荘子:人間世第四(2) 德蕩乎名,知出乎爭

荘子:人間世第四(2) 德蕩乎名,知出乎爭

2010年07月23日 15時22分26秒 | 漢籍

荘子:人間世第四(2) 德蕩乎名,知出乎爭

仲尼曰:「譆,若殆往而刑耳!夫道不欲雜,雜則多,多則擾,擾則憂,憂而不救。古之至人,先諸己,而後諸人。所存於己者未定,何暇至於暴人之所行!且若亦知夫德之所蕩,而知之所為出乎哉?德蕩乎名,知出乎爭。名也者,相軋也;知也者,爭之器也。二者凶器,非所以盡行也。

[荘子:「人間世篇」もくじ]

仲尼曰(い)わく「譆(ああ),若(なんじ)殆(ほとんど)往(ゆ)きて刑せられん耳(のみ)!

夫(そ)れ道は雜(ザツ)なるを欲せず。雜ならば則(すなわ)ち多く,多ければ則ち擾(みだ)れ,擾るれば則ち憂(うれ)う。憂うれば而(すなわ)ち救えず。

古(いにしえ)の至人(シジン)は,先(ま)ず諸(これ)を己(おの)れに存して,而(しか)る後に諸を人に存す。己れに存する所の者, 未(いま)だ定まらず。何ぞ暴人(ボウジン)の行なう所に至るに暇(いとま)あらんや!

且(か)つ若も亦(また)夫(か)の徳の蕩(うしな)わるる所にして,知の出(い)ずるを為(な)す所を知るや? 徳は名に蕩(うしな)われ,知は争いより出(い)ず。名なる者は,相(あい)軋(きし)るなり。知なる者は,争いの器(うつわ)なり。二者は凶器にして, 行ないを尽くす所以(ゆえん)に非(あら)ざるなり。

これに対して、孔子(仲尼)は言った。

ああ、そんな調子で衛の国へ行ったら、お前は恐らく死刑にあうだけだ。

道は純粋なものだから雑(まじ)りけがあってはいけないもので、雑りけがあれば多様になり、多様であれば心が乱れ、心が乱れることは心を憂えさせることだ。自分の心に憂いがあるようでは他人を救うことはできない。

昔の至人(シジン)─ 道に達した人間・道と一体になった人間 は、まず自分が絶対者となって、しかるのちに他人を絶対者にすることを考えた。自分自身に道 ─ 絶対の境地 の確立されていない人間が、暴君の行為を救い正すことなどできるはずがない。

それだけではない、(お前は名誉心が旺盛で、己れの賢さを恃む心が強すぎる)お前はまた、絶対者の純粋無雑な徳が何によって失われ、人間の知が何によっ て生じてきたかをわきまえているか。絶対者の純粋無雑な徳は名にとらわれることによって失われ、人間の知は闘争によってはぐくまれてきた。名(名誉)は善 悪競いあう対立に成立し、知(知識)は互いに傷つけ陥れあう闘争の武器である。名にとらわれ、知を恃むところから人類のあらゆる不幸が始まる。名と知とは 人類がわれとわが身を斃(たお)す凶器なのだ。人間の行いを完成させるようなものではない。

成云、存立也。「存は立なり」・・・ (荘子集解)

相軋

諸本では「相」とあるが、『釈文』では「札」となっていて、それが原本であったらしい ─ (金谷治)

⇒ [人間世第四(3) 菑人者,人必反菑之]・[荘子:内篇の素読]