方針その1

1.意拳を通じての主な目的

意拳を通じて下記の3つが活動の主な目的です。

①自衛

②趣味又は生涯学習

③健康管理

2.団体としての方針

当会は、営利目的とした団体ではありません。

目的は、健身、護身、拳学により、あるいは趣味を通じ、教習を行い、意拳の中身をある一定の段階までに体得させ、自力で、自主自立をすることにあります。

岳崢先生は、意拳を教える目的として、「友をつくり、意拳を理解してもらい、自信をつけ、自立してもらいたい」と、言われていました。

師である王岳崢先生、岳銘先生に習って、

現在社会において、

複雑多岐にわたる厳しい勤務環境や生活環境、

あるいは時間的、金銭的、身体的な制限、

職場、家族関係、地域活動など、

とても良好な練習環境など満たされいない状況下において、

武術で生計を立てず、自から社会人労働者として、

この環境に適合した練習方法を研究され、

その修行を行う自主自立の姿、背中

を目標とします。

それ故、営利目的とした高額な教習料も発生しません。

また、短期間コースや通信教育では、どのように教習しても感覚を体得させる責任が持てないので、実施しません。

なぜなら、感覚教習が基準となるからです。

以前、先生から教習者の指導できる範囲について、聞いたことがあります。

10人ぐらいが、ちょうどいいと聞いたことがあります。

あまり増えるといい加減になり、指導が届かないと聞きました。

お金儲けを考えると話は別ですが、とも言われてました。

例えば、2時間の教習で、直接、手にとり感覚を教える一人当たり時間は、12人で10分、24人で5分となります。

また、これをやれば、達人になると言うような、達人コースなどはありません。

以前、岳崢先生、岳銘先生から言われたことは、「意拳の王向斎先生は天才です」、つまり別格なのです。

自主自立をもった段階で、以降は、自力による工夫をしなければなりません。

ほとんどの先生方は、他力本願ではなく、極論は、自力により工夫され、独創的な研究により体得されてまいますので、それぞれの先生の教え方が異なるのも道理です。

日本意拳協会本部長として確実に約束できることは、師である岳崢先生、岳銘先生から教えて頂いた、感覚や中身をある一定の段階まで教習することです。

ある一定の段階とは

実戦とは、無条件下における接触と邪魔により、心理的、力学的または、物理的、科学的に勝敗を決する。

特徴は、単なる手足による局部的な力学を使うものでは、なく、全身を使う全体的な力学を活用する。

基礎的な訓練から、次の様に段階をふむ。

①站椿による不動の状態から静中の動による上下中心線感覚を掌握する。

②上下、合えば地面からの反作用と抗力を利用でき、

③力の範囲は、前後、左右への展開が可能となる感覚や中身を体感する。

④つまり六面力を掌握し、

⑤次の段階として、養成した上下中心線感覚を守り、用いて、試力、摩擦歩、発力、試声などの抵抗練習を通じて、動中の静の中身と感覚を体感する。

⑥これらを用いて、更に次の段階の対人練習、つまり、いつでも、どこでも梃子入れができて、絶好の機会をいつでも得ることができる推手練習へと移行する。

⑦次の段階として、推手練習で得た、360度全周における梃子入れができ、絶好の機会の中身と感覚を体感する。

⑧次に離れた位置から中心線感覚による半歩調整により急停止、急発進、急方向変換を通じて、側面、斜面から介入することで、接触を容易にすることができる歩法の中身と感覚を体感する。

⑨全てにおける共通事項として重心的中を捕らえる。

相手に打撃して自己満足する目的では無く。

あるゆる練習を通じて、他流に惑わされること無く、目的を逸脱すことなく、目的を達成する。

その目的とは、効果の確認であり、接触と邪魔を使ってあらゆる角度と多面から距離と時間を短縮するため、つり合い力を発揮して自己及び相手とも納得出来る最大の弱点となる重心的中のみを最高目標とする。

その状態は矛盾の状態であり、極限まで時間と距離が短縮され非常に小さく、鋭く僅かな動きと僅かな力で大きな力を発揮する矛盾の力を体得する

ある一定の段階とは、相手を管理するには、交差した瞬間、側面、斜面への寄りかかりを繰り返しながら、相手を逃がさず、管理するとともに、無条件を追究して、どこに接触しても梃子入れができる絶好の機会を得る。即ち、一触即発の断手練習の中身と感覚を体感するまでの段階です。

導きは、ここまでです。

各段階における体感を体得までもっていければ、かなり高いレベルと言えます。

これ以降は、自主自立の段階と言えます。

つまり、自力による独創的な工夫により自得されることを望みます。

無条件を追究する接触と邪魔の練習は、絶対ではない。

無条件とは、考慮すべきあらゆる条件を想定しても、絶対的はアンバランスを制御することであるため、追究して止まない練習課題である。

そして、更なる追究をし、目標と目的は、いつでも、どこでも梃子入れができ、絶好の機会を得て、一触即発の可能性を求める。

3.ブログを書かない理由について

当協会では、下記の行為を行う人は、武術家ではなく、文術家ではないか、あるいは、実力が伴わない評論家と考えています。

①他の団体に対して誹謗、中傷となるような内容をブログなどに記載すること。

②実力のないところを認めてもらうために、主観的・先入観により、都合よく体裁よく表現する内容をブログなどに記載すること。

行動なきところに真実はなし

そこまで大きく言われるのであれば、大きく認めてもらえるような場所(例えばマスコミが大々的に公開してくれる場所)にでるのが、手っ取り早いと思います。

実力があれば、黙っていても、認めてくれます。

民間武術家であれば、それなりの立ち振舞いでいいと思っています。

過ぎたるは、なお及ばざるが如し、と言えるでしょう。

このようなことからブログは推奨しません。

但し、良心的なブログもあります。

例えば、為になる様な書籍や資料の紹介や、実践理論や関連映像の発表、あるいは中国語書籍の和訳などを行なっているブログなどです。

ましてや20世紀からは映像の世紀といわれ、映像がなければ証拠にならない時代です。

なお、日本意拳協会がインターネットを介して情報を公表する手段は、現在下記のものだけになります。

HP

YouTubeのチャンネル

インターネットで道場を見つけよう(道場検索サイト)」

武道JAPAN(道場検索サイト)」

日本意拳協会に関して、これ以外の手段にて、本HPに記載されている内容と異なる記述がされているブログや広報などがあったとしても、当会とは無関係です。

4.入会される方に

人生、志を立てた時に起こりうる障害があります。

さまざまな、制約のある社会の中、ある人は、家庭、職場、職業、金銭、健康状態、時間、年齢、などですが、それぞれ、問題がありますが、熱意が有れば、何とか成ります。

時間がなければ、無いなりの練習もあります。

熱意、努力、研究心が有れば、成るように成ります。