我、ここに立つ―ルターの祈りに学ぶ(再)10/17
石居正己 さん(ルーテル学院大学名誉教授、東京老人ホーム元理事長) #FEBC #ネットラジオ
#キリスト教放送局
29 姦淫してはならない―結婚
音声
10:25~自分がなんとか結婚したいと、結婚を夢見ていても別の召しがある。ということだってあるわけです。
結婚していない人が一人前じゃない。というように言うわけにはまいりません。ましてバイツイチ・バツニが勲章だっというふうにこう考えることはできません。
私たちは本当に尊敬すべく、そして必要な状態としての結婚。それを神さまが備えて下さるようにと願い求めて行かなければならないのです。
だからルターはこのような祈りを関連をして言っています「愛する神よ。ご覧ください。私はここで結婚の身分が、あなたが御造りになった御業であり、あなたに喜ばれる者であることを訊いています。
ですから私はあなたの御言葉に自分を委ねます。あなたがお望みになるように私の身に起こりますように、そうすればすべては私にとって喜ばしく快いものとなることでしょう」。
或いは「主なる神よ。あなたは私をひとりの男として造ってくださいました。どうかあなたの適切な配慮をもって私を助けてください。私のためにひとりの人を選んでください。私がその人と一緒に真面目に生活することができ、共にあなたに使え信仰と祈りをもって結婚生活の中で起こってくる様々な不幸や煩いに打ち勝つことができるような人を与えてください」。
でそれは、男の側に立っても女の側に立っても同じように大事な祈りの課題と言っても良いわけです。究極的には、神さまが望まれるように私の身に起こりますように、でもその為に、私の為にどうかひとりの人を選んでください。それによって本当に信仰と祈りを持って結婚生活を成して行くことが出来るような、そういう人を与えてください。
でそれは多くの人々にとって大事な祈りの課題である。そう言ってよいだろうと思います。神さまから賜った配偶者を心から愛し尊敬する。
でルターは、この自分の結婚の時にも自分の妻を情熱からではなくて、尊敬から愛する。と言うようなことを述べています。
でこれは例えば旧約の続編の中に「トビト記」というのがありますが、トビト記の8章に出てまいります。トビヤとサラの結婚に際しての祈りを思い起こさせるような言葉です。
トビヤとサラが結婚した時に、こういう祈りをしています「いま私は、この人を情欲に駆られてではなく御胸に従ってめとります。どうか私とこの人を哀れみ私たちが共に年老いて行くことが出来るようにしてください」。
私たちは唯単に一時的な、或いは移り変わって行く愛情ということを元にするのではなくて、神さまが定めて下さった結婚生活。そしてそれが生涯の関係であること、そのことを考えて、それに相応しい自らの備えと、それからまたそれに相応しい一人の相手が与えられるようにと祈り求めて行くことが必要なのであります。