「苦手」と「障がい」
皆さんは苦手なことがありますか。勉強やスポーツなど、誰にでも苦手なことはあると思います。僕にも苦手なことは沢山ありますが、特に苦手なことは見ることです。僕は生まれつき視覚に障がいを持っています。しかし、僕は最近、自分の見え方を障がいではなく、苦手と捉えるようにしています。そう思うきっかけとなったのは、ある人との出会いでした。
小学5年生の冬、盲学校で交流会がありました。その交流会の際に、ブラインドサッカーというものに出会いました。ブラインドサッカーとは、アイマスクをつけてプレイする五人制のサッカーです。当時、僕は地元の小学校に通っていましたが、体育の球技の授業は見学だったり、試合に参加できても制限がかけられたりして周りとの差を感じていました。そんな僕にとって、ブラインドサッカーとの出会いは衝撃的でした。アイマスクをすることで見える人も見えない人も条件が同じになるのなら僕にもできるはず、と思い、父に相談し、中学一年の時にブラインドサッカーのクラブチームに入りました。
もう一つ衝撃的だったのは、その当時のブラインドサッカーチームの代表が障がいを持っているのにとても明るかったことです。当時の僕は、「視覚障がい者だから」ということを理由に、面倒くさそうなことを人任せにしたり、人との関わりを避けたりしていました。でもその代表は人との関わりを大事にしていて、その中で、とても明るく人と接していました。自分もこんなふうになりたいと思い、自分を見つめ直すきっかけとなりました。
代表は、体験会をする際に、こんなことを話していました。
「『苦手』と『障がい』は一緒だよ。」
「視覚障がいは見ることが『不自由』なのではなく、『苦手』なだけなんだよ。」
初めて聞いた時は、
「障がいが苦手ってどういう意味なんだろう。」
と思っていました。しかし、改めて思うと、物の配置や景色、目的などを教えてもらえれば、ほとんどのことが自分でできることに気づきました。実際、僕も家族にサポートしてもらいながら、移動や家事などができています。
そして、その代表は、
「障がいがある人もない人も、当たり前に混ざり合える社会を創りたい。」
と言っていました。僕はその言葉に心を動かされました。障がいという壁があって当たり前だと思っていた僕の考えを百八十度変えてくれました。
しかし、昨年六月、代表は病気により、夢半ばで亡くなってしまいました。僕は代表と、全国障がい者スポーツ大会に出たり、一緒にブラインドサッカーをしたり、他愛もない話をしたりしたので、なかなか代表の死を受け入れることはできませんでした。
この出来事をきっかけに、僕はブラインドサッカーや盲学校などでの地域交流を通して、「障がいの有無に関わらず、お互い助け合い、個々にあった『公平』な支援を受けられる社会」つまり、「共生社会」の実現を目指そうと思いました。僕たちも障がいを持つ人が助けられるだけではなく、僕たちも障がいのない人に手を差し伸べられる社会。お互いに手を差し伸べ合える社会こそが、「共生社会」と考えました。
『障がい』は『苦手』と一緒。皆さんもこれからは、障がいのある人を「障がい者」ではなく、「自分にはない苦手を持った人」として接してほしいと思います。それが、「共生社会」への第一歩なのです。
ご清聴ありがとうございました。