高度経済成長期,どこの家にもネスレのネスカフェと森永クリープが並んでいたような気がします。インスタントコーヒーにクリーミングパウダーと砂糖をたっぷり入れて飲むスタイルからスタートした日本の家庭内のコーヒー需要は,「おいしさ」「手軽さ」「価格の安さ」を求めて多様化していきます。第二波は,そこへエスプレッソマシンやらプレミックスのインスタント・カフェラテなんかを持ち込みました。そして第三波は,シングルオリジンの豆を選んで自分でドリップを極める人,自分で生豆を焙煎して飲む人を生み出しました。
日本の家庭内にコーヒーを普及させたのは,なんといってもインスタントコーヒーでしょう。むしろ「ネスカフェ」と言った方がよいかも。米国で1930年代に登場したと言われていますが,米国のコーヒー消費量に統計として現れるのは1951年から。当時米国のコーヒー豆の消費量が年間一人当たり生豆換算で17.4ポンド,約7.9kg。このうち,インスタントコーヒーが0.7ポンド,300グラムほどでした。(2015年は,10.2ポンドのうち1.7ポンド,770グラムぐらい)
日本にネスカフェが入ってきたのは1950年ごろですが,国産が始まったのは1966年なのだそうです。(ネスレ日本の歩み)スプレードライ法のこの黒い粉は,そのまま飲む人は少なく,砂糖とミルクをたっぷり入れて飲むものでした。ミルクも牛乳ではなく,クリーミングパウダー。「森永クリープ」と言った方が早いか。「クリープを入れないコーヒーなんて」というCMもありました。1953年には生クリームのパウダー化に成功していましたが,まだ日本では家でコーヒーを飲む人がほとんどいない時代でした。(森永乳業「クリープの歴史」)なんと森永は,ネスカフェに先駆けた1960年に国産インスタントコーヒーを完成させています。「発売直後から大ブームを巻き起こした」そうですが,私は全然知りませんでした,すみません。(モリナガデジタルミュージアム)
いずれにせよ1970年代,どの家庭にもネスカフェとクリープが並んでいるという不思議な光景が当たり前の時代でした。高度経済成長期,日本の食卓が洋風化し,茶菓子もせんべいやようかん,まんじゅうだけでなく,ケーキやチョコレート菓子なども普及し,それに合った飲み物として,インスタントコーヒーが家庭の中に浸透していったように思います。
その後,インスタントコーヒーは,フリーズドライ法が取り入れられ高品質化が図られます。「違いの分かる」なんていうCMもありました。
それでもやはり豆を挽いて淹れるレギュラーコーヒーには勝てないわけで,コーヒー好きを中心に,徐々にですが家庭にもレギュラーコーヒーが浸透していきます。当初は,コーヒー専門店で豆を買って,お店で挽いてもらったり,家のコーヒーミルで挽いて,ドリップして飲んでいたわけです。しかし,淹れるのも手間だし,買うのも手間な訳です。近くにコーヒー専門店がある人はいいですが,当時はAmazonも楽天ないわけでして。
そうなると当然メーカーもほっとくはずはないわけで,大手メーカーがスーパーマーケットで購入できるようなパッケージ商品を売り出すようになります。例えば,米国ゼネラルフーズと味の素の合弁会社としてスタートした味の素AGFは,1978年に家庭用レギュラーコーヒーに商品を投入しています。1985年には「マキシム」,1989年には「ブレンディ」のブランドで販売を開始しています。(味の素AGF「商品の歩み」)粉でも豆でもスーパーのパッケージ商品として置かれるようになり,レギュラーコーヒーを淹れる家庭も普通になってきました。(ちなみに,米国ではスーパーでコーヒーを買うことが普通のようです。日本のスーパーの白物四品(食パン,牛乳,卵,豆腐)のように,お店全体の売り上げを伸ばすために損をしてでも売っているとか。Ponte, S. (2002))
さらに,淹れるのも片付けるのも面倒という人には,ドリップパックに入って一杯ずつ淹れることができる簡易抽出型もいろいろなメーカーから販売されています。
インスタントコーヒーというのは,おいしさにはやや目をつぶり,手軽さを追求した結果です。レギュラーコーヒーは,手軽さをあきらめておいしさをとっています。レギュラーコーヒーにしても,焙煎したてのいい豆を買うのをあきらめてスーパーでパッケージ商品を買えば,もう少し手軽さは手に入ります。
インスタントコーヒーの手軽さはそのままで,少しでもおいしいものをとフリーズドライのインスタントコーヒーを買うと,スプレードライのものより少しお金がややかかります。便利なコーヒーメーカーを買うと,それはそれで楽かもしれませんが,そのぶんお金がかかります。場所もとりますね。
要はおいしいコーヒーを,手軽に安く飲みたいわけです。おいしさと手軽さとのトレードオフと価格の制約の下,インスタントコーヒーにはもっとおいしくといったプレッシャーが,レギュラーコーヒーには常にもっと手軽にという要求が常にかけられ,商品も多様化していった気がします。
日本のコーヒーの飲用状況について全日本コーヒー協会の標本調査があります。1983年,日本では1週間あたりインスタントコーヒーを5.0杯,レギュラーコーヒーを2.50杯飲んでいます。ただし,この場合,レギュラーコーヒーは家庭以外で飲んだものも含みます。同年,家庭で5.10杯のコーヒーを飲んでいます。インスタントコーヒーを飲むのは家庭か職場でしょうから,この年家庭で飲んだコーヒーのほとんどがインスタントコーヒーと言っていいでしょう。それが1990年には,インスタント5.01杯,家庭で5.62杯と,家庭での消費量がインスタントコーヒーの消費量を上回ります。缶コーヒー,リッキドコーヒーも含まれるでしょうが,家庭でのレギュラーコーヒーの普及があったのだと思われます。さらに2000年には,インスタントが4.84杯,家庭で6.49杯と,その差が拡大していきます。
2000年代に入ると,家飲みのコーヒーにも第二波の影響が。エスプレッソメーカーが家庭にも入っていきます。手軽なものでは,イタリアで使われている直火式エスプレッソメーカー(マキネッタ)。安いのだと2千円とか3千円とかで買えるもので,イタリアでは各家庭に1台はあるのだとか。家のコンロでエスプレッソコーヒーを淹れて,スチームミルクやミルクフォーム(泡)を足せばカフェラテ,あるいはカプチーノの出来上がりです。ミルクフォームをつくる機器も百均で売られていたりして,びっくりです。
数万円する家庭用エスプレッソマシーンも売れるようになりました。ドリップコーヒーが家庭に浸透し,ドリップ式のコーヒーメーカーを利用する家庭も増えていたようですが,その一方で,エスプレッソマシーンの売り上げが伸びていきます。エスプレッソは,気圧をかけて急速に抽出することで,深煎りしたロブスタ種でも苦みを抑えてコクのあるコーヒーとなります。ロブスタ種はドリップすると苦くておいしくないそうなのですが,エスプレッソだとおいしく淹れられるのだそうです。クレマと呼ばれる独特のきめ細かな泡も得られます。ただし,この気圧,マキネッタだと,底で沸かした蒸気のみで,高々2気圧程度です。一方,エスプレッソマシーンは家庭用でも9気圧ぐらいかけてきます。クレマもきれいにできます。おまけに横っちょにスチームミルクをつくる装置もついていたりします。おうちラテです。(GfKジャパン調べでは,2011年以降のデータしかあげられていませんが,2015年段階で年間240万台の販売台数。ドリップ式が縮小し,エスプレッソマシンが増加。しかも高価な全自動式が人気という調査結果があります。)
インスタントコーヒーにも第二波が。プレミックスと呼ばれるインスタントコーヒーと砂糖とクリーミングパウダーを予め混ぜた商品で,「カフェラテ」「カプチーノ」と名乗る商品が次々に出されます。(コーヒー焙煎の用語でもプレミックスとありますが,これとは全く別です。)その多くはスティック状の袋に1杯分ずつ個包装され,お湯を注げばすぐに飲めます。おそらく1992年のネスカフェ カプチーノが最初で(たぶん?),2000年代に入って各社から出されます。カフェラテだけでなく,抹茶ラテとか,ショコラ・ラテとか,いろいろ種類が増えていったのは,外食のラテブームと同じです。日持ちするし,バラエティもあるし,贈答用としても重宝されてきました。
さらに,最近の動きとして注目されるのが,インスタントコーヒーを軸にコーヒー事業を展開するネスレです。ネスレは,コーヒーマシンにカプセルをセットして一杯ずつ淹れられるエスプレッソ(?)コーヒーを販売してきましたが,2012年にはオフィスへの浸透を狙って「ネスカフェ アンバサダー」という売り方を考えます。オフィスの1人が「アンバサダー」になって,コーヒーカプセルを定期的に購入すると,2万円以上するマシンがタダで貸し出されます。これだとオフィスの人はコンビニまで行かなくてもコーヒーが飲めます。しかも一杯50円程度で,コンビニよりも安く。フリーズドドライのインスタントコーヒーも淹れられる別のマシンのタイプもあって,こちらは1杯20円程度のようです。「アンバサダー」の応募者は2019年に45万人(たぶん日本だけで?)に達したとか(ネスレ日本広報資料)。売上の数字は見つけられませんでしたが,「アンバサダー」になるには最低でもひと月1000円は必要なことを考えると,単純に計算して54億円以上の市場規模ということなります。オフィス需要はどちらかというと中食かもしれませんが,ネスレは,家庭向けのマシン無料貸し出しも始めたようです。さらにネスレは,2018年に米国スターバックスから店外商品の販売権を取得し,自社サイトでコーヒー豆やコーヒーカプセルの販売をしはじめました。
外食需要の第三波は,シングルオリジンの豆を自家焙煎して一杯ずつドリップして提供することが売りでした。「ブルーボトルコーヒーの味」ではなくて,ブルーボトルがシングルオリジンの豆を,その豆の個性を活かしてどう焙煎をするか,どんな淹れ方をするかを楽しみます。お店に街の居場所や店の雰囲気を求めているわけではありません。そうなると,それは別にお店に行って味わう必要はありません。当然,自分でいろいろな個性の豆を自宅で淹れたいという人が出てきます。
シングルオリジンを売りにしているお店は,ドリップしたコーヒーと同時に自家焙煎した豆も売りだしています。同じグアテマラ・ウェウェテナンゴSHBの豆であったとしても,それを浅煎りで提供するか,中深煎りにするか,それとも深煎りにするか,焙煎所ごとに考え方があります。加熱の速度をどうするかもそれぞれ違います。消費者は,それぞれ個性のある豆の中から自分のお気に入りの豆を探し,選んで,そのよさを最高に引き出すドリップを考えることができます。
お店に行くと目の前でドリップしてくれているし,とにかく使っている機器が,何十万円もするようなエスプレッソマシンではなくて,コーヒーフィルターと量り(コーヒースケールと言うらしい)とヤカン(ドリップポットと言うらしい)ぐらいです。自分でも真似できそうな気もします。ちょっとやってみようか...的に始められます。自宅ブリュワー(※)です。
さらにマニアになると,焙煎まで手を伸ばしてみたくなります。ネット通販を利用すると,あらゆるシングルオリジンの豆が入手できます。しかも焙煎済みの豆よりもはるかに安い。さすがに焙煎機は買えないけれど,直火焙煎の他,フライパンや土鍋でも焙煎できます(土鍋焙煎奮闘記を参照)。コーヒーの味は焙煎してから4日とか1週間とか後からおいしくなり,20日ぐらい過ぎるともうダメとか言われます。鮮度があるわけです。自分で焙煎するならこれもちゃんとコントロールできます。ひとつ自分で豆を焙煎してみるか...,自宅ロースター(※)の誕生です。
消費者がコーヒーの内食に求める「おいしさ」「手軽さ」「安さ」のうち,「手軽さ」求めない,というか究極にめんどくさいけど「おいしさ」,しかも「安さ」が追及できます。さらには,豆の種類から性質,焙煎による味の違いなど,コーヒーの知識を得ることができます。マーケティングで流行の「経験価値」(バーンド・H・シュミット)がたっぷりです。彼らにとって第三波のお店は,もはや消費する場ではなく「先生」です。ロースタリーカフェでドリップしている店主に,豆や焙煎やドリップについてあーのこーのと問い詰めているお客さんのなんと多いことか。
そのうち自宅ロースター用に「手軽さ」を提供する家庭用焙煎機が出てくるでしょう。すでに,ガスや電動でいくつかあるようではあるのですが,まだ使い勝手や焙煎のクオリティなどで実用的とはいえないようです(使ったことないけど)。大手家電メーカーが10万円越えの家庭用焙煎機を製造・販売していましたが,この4月で販売終了するようです。(ちょっと高いですよね)。
▼(※)「自宅ブリューワー」「自宅ロースター」の用語について
「自宅ブリュワー」「自宅ロースター」というのは,私が勝手に考えた造語です。意外とこれに適当な用語が無いんですね。中根(2008)では,自宅ロースターのことを OWN ROASTER と呼んでいます。自分のために焙煎する人なので,それはそれで適切な呼び方かもしれません。ただし,直訳すると「自分で所有している焙煎機」となってしまう気もします。また,それでググっても他にそう呼んでいる人が見当たらないので,どうもちょっと違うかもしれません。Roaster at home という言い方は一部ありました。これだと「家庭用焙煎機」という意味でも使われてしまいますが,「Roaster」が焙煎する人にも焙煎機にも使われるので,それはそれで仕方ないかも…ということで,「自宅ロースター」あるいは「自宅焙煎士」あたりでよいのでは。そうなると,自分の家でドリップをしている人をなんて呼ぶか...です。そもそも,(日本の純喫茶は除いて)ドリップの技術を競うなんて文化が海外にはないのでは。バリスタというのはありますが,これはイタリアのラテ文化からきているので,これもちょっと違うかもしれません。そうなると「自宅ブリュワー」。ネルドリップとかまで含めると,「自宅ハンドドリッパー」ということになるかもですね。
中根光敏. (2009). ブランド化するコーヒー. 広島修大論集, 49(2), 51-78.