意拳練習日誌第特(121~130号)
意拳練習日詩第特121号
【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】
これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。
梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。
意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。
その1
【順力逆行】
全ては有る力が働けば同時に逆に働く力が発生するこれはらはつり合い力であり代表的な
作用反作用も同様に同時に発生する。
例えばある高さからボールを落下させ地面に当たれば上方へ帰ってくるがこの一連の動作は大きく力も比例し時間と距離も長すぎるため求めている効果的なつり合い力は発揮されていない。
その2
【一触即発】
求めているものは、即ち一触即発である。
実は最も重視すべきところはボールが地面に当たる瞬間に起きる。地面に向かう下方に力が働き同時に地面から上方に押し返してくる力が働くこの一連の動作は時間と距離が最も短く同時に重力に相対する抗力と同様に対象物に衝突した瞬間に発生する。
それではその時期と条件とは時間と距離が短く同時に近い者ほどレベルが高く逆に時間と距離が長い者ほどレベルは低い。また、僅かな動作と力で重心を的中させる者はレベルは高く、大きな動作と力で重心を的中させる者ほどレベルは低いと言える。
その3
【抽象の中に具体性】
抽象の中に具体性を求めると上手く立つようにまた上手く座るように上下が上手くつり合い力を保つ中間作用を構成するには足裏から全身の重力に従い地面に向かう下方に力が働いた時に同時に地面からの反力及び抗力により逆方向から全身上方に力が働く。この時に重力落下線は上方から下方の両足の中間に中間作用によりつり合い力を保ち落ち中心線は構成され重心は的中する。足は大地を支え精神は頭上を貫く要件は満たしている。
その4
【天地人】
即ち天地人の意味で全て同時に偏りがなく上下の力は力学的につり合い力として相対的に働く重心で有りその感覚は中心でどちらにも偏らない有るようで無いような中間作用である。それ故に重心を的中させるには大きな偏りが少なく僅かな力と動作により相対的対立操作を体得する。
釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。
意拳練習日詩第特122号
【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】
これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。
梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。
意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。
その1
【平衡感覚】
防衛反応は、重心を安定させるための平衡感覚で有り、耳石の傾きから無意識に安定させる。このように意には自己の意図による意識操作と自己の意図でない無意識による防衛反応がある。
その2
【触覚】
例えば、皮膚感覚は暑さ寒さ、痛み、痒み、重さ軽さ、強さ弱さ、方向、手探りで物の形状などを判断する識別系感覚などの触覚も無意識による防衛反応である。
この無意識で働く触覚から接触感覚を持って相手側の情報をリサーチし意識としてレセプトする。また無意識に
働く平衡感覚は重力と抗力からリサーチして中間作用をとらへ意識として重心的中をレセプトさせ終始安定させる相対的なバランス操作である。
その3
【避難鳥】
このように一貫して共通していることは有る力が働くと必ず反対に働く力が発生するようはに作用と反作用及び意識と無意識を同時に捉え相手を逃がさない操作である。手の上に載せた鳥を逃がさない常態化と同様である。即ち粘けいの極意である。
その4
【一触即発】
重心的中の操作はつり合い力などの作用と反作用及び意識と無意識による相対的操作から同時に順力逆行による僅かな動作と力により3次元にある球体を全身により上下左右前後へと多面的な螺旋回転運動により操作が可能であり時間と距離を極限まで短縮する。
即ち一触即発の極意である。
逆に大きな動きと力、水平、垂直、直角の動きでは動作と力が大きく時間と距離が長く上手く操作が出来ない。
その5
【無意真意】
意とは意識と無意識を相対的に操作することである。
即ち無意識に働く防衛反応によりリサーチして意識により技が発揮される。
無意識即ち無の境地である。
即ち無意識で捉えた情報から意識的な操作から技となるため、偶像崇拝の如く形もセオリーもコンビネーションも標準も重視しないため固執が無いのである。意識的に情報を集めて意識的に操作するものとは全く別の次元のものである。
即ち次元が違う。
釈迦の八正道有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。
意拳練習日詩第特123号
【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】
これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。
梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。
意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。
その1
意識と無意識がある。
意識は思考から行動に至る即ち頭で考えて行う行動である。
無意識は思考から離れ感覚から行動に至る防衛反応による行動である即ち感じて行う行動である。
意識と無意識は表裏一体であり力学にも有る力が働けば同時に反対に働く力が発生するのも表裏一体である。
意識的に無意識状態である重心的中を捉える。例えば相手側の攻撃に対する抵抗として払う、ブロック、かわすなど意識的に防御を行うとそこからは相手側の無意識状態である重心的中を捉えることができない。
その2
無意識状態である重心的中を捉える。
意識的に壁を押した時、無意識に壁から押し返してくるこの状態は作用反作用の順逆に働く力が表裏一体となっているためである。
壁と手のひらで起きた状態ではない。壁は対象物で意識的に押す手のひらは無意識的に反対の力を受取る媒体でもある。それでは有る力は何処から働いているか足裏である。足裏からも手のひらと同じように意識的に地面を押しているが無意識的に地面から押し返してくる状態が手のひらと同様に重力に対して抗力が発生しこのように全身各部に作用反作用と同様につり合い力が発揮されている。
要領は地面からの抗力を得て内旋と外旋が同時に発生する。重心の操作は、丸く旋回する順転と逆転が動作同時に発揮される。
その3
このように相手側の防衛反応となる無意識状態は頭とは正反対の足裏から発揮される。
払う、かわす、ブロックは相手の無意識状態は捉えることができない。払う、かわす、ブロックのこの3動作を一つにして足裏から接種箇所において接触と邪魔の技術を磨く。意識から無意識を捉えるこの感覚は正に拳に拳なく意に意がなく無意の中に真意がある状態である。
その4
全快を出す筋力も脱力も自意識過剰の状態で全て意識によるものですが同時に無意識が発生しています。
この無意識運動は、必ず基の状態へ戻す為に耳石が動きそれに伴って防衛反応が起きます
意識で操作出来ません。これらは力学的にも有る力が発生すれば必ず反対に働く力が起きることと同じく有から無が発生し無から有が発生すると同じく。意識的に力強い動作には無意識的にこの状態を維持する為に逆方向に力が働き、逆に意識的な脱力はこの状態を維持する為、他方向へ無意識的に力が発生している。接種箇所は相手の強筋力や脱力
を捉えるのではなく、相手の自意識過剰を捉えて防衛反応を起こさせ無意識の状態を捉え
て相手の無備及び無意を捉える接触と邪魔の技術である。
その5
この無意識状態を捉えるためのレベル向上は
初心者は判りやすい強い力や大きな動作から捉えて、徐々にレベル向上とともに僅かな動きと僅かな力で捉えるレベルを追求する。
要領としては、無力の中に力を求める様に微動の中に速度を求める様に拙劣の中に巧妙を求める様に抽象の中に具体性を求める様に意識の中に無意識を求める様に無意識の中に意識を求める様に微細繊細な状態を捉えることを求める。
その6
顔面より頭部は防衛反応が強く働くまた相手の顔面は点目標ではなく首も含んでいるため表面から見た中心ではなく防衛反応が起きた瞬間に無意識的に重心的中が起きるこの時、的中された側はバランスが取れず為す術が無い条件であるこれが矛盾の状態でありこれを技術的に発揮する力を矛盾の力と言う。
その7
アンバランスは絶対的てあり、バランスとは相対的であり具体性を求めるならば意識と無意識、作用反作用、つり合い力、軸力、応力などの有る力に反対に働く力が同時に発生している。
意拳の意は意識と無意識の相対的操作である。
相対的操作の要領
無力のなかに力を求め
微動の中に速度を求め
拙劣の中に巧妙を求め
抽象の中に具体性を求める。
意識の中に無意識を求め無意識の中に意識を求める。
拳に拳なく意に意がなく無意の中に真意を求める。
相手の防衛反応から無意識を捉える練習ができているかが、レベル
向上のヒントである。
対峙する双方が意識的であれば絶好の機会は現れない。
相手の無意識状態を捉えてこそ相手の無意不意にいずる絶好の機会がある。
釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである
意拳練習日詩第特124号
【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】
これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。
梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。
意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。
その1
【木を見て森を見ず】と言うことわざがある。
局部に気をとられ全体を見ることの出来ない者への戒めである。
更に全体には表裏一体もあり、有る力が働けば逆の力もあり、意識的に捉えれば反対に無意識もあり、全て相対的に同時に対立して働いてる。
その2
【拳に拳無く】
意識的な視覚聴覚を情報源としたパンチやキックなどの手足だけの局部にこだわららない接触する箇所全てが武器となる
即ち無意識的に皮膚感覚となる触覚と防衛反応が大きな情報源となる。
その3
【意に意が無く】
まだ接触しない距離間隔において視覚聴覚から情報源に意識的に考えた手順にこだわらず、視覚聴覚から側面斜面の僅かな傾きによる情報源は平衡感覚への違和感から無意識に防衛反応を発生させ無備となり見ている様で見ていない時間が発生するまた、皮膚感覚となる触覚により僅かな傾きによる防衛反応からの情報源を重視するつまり考えるな感じろとなる。故に意識と反対に感じて同時に無意識に発生する防衛反応から相手が無意識に本体である重心を安定させる前に相手の重心を的中をさせるこの無意及び無備となる真意を捉える。
その4
【真意】
意識とは思考から行動に至る即ち頭で考えて行う行動である。
無意識とは思考から離れ感覚から行動に至る防衛反応による行動である即ち感じて行う行動である。
この二つは常に同時に発生している。また同様に有る力に対して必ず反対の力が発生する
特に最も重要な上下の力は重力に対して抗力か発生し更に前後左右内外へそれぞれ作用反作用にともないつり合い力が発生しているこの状態を矛盾の状態と言いこれを対立操作して矛盾の力を発揮する
その5
【矛盾の力】
その行動は手足だけの局部にこだわららない推手練習、グローブ練習、打つ蹴る投げ関節技による決まりはない無意識を感じて捉える対人練習から学んで千変万化に対応するため、同じ対人練習だけでは、局部を優先させ全体を無くす状態となる。それ故にあらゆる方向と角度から接触と邪魔により意識と相対する無意識を捉え重心的中となる真意を捉えることが目的となる。
釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである
意拳練習日詩第特125号
【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】
これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。
梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。
意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。
その1
【正面は側面斜面であり側面斜面は正面である】と言うわれる。
答えは球体であるどこから見ても正面であるまたどこから見ても側面斜面でもある。
側面斜面の傾きは、まだ接触しない距離から接触した状態においても僅かな力及び動きにより耳石の傾きを伴う違和感を感じて無意識に防衛反応により重心の安定を図るその状態こそが無意識による無防備である為、無重力状態に不意を突かれる最悪の状態である。
その2
意識的に有る力を発揮する場合、必ず同時に無意識的に防衛反応によるバランスを維持する為に反対に働く力が発生している。球体が動く時も順逆の力と動きにより近くから遠くへ押し回し同時に遠くから近くへ引き回されている。
更にその球体の面は歯車の歯の凸凹でありどこから接触してもクラッチの様にかみ合い何時で何処でも順逆によるつり合い力を発揮できる好機である。
その3
好機は待つものではなくまた、望むものでもない。
即ち機(き)を見(み)るに敏(びん)と言われる様に好都合な状況や時期をすばやくつかんで的確に行動する如く重心的中をさせる操作は球体の動き回しにより発揮される。
球体による三次元立体的梃子操作であるため
僅かな力と僅かな動きであり左右の操作も平均的ではないまるで左右が機能別に相対的対立操作を行うパラレルシフトの様に有る動きに対立して反対の動きが発生し有る力に対立して反対に力が発生し意識に対立して無意識化で発生する。これらの軌跡は盆の上で傾きが発生すれば球が転がるように球体で有るため三次元的に相対的対立操作により効果的に発揮されるため決まった技や型はない自由自在に千変万化する為、
有る技が全て有効ではなく、それに対する逆技が相対的に発生する即ち正解でもあり不正解でもある表裏一体となる。
その4
相対的対立操作は重力から抗力を捉え自己の中心(重心)を体得するには足裏の土踏まずが常時活かされ地面に意識的作用から無意識的反作用を発生させ上下、前後、左右、旋回方向変換など平衡感覚の修正が瞬間的に実施されているため足裏の土踏まずを上手く使えるかどうかが決定打となる。
その5
つり合い力、作用反作用の法則等の力学を体得しているか?
自己の足裏土踏まずから前身の重力を地面の下方に落下させ同時に相対する上方に働く抗力を体得しているか?
上下前後左右へそれぞれへ働く力の方向と同時に反対に働く力を体得しているか?
相手側の有る力に相対して反対に働く力が同時に発揮されている状態を体得しているか?
相手側の思考による自意識に相対して同時に無意識に感じる防衛反応が発生している状態を体得しているか?
体得するには接触した皮膚感覚となる触覚を
鍛錬する要領として
無力の中に力を求め
微動の中に速度を求め
拙劣の中に巧妙を求め
抽象の中に具体性を求める。
釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。
意拳練習日詩第特126号
【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】
これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。
梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。
意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。
その1
重心の在りかを探せとは簡単に説明すると
意識的に片足で立っている時、相手側から軽い僅かな力で外力が加わると耳石が傾き無意識に基の位置へ戻す操作が防衛反応である。
防衛反応を捉えるには
接触したまま邪魔する
要領で僅かな動きと力から相手側の防衛反応を僅かな動きと力を触覚で捉え視覚と聴覚で効果の確認により体得する。この際必要以上の自意識や動きや力を過剰に出すと相手側に重心情報を奪われたり逆に過剰に緩めて脱力したりすれば無備と不意を突かれ順逆等分の中間作用は体得出来ない。
その2
この様に意識と無意識は常に分銅秤や天秤のつり合い力と同様に表裏一体であり、安定性を保つ為の中間作用は順逆や作用反作用と同様に矛盾の状態を現す。
それでは、両足で立っている場合はどうなのか?左右の足から起伏く発生させる為に左右ランダムに片足立ち状態となりそれらを支える為に力が更なる意識を発生させ同時に無意識による防衛反応を捉える機会が発生する。
その3
機会とは求めてはならない。何時で捉える状態にあるそれは全身同時一致の全身の法にある。
全身同時一致とは、急がば回れの中には次の動作が同時に起きている。
押せば引け、引けば回せは、一つ一つの単独動作ではない。全て同時に起きる。
場を譲り場を奪うも同じ一つ一つの単独動作ではなく同時に起きている。
戒めは小手先の技である手首より前による自意識過剰による思考操作にあるため手首より後ろの前腕、肘、上腕による全身操作にある
即ち懐が深い状態となる。
出鼻を叩け側面斜面から突発的に接触と邪魔により生かさず殺さずに例える中間作用を捉え相手側の情報を思考ではなく感覚から情報を獲得する。意識は思考(考えるな)無意識は感覚(感じろ)である。
その4
自己の重心操作は相手側の重心情報から捉えて螺旋旋回運動により
効果が発揮され戒めは
意識過剰による水平、垂直、直角運動及び相手側への寄りかかりでありこれらは全て相手側へ重心情報を暴露させていることと同じである。即ち球体の螺旋による旋回運動が重要である。
下半身については、足裏土踏まずから足首がよく旋回し膝、股関節も同時に旋回しそれに伴い上半身についても手の指は軽く曲げられる有る物を軽く持つ様な状態は手首は自由自在に旋回しそれに伴い、軽く曲げられた肘、肩、腰の関節はそれぞれの旋回が同時に行われる。千変万化において旋回する起伏運動の中に重力波が生まれ防衛反応が暴露する
即ち急がば回れである。
釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。
意拳練習日詩第特127号
【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】
これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。
梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。
意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。
その1
更に重心的中を簡単に説明する。
例えば立ったまま目をつぶって何れかの方向に僅かに寄りかかると体が無意識に反応して基の位置に戻します。
全ての動きは耳石が傾くため無意識に僅かな動きと力により平衡感覚が働くこれが防衛反応の一つである。
この瞬間最も速く動いているところが足裏です。即ち足裏から全身を何れかの方向に操作できれば、バランスを保って瞬間的に最も速く動けることになります。
その2
次に相手との接触と邪魔における状態から触覚を発揮するには例えば目をつぶって手探りで触ったその物の形状や特徴、強弱、重軽、方向などがなんであるか視覚及び聴覚からの情報分析できない識別系の触覚が瞬間的に最も情報を捉える事ができる。即ち視覚は見て捉え聴覚は聴いて捉え触覚は触れて捉えるこの三つの情報から捉えて最も重視するのは主力となる触覚であり視覚と聴覚はその状態を観察する助力の関係となる。
その3
触覚が主力として使われる場合、即ち無意の中に真意がある無意識に感じる情報を優先となるため相手側に我が意図が暴露されないため僅かな動きと力により体力の消耗を避け相手側に近づくにつれ大きな打撃力を有する。逆に視覚と聴覚が主力になった場合、手足を振り回し意識的に考えることが優先となるため相手側に我が意図が暴露するため大きな体力の消耗と相手側に近づくにつれ打撃力は失速して行く。
その4
防衛反応を捉えるには
更に簡単に説明すると足裏と触覚の機能を同時に発揮できる練習が必要である。
その為この機能を発揮するための機能別訓練を原理原則に基づいて必要な各ポイントを押さえ矛盾の状態を知り全身各部に働く矛盾の力を発揮させる為に基本練習を一つ一つ確実にあらゆる力の要因を掌握し全身の法を体得する。
僅かな動きと力により相手側の寄りかかりと支えを捉えるその支えと寄りかかりに対して自己の足裏と触覚から同時同様に反対から僅かな動きと力によりつり合い力を発生させれば動きながらも接触し放れない状態となりその状態から相手を管理し主導権を獲得する。
即ち忙しく動いて相手側との接触と邪魔により失速して手足が顔面に当たっても主導権が無ければ効果が無い。
その5
貴方が何を目標にしているかで練習目的は大きく二つに別れる。
その一つ相手側は手足振り回して当てにくるのでなく、襲ってくるのであり突発的に最接近されても打撃力の失速とスタミナ切れにより効果が無いのと同じ審判の顔色を伺って美観を求めて勝敗を決めて満足するか或いはもう一つとして相手側の重心を奪って何時でも致命傷を負わせる主導権を獲得する技術を体得するかは貴方次第です。
その6
例えば剣術家が真剣で弟子と実践練習を行う場合、本当に斬れば弟子は斬り殺されて弟子は育ちません。重心的中の技術により弟子の重心を奪って斬る寸前で止め何時でも殺せる技術を教えてもらって教わることになります。本当の寸止めは重心を奪って完全に主導権を獲得することかが大前提でありそれ故相手の重心が安定していれば効果的な寸止めでは無い美観だけ求めた無意味のものとなる。
その7
意識的な攻撃は先手による相手側への寄りかかりと支えである。
意識的防御も後手による相手側への寄りかかりと支えである。
寄りかかりと支えは地面以外への箇所へのバランスを取る為の依存であり水平、垂直、直角に求めるが無意識的には螺旋旋回運動の中に出現する。
重心は旋回運動により操作ができ順逆等分の力が終始働いているこれが相対的バランスである。その為、急がば回れの諺のとおり自己については足裏及び触覚を主力として並びに視覚と聴覚の助力による防衛反応情報を捉え重力による反作用から起動力を獲得できる地面以外に依存しない。
足裏を通じて全身各部の頭頂と手の掌は同時に合い足首と手首は同時に合い肘と膝が同時に合い肩と股が同時に合い視覚と聴覚と触覚からの防衛反応情報が同時に合う全身一致による全身操作 による螺旋旋回運動でありそれに伴い重心の在りかを的中できる技術でもある。
釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。
意拳練習日詩第特128号
【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】
これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。
梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。
意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。
その1
体の前面が陰面であり背面が陽面であると言われる。
その理由は有る方向に動作を意識的に働かせれば有る力が発生しその動作を安定させる為に無意識的に反対方向に働く力が同時に発生する。
即ち力の方向が決まっていない相対的対立状態を鍛練する。
敵と対峙したとき、相手の意図は接触による手足の当たる部分が決まった方向へと働く力により自意識が優位な顔面やボディなどの局所箇所への目標的中が第1優先である。
それに対してこちらの意図は、接触と邪魔による全身に広がる触覚情報から無意識に反対方向に働く相対的対立状態となる防衛反応を優位に捉えた重心的中である。即ち終始一貫して重心的中が第1優先であり目標的中は第2優位である。
重心的中無くして目標的中無し。
その2
それでは重心の在りかを探して捉えには力学による一貫した共通事項として有る力が働けば必ず反対に働く力が発生する理屈が応えであり自意識が働けば逆に無意識が同時に働く。
これは自意識による有る方向動作に対して、前庭感覚により無意識に逆方向動作による防衛反応が働く。
その3
この防衛反応を捉える技術であり捉えれば、つり合い接触箇所は鳥もちで捉えたように離れない。即ちリードをとらない、払わない
かわさない、ブロックしない状態であり、このつり合い接触箇所が梃子の支点となり作用点は直ぐ近くで発揮され支点から最も遠い力点は足と地面の接触箇所である。
支点は点で捉えることなく側面斜面のあらゆる方向から防衛反応を捉えて相手側の身体へ近づけるほど極限まで時間と距離を短縮し僅かな動きと力で大きな梃子力を発揮する。
その4
側面斜面は地面から足裏をとおり頭上へ同時に足七部手三部の割合と内に抱くこと七部外に張ること三部の割合を持って螺旋状の段違いによる相対的対立状態から全身一致により形成される三次元的梃子体となる。
この状態が矛盾の状態であり作用反作用の状態でありつり合い力であり中間作用であり無重力状態であり無意であり真意であり重心的中である。
釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。
意拳練習日詩第特129号
【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】
これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。
梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。
意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。
その1
意拳では博打はしないと言うどのようなことか?
構えから目標的中までの空間動作において
自意識による視覚聴覚を優先した事のなりゆきを、希望を交えて都合のよいようにおしはかる希望的観測はしないと言う意味合いである。
それではどのようにするのか?
構えから目標的中までの空間を埋めて管理する重心的中を第1優先にするため周囲の情報を現在進行形で防衛反応を主体とした触覚により捉えて相手側のバランス感覚を管理する
視覚聴覚は効果の確認として介入させる。
その2
意拳では体の前面が陰面であり背面が陽面であると言われる。
その理由は有る方向に動作を意識的に働かせれば有る力が発生しその動作を安定させる為に無意識的に反対方向に働く力が同時に発生する。故にアンバランスは絶対的でありバランスは相対的である。
即ち力の方向が決まっていない相対的対立状態を鍛練する。
相対的対立状態を例えると分銅秤や天秤や輪軸や栓抜きやドライバーなど力学的に梃子の原理を象徴する表裏一体、攻防一体を備えた梃子体を鍛練する。
鍛錬の目安として目標的中は自意識過剰のため利き手利き足が優先となり、逆に重心的中
はバランスは無意識による操作のため利き手利き足が無い状態となる。
その3
敵と対峙したとき、相手の意図は接触による手足の当たる部分が決まった方向へと働く力により自意識が優位な顔面やボディなどの局所箇所への目標的中が第1優先である。
それに対してこちらの意図は、接触と邪魔による全身に広がる触覚情報から無意識に反対方向に働く相対的対立状態となる防衛反応を優位に捉えた重心的中が第1優先である。即ち終始一貫して重心的中が第1優先であり目標的中は第2優位である。
重心的中により目標的中が達成できる。
重心的中無くして目標的中無し。
単なる目標的中は博打である説明である。
目標的中が表であれば重心的中は裏である。
正に表裏一体を同時に鍛える。
釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。
意拳練習日詩第特130号
【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】
これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。
梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。
意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。
その1
意拳論にもある中心とは力学的には物体がバランスを取るための合力の中心であるとともにそれが重心である。
自己の中心が判れば相手側の中心が判ることから表面にある目標的中よりも本体となる重心的中を最優先されている。バランスをとる中心とは有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に発生する相対的対立により安定されている。この様に力学的に働く力を運動エネルギーと言いこれらを古典的に【気】と呼んでいる。
その2
相対的対立操作とは固定化された安定ではなく流動的に有る力が働けば必ず反対に働く力が発生する千変万化する中間作用であり、つり合い力であり、このような相対的状態を陰陽、順逆、表裏一体、また【意】とは思考を主体とする意識と感覚を主体とする無意識を同時に捉える状態など
全身同時一致を追求するため僅かな動きと力により時間と距離を極限までにを短縮する。
意拳ではこれらを総じて矛盾の状態と呼び体得した者が矛盾の力を発揮することができる。
その3
これらは古くは東洋の陰陽思想からニュートンのリンゴが落ちる法則まで歴史上の賢者達が解いた一貫した共通事項である。
その賢者達の一人クラウゼビッツの絶対戦争論にもある敵の最大の弱点は重心であると説いている。
それでは重心の在りかは何処か。
力を発揮するためにバランスを取って力を貯める経路や地域などロジスティクが活動の源となる場所、準備中、移動中、伝達中など途中となる時間と距離と場所となる。
即ち戦闘の前線部隊が安定的な力を発揮する為の後方支援部隊との相対的中心となる重心を捉え撃破する。
釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。