意拳練習日誌第特(101~110号)

意拳練習日詩第特101号


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。


意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



その1

【一枝動けば百枝が動く】

構えた位置から掌撃及び拳撃並び脚撃を単なる打撃の目的の為だけに仕事をさせてはいけない、一部を優遇して全体が無駄となる何故なら掌及び拳は腕全体のたったの一部で有り脚は体全体の一部で有り構えた位置から 接触と邪魔により前腕部及び肘部並びに上腕部、肩部が胸部、腹部、背部、腰部、両脚部など抵抗力として阻まれる為 、その抵抗を相対的対立操作となるつり合い力を捕らえて相手の重心を的中させる。



その2

例えば拳は技として出す拳が有れば技として引く拳も有れば技として捻る拳も有れば技として上げる拳も有れば技として下げる拳も有れば技として開く拳も有れば技として閉じる拳も有り、これらを手首より先端部のみに限定するとリーチの長さとリードタイムに阻まれ抵抗に対応できない。



その3

相手からの攻撃方向に対してかわすこと無く、払うこと無く、ブロックすること無く相手の攻撃方向に僅かな捻りと僅かな動きにより自己の場を譲りその場を奪回する様に攻撃する即ち攻撃は最大の防御となる

その際、形曲力直及び三尖相照を生かしネジ及びドリルの螺旋力により相手の側面斜面を捕らえ最も接近した接触と邪魔により相対的対立操作となるつり合い力を捕らえて相手の重心を的中させる目的が鮮明化する。



その4

螺旋力は、有る力が働けば必ず反対に働く力が発生する螺旋状態で有る。

站椿、試力、発力、試声、単操手、推手、断手へと静的運動から動的運動まで一貫して発揮される。



その5

爪先から頭頂まで同時に螺旋力を発揮するこの螺旋運動はつり合い力により時計回り反時計回りに縦横無尽に変換操作出きるその操作の秘訣は、肩と腰が合い肘と膝が合い腕と足が合い拳と爪先が合い鼻中を中心に左右を越えず前後は、一尺を越えず上は眉を越えず下は臍を越えず地面に作用させた反作用から上下のつり合い力となる上方螺旋と下方螺旋を発揮するこれが上下の力となり左右螺旋力及び前後螺旋力を伴う。



その6

足どりは軽く小歩となり小刻みに相手の動きに合わせ螺旋運動を行い、摺り足及び飛び足は使わず内旋と外旋による陰陽の足どりは、つり合い力により時計回り反時計回りに縦横無尽に変換操作し左右前後へと螺旋力をもって前進後退側面斜面に進撃し場を譲り場を奪回し好機を捕らえる。



その7

打撃戦(パンチ及びキック)から接近密着戦(組技及び投げ技並びに絞め技、関節技)まで相手の抵抗の強弱、全てにおいて、僅かな動きと捻りにより相手からの情報を感覚統合により識別化してつり合い力を発揮し必勝の要因となる相手の最大の弱点である重心を的中させる。



釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである

 



【10】日詩第特95号続編


追求するのは力学の原理であり、拳学による人体の感覚統合を対象とする応用力学であり、技術と工学によりに役立つ生産物を得るために、計画・設計・製造・検査の段階に基礎的科学を応用する技術とは目的が別格である。

意拳の技術としておおまかには、重力による位置エネルギーを捕らえて運動エネルギーに転化できる運動エネルギー「0」保存の状態つり合い等の状態を捕らえて、螺旋運動による慣性力を発揮して発力を行う。


【その1】

意拳によるルールとは何だろうか?

ポイント判断でもなく、接近すればレフリーストップがかかる様な審判判断でもない、実戦護身においては審判が居ない状態である。

その回答は、至って簡単、簡潔明瞭、単純明快である

どの様な攻撃で有ろうが、

どの様な防御で有ろうが、

どの様な状態からで有ろうが確実に重心的中をした者が勝者となる。

どの様な状態とは?

即ちどの様な間合いにおいても構える準備が出来ないとっさに起きる状態から防衛反応が優先された状態、即ち審判がレフリーストップをしてくれない状態である。

逆にどの様な手段を講じても重心的中が出来ない者は敗者となる。


【その2】

それでは重心的中とは?

相対的に対立を読むと言うことになります。

即ち力学にあるつり合い力を捕らえていることです。基本練習は、自己のつり合い力を養成します。

バーベル等による筋力養成でもなく、ランニング等による持久力養成でもない、

これを知る一部の者だけを除いて、殆んどの人が気付かず、或いは無視してきた

これまでの体の鍛え方がまったく異なる相対的対立運動【つり合い力】養成が必須で有る。

有る力が働いた時、必ず反対に働く力が発生するこの中間作用が重心であり中心である。基本練習において自己のつり合い力で自己の重心(中心)が判れば、対人練習において、相手と接触すれば相手の重心(中心)を的中できる技術のことです。


【その3】

その技術とは?

練習日誌第92号から95号をよく参照にカギは、前後左右上下を足裏土踏まず、足首、膝、股関節、腰、肩、肘、手首、掌、拳が【全身一致】して僅かな力で、同時にねじを切る様に螺旋をもって斜め上と斜め下へと【つり合い状態】を獲得する為の体全体が両手の分銅を操作する様に相手側の偏りと反発力を発生させたときに生ずると相手との力を合一から分解する原理に基ずき相手側の重心を的中させることができる。

僅かな力と僅かな動きによりつり合い状態は、【反面操作】による【反方向性転移】よる僅かな力と逆方向へ僅かな力で【つり合い状態】が発生し【重心的中】すれば、相手側の頭はこちらとは逆方向に動くことで効果の確認ができる。

 

即ち【つり合い状態】を捕る為の【梃子体】に【相対的操作】による重心的中である。

 

足裏は終始一貫、猛禽類が獲物を掴む様にの足の指と踵で力まず地を掴む様に土踏まずが上部へ上がる状態である。

 


釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである 


意拳練習日詩第特102号


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。


意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



その1

【セルフデイフエンス】

(護身)

対峙する相手の特徴をリサーチするには二つ有り、意識的な方法としてリーチ優位のジャブ及びフエイント並びに経験反射等の視覚優位の誘導で情報識別化を図り意識的に技を発揮する。



その2

二つ目は、無意識的に働く感覚統合に潜在する皮膚感覚等優位をリサーチしてその感覚情報をレセプトし識別化して意識的につり合い力をもって相手の重心的中を行う。

意識的なデイフエンスとの違いは、受ける為の技では無くまた、受けた後に攻撃する技では無く、接触と邪魔の為に受けて、つり合い状態(矛盾の状態)を相対的対立操作をして、つり合い力(矛盾の力)を発揮して相手の重心を的中させる 。防御技と攻撃枝が同時に発揮する攻防一対で有る。



その3

特徴としては、拳技及び剣技、並びに柄物技、四つ組、絞め技等の何れかの如何なる動作にも共通して一貫している矛盾の状態(有り力が働けば必ず反対に働く力が発生する)から矛盾の力でただちに応じることが可能である。



その4

接触と邪魔により相手の抵抗を相対的対立操作となるつり合い状態から防衛反応により識別化情報を捕らえて僅かな動きと僅かな力により相手の重心を的中させる。



その5

僅かな動き僅かな力による螺旋力により、点目標から線目標へと相手を観察し、螺旋力により観察して接触と邪魔を行い側面斜面から矛盾の状態を捕らえて、つり合い状態を掌握しつり合い力を発揮して相手の重心を的中させるこの状態が攻防一対で有る。



その6

練習方法は、ルールを決めずあらゆる方向から接触と邪魔を行い矛盾の状態を捕らえて相対的対立操作によりつり合い力を発揮出来る

練習を目的に行う。

強いてルールと言えば、極めて単純に何時でも何処でも僅かな動きと僅かな力で重心的中を目的に行う。



釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである

 


意拳練習日詩第特103号


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。


意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



その1

【シームレス】

終始つり合い力は、途切れが無い状態を追求する。

相手に触れる感覚は、舞い降りる羽毛が皮膚に接触する様に真綿が接触する様に

①無力の中に力を求める。

②微動の中に速度を求める。

③拙劣の中に巧妙を求める。

④抽象の中に具体性を求める。

①防御は消極的なブロックでもなく、パリーでもなくバックステップでもない。

目的は積極的に無意識化で働く防衛反応から意識的リサーチで読取り識別化して相手の特徴を掴むためにある。

②攻撃は力学でありつり合い力により重心的中を捕らえる為のアクションである。この攻防のリサーチとアクションを同時に起こす【矛盾の状態】が判れば【攻防一対】の力を発揮する【矛盾の力】である。

③無意識に働く防衛反応で相手の特徴を識別信号として意識的に捕らえ意識的に働く相対的対立操作によりつり合い力を発揮して相手の重心を的中させる。

それらは、派手な大きな動きでは無く、僅かな力と僅かな動きによるものである。


その2

【セルフデイフエンス】

(護身)として、攻撃は、最大の防御である。

大きくは、2種類に別れる。


①一つは先手となる進撃

攻撃的に防御する。


②二つは後手となる迎撃

防御的に攻撃する。


③何れも攻防一対となる接触(感覚統合)と邪魔(力学)の技術からつり合い力を発揮して重心を的中させる。



その3

【目的は重心的中】

①打撃が目的の殴り合いでもなく、投げる締めるが目的の掴み合いでもない。

また、その為にウエイトトレーニングでの筋力鍛錬を重視することもなく、ランニングトレーニングでの持久力鍛錬を重視することでもない。


②いくら筋力や持久力の鍛錬を行っても重心を的中させる鍛錬は出来ない。


③つり合い力は、全く異質の鍛錬から重心を的中させる技術である。

また、相手の技術に合わせることなく、惑わらされず、つり合い力から重心的中のみを目的とする。



その4

【六合】

(力学と感覚統合)

①このつり合い力をもった螺旋力により接触と邪魔を行いリサーチしてその感覚統合情報をレセプトし識別化して意識的につり合い力をもって相手の重心的中を行う。


②螺旋力は、地面からの反力を足裏から捻り腰と背を軸の様に回せば、肩と腰に自由自在に捻りを加えることが力学の決め手となる。



その5

【力学的外三合】による

重心的中

①【合力】

物体の合力の中心を重心

②【分力】

物体の重心をつり合い力により均整を保つ分力

③【重力】

重力に対立する作用反作用とつり合い力



その6

【感覚統合内三合】による重心的中


①【前庭感覚】:耳の奥の前庭器官で感じます。平衡感覚ともいわれ、頭の傾きや動き、スピード、重力を感知して、相対的なバランスから自己の中心(重心)を脳に伝える防衛反応である。

 


②【触覚】

皮膚感覚として人が高等な哺乳類として、進化の過程で作り上げた情報処理をする機能として、視覚を使わず触れたものの「素材」や「かたち」「大きさ」を触り分けたり、自分のからだのどの「位置」に触れているかを感知したりする防衛反応で相手の力と方向などの特徴を感知するときに使っている触覚の働きを【識別系】と言う。



③【固有受容覚】

相手の接触とのにより相手の力量を感知する【触覚】から【前庭感覚】により重力から相対的な対立関係を感知して:筋肉、腱、関節などで感じて、手足の位置や運動の様子、物の重さなどの情報を脳に伝え、姿勢を保持したり、体をスムーズに動かす防衛反応であり相対的な対立操作つり合い力をもって重心を的中させる。



【無意の中の真意追求】

①【小手先】

特に手首より前にある手指は視覚が伴うと意識的に働く為、防衛反応が発揮しにくい小手先と呼ばれる


②【懐が深い】

手首より体幹側方向に向かうにつれ無意識に働く防衛反応が発揮される。

即ち感覚統合が冴えあらゆる方向から識別化させることがある。



釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである




意拳練習日詩第特104号


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。


意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



その1

意拳は伝統武術ではありません。即ち型、コンビネーションなど定型となる標準的な動作はありません。

故に意拳の表面化されている技術は、セオリーではありません。防衛反応による潜在能力の発揮の為に有ります。



王岳銘先生曰く

 王郷齋先生時代から練習方法は、実践と理論に基づき次次と改良と削除がされ、当初は練習項目の名称も無かったと聞きました。



その2

即ち常にこだわりを持ち、こだわりを捨てる様に固定観念の無いフリーダムに矛盾の状態、矛盾の力を発揮する効果的なつり合い力を求める武術の為、決してパーフェクトでなく大成はしていない大成を求める未完成状態なので、大成拳の称号を使わなかったと聞いています。

 表面化のフォーム技術は、仮説的です。

この場合のセオリーは中身のことで、矛盾の状態はつり合い状態でありフォームでは実現化出来ません。



その3

一番の近道はどんな状態でも僅かな動きと僅かな力でつり合い力を発揮できる技術を体得することで、フォームがどうしても気になる場合は、いくらでも有る意拳のユーチュウーブ動画を見て真似すれば言い訳ですが、しかし何故につかえないのか、つり合い力を発揮出来ないからです。

★王郷齋先生曰く

【私の形を真似るな中身を理解せよ】

一貫して共通しているとろは、有る力が働けば、同時に反対に働く力が発生する矛盾の状態と矛盾の力を体現できるところ特に接触と邪魔の技術から最大の弱点である重心を的中させことができるかどうかが最も重要です。

即ち接触と邪魔による感覚統合とつり合い力をどんどん指導受けをしてリサーチからの情報収拾力を感覚統合を通じて力学となるつり合い力を体得するのが情報不足を伴いあちこちと迷わない為の最良の方法です。

【俗に言われる手解きを受けることになります。】



釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである

 


意拳練習日詩第特105号


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。


意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



その1

★【原理原則は一つ】

有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に発生する僅かな力と僅かな動きによるつり合い力から相手側の中心である重心的中を目的に頑張って下さい。

動作のフォームはつり合い力を発揮する力学を発揮する為の仮説の梃子体であり、派手にかっこよく見せるものではない。無意識に働く防衛反応等の触覚情報から有る力に対して反対に働く力をつり合い力で同時に発生させ相手側の中心となる重心を的中させる潜在能力を発揮するなかみの技術である。



その2

★【手三分足七分】

全身操作の割合は足の操作と使い方が七割と重要です。

殆どの人は手の使い方に注目しますが、全身操作の割合は三割程度となります。足の操作の七割は地面からの反力を使って右半身と左半身を足の内旋と外旋による螺旋状操作からつり合い力を発揮することに注目して下さい。



その3

★【六合】

この際、右半身と左半身を足の内旋と外旋による螺旋状操作により肩と腰が合い肘と膝が合い手と足が合う【外三合】である。

この様に正面側の動きは拙劣に見え背中側の肩と腰の動きは相手の力量をリサーチしてはかる無意識に働く触覚から中心を捕らえる情報をレセプトして意識的にえつり合い力を巧妙に操作し中心を捕らえる為に無意識を意識化する意と気と心が合う感覚統合となる【内三合】である。

俗に言われる正面側が陰面であり背面側が陽面である

前進後退は螺旋状に動く為側面斜面への移動が含まれている



その4

★【守中用中】

重力線となる中心線は、相手側の正面でなく斜投影さらに等角投影の状態において発生する此れを終始観察

する為、止まった状態で動く前の状態で移動中の状態で接触と邪魔の状態において怠らず足は居着かない。



その5

★【三尖相照】

站椿の立ち姿も試力も摩擦歩も全て、手先と足先と鼻先は正面でもなく半身でもないほぼ等角投影にある姿である。狙うわ相手側の正面でなく側面斜面となる等角投影を終始獲得するまで居着かない動きである。

俗に言われる【牛の鼻輪を牽く様に百牛を牽く】



その6

★【拳に拳が無く意に意が無く無意の中に真意が有る】

手の使い方は、相手の力量をリサーチしてはかる無意識に働く防衛反応等の触覚から情報をレセプトして意識的に捕らえれば、つり合い力を同時に操作することが可能である

殆どの人は意識的に情報を集め意識的に操作するが、

意拳は、無意識に働く防衛反応から情報を得て意識的につり合い力を操作する。

即ち防衛反応は、運動神経の伝達網よりも圧倒的に速く、相手側の防衛反応も利用することができる俗に言われる【相手の力を利用】することが可能である。

意拳の熟練者は例えば鳥肌を自由自在に操作することができるのもこの無意識を意識的に捕らえる感覚である。



釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである 



意拳練習日詩第特106号


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。


意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。

これらは、武術奥義の名言にも精通するところが在り

その一部を紹介します。



その1

★転身回打の技

身を転じて回打す、其の機は頭に在り。



全身の螺旋運動による強力な打撃は僅かに動く頭の巧妙な操作により効果を発揮している。

手足が自由に動かせない赤坊の寝返りは、僅かな頭の操作によりことを成し遂げているこれが神髄である。



その2

★七分脚を看、三分手を看る。



熟練者の全身による強力な打撃力は主となる脚の操作から脚力が七分以下では腕力に頼り、七分以上で発揮されることを看なければならない。また、脚力から伝達された力を基に従となる手の操作は三分以上は腕力に頼り、三分以下の力まないつり合い力が十分に発揮できることを看なければならない 。



その3

★脚到れば手を勾え、拳来たれば腕格かう。



主となる脚の操作と脚力が

満ちたれば相手の手を操作することができ、その従となる手の操作と腕力は相手の腕全ての機能を不能にする。



その4

★退は是れ仮退、真退は是れ敗退、歩歩前に向かえば天下無敵。



退くは前に行くため、本気で退却すれば敗北である。手と足が一体となり進撃すれば相手を威圧し屈服させることができる。



その5

★身は弩弓の如く、拳は箭の如し



熟練者の全身による強力な打撃力は、全身の屈折により順逆の作用が同時に働く何時でも爆発力を発揮させる状態に在る。



その6

★仮を以て真を乱し、敵を誘いて深く入れる。



熟練者の全身による順逆の作用が同時に操作された相手の状態は懐深く乱されながら重心を的中することが可能である 。



その7

★攻字頭に当たり、俺字先と為す。



【俺】とは【守】の意味である。

攻守は同時に一体でありどちらが先でもない。

攻守一体又は、攻防一体

矛と盾の機能を同時に発揮させる。

矛盾の状態で有り、発揮して矛盾の力となる。



その8

★拳を打つこと容易なるも走歩難し。



従となる拳を打つ動作は簡単であるが主となる足の操作は難しい。



その9

★歩活ならざれば則ち拳乱れ歩快ならざれば則ち拳慢なり。



足の操作が活発でなければ拳は乱れ、足の操作が快適であれば拳の操作は満ち足りている。


意拳練習日詩第特107号へ続く


釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである 



意拳練習日詩第特107号


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。


意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。

これらは、武術奥義の名言にも精通するところが在り

その一部を紹介します。

意拳練習日詩第特106号から続く



その10

★拳有りて腿無ければ勝ちを取り難く、腿有りて拳無ければ先を占め難し。

心身一たび動けば脚手従い、手脚斉く到らば方に全を成す。



拳が操作できても足が操作できてなければ勝利を得ることは困難であり、足が操作できても拳が操作できてなければ相手を圧倒することは困難である。

習練を積むことにより手と足が一体になることが可能である心身が一体となれば無意識に全身が動く時、手足が一体となり万全な攻防が可能となる。



その11

★脚に根、腿に発し腰に主宰する。



足首より先は、根が生えた様に大地を掴み地面からの反力を捕らえなければ、足の付け根から足首までの脚から力を発揮することができる要は腰で有り上半身は肩、背中、肘、手と下半身は股、膝、腿が一体となるどちらが先でもない全身一致の同時の軸である。



その12

★我に似せる者は生き、我を象る者は死す。



【似】は、矛盾の力及び潜在能力の発揮並びに神髄の追求から創意工夫する者は大きく成長して生かされ、【象】は表面的な真似をし模倣する者は格好よさと外観を求め成長もなく死に体となる。



その13

★人を射るには先ず馬を射よ



相手の技の基礎土台を崩せ

即ち相手の最大の弱点は重心的中である。



その14

★中年武を習う未だ遅しと為さず。



武術を持つ奥深さは、社会経験を積んだ中年から武術を始めてもけっしておそすぎることはない。



その15

★老年武を習い尚堅持ず。



老年になって武術を開始しても日々続ければけっして遅くはない。老いて学べば則ち死すとも朽ちず。



その16

★氷凍ること三尺一日の寒に非ず。縄鋸木を断ち、水滴石を穿つ。



水が三尺凍るのは、一日の寒さではなく、何日間も寒さが続いたからである。

縄の鋸でも引き続ければ木を断ち切ることができる。

止むなく落ち続ける水滴は石をもえぐる。継続は力なり。



その17

★動くこと涛の如く、静かなること岳の如く、起つこと猿の如く、落ちること鵲の如く、立つこと鶏の如く站つこと松の如く、転ずること輪の如く、折れること弓の如く、軽きこと葉の如く、重きこと鉄の如く、緩きこと鷹の如く、快きこと風の如く。



動く時は波の勢いで位置エネルギーと運動エネルギーを自由自在に操作し、静止している時は上下一体して高い山の様に堂々と立ち如何なる状態にも直ちに応じ、上がる時はつり合い力を持ち猿の様に身軽に、下がる時もつり合い力を持ち鵲の様に素早く、立ち止まる時は片足の時も鶏の様に大地を踏みしめ何時でも地面からの反力を得ている。

站ち続ける時は根を生やした松の木の様に足は大地を掴み精神は頭上を貫き形は曲がっているが力は真っ直ぐで等角投影又は斜投影で側面斜面から相手を観察し、回る時は順転逆転からつり合い力を持ち車輌の様に円滑に、折れ曲がる時は弓の様にしなかやに全身が曲を保ち、軽は上方に向かう抗力を体得し木葉の様に身軽く、重は下方に向かう重力を体得し鉄の様に重量感を持ち、全身を抱擁する空気抵抗を感じて大空を舞う鷹の様にゆったりと大気の中で水中遊泳と同様に空中遊泳を行い、なびく旗の様に風の様な軽快さを持つ。



その18

★人有るも人無きに似、人無きも人有るに似たり。

独練の時、敵無きも人敵、有るに似、応対の時も敵有るも敵無きに似たり。



単独練習の時、対人練習の様に敵が有る様に練習し、対人練習の時は単独練習の様に敵が無い様に練習する



その19

★彼動かざれば、我動かず

彼微動すれば、我先に到る

人に遅れて発し、人に先んじて拳す。


無駄に動かず、螺旋状につり合い力を持つ状態から等角投影或いは、斜投影から

よく観察し相手の僅かな動きとなる起こりの動作或いは、準備中、移動中における状態を看るや側面斜面を制する。

制するにはつり合い力を持つ螺旋運動による居着かぬ足によりつり合い力から相手に場を譲り場を奪回し重心を的中させる。

この時、相手側の先手により積極的な攻撃及び準備中に対して後発制人を取る。

或いは、相手側の後手により消極的な防御及び移動中に対して先発制人を取る。



釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである

  


意拳練習日詩第特108号


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。


意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



その1

★【足は、大地を、支え精神は頭上を貫く】

重力による地面からの抗力を捉える作用反作用及びつり合い力から順逆同時の感覚は地面と直接接触している唯一の箇所は文字通り土台となる足裏である。



その2

大地を支える感覚は、足裏全体で軽く地面を掴むと同時に土踏まずは構成され足心の感覚を捉える運動においては、平衡感覚、つまり瞬時に力を発揮しやすい姿勢が取れるか否かが、反応速度(瞬発力)や動作の切り返しに大きな影響を与え、土踏まずの有無によって顕著な差が生じると考えられている。

これらは、以前説明した感覚統合と力学におけるつり合い力の発揮により効果の確認ができる。

スポーツによる大地を蹴ることでは無く、武術で言う地に足が付いていること上手く踏むことである。



その3

この際、前重心に偏ると足指だけが地面を掴み後ろ重心に偏ると浮き足立つ事になる。    土踏まずが上方へ吸い上げるような感覚が支える感覚である。

即ち大きな力を入れなくとも大地から自分に向かって押してくる感覚である。壁を押すと壁から押し返してくる感覚である。

感覚を掴めば大きな力を使わず、僅かな動作と僅かな力で体得できる。これが有る力が働けば必ず反対に働く力が働くこの中間作用が中心で在り重心で在るそれらが、つり合い力の初歩である。



その4

静的運動から動的運動までの上下前後左右へのあらゆる姿勢は、終始一貫して固定的では無く、各動作に応じて柔軟に自由自在に大地を掴むこのような状態を保っている。



その5

例えば、泥濘地を歩く状態は足裏で泥を掴んだり離したりするような感覚で体全体はつり合い力により、右半身と左半身を順逆で捻りながら足を泥から引き上げながら前進後退する。



その6

土台となる足裏は基盤である。

基盤となる分類は次の三つを指す。

一つは【上盤】

胸部、肩部、頭部、首、肘

一つは【中盤】

腹部、腰部、寛骨

一つは【下盤】

足低部、下退部、大腿部、膝、足首

そのうち下盤は土台となりその上に中盤、更に上に上盤が上下前後左右へ働くつり合い力により上手く積み上げられ自己の中心と重心の在りかを捉え更に矛盾の状態を捉え更に矛盾の力を発揮するため上盤中盤下盤となる全身が一つとなる。


全身が一つになるヒントは、内三合外三合、

三尖相照、形曲力直、反方向性転位、反面操作、上下相随などこれら全ては、土台となる足裏が大地を掴み重力と同時に抗力を捉え自己の中心となる重心の在りかを感覚統合と力学におけるつり合い力をもって体得することが武術奥義にも精通する。



釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである

  


意拳練習日詩第特109号


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出きる。


意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。


その1

つり合い力とは、有る力が働けば必ず反対に働く力が発生する原理から偏りを逆方向から均整状態へ導く。

当初からのつり合いによる均整状態ではない



その2

即ち有る力により偏りが起これば、反対に働く力で制御し均整状態へ操作する力である。

その為、単純な順逆ではなく千変万化する方向力量など多面的にあらゆる状態からこれを僅かな力と動きにより螺旋状に逆方向から同時操作する順逆が一つとなる技術である。



その3

有る力から偏りが発生すれば、もちろん偏りに応じて反対の操作により力を発揮するため水平或いは垂直または直角での均整状態でのつり合いではなく起伏凹凸での偏りからの上弦下弦、順転逆転、起伏、上半身下半身、左半身右半身、前進後退が互いに正と負、陰面と陽面がそれぞれが逆に働く力を同時に一体化させてつり合い力を発揮して相手の中心となる重心を的中させる。



その4

つり合い状態は初歩の時期では大きな力と大きな動き早急な速さなど大ざっぱで大きな偏りとムリムダムラが有り時間と距離の間隙が大きく隙が多い。

感覚統合とつり合い力から修練と経験から時間と距離の短縮を積み上げていく過程で僅かな偏りを具体的に捉え無力に近い僅かな力と微動に近い僅かな動きによる巧妙な重心的中感覚を体得していく。



その5

僅かな偏りを捉えては逆方向から僅かな力と動きで同時に均整を捉え重心の在りかを的中させる常にあらゆる変化に応じて正負、順逆、表裏、陰陽は同時一体化となる。



その6

つり合い力の殆どは、

螺旋力を帯びている

螺旋状につり合い力を発揮している為である

例えば台風の渦、渦潮、竜巻など巨大な力を生み出し常に内側に向かう力と外側に向かう力が同時同一につり合い力を発揮している

効率的なつり合い力の

動作は【大動と言われる】大きな動作や大きな力ではなく【微動と言われる】ごく小さく僅かな動作やごく小さく僅かな力で有り更に【不動と言われる】站椿に近い極限状態での接触により一触即発を求める。



その7

全ては足裏からの重力と抗力を掌握し気などはの迷信的思想は一切排除することから始まり、その感覚は、足裏全体で軽く地面を掴むと同時に土踏まずは構成され足心の感覚を捉える運動においては、平衡感覚、つまり瞬時に力を発揮しやすい姿勢が取れるか否かが、反応速度(瞬発力)や動作の切り返しに大きな影響を与え、土踏まずの有無によって顕著な差が生じる。



釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである

  


意拳練習日詩第特110号


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。


意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



その1

古来から戦場において、敵の【翼】を叩くことを【迂回】といい或いは【声東撃西】といい或いは意拳では【横走警鐘】とも言います。単なる陽動作戦では相手側の側面斜面への移動をする際、全て相対的に同時同一に発揮される。少しでも時間差と動き出しの偏りによる行動の暴露があってはいけない。



その2

既に対峙した状態から

等角投影及び斜投影をとおして目標となる相手側の角を捉え側面斜面から相対的対立運動は発揮されている。

同時同一に回り込む寸前まで意図の秘匿がされる突発的奇襲攻撃である。



その3

このポイントは対峙する側が相手側を上手く正面対峙させることで成功率が高くなる。

即ちこちら正面側から相手正面に対峙しつつ場を譲るように回り込み迂回側とのつり合い力を持って奪回する為

【俗に言われる押せば引け引かば回せ】全て相対的に同時同一に発揮される。

こちら側の意図を隠し相手側の判断力を寸前で乱し時間的余裕を与えない常に準備中、移動中などの中途半端な途中状態から躊躇なく接触と邪魔を突発的に仕掛ける。



その4

相手の中心は、表に有る鼻筋から股下の線上に有る中心だけではなく、斜投影及び等角投影同様に角に現れる物体の合力の中心(重心)となる線上の裏の中心が有る。

この表裏の中心を同時同一に多面的につり合い力を持って捉えることにより相手側の防衛反応が誘発される。

このように練習においても技撃站椿は、正面ではなく半身でもない正に斜投影及び等角投影であり、試力、発力、推手、断手などの全ての動作、摩擦歩による側面斜面はこれを捉える為に練習する。

この角を捉えることができれば、僅かな動作と僅かな力から大きな力を発揮するごとができる。

この角を見つける練習として、対峙した状態から等角投影及び斜投影をとおして目標となる相手側の角を捉える側面斜面から相対的対立運動は発揮して同時同一左右旋回起伏前後が順逆転位の運動として発揮されることを求める。



釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである