コーヒー豆の供給動向

コーヒー豆の輸出量の大半は,ブラジルとベトナムによるものです。第一次コーヒー危機で各国の生産意欲が減退したところに,1995年のブラジルの霜害による減産が響き価格が高騰しました。その価格高騰がベトナムの生産を刺激し,ベトナムの輸出が急増しました。ブラジルの輸出の回復とベトナムの輸出増は第二次コーヒー危機を招きました。ベトナムの増産は止まり輸出量も横ばいに。他のコーヒー輸出国の地政学的問題もあり,しばらくは輸出量の停滞が続きましたが,需要の増加で価格が高騰すると,ブラジル,ベトナムをはじめ各国の輸出量は増加しました。

コーヒー豆の輸出量とICO指標価格

ブラジルとベトナムが主要輸出国

コーヒーの生豆の輸出は、現在、ブラジルベトナムがその大半を占めています。2018年のブラジルのシェアは29%、ベトナムが23%、この2国で52%です。昔は、コーヒーと言えば、ブラジル、コロンビアということでしたが、1990年代後半ごろからベトナムが輸出量を拡大していきました。

コーヒー豆の輸出量の国別増減

単位:1000x60kg、データ:ICO

1995年の価格高騰は世界的な供給減

1995年の価格高騰は、直接的にはブラジルの霜害が原因だったのですが、1990年からの輸出量の変動を見ると、コロンビア、インドネシア、コートジボアール、カメルーン等、世界的な供給減がベースにあったと思われます。おそらく第一次コーヒー危機による生産意欲減退があったのではないでしょうか。

2001年ごろの第二次コーヒー危機はブラジルとベトナムの供給増による

1955-2001年の輸出量の増大は、そのほとんどがブラジルとベトナムによるものです。第2次コーヒー危機は、2001年にかけてブラジルとベトナムの輸出量増大が主な理由だということです。ブラジルは、霜害からの回復と同時に、セラードでの新産地の開拓と日向・密植栽培による大規模低コスト生産が本格化します。

▼セラードとは?

セラードとは,ブラジル中央部に広がる広大な熱帯サバンナ地帯で,古代の植生を残す生物多様性の宝庫です。土壌は水はけの良い酸性で,カルシウムとマグネシウムが少ない土です。オキシソルというのだそうです。この土壌に含まれる鉄や酸化アルミニウムがリンを固定してしまうので,そのままで農業を行うのは難しく,伝統的には小規模な放牧畜産が行われていたに過ぎなかったようです。しかし,ここに石灰と肥料を投入すると農業ができることがわかります。セラードは大豆の世界的な供給基地となっていきます。

1990年代に入って,ICAによる輸出割当が崩壊すると,ブラジル政府は,それまで行っていた栽培と販売の規制を緩和・撤廃していきます。セラードが新たなコーヒー産地として開発されるようになります。コーヒーというのは,もともと強い日差しが苦手で,日陰で栽培されますが,セラードのコーヒー栽培は,日向の密植の低木栽培です。これにより作業の機械化も可能で,コーヒーの生産性を飛躍的に向上させました。Minas Gerais州を中心にセラードでのコーヒーの栽培が拡大していきます。

※セラードでのコーヒー栽培の様子はShutterstockなどで。

2011年ごろまでベトナムの輸出増が鈍化

第二次コーヒー危機のせいでしょうか、ベトナムの輸出量の増加が鈍化します。ベトナムは、1995年ごろの価格高騰に刺激され、政府の支援もあり、生産面積が急拡大しました。しかし、2001年を底とする第二次コーヒー危機を迎えると、生産面積の拡大はピタリと止まり、そのまま2009年ごろまで続いたようです。

同時に、ロブスタ系産地のコートジボアール、インドネシアの輸出量の減少もありました。

アラビカ種産地のコロンビアは、2000年に入っても輸出量の減少が続きます。この国は最近まで内戦が続きましたが、それも関連があるのでしょうか。

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2011年の価格高騰で再び輸出量拡大へ

しかし、2006年ごろから世界的にコーヒー需要は拡大を始めたので、2011年に価格が高騰します。するとベトナムの輸出量は再び拡大します。ブラジルも拡大を続けます。これにさらにコロンビアの輸出が復活し、中米のホンジュラスの台頭もありました。

中米のコーヒーの産地と言えばグアテマラなんですが、輸出量はむしろ減少傾向にあります。ホンジュラス、2000年にはグアテマラの半分程度の輸出量でしたが、最近はグアテマラの2倍ぐらいの輸出量となっています。ホンジュラスは、1980年代からコーヒーの振興を続けてきましたが、ハリケーンやコーヒー危機などもあり、現在はスペシャルティコーヒーへ力を入れているようです。

インドネシア、コートジボアールといったロブスタ系産地も輸出が拡大しました。

ホンジュラスについて

▼ちょっと詳しく

コーヒ拡大の経緯

ホンジュラスは、もともとバナナの産地でしたが、2000年初頭にはコーヒーもバナナに次ぐ輸出産業となりました。もともと、ホンジュラスのコーヒーは高品質ではなく、他の中南米の産地が自分たちのロットを水増しするために買い取っていたようです。

1998年に超大型(カテゴリー5)のハリケーン・ミッチが中米各国に甚大な被害をもたらしました。ホンジュラスを中心に19,000人が亡くなりました。コーヒーも壊滅的な被害を受け、コーヒーノキの80%が破壊されたようです。

ホンジュラス政府は、この頃からコーヒーの輸出に新しい税を導入しました。税収入は、コーヒー産業の育成に利用され、コーヒーノキを栽培した農家には税制上の優遇措置が与えられました。

量だけではなく質的向上も図られました。2000年には、Instituto Hondureño del Café (IHCAFE) が設立され、ホンジュラスのコーヒーのマーケティング、栽培指導、担い手育成、農園設立・整備の支援、融資などを行いました。

ホンジュラスのコーヒー豆

ホンジュラスのコーヒー豆は、以前はそれほど評価が高くなく、主にブレンド用に使われていたそうですが、現在はかなり品質が向上しているようです。アラビカ種(ブルボン、カトゥーラ、ティピカ、カトゥアイ、パカス)が主体で、フルボディで甘くて柔らかいプロファイルを持っているそうです。全体的には、バランスが取れていて甘く、バニラを思わせるフレバーが特徴だそうですが、ホンジュラスは気候や土壌が多様なため、コーヒーもいろいろだそうです。あえて特徴をあげると多様性と表現されることもあります。

主な栽培地域地域

  • Copan — バランスの取れたボディで、フレバーノートは、チョコレート、柑橘類、キャラメル、質感はクリーミー。

  • Opalaca — バランスの取れたボディで、ブーケ(第3アロマ)はフルーツ系が支配的。

  • Montecillos — 甘いフルーティーなアロマで、独特の酸味。フレバーノートはピーチ、アプリコット、オレンジ。

  • Comayagua — Montecillos に似ていて、酸味とフルーティーなアロマが特徴。質感はビロードのようで、フレバーノートは、ピーチ、マンゴー、ジャスミン、アプリコット、ライム、ハチミツ、ブラックカラント、メロン、グアバ、ハイビスカス、ラズベリー、白ブドウ、ミントなどで、複雑なブーケ。

  • Agalta — 際立った酸味と甘い仕上がりが特徴。ブーケにはフルーティーでキャラメルの香りがある。フレバーノートは、チョコレートキャラメル、甘い後味。

  • El Paraiso — バランスの取れた甘い柑橘系のフレーバーとアロマ、独特の酸味、柔らかなボディ。ブーケは青リンゴ、ジャスミン、桃、白ワインのトーン


出典:URBAB BEAN COFFEE