荘子:斉物論第二(19) 萬物與我為一(万物も我れと一たり)

荘子:斉物論第二(19) 萬物與我為一(万物も我れと一たり)

2008年12月01日 01時55分55秒 | 漢籍

荘子:斉物論第二(19)

天 下 莫 大 於 秋 豪 之 末 , 而 大 山 為 小 ; 莫 壽 於 殤 子 , 而 彭 祖 為 夭 。 天 地 與 我 並 生 , 而 萬 物 與 我 為 一 。

[荘子:「斉物論篇」もくじ]

天下に、秋豪(=秋毫 シュウゴウ)の末より大なるは莫(な)く、而して泰山も小なりと為す。殤子(ショウシ)より寿(ジュ)なるは莫(な)く、而して彭祖(ホウソ)も夭(ヨウ)と為す。天地も我れと並び生じて、万物も我れと一(いつ)たり。

道とは大小長短など一切の対立と矛盾を斉(ひと)しくする「天鈞(テンキン)」、すなわち絶対の一にほかならないから、そこでは極小もまた極大であり、瞬間もまた永遠である。

そこでは、常識が小さいものの極致とする、あの秋の動物の毛 ─ 秋の動物の毛は冬にそなえて細く密生するのであるが ─ その細い秋の動物の毛の先端ほど大きいものはなく、常識が大きなものの極致とする巨大な泰山(タイザン)ほど小さいものはないのである。

そこでは幼くして死んだ子供もこの上なく長寿であり、八百歳を生きたという彭祖(ホウソ)の長寿も短い命にすぎない。

悠久なる天地も一瞬の我が生命とひとしく、万物の多も我が存在と一つである。

道とは、このような、あらゆる時間がそこでは一つであり、あらゆる空間がそこでは同じである絶対の一にほかならない。

福永光司先生の 「荘子 ─ 中国古典選:朝日選書・朝日文庫」必読

秋豪(毫)

秋になって、生えかわった獣の細い毛。

「明足以察秋毫之末=明は以て秋毫の末を察するに足る」〔孟子・梁上〕

⇒ 転じて、こまかなもののたとえ。

■音

【ピンイン】[hao2]

【呉音】ゴウ 【漢音】コウ

【訓読み】つよい, すぐれる, おさ, かしら, やまあらし

■解字

会意兼形声。「豕+音符高(たかく目だつ)の略体」。

やまあらしの背の高く目だったこわい毛。

転じて、すぐれる、強いなどの意となる。

毫(ゴウ、長く荒い毛・たけの高い毛)、蒿(コウ、せの高いよし草)・稿(コウ、せの高い高粱の茎)と同系。

殤子(ショウシ)

「釈文、殤子、短命者也。或云、年十九以下為殤」(荘子集解)

「年十六より十九までに死するを長殤、十二より十五までを中殤、八歳より十一歳を下殤となす、七歳以下は無服の殤となし、生まれて三月ならざるは殤となさず」(喪服伝)

■音

【ピンイン】[shang1]

【呉音・漢音】ショウ

■解字

会意兼形声。「歹(死ぬ)+音符傷(当てられてきずつく)の略体」。

■意味

けがをして死ぬ。

▼「国殤(コクショウ)」とは、国のために死んだ人。また、その人の霊魂。

彭祖(ホウソ)

古代、伝説上の仙人。帝尭(ギョウ)の臣。殷(イン =商)の末までおよそ八百年生きたという。長寿の代表とされた。 ⇒ 逍遥遊篇(5)

⇒ [斉物論第二(20)]・[荘子:内篇の素読]