2017/8/6 聖日礼拝・・「はるか先の恵み」歴代誌第一17章12~17節
・古田大展 牧師 一麦教会 http://www.ichibaku.org/index
礼拝メッセージ 音声
http://ichibaku.org/pub/20170806mp3.mp3
13:20~もしキリスト教会のスーパースターになりたいと思っておられるのであれば、あきらめてください。わたくしたちは物乞いです。受け取るしかないのであります。
彼は知っていました。自分がどこから救われたのかを覚えていたのであります。ダビデは羊飼いの少年でした。それも数に入らない一番最後に呼ばれる少年だったのであります。
それが今、ダビデは王として預言者ナタンの前に立ちます。このダビデは、その過去を忘れていません。
16節ダビデ王は行って主の前に座し言った。「神。主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたは、ここまで私を導いてくださったのですか。神よ。この私はあなたの御目(おんめ)には取るに足りない者でしたのに」と、こう祈るのであります。
はじめの愛を覚えている人でした。泥に汚れ、日焼けをし、カサカサの乾燥した肌と、そしてめくれた皮膚と、そして動物たちと戦ったり担いだりする中で得た多くの傷あとと、そして羊のフンにまみれた、この彼が、その汚れた頭の上に聖なる油を注がれた日のことを彼は覚えているのであります。
決して自分はもともと、この恵みを受けるにふさわしい血筋のふさわしい人間だったなどということは、彼は思わないのであります。
あなたは、はじめの愛を覚えているでしょうか。まさか、今あるは主の恵みと謳いながら、まさか、今のあなたの姿が、あなたが稼いだものだと思っていないでしょうか。これを受けるべきだったのだ。と、まさか、勘違いしていないでしょうか、神は、あなたのことを愛して、その恵みを注いでくださったのであります。ダビデは物乞いの手を忘れていませんでした。
24:37~めぐみというのは、ある牧師先生が言う。「そうだよ」と言ってくださる神の言葉を聞くことなんだと、おっしゃったことがあります。神さまの方がしてくださる。
「主よ。あなたは私を愛してくださるのですか」「そうだよ」と主はお答えになるのであります。
「主よ。あなたは私を赦してくださるのですか」「そうだよ」と言ってくださるのであります。
「主よ。あなたは私を受け入れてくださるのですか」「そうだよ」と主の声は響くのであります。
「主よ。あなたは私が良く変わるのことが出来る為に助けてくださるのですか」「そうだよ」と
「主よ。私があなたに御使えする為の力を奉仕をする為の元気を与えてくださるのですか」「そうだよ」と主はお答えになるのであります。
「主よ。私を守ってくださいますか」
「主よ。私を用いてあなたの栄光をあらわしてくださいますか」「そうするよ」そうだよと言ってくださるのであります。
33:50~眉をしかめる必要もなければ、悔しい顔・苦しい顔もする必要がないのであります。主がすべてを、あなたの為にお支払いになり、そしてこれから遥か先にいたるまで、あなたのことを恵もうと待っておられるからであります。
あなたが創るのではないのです。将来の恵みは、
あなたが創るのではないのであります。これから先、あなたの行いは。それはキリスト・イエスにあって神が、良い行いをも、あらかじめ備えてくださっているからであります。
あなたが創るのではないのです。あなたの人生は。
あなたが創るのではないのであります。あなたの救いの完成も。
あなたが創るのではないのです。将来の祝福も清い行いも。
あなたの努力や行いを土台にして、それらを材料に創って行くのではないのです。
悪魔は言います「あなたの将来を創るのは、あなただ。でも、少し足りなくないか。この石をパンに変えたらどうだ」
しかし本当は、神の口からいただくもので私たちの将来は出来ている筈なのに悪魔は言うのであります「自分で将来を創るんだ」と、
それで私たちは騙されますと「ああーそういうもんかなぁ~」と騙されますと、
将来大きな不安と後悔にさいなまれるんです。
自分の力でやりますから、そして自分の力はいつも足りません。それで私たちは思うんです。
「私たちの生涯がこんなに上手く行かないのは、私たちの努力が足りなかったからだと」でもそうじゃない。
神があなたを恵んでおられますし、これからも恵んでくださるのであります。お返しすることさえ出来ない巨大な恵みが、あなたを待っています。それはこの地上にあってもそうですが......それは終わらない恵みです。
大変素晴らしい、礼拝メッセージを、ありがとうございます。