荘子:斉物論第二(33) 然則我與若與人倶不能相知也

荘子:斉物論第二(33) 然則我與若與人倶不能相知也

2009年01月04日 00時34分27秒 | 漢籍

荘子:斉物論第二(33)

「既使我與若辯矣,若勝我,我不若勝,若果是也?我果非也邪?我勝若,若不吾勝,我果是也?而果非也邪?其或是也?其或非也邪?其俱是也?其俱非也邪?我與若不能相知也。則人固受其黮闇,吾誰使正之?使同乎若者正之?既與若同矣,惡能正之!使同乎我者正之?既同乎我矣,惡能正之!使異乎我與若者正之?既異乎我與若矣,惡能正之!使同乎我與若者正之?既同乎我與若矣,惡能正之!然則我與若與人俱不能相知也,而待彼也邪?

[荘子:「斉物論篇」もくじ]

「既に我れと若(なんじ)とをして弁ぜしめんに、若(なんじ)の我れに勝ち、我れの若(なんじ)に勝た ざれば、若(なんじ)は果たして是(ゼ)にして、我れは果たして非(ヒ)なるか。我れの若(なんじ)に勝ち、若(なんじ)の吾(わ)れに勝たざれば、我れ は果たして是(ゼ)にして、而(なんじ)は果たして非(ヒ)なるか。

其れ或いは是(ゼ)にして其れ或いは非(ヒ)なるか。其れ俱(とも)に是(ゼ)にして、其れ?(とも)に非(ヒ)なるか。我れと若(なんじ)とは相い知ること能わざるなり。

則(すなわ)ち人固(もと)より其の黮闇(タンアン・くらやみ)を受けん。

吾れ誰にか之を正さしめん。若(なんじ)に同じき者をして之を正さしめんか。既に若(なんじ)と同じければ、悪(いず)くんぞ能く之を正さん。我れに同じき者をして之を正さしめんか。既に我れと同じければ、悪(いず)くんぞ能く之を正さん。

我れと若(なんじ)とに異なる者をして之を正さしめんか。既に我れと若(なんじ)とに異なれば、悪(いず)くんぞ能く之を正さん。我れと若(なんじ)とに同じき者をして之を正さしめんか。既に我れと若(なんじ)とに同じければ、悪(いず)くんぞ能く之を正さん。

然らば則ち我れと若(なんじ)と人と、俱(とも)に相い知る能わざるなり。而(しか)るに彼れを待たんや

長梧子(チョウゴシ)はさらに語をついだ。

「(もう少し、この判断の相対性について分析してみよう)

もし私とお前とが、あるテーマについて、その是非を議論をしたとする。その場合に、もしお前が私に勝ち、私がお前に負けたとすれば、お前が是であり私が 非であるということになるのであろうか。もし私がお前に勝ち、お前が私に負けたとすれば、私が正しくてお前が間違っているということになるのであろうか。

お前と私とのどちらか一方が正しくて、どちらか一方が間違っているということになるのであろうか。あるいは両方とも正しいか、もしくは両方とも間違って いるということになるのであろうか。しかし、これは議論の当事者であるお前と私には決定をくだすことができない問題である。

ところで、当事者であるお前と私とに決定できないとすれば、第三者の判定を待つということになるが、第三者の立場にある人間も、真っ暗闇のわけのわからぬ事態を引き受けることになるだろう。

それでは、どのような人間に正しい判断を頼めばよいのであろうか。お前と私との是非を誰か第三者に判定させようとしても、それは不可能で、もし判定させ ようとする第三者が、お前と同じ意見であれば、お前と同じ意見の人間なのだから、公正な判定ができるはずがない。私と同じ意見であれば、私と同じ意見の人 間なのだから、公正な判断ができるはずがない。

かといってまた、私とお前とのどちらとも意見を異にする人間に判定させれば、どちらとも意見を異にするから、やはり公正な判定ができるはずがない。逆に また、私とお前とのどちらとも意見を同じくする人間に判定させるとしても、これは私ともお前とも同じなのだから、やはり公正な判定ができるはずがない。

とするならば、私にも、お前にも、第三者にも、是非を判定することはできないのだ。これ以上誰に判定を期待することができようか

黮闇(タンアン)

まっくらやみ。 ここでは、解明しがたい難問題。

「黮」 ・・・ 「黒+(音符)甚(ふかい、ひどい)」

▼「舊邦の黮闇を望む」(楚辞・九歎)

⇒ [斉物論第二(34)]・[荘子:内篇の素読]