荘子:斉物論第二(21) 夫道未始有封

荘子:斉物論第二(21) 夫道未始有封

2008年12月09日 05時32分44秒 | 漢籍

荘子:斉物論第二(21)

夫 道 未 始 有 封 。 言 未 始 有 常 。 為 是 而 有 畛 也 。 請 言 其 畛 。 有 左 有 右 。 有 倫 有 義 。 有 分 有 辯 。 有 競 有 爭 。 此 之 謂 八 德 。

[荘子:「斉物論篇」もくじ]

夫(そ)れ道は、未だ始めより封(ホウ・くぎること)有らず、言は、未だ始めより常(つね・さだまれるなかみ)有らず。是(こ)れが為(ため)にして畛(シン・くぎらるること)あり。請(こ)う其の畛(シン・くぎり)を言わん。左あり右あり、倫(あげつらうこと)有り義(ギ・はかること)有り。分(ブン・わかつこと)有り辯(辨 ベン・さだむること)有り、競(キョウ・きそうこと)有り争(ソウ・あらそうこと)有り。此(こ)れを之(こ)れ八徳(ハットク)と謂う。

道とは、本来何の境界秩序もない渾沌であった。また道に対する言も、本来それだけでは何ら一定の内容をもたない純粋形式にしかすぎない。ところが、この 渾沌としての道が、言の内容として摂取される。実在が概念的認識の世界にもたらされると、そこに道の「畛」すなわち境界秩序が成立する。今、参考までにそ の境界秩序をあげてみよう。

まず成立するのは、右と左という秩序づけ、すなわち対偶の観念である。次に成立するのは論議すなわち両者に関する比較討論であり、次には、この両者の弁別と価値づけであり、次には、価値づけられたもの相互の対立と闘争である。

この「左と右」「論と議」「分と辯」「競と争」を八徳という。

※例によって、この一節も、全面的に福永光司先生の解釈に依って読ませていただきました。

是非とも、福永光司先生のご著書をご覧ください!

⇒ 参照:「荘子 ─ 中国古典選:朝日選書・朝日文庫」

(ホウ)

限界、境界。

■音

【ピンイン】[zhen3]

【呉音・漢音】シン

【訓読み】あぜ

■解字

会意兼形声。

右側の字(音シン)は、びっしりつめる意を含む。

畛はそれを音符とし、田を加えた字で、びっしり作物を植え田畑の間に残ったあぜ道。

■意味

田と田との境をなしている小道。

⇒ 転じて、ものごとの区画分別の意。

有倫有義

『釈文』によると、ある本では「有論有議」とあったという。

郭象は「倫」を「理」の意味に解する。

八徳

『老子』三十八章 ─ 道を失いて徳あり。「徳」=「得」。

八徳とは、人間が道に心知の分別を加えて得た八つのもの。

⇒ [斉物論第二(22)]・[荘子:内篇の素読]