意拳練習日誌(1~100号)

意拳研究練習日誌第1号

矛盾の力

洋の東西を問わず東洋の陰陽思想からニュートンの引力の法則まで、必ず共通していることがある。

それは、ある方向に力が働けば、必ず逆の方向に力が働く。これらを矛盾の力と意拳では説いている。

複雑きわまりない、一言では言い表せないが、例えば動静・虚実・遅速・弛緩緊張・進退・反則・縦横・高低・開合・伸縮・仰揚・陰陽・斜正・長短・大小・剛柔・堤頓など、いずれも矛盾を孕みながらも互いに統一している。この種の運動の真髄、規範を学ばなければならない。

有形無形の様々な仮借の力量に至っては、あまりにも複雑であるため、ここでは、省略するが、徐々に研究指導を受けながら力をつけていかなければ容易に会得することができない。

 

 

意拳研究練習日誌第2号

実戦の歩法

双方が対峙する時、進撃の機会を巡って連続した斜め前方に進路をとる。

左足前の場合、半歩ごと時計回りに回転し、相手の側面対峙となる斜面で真っ直ぐ仕掛ける。

右足前の場合、半時計回り左足前と同様に仕掛ける。

応戦する動作のなかで、横への移動はとても重要。

進撃も後退も先行的に横方向に移動して相手の外形側に沿って半円包囲の情勢を形成する。

進撃・後退の横方向への変換は、後足からの、又は、前足による半歩ずつの調整により発力の機会を得る。

相手がこちらの方向変換に応じて調整を引き起こした時点で、主導権はこちらの手中にある。

進撃し相手の位置を奪う場合、外側面、斜面方向から包囲体勢を足取り、調整して元いた相手の位置を奪う。後退して相手の位置を奪う場合、こちらの元の位置を相手に譲ってこちらは調整迂回して、迎撃する。

1歩は、引き金を引くが如く距離感を保って発力に備える。

実戦の足取りは、基礎的な摩擦歩の足取りに融通をきかす。

また、これらもあまりにも複雑であるためここでは、代表例を紹介し細部は省略するが、徐々に研究指導を受けながら力をつけていかなければ容易に会得することができない。

 

 

意拳研究練習日誌第3号

螺旋理論

螺旋の利用は多くの力を節約することができて、同時に多くの力を増大できる。

螺旋は、連続している斜面である。

全身の各部分がわずかでも動くと、螺旋力が働く、全身の大小の関節が支える力となって、全ての部位に正三角形をかたどる。この時、膨張力と収縮力が働く。

その為、全身に螺旋状の力が働き、脚から下もそうした状態になる。この種の力は、電気と同じように人がぶつかれば、遠くまで弾き飛ばされる。

この種の力を使う時は全身を必ず正三角形にする。その後突然方向変換し爆発的に螺旋状の力を発する。

また、これらはもあまりにも複雑であるため、ここでは、代表例を紹介し細部は省略するが、徐々に研究指導を受けながら力をつけていかなければ容易に会得することができない。

 

 

意拳研究練習日誌第4号

站椿の要点理論

拳の真髄を知りたければ、先ず站椿より始めよ。

意念を統一、動作を統一、気力を統一し身心同時に一致する鍛練方法である。リラックスはするが形は崩さず。

自身と局部の対立を主にして返答的感覚を求め、中身がない机上の空論の実際より全体的な矛盾力の開発発展が必要。

主要な根拠を持つ物体を抱き、調整するべきことを求める。

少なくともボールを抱いて一応形成を感じたのち、大木を抱く。

この種の相対的かつ静止的に動かない訓練を通じて、ようやく全身の法を実現することができる。

リラックスは、怠らないで緊張は、こだわらない。

その為リラックスの中に緊張があり同じように緊張の中にリラックスがある。

内部感覚は変化に富み、とらえどころがなく、外形は静寂である。手は、高く眉を越えない。低く臍を越えない。腕は半円、左手は鼻中の右へ、右手は鼻中の左を越えない。腕は胸につかない。外側に一尺を越えない。両手の変化は、この範囲内にある。

精神と自我を大きく、果てしない大地に一人天に届くほどの巨人になったと想像する同時に、意識的に四方八方いずれも自己を中心にしていると想像する。

形はリラックス、意は緊張し、全身の関節はいずれも曲がっていて、力は、真っ直ぐになるようにし、絶対的力は持ってはならない。

具体的な意念活動において、上下中心線が重要であり、頭頂は縄で吊り上げられ、同時に股下は縄で引き下げられる。

また、これらはあまりにも複雑であるため、ここでは代表例を紹介し細部は省略するが、徐々に研究指導を受けながら力をつけていかなければ容易に会得することができない。

 

 

意拳研究練習日誌第5号

推手の要点理論

以前推手の注意点を延べたが、具体的な要点に絞る。

正しくは、自分の二の腕に近い肘関節のところを使うべきであり、相手に掛ける時もその部位を取って始めて優位に立つことができる。

関節の曲折を利用して交差する場所を中心感覚の伴う支点にし、足の踏む反作用力を利用して力点とする梃子の原理を使用、実は局部の対立を主として全体的な矛盾力を活用する。

マスターすれば、半分の労力で倍の成果が期待できる。

肘は、しっかりと横を維持して支えて巻く力を立てる。千変万化に関わらず、全て一定の傾斜度を維持して永遠に両腕は斜面を形成する。

この種の訓練を通じて、推手における全身の法をようやく体現することができる。

推手においても、リラックスの中に緊張があり、同じように、緊張の中にリラックスがある。

推手における外形動作も手は高く眉を越えない。低く臍を越えない。腕は半円、左手は鼻中の右へ、右手は鼻中の左を越えない。腕は胸につかない。外側に一尺を越えない。両手の変化は、この範囲内にあり形はリラックスし意は緊張し、全身の関節はいずれも曲がっていて力は真っ直ぐになるようにし絶対的力は持ってはならない。また上下中心線が重要である。

また、折に触れ逐次紹介をする。これらも徐々に研究指導を受けながら力をつけていかなければ容易に会得することができない。

 

 

意拳研究練習日誌第6号

 歩前に向かわば天下無敵拳を打つこと容易なるも走歩難し。

拳有りて腿なければ勝ちを取り難く、腿有りて拳なければ先を占め難し。

心身ひとたび動かば脚手従い、手脚斉く到らば万に全を為す。

我に似せる者は生き、我を象る者は死す。

氷凍ること三尺一日の寒に非ず。

縄鋸木を断ち、水滴石を穿つ。

拳打ちて三知らず。

攻字頭に当たり、援字先と為す。

拳法は熟に在り多に在らず。

拳に拳なく、意に意がなく無拳無意の中に真意がある。

彼動かざれば我動かず、彼微動すれば我先に到る人に後れて発し、人に先んじて拳す。

拳当たらずば打たず、拳当たるとも重くなければ打たず、死に到らしめるような拳でなければ打たず。

代表的な武術修行の名言である。

面白いことに個人の経験やレベルにより解釈や注意点、具体的な要点が異なる。それらは認識出来ない不透明な部分が、具体的実用化により理解出来ることになる。

正しくは、今は解らずとも後に解る。

また、折に触れ、逐次紹介をする。

これらも徐々に研究指導を受けながら力をつけていかなければ容易に会得することができない。

 

 

意拳研究練習日誌第7号

実戦断手の要点理論

以前推手の注意点と具体的な要点及び実戦の歩法を述べたが、これらの段階を経てなければならない。

簡潔明瞭に説明すれば進撃と迎撃である。

迎撃とは、攻防一対である。

攻防一対とは、距離と時間を短縮すると同時に、速度と力量を高める。

タイミングについては、戦機を捕らえる時機と条件である。

つまり推手接触時における点の技術と守中用中の技術により、我の中心を用いて相手の中心バランスを崩壊させた状態であり、攻撃の目標は相手の中心であり、的中させる状態でもある。

実戦歩法により進撃し相手の外形側面に迂回包囲を形成しつつ、接触においては自分の二の腕に近い肘関節のところを使うべきであり、相手に掛ける時もその部位を取って始めて優位に立つことができる。

関節の曲折を利用して交差する場所を中心感覚の伴う支点にし、足の踏む反作用力を利用して力点とする梃子の原理を使用する。実は局部の対立を主して全体的な矛盾力を活用してはじめて攻防一対の発力の機会を得る。つまり戦機である。

この戦機を通じて、断手における全身の法をようやく体現することができる。

断手においても同様、リラックスの中に緊張があり、同じように緊張の中にリラックスがある。

断手における外形動作も、手は、高く眉を越えない。低く臍を越えない。腕は半円、左手は鼻中の右へ、右手は鼻中の左を越えない。腕は胸につかない、外側に一尺を越えない。両手の変化は、この範囲内にあり、形はリラックス、意は緊張し、全身の関節はいずれも曲がっていて、力は、真っ直ぐになるようにし、絶対的力は持ってはならない。また上下中心線が重要である。

また、折に触れ、いくつかの実用訓練を逐次紹介をする。

これらも徐々に研究指導を受けながら実用力をつけていかなければ容易に会得することができない。

 

 

意拳研究練習日誌第8号

站椿の要点理論続編

練習時における各種意念活動は精神安静の状態で行い、段々と自分を忘れる境地に入る。

最も良い方法は自然に託し思想を随意に活動させ精神を少し快楽、あるいは気持ちの良い状態に導く。注意を体の各部分に注ぎ雑念等を払い、リラックスしているところと緊張しているところを体感し、緊張しているところをリラックスへ導く。

総合的にこれらの方法は強制的に雑念を排除するのでなく、自然に雑念を忘れさせる方法である。

そして自分を忘れる境地に到達することが出来る。

内面的には、精神が活発に活動している状態である。

自然に任せて、自分自身が環境の中で静けさを保つ。そして目で見て見えない。耳で聞き聞いていないという自己忘却の境地に入らないといけない。

また、折に触れ続編を紹介するが、徐々に研究指導を受けながら実用力をつけていかなければ容易に会得することができない。

 

 

意拳研究練習日誌第9号

断手における要点

双方が対峙し接触という必然的状況が発生する。この際攻撃、防御における接触の箇所は、拳、手首、腕、肘、肩など不特定となり予測はつかない。逆に接触箇所を予測しても、目標を捕らえることは困難を極める。つまり戦機は予測し、あるいは待って得るものではない。

接触箇所、接触時点により推手訓練で得た節・面・線・点の実用化により矛盾の状態を掌握することで、はじめて戦機を得ることができる。

特に精度の高い点の技術は平行して高い水準の戦機を導くことができ、精度の高い矛盾の力、すなわち発力が可能となる。

将来的にこの種の能力を何時でも、身体のどこでも実用化できることを目標に探究していかなければならない。

○緊張緩和の要点

呼吸はのびやかにする。鼻と口両方で行う。

自分自身は立った状態で水中に浮かび、頭は水面から出て身体は、水に任せ浮いたり、沈んだりするよう想像する。

しばらくすると、自然に身体が浮力を感じるようになり、リラックスできる。

服装が体にあっているか、厚すぎないか、薄すぎないか、満腹でないか、空腹でないか、排便を済ませているか、など生理的に無理をしていないか。

○鈍い動作、不協和がある時

適温の暖かいシャワーを頭から浴びていることを想像し、細かい水が足先まで流れることを想像する。

あるいは微風の中に立ち、身体全体でその風を受け、産毛が微風にそよぎここちよさを感じる。

気持ち良さがなくなった時点で再び意念を誘導する。

その他、水中、水飴の中にいて戯れる感覚で練習をする。

決して無理をしない。

無力の中に力を求め、微動の中に速度を求め、抽象の中に具体性を求め、拙劣の中に巧妙を求める。

 

 

意拳研究練習日誌第10号

練習上の秘訣

生理は心理に影響する。

心理は生理に影響をおよぼす。

空気の中を遊泳することを試みる。

ゆっくりとゆっくりと、かすかな中味を知ることで体得した力が非常に妙味のあるところを試みる。

要するに動作の大きさに関わらず速度を求める場合、関係する全ての抵抗力がなければならなくて、四方八方に平均した整った力を求める。

回数や時間にこだわらない。

意を重視して、外形の動作は主要ではない。

また、折に触れ紹介をする。

意拳研究練習日誌第11号

双方が対峙する時、点の技術及び、横への半歩調整技術が絶好の戦機を捕らえる。

点の運用により、梃子の原理を使って相手の用式武術を折り畳んで攻撃をする。

相手の中心線を点の実用化により継続的に指すことが目的である。

決して指の力や腕力で指すのではない、局部の力を使わない。

対抗する位置エネルギーは互いに発生し相手の重心の方向を指し、点の技術により相手の中心線を捕らえ、戦局を見定め戦機を導く。

練習時における点の技術の強化に回数や時間はこだわらない。相手の意図を図り、戦機を捕らえことを重視しなければならない。

形曲力直を維持しなければならない。腕の曲折を利用することにより斜面を形成し連続させると螺旋力が発生し、各方面全てに強い力を使用することができる。

形曲ではない体は斜面が形成出来ない。肘の関節は損失をもたらし戦えば必ず破れる。

歩法により進撃する場合、必ずや半歩により調整をする。大きい歩幅の調整は融通がなくこちらの意図が暴露する。

こちらが迂回により、相手の側面斜面に進撃する際、相手側から何らかの対応攻撃を仕掛けてきたと同時に、前足又は後足により、必ずや横への半歩調整をして、点の技術による接触する迎撃体勢をとる。

練習の具体的な目標の一部分として、点の技術と横への半歩調整技術は常に探究しなければならない。

基礎的な訓練は実用的な技能を掌握する上で決定的な助けとなる。

また、折に触れ紹介をする。

 

 

意拳研究練習日誌第12号

訓練時における摩擦歩要点

歩法による試力である。

全身は水飴のような粘度の高い中にあり、膝から下は泥土の中に有り粘度が高く、足裏の着地は薄い氷面に降ろすようにする。

足を移動する際は足裏の丸太を転がして行う。微妙な力加減と全身に働く阻害抵抗力、上下貫いた中心線感覚を維持した制御により側面斜面に進撃する為の前進、後退を行う訓練である。

やがて、全ての感覚は中心線感覚が向上すれば誘導してきた阻害抵抗力は全身を包容した空気抵抗を生じ、動けば自然と捕らえることができる。

定歩による試力から歩法を加え、上下の中心線感覚及び全身くまなく矛盾の力を得て、それを常に運用できる如く掌握し双方対峙の時、その中心線を守りその中心線を用いて戦機を捕らえる。

 

 

意拳研究練習日誌第13号

訓練時における試力の要点

站椿は不動の動、つまり静中の動である。

試力は、動中の静である。つまり不動の動で獲得した力を運用する。

全身は水飴のような粘度の高い中にあり、意念を誘導して争力を継続的に掌握し、中心線を体得して身体変位の状況下のもと無作為に自由自在に操る。全て将来の発力の為になくてはならない基礎的条件である。

糸を操るようにゆっくりと大きな力は入れない。また、止めることはない。

ゆっくりと試みることが効果をあげる。

微妙な力加減と全身に働く阻害抵抗力を用い、上下貫いた中心線感覚を維持した制御を体得する。

大動は小動に及ばず、小動は微動に及ばず、微動は不動に及ばず。

やがて、全ての感覚は中心線感覚が向上すれば、誘導してきた阻害抵抗力は全身を包容した空気抵抗を生じ、動けば自然と捕らえることができる。

力を試みていっそう求めるのが、「小さく動く中で、速く動くことを求めて」、「動く中に静かさを求め、静かさの中に動くことを求め」、「行ってまた止まりたいと思って、止まってまた行きたい」と思う。

更に訓練して、大きく動く小さく動く、速く動く各種リズムが均等と変速の全てを体得する。

上下の中心線感覚及び全身くまなく矛盾の力を得てそれを常に運用できる如く掌握し、双方対峙の時その中心線を守りその中心線を用いて戦機を捕らえる。

 

 

意拳研究練習日誌第14号

○入室段階について

空っぽな管状物の中に半分まで水を入れ、それを真っ直ぐに振ると、反対側の管壁に水が移動する内部感覚を体得した認識があれば、意拳の入室ができた段階である。

○命中率について

歩法による進撃、半歩による技術と点の技術の完成度により精度が高くなる。

○点の技術について

簡潔明瞭に言えば、双方対峙における接触と邪魔を管理して主導権を握る技術である。

形どおり、計画どおり、固定的な技術は、個人の潜在的才能を劣化させることになる。

○主導権について

相手を受動的局面に立たせることである。

○速攻戦術について

積極的な進撃と点の技術である。練度が高ければ才能を発揮し、相手は対処に間に合わない。スピードがあり柔軟性を持ち力強く攻撃性がとても強い。

○最上級の拳法について

要求は、極めて短い距離の内でとても小さな動作による整える力を持って速く鋭い最も効果のある打撃を完成する。

○接触について

中心線を守ってできるだけ広範囲に増大すれば内力を強く得ることができる。

○進撃について

急激な停止をしたり、突然方向転換をしたりして、相手を受動的局面に至らせる。

 意拳研究練習日誌第15号

点の技術向上のポイント

その1

接触すれば、必ず接触箇所に我が中心線を置き、それを守って我が中心線を用いて相手の中心線を指して制御する。

その2

脱点は、練習のレベルを下げる。

点の技術は、接触し抵抗力のある相手の状態を力学的に崩し、相手を突き放すことが目的であることに対して、抵抗力のある相手の状態が力学的に対処することが困難である場合に、接触箇所から外して対処することを脱点と呼ぶ。

つまり困難な問題から逃げることである。

困難な局面を克服してこそ、高い段階を目指すことができることを理解しなければならない。

その3

身体は動くけれども、中心線は常に接触箇所にある。

つまり動中の静である。

逆に中心線で相手を捕らえた時、相手は矛盾の力で崩される。静中の動である。

その4

推手も断手も、歩法により斜面から側面から積極的に我と相手の腕を互いに拘束して、互いの自由を奪い困難な状況下に追い込み主導権を獲得した者が、中心線感覚を伴った矛盾の力が発揮できる身体となり相手を撃破する。

つまり身を物言う。

練習する者は、点の技術のレベルが上がることに重点をおかなければならない。

 

 

 

意拳研究練習日誌第16号

弁証原則

○渾元逆体

どの方向にも逆に働く力がある。

○順力逆行

手を手前に引けば、力は遠くに至り、手を前に出せば弱くなる

○斜正互参

斜面は正面であり、正面は斜面である。

○不動の動

外形が動いていないほど、その内部では、速く動く。

○形曲力直

形が曲がっていなければ、力は真っ直ぐ出ない。

○無形神似

形は動かないが、神意が足りている。

○進退反則

退くこと慎重にして、攻撃の機会で一瞬に出る。

○半譲半随

半ば譲り半ば従う。

○推拉互用

推したり引いたりの、互いに用いる絶対的な力はない。

単双軽重、バランスの制御。

○剛柔相済

柔らかいのが真の剛である。

○動静互根

動は即ち静、静は即ち動と互いに根元がある。

○全身の法

意拳の身法である。

内三合、外三合の六合。

推手の別名は、推人。

一動無不動は、体の一箇所が動けば全身動かないところがない。

○守中用中

中心線を守るには、中心線を用いる。

○力学原理原則

梃子の原理

○節、面、点、線の法則

・節

肩から腕先まで大きな力を出すことができる。

・面

斜面を利用。

斜面は、斜正互参。

・点

接触している部分を通じて力、方向、速さを読み取る。

・線

螺旋を活用。

螺旋は斜面の連続。

 

 

 

意拳研究練習日誌第17号

様々な力学を活用する一部分として、全ての面が正三角形で,正四面体という3次元の立体構造から発生する力の種類も方向も、中心線感覚を伴った矛盾の状態を掌握してこそ実用化できる。

戦闘において,相手に作用する力が同時に複数の方向に力を加えることで、相手が反応できないことが目的であることをよく理解される。

複合するさまざまな力学的要素の中の一つとして、正三角形の力学的要素だけにおいても同時に複数の方向の力は,複数の正三角形の正四面体の組み合わせにより、様々な状況に対応したより多くのバリエーションを活用できる。

例えば摩擦歩においても、三角形を型どり、形曲力直の中にも現れ、站椿、試力の中にも身体の各方面に現れる。

 

 

 

意拳研究練習日誌第18号

「点,線,面,節」の定義は、体の部位ではなく実用化に必要な要素に当たる。

また、これら四種を総称して、点の技術と呼んでいる。

点は接触部位に当たり、昆虫でいえば、触覚に当たる。

相手の力量、方向、作用、反作用、意図等の情報を収集する。

この条件として、站椿により獲得した中心線感覚を伴った矛盾の力を自得していることである。

つまり己れの中心線を知る者は、敵の中心線を知ることになる。

即ち徹底的に己れの中心線を知ることに重点を置く。

敵を知り己れを知れば百戦して危うからず。

面は斜面であり、点の技術を獲得することにより体面する接触正面を三角力による斜面に転化させ、相手の重心を不安定にさせる。

この際、順力逆行の矛盾の力を掌握していなければならない。

更に高段階として、線は螺旋であり、斜面を連続的に前後、上下、左右の各方面からすなわち多面へ、更に球面に沿って運用させることにより螺旋を形成する。

この段階で相手はその場に立っていることが不可能となる。

つまり位置を失う。

節は体及び腕の状態が根節から中節、中節から末節へと強い力が働いてことである。

条件として站椿や試力等により獲得した形曲力直の曲折した力を掌握していなければならない。

フレーム(骨格など)で構成される三角形の中で、最も捻れに対して強いのが正三角形であり、バネに例えると,引っぱるのに最も力がいる形が正三角形である。

逆に,一度正三角形のフレームを捻ってしまうと,そこから捻りを開放して発生するエネルギーが最も大きいフレームの構造が正三角形である。

その為,三角形の中で最も正三角形の形を型どるのが最も強い螺旋の力を発生することを体得した者は、このことから最も理想的な正三角形の形成を追究することを高段階として捉えていると言える。

球に関する重要性

簡潔明瞭に説明すると自己を中心に放射状に前後上下左右と同時に分散と集中、内外同時に引き合うなど球面の内面にかかる力、外面にかかる力が同時に働いている状態、つまりどこに当たっても弾き飛ばす力を持つ状態を探究していると言える。

摩擦歩の際に「全身は水飴のような粘度の高い中にあり、膝から下は泥土の中に有り粘度が高く」とある。下半身の方が粘性が高い物体につかっているイメージを持つ理由は、大脳の運動領を管轄している部分の中では,下半身の方が上半身よりも感覚が鈍く、支配は小さく、巧妙性が乏しいため,それに対応するために粘性を高くして上半身よりも刺激を強くする為である。

 

 

 

意拳研究練習日誌第19号

意拳では、速きを欲すれば達せずという言葉が有る。

身体を粘性の高い物質で拘束した状態のなかで動けば、各部でおこりうる作用反作用、順逆の状態、即ち表面でおきていることが裏面では逆におきている、それも同一の時間におきている。ゆっくりと動くのは隙間が無くあらゆる面、あらゆる場所で身体全周でおこすためである。時間差がなく行われているので時間差は0となり力も合力を得る。

極めた者はスピードを使わずスピードを生み、力を使わず力を生む。年をとっても技の威力を保ち続けることが可能な武術的身体となる。

故にゆっくり動けば速くなる。

結果的には

微動の中に速度を求め

拙劣の中に巧妙を求め

無力の中に力を求め

抽象の中に具体性を求める。

また、いろんなイメージを試みたとするとき、

必須条件として、

必ずあらゆる条件下でリラックスができているか、

一番の目的として上下の中心線感覚を伴う矛盾の力を掌握できているかがポイントである。

技は手や足を速く動かすことではなく、表裏一体の速さでありスポーツでの走る、飛ぶ、投げるなどの速さでなく、短くて鋭い速さである故に技の手順は目で見えていない、若しくは捉えることが難しい。

 

 

 

意拳研究練習日誌第20号

参加者の練習を見て力みが抜けてきていることが感じられる。

意拳特有の体のしなりがわずかに出てきている。

各種流派のあらゆる技を覚えても、接触と言う時点では、全て同じ状況下にあり、あれこれと対策を考えて行動しても遅い。

この時点でリラックスした状況下の中、様々な動作において上下中心の感覚で接触できることが、位置エネルギーが運動エネルギーに転化する瞬間であり、相手の仮借の力を利用する瞬間でもあり、同時に矛盾の力を利用する切り札となることでもある。

以前にも言ったように各種動作、技、力学は一つを達成させるための集合体である。

戦術的にも迂回、包囲、突破を複合的に運用している。

接触した面を側面、斜面に移行させ、連続した局所優勢主義の各個撃破を目標に練習をされたい。

 

 

 

意拳研究練習日誌第21号

意拳の打撃分析の一部を紹介する。

必ず後ろ足に寄りかかって、地面を踏む、地面との摩擦による反作用を利用する。

動作は身体の揺れ動いている時を利用することで慣性の力が発生する。揺れ動いた時の理由は大部分が地面の反作用を利用しているためである。

身体の弾力を使う。

○拳の握り方について

雛鳥を潰さず逃がさずの感覚で握る。握る時は意識しない。当たれば自然に握る。その感覚は指がたなごころを貫く感覚がある。

○当たる表面について

真っ赤に焼けた鉄板を火傷をすることなく一瞬で打撃する要領で行う。

○内部感覚について

管状の物の中の水が管璧まで移動する遠心力を内部感覚で認識する。

○単操手について

打撃に伴うこれらの内部感覚を認識する上で、有効な補助運動である。

 

 

 

意拳研究練習日誌第22号

意拳の実戦分析の一部を紹介する。

○中心線感覚とは

頭頂は必ず上方上空へ引っ張られ、反作用として股下は下方地中へ引っ張られる。

つまり心理的中心線は上方へ引っ張られ、生理的重心は重力落下線により下方へ引っ張られることにより六面力の中で最も重要な上下の力つまり中心線である。

意拳のあらゆる動作には必ずこの感覚が備わっていなければ、上達は不可能である。

秘訣は上方に向かう心理的中心線の下方に、必ずや重心が落ちている。

例えば、前4に対して後ろ6の位置に落ち、あるいは前3に対して後ろ7の位置へとあらゆる箇所へ落ちていなければならない。

○蓄力の状態について

肩が肘を支え、曲折して両腕がぐるりと取り囲んで三角力を形成しずっと横に張り、立てて巻くことを支えて形曲力直を維持して囲む、裂く、上げる、落とす、放つ、巻き込むなど、相手と接触した瞬間、点の技術により戦機を獲得した時、あらゆる力を蓄える状態を言う。

○力の範囲について

前後の範囲では伸ばした手は、前足の爪先を上回らない。元の位置は一尺を下回らない。左右の範囲では右手は中心線から左半身上回らない、左手は中心線から右半身を上回らない。上下の範囲は、上は眉を超えず、下は臍を下回らない。

 

 

 

意拳研究練習日誌第23号

意識の集中と分散について

トレーニングの際,意識を分散させることで大脳が疲れない。また、支配する神経系統も疲れない、つまり快適な状態をリラックスといい、緊張していない為、速やかに身体が動きやすい状態になる。

双方対峙の状態では、意識は緊張しているが、身体各部に分散させている為、身体はリラックスしている。それとは逆に一点に集中すると逆の効果となる。

分散させずに集中すると大脳も神経も緊張し、あわせて身体も緊張して動けない状態となる。

これは意拳における意識の矛盾の原理に類するもので常に快適を求めることを要求する。

 

 

 

意拳研究練習日誌第24号

揺法と旋法について

試力の中で最も重要視すべき練習方法であり、この2つの基礎を習得しなければ、不動の動はわからない。また、上達は望めない。

○揺法

中心線感覚を用いて、身体を僅かに左右へ揺らす。この際、体の回りに、水又は水飴のような阻害力があり、動けば矛盾の状態をその感覚で確かめ、完全に意を用いて体を動かさないようにする。特に左右を強調した動きである。

○旋法

揺法を鍛練した後、自由自在に身体を左右に旋回させる。左回転、右回転ゆっくりと均等に行う。動きにおいては前後、上下、左右を旋回の中で体得する。

以上2つの方法は、意念の中の動きと、実際の動きの両方で練習し、不動の中の微動を求める。

阻害力に対する全体を包容する身体の外側の抵抗力を求める。

抵抗力の大きさが自身の技量の大きさと見る。

中心線感覚を獲得するため柔軟性を求め、一つのことに執着せず身体各部に意識を分散させることにより、快適性の中に中心線感覚があることを体得する。

 

 

意拳研究練習日誌第25号

守中用中における中心について

己の中心が分からない者は、敵の中心も分からない。

執着せず、平均して快適な状態において中心線感覚を体得する。

六面力の中で最も重要重視すべきものであり、体軸を貫く上下の力であり基軸であり輪軸であり中心である。

すなわち中心線である。

これを体得しなければ、真の六面力はイメージだけで終わり感覚は掴めず、上達は望めない。

頭頂は、上方へ引っ張られ、反対に股下は下方へと引っ張られる。

あらゆる動作はこの力をいつでも経ている。

中心線のありかはどこにあるか。一つは鼻先、一つは人差し指、一つは身体の中心線を全身を用いて見出しをして一致させ見送りをして掌握し、左右入れ変わる時は、鼻先で見出しと見送りを行い、間隙の無いように転換させる。

転換の範囲は、右から左へ向かう手又は、左から右へ向かう手、はそれぞれ鼻先を超えず、上に向かう手は眉を超えず、下に向かう手は臍を超えず、前に向かう手はつま先を超えず、後ろに向かう手は1尺内側を下回らず、足は踵が膝より上方に超えず、膝は臍を上回らず、全ての動作は、この範囲内において中心線を掌握するために身体が中心線の見出しと見送りを間断無く自由自在に操作する。

つまり身体を使って中心線を管理し、手などの局部では行わない。

力の範囲は、身体による中心線の見出しと見送りにより行う。

このことから、試力、摩擦歩、推手、断手等の各動作における共通点である。

 

 

 意拳研究練習日誌第26号

単操手について

意拳における各種身体操作の補助運動である。一つはリラクゼーション、一つは身体の弾力性、一つは発力のための準備運動であり、数種類の力学を学び易く体得しやすい画期的な全身一致運動である。

運動の種類として

腰部伝行運動

頭部伝行運動

肩部伝行運動

拳掌交換運動

寛部伝行運動

内外分手運動

眼精運動

左架右手刀

右架左手刀

登山屈起

搬瓶

米字脚跳

などがある。

 

 

意拳研究練習日誌第27号

発力の動作分析について

意拳における各種発力において、最も基本となる動作を紹介する。

技撃椿のスタイルにおける前手側からの発力動作は、必ず前手、鼻先、身体の中心線を見出した中心線感覚をもった六面力を掌握している状態でなければいけない。

一つは各種動作に対して密接かつ継続的に中心線感覚があるよう終始怠らない。

この感覚が無い状態を不意及び無備と言い、相手に対して戦機を与えてしまう。

反対に逆の立場であれば、戦機を獲得することができる。後方へ身体をよりかからせることにより位置エネルギーから運動エネルギーに転化させ慣性の力を得る。

着眼点として

一つは斜め後方によりかかる時、頭・後ろ側の肩・肘・腰もよりかかると同時に後ろ足の膝・足首は外旋し、足裏は、軸となり摩擦力が発生し、前足は膝が突出して、前足は前方へ滑り出す。つまり滑走する。

一つは前手にある中心線の見出しは、見送りながらよりかかると同時に後ろ手に中心線が来るように見出しと見送りを行い、自然に元のように前手に中心線が来る。この前手と後ろ手の変換の瞬間、間断の無い中心線感覚の維持が最も必要である。

 

 

 

意拳研究練習日誌第28号

中心線感覚の段階について

意拳における各種身体操作上の中心線感覚を掌握できる段階は、次の通りである。

当初の段階としては作用として、上方へ牽かれる心理的中心線と逆に、反作用として下方へ牽かれる重力落下線が中心線を形成し、密接かつ継続的に感覚としてあること。どんな体勢でも精神は頭上を貫き、重心は大地を貫く心理的中心線の下に重心がいつでも落ちていることで、上下の中心線感覚を認識した状態を言う。

次の段階としては、中心線の感覚が認識できると、フレームやフォーム、意念誘導により中心線を追求した状況が、ある時点から一転して逆に、中心線感覚からフレームやフォームが形成される感覚を獲得する。

全身を使って追いかけた中心線感覚が、ある時点から中心線感覚に従って、全身が追随し、六面力に内在する矛盾の状態及び矛盾の力を認識する状態へと移行する。この時点で中心線を掌握したと言える。

さらに次の段階として

相手と接触した時点において、中心線感覚がある状態。この際、身体上の正面のみでの中心線感覚は使いやすいが、あまり使わない推手のみ使うのであれば、適応力があるが、断手を想定し縦横無尽に動く相手からの打撃と蹴りには対抗が困難であり融通がきかない。

推手の環状動作の際に、身体が寄りかかりをかけ、位置エネルギーから運動エネルギーに転化させ、慣性の法則と運動エネルギー保存の法則を導きだすため、側面斜面からによる左右交互からの中心線の見出しと見送りを間断なく一致させる感覚を磨くことにより、縦横無尽に動く相手の拳動作、蹴り動作は無視して、見出しと見送りにより戦機を捉えることができる。

相手の打撃、蹴りは注視しない。相手への打撃箇所も注視しない。正面から中心を注視しない。側面斜面から中心線の見出しと見送りと半歩による調整により、縦横無尽に対抗する中心線の感覚を掌握する。

つまり、相手の中心線がある足元及び位置を奪うには、自分の中心線がある足元及び位置を譲って、相手の中心線がある足元及び位置を奪うことができる。

中心線感覚の伴った側面斜面、寄りかかり、半歩による譲る感覚調整と言える。

 

 

 

意拳研究練習日誌第29号

意拳は、中身

双方対峙における接触と邪魔の状況から、主導権を獲得するため、接触により相手を崩す。

相手が崩れる力を利用して、相手にダメージを与える。崩しとダメージとの間の時間は,次の通り。

意拳の防御とは、力学による崩しであり、攻撃とは、崩しに伴って発生する反対に働く力で打撃する。

すなわち、攻防一対の力を発力と言い、攻防一対の時間差が限りなくゼロに近いほど、達人と言える。

軸や六面力の概念,点の技術による複数の種類の力で相手を崩す。

余談となるが、

各種競技のルールについて

条件に制限があるルールの為に、その条件下での技術は発達し,またその条件下では有効な技術であるものの、条件の制限が無くなったのならば,有効な技術とは言えない。

無条件に近い状態で力学を効率かつ効果的に体得する方法があるかが問題である。そのために、形(フレーム)動作(フォーム)を重視するのか、反射神経、スピード練習、持久力、筋力等のスポーツトレーニングを重視するのか。

ルールを重視するのか、自然界に存在する力学の原理を利用する方法を重視するのか、己が何を求めているのかが問題である。

意拳は、拳学であるため、ナカミを重視する。

もちろんスポーツトレーニングも組み込まれているが、その割合は、極めて少ない。またフレーム、フォームの練習については、外形動作よりも上下の中心感覚線を主体にすることによる自己を中心に平均して四方八方にひろがる六面力を獲得できるフォームを追求する練習を行う。

この種の力を掌握して、寄りかかりによる位置エネルギーから運動エネルギーへの転化ができるフォームを追求する練習を行う。

つまりナカミ、自然界にある力学の原理を活用する方法を学ぶ拳法である。

一例として、

摩擦歩により斜め前方に前足運ぶとき、先に足を前に出さない、斜め後方に身体を寄りかからせることにより前足は逆に斜め前へ自然体に運ばれる。つまり矛盾の状態と矛盾の力である。この状態においても中心線感覚があれば六面力による大きな成果が期待できる。

このようにして各種類の練習のレベルアップを図る。

 

 

 

意拳研究練習日誌第30号

意拳のナカミとは、簡潔明瞭に言うと感覚である。

形や動作、六面力、矛盾の力、点の技術など有形であるかに思えるが、ポイントは実用化できる感覚を掴んだかどうか、つまり無形である感覚が今後得ることの可能性である。

実用化できる指導者による指導受けが出来なければ、自己満足で終わる。

理論と実用化を繰り返して自己の身体状態に合う技術を体得、自得することで、感覚であるナカミを獲得することができる。

各指導者の理論上の共通点はあるが、実用化できる感覚上の共通点はレベル、経験に応じて違う。

また、いかに効率的、効果的な実用化の為の感覚指導をできるかは、指導者の感覚能力による。

結論は、己が何を求めているか、形やフォーム、流派や指導者のブランド名、試合やゲームによる駆け引き、単純な騙しとスピードによるものまた、ナカミのない交流を図って満足を獲得するのが目的か。

それとも実用化できる感覚を獲得するのが目的か。

ナカミの少ないものは、当初から向上が分かりやすく、スポーツトレーニングが主体となるため、練習から離れると急激にレベルが低下する。

ナカミを重視する者は、感覚を掴むまでレベルの向上は難しいが、一旦感覚を掴んでしまうと、練習から離れても急激にレベルが低下することがない。

これもナカミの練習の特徴である。

もう一度言うと、己が何を求めているのかが、問題である。

 

 

 

意拳研究練習日誌第31号

意拳の攻撃目標について

簡潔明瞭に言うと、相手の中心線である。

そのため、ポイントは実用化できる己の中心線感覚を掴んだかどうか、つまり無形である感覚が今後得ることの可能性である。

縦横無尽に動きまわり、上下前後左右の転換の中でも終始怠らない。

身体の中心線を構成する心理的中心線は、天に向かって上方へ引っ張られ、重力落下線による中心線は、重力落下点に向かい下方へ引っ張られる。

中心線を見出しにより一致させ、転換により見送りをして新たに見出しをするため、身体の中心線を使って見出しと見送りをする。

まるで龍が動き、虎が動く様に見え、この間、己の中心線を使った瞬間、相手はその集中された力を受動的局面により受け、中心線が暴露する状態となり、主導権を奪われる。

ここで、己から相手の中心線のありかを合わせることができる。

全ての攻撃と手段は相手の中心線を押さえるためであり、それ以外の目標をもってはならない。

双方対峙して相手に対して身体を傾け斜面をきるのは、相手からの攻撃面積を減らすことと同時に寄りかかって位置エネルギーを運動エネルギーに転化させ、慣性の力を効率的に活用するためである。

意拳の各種動作の共通点となるため、よく研究されたい。

 

 

意拳研究練習日誌第32号

意拳の感覚練習のポイントについて

実用化できる己の中心線感覚を掴んだかどうか、つまり無形である感覚が今後得ることの可能性である。

この感覚を得るため、縦横無尽に動きまわり、上下前後左の転換の状況の中、最も大切にして終始怠らない、乱雑にしてはならない、ゆっくりと身体の中心線を構成する心理的中心線の下に重力落下線があり、必ず重力落下点、つまり重心が落ちていなければならない。

中心線を見出しにより一致させ、転換により見送りをして新たに見出しをするため、身体の中心線を使って見出しと見送りを繰り返し、ゆっくり、ゆったりして寄りかかりによる慣性の法則の力量及びこれに伴い矛盾の状態感覚を掴み力量を得る。

 

意拳研究練習日誌第33号

意拳の実践訓練における断手、散手等のポイントについて

実用化できる己の中心線感覚を、双方の手を拘束した状況の中で行う推手訓練を通じて、縦横無尽に動きまわり、上下前後左右の転換の中、身体の中心線を構成する中心線の下に重心を落とし、中心線を見出しにより一致させる。

転換により一つは身体の中心線、これについては、王岳銘先生は自分の中心線が分からない者は、相手の中心線も分からない、自分の中心線を守ってその中心線を用いたとき、合力を得た集中力は相手を受動的局面に追い込み、相手が対抗する手段として中心線を守る機会を戦機としてとらえる。

また、例えて、牛の鼻輪にある紐を通じ牛と綱引きをしている状態を具体的には、一つは鼻中、一つは双方の腕の交点、一つは人差し指を、身体斜面により見通した線上を見送りして新たに見出しをするため、身体の中心線を使って左右交互に見出しと見送りを繰り返し、斜面と摩擦歩の活用から自然に寄りかかりる慣性の法則と、これに伴う矛盾の力を掌握し戦機を得ることができた段階で、ようやく断手・散手に応用できると説明されたことがある。

その当時は、多種多様な練習をするも、今は解らなくとも後に解る、意拳はナカミ、と言われた印象は未だに消えない。

このことから、ただ手を回して正面の中心線だけを目標として行う推手をしてはならない。推手では使えても断手では使えないものは推手の為の推手をしていると言える。

結論は、断手の為の推手を目的にすることである。

双方対峙して離れた状態から中心線を見通し、見出しと見送りを怠ることなく、寄りかかりによる傾斜を利用して遠い間合いから摩擦歩による三角歩と半歩調整による進撃をして、中の間合いに入り、接触と邪魔による近の間合いに入り迎撃の状態へと間合いを一挙に詰めると同時に相手の中心線を押さえ、発力の機会を得る。この時、相手は自分の位置を失う。つまり、崩れている状態でなければ、まだまだ力量を得ていないので、よく研究されたい。

 

 

 

意拳研究練習日誌第34号

意拳の実践訓練における、

己の中心線感覚のポイントについて

例えれば、銃射撃による照準から撃発により、目標を的中、射せるものに置き換えると次のようになる。

一つは身体の中心線を構成する上下中心線を「目」に例える。

一つは鼻中を「照門」に例える。

一つは人差し指を「照正」に例える。

これによる前後に引き合う中心線による「照準線」が形成される。

これを「見出し」と言う。

一つは身体を斜め逆方向に寄りかからせることにより、慣性の力を得る。この際に左右の転換が発生しても、左右に引き合う中心線による照準線が、転換前から転換後の間、間隙無く維持する。

これを「見送り」と言う。

この状態は「引き金」を引いた状態と同じであり、これにより拳が弾丸の如く発射される。

この間も終始見出しと見送りを怠らない。

この状態で接触した腕及び身体部分は、中心線による各種力学を得て、相手側は、受動的局面に追い込まれ中心線を押さえられる。

この間も終始見出しと見送りを怠らないのが秘訣である。

また、接触した部分は綿のように柔らかく、相手より緊張と弛緩の転換が自由自在で速く新たに見出しをするため、身体の中心線を使って左右交互に見出しと見送りを繰り返し、斜面と摩擦歩の活用から自然に寄りかかりる慣性の力と、これに伴う矛盾の力を常に掌握する。

 

 

 

意拳研究練習日誌第35号

意拳の実践訓練における慣性の力を捉える感覚のポイントについて

前回、銃射撃に例えて、これによる前後に引き合う中心線による「照準線」が形成される「見出し」をしている撃つべき拳は、その場に置いて、頭は斜め前方へ突きだした状態となり、突然身体が前方にぶつかる前に身体を斜め逆方向に寄りかからせることにより、拳は目標を捕捉したまま身体全体は斜め後方へと移動する。

この瞬間、身体の移動と入れ換わり撃つべき拳は、肘を曲げたまま形曲力直を維持して、身体とは逆方向に中心線上をスライドして慣性の力を得る。

この際に、左右の転換が発生しても、左右に引き合う中心線による照準線が転換前から転換後の間、間隙無く維持して「見送り」を行う。

即ち身体で撃つ感覚を捉えると同時に、身体の転換に伴う攻守一致の原則を学ぶ。

これに伴い実践歩法についても、前足の膝と後足の裏股による前後の争力は終始怠らない。

歩幅について大きい場合は、融通性が悪く、攻防の転換に効果がない。

歩法による効果を上げるには、一つは摩擦歩の応用と研究、一つは独立椿による感覚訓練である。

 

 

意拳研究練習日誌第36号

意拳の実践歩法について

摩擦歩により中心線感覚を伴った抵抗訓練から、矛盾の力を掌握する。

この種の力を利用して、身体を左右斜面に寄りかからせ、慣性の力による連続した三角歩を形成し、ジグザグに進撃と後退を行う。

この際、常に実用化できる己の中心線感覚がある状態を終始怠らない。

例えると銃であれば、何時で引き金を引ける状態であり、弓では、何時でも矢を放てる状態である。

この慣性力を活用して実践的な半歩調整と三角歩により、相手の外側へ進撃と迂回をしつつ、包囲網を形勢したと同時に、相手はこちらの中心線に狙い目をつけ、身体を移動させる。

この時、攻撃する瞬間、迎撃する瞬間、つまり接触と邪魔が発生した瞬間、寄りかかって斜面をきると同時に、半歩を使うことにより、側面・斜面方向へと慣性力を使って遠間から近間に移動できるとともに、強力な運動エネルギーを発生させ、矛盾の力により運動エネルギー保存の法則にあたる力学を獲得する。

つまり発力である。

この前提条件として上下中心線感覚を伴った見出しと見送りが必須である。

ここで、己から相手の中心線のありかを合わせることができる。

全ての攻撃と手段は、相手の中心線を押さえるためであり、それ以外の目標をもってはならない。

意拳の各種動作の共通点となるため、よく研究されたい。

 

 

意拳研究練習日誌第37号

意拳はナカミである。

形(フレーム)、動作(フォーム)は、中心線感覚を伴った矛盾の力を掌握していなければ、単なる踊りに過ぎない。

素早く動けるのは、中心から移動するためである。

自己を中心に四方八方へ平均して広がる球形状態を感覚として捉えているが、外形では見て判断できない。

また正三角形の力を利用しているが、外見は鈍角三角形であり、これも外形からは判断できない。

縦横無尽、自由自在に動く時も、中心線がどこにあるか、その外形から判断はできない。

つまり、中心線感覚、六面力、矛盾の力、位置エネルギーから運動エネルギーへの転化、慣性の力、梃子の原理、運動エネルギー保存の法則、触覚能力、深部感覚、深層筋肉は正しい練習により実用化できる。

意拳研究練習日誌第38号

意拳の口訣研究

六面力の中で、特に上下に引き合う中心線感覚が最も重要であることが下記に記されている。

・混沌の意は体を貫く、中は丸く外は四角になる意識を終始怠らない。

・頭頂をかがげること、禅学の要素なり。

・実戦の時、頭から足まで一気に貫き、びくびくして心が定まらないと勝つことができない。

・足は大地をつかみ精神は頭上を貫く。

心理的中心線は、頭上を貫き上方へ引かれ、反対に重心線は重力落下点を貫き地球の中心と引き合う。何時でも何処でもどのような形でも終始怠らない。

中心線感覚が伴った矛盾の力を掌握していなければ、前後左右への意識による誘導をおこなっても、六面力による矛盾の力は掌握出来ない

つまり、試力、摩擦歩、発力、堆手、断手等における上下、左右、前後への転換訓練である位置エネルギーから運動エネルギーへの転化が出来ないゆえ、矛盾の力を使った梃子の原理、慣性の力、遠心力などによる運動エネルギー保存の法則などの力学を実用的に学ぶことができない。

例えば試力及び摩擦歩は、ゆっくりゆったりとしたリラックス状態で体全体が水飴等の粘性物質に包容されている中で中心線感覚を伴った感覚で位置エネルギーを運動エネルギーに転化させる力学的運動を学び矛盾の力を得て、さまざまな力学を実用化させる基礎をつくる。

この基礎練習により自己のナカミ中心線感覚が分かる。

即ち守中用中による適切な推手練習が可能となる。

己のナカミ中心線を知る者は、相手のナカミ中心線を知ることができる。

この時点で点の技術が高い段階へと向上する。

高い段階とは

接触と邪魔による状況において、主導権をとり相手を受動的局面にさせることにある即ち発力への実用化が期待できる。

次の段階として、

断手・散手等における摩擦歩の要領による斜面側面への半歩調整により慣性力を利用して、相手の方向転換における中心線感覚の整っていない位置へ進撃して、間合いを奪い接触と邪魔における主導権を獲得する。相手がこちらの中心線を追随している時が最もチャンスである。

この時点で目標・目的は相手の顔面でもなく、腹でもなく、足でもない、相手の中心線のみである。

言い替えれば局部的力を使わず、相手の局部を狙わず、全身の法を使って己の中心線を守り用いて、相手の中心線を崩壊させる。

己のナカミを知る者は、相手のナカミを知ることができる。

練習のポイントは、同じ接触における訓練においても、外力による抵抗訓練は局部的な力を使うため、初級者の初歩の段階での初歩訓練であり、一月も過ぎれば、中心線感覚による抵抗訓練に移行しないと、いつまでもその領域から向上することができないどころか、永久に迷宮入りになるので注意されたい。

中心線感覚による力は、局部による力とは、まったく比較にならない。

 

意拳研究練習日誌第39号

意拳の口訣研究

中心線感覚を獲得して力学を学び実用化できる方法の一つとして、内三合、外三合がある。口訣として下記のとおりである。

・内三合

意と気と心が合う。

即ち意識感覚と精神活動による中心線感覚を獲得して、自己を中心として四方八方へと均一した六面力により矛盾の状態を体得する。

・外三合

手と足が合い、肘と膝が合い、肩と股が合う。

内三合で獲得した中心線感覚を伴った矛盾の状態から矛盾の力を体得する。

内三合外三合の口訣の具体例としては下記のとおり。

・腰を回すこと滑車のごとく、足を進めることドリルのごとく。

左右の足は内旋と外旋を交互に繰り返す。

つまり順転と逆転による矛盾の力である。

・勝つには四肢をそろえなければならない。

内三合外三合による。

・手が至り歩も至らなければならない。

内三合外三合による。

・手と体がそろうやり方となり真となる。

内三合外三合による。

・中からふるい起こし

中心線から位置エネルギーを運動エネルギーに転化させる。

・敵の顔色を読めないと勝つことができない。

敵の顔色を読むには、摩擦歩や推手のように正面ではなく、側面斜面から顔色を伺う。その状態において敵が動かなければ、我は沈静し、敵がわずかでも動けば我は発する。

上記のことから、あらゆる動きに上下中心線感覚を伴った内三合外三合、つまり六合が必ず必要不可欠である。

特に単操手訓練はこの種の力学を学ぶための最高水準の練習と言える。

 

意拳研究練習日誌第40号

意拳の口訣研究

中心線感覚と六合について引き続き紹介する。

中心線感覚を獲得して力学を学び実用化できる方法の一つとして、内三合、外三合の六合がある。以前述べた口訣として下記のとおりである。

・内三合

意と気と心が合う。

即ち意識感覚と精神活動による中心線感覚を獲得して自己を中心として四方八方へと均一した六面力により矛盾の状態を体得する。

 

・外三合

手と足が合い、肘と膝が合い、肩と股が合う。

内三合で獲得した中心線感覚を伴った矛盾の状態から矛盾の力を体得する。

内三合外三合の口訣の具体例としては引き続き紹介する。

 

・上が動けば下が伴い、下が動けば自然と導き、上下動けば中間が攻める。

即ち上下の中心線感覚を体得した段階である。

 

・中間が攻めれば上下が合し、内外合い連なり前後、左右呼応して動く。

即ち上下中心線感覚の体得をして内三合外三合をも体得することにより前後、左右へ働く六面力をも体得することになる。

 

・手足は一斉に相手に至るのが真である。

内三合外三合の体得による。

 

・手も足も至れば根こそぎ引き抜くようなものである。

内三合外三合の体得による。

 

 

 

意拳研究練習日誌第41号

意識感覚と精神活動による中心線感覚を獲得した状態として、どのような体勢で静止しても、どのような体勢で躍動しても、自己を中心として、心理的中心線は上方へ引かれ、下方へは重力落下点へ引かれる。

即ち正中線の下に重心が落ちている。

この中心線感覚は、いつでも、どこでも誘導できる。

以前、王岳銘先生に推手を教授していただいた時に、先生から私の中心線は今どこにあるかと聞かれことがあり、わかりませんでした。

その時、色々な接触要領で、質問をされましたが、答えがわかりません。

その度、中心線はここにあります、と回答をいただき、後に解ったことだが、

初期段階では、身体が中心線感覚を追求して行くのに対して、

中期以降、中心線感覚が身体を追求して行く様になり、内部感覚により中心線を有利な位置へ移動させることができ、身体が素早く中心線にシンクロする。

即ち思った瞬間、身体が動く状態へとレベルが向上する。

 

 

意拳研究練習日誌第42号

三尖相照とは、

鼻先、指先、足先を合わせることであるが、決して外形上のフォームを重視するべきではない。

即ち、ナカミの関係するいろいろな要因が絡みあっている。

その一つは、内三合。

意、気、心による意識感覚と精神活動とが一致しているか。

その二つは、外三合

内三合を伴い手と足があい、肘と膝があい、肩と股が合う。つまり六合を得ているか。

その三つは、

見出しと見送りを怠ることなく中心線感覚により移動中における三尖のバランスを獲得する。

以上のことからナカミから外形フォームが形成される感覚を獲得する。

 

 

意拳研究練習日誌第43号

日本柔道において、使われている口伝として、次の言葉がある。

「押せば引け、引かば回せ」

意拳の練習中、これに気づいた人は何人いるか。

即ち相手を崩して放つ一連動作の要領である。

意拳練習の各動作をゆっくりと三尖相照を合わせ、内三合、外三合の六合を得て、見出しと見送りを怠ることなく中心線感覚によりバランスを追究し獲得すれば、位置エネルギーから運動エネルギーの転化を理解し、慣性の力と矛盾の力によるエネルギー保存の法則を体現することができる。

故に接触と邪魔の状態からの発力の基礎を獲得することができる。

 

 

意拳研究練習日誌第44号

発力の実感について

気づいた人は、当たり前であるが、解らない人は現在、習っている拳法は、意拳ではないかもわかりません。

判断する方法は簡単です。

体から腕が慣性の力でミサイルのように飛んで行く感覚を、身を持って体現することができるか確認することです。

あるいは、腕は釘、体は金槌と例えることができる。

逆に腕自体は打撃した感覚は無く、むしろ放たれた感覚の方が強い。

即ち体で打つため、接触と邪魔において、最も接近した状態からも打つことが可能となる。

これらも接触と邪魔の技術の中で矛盾の状態を知り、矛盾の力を発揮することを理解できているかが重要である。

以前から、王岳崢・岳銘の両先生から教えて頂いた要領として、特に放つ瞬間、後頭部にあるうなじと呼ばれる部分が、後方へ向かうと同時に、腕自体が前方へと放たれる。

この瞬間、もちろん三尖相照を合わせ、内三合、外三合の六合を得て、見出しと見送りを怠ることなく、中心線感覚によりバランスを追究し獲得すれば、位置エネルギーから運動エネルギーの転化を理解し慣性の力と矛盾の力によるエネルギー保存の法則を体現することができるのは常識である。

迷っている人は、これらを参考にされたい。

意拳研究練習日誌第45号

コーチの手のひらに拳を打つ実感について

気づいた人は、当たり前であるが、解らない人は現在、習っている拳法は、意拳ではないかもわかりません。

判断する方法は簡単です。

体から拳が慣性の力で放たれるように飛んで行く感覚を身を持って体現することができるか確認することです。

手のひらを押しているような感覚は効果的でない。プッシュではない。

このやり方では、

手のひらが目標として消え失せた場合、身体のバランスを失う。

慣性の力が働いている場合、手のひらに拳が接触した瞬間、熱く火傷をした感覚と似ている。

手のひらが目標として消え失せてもバランスを崩さない。逆に拳自体は打撃した感覚は無く、むしろ放たれた感覚の方が強い。

即ち体で打つため、接触と邪魔において、最も接近した状態からも打つことが可能となる。

即ちディープコンタクトとディープインパクトが両立する。

これらも接触と邪魔の技術の中で矛盾の状態を知り、矛盾の力と慣性の力を発揮することを理解できているかが重要である。

以前から、王岳崢・岳銘の両先生から教えて頂いた要領として、矛盾の力により身体を斜め左右にふることにより、身体を特に放つ瞬間に、拳自体が前方へと放たれる。

この瞬間、試力、摩擦歩、発力、拳舞において、ゆっくりな動作、速い動作はもちろん、三尖相照を合わせ、内三合、外三合の六合を得て、見出しと見送りを怠ることなく中心線感覚によりバランスを追究し獲得すれば、位置エネルギーから運動エネルギーの転化を理解し慣性の力と矛盾の力によるエネルギー保存の法則を体現することができるのは常識である。

迷っている人は、これらを参考にされたい。

 

 

意拳研究練習日誌第46号

拳が放たれる瞬間について

体から拳が慣性の力で放たれるように飛んで行く感覚を身を持って確認する状態とは、即ち中心線感覚を持った体全身で相手がどのように構えようが、空間動作上の博打はせず、信憑性の高い接触と邪魔により、迂回、包囲、突破の要領を持って側面斜面から相手のバランスを管理し、中心線を獲得した拳を持つことである。

重要なことは、拳の位置、内外高低は関係無く、相手のバランスを崩していなければ無意味である。

いわゆる三尖相照と内三合外三合が統一され接触した状態から、側面、斜面、前面等あらゆる方向に対して、身体を中心として拳を放つ時、拳と相手の距離は非常に近く、3センチあれば十分な発力が可能である。

簡単に例えれば、金槌で釘を打つ瞬間に似ている。

拳は目標間近で相手を捕らえ、釘を立てた状態であり、体全身はその釘を打つ金槌である。

別の例えは、

跳び箱を跳ぶ時、手のひらは目標をいち速く捕らえ、体全身を使って跳び越える瞬発力を使った全身運動である。

即ち拳を打つ感覚は無く、体全身を使って放つ。その動作は極めて小さく、時間は極めて短く、一瞬に鋭い強烈な力を発揮する。

気づいた人は、体全身が瞬間的に拳と逆方向へ移動することを実感する。

即ち慣性の力とエネルギー保存の法則を実感する。

以前、王岳崢・岳銘の両先生から教えて頂いた言葉に、人を打つのに3センチあれば十分である。

本当の発力は小さく短く鋭く強い体全身により打つことである。

迷っている人は、これらを参考にされたい。

 

 

 

意拳研究練習日誌第47号

間合いがつまる瞬間について

双方が対峙する時、間合いが発生する。

間合いを詰めるとき、直線的な歩法と曲線的な歩法、大きな歩幅と小さな歩幅による詰め方がある。

一番危険性の高いのは、大きな歩幅を使って直線的に入るやり方である。

時間と距離を相手に与えることになる。

反対に有利な歩法とは、小さな歩幅で摩擦歩の要領を使って曲線的に側面斜面に迂回をする。小さな歩幅の為、急発進、急停止、急な方向転換が可能であり、まともに直線的な攻撃は受けない。

目標に行きたいなら、「急がば回れ」の言葉どおりである

曲線的に動くと、相手も併せてついてくる。即ち直線的攻撃体勢を維持する。

この時、主導権が我にあることに既に気づいている人は、意拳を理解されている。

つまり相手が目標を捕らえ直ぐに攻撃をしたいため、こちらの動きに併せ正対を繰り返している。つまり顔と顔を併せようとしている。

反対にこちらは相手が併せた瞬間、曲線による急発進、急停止、急な方向転換をして、側面斜面へと進撃を図り、半歩であるため1回に約30センチ、2回は約60センチとなり、爪先蹴りの射程から膝の位置まで進撃が可能となる。

この際、中心線感覚を持った体全身で、相手がどのように構えようが、空間動作上の博打はせず、信憑性の高い接触と邪魔により、迂回、包囲、突破の要領を持って、側面斜面から相手のバランスを管理し、中心線を獲得した拳は摩擦歩による曲線移動により、更なる慣性の力を得て、目標間近で相手を捕らえ、体全身が瞬間的に拳と逆方向へ移動する慣性の力とエネルギー保存の法則を実感する。

以前、王岳崢・岳銘の両先生から教えて頂いた言葉に、摩擦歩と半歩を使って体全身を左右にふれば有利な展開がある。

本当の発力は小さく短く鋭く強く体全身により打つことである。外見から見れば振動しているように見える。

迷っている人は、これらを参考にされたい。

 

 

意拳研究練習日誌第48号

間合い練習について

双方が対峙する時、間合いが発生する。

この時、ピンチとチャンスが同時に発生する。

つまり、相手側中心正面が、我が中心正面を目標として捕らえた瞬間、一番危険性の高い直線的な時間と距離を相手に与え、ピンチを迎えると同時に、相手側が我を目標として追いかける状態となるため、こちらは目標変換を自由自在に出来るチャンスを与えられる。

具体的には、小さな歩幅で摩擦歩の要領を使って、曲線的に側面斜面に迂回をする小さな歩幅の為、急発進、急停止、急な方向転換が可能であり、まともに直線的な攻撃は受けない。

「急がば回れ」の言葉どおりである

曲線的に動くと相手も併せて追いついてくる。即ち、相手が直線的攻撃体勢を誇示する。この時、追いかける相手が主導権を持っていると錯覚しているが、実は、受動的局面に追い込まれていて、主導権は我にある。

つまり相手が目標を捕らえ直ぐに攻撃をしたいため、こちらの動きに併せ正対を繰り返している。つまり顔と顔を併せようとしている。

反対にこちらは相手が併せた瞬間、曲線による急発進、急停止、急な方向転換をして側面斜面へと進撃を図り半歩約30センチの方向転換、即ち摩擦歩により中心線移動を最低2回以上繰り返すことにより、進撃が可能となる。

この際、中心線感覚を持って、側面斜面から相手のバランスを管理し、中心線を獲得した拳は摩擦歩による曲線移動により、更なる慣性の力を得て、目標間近で相手を捕らえる。

練習方法として、双方対峙の中、摩擦歩の要領を使って自由自在に中心線のみの主導権の争奪戦を行う。受動的局面に追い込まれないよう、固定的な既成概念を排除しなければならない。

外見から見るとボクシングのウィービング等の反射的練習に見える。

以前、王岳崢・岳銘の両先生から教えて頂いた言葉に「摩擦歩と半歩を使って自分の中心線を守り、或いは用いて、相手の中心線を崩壊させる。」というのがある。

迷っている人は、これらを参考にされたい。

 

意拳研究練習日誌第49号

○推手の間合いについて

双方の両腕を接触させ拘束を条件とする推手においても、双方が対峙する時も、ピンチとチャンスが同時に発生する。

推手についても断手同様、相手側中心正面が我が中心正面を目標として捕らえた瞬間、一番危険性の高い直線的な時間と距離を相手に与え、ピンチを迎えると同時に、相手側が我を目標として追いかける状態となるため、こちらは目標変換を自由自在に出来るチャンスを与えられる。

具体的には、両腕が拘束されたなかで、小さな歩幅で摩擦歩の要領を使って曲線的に側面斜面に迂回をする。小さな歩幅の為、急発進、急停止、急な方向転換が可能であり、まともに直線的な攻撃は受けない。

「急がば回れ」の言葉どおりである。

曲線的に動くと相手も併せて追いついてくる。即ち、相手が直線的攻撃体勢を誇示する。この時、追いかける相手が主導権を持っていると錯覚しているが、実は、受動的局面に追い込まれていて、主導権は我にある。

つまり相手が目標を捕らえ直ぐに攻撃をしたいため、こちらの動きに併せ正対を繰り返している。つまり顔と顔を併せようとしている。

反対にこちらは相手が併せた瞬間、曲線による急発進、急停止、急な方向転換をして、側面斜面へと進撃を図り、半歩約30センチの方向転換、即ち摩擦歩により、中心線移動を最低2回以上繰り返すことにより、進撃が可能となる。

この際、中心線感覚を持って、側面斜面から相手のバランスを管理し、中心線を獲得した拳は摩擦歩による曲線移動により、更なる慣性の力を得て目標間近で相手を捕らえた時、極めて瞬間的に接近した距離を直線的に使用する三角歩を活用する。

推手練習中に摩擦歩の要領を使って、自由自在に中心線のみの主導権の争奪戦を行う。受動的局面に追い込まれないよう、固定的な既成概念を排除しなければならない。

以前、王岳崢・岳銘の両先生から教えて頂いた言葉に、「攻撃も防御も、摩擦歩と半歩を使って、一時的に我が位置を相手に譲り、自分の中心線を守り、或いは用いて、相手の中心線を崩壊させる。」というのがある。

迷っている人は、これらを参考にされたい。

 

 

 

意拳研究練習日誌第50号

レベルの高い人は迷わない。

レベルの高い人はあらゆる条件を受け入れる。

何も心配なく何もためらうことなく、相手のその無備を攻め、不意に入る。

即ち容赦無く打ってでる。

必ず接触をして、相手の中心及び重心を掌握するため、接触する前からいろいろと検索しない。

つまり博打しない。

接触してから勝負する。

双方が対峙する時、ピンチとチャンスが同時に発生する。

これらも矛盾の状態と言える。

即ち、ピンチをチャンスに転換出来る状況判断能力が非常に高い。

具体的には、矛盾の状態を知り、矛盾の力を発揮することができる感覚器官を備えている。

以前、王岳崢・岳銘の両先生から教えて頂いた言葉に「意拳の感覚を例えれば、分銅計り」と言われたことが頭をよぎる。

一瞬にして相手の中心重心力量を計る計量器、つまり中心線感覚を鍛え上げれば、自分の中心線を守り、或いは用いて、相手の中心線とともに重心を崩壊させる感覚器官を我がものとすることができる。

この感覚器官を使う代表的なものとして紹介すると、半譲半随がある。

半ば譲り半ば従うなど感覚操作については、次の機会に詳しく紹介する。

迷っている人は、これらを参考にされたい。

 

 

 

意拳研究練習日誌第51号

前回紹介した、ピンチをチャンスに転換出来る状況判断能力が非常に高い、一瞬にして相手の中心、重心、力量を計る計量器、

中心線感覚器官の感覚操作について数種類紹介する。

○半譲半随

中心線感覚を守り用いて半ば譲り半ば従う。

○随譲牽随

中心線感覚を守り従いながら譲り中心線感覚を用いて、相手を引き込みながら相手を突き放す。

○迎随緊随

中心線感覚を守り用いて相手の力を受け止めながらそれに従う迎撃性の強い運用である。

○悠然相依

中心線感覚により快適で自由自在である。

○虚霊独存

中心線感覚により動作が重いようだが軽い。

○以聴其触

中心線感覚から聴勁による反応は、高度な接触能力を持った点をあらわす。

○推拉互用

中心線感覚により、推したり引いたりの動作を互いに用いるが絶対的力はない。

○平衡の制御と単双軽重

アンバランスをコントロールしてバランスに移行させるこの世に絶対的なバランスはない。

いずれにせよバランスの制御は身体の中心線感覚によるもので、上下、前後、左右へ均一した力が働いていなければ、精巧な計量器とはならない。

まるでジャイロ式コンパス機能搭載の、多面性、多方向、微妙な計量も可能であり、対象的に大胆さも十分に備えている感覚器官であり、性能的向上は図りしれない。

修行者については、現状に満足することなく、更なる追究が今後の重要課題である。

迷っている人は、これらを参考にされたい。

 

意拳研究練習日誌第52号

意拳に紹介されている気について

一般的に気功として使われている気とは考え方が異なる。

例えれば、内部感覚として内三合にある心、意、気は、日本語にすれば心意気こころいきと読む。

それは、高度な意識感覚と精神活動により、上下の中心線感覚を六面力にまで発展させ、自己を中心として四方八方へと広がる充実した精神状態を現します。

次に、

外部感覚として

空気や大気などの気体に関する感覚、身体全体を包容して、まるで水中で遊泳しているような空気抵抗を感じ、同時に呼応している感覚を現す。

これら内外一致して、前回紹介したピンチをチャンスに転換出来る状況判断能力が非常に高い中心線感覚器官のことを、気と表現しているように思えます。

特に信憑性のない、何か特殊なエネルギーやスピリチュアル系、カルト系、伝説的な力など論外と思われる。

 

 

意拳研究練習日誌第53号

意拳には、なぜセオリーやコンビネーションがないのか。

その理由は何か。

中心線感覚器官の錬成向上を目的とするため、固定的、及び、形式的な既成概念のある練習は、練習者の潜在能力を劣化させることになります。

双方対峙により、予想不可能な接触と邪魔の状況の中、矛盾の状態を知り、矛盾の力を発揮する。

即ち、以前、紹介したピンチをチャンスに転換出来る状況判断能力が非常に高い、一瞬にして相手の中心、重心、力量を計る計量器、中心線感覚器官の鍛練を目的としているからです。

それゆえ、全てのカリキュラムは、この中心線感覚器官を鍛え上げるために存在します。

その筋肉と皮膚は、真綿かスポンジのように柔らかいのが特徴です。

しかし、練習目的が解らない人は形としてか捉えることが出来ず、ナカミが解らないので、既成概念による他の練習を創作します。

先ほどのセオリーやコンビネーション、必要以上の耐久的筋力トレーニングや心肺機能に負担大のスタミナトレーニングなど、身体を硬くする練習が多い特徴があります。

今後の練習の参考にされたい。

 

 

意拳研究練習日誌第54号

足の使い方について

養生椿の平歩で、各種動作を行う場合がある。

この時、前進も後進もしない状態で摩擦歩を行うとしたとき、前に出ようとした足は内旋し、後ろ側の足は外旋している。

この時、中心線感覚を持っている者は、既に気付いている

身体全体が斜面をきる状態となっている。

即ち足と手が合う、肘と膝が合う、肩と腰が合う、一枝が動くと百枝が動くことになる。

結論から言うと、全ての動作に適応できる。

接触と邪魔の状況の中、矛盾の状態を知り矛盾の力を発揮する手掛かりとなる。

 

 

意拳研究練習日誌第55号

移動について

意拳の移動稽古は他のやり方とは考えかたが異なる。

単なる徒歩移動ではなく、必ず中心線感覚を伴っており、中心から起動することを目的とする。

例えば、相手が遠い間合いから機会を狙いつつ、蹴りの攻撃をしてきたとする。

この時、摩擦歩の要領により1段階で相手のこちらを狙う機会を中心線起動により斜面へ誘導します。

つまり急発進、急停止、急方向変換により、相手はこちらの動きに翻弄されることになります。

また、遠い間合いから蹴りを出した瞬間、あるいは、フェイントをかけてきた瞬間も同様、受けても、払っても、受けなくても、相手の狙う中心線から必ず我が中心線起動により斜面へ起動します。

つまり、こちらが機会を狙っていることに相手は気付いていません。

攻防逆転の状態です。

再度相手が中心線を狙って追撃してきた瞬間、もはや主導権はこちらにあり、中心線起動により摩擦歩による急発進、停止、方向変換により、慣性の力は強く、接触と邪魔により相手を間近でとらえ、相手を崩した矛盾の力は、強力な発力をえることになります。

練習する人は、

中心線起動を重視して練習されたい。

 

 

意拳研究練習日誌第56号

前回第55号の移動について

単なる徒歩移動ではなく、必ず中心線感覚を伴って中心から起動することが目的である、と説明した。

これを如実に物語っているのが、

王先生と洪連順との手合わせにおいて、三度の洪連順の攻撃をかわしながら主導権を獲得し、相手側を受動的局面に追い込み、発力の機会を得る。

この独特の移動方法は、中心線起動により斜面へ誘導する。

即ち、

攻防逆転への転移です。

中心線起動により、摩擦歩による急発進、停止、方向変換により慣性の力は強く、接触と邪魔により相手を間近でとらえ、相手を崩した矛盾の力は強力な発力を得ることになります。

練習する人は、このことを目標にして、

中心線起動を重視して練習されたい。

 

 

意拳研究練習日誌第57号

前回第56号の移動について

必ず中心線感覚を伴って、中心からの起動力と制御力を訓練することを目的として受動的局面に追い込み、発力の機会を得る。

この独特の移動方法は、中心線起動により斜面へ誘導する攻防逆転への転移である。

感覚とてしては、どのように動くとも、中心線を通る精神は頭上を貫き、その中心の落下点、即ち重心はその下にあることを、いつでもどこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

例えば、双方対峙して縦横無尽に動き乱闘する中、この感覚を自覚できなければ、力を発揮することができない。

中心線起動により、摩擦歩による半歩移動は単なる半歩ではなく、内旋と外旋を伴って繊細で小刻みに、まるでシーソーゲームを微妙に調整をしながら、急、発進、停止、方向変換により、慣性の力は強く、接触と邪魔により、相手を間近でとらえる時も、微妙な調整をしながら相手を崩した矛盾の力を活用して、強力な発力を得ることになります。

その動きは、外部から動くより速く、相手が先んじて動き、我遅れて発しても相手より先に到達する。

また、その動きは、まるで回転しつつ動く駒に似ているが、相手の中心線を観察しながらも守中用中を発揮する。

練習者は、このことを重視して練習されたい。

意拳研究練習日誌第58号

前回第57号の移動について

水中の中性浮力と言えば認識されている方は、既に理解されていると思います。

ダイバー経験を有すると、水中で前後、上下、左右を安定させる技術であると認識する。

つまり自分の位置を確保すること。

例えば水中に浮いている卵の状態に似ている。

中でも魚類はその能力が最高水準。

まるで水の抵抗力がないが如く、まるで空気の中を泳ぐよう。

泳ぎはジグザグに体全身を使いながら、斜面の連続運動を上手く使っている。

その動きは速く、ぶつかり合いにならないのは中心線感覚を伴って中心からの起動力と制御力を持っているから。

空気中で言えば、風になびく旗のようにも似ている。

以前、王先生と推手をしていただき、先生から「私の中心は何処にありますか」と問われことがありました。

この時、本音を言えばつかみどころがなく、接触部分は真綿のような柔らかさがあり、深部感覚を探ることができない状態であった。

車で言えばニュートラル状態。

こちらがわずかでも反応すると、上下一致した中心線感覚による起動でバランスを潰される。

このような中性浮力に似た、中心線感覚を目的として相手を受動的局面に追い込み、発力の機会を得る。

この独特の移動方法は、中心線起動により斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

そこで我々の求めていることが間違いのないことだと確信することができる。

感覚とてしては、どのように動くとも、中心線を通る精神は頭上を貫き、その中心の落下点、即ち重心はその下にあることを、いつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

空打ち発力をいくらやっても、ミットやサンドバッグを叩きつけても、相手の中心及び重心を崩す感覚器官を鍛練しなければ、発力は未発で終わりとなる。

本当の発力は3センチメートルから打てる。

リーチによるリードは不要。

そのリーチの代わりとなるものが中心線感覚であることを練習者は、よく認識されたい。

 

 

意拳研究練習日誌第59号

前回第58号について

水中の中性浮力と中心線感覚の共通点は、車で言えばニュートラル状態と似ている。

上下を基準として、前後、左右のバランスにより、起動と制御を行っている。

身体の操法を例えると、身体は、赤ん坊のように頭と体を上手く使っている。

その操法として

揺法と旋法が重要な鍵となり、その重視ポイントは守中用中、六合、三尖相照であり、特に中心線下部であるその脚部は、裏股を追究した膝と股関節による左右の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上部運動へと一致させる。

即ち、どのように動くとも、左右の手は間断無く、中心線から外さない、また忘れない。

これら中心線感覚による中心線起動と制御により、主導権を獲得する。

具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

站椿による不動の練習においても、また試力、摩擦歩、発力、試声、推手、断手等どのように止まるとも動くとも、感覚として中心線を通る精神は頭上を貫きその中心の落下点、即ち重心はその下にあり内部の感覚は中心線により前後、上下、左右の均衡をとりながら、中心線により元の位置へ制御する。

外部の感覚は、身体全体が水飴に包容されたなかで、矛盾の状態と矛盾の力を掌握する。

いつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

空打ち発力をいくらやっても、ミットやサンドバッグを叩きつけても、相手の中心及び重心を崩す感覚器官を鍛練しなければ、発力は未発でおわる。

本当の発力は3センチメートルあれば十分であり、打てる状態となるためリーチはショートレンジへ、リードタイムはショートタイムへ、即ち距離と時間は短縮される。

これらを中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いることを練習者は、よく認識されたい。

 

 

意拳研究練習日誌第60号

前回第59号の

身体の操法とメビウスの輪について

身体の操法は、メビウスの輪に類似していることに既に気付いた人は、かなりレベルの高い状態にあると思われる。

絶えず、中心線感覚を求め、左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことから、ひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ち、どのように動くとも、左右の手と足は間断無く、中心線から外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。

具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従って、いつでもどこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが、相手の中心及び重心を崩す感覚であり、戦機を獲得する瞬間であり距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

意拳研究練習日誌第61号

前回第60号の

身体の操法による攻防転移の瞬間について

身体の操法は、絶えず中心線感覚を求め、左右交互の矛盾の力、即ち、内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことから、ひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、接触と邪魔における最善の戦機を獲得する。

この瞬間における重心、つまり重力線に働く力が強いほど、受けた相手は比例して時間を拘束される。

つまり重力の強さに比例して、拘束され時間の経過は長くなり遅れる。

逆に重力の拘束を素早くとき、無重力状態のように中心線をニュートラル状態に移行させることが出来れば、時間の拘束を受けること無く、相手より先に目的を果たすことができる。

即ち相手が先行して主導権を獲得し、我を受動的局面に追い込みをかけようと行動に出ても、敵より遅くれて発し、敵より先に主導権を獲得し、結果的に相手側が距離と時間に余裕が無くなり、備えと計らいがない状態になる受動的局面に追われることになる。

古からの相手に余裕を与えない主導権的戦略である。

利してこれを誘い、乱してこれを取り、溢なればこれを労し、親なればこれを裂き、その無備を攻めその不意に入る、とある。

主導権の獲得は、この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、相手に余裕を与えない戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、相手側にとって無備と不意の状態を誘発させ、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、日々よく振り返り研究されたい。

 

 

意拳研究練習日誌第62号

前回第61号の

身体の操法からによる推手と断手について

推手と断手は互いに不足分を補いながら補完していく。

その要因について振り返って分析する。

推手は接触した状態から、接触と邪魔の状況下で中心線感覚により、上下、前後、左右の力が及ぶ範囲内を掌握することを目的として、両手が拘束された特定条件で行う。

断手は接触しない状態から、推手で掌握した力が及ぶ範囲内を持って、いつ接触しても力が発揮出来る如く、接触と邪魔の状況下で行う中心線感覚によるフリースタイルで行う。

何れにせよ、摩擦歩による守中用中の原理を使い、側面斜面へ移動しながら、絶えず中心線感覚を求め、左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させる。

また、相手から物理的な力が働いていない、あるいは、こちらから仕掛けて物理的な力を発していない接触した部分はリラックスし、まるで真綿のように柔らかい。この時は相手の力量を図っている状態である。

即ちニュートラル状態であり、力んでいる状態で相手を威圧している感覚ではない。

むしろ中心線がどこにあるか掴みどころのない状態で、相手がこちらの中心線を図ることが出来ないように混乱させ、受動的局面に追い込んでいる状態である。

断手の状態に置き換えると、相手と接触する瞬間までの移動中のリラックスした状態である。

つまり推手の環状動作の中、終始力で相手を威圧することではない。

このように間違った個癖を作ってしまうと硬い身体、動けない身体となり離れた位置から接触する断手への移行が困難になることを認識しなければ、いつ接触をしても側面及び斜面へ変換できる状態が出来ないことになることを認識して、互いにバランスよく補備修正を行う。

次に接触から邪魔への瞬間は、ニュートラル状態から相手の中心線と物理的な力を捕らえ、中心線感覚により斜面を活用し、この瞬間における重心つまり重力線に働く力が強いほど受けた相手は、比例して時間を拘束される。

この状態から推手においては、両手が拘束された状態から相手の中心線を捕らえてバランスを崩して発力が可能になる戦機を獲得する。

断手においては、フリースタイルから接触をして相手の中心線を捕らえてバランスを崩して発力が可能な戦機を獲得する。

共通点、即ちニュートラル状態から速やかに重力による拘束を行う。逆に重力の拘束を素早くするとき、無重力状態の様に中心線をニュートラル状態に移行させることが出来れば、時間の拘束を受けること無く、相手より先に目的を果たすことができる。

即ち相手が先行して主導権を獲得し、我を受動的局面に追い込みをかけようと行動に出ても敵より遅れて発し、敵より先に主導権を獲得し、結果的に相手側が距離と時間に余裕が無くなり、備えと計らいがない状態になる受動的局面に追われることになる。

主導権の獲得は、この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、相手に余裕を与えない戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、相手側にとって当に無備と不意の状態を誘発させ、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、日々よく振り返り研究されたい。

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第63号

前回の

身体操法から站椿について日々振り返る。

意拳は、追求しても尽きることのない拳学である。

そのため、日頃から失敗による気付き、経験による気付き、教訓による気付き、鍛練中からの気付き、師から教わった気付き、これらは積極的行動からのメッセージであると同時に、今現在も進行中である。

つまり熱意、努力、研究心があれば、不透明な未来も現在から見通すことが可能と考えられる。

また、逆にいい加減な態度は過去を悔やみ、未来に不安を誘発させる。

そのため、過去を振り返って検証し、実践と理論を回帰し、現状に満足することなく是正修正をして、未来に新たな課題を追求することが必要不可欠である。

それでは、

站椿の身体の操法について、回帰してみる。

外部の感覚としては、身体全体を空気が包容し空気抵抗を感じる。

他に例えれば、まるで適温の水中の中にいて快適でリラックスをしている状態にある。

あるいは、水飴の様に、粘性のある物質の中にある状態である。

内部感覚はイメージによる不安定な物を両腕と身体全体で包括している。

包括の手段として、上方へ向かう心理的中心線と、下方へ向かう重力落下線による中心線感覚により、起動と制御を行う。

以前にも紹介した通り、洋の東西を問わず、東洋の陰陽思想からニュートンの法則まで一貫して共通した事項がある。

それは、ある力が働いた時、必ず逆に働く力が同時に発生することである。

意拳では、これを矛盾の状態という。

不動の中でも止まることのない上下、前後、左右に微動する状態が起きる。

それに伴い中心線が移動する。

その都度、矛盾の状態が発生し、中心線感覚により矛盾の力を使って元の位置へ補正する。

例えれば、木を抱き抱え、引き上げ引き下げ、押し出し引き寄せ、引き裂きなどにより中心線感覚により起動と制御を行う。

やがて自己忘却の境地に向かう。

即ち中心線感覚により、何が起きようと全て中心線感覚により、自然に起動制御が出来る。

つまり外部感覚と内部感覚における矛盾の状態を総括し、これを矛盾の力で補正する。

即ち自己を中心に上下、前後、左右に四方八方へ均一にバランスがとれている状態である。

また、これら矛盾の状態は、次々と新しく発生することになるので、これに伴い新たな矛盾の力を掌握することができるように更なる追求が必要となる。

練習者は、日々よく振り返り研究されたい。

 

 

意拳研究練習日誌第64号

前回第63号の我、日々振り返るについて補足事項

練習の日誌をつけることについて

練習の日誌を付けることは、現状を把握し、過去を振り返り、未来を見通すため今後の発展に重要である。

例えれば、站椿を低くすれば、足腰が強くなり站椿のレベルが上がるように考えることが本当に正しいのか、振り返って検証して見よう。

足腰の筋力強化を目的に置いた場合、それでは空気椅子の方法を取る方が適切である。

しかし、過去いろんな師の站椿を見たが、そんなに深く膝を曲げた人や低さを重視する方が誰もいなかったのは事実であり、何を目的にしているかが重要な鍵である。

特に低さよりも股関節の寄りかかりによる裏股や、軽く膝の力を抜き、寄りかかりによる動作が柔軟かつ速やかに動けることや、快適性やリラックスの重要性を注意する方が圧倒的に多くおられた。

気についても、空気抵抗感や意識感覚による精神活動によるもの、中心線感覚、特に守中用中を強調されていて、スピリチュアル的なものやカルト的なものや気功によるエネルギーの類いとはまるで違い、むしろ科学的、物理的な説明が多くあったことから、まさしく実践性の高い論理的な拳学であることが理解できる。

よく、「一芸は万芸に通じるという」、言葉の意味は,「一芸を極めるだけの能力と熱意がある上で,もしその能力と熱意で他のことに取り組んでいても,同じように極めることができるだろう」,という意味である。

モノの考え方、捉え方にはこの回答は何を求めているのか,どのような回答を求めているのか、目標、目的は何か、複数ある回答から選択させると、それに至る思考過程を観察することができる。

まず、この回答は何を求めているのかを、論理的な思考によって分析をして、妥当性のある回答を求める。

故に答えを導くという思考回路が存在してくる。

最も重要なことは、現在の現状、置かれている状態を掌握しているかが、問題である。

物事を有機的に考える思考回路を養うには、六面力と同じ立体的な思考が必要不可欠である。表面で起きていることが裏面でも何か起きている。つまり、逆もまた、真成り。

その為,過去を悔いることなく、教訓、経験を現在に応用した上で未来に不安感を抱かず、現状の難問を立体的に組み立てて、未来を見通す。

つまり矛盾の状態を知ることにより矛盾の力を使うことができる。

このように回帰することにより我、日々振り返るは、意拳を学ぶ上での必須の思考回路である。

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第65号

前回からの我、日々振り返るにおける。今回は、

摩擦歩について

摩擦歩においても、必ず中心線感覚を伴って、中心からの起動力と制御力を訓練する。

その独特の移動方法は、横への移動が特徴的な三角歩とも言われ、連続する三角形が目標に向かってジグザグに移動する。

中心線起動により斜面へ誘導する攻防逆転への転移である。

感覚とてしては、どのように動くとも、中心線を通る精神は頭上を貫き、その中心の落下点、即ち重心はその下にあることを、いつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

中心線起動により摩擦歩による半歩移動は、中心線の寄りかかりにより裏股と膝関節による内旋と外旋が同時に発生する矛盾の力による慣性の力を得て前進後退をする。

例えれば、左足から前進する場合は、右後方へ寄りかかり、後ろ足に当たる右足を引き寄せる場合は、左前方へ寄りかかり、また、連続して前足を前に送くる場合、後ろ足と裏股関節の争力により、前足を一足先に送り出すことにより滑り出す。このように矛盾の状態を知り、矛盾の力で起動制御を行う。この移動間、足裏の感覚は、非常に繊細である。

熟練者は、スケートのように、自由自在に滑走することが可能である。

まるで薄い氷を割らないように、また足の裏に小さな丸太があり、身体全体の矛盾の状態に慎重に併せて転がしながら前進後退による上下相随運動を行う。

これらを、実践性の高い状態に置き換えると、単なる半歩ではなく、内旋と外旋を伴って、繊細で小刻みに横への移動も可能である。

まるでシーソーゲームで微妙な調整をしながら滑走する。急発進、停止、方向変換により、慣性の力は強く柔軟で活動範囲が広く、接触と邪魔により相手を間近でとらえる時も、微妙な調整をしながら相手を崩した矛盾の力を活用して、強力な発力を得ることになる。

その動きは、外部から動くより速く、相手が先んじて動き、我遅れて発しても相手より先に到達する。

また、その動きはまるで相手の状況に併せて、時計回り、または、反時計回りに回転しつつ動くコマに似ているが、相手の中心線を観察しながらも守中用中を発揮する。

練習者は、このことを重視して練習されたい。

また、必要以上に腰を落し行う必要はない。

無理な固定的なやり方は、潜在的能力を劣化させる。

裏股関節と膝の使い方、内旋と外旋が極めて重要となる。

意拳研究練習日誌第66号

前回からの我、日々振り返るにおける。今回は、

眼精訓練について

目標を捕らえるための目測は必要不可欠である。

目測は双方対峙においても、必ず中心線感覚を伴って、中心からの起動力と制御力を可能にする訓練の要因でもある。

その独特の目測方法は、周辺視と中心視と呼ばれ、簡単に言えば、相手を中心に周囲の背景を同時に見ている状態である。

広視界レンズと狭視界レンズの両機能を持つ誘導武器の眼鏡に似ている。

見ているようで見ていない。見ていないようで見ている。

つまり、最初から狭視界にしない。

焦点を最初から絞らない。

一つの物を注視しない。

常に広視界から近接戦に従い、自然に狭視界へ転移し、離れれば広視界、近付けば狭視界へと自然に変わる。

目標は、我の中心線から三尖相照を見通した相手の中心線である。

最も見る価値があるのは、相手の中心線である。

これらは、以前紹介した照準線による見出しであり、前後、左右、上下に転移しても、見出しと見送りを終始、中心線から決して外してはならない。

これらは、縦横無尽に動く移動間に特に発揮されることで、目標を捕捉することが可能である。

全てこれらは実戦の中で次第に育成する。

例えれば、車の運転をすると、前の車、対抗車、歩行者、横の車、自転車風景、信号、後続車、標識など、全て見ている状態に似ている。

目の緊張感は、皮膚の緊張感と正比例する。

接触する前と瞬間は、まるで真綿のようにリラックスしている。もちろん目の状態もリラックスしている。

実は站椿の中で眼精訓練を貫徹している。

それでは、部分練習に入る。

ハンカチまたは、タオル使って目の前でゆっくりと叩き、あるいは指先を左右交互にあるいは、拳を向けて条件反射で閉じさせない練習を行う。

頭部は動かさず、上下の眼球運動を行う。

精一杯、上に上げて4秒間静止、逆に精一杯、下に下げて4秒間静止する。

これから行う眼精訓練において、動く中、周辺視及び中心視を行い、視界内にある鳥や昆虫などの動物の動く様も注視することなく観察する。

次に上下運動を可動範囲一杯に30回行う。

次に左右運動を可動範囲一杯に各30回行う。

次に左右回転運動を可動範囲一杯に各20回行う。

また、日頃より鳥役割や昆虫の飛び回る様や水中の魚など突然変わる動態を機会があれば行い動体視力を養う。

次回は、眼精訓練と皮膚感覚に深い関係のある身体的保護性反射能力の向上について補足する。

 

 

意拳研究練習日誌第67号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

「眼精訓練と皮膚感覚」つまり脊髄反射に関係の深い

保護性反射能力について

反射とは、人体の生理的作用において、特定刺激に対し無意識に反応する行動である。

その全過程は極めて短く通常は1秒以下で行われる。

分類して体性反射と内臓反射があり、体性反射は、各関節の腱組織内にある腱紡錐や各筋肉組織内にある筋紡錐の固有感覚、つまり自分自身を検出する感覚受容にあたる神経回路により骨格筋を収縮させる腱反射と表在反射に分類される。

内臓反射は生命維持において常に起こっている。

活動に適した交感神経が働き、休息に適した副交感神経が働く。

それでは、保護性反射と関係の深い体性反射、

特に表在反射に注目する。

表在反射とは、皮膚や粘膜に刺激を与えることにより、その周辺の筋肉が収縮反射を起こす。

特に腹壁反射などは代表的である。

その独特の練習方法は、手のひらの大きな表面積を利用して、面による身体の各部分周辺を摩擦により刺激する。

または、指先を使用して、局部的な小さな点による突きで各部周辺を刺激する。

各部周辺とは、打撃の目標となる顔、腹、脇、胸、腰、足などに、外力作用による刺激を与え、皮膚の弾力性を向上させる。

このようにして皮膚の感覚受容を刺激することにより、反対方向に働く筋肉の相反性制御、つまり脊髄運動細胞を興奮させ相反性の筋肉支配と交叉神経支配は全ての行動に際して交互にバランスをとる。

即ち、ある力が働いた時に必ず逆に働く力が存在する矛盾の状態である。

次に、

これらの保護性反射訓練の効果を図るには、

リラックスの状態から刺激を与えることが重要である。

更に最良のリラックスを追求すると、保護性反射は、中心線感覚を伴った起動と制御により矛盾の状態から矛盾の力を発揮することができる要因である。

以上のことから、古式の鍛練方法にある硬い物、重い物を身体にぶつけても、健康に無益であり、打撃を受けるところが予測出来ない実戦での状況が一致しない。

そのため、先進的、科学的な方法をとり、保護性反射訓練を日頃から我、振り返り回帰することで、能力の向上を図ることが重要である。

 

 

意拳研究練習日誌第68号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

試声について

試声とは、発力における重要な構成部分である。

具体的に言うと、一挙に息を飲み込み下腹部に落下させた瞬間、その反動で息が漏れる。

例えると、井戸に石を落下させると、水面に落ちて振動を与えるともに水しぶきを上げ、その音響が帰ってくる

練習のポイントとしては、身体をリラックスさせ、上下中心線感覚を保ち、重心落下線に一挙に下腹部に向かって息を飲み、横隔膜を降下させた反動により息吹きが自然に漏れる。

この時、手のひらを口元に置き、息吹きがあたらなければ練習は、良好である。

発声は、初期の頃は第1声の「イー」の音はリラックスして明瞭に長く、その後の第2声の「ヨッ」音は短節に強くする。

要領を把握して行くにつれ、第1声と第2声の発声間隔を短くしていく。

更に要領を得て、第1声と第2声の間隔は、ほぼ同時に発声する。

更に向上すると、発声は無音となる。

身体の行動は横隔膜の降下刺激に対し無意識に反応し振動する。

まるで、とても深い渓谷の中で鐘がなり、振動だけが響くようである。

この発声は、各発力動作に併せて、あるいは推手、断手などの各機会に併せて練習をして向上をさせ、その全過程は極めて短く通常は1秒以下で行われる。

発声による外力作用で刺激を与え、全身の弾力性を向上させる。

このようにして発声の感覚により横隔膜筋の受容を刺激することにより、反対方向に働く筋肉の相反性制御、つまり脊髄運動細胞を興奮させ、相反性の筋肉支配と交叉神経支配は全ての行動に際して交互にバランスをとる。

即ち、ある力が働いた時に必ず逆に働く力が存在する矛盾の状態である。

これらの発声による反射訓練の効果を図るには、リラックスの状態から刺激を与えることが重要である。

更に最良のリラックスを追求すると、発声による反射は、中心線感覚を伴った起動と制御により、矛盾の状態から矛盾の力を発揮することができる要因である。

そのため、先進的、科学的な方法をとり発声による反射訓練を日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

 

 

意拳研究練習日誌第69号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

重要な身体各部における特徴とポイントについて

○全身リラックス

身体全身はいつも快適性を求め自然体であり、どちらにも偏りがない。

膝、肘、指は曲がっているような曲がっていないような感覚を持ち、絶対的な力を持ってはならない。

○呼吸

呼吸は、口がやや横に張り空いて漏れているようであるが、鼻による呼吸を重視する。

これは、口がリラックスしている状態であり、笑っているようで笑っていない矛盾の状態、仏像のアルカイックスマイルに似ている。

○定中

定中とは、俗に言われる立身中正に近いと思います。

上下中心線を貫いた状態であり、上方へは、心理的中心線が働いて精神は頭上を貫き天に向かって引っ張られている感覚がある。

禅をされている方は心得られている。

その心理的中心線の下方へは大地を貫く重力落下点がありそれに向かって重力落下線がありこれが重心であり下方への中心線である。

その上下はいつも互いに対抗して引っ張られ矛盾の状態であり矛盾の力を持っている。

○含胸抜背

胸を張らずに緩め、背中は釣り鐘のように丸みを持たせれば、呼吸は自然になる。

○沈肩墜肘

肩は落とし、肘は横に張る。その姿勢は意拳の最大の特徴であり、無理なく含胸抜背との複合を可能にしてリラックスできる。

○裏股後股

技撃スタイルによる重心のとり方。

基本的に7対3、6対4の比率であるが、単なる重量配分ではない。

上下中心線感覚による股関節がリラックスして寄りかかりによる重力落下線への極めて重要な照合であり、膝のリラックスが伴わなければならない。

今後の各種動作に必要な左右の内旋と外旋の基軸となることを怠ってはならない。

身体上部の内旋、外旋は容易に理解できるが、身体下部の内旋、外旋は理解しにくい。

これであきらめて、他流や力に頼る方向へ行く人がいるので注意されたい。

諦めず更に追究する人は、下部の内旋と外旋が上下中心線感覚により上部と一致することにより、矛盾の状態と矛盾の力を実感する。

○三尖相照

三尖相照は、通常、目により、手尖、鼻尖、足尖の3つが合うこと。

意拳では、もう一つ奥の上下中心線感覚から見通した線上に導くことで、守中用中への展開が有利となる。

○六合

心と意、意と気、気と力が合うことを内三合という。

即ち意識操作による精神活動により、上下中心線感覚を錬成し、自己を中心に四方八方へ均一に働く力、矛盾の状態、矛盾の力を調整する。

手と足、肘と膝、肩と股が合うことを外三合と言う。

即ち、内三合と照合する上下中心線感覚により、肢体を使って矛盾の中に具体性を求め、微動の中に速度を求め無力の中に力を求める。

見直すべきところ、まだまだ多くあり尽きることがない。

日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

 

 

意拳研究練習日誌第70号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

重要な身体各部における特徴とポイントについて

○空気抵抗

身体全身は空気にいつも包容され、快適性を求め、自然体であり、どちらにも偏りがない上下中心線を貫いた状態であり、上下はいつも互いに対抗して引っ張られ、矛盾の状態であり矛盾の力を持っていることで、空気抵抗による争力を媒体として自己を中心に四方八方へ均一に働く力を得る。

空気抵抗が分からなければ水中を比喩的に、まだ難しい場合は、水飴を比喩的に包容する。

解れば、空気中を水中のように泳いでいるこのような感覚を実感しなければならない。

○渾元椿について

渾元椿による「抱くこと7割、支えること3割」については、対比的な感覚ではない。

壁を推す場合を支えとなり、その反作用により、抱く側の抵抗力が極めて大きくなることにより、抱く力は、収容であり能動的であり、推す力は抱く力の反作用により支える力は発散できる。

ボールで例えると、内面は内圧で収容されて抱く状態である。

壁にぶつかった瞬間、反作用により外面に対して支えることにより、推す力で発散することを理解しなければならない。

○推手において

環形運動により、双方が接触する部分は、真綿のような偏りのない状態、即ちリラックスし相手の力量を図れるニュートラル状態である。

その目標は、相手の中心線のみを狙い、我が中心線のみを守る。

この間、局部的な力をわずかでも感じた場合、中心線感覚を起動させ制御により相手の重心を崩し戦機をうかがうことができる。

また、我の局部的な力は相手側に戦機を与える可能性があることを忘れてはならない。

この感覚を能動的にも受動的にも使いこなすには、いつでも真綿のようなニュートラル状態にできることが大前提である。

推手練習は、腕の力や重さで相手を征しても、断手において使えなければ、単なる腕力自慢にしかならない。

いつでもすぐに真綿の状態から起動し制御し、いつでもすぐに真綿の状態に戻れる。このような推手練習を行えば、断手への移行は容易である。

この感覚がなければ、断手のように空間から接触した瞬間も同じように真綿の状態でなければ、相手の力量を図ることも相手を乱すことも出来ない。

以上のように見直すべきところ、まだまだ多くあり尽きることがない。

日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第71号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

重要な身体各部における特徴とポイントについて

○地面からの反作用について

静止不動の状態を追究しても、

地面からの反作用の影響により身体は微動することを感覚として捉えなければならない。

これが重力と反対方向に争う力であり、中心線感覚の起動力となり、これにより起動打撃を可能にする。

○足裏の重心について

重心はどこですか?

スポーツの大半は、前にかかる重心が多いのに比べて、経験から言うと、後ろにかかる重心となり、土踏まずのやや踵付近である。

膝をピンと張り緩めて座股の状態、立っているようで座ってるようで、踵の下に虫がいるようで逃がさない。

足の指先は自然に大地を掴むようで、絶対的な力は持っていない感覚であれば自然に要領を得る。

○踏む込みについて

起動する時、土踏まずのやや踵付近にかかる重心により、地面の反作用を活用し起動することができる後ろにかかる重心である。

特徴として、踏む付けによる微調整により、急発進、急停止、急方向変換及び後ろ足による踏みつけで、前足の送り出しが自由自在である。

特に、アキレス腱や膝などにかかる負担が少ない。

これとは対象的に、スポーツ等で踏みつけではなく、蹴る動作が重視される。

前にかかる重心の典型的な行動である為、急な方向変換、急な発進、急な停止など、微調整が出来ない。

アキレス腱断裂や膝の故障など負担が大きい。

以上のように見直すべきところ、まだまだ多くあり尽きることがない。

日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

 

 

意拳研究練習日誌第72号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

重要な身体各部における特徴とポイントについて

前回の踏みつけについて補足する。

膝をピンと張り緩めて座股の状態、立っているようで座っているようで、踵の下に虫がいるようで逃がさない。

足の指先は自然に大地を掴むようで絶対的な力は持っていない感覚であれば自然に要領を得る。

具体的には、足の親指と踵による同時踏み付けにより、土踏まずのやや踵付近に地面の反作用を受けて起動する。

足は大地を掴み大地を支え、精神は頭上を貫いて、中心線は重心線と一致する。

即ち、足裏足低面の重心による要領を得て、中心線の下に重心線を一致することが本来の重心のありかである。これが目的である。

特徴として、踏み付けによる微調整により、急発進、急停止、急方向変換及び後ろ足による踏みつけで、片足はニュートラル状態となり片足の送り出しが自由自在であり、前進の時は前に滑り出す。

もう少し具体的には、膝は上に引き上がり、足の指は大地を掴み、土踏まずは縮み上部へ吸い上があり、踵は地面を踏む。

当に後ろ重心でなければ、居着かぬ足は、獲得出来ない。

このように居着かぬ足を摩擦歩により練度の向上を図る。

○輪軸について

意拳で活用する梃子の原理の一つとして、大小2つの滑車を共通の軸に固定し、大きい滑車に力を加え、小さい滑車により物体を梃子の原理を使って引く装置である。

このように軸による梃子の原理を使って少しの力で大きい力が出せる。

即ち中心線感覚を基軸に輪軸のような力学が及んでいることを体得しなければならない。

○拳打三分脚打七分

肘を曲げたショートレンジの形曲力直による拳打は、フルレンジによる肘を伸ばしての拳打に比べてリーチの差は外見上では明確であるが、先に論じた足の踏みつけにより発生した反作用を利用して輪軸を体現する。また、足の踏みつけによる足裏から拳までの距離は、腕によるリーチよりもかなり長く使える。

このように見直すべきところ、まだまだ多くあり尽きることがない。

日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

意拳研究練習日誌第73号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

以前、体性反射の皮膚による表在反射を取り上げたので、今回は、腱反射を取り上げ、站椿における矛盾の状態の中で局部と全体の対立訓練と中心線感覚、つまり脊髄反射に関係の深い保護性反射能力について

反射とは、人体の生理的作用において特定刺激に対し無意識に反応する行動である。

その全過程は極めて短く通常は1秒以下で行われる。

○腱反射について

腱反射は、各関節の腱組織内にある腱紡錐や、各筋肉組織内にある筋紡錐の固有感覚、つまり自分自身を検出する感覚受容にあたる神経回路により、骨格筋を収縮させる。

意識の誘導により一種の矛盾の状態を訓練する局部と全体の対立する訓練過程にしたがって、身体の内外、全体に対する拡大、例えば、当初は紙のボール抱いて、次に自己忘却の中でボールを抱き、更に鉄のボールを抱き、更に木を抱くなど、手、腕、肩、背を統一的に対立を構成して段階的に訓練する。

例えば、腕を前方へ出し、ある形状を維持しようとすると、腕を一定位置に保持するため、可動筋肉は腕が上がり過ぎないように抑制し、他の諸筋肉により相反方向へ引張され、筋肉の張力と長さは固有受容器からの情報により相反する筋肉群のバランス行動を継続的に監視している。

収縮した筋肉群の感覚受容器は反対方向に働く筋肉群の収縮により、その筋肉群の進展時に活動する。

腱における張力受容器は、筋肉群が骨を引張する時に発生張力により活動する。

肩の筋肉が疲れ、腕が下がると肩の筋肉繊維が引き伸ばされ肩の筋肉を支配する運動細胞が興奮すると同時に張力現象は腱受容器活動を減少させ、反対方向に働く筋肉運動細胞の抑制はその筋肉を緩める。

この一連動作過程の結果、肩の筋肉の収縮力は増し、腕の引張力は回復する。

このようにして脊髄内で線維連絡を有する局所回路は一旦運動プログラムを決定すると極めて自動的に一連動作過程の調整を行う。

しかし、意志決定により高度な中枢、即ち脊髄運動細胞に対する命令の源は大脳皮質運動野にあり、同じく大脳皮質内にある体表面の体性感覚野と隣接しているため、表在反射における皮膚感覚、腱及び筋肉の感覚受容を刺激することにより、反対方向に働く筋肉の相反性制御、つまり脊髄運動細胞を興奮させ相反性の筋肉支配と交叉神経支配は全ての行動に際して交互にバランスをとる。即ち高度な中枢による意志決定により、脳が指令を出すが、機械的な思考回路では反射的速さが出来ない。

そのため、感覚神経は脊髄で運動神経細胞とシナブス接合部を持つ腱、筋肉からの負のフィードバックにより妥当な反射運動が起こり、また、脳が鍛えられる。

即ち、ある力が働いた時に必ず逆に働く力が存在する矛盾の状態である。

次に、これらの保護性反射訓練の効果を図るにはリラックスの状態から刺激を与えることが重要である。

更に最良のリラックスを追求すると保護性反射は、中心線感覚を伴った起動と制御により矛盾の状態から矛盾の力を発揮することができる要因である。

そのため、先進的、科学的な方法をとり保護性反射訓練を日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

意拳研究練習日誌第74号

単操手における

拳掌交互交換運動について

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとる。

揺法の要領で、中心線を基軸に左右に起動する。

この際、三尖相照を照らし合わせ、内三合を整える。

身体的外部動作は、外三合の要領を持って、「攻勢となる片方」は形曲力直に従い、左右いずれかに移動して、中心線を拳で打ち、矛の役割を担う。

「守勢となるもう片方」は反対に矛盾の状態を知り、矛盾の力に従い、掌を使って盾の役割を担う。

このように攻守同一の良好な習慣をつける。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことからひねった部分が斜面であり結合部分が中心線部分となり攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には拳と掌の交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもありピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ちどのように動くとも、左右の手、「矛を担う攻勢による拳」、「盾を担う守勢による掌」と、足は間断無く、中心線から外さない。また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従っていつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり戦機を獲得する瞬間であり距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第75号

単操手における

直拳交互交換運動について

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとる。

揺法の要領で中心線を基軸に左右に起動する。

この際、三尖相照を照らし合わせ、内三合を整える。

身体的外部動作は、外三合の要領を持って、「攻勢となる片方」は形曲力直に従い、左右いずれかに移動して中心線を拳で打ち、矛の役割を担う。

「守勢となるもう片方」は反対に矛盾の状態を知り、矛盾の力に従い、同じく拳を使って盾の役割を担う。

このように攻守同一の良好な習慣をつける。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことからひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には、後ろで引き、前で打つように、打つ拳と引く拳は弓を引く争力を持っている。体は弓、手は矢に例えた矛盾の関係である。

また、交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもありピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ちどのように動くとも、左右の手は、「矛を担う攻勢による拳」と「盾を担う守勢による拳」と、足は進退が伴わないが、内旋と外旋の矛盾の力をその場で保ち、いつでも進退が可能である。

この際、間断無く中心線に向かって用いた拳は、交換する反対側の拳が中心線に向かってくるまで中心線を守っている状態ある。

重要なポイントは、身体を包容している空気抵抗を感じているか、争力を感じているか、中心線の間隙を作ってはならない。そして外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従っていつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、戦機を獲得する瞬間であり距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第76号

単操手における

裁拳交互交換運動について

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとる。

揺法の要領で中心線を基軸に左右に起動する。

この際、三尖相照を照らし合わせ、内三合を整える。

身体的外部動作は、外三合の要領を持って、「攻勢となる片方」は形曲力直に従い、左右いずれかに移動して中心線を拳で打ち、矛の役割を担う。

「守勢となるもう片方」は反対に矛盾の状態を知り、矛盾の力に従い同じく拳を使って盾の役割を担う。

このように攻守同一の良好な習慣をつける。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことから、ひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には後ろで上方へ弧を描きひねりながら引き、前で下方へ弧を描きひねりながら打つように、打つ拳は下方へ向かうと入れ換わると同時に反対方向に引く拳は体と一緒に上方へ向かって伸びる梃子の原理を応用する。

決してフックではない。

即ち一瞬にして打撃した手に慣性の力と梃子の原理を得て体重が載る。

弓を引く争力を持っている体は金槌、手は釘に例えた矛盾の関係である。

また、交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもありピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ちどのように動くとも、左右の手は、矛を担う「攻勢による拳」と盾を担う「守勢による拳」と、足は進退が伴わないが、内旋と外旋の矛盾の力をその場で保ち、いつでも進退が可能である。

この際、間断無く中心線に向かって用いた拳は、交換する反対側の拳が中心線に向かってくるまで中心線を守っている状態ある。

重要なポイントは、身体を包容している空気抵抗を感じているか、争力を感じているか、中心線の間隙を作ってはならない。そして外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従っていつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり戦機を獲得する瞬間であり距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり命中率の一番高い状態であり中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

意拳研究練習日誌第77号

単操手における

鈎拳交互交換運動について

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとる。

揺法の要領で中心線を基軸に左右に起動する。

この際、三尖相照を照らし合わせ、内三合を整える。

身体的外部動作は、外三合の要領を持って、「攻勢となる片方」は形曲力直に従い、左右いずれかに移動して中心線を拳で打ち、矛の役割を担う。

「守勢となるもう片方」は反対に矛盾の状態を知り、矛盾の力に従い、同じく拳を使って盾の役割を担う。

このように攻守同一の良好な習慣をつける。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことからひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には、後ろで下方へ弧を描きひねりながら引き、前で上方へ弧を描きひねりながら打つように、打つ拳は上方へ向うと入れ換わりと同時に反対方向に引く拳は体と一緒に下方へ向かって伸びる梃子の原理を応用する。

決してアッパーではない。

即ち一瞬にして打撃した手に慣性の力と梃子の原理を得て体重が載る。

弓を引く争力を持っている体は金槌、手は釘に例えた矛盾の関係である。

また、交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもあり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ち、どのように動くとも、左右の手は、「矛を担う攻勢による拳」と、「盾を担う守勢による拳」と、足は進退が伴わないが内旋と外旋の矛盾の力をその場で保ち、いつでも進退が可能である。

この際、間断無く中心線に向かって用いた拳は、交換する反対側の拳が中心線に向かってくるまで中心線を守っている状態ある。

重要なポイントは、身体を包容している空気抵抗を感じているか、争力を感じているか、中心線の間隙を作ってはならない、そして外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従っていつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第78号

単操手における

内外分手について

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとる。

揺法の要領で中心線を基軸に左右に起動する。

この際、三尖相照を照らし合わせ、内三合を整える。

身体的外部動作は、外三合の要領を持って、「攻勢となる片方」は形曲力直に従い左右いずれかに移動して中心線を掌で、内分手においては内転し、外分手においては外転し、矛の役割を担う。

あるいは、内分手、外分手を自由自在に組み合わせ、多様な変化に対応する。

「守勢となるもう片方」は反対に矛盾の状態を知り、矛盾の力に従い掌を使って、内分手においては内転し、外分手においては外転し、盾の役割を担う。

このように攻守同一の良好な習慣をつける。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことからひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には、掌と掌の内転と外転の交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもあり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ち、どのように動くとも、左右の手、「矛を担う攻勢による掌」、「盾を担う守勢による掌」と足は間断無く、中心線から外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従っていつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

意拳研究練習日誌第79号

単操手における

腰部の上下前後振運動について

養生椿の要領で快適にリラックスした平歩の姿勢をとり、その位置から中心線を基軸に背後へ大きく弓なりに後方へよりかかり、位置エネルギーを運動エネルギーに転化させ、振り子運動により慣性の力を得て、突然体を前に傾け、前後の矛盾の力と争力、一挙に弾力を使って伸びてすぐに戻り、上下の矛盾の力と争力により、起動と制御を行う。

この際、内三合を整え身体的外部動作は、外三合の要領を持って形曲力直を忘れず、中心線による前後振と上下振の協調的振動運動を行う。

例えれば、蒸気機関車の車輪の如く、肩、肘、股、膝などの各関節はこのように弾力を持って軌跡をたどる。

最も重要なるポイントは、中心線感覚により上下振動から慣性の力を得て前後の矛盾の状態を知り、矛盾の力に従い、腕は管状内の水銀が遠心力を得て一挙に先端へ移動する感覚を得る。

先端が掌の場合は指先までその感覚が達し、指先から外部へ放たれる感覚が生まれる。

先端が拳の場合は、拳を握った指先はその感覚がたなごころを突き破る感覚が生まれる。

練習についても快適軽快に連続的にでなければならない。

このように協調された良好な運動習慣をつける。

 

 

意拳研究練習日誌第80号

単操手における

手刀劈方交互交換運動について

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとる。

揺法の要領で中心線を基軸に左右に起動する。

この際、三尖相照を照らし合わせ、内三合を整える。

身体的外部動作は、外三合の要領を持って、「攻勢となる片方」は形曲力直に従い、左右いずれかに移動して、中心線を手刀劈で斜面を切り落とす矛の役割を担う。

「守勢となるもう片方」は反対に矛盾の状態を知り、矛盾の力に従い、手刀劈を使って斜面を振り挙げる盾の役割を担う。

このように攻守同一の良好な習慣をつける。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことからひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には、左右の劈の交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもあり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ち、どのように動くとも、左右の手、「矛を担う攻勢による手刀劈」、「盾を担う守勢による手刀劈」と、足は間断無く、中心線から外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従っていつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第81号

単操手における

昇降運動について

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとる。

揺法の要領で中心線を基軸に左右に起動し、併せて体全体は昇降運動を行う。

この際、三尖相照を照らし合わせ内三合を整える。

身体的外部動作は、外三合の要領を持って形曲力直に従い、内旋と外旋により左から右から、特に上下中心線を主体に、下盤から中盤へ、中盤から上盤へ、あるいは、反対方向へ。例えると、長いはしごをかけのぼり、かけ降りる。あるいは、上方回転により上方からたぐりよせ、下方回転により下方からたぐりよせ、ゆっくりの動作から速い動作まで絶えず繰り返し、快適な昇降運動をする。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上に一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことからひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には、左右の交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもあり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ちどのように動くとも、左右の手、「矛を担う攻勢による手」、「盾を担う守勢による手」と足は間断無く、中心線から外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により、主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従っていつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

意拳研究練習日誌第82号

単操手における

水瓶搬送運動について

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとる。

揺法の要領で中心線を基軸に左右に起動するとともに、寄りかかりによる慣性の力を活用し、前進及び後退を繰り返す。

この際、三尖相照を照らし合わせ内三合を整える。

身体的外部動作は、外三合の要領を持って水を満たした大きな水瓶を、両腕と身体の接する表面で抱えることをイメージする。

この想念は、非常に重く、アンバランスを調整しながら、前進及び後退を繰り返す。

「攻勢となる前歩側」の前手と前足、前肘と前膝、前肩と、前腰、は形曲力直に従い、左右いずれかに移動して中心線を外三合に併せて、矛の役割を担う。

「守勢となるもう片方」は反対に矛盾の状態を知り、後手と後足、後肘と後膝、後肩と後腰が、矛盾の力に従い、中心線を外三合に併せて、盾の役割を担う。

このように攻守同一の良好な習慣をつける。

一世代前の形意拳では、これらの形態を熊膀と言い、熊の立姿状態、即ち含胸抜背、頭と背筋がまっすぐ、上に伸びた状態で、非常に大きな力のある熊の不器用な二足歩行要領が活用される。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

最も注意する点は、中心線上に一致させるとは、背骨を軸にすることではない上下中心線である。

このことから、ひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には、左右と前後の交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもあり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ち、どのように動くとも、左右どちらであろうと、「矛を担う攻勢の前側」、「盾を担う守勢による後側」は、間断無く、中心線から外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従って、いつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第83号

単操手における

米字跳躍運動について

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとり、中心線を基軸に両足を揃え閉じ、跳躍の軌跡は米の字を描く。両足は、一本の線に沿って相反する方向の運動をして、次に線を交換する。

前後へ交互に開閉跳躍、続けて斜前斜後へ交互に開閉跳躍、続けて左右へ交互に開閉跳躍する。

要領を得て、次の段階的に移行、前後交互に左右交互に斜前斜後交互に開閉跳躍を順序づけすることなく、法則もない、自由自在にランダムに開閉跳躍を行う。

この際、三尖相照を照らし合わせ内三合を整える。

さらに、次の段階的へ移行する身体的外部動作は、外三合の要領を持って移動して中心線一致を追求し、攻守同一の良好な習慣をつける。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め、表裏交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことから、ひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には、表面と裏面の交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもあり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ち、どのように動くとも、「矛を担う攻勢による表面」、「盾を担う守勢による裏面」と足は間断無く、中心線から外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従っていつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

意拳研究練習日誌第84号

単操手における

肩部の振動運動について

養生椿の要領で目を閉じて、快適なリラックスした平歩の姿勢をとる。

揺法の要領で、拍手による音源こだまを聞いて、反射振動運動を行う。

まるで、肩に背負った昆虫を振動により払いのけ、中心線を基軸に左右に振動する。

この際、三尖相照を照らし合わせ内三合を整える。

身体的外部動作は、音源による反射振動は、外三合の要領を持って、「攻勢となる片方」は形曲力直に従い、左右いずれかに振動して、中心線を前方に向かう肩は、矛の役割を担う。

「守勢となるもう片方」は反対に矛盾の状態を知り矛盾の力に従い、後方に向かう肩は、盾の役割を担う。

このように一瞬の振動による攻守同一の良好な習慣をつける。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め、左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことから、ひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には、左右の肩が交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもあり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ち、どのように動くとも、音源反射振動により、「矛を担う攻勢による肩」、「盾を担う守勢による肩」と足は間断無く、中心線から外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従っていつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

意拳研究練習日誌第85号

単操手における

サンドバッグ打撃要領について

技撃椿の要領で快適なリラックスした丁八歩の姿勢をとる。

揺法の要領と旋法の要領で、中心線を基軸に上下の伸縮による弾力性運動に伴い前後、上下、左右に起動し、更に摩擦歩による内外旋を伴い、半歩による急発進、停止、方向転換の要領を主体に練習を行う。

この際、三尖相照を照らし合わせ内三合を整える。

身体的外部動作は、外三合の要領を持って、「攻勢となる片方」は形曲力直に従い、左右いずれかに移動して中心線を、拳あるいは、掌、劈、肘肩、頭、膝、足低など、矛の役割を担う。

「守勢となるもう片方」は反対に矛盾の状態を知り矛盾の力に従い、掌を使って盾の役割を担う。

このように、サンドバッグにおいても、むやみやたらに練習することなく、当初は、単一な基本拳法から練習を初め、次第に複合的練習へ、やがて、実戦を想定した自由自在の練習へ移行する。この際、攻守同一の良好な習慣をつける。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め、左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことから、ひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には、上下中心線の伸縮による弾力性が、前後、上下、左右の交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもあり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ち、どのように動くとも、左右の手、「矛を担う攻勢側」、「盾を担う守勢側」と脚部は同様に間断無く、中心線から外さない、また忘れない。

サンドバッグ練習においても同様、中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的なイメージは、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導するリアリティーのある仮想感覚が攻防逆転への転移の可能性を追求することが出来る。

従って、いつでも、どこでも全身の空気抵抗感、争力、弾力性、寄りかかりによる位置エネルギーから運動エネルギーへの転化、慣性の力、運動エネルギー保存の法則、遠心力、作用反作用、矛盾の力など、必ず感覚として自覚していなければならない。

サンドバッグを打撃する場合、大きく揺れる人は、打つ感覚でない。むしろ押している状態であり、瞬間的な力でなく局部的な筋力運動である。

正しい打ち方は、揺れることなく、上下に振動する。極めて瞬間的な全身運動によるものである。

このことを踏まえ、サンドバッグ練習における仮想感覚により、攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態であることを体得する。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

意拳研究練習日誌第86号

単操手における

腕の内外旋運動について

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとる。

揺法の要領で中心線を基軸に、脚部からの内外旋運動と、腕部による内外旋運動を一致させることにより、上下の伸縮する弾力性運動に伴い、左右に起動する。

この際、三尖相照を照らし合わせ内三合を整える。

身体的外部動作は、外三合の要領を持って、「攻勢となる片方」は形曲力直に従い、左右交互に移動して、中心線を内外旋により交互に、矛の役割と反対に矛盾の力に従い、盾の役割を担う。

このように全身による内外旋一致から、攻守同一の良好な習慣をつける。

それでは、効果的な練習を行うため、以前身体の操法とメビウスの輪について論じたことを活用する。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

絶えず、中心線感覚を求め、左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことから、ひねった部分が斜面であり、結合部分が中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、具体的には、内旋と外旋の交互交換の時期と条件を満たした瞬間でもあり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ち、どのように動くとも、左右の手は、「矛を担う攻勢側」、「盾を担う守勢側」と脚部も同様に、間断無く、中心線から外さない、また忘れない。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従っていつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させる弾力性、身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第87号

単操手における

肩部の左右側振運動について

養生椿の要領で快適にリラックスした平歩の姿勢をとり、その位置から中心線を基軸に両腕を下方へリラックスさせ、上体は、前傾姿勢をとり、その姿勢から一挙に両腕を水平まで振り上げ、元の位置方向へ寄りかかり、位置エネルギーを運動エネルギーに転化させ、振り子運動により慣性の力を得る。

ポイントは、上下中心線による弾力性を伴うことを追求する前傾姿勢から、突然、元の位置へ、前後の矛盾の力と争力を使って、一挙に弾力を使って伸びて、すぐに戻り、上下の矛盾の力と争力により起動と制御を行う。

この際、内三合を整え身体的外部動作は、外三合の要領を持って、中心線による前後振と上下弾力性、左右の側振の協調的振動運動を行う。

最も重要なるポイントは、中心線感覚により前後振、左右側振及び上下振動から慣性の力を得て前後、左右の矛盾の状態を知り矛盾の力に従い、身体は水平状態の瞬間、弾力性により突然下方へ沈み、上方へ伸縮する。管状内の水銀が遠心力を得て一挙に先端へ移動し、指先までその感覚が達し、指先から外部へ放たれる感覚が生まれる。

練習についても快適軽快に連続的にでなければならない。

このように協調された良好な運動習慣をつける。

 

 

意拳研究練習日誌第88号

単操手における

肘の横への拡張運動について

養生椿の要領で快適にリラックスした平歩の姿勢をとり、その位置から中心線を基軸に両肘を張り、突然、身体下部は、内転と外転の矛盾の力を得ている。

爪先は、この瞬間、90度に内転し、併せて膝、脚も内転するも外転の力も備えて一挙に胸を張り、横方向に両肘を張り、身体はこの時、後方へ寄りかかり上下中心線方向へ位置エネルギーを運動エネルギーに転化させ、振り子運動により慣性の力を得た弾力性のある動作は、一瞬で行われ元の姿勢に戻る。

ポイントは、上下中心線による弾力性を伴うことを追求するリラックス姿勢から突然、前後、上下、左右の矛盾の力と争力を使って一挙に弾力を使って伸びてすぐに戻り、上下の矛盾の力と争力により起動と制御を行う。

この際、内三合を整え、身体的外部動作は外三合の要領を持って中心線による前後振と上下弾力性、左右の側振の協調的振動運動を行う。

最も重要なポイントは、中心線感覚により前後振、左右側振及び上下振動から慣性の力を得て前後、左右の矛盾の状態を知り矛盾の力に従い、身体は、水平状態の瞬間、弾力性により突然下方へ沈み、上方へ伸縮する。

管状内の水銀が遠心力を得て、一挙に先端へ移動し、肘先までその感覚が達し、外部へ放たれる感覚が生まれる。

練習についても快適軽快に連続的にでなければならない。

このように協調された良好な運動習慣をつける。

 

 

意拳研究練習日誌第89号

単操手における

前後開閉、上下、翼的運動について

養生椿の要領で快適にリラックスした、丁八歩の姿勢をとり、その位置から中心線を基軸に両腕を後方、左右に開き、両手のひらは前方に、手の甲は後方へ、逆に身体は裏股を使いひねって、前方に寄りかかり移動し、次に両腕を前方へ閉じ逆に身体は裏股を使いひねって、後方に寄りかかり移動する。

次に、両腕は左右に開き身体の側面に移動リラックスさせ、手のひらは下方へ、手の甲は上方へ、両腕が下方へ向かう時、逆に身体は、裏股を使って、ひねって、上方へ向かう。

次に、両腕が上方へ向かう時、逆に身体は、裏股を使って、ひねって下方へ向かう。

このように複雑な、寄りかかりによる、位置エネルギーを運動エネルギーに転化させ、振り子運動により、慣性の力を得る。

ポイントは、全身の空気抵抗感を掌握し、上下中心線による弾力性を伴うことを追求し、前後、左右の矛盾の力と争力を使って、一挙に弾力を使って伸びて、すぐに戻り、上下の矛盾の力と争力により起動と制御を行う。

この際、内三合を整え身体的外部動作は、外三合の要領を持って、中心線による前後振と上下弾力性、左右の側振の協調的振動運動を行う。

最も重要なるポイントは中心線感覚により前後振、左右側振及び上下振動から慣性の力を得て前後、左右の矛盾の状態を知り矛盾の力に従い、身体は弾力性により上下へ伸縮する。

練習についても快適軽快に連続的にでなければならない。

このように弾力性は、站椿、試力、摩擦歩、発力など意拳の練習にある全ての共通性として、静止動作、ゆっくりな動作、速い動作において、バネやゴムのような弾力性を全身に求めることを重要ポイントして、協調された良好な運動習慣をつける。

 

 

意拳研究練習日誌第90号

単操手における

左右方向変換運動について

養生椿の要領で快適にリラックスした平歩の姿勢をとり、その位置から中心線を基軸に、身体全身は、内転と外転の矛盾の力を得て、爪先は左右へ方向変換する瞬間、爪先、両膝、腰、両肘両肩、頭は一斉に同時に同じ方向に向かう。

この時、向く方向の足は外転し、併せて反対側の足は内転する。

このように下部運動に伴い上部運動も同時同様に従う。

一枝だが動くと百枝が動く道理である。

向かう方向へ寄りかかり、上下中心線方向へ、位置エネルギーを運動エネルギーに転化させ、振り子運動により慣性の力を得た弾力性のある動作は一瞬で行われ、元の姿勢に戻る。

ポイントは、上下中心線による弾力性を伴うことを追求するリラックス姿勢から、突然、前後、上下、左右の矛盾の力と争力により起動と制御を行う。

この際、内三合を整え、身体的外部動作は、外三合の要領を持って、中心線方向変換による前後振と上下弾力性、左右の側振の協調的振動運動を行う。

練習についても、快適軽快に小さな方向変換から大きな方向変換まで、ゆっくりから速くまで自由自在に連続的にできなければならない。

このように協調された良好な運動習慣をつける。

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第91号

単操手における

頭の運動及び、跳躍腕立て伏せ、V型腹筋の運動について

○頭の運動

養生椿の要領で快適なリラックスした平歩の姿勢をとり、顎を引き付け、胸元に付けゆっくりと左右に起動する。

目線は、前線を見守るように、前方を見るが、注視しない。

この際、顎が胸元に付くとき、頭は斜め前方へ向かう、後頭部のうなじは後方へ向かうように、矛盾の状態を把握する。

実戦の際は、顎を引き、頭を突き上げ、後頭部を張る要領を持って、中心線感覚による矛盾の状態を知り矛盾の力を使う。

これらの特徴を使い練度の向上を図る。

○跳躍腕立て伏せ運動

弾力性と瞬発性、協調性を養う。

伏せの状態から一挙に全身を上方へ押し上げ、腕による跳躍を行い、跳躍の瞬間両手のひらを叩く。

弾力性と瞬発性を持続出来る範囲で行う。

○V型腹筋運動

弾力性、瞬発性、協調性を養う。

仰向けに寝て、両足は閉じて真っ直ぐに伸ばし、床から少し浮かしておく。両腕も頭の上方へ真っ直ぐに伸ばして床から少し浮かして、準備姿勢をとりその姿勢から、一挙に両腕は腹部の方向へ振り上げ、両足も同時に腹部方向へ振り上げ、両手と両足は瞬間的に接触した瞬間、姿勢はV字を型どる。次の瞬間、一挙に元の準備体勢をとり弾力性、瞬発性が持続出来る範囲で行う。

このように、弾力性を養成する運動を採用する。

我、日々みたび、振り返る

 

 

 

 

意拳研究練習日誌第92号

以前、第62号の身体の操法からによる

推手と断手について補足する。

推手と断手は互いに不足分を補いながら補完していく。

その要因について振り返って分析する。

推手は両手を接触させた拘束した状態から、接触と邪魔の特定条件の状況下で、中心線感覚により摩擦歩を活用して側面、斜面方向から前進、後退をし、進撃による命中精度を高め、戦機を捉え、

上下の範囲、つまり上方は眉まで、下方は臍まで、

前後の範囲つまり、前方は爪先まで、

後方は胸から一尺まで、

左右の範囲つまり、左方は左側鼻中まで、右方は右側鼻中まで、

が、力が及ぶ範囲内であることを体得し、それを活用し、両腕の接触する360度のどの角度においても、守中用中を用いて梃子入れが活用出来て、初めて空間を伴う次の断手訓練への移行が可能となる。

即ち博打をしない画期的な練習方法である。

具体的には攻撃、防御どちらの条件においても、どの時期においても、どこに接触しても梃子の原理を活用し攻防一対の戦機を獲得することを目的として行い、このように認識して推手及び断手を互いにバランスよく補完的に行う。

王岳銘先生から教わった中に、

「いつでも、どこでも使えることを追求しなさい。」

また、

「いつでも、どこでも自分の中心線を掌握し、

相手の中心線のみを狙い、外さないことが一番速くて、近い。」

と言われたことが、いまだに印象的に残っています。

即ち相手が先行して主導権を獲得し、我を受動的局面に追い込みをかけようと行動に出ても、敵より遅くれて発し、敵より先に主導権を獲得し、結果的に相手側が距離と時間に余裕が無くなり、備えと計らいがない状態になる受動的局面に追われることになる。

主導権の獲得は、この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり、相手に余裕を与えない戦機を獲得する瞬間であり、距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、相手側にとって当に無備と不意の状態を誘発させ命中率の一番高い状態であり、中心線感覚により身体を伸縮させ弾力性のある身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、日々よく振り返り研究されたい。

 

 

意拳研究練習日誌第93号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

重要な戦機と感覚について

○一触即発について

爆薬は、マッチを導火線に接触させることで爆発に至り、接触しなければ、破裂しない。

実戦の中で、接触するとなると、事前に頭で考えることなく、機会を見て動いて思った瞬間、接触する。

これらの感覚は、基礎的な訓練により、感覚神経の感度を高める必要がある。

この感覚が、点の技量であり、上下の中心線感覚を伴った相手の力、方向、意図などを図るセンサーである。

○機会について

機会とは何か。

好機、戦機である機会は、探しては消極的になり、作ろうとすれば意図が暴露する。

機会は見つけることでなく会うことであり、会った瞬間、獲得する。

機会を獲得するには

獲得するには、いつでも、どこでも機会を獲得出来る感覚が必要である。

獲得の条件は、機会を得た瞬間、表在反射により、守中用中を発揮する状態であり、リラックスしてどのように動くとも、我が中心線を両手により、あるいは片手により前後、左右、上下から交互に間断なく守り、間断なく相手の中心線を狙う。いつでも、どこでも反射できることを追求する。決して中心線を軽視してはならない。

このように見直すべきところ、まだまだ多くあり尽きることがない。

日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

 

 

意拳研究練習日誌第94号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

重要な緊張とリラックスについて

○効率的な力を用いる感覚について

もし、完全にリラックスするなら、もちろん力がない。

反対に力んでいれば、自身の力感覚は大きく感じるが、実際の力はとても小さい。

矛盾の状態において、順逆方向に同時緊張した場合、順逆2つの方向がお互いに邪魔して、お互いに相殺するため対外作用を明らかに示せない他、作用はとても弱い。

日常生活における熟知した動作に対して、神経の支配は熟練して、正確で快適なため、適度なリラックスと緊張を持って、順逆方向における矛盾の力は、力学的に効率よく妨害が起きない。また、心理的にも邪魔が小さく、体力を存分に発揮することが出来る。

逆に熟知しない運動を行った場合、力を入れる機会においても神経の支配が正確でなく混乱して矛盾の状態は、同時緊張して体力の大部分は、内部の矛盾した反対側に相殺されて、体力は発揮出来ない。

特に瞬間的に力を入れるとなると、屈筋は力みを感じやすい緊張性があり、反対に伸筋は伸長性があり、快適である。

身体全体の比率から見て、前面の腹側は屈筋、後面の背中側は伸筋、逆に脚部については前面が伸筋、後面が屈筋であるが、特徴として脚部全体は地面の反作用を利用して、位置エネルギーを運動エネルギーに転化するので、神経の支配は正確であり、腕の筋肉の様に屈筋の力みがなく緊張感が少ないため、伸ばす時も、屈する時も、効率的な伸長力を発揮できる。

即ち、調整による神経の支配を正確にするには、中心線感覚により、地面からの反作用を利用して、位置エネルギーから運動エネルギーを脚部からの伸長力を効率的に上体へ伝達するため、身体を操作し、全身くまなく、空気抵抗を感じ、争力を感じ、全ての動作において矛盾の状態を知り、矛盾の力を知り、ゆっくりの動作から速い動作までの過程で快適なリラックスしている状態を追求する。

いつでも、どこでも、力を入れる時、体の各部分の筋肉、腱など協力する合理的な緩やかさが必要、心地よく快適性の中で平日の稽古は、自然に全身の柔軟さと調和を維持する。

このように見直すべきところ、まだまだ多くあり尽きることがない。

日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

 

 

意拳研究練習日誌第95号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

腿法について

○点脚について

摩擦歩の要領で側面、斜面に移動し、守中用中から相手の足首付近を瞬時一点に爪先で迎撃する。

向こうずねを至短時間に、力強いブレーキ力を使って迎撃し、瞬時に完全に直ぐに戻る。

蹴ること打つことは互いに補完しあい、有機的な組み合わせにより、相手の中心線のみを狙い、重心を奪い、戦機を獲得する。

リラックスして、中心線感覚により、矛盾の状態を掌握し矛盾の力を使う。

○横踏脚について

後方への寄りかかりを使って裏股により、相手の太もも、すねの前面にぶつけて真っ直ぐに滑り落とす。

具体的には、守中用中を持って、中心線軸からひねり踏み落とし、腿法も形曲力直と斜面を活用し、足を上げるのは高すぎることなく、相手の臍を上回らない、足をピンと伸ばさない。

特に瞬間的に力を入れるとなると特徴として、脚部全体は地面の反作用を利用して、位置エネルギーを運動エネルギーに転化する。伸ばす時も、屈する時も、効率的な伸長力を発揮する。

このように見直すべきところ、まだまだ多くあり尽きることがない。

日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

意拳研究練習日誌第96号

前回からの我、日々振り返る今回は、練習全般における

絶対的なアンバランスの制御について

練習を行う際、不動の動、即ち、静中の動を身体で学び、ついで、活動においては動中の静を身体で学ぶとともに、身体全体に及ぶ順逆矛盾の争力と空気抵抗等の矛盾の状態を身体全体で掌握する。

これら、矛盾の状態を踏まえて、接触と邪魔の対抗練習、推手と断手へ移行する。

推手を行う時は、あらゆる条件を類側し、あらゆる条件と制限の無い、断手を想定し、断手を行う時は、あらゆる条件を類測する推手を想定し、互いに利点を追求し欠点を修正し、回帰する。

推手において接触を条件とし、環状に手を回すことへの疑問をいだく練習者は、手を回すことと、局部的な力学を重視しているためであり、あらゆる条件を類側して、全体的な力学による断手を想定していないためである。

これらを随時、接触を条件とし、相互に邪魔する推手と瞬時に接触して相互に邪魔する断手においても、次の感覚を持って行うことが必要で、実際には打ってくる相手に対し、身体を斜面に寄りかからせて、片方の手により中心線を守り、同時に反対側斜面をもう片方の手により、中心線を用いて相手の中心線を崩す。この瞬時、順逆の均整を分銅はかりの様に自然に調整できることで、梃子の原理を活用できる。

断手については、離隔した、相手からの打撃を接触による邪魔をして、推手により、あらゆる条件に梃子入れの機会を類測した矛盾の力を活用して、瞬時に無条件に接触することや無条件の中に機会を得て、中心線を守り同時に中心線を用いて攻める相互練習である。

接触を条件として、密接かつ継続的に中心線を守り、中心線を用いて、あらゆる条件における機会を類測し、あらゆる方向から梃子入れの機会を追求する相互練習が推手である。

要領として揺法、旋法による重力波はいつでも、どこでも、適度なリラックスと緊張を持って、順逆方向における矛盾の力は力学的に効率よく、妨害が起きない。また、心理的にも、邪魔が小さく、体力を存分に活用できる。

中心線感覚により、地面からの反作用を利用して、位置エネルギーから運動エネルギーを脚部からの伸長力を効率的に上体へ伝達するため、身体を操作し、全身くまなく、空気抵抗を感じ、争力を感じ、全ての動作において、矛盾の状態を知り、矛盾の力を知り、ゆっくりの動作から速い動作までの過程で快適なリラックスしている状態を追求する。

このように練習全体においても、アンバランスを制御しながら、相互に順逆の練習を行うことにより補完的に練度向上を図る。

見直すべきところ、まだまだ多くあり尽きることがない。

日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

 

 

意拳研究練習日誌第97号

我日々、振り返る今回は、

守中用中について

双方が対峙し中心線による攻撃を仕掛ける時、あるいは中心線による防御に移行する時、いずれの場合においても、瞬間的な接触時、中心線による正面から斜面への転移は、身体の操法と中心線がシンクロしていることを既に気付いた人は、かなりレベルの高い状態にあると思われる。

絶えず、中心線感覚を求め、左右交互の矛盾の力、即ち内旋運動と外旋運動を中心線上により一致させることにより転移する状態が、内円と外円をひねって結合しているメビウスの輪に類似している。

このことから、ひねった部分が斜面であり、身体全体は曲がっていても、中心線感覚により力は真っ直ぐであり、一世代前の形意拳では、これらを龍折身と呼び、力を発揮させるための重要な要因である。

意拳では、形曲力直と呼んでいる。

結合部分が、中心線部分であり、攻防逆転による転移の瞬間であり、ピンチをチャンスに逆転変換できる中心線起動による制御システムである。

即ちどのように動くとも左右の手と足は間断無く、中心線から外さない、また忘れない、つまり頭の中心線の下、鼻中から顎にかけて必ず手を備え、例えると虎の迎撃体勢から学ぶ。

これらを一世代前の形意拳は、虎抱頭と呼び、意拳では、守中用中と呼ぶ、その足は脛を擦り合わせ、形意拳では鶏腿と呼んで、意拳では、摩擦歩と呼ぶ。

中心線起動と制御により主導権を獲得する。具体的には、相手と接触した抵抗面を斜面へ誘導する攻防逆転への転移が可能となる。

従って、いつでも、どこでも必ず感覚として自覚していなければならない。

この攻防逆転の瞬間こそが相手の中心及び重心を崩す感覚であり機会であり、機会は作れば意図が暴露され、待てば出遅れて主導権を失う。それでは何時なのか、リアルタイムに会う瞬間であり、要因は中心線感覚が会い、六合が会い、三尖相照が会い、矛盾の力が会う等全ての機会を一致させる練習を平素から積み上げ向上させることにより、戦機を獲得することが出来る瞬間であり距離、時間とともに最も短縮された瞬間であり、命中率の一番高い状態であり中心線感覚により、身体を伸縮させ身体全体をバネのように用いて強烈な打撃、即ち発力を成功させることができる状態である。

練習者は、よく振り返り研究されたい。

我、日に三たび振り返る。

 

 

意拳研究練習日誌第98号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

重要な身体各部における特徴とポイントについて

○快適性について

全身リラックスをさせるには、快適性を求め、リラックスの中に程よい緊張感があり、上下中心線感覚があり、それに伴った前後、左右への均整のとれた膨張感があり、身体全体に空気抵抗があり、それに伴い争力がある。

○発力、その動きについて

連続した弾力性を有し、発すればすぐに止まり、連続する弾性のある状態は意拳の特徴であり、まるでリラックスして、連続的に身体全体で打つ卓球のスマッシュの動きに見え、軽い打撃に見えるが、その拳は重く効果は大きいのが意拳の特徴である。

○身体の寄りかかりについて

身体は、揺法と旋法により動き、斜面に寄りかかっては、頭を左右に振り返って慣性の力と矛盾の力を得て、身体の形は曲がっていても力は真っ直ぐであり、位置エネルギーを運動エネルギーに転化させ、その拳は弾丸の様に何時でもどこでも、飛び出す状態となる。

以前、岳銘先生に前後、左右に動きながら拳法の模範を見せていただいた時、上下中心線が一致して、いつでもどこでも、拳が連続的に繰り出された動きを見て、驚かずにはいられなかったことを鮮明に覚えている。これも、意拳の特徴である。

○効率的な螺旋の力について

得るには、上下中心線感覚による順逆矛盾の力を活用し、連続する斜面運動により、連続螺旋運動が可能である。

○自然体について

身体全身はいつも快適性を求め自然体であり、どちらにも偏りがない。

膝、肘、指は曲がっているような曲がっていないような感覚を持ち、絶対的な力を持ってはならない。

以前、岳崢先生が練習時に特に強調された教訓である。

○裏股について

上下中心線感覚による股関節がリラックスして寄りかかりによる重力落下線への極めて重要な照合であり、膝のリラックスがともなわなければならない。

今後の各種動作に必要な左右の内旋と外旋の基軸となることを怠ってはならない。これらも揺法と旋法から体得する。

練習において以前、岳銘先生曰く「巧く座り、巧く立つことが重要である」と言われた教訓である。身体上部の内旋外旋は容易に理解できるが、身体下部の内旋外旋は理解しにくい。

○足の裏の重心について

足の裏にかかる重心は、踵と土踏まず付近部分に落ち、平歩、丁八歩、独立椿もそれぞれ、大地をうまく掴んだ状態であり、爪先に体重をかけすぎず、踵に体重をかけすぎず、前方へあるいは、後方へ偏りがない。

○体幹について

体幹は中心線を求め、それに伴い手足は随行する下部の内旋と外旋が上下中心線感覚により上部と一致することにより、矛盾の状態、矛盾の力を実感する。

即ち、中心線の軌跡に従い体幹の動きは決定され、体幹の動きに手足は随行される。従って手足の様変わりは、体幹の操作により千変万化する。

この際、冷静に体幹に作用する争力と空気抵抗を体得し、更なる感覚を追究する。

○三尖相照について

通常、目により手尖、鼻尖、足尖の3つが合うこと。

意拳では、もう一つ奥の上下中心線感覚から見通した線上に導くことで、守中用中への展開が有利となる。

以前、岳銘先生曰く、「体幹は中心線感覚に従い、手足は常に中心線感覚に随行し、上下、左右、前後に交互に入れ変わっても、怠らない」。

○六合について

心と意、意と気、気と力が合うことを、意識操作による精神活動により、上下中心線感覚を錬成し、自己を中心に四方八方へ均一に働く力、矛盾の状態、矛盾の力を調整することを内三合と言い、

手と足、肘と膝、肩と股が合うことを外三合と言い、

これらを照合する上下中心線感覚により肢体を使って矛盾の中に具体性を求め、微動の中に速度を求め無力の中に力を求める。

○2軸運動論について

ある運動形態から中心線を持つメインの軸と特定の接触作用する軸の2軸論がある。

意拳では、中心線のメインの軸から360度放射線状に、いつでもどこでも接触作用可能な軸線を配列することを追究する。

見直すべきところ、まだまだ多くあり尽きることがない。

日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

 

 

意拳研究練習日誌第99号

前回からの我、日々振り返るにおける今回は、

武器による重要な身体各部の特徴とポイントについて

○武器使用について

簿先生は、次の様に言われている。

武器の威力は、拳術よりも大きい。その要因は、武器がもっとも大きい打撃を与え、空間の範囲が広く、高い硬度があり、極めて接触箇所は、力が集中する。

その他、守中用中により梃子の原理と速いスピードを持ち、寄りかかりにより振って、慣性力を増し、衝撃力を増加させることが出来る。

しかし、武器の使い方は、拳術の領域に及ばない。

即ち、武器自体が身体以外の媒体であるため、いつでもどこでも素手が手っ取り早くて、自由自在なことに及ばない。

武器は、複雑な動作を行う必要がなく、拳術に比べて簡単に掌握することが出来る。

岳銘先生も次のことを言われている。

重要なのは、運用の中で中心線感覚により、身体と一体化出来る武器使用を追究し、武器の大小長短に関わらず、武器は手の延長であり、武器を手だけの局部的力で操作をしてはならない。

中心線感覚による体幹を使用、手の操作を忘れることを忘れて、自己忘却の境界を運用する。

○レベル向上について

簿先生曰く、

「拳術のレベルを高めることにより、武器の運用に役立つ」。

○武器の握り方について

拳術による半握拳の要領により、まるで書家がペンを握るやり方に類似している。

やり方は異なるが、効果は同じで融通性があり、機具を発揮して自由自在に操ることが出来る。

武器使用においても、具体的に次の身体上の要求がある。

○快適性について

快適性を求め上下中心線感覚があり、それに伴った前後、左右への均整がとれ、身体全体に空気抵抗と争力がある。

○弾力性について

連続した弾力性を有し、身体は、揺法と旋法により動き、斜面に寄りかかり、慣性の力と矛盾の力を得て、その武器は弾丸の様に何時でもどこでも、飛び出す状態。

上下中心線が一致して、矛盾の力を活用し、連続する斜面運動により、連続螺旋運動が可能である。

○体幹について

体幹は中心線を求め、それに伴い、手足と媒体となる武器は随行し、下部の内旋と外旋が上下中心線感覚により上部と一致することにより、中心線の軌跡に従い、体幹の動きは決定され、体幹の動きに手足と媒体の武器は随行され、従って手足と媒体の武器の様変わりは、体幹の操作により千変万化し冷静に体幹に作用する争力と空気抵抗を体得する。

○三尖相照について

目により武器尖、鼻尖、足尖の3つが合うこと。

意拳では、もう一つ奥の上下中心線感覚から見通した線上に導くことで、守中用中への展開が有利となる。

○六合について

心と意、意と気、気と力が合うことを意識操作による内三合と言い、手と足、肘と膝、肩と股が合うことを外三合と言い、これらを照合する。

 

見直すべきところ、まだまだ多くあり尽きることがない。

日頃から我、振り返り回帰することで能力の向上を図ることが重要である。

 

 

意拳研究練習日誌第100号

我、日々振り返るについて

以前にも論じたとおり、練習の日誌を付けることは、現状を把握し、過去を振り返り、未来を見通すため、今後の発展に極めて重要である。

何を目標にしているかが、重要な鍵である

これまで、簿先生、岳銘先生、岳崢先生から教えていただいた、ものの考え方、捉え方、感覚練習など、先生それぞれの個性、手法、独創性はあるものの、一貫して共通したところは、科学的、物理的な説明が多くあったのは、まさしく実践性の高い論理的な拳学であり、自分の意拳を作られていることが理解できる。

以前、岳銘先生と岳崢先生が論じられた中に、ある人が意拳の本を日本で出版されたので、先生に確認したところ、

「この本の内容は中国内の本の基礎的内容を丸写ししたもので、当たり前のことしか書いていない。自分のプロセスやカリキュラムなどの独創的なところがない、この内容であれば、君たちにも書ける」

と言われ、人に教える時、外形状況からは、全員同じ練習に見えるが、相手の中心と重心を崩す動きは、目に見えて理解出来るものではない。

実践練習により、接触と邪魔による感覚指導と並行的に、その人の質問内容によるモノの考え方、捉え方により、質問に至る思考過程を観察することができ、質問者の現在の現状、レベルを掌握することが出来る。

質問者が物事を有機的に考え、六面力と同じ立体的な思考により、表面で起きていることが裏面でも何か起きている矛盾の状態を知り、矛盾の力を発揮出来る状態であるか、自分の意拳を作る独創性があるか、その質問内容から練度を図ることが出来る。

このように我、日々振り返るは、意拳を学ぶ上での必須の思考回路であり、既成概念では無いため、レベルに応じて進展していく。

即ち、これまでに記した日誌の内容は、実践練習と理論を通じて、その経験から認識できる範囲であり、更なる見直しにより、考え方、捉え方が変わって行くので、実践と理論を相互に補完しながら、螺旋階段を登って行く様に、回帰しレベルの向上を図る。

既にレベルを通過した人からは、履き捨てた靴にしかすぎず、まだ解らない人については、単なる参考レベルとしてのものであるが、目指す目標は自分の意拳である。

この様に、自らの実践と認識した理論を、見直しによる回帰をしながら、自身の意拳日誌を継続的かつ密接的に記すことを推奨する。

以上で、今回は100回分を紹介したが、全てが一例であることを認識されたい。

なぜなら不動の動を追究する如く、見直すべきことが、次々と止まないためである。

それでは、機会が有れば、我、日々振り返るを実践されたい。