31.【合評会5】平賀裕貴・鶴岡賀雄・中村弓子・藤田尚志「機械と神秘家――平賀裕貴『アンリ・ベルクソンの神秘主義』合評会記録」(査読無・日本語・共著)
『駒澤大学外国語論集』(駒澤大学外国語第一・第二部門論集委員会)第38号、2025年1月、57-82頁。
30.【合評会4】藤田尚志・兼本浩祐・澤幸祐・岡嶋隆佑・天野恵美理・木山裕登・平井靖史「注意と連合――ベルクソン『記憶理論の歴史』合評会記録(現代諸科学との接合編)」(査読無・日本語・共著)
『九州産業大学国際文化学部紀要』(九州産業大学国際文化学部)第84号、2024年11月、1-56頁。
(résumé en français) La reconnaissance du chjam'è rispondi et son inscription au patrimoine immatériel national est bien entamée. Mais quelle que soit l'issue de cette candidature, cet art poétique a déjà suscité la curiosité, l'analyse et la considération de chercheurs, de poètes et de musiciens des quatre coins du monde. Hisashi Fujita, philosophe japonais spécialiste de Bergson est de ceux-là. Il nous livre son regard sur une pratique qui construit un rapport unique au temps et à l'improvisation.
大意は以下のとおり。
2023年12月30日、私は一介の旅行者として、ピーニャのオーディトリアムで開催された年次総会で偶然chjami è rispondiに遭遇した。他の旅行者と少し違ったかもしれないのは、私がフランスの哲学者アンリ・ベルクソンという時間の哲学者を研究する日本人だったということだ。chjami è rispondiに身を委ねながら、私は日本の伝統では何に該当するのかを考えていた。連歌は8世紀に生まれた伝統的な詩の形式であり、複数の人が長句と短句を交互に詠んで一つの詩を作る。1,000行、10,000行にも及ぶという点、あるいは軽快さや重厚さなど様々な表現が含まれるという点でも、キヤミ・エ・リスポンディと似ているが、このコルシカの伝統的な芸術は、歌われるという点、そして何よりも今なお生き生きと人々の生活に根差して生きているという点で異なっているように思われる。実際、芸術シーンと生活シーンの間に、これほど相互侵入や相互浸透が見られることは珍しい。私が体験したイベントでは、聴衆の一人が突然即興で歌い始め、フェスティバルの後、ピーニャのバー兼レストラン「カーサ・ムジカーレ」のテーブルまで、その掛け合いは続いた。
ベルクソンが持続概念を説明した有名な言葉を思い出してみよう。「砂糖水を用意しようと思ったら、何をするにしても砂糖が溶けるのを待たなければならない。それ(=待たなければならない時間)は、私の焦りと一致する。つまり、私自身の持続時間のある部分と一致するのであり、それは自分の意志で長くしたり短くしたりすることはできない」(『創造的進化』)。ある意味で、chjami è rispondiはpaghjellaよりもベルクソン的な持続時間に近い。3声のためのポリフォニックな歌であるパジェッラでは、各歌手は全体を調和させるために他の2人の歌声に注意深く耳を傾ける。これに対して、chjami è rispondiにおいて詩人たちの創造性は、まさにゲームを出し抜く方法にある。この即興詩的な馬上槍試合は、こうして「待つ」ことの時間性を露呈する。時間の本質とは、遅れとともに逃れ去るものの中にある。
最後にまたしてもベルクソンを引用しよう。「彼らがすべきことはただ存在することである。似ていたいという欲望はすでに似ていることであり、われわれが自分のものにする言葉は、われわれ自身のうちに響きを聞いたものである」(『道徳と宗教の二源泉』)。chjami è rispondiの歴史は、世代から世代へと口伝で受け継がれるという仕方でコルシカ文化に常に存在してきた響きと呼びかけの良い例ではないだろうか?いつの日か、このはかない声楽芸術が、私たちの無形遺産の一部として、その声を響かせる日が来ることを願ってやまない。
28.【エッセイ4】藤田尚志「ベルクソンと芸術――「器官-障害の弁証法」の美学的応用」(査読無・日本語・単著)
『九州産業大学美術館記録集2023 「美の鼓動・九州」クリエイター・アーカイブVol.4 たいせつなあいまいさ』(九州産業大学美術館)、2024年3月30日、9-10頁。
youtubeには個別の作家さんの作品について素人ながらコメントを述べようと試みております。よろしければご覧ください。
27.【合評会3】藤田尚志・鈴木泉・納富信留・平井靖史「哲学と時間――ベルクソン『時間観念の歴史』合評会記録」(査読無・日本語・共著)
『九州産業大学国際文化学部紀要』(九州産業大学国際文化学部)第83号、2024年03月、29-68頁。
26.【イントロダクション】"Introduction" au colloque "Revies - de Rétif de la Bretonne : Subjectivités, Généalogies, Morales"(査読無・仏語・単著)
25.【解題3】訳者あとがき
アンリ・ベルクソン『記憶理論の歴史――コレージュ・ド・フランス講義 1903-1904年度』(藤田尚志・平井靖史・天野恵美理・岡嶋隆佑・木山裕登訳)所収、書肆心水、2023年10月、385-406頁。
24.【合評会2】平井靖史・青山拓央・岡嶋隆佑・藤田尚志・森田邦久「ベルクソンと現代時間哲学(下)」(査読無・日本語・共著)
『人文論叢』(福岡大学人文学部)第53巻第3号、2021年12月、941-969頁。
23. 【書評5】「或る生」の哲学とは何か? 秋保亘『スピノザ 力の存在論と生の哲学』(法政大学出版局、2019年)
『スピノザ―ナ』第17号、2021年10月、141-146頁。
22.【合評会1】平井靖史・青山拓央・岡嶋隆佑・藤田尚志・森田邦久「ベルクソンと現代時間哲学(上)」(査読無・日本語・共著)
『人文論叢』(福岡大学人文学部)第53巻第2号、2021年9月、495-528頁。
21. 【報告10】知的冒険とは何か――講演会へのイントロダクション
第29回国際文化学会報告:久保田裕之「未来の結婚を哲学する――『最小の結婚』監訳者にきく結婚の脱道徳化と民主化」への導入として、『九州産業大学国際文化学部紀要』第77号、2021年3月、35-36頁。
20. 【報告9】知的Gymnasticsの場としてのゼミ――第二部「河野先生との語らい」の紹介
第28回国際文化学会報告:河野真太郎「戦う姫、働く少女の生きる道――ワークフェア・愛情搾取・コミュ力」の結びとして、『九州産業大学国際文化学部紀要』第73・74合併号、2019年、96-97頁。
19. 【報告8】知的誘惑装置としての大学――講演会へのイントロダクション
第28回国際文化学会報告:河野真太郎「戦う姫、働く少女の生きる道――ワークフェア・愛情搾取・コミュ力」へのイントロダクションとして、『九州産業大学国際文化学部紀要』第73・74合併号、2019年、71-72頁。
18. 【解題2】訳者あとがき
アンリ・ベルクソン『時間観念の歴史――コレージュ・ド・フランス講義 1902-1903年度』(藤田尚志・平井靖史・岡嶋隆佑・木山裕登訳)所収、書肆心水、2019年6月、427-444頁。
17. 【報告7】藤田尚志・相野毅・村上舞「変愛のフランス文学――レチフ、ヴィリエ、コレット」(2016年度秋季大会のワークショップ記録)
フランス文学論集第53号(九州フランス文学会編)、2018年、31‐34頁。(ダウンロード)
16. 【報告6】藤田尚志・森本淳生・辻川慶子「レチフ・ド・ラ・ブルトンヌを読む――記憶・系譜・道徳」(2016年度秋季大会のワークショップ記録)
cahier 19(日本フランス語フランス文学会)、2017年3月、5‐9頁。
15. 【書評4】岩野卓司著『贈与の哲学―ジャン=リュック・マリオンの思想』(明治大学出版会、2014年3月)
『週刊読書人』2014年6月13日号、4面。
14. 【報告5】郷原佳以・藤田尚志・塚本昌則「来るべき修辞学――文学と哲学のあいだで」(2013年度春季大会のワークショップ記録)
cahier 12(日本フランス語フランス文学会)、2013年9月、5‐9頁。
13. 【報告4】藤田尚志・岩野卓司・増田靖彦「辺獄のベルクソン――笑い、神秘経験、テレパシー」(2012年度秋季大会のワークショップ記録)
cahier 11(日本フランス語フランス文学会)、2013年3月、22‐25頁。
12.【事典項目1~3】田村毅・塩川徹也・西本晃二・鈴木雅生編『フランス文化事典』、丸善出版、2012年7月。ISBN 978-4-621-08522-6
共著、担当項目:「哲学と哲学教育」(78-79頁)、「デカルトとパスカル:その文化的受容」(306-307頁)、「リール」(508-509頁)。三項目いずれも、字数制限の中で、可能な限り歴史を辿っている。
11. 【書評3】松葉祥一著『哲学的なものと政治的なもの――開かれた現象学のために』(青土社、2010年)
『フランス哲学・思想研究』第16号、2011年9月、152-157頁。
10.【リプライ1】マルセル・ゴーシェ『民主主義と宗教』合評会へのリプライ
『南山宗教文化研究所 研究所報』第20号、2010年7月、56-60頁。
9.【書評2】村上靖彦著『自閉症の現象学』(勁草書房、2008年5月)
『フランス哲学・思想研究』第14号、2010年5月、191-195頁。
6.【報告2】『創造的進化』刊行百周年をめぐって
『フランス哲学・思想研究』第13号、2008年、189‐191頁。
4.【書評1】『物質と記憶』新訳
『法政哲学』第4号、2008年、85頁。
3.【エッセイ2】観客でも批評家でもなく
『現代思想』、2007年5月号、246頁。
3. エッセイ 「観客でも批評家でもなく」
研究成果が英仏独語で発表され検討された後で日本語にフィードバックされるという事態がもう少し自然にならねばならない。「英語が苦手だから」と日本語でのみ書く自然科学者などいないという自明の事実を思うべきであろう。もちろん、事を個人の努力にのみ還元すべきではない。現在中核を担う世代の哲学者たちには、カリキュラムをはじめ、制度的に側面支援する枠組み作りを求めたい。(246頁)
2.【エッセイ1】"Theilhard vu d'ailleurs"
Croire aujourd'hui (éd. Bayard), du 15 au 28 février 2005 : dossier "Theilhard de Chardin", no.188, p. 14. téléchargeable
2. 仏語コラム「余所から見たテイヤール」
テイヤール・ド・シャルダンが亡くなってから50年が過ぎようとしている。古生物学者として、文明批評家として名をなした彼だが、キリスト教信仰が彼の思考に及ぼした影響の深さから、近年顧みられることが少ない。だが、果たして、本当に彼の思想の中には再検討に値するものがないのであろうか?(14頁)
2002年5月のルペン・ショックに対して自分なりの哲学的な応答を試みた。
Traduction 翻訳
1. ジャン=リュック・ナンシー「欠けていた声、それこそが声をあげねばならない」
『Web Critique』、2002年5月
2. マルセル・ゴーシェ『民主主義と宗教』(伊達聖伸氏との共訳)、トランスヴュー、2010年2月。
3. アルノー・フランソワ「シンポジウムとは何か」
西山雄二編『人文学と制度』、未來社、2013年3月、362-371頁。
4. ジャック・デリダ『哲学への権利 2』(西山雄二・宮﨑裕助・立花史・馬場智一・津崎良典との共訳)、みすず書房、2015年11月。担当論文は「哲学を讃えて」(225-238頁)、「哲学という学問分野のアンチノミー 書簡による序文」(239-254頁)、「さまざまなポピュラリティ」(255-265頁)、「誰が哲学を恐れるのか」(269-282頁)。
5. エリー・デューリング+ポール⁼アントワーヌ・ミケル「われらベルクソン主義者 京都宣言」
平井靖史・藤田尚志・安孫子信編『ベルクソン『物質と記憶』を解剖する ―― 現代知覚理論・時間論・心の哲学との接続』、書肆心水、2016年11月、337-366頁。
6. アンリ・ベルクソン『時間観念の歴史――コレージュ・ド・フランス講義 1902-1903年度』(藤田尚志・平井靖史・岡嶋隆佑・木山裕登訳)、書肆心水、2019年6月、全448頁。
7. アンリ・ベルクソン『記憶理論の歴史――コレージュ・ド・フランス講義 1903-1904年度』(藤田尚志・平井靖史・天野恵美理・岡嶋隆佑・木山裕登訳)、書肆心水、2023年10月、全416頁。ISBN-10 : 4910213430