意拳練習日誌第特(131~140号)

意拳練習日詩第特131号 


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

 

意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



その1

意拳では有る力が発生すれば必ず同時に反対の力が発生する。一般的にこれら何方にも相対的同時に働いている中間作用を陰陽、表裏、順逆、つり合い力と呼ばれ意拳においては矛盾の状態と呼ばれ

自己の中心を捉えた状態である。これを操作できれば矛盾の力を発揮できる。


その2

矛盾の状態が判れば、接触した箇所は全て作用反作用が同時に発生する。例えば前後の矛盾の状態を捉えると前面にある壁を押せば接触した箇所から同時に前後の相対的に対立した力によりつり合いがとれる。

上下の矛盾の状態を例えると机のように上下の壁を押せばが接触した箇所から同時に上下の相対的に対立した力によりつり合いがとれる。

左右の矛盾の状態を例えると仕切り板のように左右の壁を押せば接触した箇所から同時に左右の相対的に対立した力によりつり合いがとれる

対角線状の斜面の矛盾の状態を例えると上下前後左右へ対角線状の斜面の壁を押せば接触した箇所から同時に斜面の相対的に対立した力によりつり合いがとれる。

これらを単純に三次元的に捉えた場合、正六面体の力学である。

更に多面体へと練度を上げ球体へと更に練度を上げる。即ち角が取れて丸くなる何方にも作用反作用の壁面を感覚情報から矛盾の状態を捉えることができる円熟へと向かう。


その3

矛盾の状態を捉えるには思考による意識情報から捉えることは出来ない自意識過剰からは更に出来ない。

即ち意に意がなくとは

意識に意識がなく思考情報ではない。

無意識情報から捉える

無意識の人間の感覚には、既によく知られている五感(触覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚)に加えて、固有受容覚(手足の状態・筋肉の伸び縮みや関節の動きを感じる感覚)、前庭覚(身体の動きや傾き、スピードを感じる感覚)といった合計7つの感覚から感じて無意識に働く防衛反応から感覚情報を捉え矛盾の状態を体得しそれを操作し矛盾の力を発揮するため思考よりも速く僅かな動きと僅かな力は時間と距離を短縮することが出来る。

即ち無意の中に真意がある無意識に反応する防衛反応感覚情報が真の意識である。


その4

それでは拳に拳がなくとは?

どのような方向からもどのような接触箇所からも触れれば作用反作用の矛盾の壁が発生する状態であるため接触箇所が拳だけとは限らない。

即ち攻撃も防御も先手も後手も関係なく接触箇所から作用反作用の矛盾の壁面を感覚情報として捉えれば、相手と接着する状態となる。押してるようで引いているような中間作用である。


その5

これらは、足裏から頭上まで自転による螺旋状の力から弾性力と軸力を得るため寛骨から左右の脚の高低差を通して渦巻きや竜巻のように螺旋状に内旋と外旋による順転と逆転を帯びた地面への踏み付けから作用させことにより足裏から同時に地面の反作用を捉える重力に対立する抗力から則ち地面の反力により上下の力を無意識の感覚情報として捉える全ての意拳の脚操作の7割は倫軸に類似した梃子のこの機能である。これと同時に脚と手が合い肘と膝が合い肩と腰が合うことによって作用反作用による矛盾の壁面が発生し矛盾の状態を操作したまま矛盾の力を発揮することができる。

即ち一触即発で対戦相手と接触すればある力が発生する限り必ず反対に働く力を発生する作用反作用による矛盾の壁面を千変万化する何方にも相対的に密接かつ継続的に操作し矛盾の力を発揮することが可能となる。


釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。


意拳練習日詩第特132号 


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

 

意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



その1

相手の重心的中は相手の中心を暴露した結果である。そのため自己の重心を的中させ中心を体得していなければ実現出来ない。

自己の中心は有る力を全身の作用により足裏から地面へ重力を落下させ同時に地面からの反作用により抗力を捉える即ち上下に働く軸力や弾性力、つり合い力等の中間作用から感覚統合による識別機能による一丁目一番地の矛盾の状態が体得される。


その2

自己の矛盾の状態が判れば相手の中心はどの方向からも技として打撃部分となる拳や足底、脛等とは限らずまた先手も後手も限らずどのような箇所に接触しても作用反作用が同時に働く矛盾の壁面として矛盾の状態を捉える重心的中の技を一丁目一番地の武器とする。

即ち目標的中を意識情報によるパンチとキックだけを接触技として体得せず扱わず、感覚統合をとおして無意識情報による矛盾の壁面から何時でも何処でも突先でも相手の重心的中をさせる技術を一丁目一番地の接触技の武器として体得する。


その3

一丁目一番地となる重心的中に必要となる条件は、足裏から地面への重力落下による抗力を効果的に捉えるには渦巻き、竜巻のように

螺旋状の順転逆転により摩擦力を発揮させ無意識に働く感覚統合から識別機能で捉える。


その4

摩擦力は人類最速の速さを得る。

例えば指パッチン親指と中指の有る力による順転と反対に働く力による逆転による摩擦力によりその速さと力を発揮する。

およそ1秒間に21回転とされる。コマを回す時親指と人差し指の順転逆転の摩擦力により重心的中をさせ速度と力を得て回転力を得る。

コマは基本的に慣性の法則に従ってまわる。

回転の慣性(運動を続けようとする力)

回転体に回転軸を変えようとする力(重力や摩擦力など)が働くと、その力の直角方向に回転軸が動くという法則(ジャイロ効果という)があるためである。

これらの指で行う機能を地面と接する足裏から行う全身の螺旋回転運動は寛骨から膝をとおして地面と右足裏と左足裏の順転逆転の摩擦力により重心的中をさせ肩と腰、肘と膝、手と足が同時に速度と力を得て回転力を得る。


その5

ジャイロ効果は、船の走行安定や、飛行機のオートパイロットに利用される。 船の中でコマの回転軸を水平方向に横倒しにして高速回転することにより、コマは軸を水平方向に保とうとする。 船が波を受けて傾いたとしても、コマの軸が水平方向を保とうとすることにより傾きが修正される。 これが『ジャイロスタビライザー』の原理である。

このジャイロスタビライザーにあたる身体操作は脚7部によるもので足裏から地面への重力落下による抗力を効果的に捉える渦巻き、竜巻のように螺旋状の順転逆転により摩擦力を発揮させ無意識に働く感覚統合から傾きと識別情報を捉え左右の脚の相対的対立操作から踏み替えによる梃子運動により天秤や分銅秤のように修正し重心を的中させる一丁目一番地である。

回転も重心を中心にしている。重心は物体の運動を理解するために重要である。

敵と対峙した時あの技この技と考えることは一切無く全ての技は攻撃も防御も無く目標的中も無く矛盾の状態を持つ壁面から重心的中を最優先として主導権を獲得することが一丁目一番地である。

絶対必要となる練習目標はあらゆる条件練習を通じて僅かな動きと僅かな力による矛盾の状態を持つ壁面から重心的中をさせることである。


釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。 


意拳練習日詩第特133号 


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

 

意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



その1

学問に遅すぎることは無し。

意拳は別名拳学と言われる学問です。

性別年齢に関係なく各個人に応じて潜在能力を学習することができる雄一の科学拳法です。

だだし学習の3つの心得が必須条件となります。

【第1の心得】

登る山を決めれば後悔はしないように入門すれば決して後悔はしない。

即ち猜疑心があってはならない。

 

【第2の心得】

登る山の途中そびえ立他の山が目に入ってくるが自分が決めた山が一番でありその高みを望む。

決して他流に目移りせず高度な技術と高みをを目指す。

比較は構わないがそれよりその上を望む。

即ち浮気をしてはいけない。

 

【第3の心得】

その山に向かい朝日が昇り夕方に日が降りるように毎日通い続けて飽きることはなくむしろ充実感を得る。

迷信的思想は全て排除し科学的論理的思考により自己の潜在能力を導きだす為に続ければ必ず成せば成る。

科学で有るため矛盾の状態を仮説として実験に当たる実践練習により効果の確認を行いその技術となる矛盾の力を体得する。

即ち継続は最大の力なり。

故に年をとってから習い事や学び事を始める(晩学)という意味では四十、五十、六十、七十の手習い、八十の手習いとも言うそうです。 英語にも同じようなことわざがあります。 It is never too late to learn. 学ぶのに遅すぎるということはない。

これらは仕事のように人間関係における割りきったものではなく割りきることもない実際に体得できる趣味において自己が追究する自己投資と言っても過言ではないものの一つの世界です。

いろいろな趣味の世界においても名人や達人またはプロ顔向けの実力者がいるようにその道に精通し極めることを至上主義として異端的な存在を目指す者達の類と言っていいでしょう。


その2

いろいろな意拳の先生方の練習方法が公開されていますが私が王岳銘先生に聞いたところ元々、意拳の各練習法には名前がなかったようです。また、過去にはいろいろな練習法があり取捨選択されて現在に至り各先生方の理論やものの考え方捉え方もありまた、固有の経験から加えられたものもあり習う者から見ればいろいろと目移りして迷いますが一貫する原理原則はたった一つ全身一致による矛盾の状態を体得し矛盾の力を発揮することができるかこれだけです。

名前の由来は自然界における現象や状態から当てはめて後から名前を付けたと聞いています。

それ故に各先生方によっては名前が多少異なります。


その3

ヒントは意拳練習日誌を何度も閲覧して下さいヒントはそこに有ります。ヒントは直ぐ近くにあり、灯台もと暗しに成らないように。

上下の力は意識的に強く行えば単なる希望的観測で効果はありません。

自己の重心を意識的有形により重力に従って地面に落下させれば、同時に地面から無意識的無形により抗力として押し返してくるこの意識による思考情報及び働く力と同時に逆に無意識による感覚器官情報及び働く力を同時に捉えることができれば前後左右それぞれに順逆に働く力を同時に捉えることができる。

自己の重心は重力とその逆の抗力が同時に働き意識とその逆の無意識が同時に働き思考情報とその逆の感覚器官情報が同時に働く状態を捉えることができれば上下前後左右からの重なる中心、即ち物体の合力の中心及び意識と無意識が同時に働く中心全てが順逆同時に働く中心が重心である

 

例えば意識的な力で有形に片足で立つと同時に無意識に無形にバランスをとろうとします。

或いは意識的な力で壁を押すと同時に無意識に壁から無形に押し返してくる。

または両足で立って目を閉じて意識的な力で有形に体を傾ければ同時に無意識に無形にバランスをとろうとします。

即ち思考情報による意識が有形的に働けば必ずや同時に感覚器官情報による無意識が無形的に働く。

最重要課題は意識で働く力と逆に無意識的で働く力を同時に体得する。

重力と抗力及び作用反作用など有る力が働けば同時に必ずや反対に働く力を捉える。

意識においても思考情報による意識と感覚器官情報に無意識を同時に捉えて相対的対立操作による反方向性転移運動を行う。

このように相対的対立操作による反方向性転移運動ができれば相手の重心を的中させることができ相手との接触箇所は接着剤のように引っ付いて離れない状態となるこれは相手が支えを無くして寄りかかりによる安定を求めた結果でありこの状態から地面からの反作用を活用した螺旋状の梃子運動により遠心力と向心力など慣性の法則等により相手を弾き飛ばす。即ち作用反作用を使った発力である。

例えるとジャイロセンサー機能をもつジャイロ式梃子装置である。

その動作は順逆同時発揮を追求するため時間と距離を極限まで短縮し小さく速く鋭く強い

目標は僅かな動作と僅かな力でエネルギーロスを無くして行く。

その為、自己の練習日誌をつくることは殊勝な行動です。練習記録は熱意努力研究心を磨き自己を振り返り見て迷信的思想はいっさい排除し科学的に客観性を持つための練習の一つとしてたいへん重要です。

王岳崢先生から原理原則のヒントと実感から学ぶ実践練習を通じ自分の考え方自分の経験を活かして自分の意拳を創らなければ成らない形を真似る者は死に内容を獲得する者が活きると教えていただきました。


釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。 


意拳練習日詩第特134号 


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

 

意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。


【フィリングロケーション】

その1

有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に働く。即ち意識により思考情報を使って有る力を働かせればかならず無意識に感覚器官情報により反対に働く力が同時に発揮される。


その2

蝙蝠やイルカなどの動物は潜水艦のソナーのように特有の音波を出してその反射波で物の位置や形状をリサーチするエコーロケーションと言う感覚器官情報を持っている。


その3

それでは人間は視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚の五感から無意識に働く感覚器官情報を得ているがその中でも触覚となる皮膚感覚器官情報はずば抜けた無意識による防衛反応力を備えていて光、振動、寒暖、痛み痒み、圧力、識別、速さ、重さ、方向及び体の傾きなどの作用を捉えた反作用のように相対的対立操作により調整する【前庭感覚】ならびに全身各関節及び筋肉の収縮などの作用を捉え反作用のように相対的対立操作に調整する【固有受容覚】を感覚統合により一致させる皮脳一体と言われている為、意識による思考情報では無く無意識による感覚器官情報を養成することが第六感の手がかりとなるフィリングロケーションを有しているのだと思っています。


その4

センスと言うのも同意義で感覚と言い、五感ファイブセンス、六感シックスセンスと言う

俗に言うセンスが無いとはフィリングロケーションが乏しいということで具体的な練習法が全く指導されない。

即ちこのロケーションを訓練すればいいわけです。


その5

意拳の意は思考情報による意識と感覚器官情報による無意識の両立を言い特に乏しい感覚器官情報となるフィリングロケーションを養成するのが意拳の練習です。意識的に単なる形を真似る思考情報練習では無くその内容となる無意識的に発揮される防衛反応力即ち感覚器官情報を体得することが目的です。

それでは体得の具体的方法を一部紹介する。


その6

【内三合】

意と心と気が合う

この三つの内容が同時に合う表裏一体、陰陽、順逆等の相対的対立操作によるバランス状態を矛盾の状態と言う。

【意】意思により思考情報から有る力が働く。

【心】意思とは逆に防衛反応により有る力に対して感覚器官情報から反対に働く力が発生する。

【気】

このように有る力に対して同時に反対に働く力は力学の作用反作用、つり合い力等による運動エネルギーを現す。


その7

【外三合】

手と足が合う

肘と膝が合う

肩と腰が合う

この三つが外形動作的に同時に合う表裏一体、陰陽、順逆等の相対的対立操作によるバランス状態を矛盾の状態と言う。


その8

【六合】

内三合と外三合が僅かな動きと僅かな力により内容と外形が同時に合う表裏一体、陰陽、順逆等の相対的対立操作によるバランス状態を全身一致による矛盾の状態と言う。

決して大きな動作及び大きな力並びに自意識過剰では矛盾の状態となるフィリングロケーションを養成することが出来ない。


その9

フィリングロケーションを体得する要因の一つ常に矛盾の状態を求める要因として

無力の中に力を求め

微動の中に速度を求め

拙劣の中に巧妙を求め

抽象の中に具体性を求める。

各練習における先人達のヒントは要訣、秘訣となるため終始怠ってはならない。



釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。 


意拳練習日詩第特135号 


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

 

意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



【意とは意識と無意識である】今回はこの方面から探求する。

その1

意識できる部分を意識(顕在意識)といい、意識していない(または意識できない)部分を無意識(潜在意識)と呼んでいます。

自分で意識しようとして出来るものを顕在意識と言います。

自分では意識「出来無い」ものを無意識と言います。

有る力が働けば必ず反対に働く力が同時に働く。即ち意識により思考情報を使って有る力を働かせればかならず無意識に感覚器官情報により作用反作用の法則と同様に反対に働く力が同時に発揮される。

俗に言われる陰陽、順逆、表裏など光り有るところに必ず影が有るように全ては同時に発生している。



その2

意識は思考による顕在意識である逆に無意識は潜在意識である感覚器官による防衛反応である。

防衛反応は有る力が働くと同時に反対に働く力学的影響下にあるため感覚統合によりその情報は一貫して共通している。

故に意識的に重力を働かせば逆に無意識的に抗力が働く意識的に作用を起こせば無意識的に反作用が同時に起きる。

同時に起きることは同一に起きる即ち全身一致した陰陽順逆が起きている。

意識とは、自分自身で認知できること。

逆に無意識は、

自分自身で認知することができないこと。

意識↔無意識

このふたつは相反するが同時同一に働くつり合い力と同様になるためこのように意識してなくとも意識してしまう状態が無意識の働きによる中間作用或いは矛盾の状態とも呼ばれる。

誰しも経験があるように頭で考えるより先に体が動き、頭を使わなくても出来てしまうケースである。

俗に灯台下暗しと言われるようにチャンスとヒントは日常にあり同時に非常が発生していることを認識できていないそのため意識と無意識の比率は、意識が1~3%、無意識が97~99%とも言われ、意識できている部分はほんの一部分に過ぎない。

日常的に普段は顕在意識が優勢に働くため、自分で無意識となる潜在能力を自在に発揮することは困難とされているため、この矛盾の状態を認識し体得するプロセスとして千変万化及び臨機応変により全身各部相対性対立操作を練成蓄積上書きをしていく誘導技術により効果の確認レベルの向上をさせていく意拳の練習技術体系である。


その3

無意識を意識化する。

キーワードとして

①無意識による防衛反応からの感覚器官情報

を意識的な思考情報へ

転換させる中間作用と呼ばれる矛盾の状態を認識する。


②無意識の感覚器官情報から重力と同時に抗力を認識し意識的な思考情報へ転換して重心的中を体得する中間作用及びつり合い力から矛盾の状態を体得する。


③無意識の感覚統合から感覚器官情報により全身各部に働く有る力に対して同時に反対に働く力を認識し意識的な思考情報へ転換して

体得した矛盾の状態から反方向性転移による相対性対立操作により矛盾の状態を操作する矛盾の力を体得する。



その4

このように自分ではコントロール出来ないけど、顕在意識として意識した情報を、すべて

中間作用及びつり合い力となる矛盾の状態を体得し無意識を意識化する練習を蓄積して、

夢や、ひらめき、直観、または非常事態となってしまったときなど、その力を発揮することを潜在能力と言う。


この潜在能力が自在に引き出せれば、大変な能力を発揮することになる矛盾の状態を体得し操作して矛盾の力を発揮する段階である。


①我が重力を捉え我が重心を的中させ自己を中心に多面に相対的に対立する中間作用及びつり合い力が発生する矛盾の状態を体得する。


①矛盾の状態から一人で練習する時は矛盾の力を発揮する対人練習を同時同一に想定し

矛盾の力対人練習する時は矛盾の状態により一人で練習するように同時同一に想定し無意識を意識化する全身一致表裏一体となる。


②潜在意識は意識したものを貯蔵して情報として流す送信機である。顕在意識で見たもの、聞いたもの、知ったこと、感じたことを、潜在意識はすべて蓄積していく。

即ち思考情報練習から感覚器官情報練習へ感覚器官情報練習から思考情報練習へと順逆同時同一により理論と実践を交互に繰り返し同全身一致を養成し無意識を意識化する。


③矛盾の状態を掌握し反方向性転移による相対性対立操作により無意識を意識化して矛盾の力を体得する。



その5

心理学的には意識と無意識の間に前意識というものが存在すると考えられている。

前意識とは気づかせてもらって認知できることを言う。

意識←前意識←無意識

無意識を意識化

無意識を意識化する挑戦は非常に難しいものである。

無意識を意識化する挑戦をしたい方に気をつけていただきたいことはあくまで「意識」は支配されている側だということである。


フロイトは人間のこころを「意識、前意識、無意識」の三層構造によるものと考えた。


●【意識:顕在意識】とは、眼で見たり、考えたり、感じていることに気づいていることで、自分が何をしているのか(行動)、何を考えているのか(思考)が自身でわかっていることをいう。


●【前意識】とは意識の下にあるが、思いだそうとすれば意識の世界に呼び戻せる領域のことをいう。昨日あった出来事や、過去に出会った人の名前を思い起こす際に、なかなか思い出せないが、しばらく考えたり、注意を集中していると思いだすことができる。このように、今は意識していないが、注意や意志によって思い出せる心の世界である。


●【無意識:潜在意識】とは、意識の奥底にある深い層のことで、意識から最も遠い領域である。これは、夢や催眠、精神分析によって意識されるようになり、人間行動の源泉や動機となっている。

フロイトの仮説については無意識を意識化するすごさと効果を理屈でわかっても、抽象的で具体的に欠けていたため現実にできず机上の空論で終わっていた。

潜在意識・無意識を意識化としての書き換えを現実化できる誘導技術が必要となる。

「無意識が現実をつくっている」「思いが現実になる」

その段階として

① 分かっていないということが分からない段階


② 分かっていないということを分かっている段階


③ 分かっていることを意識的にできる段階


④ 分かっていることを無意識的にできる段階


意拳的な仮説とすれば

抽象の中に更に具体性を求める誘導技術である。

①意識は即自覚できる思考情報である。

②前意識は中間作用で矛盾の状態である。

③無意識は自覚出来ない感覚器官情報である。

内的な三層構造となる【内三合】に類似している。

意と心と気が合う

この三つの内容が同時に合う表裏一体、陰陽、順逆等の相対的対立操作によるバランス状態を矛盾の状態と言う。

①【意】意思により思考情報から有る力が働く。

②【心】意思とは逆に防衛反応により有る力に対して感覚器官情報から反対に働く力が発生する。

③【気】

このように有る力に対して同時に反対に働く力は力学の作用反作用、つり合い力等による運動エネルギーを現す。

更に外的で具体的な三層構造となる【外三合】がある。

手と足が合う

肘と膝が合う

肩と腰が合う

この三つが外形動作的に同時に合う表裏一体、陰陽、順逆等の相対的対立操作によるバランス状態を矛盾の状態と言う。

無意識を意識化する誘導技術としての矛盾の状態を求めるヒントは

①無力の中に力を求める。

②微動の中に速度を求める。

③拙劣の中に巧妙を求める。

④抽象の中に具体性を求める。

各練習における先人達のヒントは要訣、秘訣となるため終始怠ってはならない。



釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。 


意拳練習日詩第特136号 


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

 

意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。


意拳は、接触と邪魔の武術であり力学的に相手の力量を捉えて感覚統合により意識から無意識を捉えて相手の重心を的中させる為、迷信的思想は一切排除して科学的根拠に基づき受動的立場から主導的立場へ変換できる技術である。


その1

感覚器官情報とは意識しなくとも無意識に働く以前紹介した感覚統合である。

力量を計るとは有る力とその力の方向であり

それが相手の自意識であり思考情報である。

即ち単純な強い力みも緩めた脱力も力量であると伴にそれも自意識である。

接触した瞬間この自意識を伴う力量が有ればそれと同時に反対にバランスを取る為に無意識に働く力量が防衛反応でありそれらが有るか無いかを捉える感覚器官情報が有るか無いかが練習上の必須条件である。


その2

防衛反応は有る力が働けば同時に反対に働く即ち必ず戻ろうとする力である。

戻りが無ければ距離と時間を極限まで短縮して即断即決で介入しリサーチをかけ相手の自意識を働かせ捉え同時に無意識を捉えて反方法性転位による相対性対立操作となる螺旋状の梃子運動により相手の重心を捉える。

全身一致して相手の角を捉えることができるか角は自己の正面であり相手の斜面である。


その3

無意識を捉えるには自意識過剰の状態ではできない。単純な思い込みによる有る力に対して、自意識により力を入れたり緩めたりしても相手の反対に働く力を捉えることができない為に殆どの練習者の練度向上を妨げている要因であり、その自意識過剰による思い込みが判らなければ向上することが不可能である。

それではどのようにすればよいか無意識に戻ろうとする力を捉えることが最もの必須条件である。

単独練習においても思い込みによる意識による思考情報を極限まで抑え逆に無意識に戻ろうとする感覚器官情報を隙間なく働かせて無意識を意識化させ練度を上げ、対人練習においても意識による思考情報を抑え無意識による戻ろうとする感覚器官情報から接触と邪魔の技術を持ちいて無意識を意識化させ相手の重心を的中させる。

その為、有る力が働けば必ずや同時に反対に働く力学と感覚統合は常に車の両輪にように密接かつ継続的に

科学的根拠に基づき反方向性転位と相対性対立操作は繰り返して終始関連している。


釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。 


意拳練習日詩第特137号 


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

 

意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。


意拳は、接触と邪魔の武術であり力学的に相手の力量を捉えて感覚統合により意識から無意識を捉えて相手の重心を的中させる為、迷信的思想は一切排除して科学的根拠に基づき受動的立場から主導的立場へ変換できる技術である。


その1

力の使い方についてリサーチすると心理的な影響があり次のような特徴がある。

例えば

やせ我慢による力

見栄による力

寄り掛かりによる力

支えを求める力

強引に狙いすぎる力

これらに共通する性格は頑固、固執、他人からの評価、正直な自己満足など自己顕示欲こうしなければならない全て内向的及び外交的に関係なく自意識過剰による力として発揮される。


その2

これとは同時に逆方向に無意識による力が働く防衛反応である。

この防衛反応をリサーチすることにより無意識に耳石が動き行く方向とは逆にバランスをとろうとする重心が暴露する即ち重心的中である。

力の使い方は思考及び性格にも影響されるが

感覚器官情報を捉える練習により改善効果が得られる即ち改心である。


その3

例えば正直と素直とは違う。

正直とは度が過ぎると適応障害である自意識過剰が強く働き融通性がなくこだわりが強く固執し自己顕示欲及び自己満足となる絶対的思考過程を有する性格がある。

逆に素直はレベルアップすれば適応能力が高い意識的な正直さがあるが無意識に近い融通性があり柔軟であらゆる状況の変化により臨機応変に適応する相対的思考過程を有する性格がある。

即ちこだわりを持ってこだわりを捨てることが出来る。

意識により働く力には同時に無意識に働く力が存在する。

これらを感覚器官情報に例えれば意識的に有る力を出せば、同時に無意識的に逆に戻ろうとする力が発生するこれをリアルタイムで感覚器官を通じて捉える素直さがあるかどうか


その4

素直な力の使い方は、例えれば盆の上に置いた玉があらゆる傾きに適応して回転する状態である。

盆と玉は常に接触しているがあらゆる接触状態から力の方向と力量に応じてある力が発生すれば必ず反対に働く力により接触面を変化させ玉は臨機応変に回転する例えるとジャイロセンサーと梃子の機能を持った球形の分銅秤のようにあらゆる方向から作用を受ければ同時に反対方向に反作用として回転する。

このように力の使い方は球形を求め順転と逆転が同時リアルタイムに発揮される意識的に有る力を出せば、同時に無意識的に逆に戻ろうとする力を素直に追求することにある。


釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。 


意拳練習日詩第特138号 


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

 

意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。


意拳は、接触と邪魔の武術であり力学的に相手の力量を捉えて感覚統合により意識から無意識を捉えて相手の重心を的中させる為、迷信的思想は一切排除して科学的根拠に基づき受動的立場から主導的立場へ変換できる技術である。


その1

相手との対立において何を求めて捉えるか?

目で見て判る相手の拳技及び足技並びに投げ技では無いそれらは全ては力の方向の跡の動きであり偽りの多い視覚だけでは攻撃をかわす、払う、さばく、止めるだけでは感覚器官情報の不足である。

最低限度は見る聞く触るの三感覚器官情報は必須である。更にそれに加え即ち無意識を識別して意識化して行く体得練習で有る。


その2

リサーチ出来る情報手段は視覚及び聴覚並びに目を使わない状態で、触れたものの「方向」や「かたち」「大きさ」を触り分けたり、自分のからだのどの「位置」に触れているかを感知する触覚の機能、傾き、重力、速度を感知する前庭感覚の機能、筋肉、腱、関節、手足の位置、運動の状態、物の重さから感知する信号を捕らえて姿勢を変化させる固有受容覚の機能等の情報量が多く博打的要因が少なく識別的要因が極めて多い感覚器官情報となる。


その3

更に全身各関節及び筋肉の収縮などの作用を捉え反作用のように相対的対立操作に調整する固有受容覚器官情報等に感覚統合により全身一致させ相手が無意識に働く僅かな力僅かな動きにより有る力に対して反対に働く崩れた状態を戻そうとする防衛反応を捉えることを求める。

言わば乱して此をとることで相手の真の本隊となる重心となる正中線の暴露である防衛反応が導火線である。

故に接触と邪魔の技術から相手の偽りに騙されることなく逆に暴き出しこの防衛反応を何時でもどこでも捉えることが相手の重心を管理したまま技を発揮する絶好の機会である。


その4

それでは防衛反応となる導火線から起爆するには、ボールを地面に落下させて地面と接触した瞬間に圧力釜状態に似た地面と争う力が感覚として現れる。自然体から螺旋状の上下の力が必要となる。決して最初から準備した低姿勢で待っているわけではなく低くすれば力が大きくなる訳でもない何時でもつり合い力が発揮される自然体では無くなる。意拳の立姿勢は他の流派と比べてかなり腰の位置が高い自然体に近いのは常識である。重力と抗力を伴った、作用反作用の法則、慣性の法則、軸力等のつり合い力を前後左右上下球形の玉が盆の上を有る力に対して反対に転がるように反方向性転移による相対的対立操作となるジャイロセンサー機能を持った全身同時一致の梃子運動を体得しなければならない。


その5

梃子には支点・力点・作用点があり、支点を中心に回転しうる天秤や輪軸がある時、力点は力を加える点、作用点は力が働く点である

梃子を使う上で重要なのは、支点(防衛反応を捉える接触と邪魔の箇所)・力点(作用反作用力を発揮する足底と地面の接地箇所)・作用点(技の効果重心的中)の位置関係、特にその間隔である。てこで大きな力を得ようと思えば、なるべく支点から離れたところに力点を置く、あるいは支点のなるべく近くに作用点を置けばよい。

即ち相手に近づけば近づくほど支点と作用点は近づくことになり僅かな動きと僅かな力により大きな力を発揮することが可能となる。

即ち距離と時間の極限までの短縮である。

未熟な例は下記のとおりである。

ダイナミックな技、即ち見せる技である。

接触と邪魔の技術を無視した大きな動きと大きな力の割に戦闘力の小さい力を得ようと思えばその逆となるアウトボクシングを行えばよい。


その6

あらゆる条件からも相手の防衛反応を終始捉え重心的中を担保として技を発揮する絶好の機会を体得する。

相手に近く近づくには

どのような相手の動きの変化にも導火線となる防衛反応から有る力を捉え必ず反対に働く力をあらゆる条件から捉える重心的中を体得

しなければならない。

即ち防衛反応を無視した博打は行わない。

このように力の使い方は盆の傾きに転がる球形を求め順転と逆転が同時リアルタイムに発揮される意識的に有る力を出せば、同時に無意識的に逆に戻ろうとする力を素直に追求することにある。


釈迦の八正道に有教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。 


意拳練習日詩第特139号 


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

 

意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。


意拳は、接触と邪魔の武術であり力学的に相手の力量を捉えて感覚統合により意識から無意識を捉えて相手の重心を的中させる為、迷信的思想は一切排除して科学的根拠に基づき受動的立場から主導的立場へ変換できる技術である。


その1

筋力トレーニングと矛盾の力との違い。

単独練習と対人練習の一貫した共通事項は

常にどのような方向に対しても逆に働く力を求めることにある。

単独練習に活用される意念として水飴の中で動く様なバネの伸縮中の様な泥の中で動く様な水の中で動く様なこの様な全ての例えは、作用反作用の法則の様に同時に有る力に相対して逆に働く中間作用となる矛盾の状態を求める。

対人練習の時は単独練習の感覚で行い単独練習の時は対人練習の感覚で行う。

即ち逆もまた真なり。


その2

対人練習においても同様に有る力の逆の無い力、即ち意識的に働く力の逆の無意識的に働く力となる防衛反応を上下左右前後からのどのよう方向に有る力が働いても何時でも同時に逆に働く力となる矛盾の力を捉えることを求める。


その3

試力練習において意識的な有る力が働けば逆に無意識的に働く力を捉えることにより矛盾の力を鍛えていく。

例えば押して引く動作及び上げて下げる動作、開いて閉じる動作等がある。

これらと同様に筋トレもこの様な動作が有るが筋トレは意識的に有る働く力から負荷を与えて筋力を鍛えていく。

筋トレでは押して引く動作等が緊張状態によりはっきり判断できる。


その4

逆に試力練習では押しながら引き、引きながら押す様なはっきりと区別出来ない中間作用を伴う動作となる。

この様に押し引き動作において試力練習と外見的にはよくにているが筋トレの腕立て伏せとの実感は比較すれば一目瞭然で有る。


その5

練習において間違っても腕立て伏せや懸垂の様な筋トレの動作で頻発に活用する力は意識的な力に対して意識的抵抗負荷をかけて筋力を高めて行く動作とは全く違うことに気づかなければ、意識的な力と相対した普段は気づかない無意識的に働く力は即ち矛盾の力となる無力の中に力を求めることのないレベルの低いものとなる。


その6

意識的力は方向性が強く逆に無意識的な力は方向性が無い。

意識的な脱力でもなく緊張でもないリラックス状態即ち矛盾の状態である。

力学的にはつり合い力と同様のバランスがとれた中間作用であり心理的には緩やかな中に緊張が有る中間状態である。


その7

対人練習においても双方とも先に出すか後に出すか何れにせよどちらからでも受動的立場から主導的立場へ転換できる様に有る力から必ず逆に働く力を求め

重心を的中させるまで

あらゆる状況と条件の変化に伴って相手の有る力から逆に働く力を求め怠らない者が勝因を掴む。


釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。



意拳練習日詩第特140号 


【全ての練習は発力の条件を備えることにあり、その条件を備えるには、効果の高い梃子入れが必要である。】

これは、昔、岳銘先生が言われていたことで、梃子入れの条件が揃わなければ、発力が出来ない、全部同じであるとも言われていました。

梃子入れ動作の要因とは、全て感覚操作であり、操作上のポイントが意拳論には示されていて、その効果は、各指導者からの実践操作を持って確認が出来る。

 

意拳と密接かつ継続的に関する【力学と感覚統合】について、更に追求し、相手の最大の弱点である中心(重心)的中させることに照準を合わせる。



意拳は、接触と邪魔の武術であり力学的に相手の力量を捉えて感覚統合により意識から無意識を捉えて相手の重心を的中させる為、迷信的思想は一切排除して科学的根拠に基づき

受動的立場から主導的立場へ変換できる技術である。

古からは愚者は順境から逆境に転落し反対に賢者は逆境から順境に好転すると言われている。


その1

意拳における一貫した共通事項は矛盾の力と呼ばれる常にどのような方向に対しても逆に働く力を求めることにある。

これらの力を感覚として捉える為に全ての練習へ活用される意念として水飴の中で動く様なバネの伸縮中の様な泥の中で動く様な水の中で動く様な中間作用のあるつり合い状態を

矛盾の状態という。


その2

それではどの様にトレーニングをするのか?

一般的には意識的な有る力に対して意識的に負荷を加えて対抗する様に使われる動作に負荷を加えて筋力を強化し或いはスピードを強化し、長時間をかけて反復による持久力を強化していく特徴があり青年期から高齢者まで同じトレーニング方法で加齢ともに体力的な適応障害が徐々に発生していくためこの方法は採用しない。


その3

それでは何を採用するか?

これを体得するには、一般的なスポーツトレーニングとは異なる。

ダンベルを持って站椿したりダンベルを持って試力をしない。

全てのトレーニングに一貫して共通していることは有る力が働けば必ず逆に働く力が発生する力学をそのまま活用する為、逆に働く力を捉えるトレーニングを重視する。

自己の重力から逆に働く抗力を同時に発生させ上下に同時に働くつり合い力を捉えて螺旋により前後左右へ六方向同時につり合い力を発揮できる相対的な状態を体得する。即ち動けば或いは接触すれば常に有る力から逆に働く力を捉えてつり合い力を発揮することができる為、ダンベルを持って行えばその使われる方向は限定され六方向同時のつり合い力のトレーニングはできない。スピードを上げててもつり合い力を捉えることができない。反復による持久力を上げてもこれもまたつり合い力が優先されない。

その為、つり合い力となる中間作用を体得しなければならない。


その4

故に一般的な技による出力方法とは異なる。

一般的な出力とは相手から意識的な有る力が働けば自己の意識的な力による抵抗技術により出力する方法である

前文の抵抗技術とは逆に相手から意識的な有る力が働けばそれと同時に相手の防衛反応として無意識に逆に働く力を自己の防衛反応から無意識に働く接触と邪魔の技術によりつり合い力を意識的に捉えた僅かな動きと力から順逆同時相対的梃子力により極限まで時間と距離を短縮して出力する発力である。


その5

矛盾の状態はつり合い力でありの中間作用であり相対的なバランス統制技術である。

同時に起きる作用反作用の法則の様に意識的な有る力は同時に逆に無意識に発生する意識では気づかない無い力である。

即ち無力な中に力を求めるにはつり合い力を体得しなければ判らない。

即ち微動の中に速度を求めるにはつり合い力は相対的に微動であり極限まで時間と距離を短縮したバランス統制を体得しなければ判らない。

即ち拙劣な中に巧妙を求めるには派手にダイナミックで複雑で見映えする動きではなく、素朴で単純明快な僅かな動きと僅かな力は大雑把で有る様に見えるが全身一致した相対的なつり合い力を捉える内部感覚は不動に近く巧妙でなければ体得できない。

抽象の中に具体性を求めるには相対的なつり合い力は固定化はされていない中間作用はむしろ抽象的であるが具体的に発生する有る力と力の方向から相対的なつり合い力からバランス統制をしなければ体得できない。


その6

この様に有る力が働けば必ず逆に働く力が働き、意識的な力と方向が働けば防衛反応として無意識に逆への力と方向が働く。

この気づかない無意識に働く反応を意識的に捉えて操作するには相対的なつり合い力を体得するトレーニング方法を重視する。

全て相対的に作用反作用の法則の様に同時に有る力に相対して逆に働く中間作用となる矛盾の状態を求める。


その7

双方対峙するも先に出すか後に出すか何れにせよどちらからでも受動的立場から主導的立場へ転換できる様に有る力から必ず逆に働く力を求め

重心を的中させるまで

あらゆる状況と条件の変化に伴って相手の有る力から逆に働く力を求め怠らない者が勝因を掴む。


釈迦の八正道に有る教えで強い者が勝つのではなく、怠らない者が勝つのである。