荘子:斉物論第二(1) 女聞地籟而未聞天籟夫

荘子:斉物論第二(1) 女聞地籟而未聞天籟夫

2008年09月25日 04時57分05秒 | 漢籍

荘子:斉物論第二(1)

南 郭 子 綦 隱 几 而 坐 , 仰 天 而 嘘 , 荅 焉 似 喪 其 耦 。 顏 成 子 游 立 侍 乎 前 , 曰 : 「 何 居 乎? 形 固 可 使 如 槁 木 , 而 心 固 可 使 如 死 灰 乎 ? 今 之 隱 几 者 , 非 昔 之 隱 几 者 也 ?」

子 綦 曰 :「偃 ,不 亦 善 乎 ,而 問 之 也! 今 者 吾 喪 我 ,汝 知 之 乎 ? 女 聞 人 籟 而 未 聞 地 籟 ,女 聞 地 籟 而 未 聞 天 籟 夫 ! 」

[荘子:「斉物論篇」もくじ]

南郭子綦(ナンカクシキ)、几(キ・つくえ)に隠(よ)りて坐(ザ)し、天を仰いで嘘(いき)つけり。 荅焉(トウエン)として其の耦(からだ)を喪(わす)るるに似たり。顔成子游(ガンセイシユウ)、前に立侍(リツジ)し、曰わく、何居(なん)ぞや、形 (からだ)は固(もと)より槁木(コウボク)のごとくならしむべく、心は固より死灰(シカイ)のごとくならしむべきか。今の几(つくえ)に隠(よ)る者 は、昔(さき)の几に隠(よ)る者に非(あら)ざるなり」と。

子綦曰わく、偃(エン)よ、亦(ま)た善からずや、而(なんじ)のこれを問えること。今者(いまは)、吾れ我れを喪(わす)れたり、汝(なんじ)これを 知れるか。汝は人籟(ジンライ)を聞くも、未(いま)だ地籟(チライ)を聞かざらん。汝は地籟を聞くも、未だ天籟(テンライ)をきかざらんかな」と。

南郭子綦(ナンカクシキ)が机にじっと隠(よ)りかかって、天を仰いでゆったりと大きく息をついた。うつろな心に身も世も忘れたかのようである。弟子の 顔成子游(ガンセイシユウ)がその前に立ってひかえていたが、質問してこう言った「いかがなされましたか、肉体はもちろん枯れ木のようにすることができる し、心はもちろん『死(つめた)き灰』 ─ 火の消え失せた灰のようにすることができるというのはこのことなのでしょうか。今日の机にもたれたお姿は、今までのお姿とは違って格別でございますが」 と。

子綦は答えた、「偃(エン)よ、よい質問だ。鋭い観察ができているよ。今の場合は、私は自分の存在を忘れたのだ。お前にはそれがわかるかな。お前は人籟 (ジンライ)を聞いているとしても、まだ地籟(チライ)を聞いたとはいえない、地籟を聞いたとしても、まだ天籟(テンライ)を聞いたことはないであろう」 と。

南郭子綦(ナンカクシキ)

「子綦」は人名。「南郭」は城郭(まち)の南はずれ、そこに住んでいたので南郭子綦と呼ばれる。南伯子綦(ナンパクシキ)とも南伯子葵(ナンパクシキ)とも記され、人間世篇、大宗師篇および雑篇の徐無鬼篇などにも見えている楚の哲人。

几■音【ピンイン】[ji1 / ji3]【呉音・漢音】【訓読み】つくえ、いく■解字 象形。足つきの四角い台を描いたもの。机(キ)の原字。■意味 (1)つくえ。また、物をのせる足つきの四角い台。《同義語》⇒机。 「茶几(チャキ・ちゃぶだい)」

「床几(ショウギ)」「几上」

「隠几而臥=几に隠りて臥せり」〔孟子・公下〕

(2)いく。いくつ。

▼幾(キ)に当てた用法。「几個(チイコ・いくつ)」

坐■音【ピンイン】[zuo4]【呉音】【漢音】

【訓読み】すわる、いながらにして、すずろに、そぞろに、おわします、おわす

■解字

会意。「人+人+土」で、人が地上にしりをつけることを示す。

すわって身たけを短くする意を含む。

▼のち、名詞的な意味をあらわすことばには座を用いたが、常用漢字では、動詞・名詞ともに座に統一した。

■意味

すわる。こしかける。ひざを曲げて席につく。「静坐(セイザ)」

「席不正、不坐=席正しからざれば、坐せず」〔論語・郷党〕

■音

【ピンイン】[da2]

【漢音】トウ(タフ) 【呉音】トウ(トフ)

【訓読み】あう、あわせる

■解字

会意。「艸+合」で、さやのあわさった豆。

■意味

(1)小粒の豆。あずき・緑豆など。

(2)こたえる。《同義語》⇒答。「報荅(ホウトウ)(=報答)」

(3)あう(あふ)。あわせる(あはす)。あう。あわせる。

◆「釈文、荅、解體貌。本又作?」(荘子集解)

■音

【ピンイン】[ou3]

【慣用音】グウ 【漢音】ゴウ 【呉音】

【訓読み】あう

■解字

会意兼形声。「耒(すき)+(音符)禺(グ・人に似たさる、似た相手)」。似た者二人が並んですきをとること。

■意味

(1)(グウす)二人並んで耕す。

「依依在耦耕=依依たるは耦耕に在り」〔陶潜・辛丑歳七月〕

(2)なかま。また、相手。《同義語》⇒偶。

「配耦(ハイグウ)」

(3)(グウす)あう(あふ)。むかいあう。また、二つが組になる。《同義語》⇒偶。

「耦語(グウゴ)」

「長沮桀溺耦而耕=長沮桀溺耦して而耕す」〔論語・微子〕

(4)二つにきれいに割れる数。偶数。《同義語》⇒偶。

◆「耦本亦作偶。兪云、偶當讀為寓、寄也。即下文所謂、吾喪吾也」(荘子集解)

◆『釈文』の司馬氏説は「わが身なり」という。後文の「吾れ我れを喪る」に当たる。

荅焉似喪其耦

福永光司先生は、の本来の意味にしたがって、「荅焉(トウエン)としてうつろなるさまは、其の耦(つま)に喪(し)にわかれたるが似(ごと)し」と読む。

■音

【ピンイン】[gao3]

【呉音・漢音】コウ

【訓読み】かれる

■解字

会意兼形声。「木+音符高(たかくかわいた)」で、かわいた木。

▼稿(かわいたわら)と同系。

■意味

(1)水分を失ってかたく、色もあせて白くなったかれ木。

「槁骨(コウコツ)」「折槁振落=槁を折き落を振るふ」〔淮南子・人間〕

(2)かれる(かる)。かわいている。ひからびたさま。水気がなくなる。《類義語》⇒?(コウ)。

(3)さらしてかわかす。

◆「槁木死灰」からだは、かれた木のように、心は、灰のように生気のないさま。

人籟・地籟・天籟(ジンライ・チライ・テンライ)

斉物論篇(2)を参照。