15:45~「主よ助けてください」これは大切なことですが彼らの自分勝手な思いから出てはいなかったかということを考えてみる必要があると思うんです。
沈むときはイエスさまと一緒なんですよ。なのに私を助けてくださいです。ここが問題ではないでしょうか。
マルコの福音書4章38節に「先生、わたくしたちが溺れて死にそうでも、なんとも思われないんですか」これが彼らの本音でした。
「イエスさまどうでもいい俺が溺れてしまったらどうすんのよ」と、こういうことを言ってるんですよ。
みなさんイエスさまに助けを求めるべきだこれは常識的にクリスチャン誰でも言います。でも、その思いのスタートがどっから出てますか。
「イエスさまの御心に従うところから出てますか」。「自分の思いから出てますか」ここが問題だと思います。
すなわちイエスさま神さまに対する信頼という心に欠けている。もうひとつ言うならば自己中心的な思いっていうのが見え隠れしてるってことです。
26:55~花巻のトルストイと言われた斎藤宗次郎さんという方が
福音教会 牧師室から 「花巻のトルストイ」http://pastorblog.fukuinchurch.org/?eid=5
斎藤宗次郎は岩手県花巻で小学校の教師をしていましたが、クリスチャンであるということで中傷を受け、ついに教師をやめなければならなくなります。(長女はヤソの子どもと呼ばれて腹をけられ、数日後に9歳で亡くなったそうです。)教師を辞めた斎藤は本屋を営みながら新聞配達をして生計をたてました。雨の日も、風の日も、雪の日も、朝三時に起きて新聞を配りに出かけました。配達の道すがら、神をたたえて賛美歌を歌い、またひざまずいて祈り、また病気の人を見舞い、困った人を助け、苦しんでいる人を慰めました。そのような宗次郎の姿に接し、町の人の心は次第に変化していきます。やがて宗次郎が花巻を離れ東京に移住する日には、町中の多くの人々が新聞配達員・斎藤宗次郎との別れを惜しみ、彼を見送るために駅に押しかけたということです。その中には、宗次郎と親交のあった宮沢賢治の姿もありました。(5年後、宮沢賢治が書いた『雨ニモマケズ』は斎藤宗次郎をモデルにしたと考える人もいます。)
(blogから転載致しました。大変わかりやすいので、お借りします)
雨ニモ負ケズ」のモデル?斉藤宗次朗 http://shl.holy.jp/text_gospel/saito_sojiro.html
2005年6月19日 NHK「こころの時代―“デクノボー”という生き方」http://www.ihatov.cc/blog/archives/2005/06/nhk.htm
「デクノボー」という生き方―宮沢賢治と斎藤宗次郎の交流―
東京プレヤーセンター365日お昼の礼拝 メッセンジャー:金野 正樹先生
(恵泉キリスト教会 小美玉チャペル 牧師)メッセージ題「向こう岸へ渡ろう」
聖書箇所:マタイ8:18~27