Dernière mise à jour : le 04 décembre 2023
Livres 著書32冊:単著1冊(日1)、共編著12冊(日8、仏4)・共著19冊(日12、仏3、英3、ポルトガル1)
34. 香田芳樹編『カリスマ教師とその弟子たち(仮)』、慶應義塾大学出版会、2026年?月?日。ISBN (日本語・共著13)
33. 『カントと対峙するベルクソン(仮)』、ラクイラの出版社、2026年刊行予定。ISBN (英語・共著4)
32. 大橋洋一・三原芳秋編『文学理論の名著50』、平凡社、2025年3月25日。ISBN 978-4582703719(日本語・共著12)
【項目】ピエール・マシュレ『文学生産の理論のために』(226-241頁)
31. 福島知己編『フーリエの新世界』、水声社、2024年7月30日。ISBN 978-4-8010-0817-5(日本語・共著11)
「分人主義的結婚論の先駆者フーリエ――『愛の新世界』とヘーゲル『法の哲学』における遺産相続の問題」(161-210頁)
30. 平井靖史・藤田尚志編『〈持続〉の力――ベルクソン『時間と自由』の切り開く新地平』、書肆心水、2024年7月17日。ISBN 978-4910213514(日本語・共編著8)
3-2.「人格性について――分析哲学的自己論とベルクソンの表現的自我」(160-171頁)、「プロジェクトの”持続”とは何か(あとがきに代えて)」(342-346頁)、「PBJ活動記録(2007.4-2024.3)」(347-355頁)
29. Yasushi Hirai (ed.), Bergson's Scientific Metaphysics: Matter and Memory Today, London: Bloomsbury Publishing, 18 May 2023. ISBN 9781350341975(英語・共著3)
共著、担当部分:5. “A Long-Accepted Foreigner, To Whom One Grants Refuge For a While”: On Riquier's Interpretation of Bergson's Kantianism, pp. 63-77.
28. 平芳幸浩編『現代の皮膚感覚をさぐる――言語、表象、身体』、春風社、2023年3月23日。(日本語・共著10)
共著、担当部分:第1章「かゆみの哲学断章――哲学的触覚論のゆくえ」(13-53頁)。
※『読売新聞』2023年7月7日号掲載の郷原佳以氏(東京大学)による書評あり。
長い哲学の歴史にあって、痛みの考察は無数にあるが、かゆみの考察はほとんどなされていない。それはなぜか。論文前半では哲学的触覚論の現代的展開を概観し、ドゥルーズの「分人」概念から出発して伊藤亜紗やデリダの例を取り上げた。後半では、触覚の哲学が素通りしがちな「皮膚感覚」、中でも忘れ去られがちな「かゆみ」に焦点を当てて、言語的・文学史的・皮膚科学的観点から、とりわけアトピー性皮膚炎に注目しつつ考察を展開した。(203字)
27. 檜垣立哉・平井靖史・平賀裕貴・藤田尚志・米田翼『ベルクソン思想の現在』、書肆侃侃房、2022年12月23日。ISBN 978-4863855564(日本語・共編著7)
ベルクソンの四大著作を分かりやすく解説。あわせて研究の最前線も紹介。
2022年には5人のベルクソン研究者が 一挙に研究書を刊行した。この「ベルクソン・イヤー」を記念して福岡の書店で開かれた連続トークイベントを元に編まれた対談集において、担当部分では、持続のリズム、生命進化の方向性、人間を行動へと駆り立てる原動力としての憧れと義務感について一般読者を念頭に分かりやすく説明した。(151字)
※『読売新聞』2023年2月12日号掲載の郷原佳以氏(東京大学)による書評あり。
※『週刊読書人』2023年3月27日号掲載の岡嶋隆佑氏(新潟大学)による書評あり。
※『西日本新聞』2023年4月29日号掲載の山上武雄氏(記者)による「記者本」あり。
※『図書新聞』2023年5月27日号掲載の原健一氏(金沢工業大学)による書評あり。
※『フランス思想・哲学研究』
26. 藤田尚志『ベルクソン 反時代的哲学』、勁草書房、2022年6月1日。(日本語・単著1)
26. 博論(論文12)に大幅に手を加え、ついに完成。
ベルクソン哲学の魅力は、科学のアクチュアル(同時代的)な有用性を十分に認めつつも、その先を科学とともに、科学とは異なる仕方で(反時代的に)考えようとする点にある。概念とイメージの緊張関係に注目しつつ、彼の四大著作の精緻な読解を試みた。
※ 『西日本哲学年報』第31号 2023年10月(評者 平井靖史氏 慶応義塾大学)
※ 『フランス哲学・思想研究』第28号 2023年10月1日(評者 平岡紘氏 流通経済大学)書評はこちら
※ 『みすず』2023年1・2月合併号「2022年読書アンケート」(評者 宮﨑裕助氏)
※ 『週刊読書人』2022年9月9日号(評者 平井靖史氏 福岡大学教授)
※ 『図書新聞』「上半期読書アンケート」(評者 古賀徹氏)
※ 『週刊読書人』2022年7月22日号「22年上半期の収穫」(評者 伊達聖伸氏)
25. 平井靖史・藤田尚志・安孫子信編『ベルクソン『物質と記憶』を再起動する――拡張ベルクソン主義の諸展望』、書肆心水、2018年12月。(日本語・共編著6)
共著、担当部分:「最後の言葉――夢のような、まだ夢のような(あとがきに代えて)」(395-399頁)。
24. Shin Abiko, Hisashi Fujita, Yasuhiko Sugimura (éds.), Mécanique et mystique. Sur le quatrième chapitre des Deux Sources de la morale et de la religion de Bergson, Georg Olms Verlag, coll. "Europaea Memoria", mars 2018, 280 pages. ISBN 978-3-487-15654-5(仏語・共編著4)
Collectif, "Avant-propos" (p. 5) et "Au milieu du chemin. La "double frénésie" et la politique" (pp. 35-52).
23. 岩野卓司編『共にあることの哲学と現実――家族・社会・文学・政治(フランス現代思想が問う〈共同体の危険と希望〉2 実践・状況編)』、書肆心水、2017年11月30日。(日本語・共著9)
共著、担当部分:論文「現代社会における愛・性・家族のゆくえ――ドゥルーズの「分人」概念から出発して」(37-81頁)
400字要約
本論文では、ドゥルーズの「分人」概念から出発し、愛・性・家族というテーマに取り組むことで、現代の共同体をめぐる諸問題に対して応答しようとした。「分人」(dividual)とは「個人」(individual)に回収されない人間の重層性・多面性を強調する概念である。この概念を元に、ドゥルーズ的家族論の可能性を探った。特に『アンチ・オイディプス』には、愛・性・家族が同心円的に拡大し、結婚制度が包括・統合するというヴィジョンではなく、逆に、結婚とは「脱人格化の修練」の行なわれる「にぎわう砂漠」であるというヴィジョンが描き出されていることを確認し、ドゥルーズ以後の思想家たちによる継承やありうべき展開を概観した。愛・性・家族はすでに多様化しつつある。同性婚ばかりでなく、代理家族やシェアハウスなど、他者たちと「共に生きる」諸現象は、分人的思考を通してクリアに姿を現し、より望ましい制度設計に結実するはずである。
1000字要約
現代の共同体をめぐる諸問題に対して、いかに応答すべきか。本論文では、ドゥルーズの「分人」概念から出発し、愛・性・家族の重要な結節点の一つとしての結婚というテーマに取り組むことで応答しようとした。まず、現代社会の諸問題を考察する際に、ドゥルーズの「分人」概念が有効な観点を提供しうることを示し(第一節)、次いで、ドゥルーズ的結婚論の可能性を「にぎわう孤独」や「脱人格化」のうちに探った(第二節)。『アンチ・オイディプス』には、愛・性・家族が同心円的に拡大していき、結婚という制度がそれらを包括・統合するというヴィジョンではなく、逆に、結婚とは「脱人格化の修練」の行なわれる「にぎわう砂漠」であるというヴィジョンが描き出されていることを、家族・性・愛の分人化の順に確認し(第三~五節A)、各節の後半では、ドゥルーズ以後の思想家たちによる継承やありうべき展開を概観してきたのであった(第三~五節B)。分人化とは、一方では、通過儀礼によって隔てられた「人生行路の諸段階」(キェルケゴール)が姿を消して、平滑化・相互浸透化・流動化していくことであり、と同時に、他方では、個人に生涯教育、生涯労働、絶えざる主体化・自己決定化を強いるプロセスでもある。グローバル化が進行しているにもかかわらず、いやそれゆえにこそ反動化し保守化した現代日本社会においては、法制度的に「結婚」こそが最も有効な抵抗の拠点になりうる。むろん、結婚以外にもこのような機能は見出せる。しかし、結婚を多様化すること、同性婚ばかりでなく、大勢の者たちと「共に住む」ことを含めて結婚と見なせるような制度設計をすることは、可能であるばかりでなく、現実的に有効な手段でもある。分人概念に依拠した来たるべき共生の可能性をより深く理解するために、「閉じた分人主義」と「開かれた分人主義」の区別を提案したい。閉じた分人主義は、「私的所有」「私有」の論理を突き詰めたところに出現する。開かれた分人主義は、逆に、「共同利用」「共働」の概念に共鳴する。私たちの個が緩やかに成り立っている「響存」であるなら、私たちの共同体の在り方もまた緩やかに成り立っているはずではないか。「核家族」が解体されるからと言って、「家族」そのものが消滅しなければならないわけではない。現在生じつつあるのは、家族の消滅ではなく、血縁による「大家族」の復活でもなく、むしろ疑似家族や代理家族を含む広義の「拡大家族」ないし「複合家族」の出現である。そして、さまざまな世代をつなぎ、愛・性・家族と分離・接合可能な関係を結んだ“来たるべき結婚”は、分人的思考を通してよりクリアに姿を現し、より望ましい制度設計に結実するはずである。
22. 平井靖史・藤田尚志・安孫子信編『ベルクソン『物質と記憶』を診断する――時間経験の哲学・意識の科学・美学・倫理学への展開』、書肆心水、2017年10月。(日本語・共編著5)
共著、担当部分:コラム「永いあいだ客として遇されてきた異邦人――リキエによるベルクソン的カント主義解釈をめぐって」(59-82頁)、論文「記憶の場所の論理――『物質と記憶』における超図式論と憑在論」(83-98頁)。
21. Shin Abiko, Hisashi Fujita, Yasuhiko Sugimura (éds.), Considérations inactuelles. Bergson et la philosophie française du XIXe siècle, Georg Olms Verlag, coll. "Europaea Memoria", septembre 2017, 318 pages. ISBN 978-3-487-15609-5(仏語・共編著3)
21. Avant-propos, p. 5.
20. 藤本夕衣・古川雄嗣・渡邊浩一編『反「大学改革」論 若手からの問題提起』、ナカニシヤ出版、2017年6月18日。(日本語・共著8)
共著、担当部分:第4章「パフォーマティヴの脱構築――デリダの『哲学への権利』における哲学的大学論」、57-80頁。
「パフォーマティヴの脱構築――デリダの『哲学への権利』における哲学的大学論」
※『週刊読書人』2017年8月28日号掲載の日比嘉高氏(名古屋大学)による書評あり。
19. 平井靖史・藤田尚志・安孫子信編『ベルクソン『物質と記憶』を解剖する――現代知覚理論・時間論・心の哲学との接続』、書肆心水、2016年11月。(日本語・共編著4)
18. 鹿島徹・越門勝彦・川口茂雄編『リクール読本』、法政大学出版局、2016年7月25日。(日本語・共著7)
共著、担当部分:22「リクールとベルクソン 生の哲学の影」、228‐243頁。
18. 「リクールとベルクソン 生の哲学の影」
※日仏哲学会編『フランス哲学・思想研究』第22号(2017年9月)掲載の原田雅樹氏による書評あり。
17. 藤田尚志・宮野真生子編『家族』、シリーズ『愛・性・家族の哲学』③、ナカニシヤ出版、2016年4月30日。(日本語・共編著3)
共著、担当部分:「はじめに」、iii-vi頁、第1章「結婚の形而上学とその脱構築――契約・所有・個人概念の再検討」、2-37頁。
16. 藤田尚志・宮野真生子編『性』、シリーズ『愛・性・家族の哲学』②、ナカニシヤ出版、2016年4月28日。(日本語・共編著2)
共著、担当部分:「はじめに」、iii-vii頁。
13. Shin Abiko, Hisashi Fujita et Masato Goda (éds.), Tout ouvert : L'évolution créatrice en tous sens, Georg Olms Verlag, coll. "Europea Memoria", octobre 2015. ISBN 978-3-487-15358-2 (仏語・共編著2)
Collectif, avant-propos, pp. 5-6, et article "Désir et joie : deux philosophies politiques de la vie. Deleuze ou Bergson II", pp. 225-247.
仏語編著。序文および仏語論文「欲望と歓喜:二つの生の政治哲学――ドゥルーズかベルクソンか II」(シンポジウム依頼論文)
12. Brigitte Sitbon (éd.), Bergson et Freud, Paris : PUF, coll. "Philosophie française contemporaine", avril 2014. ISBN 978-2-13-062427-1(仏語・共著3)
Collectif, article "Télépathie : la recherche psychique de Bergson et la métapsychologie de Freud", pp.141-154. https://doi.org/10.3917/puf.sitbo.2014.01.0141
12. 仏語論文「テレパシー:ベルクソンの心霊科学とフロイトのメタ心理学」(シンポジウム依頼論文)
11. Kenjiro Tamogami (ed.), Fragments & Wholes. Thoughts on the dissolution of the human mind, Editions L'improviste, septembre 2013. ISBN 978-2-913764-56-9(英語・共著2)
Collectif, article "Déjà vu: Force of the False and Idleness of Memory (Bergson or Deleuze III)", p. 81-112.
11. 英語論文「デジャヴ:偽なるものの力と記憶の無為(ドゥルーズか、ベルクソンかIII)」(シンポジウム依頼論文)下記論文21の英訳。
20世紀の前半と後半のフランスを代表する哲学者ベルクソンとドゥルーズ。親縁性・影響関係ばかりが指摘される両者を真に分かつ点はどこにあるのか。本論文ではとりわけデジャヴという興味深い現象に対する両者のアプローチの違いという側面から徹底的な解明を試みた。
10. 西山雄二編『人文学と制度』、未來社、2013年3月。ISBN978-4-624-01190-1(日本語・共著5)
共著、担当部分:「耳の約束――ニーチェ『われわれの教養施設の将来について』における制度の問題」、306-340頁。
(依頼論文)ニーチェ思想全体を貫く「文化」概念すなわち「約束」と「記憶」概念から出発し、「教育」や「制度」の問題を、「耳」や「響き」のモチーフを通して考えることで、『将来』の新たな読解の方向性を提示しようと試みた。(101字)
9. 金森修編『エピステモロジー――20世紀のフランス科学思想史』、慶應義塾大学出版会、2013年1月。ISBN 978-4-7664-2005-0(日本語・共著4)
共著、担当部分:第5章「生命哲学の岐路――ベルクソンとドゥルーズにおける形而上学・科学・政治」、323-407頁。
「生命哲学の二つの岐路――ベルクソンとドゥルーズにおける形而上学・科学・政治」。下記論文19や発表23, 27, 29, 32, 41をすべて取り込み総合した長編論文。
100字要約
20世紀の前半と後半のフランスを代表する哲学者ベルクソンとドゥルーズ。親縁性・影響関係ばかりが指摘される両者を真に分かつ点はどこにあるのか。形而上学・科学・政治の三つの観点から徹底的な解明を試みた。(98字)
400字要約
二〇世紀フランスの前半と後半を代表するこの二人の哲学者の関係を最も生産的に読み解く方途の一つは、彼らの「生の哲学」ないし「生気論」の共通点と差異を精査することである。形而上学に絞って言えば、共通点は、有機的なものと無機的なものの境界線を無効にするということ、有機的なものにとどまらず、かといって無機的なもの、機械だけを称揚するのでもない、ということである。存在と非在の間を「(非)存在」と名付けたドゥルーズに倣って、二人に共通する生気論を「(非)有機的 (non)-organique」と呼ぶ。両者の根本的差異は、純粋な潜在性を重視するか(ドゥルーズ[以下D])、潜在的なものの現働化か(ベルクソン[以下B])という点にある。①魂について言えば、観照的か(D)行動的か(B)、②「出来事」概念について言えば、反‐実現か(D)参加的か(B)、③「外部」概念について言えば、非合理的切断か(D)開かれた全体性か(B)ということになる。
1000字要約
ベルクソンとドゥルーズ。二〇世紀フランスの前半と後半を代表するこの二人の哲学者の影響関係や親和性に関する研究は洋の東西を問わず豊富すぎるほどある。では絶対的に両者を対立させる根本的差異はどこにあるのか。この問いにできるかぎり厳密かつ明快に答えるべく、形而上学・科学・政治の各領域における両者の差異を検討する。
まず形而上学については、二人を隔てる差異は、(非)有機的 (non)-organiqueと非有機的 non-organiqueの間にある。言い換えれば、両者の根本的差異は、純粋な潜在性を重視するか(ドゥルーズ[以下D])、潜在的なものの現働化か(ベルクソン[以下B])という点にある。この点を、①二つのアニミスム:観照(D)と行動(B)、②二つの出来事:反‐実現(D)と参加(B)、③二つの外部:非合理的切断(D)と開かれた全体性(B)について検討する。
次に科学については、ドゥルーズが科学を見つめる眼差しが、究極的には感性的=美学的なものである(彼によれば、科学的ファンクティヴを下支えしているのはセンシビリアである)のに対し、ベルクソンの著作は、いずれも個別科学(連合主義的心理学・大脳生理学・進化論的生物学・宗教社会学など)との対決の記録であり、そこには科学の道徳化=精神化の傾向が見られる。二人を隔てる差異は、哲学と科学の協力可能性について、前者が芸術家同様、各々が孤独な道をゆき、後者は道徳的行動者同様、参加と交流を選びとるという点に現れる。
最後に政治については、①出来事・②主体・③力能の三つの側面から、根源的な差異を探究した。①「欠けている民衆」は、純粋潜在性の反-実現として提示されるのに対し(D)、神秘家は、絶えざる人間的条件の現在的な超克において、行動・参加の純粋形象として出現する(B)。②「独身機械」・「見者」は、受動的・否定的で欲望機械の連接的奔流の傍らに佇み、質料性=物質性の感性的=美学的受苦に耐えているのに対し(D)、「神秘家」は、精神性=道徳性の歓喜をもって、呼びかけのうちに自らの響存を形成する(B)。③「仮構作用」は、芸術的仮構の中で錯乱すること、それも純粋潜在性と絶対的孤独のうちでそうすることを唯一可能な希望と見なすのに対し(D)、神秘家は、「情動」による道徳的=精神的創造の中で、新たな、途方もない良識を打ち立てること、それも間欠的な現働化と共同体なき共同性のうちでそうすることを未来に開かれた希望と見なす(B)。
8. Camille Riquier (éd.), Bergson, Paris : Cerf, coll. "Les Cahiers d'Histoire de la Philosophie", décembre 2012. ISBN 978-2204097604(仏語・共著2)
Collectif, article "L'Université manque à sa place dans la philosophie française, ou De la politesse de Bergson", pp. 223-238. (version un peu remaniée du 3)
仏語論文「大学はフランス哲学において己の場所を欠いている、あるいは、ベルクソンの『礼儀正しさ』について」(依頼論文) 著書3を多少改良したバージョン。
ベルクソンの人文学論を読み直すことで、現代フランス哲学の延長線上で新たな大学論が生み出される可能性を探った。(54字)
7. 西日本哲学会編『哲学の挑戦』、春風社、2012年11月。ISBN 978-4-86110-335-3(日本語・共著3)
共著、担当部分:「記憶を絶したもの――ベルクソンとレヴィナス」、299-343頁。
論文15, 17の続編。発表45、論文27に大幅に手を加えたもの。論文3の続編。
前編ではベルクソンとレヴィナスにおける物質性=質料性概念の比較を行なったが、本編では、両者における「記憶」と「記憶しえぬもの」(ベルクソンにおいては純粋記憶、レヴィナスにおいては記憶を絶したもの)を比較し、前者の内在哲学と後者の超越論的哲学の差異を解明しようと試みた。(134字)
6. Alexandre Lefebvre and Melanie White (eds.), Bergson, Politics, and Religion, Duke University Press, 2012. ISBN 978-0822352563(英語・共著1)
Collectif, article "Anarchy and Analogy: The Violence of Language in Bergson and Sorel", p. 126-143.
英語論文「アナーキーとアナロジー。ベルクソンとソレルにおける言語の暴力」(依頼論文・査読有) 論文16の大幅バージョンアップ版。
論文2(日本語)を英語に訳し、大幅にバージョンアップしたもの。ベルクソン哲学の影響を受けた思想家として『暴力論』のソレルが挙げられる。通常、物理的暴力の思想家と見なされがちなソレルが実はベルクソンの言語論の影響を受けていること、ソレルの暴力論の本質は言語的な次元にあることを示そうと試みた。
5. Shin Abiko, Hisashi Fujita et Naoki Sugiyama (éds.), Disséminations de L'évolution créatrice de Bergson, Georg Olms Verlag, coll. "Europaea Memoria", mai 2012. ISBN 978-3-487-14772-7(仏語・共編著1)
Collectif, avertissement, pp. 5-6, et article "De "l'industrie de l'être vivant" : L'organologie bergsonienne", pp. 59-73.
5. 仏語編著。序文および仏語論文「生物の丹精=産業。ベルクソン的器官学」(シンポジウム依頼論文)
新たな生気論として、(非)有機的生気論の四つの根本特徴を素描する。第一に、道具主義。第二に、生命の本質を意識性と運動性とに見る。第三に、脱人間中心主義。そして第四に、この生気論は、知性と産業の方向にその最もダイナミックな(そして同時に最も危険な)可能性を見る。(130字)
本論文では、新たな生気論として、(非)有機的生気論の四つの根本特徴を素描する。第一に、知性であれ本能であれあらゆる手段を駆使して、触れるものすべてを道具にしてどこまでも延長していこうと傾向。第二に、生命の本質を意識性と運動性とに見るゆえ、知性・科学と産業を密接な関連の下に置く。第三に、この生気論は人間を「存在理由」とするとしても、それは人間のうちの最大規模の意識性と運動性を評価してのことにすぎない。生命のために知性と本能を駆使する道具主義であり、人間はその道具・器官/機関にすぎない。そして第四に、この生気論は、知性と産業の方向にその最もダイナミックな(そして同時に最も危険な)可能性を見る。(298字)
4. Débora Cristina Morato Pinto et Silene Torres Marques (org.), Henri Bergson, Crítica do negativo e pensamento em duração, São Paulo : Alameda, 2009. ISBN 978-85-7939-004-3(葡語・共著1)
Collectif, article "Khorologia da memória, ou como localizar o não-localizável? Uma leitura de Matéria e Memória" (traduction portugaise), pp. 131-154.
ポルトガル語論文(翻訳)「記憶の場所論、あるいは位置づけえぬものをいかに位置づけるか?『物質と記憶』の一読解」(シンポジウム依頼論文)
ベルクソン第二の主著『物質と記憶』における記憶の場所論を「位置づけえぬものをいかに位置づけるか」という観点から解明しようと試みた。(65字)
3. Y. Kobayashi et Y. Nishiyama (éd.), Philosophie et Education II. Le droit à la philosophie, Tokyo : UTCP, mars 2009. ISSN 1882-742X(仏語・共著1)
Collectif, article "L'Université manque à sa place dans la philosophie française, ou de La Politesse de Bergson", pp. 21-36.
3. 仏語論文「大学はフランス哲学において己の場所を欠いている、あるいは、ベルクソンの『礼儀正しさ』について」(シンポジウム依頼論文)
2. 西山雄二編、『哲学と大学』、未来社、2009年3月。ISBN 978-4-624-01179-6(日本語・共著2)
共著、担当部分:第10章「条件付きの大学――フランスにおける哲学と大学」、224‐248頁。
(依頼論文) 担当部分:第10章「条件付きの大学――フランスにおける哲学と大学」(224‐248頁)
フランス哲学の代表的な哲学者たちが伝統的に大学を積極的に論じてこなかった理由を社会学的な分析によって解明し、その例外であるデリダの『条件なき大学』という大学論でさえも限界があることを示しつつ、現代フランス哲学の延長線上で新たな大学論が生み出される可能性を探った。(131字)
1. 久米博・中田光雄・安孫子信編、『ベルクソン読本』、法政大学出版局、2006年4月。(日本語・共著1)
ISBN 4-588-15044-8 共著、担当部分:「世界におけるベルクソン研究の現在」、312‐317頁。
「世界におけるベルクソン研究の現在」
近年、ベルクソン研究が再活性化してきている。そこで本国フランスおよび英米の研究の主要な潮流を分析し、主だった研究者、研究書、その方向性などを紹介した。(75字)
近年、ベルクソン研究が再活性化してきている。そこで本国フランスおよび英米の研究の主要な潮流を分析し、主だった研究者、研究書、その方向性などを紹介した。小文の大半はそのために費やされているが、最後に、日本で、日本語で、ベルクソン研究を行なう意義と限界を強調した。観客や批評家に終わらず、研究の舞台で役者として活躍するには、思想の地政学の問題を考え抜かねばならない。(181字)