには、自己の中心指力を用いて相手側の中心を指して、それに伴って相手側から相対的に働く対立を捕らえて、反方向性転移による反面操作及び梃子入れ操作を用いて相手側の均整を乱し崩壊させる。或いは、相互に相対的に働く対立を捕らえて、反方向性転移による反面操作及び梃子入れ操作から相手側の中心を暴露させ相手側の均整を乱し崩壊させる。

その4

基本練習から対人練習に至るまで、一貫して共通していることは、有る力が働いた時、必ず反対に働く力が発生する。

自己の中心を求めるには、相対的対立操作運動を体得する。

相手側の中心を暴露させるには、相互に相対的に対立する状態を捕らえて自己の中心を守り、自己の中心を用いて相手側の中心を暴露させ、均整を崩壊させる。

時間と距離を短縮する技術力が絶好の機会となる。

その5

即ち中心を捕らえるには、対立を捕らえて操作しなければならない。逆に対立を捕らえるには、中心を捕らえなければならない。

このように中心と対立は同時に同調して働いている。

相互に鼻の頭である中心を求めれば、対立が発生し、相対的に対立を捕らえれば対立操作が可能となり重心中心となる真中に的中すれば、効果的な梃子入れ操作ができ、この操作を中心と対立を求めて、次から次へ臨機応変に密接かつ継続的に止むことなく発揮する。

基本練習から対人練習まで

終始、中心と相対性対立操作運動のこの両面を同時に体得することを怠らない。

その6

体得するにはリラックスしていなければならない。

脱力し、緊張するのは、対立を放棄した状態であり

中心を放棄したか、対立を放棄したことによる状態が具現化された状態である。それでは、最良のリラックスした状態とは、時間と距離が短縮された余裕のある状態であり、その状態とは、中心を捕らえ相対性対立操作運動による梃子入れ操作が可能状態にこそ現れる。

先生が言われた言葉として

相手は、忙しいが自己は、忙しくない状態である。

その7

まだ、接触していない遠間でも中心と対立を捕らえることができる。こちらの少しの動きに相手が少し動けば、中心が発生しているこの僅かな動きを見逃さず接触と邪魔の機会を捕らえなければならない。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。

意拳練習日詩第特59号

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

岳銘先生、岳崢先生、二人の先生の意拳への考え方として、相手の中心のありかを探せ、相手が僅かでも動けば、中心を調整した状態であり、この調整中を決して見逃してはいけない。

即ち側面斜面から縦横無尽に積極的に揺さぶりをかけて相手側の状態を監察しては介入し、介入しては、状態を監察して、あらゆる方向から千変万化する調整中を捕らえる。

その2

千変万化する多面的な間合において、接触している状態と接触していない状態が発生する。それでは接触していない状態でどの様に中心を探すか、摩擦歩の要領で自己の中心を守り用いて僅かに体全体を相対性対立操作運動からの螺旋により捻り側面斜面から中心を指す力により相手が中心を調整する間の対立状態をリアルタイムに捕らえる。

その3

自己から進撃或いは迎撃する状態において相手が僅かでも中心を対立調整して動けば、さらに揺さぶり側面斜面から進撃或いは迎撃し相手の調整中の中心を捕らえることにより時間と距離の短縮を獲得して、接触の機会を捕らえる。即ちアウトからインファイトへの機会を捕らえる。

自己が調整する中心螺旋から相手側が調整する中心螺旋を誘発させ、この様に双方に対立する調整中を探して相手側の中心を暴露させて、接触する機会を捕らえ、接触と邪魔の線を獲得して、自己の中心から発揮して相手側の中心螺旋を誘発させて螺旋と螺旋を衝突させ好機を得る。

その4

相手の僅かな動きを捕らえる象徴として、鼻、首、肩など中心と密接かつ継続的に対立連動している更に微細な動きとは、瞬きの瞬間もに見逃さない状態となる。

対立調整とは、対戦相手に対して自己の中心を守る為に、或いは中心を用いる為の縦横無尽、臨機応変に千変万化する操作運動であり、セオリーもコンビネーションもなく、予想や博打をすることなく、リアルタイムに対立状態を常に監察して、調整中を積極的に捕らえて相手の中心を暴露させる。

自己の中心と相手側の中心が解らなければ好機を捕らえることはできない。

その5

接触している状態への移行

リアルタイムに対立状態を常に監察して、縦横無尽に臨機応変に千変万化して調整中を積極的に捕らえて相手の中心を暴露させることができれば、アウトレンジからインファイトへの接触と邪魔の状態を捕らえることができそれに伴って相手側から相対的に働く対立を臨機応変に捕らえて、反方向性転移による反面操作及び梃子入れ操作を用いて相手側の均整を乱し崩壊させる。或いは、相互に相対的に働く対立を捕らえて、反方向性転移による反面操作及び梃子入れ操作から相手側の中心を暴露させ相手側の均整を乱し崩壊させる。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。

意拳練習日詩第特60号

【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

その1

岳銘先生、岳崢先生、二人の先生の意拳への考え方として、機会は追いかけ求めてはならない。機会(チヤンス)は、何時でも捕らえる状態でなければならない。

その状態とは、平均した状態を何時でも保つ為の全身の法を地道に鍛練してこそ大胆かつ積極的に機会を捕らえることができる。

機会を捕らえるには、特に足の巧妙な操作が非常に重要である。

その2

平均した状態とは、相対的対立状態である。

相対性対立とは、有る力が働くと必ず反対に働く力が発生する。これらは、古き時代の迷信的思想による気と言う表現しかなかった時代のものではない。

現代の物理的力学に基づいた運動エネルギーを運用して、単独練習及び対人練習において、その働く力は、千変万化するため、物理的に対立変化する相手側からのシグナルやチヤンネルを防衛反応及び心理的感覚として捕らえ自己の中心から上下前後左右へと三次元的に働くバランスを保った反面操作による梃子体及び反方向性転移による梃子体並びに作用反作用による梃子体等により相対性対立操作を行い平均を調整し、相手側の中心を指し、それに伴う相対性対立状態を捕らえ、相手側の相対性対立状態から相手側の中心線を暴露させ相手側が行う平均の調整中を捕らえるため

アンバランスは、絶対的であり、バランスが相対的である様に有る力を発生させるには、有る力の逆から力を発生させる様に心理的及び物理的にも相対性対立操作を行う正に物心両面を本文とする弁証法的唯物論に該当すると言える。

その3

いにしえからの名を成せた思想家、兵法家、哲学者、学者、宗教家、実業家、武術家など賢者の思考として一貫した共通事項があり、また古きは東洋の陰陽思想からニュートンの林檎の落ちる法則まで一貫した共通した事項がある。それは、有る力が働いた時、必ず反対に働く力が発生するそれが相対性対立状態である。

彼らは天才的才能の持主であり、我々凡人は到底及ばないが、近付けるヒントが隠されいるそれが意拳と呼ばれる拳学にある。

意拳では、相対性対立状態を【矛盾の状態】と言う。

この状態を操作し相対性対立操作の可能性を追求することが各基本練習の目的となり、その追求は、矛盾の状態を知り体得し、更に小さく、短く、強力に瞬間的に全身同調同時一致の力を発揮する即ち【矛盾の力】を体得することを追求する。

相対性対立操作の可能性を追求するには、上下の力、即ち重力を使って物理的重心と心理的中心は、重力落下線にある重力を活用し螺旋を伴って捻り下げて引きずり込むと地面の反作用を伴った抗重力を活用し捻り上げて突き放す。例えれば、水面が重力で落下して上昇する波の重力波であるこの種の力は、接触すれば、電気のスイッチが入った様に感電して弾き飛ぶ力を発揮する。

その4

重力波の操作は、手の操作が3割、足の巧妙な操作が7割で手三部足七部と言われている為、足の操作から全身が操作され手が操作される。手の接触で対立を捕らえれば、手で対立操作を行わず、腕力沙汰に頼らず、左右の足による操作から矛盾の力の援軍を呼び、中心指力による操作から矛盾の力の援軍を呼び、六合かによる操作から矛盾の力の援軍を呼び上下前後左右から守中用中及び三尖相照、反方向性転移、反面操作等による操作から矛盾の力の援軍を呼び、基本練習で培ったさまざま方向から守るべき秘訣及び練習効果の要点要因等から相対的に総合的に矛盾の力の援軍を呼び集めて加入させるには、左右の足の操作感覚から発揮されることが重要となる。このように左右の足の操作感覚から重力波の下降により、相手の心理的中心と物理的な重心を同時に場を奪い相手側を無抵抗化させて、反対に働く上昇は、相手側を無抵抗化させた状態で無重力状態を生じる。これらの全ては、左右の足の巧妙な操作により肘と膝が操作され、肩と腰が操作され、背中と胸が操作され、首と頭が操作され、手と足が操作される様に相対性対立操作による全身による梃子体操作である。

その5

全身による梃子体操作とは

左右の足の操作感覚から小手先となる拳や掌を直接な力操作に使わないようにして手の内となる手首、前腕、肘の操作を巧妙にする。

操作を巧妙するには、三尖相照による中心指力に基づき、六合に基づき肩と寛骨、肘と膝の同調により腕と足が合う様に手三部足七部操作を巧妙にする様に相手側の中心線を指し続けると前後左右上下に相対性対立状態が生じ逆に前後左右上下に相対性対立状態から中心線を捕らえることを目的とした操作を体得する

その6

操作とは、単なる運動ではなく、形は決まらない、セオリーもなく、コンビネーションもなく、水平、垂直直角による綺麗な技でもなく、むしろ形は、曲がっていても力は真っ直ぐであり千変万化する多面的な間合において、接触している状態と接触していない状態でも臨機応変に何時でも自己及び相手側が中心を調整する間の対立状態を中心指力と接触と邪魔によりリアルタイムに足からの操作で捕らえる。

単なる足の運動ではなく、

【敵、我より先に動き、我敵より後に動き敵より先に到達する】即ち調整中、移動中、準備中の不安定状態から何時でも重力波を活用した螺旋力により側面斜面へ臨機応変に移動し相対性対立操作を行う為に前進して攻防一対の迎撃し、後退して攻防一対の迎撃を行う操作であり、手の操作感覚を上回る操作感覚がある状態となる即ち足の操作により、手が操作出来る実感があるかないかが、上達の目安である。

釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。