荘子:斉物論第二(30) 萬物盡然,而以是相蘊

荘子:斉物論第二(30) 萬物盡然,而以是相蘊

2008年12月31日 21時25分07秒 | 漢籍

荘子:斉物論第二(30)

長梧子曰:「是黃帝之所聽熒也,而丘也何足以知之!且女亦大早計,見卵而求時夜,見彈而求鴞炙。予嘗為女妄言之,女以妄聽之。奚。旁日月,挾宇宙,為其合,置其滑涽,以隸相尊。眾人役役,聖人愚芚,參萬歳而一成純。萬物盡然,而以是相蘊」

[荘子:「斉物論篇」もくじ]

長梧子曰わく、「是(こ)れ黃帝(コ ウテイ)の聴いて熒(まど)いし所なり。而るを丘や何ぞ以て之を知るに足たん。且(か)つ女(なんじ)も亦(また)大(はなは)だ早計(ソウケイ)なり。 卵を見て時夜(ジヤ・ときをつぐる)を求め、弾(たま)を見て鴞炙(キョウシャ・やきとり)を求むるとは。予(わ)れ嘗(こころみ)に女(なんじ)の為 (ため)に之を妄言(モウゲン)せん。女(なんじ)、以て之を妄聴(モウチョウ)せよ。奚(いかん)。日月に旁(なら)び、宇宙を挾(わきばさ)み、其の合(フンゴウ)を為し、其の滑涽(コッコン)に置り、隸(いや)しきを以て相い尊ぶ。衆人は役役(エキエキ)たるも、聖人は愚芚(グドン)、萬歳に参じて、一(いつ)に純を成す。万物を尽(ことごと)く然(しか)りとして,而して是(こ)れを以て相い蘊(つつ)む」と。

すると長梧子は答えた。

「それは、あの人類最高の智者といわれる黃帝で さえ、その説明を聴いてとまどうほどの意味深長なことばだよ。まして(お前の先生の)孔子ごとき人物に理解できないのは無理もない。(彼は”未だ生を知ら ず、いずくんぞ死を知らんや”とうそぶく徹底した現実主義者だからね)、それにだよ、お前も早合点すぎるよ。その程度の説明で霊妙な道の実践だなどという のは、まだ鶏にもならぬ卵を見て暁を告げさせようとし、鳥を射つ弾(たま)を見て鴞炙(やきとり)を注文するようなものだ。

では、ひとつお前のためにでまかせを聞かせよう。お前もいいかげんに聞けばよかろう(絶対者の真の偉大さ、その真面目は言葉などでは説明し尽くせるもの ではないから、あくまで一つの便宜的な試みとしてだ。便宜的な試みということで真実のほどは保証できないから、お前もそのつもりで聞くがよい)。どうだ ね。

さて、、絶対者とは、その偉大な徳化は、あの万物を遍(あまね)く照らす太陽や月と輝きを同じうし、その偉大な包容力は、広大無辺な宇宙をも小脇に挟む ほどである。彼は道(実在そのもの)とぴったり一つになり、一切の分別知を捨てて、滑(みだ)れて?(くら)き”不明の明”を自己の智恵とし、己れを奴隷 の汚辱に置いて、賤しい者を尊い地位に置き価値の差別をなくし、すべての他人を尊び重んじてゆく。世俗の人間はいたずらに知を競い利を争って、馬車馬のよ うな人生を喘(あえ)いでいるが、しかし絶対者は、是非の分別を捨て、利害得失を一つと見なし、無心忘我の境地に安らかな自己を愉楽するから、その外貌は 全く愚鈍な人間のようである。彼は永劫の時間のなかに参入して時間そのものと一つとなり、その一つとなった境地で、ただひたすら自己の純粋性を全うする。 彼は一切存在の対立と矛盾の相(すがた)をその対立と矛盾のまま然りとして肯定し、道と一つとなった自己の境地に万物を包摂する。(絶対者はこういった境 地を自己の境地とする至高至大の人格なのだ)」

黄帝(コウテイ)

伝説上の帝王。文学・暦法・音楽・医薬などをはじめてつくった人とされる。のち、五行説で土・中央を支配する神とされた。

※原文は吻の口の部分が日。

吻合(フンゴウ)とは、上下のくちびるのように、ぴったりとあうこと。

⇒ [斉物論第二(31)]・[荘子:内篇の素読]