日本のコーヒーの需要は,現在「第三波」と呼ばれる拡大期にある。
戦後コーヒーの輸入が再開すると,日本のコーヒー需要は拡大した。特に省は1960~1970年代の拡大は著しかった。喫茶店,缶コーヒー,インスタントコーヒーで,日本にコーヒーの消費文化が浸透した。
これを「第一波」とし,「第二波」は1996年のスターバックスの上陸に象徴されるカフェブームである。1991年バブル崩壊後,喫茶店の閉店が増加するなど,停滞していたコーヒー需要は1997年ごろから再拡大する。エスプレッソをベースとしたカフェラテやカプチーノが日本にも浸透し,カフェスタイルの店舗が急増した。チルドカップやプレミックス・インスタントコーヒーが登場し店外でも,気軽にエスプレッソベースのコーヒー飲料が飲めるようになった。数千円のマキネッタと呼ばれる直火式エスプレッソメーカーや数万円の家庭用エスプレッソマシーンも普及した。
2013年コンビニエンスストア大手のセブンイレブンが店舗内で抽出するコーヒーの販売を始めると,日本のコーヒー需要は三度めの拡大期を迎えた。2015年,米国からブルーボトルコーヒーが上陸した。米国で流行のミニマリズム,Unfinishedの流行を受けた質素で明るい店舗において,日本の喫茶店に学んだという自家焙煎した豆を熟練のバリスタが一杯ずつドリップしてお客さんに提供するスタイルが若者に受けた。世界中から直接買い付けた豆を,産地と品種の個性を活かして焙煎し,最もおいしく味わえる期間(ピークフレバー期間)に提供するというこだわりが売りだった。その焙煎は,日本の喫茶店が深煎りを基本とし,コクと甘味を引き出そうとするのに対し,浅煎りで酸味とフルーティーさが強調された。第二派を率いたスターバックスがブレンドコーヒーで店の味を出そうとしたのに対し,ブルーボトルコーヒーは豆の各種の産地・品種の個性や品質の高さを引き出す焙煎と抽出を行った。いわゆるシングルオリジンコーヒーである。近年は,こうしたシングルオリジンのコーヒーを自家焙煎し,一杯ずつドリップで提供する店舗が急拡大し,現在も拡大を続けている。
日本のコーヒー需要は現在第三波と呼ばれる拡大期にある。第三波的需要の動向を調査した資料等はない。しかしながら,重厚な調度品も居心地のよいソファーも,きらびやかな店内装飾もない,駐車場の片隅のスタンドや昔のたばこやの居ぬきの店で若者が1杯千円近くするコーヒーを求め,立ったまま味わっている風景をいたるところで目にするようになった。そこで求められるのは品質の高い個性的なコーヒーである。
第三波においてようやくコーヒーそのものが消費の中核価値を獲得した感がある。コーヒーの外食需要の第一波は喫茶店が主役だった。やや乱暴な位置づけを行うとすれば,喫茶店の中核価値は街の居場所であり,コーヒーは付随的価値に近かった。第二波のカフェ文化の普及に至っては,居心地や「映え」と呼ばれる珍奇さが求められた。第三波ではコーヒーそのものが求められている。
スペシャルティコーヒーは,コーヒー需要が停滞していた1980年代に米国で始まった。1982年にアメリカで,コーヒー豆の品質基準を設定するための共通のフォーラムとして米国スペシャルティコーヒー協会 (Specialty Coffee Association of America, SCAA) が設立される。1998年には,ヨーロッパでもスペシャルティコーヒー協会 (SCAE) が設立され,2017年にはSCAAと統合され,SCA(スペシャルティコーヒー協会)となった。SCAはSCAA時代から,高品質のコーヒーの商取引を促進するために,コーヒーの品質の評価方法と共通表現の開発を続けてきた。通常,生豆の品質評価は,「カッピング」とよばれる専門の評価者による官能評価で行われる。SCAは,カッピングの手順(プロトコル)を整備し,評価すべき項目と点数付けの方法を定めた。また,Coffee Quality Instituteを設立し「Qグレーダー」と呼ばれるカッピングの専門家の養成も行ってきた。
スペシャルティコーヒーは,その高い品質のみならず個性も重視される。コーヒーの品質の高さは,SCAが定めたカッピング手順に従って採点した80点以上のものとする見解もあるが,SCA自身はスペシャルティコーヒーの定義は行っていない。
ただし,SCAはTowards a Definition of Specialty Coffee (スペシャルティコーヒーの定義に向けて)という2021年に公表した記事で,カッピングの採点だけでスペシャルティコーヒーという理解は狭すぎる主張している。コーヒーの品質は,豆の属性や農園,ブランド名,認証などでも構成された属性であるから,これらの多属性で定義すべきという方向性を示している。2024年には,SCAは,2004年以来利用されてきたSCAカッピングプロトコルの改変を行った。新しいSCAのコーヒーの品質評価は従来の「カッピング評価」より広い概念である「価値評価」という言葉を用い,Coffee Value Assessment (コーヒー価値評価,CVA)と改められている。その中心は,感覚科学と整合的なカッピング方法と表現の整備にあるが,同時に,「Evolving the Extrinsic Assessment (外的評価の進化)」という見解も示し,風味だけではないコーヒーの価値評価手法の開発を進めている。
例えば,Cup of Excellence (CoE)という世界的なコーヒーの品評会がある。そこでは,豆の素材そのものが評価される。カッピング時には,評価者にその豆の品種,精製方法,農園名,産地名などは一切知らされない。すなわち,ブラインド評価である。CoEの品評会に出品され高評価を得た豆は,その後オークションで販売される。その際には,品評会のスコア,スコアの順位,評価者が記入した風味に関するノートといった素材の評価とともに,産地名や品種,精製方法,農園名,認証の種類などが公表される。CoEオークションにおける値付けは,品評会のスコアに大きく左右されるが,それだけでなく,産地名や品種,認証等にも影響される。
また,ジャマイカのブルーマウンテンやハワイのコナといったブランドとなっているコーヒーもある。こうした産地は,カッピング評価に基づく品評会等ではなく,長い年月をかけて築き上げた知名度で高い市場評価・高価格を実現している。その評価は,単なる品質の高さだけでない産地のイメージ,歴史,人などが評価されている。こうした産地もスペシャルティコーヒーの一種ではあるが,特にプレミアムコーヒーという呼び方をされることがある。
いずれにせよ,日本のコーヒー需要も,コーヒーそのものを味わう傾向が強まっている。しかも,その評価は単に高いカッピングスコアがつくような品質の高さだけでなく,豆の個性や産地固有の物語も含めて評価されるようになってきている。沖縄の気候は必ずしも高品質のコーヒー栽培に向いていないが,その強みや個性,ストーリーをもって,勝機を見出すことは十分可能である。
日本の消費者の国産支持は根強い。中国産農産物から残留農薬が検出されて問題となって以降,中国産農産物を敬遠する日本の消費者は多い。一方で,コーヒー豆はほぼすべてが輸入品であるが,輸入コーヒー豆からも残留農薬が検出されることがある。2003年にブラジル産コーヒーから基準値を超える残留農薬が検出された。2008年にはエチオピア産コーヒーから,2015年にはコロンビア産から,2021年にはインドネシア産から,それぞれ基準値を超える農薬が検出された(厚生労働省食品安全部監視安全課)。こうした事案は,大きく報道されていないためか,それほど需要に影響を与えるようなものではなかった。しかし,残留農薬を気にする消費者は多く,少数ながらコーヒーの安全性を問題視する声もある。現在日本の農薬使用は作物ごとの登録制で,登録されていない農薬を利用することはできない。コーヒーあるいはコーヒーノキの作物名の登録農薬はないので,果樹一般の登録農薬のみが使用可能である(ただし,コーヒー豆については燻蒸剤の登録がある)。我々が訪れた沖縄コーヒーの農園のすべてが現在のところ無農薬で栽培していた。「国産・無農薬」は,輸入農産物に対して強力な商品価値となる。
さらに残留農薬が問題視されていなくても,日本の消費者の「国産」は支持される。しかし,コーヒーをはじめ,ワイン,チーズ等々,輸入食品を好んで購入する消費者は多い。バナナ,アボカド,レモン,オレンジ,グレープフルーツなどの果実も輸入農産物が大勢を占める。消費者は好んでこうした食品・農産物を購入・消費しているように見える。しかし,それらにも国産があれば国産を選ぶ消費者は少なからずいる。我々は,国産バターへの日本の消費者の選好を外国産バターと比較して測ったことがある。フランス産バターは,発酵バターで有名なブランドがあり,高価でこれを求める消費者も多い。こうしたバターを使用していることを謳った洋菓子店もある。またニュージーランド(NZ)産バターは,その大半がグラスフェッド・バターである。牧草のみで飼育された牛の乳でつくられたバターで,オメガ3脂肪酸を含み,ダイエットにもよいというので,ブームになったことがある。こうした情報を加えて,アンケート調査で国産バターと,NZ産バター,フランス産バターの比較をしてもらったところ,国産バターの評価額が200g当たり400円程度であるのに対して,外国産バターは200円前後といった国産を選好する消費者が圧倒的多数だった(光成・吉野,2021)。
沖縄は露地でコーヒーを栽培できる希少な土地である。そこでしか得られない経験価値を提供できる。「経験価値」とは,経営学者 バーンド・H・シュミットが1999年に著書『経験価値マーケティング』で提唱した概念で,商品の機能ではなく顧客体験が価値を生むという考え方である。グローバル化した厳しい市場競争の中で,手にする商品の機能性の差異が見えにくくなり,値段だけを見て安い商品を選択する消費者が増えた。商品のコモデティ化と言われる。その一方で,消費者は顧客経験に高額の支払いを行うようになったという主張である。シュミットは,経験価値を次の5つに分類した。
SENSE(感覚的経験価値)
FEEL(情緒的経験価値)
THINK(創造的・知的経験価値)
ACT(行動的・肉体的経験価値)
RELATE(集団や文化との関係的経験価値)
例えば,仕事の合間に1杯のコーヒーを求める消費者がいる。彼女は,コーヒーを飲んでおいしいと感じ(SENCE),それでほっと一息つき,リラックスした感覚を味わう(FEEL)。彼女にとってコーヒーは,息抜きであるから,それは手間や面倒であってはならないし,ほっとするような味のコーヒーを求めるだろう。また,コーヒースタンドで店員に熱心にコーヒーについて質問している客がいる。彼は,コーヒーの品種や産地,焙煎・抽出方法の違いで,どのような味の違いが出るのか知りたい(THINK)。そして,自分で納得して選んだという満足感(FEEL)の下で,おいしいコーヒーを味わう喜び(SENSE)に浸る。彼はその経験価値を得たくて,1杯のコーヒーに千円を支払う。彼にとって居心地のよいソファーやおしゃれな調度品は不要で,駐車場の隅のコーヒースタンドでの立ち飲みでも何の問題もない。コーヒー農園で収穫体験を行っている家族がいる。彼らは,家族で農園やそのスタッフと触れ合いながら(RELATE),汗を流して自分でコーヒーノキやチェリーの感覚を味わい(ACT),コーヒーがどのように生産されているかを知り(THINK),現地の高揚感の中で(FEEL),新鮮なコーヒーを味わい,その味に感動している(SENSE)。農園体験で味わえるコーヒーは,最高級のスペシャルティコーヒーよりも高価で味も劣るかもしれない。しかし,彼らはそれ以上の経験価値を得ている。
日本は世界第四位のコーヒー消費国である。日本中に喫茶店やカフェがあふれ,世界中のコーヒー豆も売られている。缶コーヒー・ボトルコーヒー・チルドカップ,コンビニなどのコーヒーサーバー,インスタントコーヒーと,あらゆる形態の商品化がなされ,その消費者がいる。街中のいたるところで,ドリップ教室も頻繁に開催され,抽出方法について蘊蓄を語る人も多い。最近は家庭で焙煎を行う人も増え,コーヒー関連のイベントには多数の人が集まる (※)。コーヒーの種類や産地についての知識を深め,前述のようにシングルオリジンのスペシャルティコーヒーを求める消費者も増えた。世界中で最高級のスペシャルティコーヒーを求めて開催されるCup of Excellence オークションの入札者の45%は日本の業者である(※※)。
▼※コーヒーイベント,※※CoE入札者
※Googleサーチを使い検索語「コーヒードリップ講座」で検索した。検索結果を検索時(2025.3.10)から1週間以内に更新されたWebページのみに限定したところ,ヒットした件数は5,340件だった。同様に「コーヒーイベント」で検索すると,1週間以内の更新ページは438万件,1日以内でも8万7,900件にのぼった。
※※ 2016-2023年,CoEオークション結果から。ただし,複数の国の業者でオークションに共同入札する場合も多く,その場合は,筆頭の入札業者の国籍をカウントした。
しかし,いかに彼らが抽出方法を極め,深い知識を披露しようとも,コーヒーの産地まで足を運ぶ人は少ない。コーヒーチェリーすら見たことが無い人も多い。チェリーは見たことがあっても,生産の現場,精製の様子までは見たことがある人はほとんどいないであろう。スペシャルティコーヒーの神髄はテロワール(風土)だと言われる。しかし,コーヒーがどんな土地のどんな気候で育っているのか,それがコーヒーの風味とどう関わっているのかはどう体感したらよいのか。「コーヒー沼」という言葉があるほど,日本人には多くのコーヒー愛好家がいる。コーヒーに関心を持ち多くの知識を持っている人ほど,こうしたジレンマを感じているはずである。もっとコーヒーを知りたい(THINK),もっとコーヒーとつながりたい(RELATE)というエネルギーが日本には充満している。沖縄にはそれに応える可能性がある。コーヒーを趣味とする人,コーヒー通を自認する人,コーヒーが好きすぎて生業にしている人等を受け入れ,一過性の体験農園を超えたコーヒーの国内拠点を目指すことも可能であろう。「コーヒーをもっと知りたい・もっとつながりたい」というエネルギーを,どうやって沖縄コーヒーの価値に変えるかが問われる。
沖縄はコーヒーの国内産地として,生豆や焙煎豆といった通常の商品化に限らず,多様な商品化が可能である。こうした多様な商品化は沖縄コーヒーの生産性の低さを補うことができる。先述の収穫体験もひとつの商品化の形であるし,現地でのカフェ経営もある。農園が焙煎豆や精製された生豆を直販するだけでなく,収穫直後のコーヒーチェリーを冷蔵または冷凍してそのまま通販するという形態もみかけるようになった。コーヒーノキの苗を販売することも可能で,コーヒーノキのオーナー制をとる農園もある。脱穀した後のチェリーを使ったカラカスティーやコーヒーノキの葉のお茶はすでに商品化され,カラカスビールの商品化も試行されている。コーヒーの花のはちみつも珍重されている。
ただし,こうした多様な商品化を個別経営のみに期待することは難しい。現在も体験農園,カフェ経営,焙煎豆通販を行っている農園も存在するが,相応の経営センスが要求される。ロースタリーカフェや流通業者との提携・協働がひとつの方法だが,それ以上に,沖縄コーヒーのマーケティング支援を行う団体の形成が望まれる。