バイブルトーク(2017年09月03日) マリンバの調べ/希望のことば(ヨハネの福音書)(6,851KB)
HCJB日本語放送 http://japanese.reachbeyond.jp/
音声
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17:45~弟子たちが自分の職業を振り捨て、イエスを主と仰いで3年間、危機を供にしてすべてを任せて従ってきた主が、最後の晩餐で「自分は去る」と言われたのです。
弟子たちの心が騒いだのも無理がありません。この弟子たちの心の動きをよくご存知のイエスは、弟子たちにこう言われました「あなた方は、心を騒がしてはなりません。神を信じまた、私を信じなさい。心騒ぐときになすべきことは、ただひとつです。神を信頼してしっかりと踏みとどまることなのです」。
私たちには確認出来ないものや、また、理解を越えたものを受け入れなければならない時がやってきます。たとえ人生が、もっとも暗く感じられるときでも、長いトンネルの彼方には、なお一条の光があることを忘れてはなりません。それが神の愛なのです。
私たちを創り愛し育てておられる神は、私たちがどんな逆境のときにも、じっと耐えることを願っておられます「私を信じなさい。私もあなたがじっと耐えてくれることを信じて、どんなに人生が暗いと思われるときでも、明るいところで信じたことを暗がりで捨ててはいけない。むしろ暗い中にあってこそ光を信じ、光を待ち望むのだ」。
イエスは弟子たちに、こう諭されたのです
「さて他の人が走り出したときに、あなたは歩くことが出来ますか。
他の人が怒鳴っているときに、あなたは静かにささやくことが出来ますか。
他の人が落ち着かないとき、あなたは安らかに眠れますか。
他の人が怒り狂っているとき、あなたは、微笑みを讃えられますか。
他の人が怠けているとき、あなたはひとりで働けますか。
他の人がせっかちになっているとき、あなたは一歩後退出来ますか。
他の人に疑いの目で見られているとき、あなたはひざまずいて祈れますか。
他の人が混乱しているとき、あなたは考え深く行動できるでしょうか」。
人生の嵐の中で心の平静を保つことが出来るのは信仰による以外にはありません。これは決してやさしいことではありませんが、神を信じイエスを信じるときに少なくともそれは可能になるのです。
続いて心騒ぐ弟子たちにイエスは「私の父の家には住まいがたくさんあります」と言われました。父の家というのは天国を意味しています。その天国に住まいがあるというのですが、この住まいという言葉には、3つの考え方があります。
まずユダヤ人は、人は地上に置ける世に行われる良い行いによって天ではそれぞれ異なった祝福を受けると考えていました。善には善が、悪には悪が用意されていて、広い天国の宮殿に多くの部屋があって人はおのおの、その生涯に相応しい部屋を割り当てられるというのです。
次にギリシャ人は、天にある住まいを足場という意味に取っていました。つまり最終的な天国に行くまでに様々な段階を得るので、その様々の足場のことを住まいと呼んでいたのです。
もうひとつの考え方は、そのまま私の父の家には住まいがたくさんあると考えることで、地上では宿屋
が超満員になると誰も泊れなくなりますが、父の家ではそうではない、天は神の心のように広いので、そこにはすべての人のために部屋があると言うのです。
しかしこれは、ただ単にイエスの口約束的なものではありませんでした。イエスはただ口先だけの約束で人々を買収するような指導者ではなかったのです。
例えて言えば、山登りに行って一番先に頂上を踏破した後で、山を下って遅れているパーティーに、頂上のことを話すようなものです
「私が行ってあなた方に場所を備えたら、また来て、あなた方を私の元に迎えます」とイエスは言われました。
イエスは私たちを導く先達、または、先駆けなのです。・・・他の者を安全に導くために最初に進む、イエスがしたのは、そのことでした。
イエスは、私たちが後について行けるように天国と神に至る道しるべとなられたのです。