練習の心得

意拳練習の心得とは、我、日々振り返ることである。

その要領とは、練習の日誌を付けることである。

練習の日誌を付けることは、現状を把握し、過去を振り返り、未来を見通すため今後の発展に重要である。

例えれば、站椿を低くくすれば、足腰が強くなり站椿のレベルが上がるように考えることが本当に正しいのか、振り返って検証して見よう。

足腰の筋力強化を目的に置いた場合、それでは空気椅子の方法を取る方が適切である。しかし、過去いろんな師の站椿を見たが、そんなに深く膝を曲げた人や低くさを重視する方が誰もいなかったのは事実であり、何を目的にしているかが重要な鍵である。

特に低くさよりも、股関節の寄りかかりによる裏股や、軽く膝の力を抜き、寄りかかりによる動作が柔軟かつ速やかに動けることや、快適性やリラックスの重要性を注意する方が圧倒的に多くおられた。

気についても、空気抵抗感や意識感覚による精神活動によるもの、中心線感覚、特に守中用中を強調されていた。それらはスピリチュアル的なものやカルト的なもの、気功によるエネルギーの類いとはまるで違い、むしろ科学的、物理的な説明が多く、実践性の高い論理的な拳学であることが理解できる。

よく、一芸は万芸に通じるという言葉の意味は,一芸を極めるだけの能力と熱意がある上で,もしその能力と熱意で他のことに取り組んでいても,同じように極めることができるだろう,という意味である。

モノの考え方、捉え方には、この回答は何を求めているのか,どのような回答を求めているのか、目標、目的は何か、複数ある回答から選択させると、それに至る思考過程を観察することができる。

まず、この回答は何を求めているのかを論理的な思考によって、分析をして、妥当性のある回答を求める。

故に答えを導くという思考回路が存在してくる。

最も重要なことは、現在の現状、置かれている状態を掌握しているかが、問題である。

物事を有機的に考える思考回路を養うには、六面力と同じ立体的な思考が必要不可欠である。表面で起きていることが裏面でも何か起きている。つまり、逆もまた、真成り。

その為,過去を悔いることなく、教訓、経験を現在に応用した上で、未来に不安感を抱かず、現状の難問を立体的に組み立てて、未来を見通す。

つまり矛盾の状態を知ることにより矛盾の力を使うことができる。

このように回帰することにより我、日々振り返るは、意拳を学ぶ上での必須の思考回路である。