「自分と誰かと言葉」
今、どんな顔してるんだろう。
生まれつき弱視の私は、人の顔を見ることが難しい。ぼんやりと顔の場所を確認できても表情までは確認することができない。私はこれが怖くてたまらなかった。なぜなら、何気ない話をしているときなどに相手が困っていたり、怒っていたりしていても気づけないことがあるからだ。
中学生の頃、こんなことがあった。
友人と体育の時間に何気ない話をしていたとき、
「球技見てればいいんだから楽だよね。」
そう言った人がいた。私は好きで見学しているのではない。本当はみんなと一緒にやりたい。思わず泣きそうになってしまった。でも
「今の嫌だった、ごめんね。」
と言ってくれたのだ。私が涙目になったのを見て気づいてくれたのだ。
言われて不快に感じる言葉は人によって変わってくる。その言葉をしれる方法の一つが相手の表情を見る事だ。何気ない話の中で自分が悪気なく言った一言で相手の表情がくもれば、
「今の嫌だった、ごめんね。」
と、謝罪できる。そして言わないように気を付けることもできる。
しかし、私はそれがなかなかできない。
知らない間に誰かを傷つけてしまうのが怖くて思うように話したり、意見を言ったりできなくなった。自分と同じような思いをさせたくなかったし、自分が加害者になってしまうのも嫌だった。
しかし、思うように発言できないと今度は自分が苦しかった。唯一話すことができる友人との会話を楽しめなくなったり、やりたいことができなくなったりした。
「私が我慢すればいいよね」
そう思っていた。そんな時
「思い言ってよ。」
「嫌ならイヤってちゃんと言うから大丈夫。」
と友人が言ってくれた。その言葉にどれだけ救われただろう。涙が止まらなかった。
それをきっかけに、少しずつだけど自分の思いを言ったり、周りの人と話したりできるようになった。自分でも気づけるように、周りの雰囲気を気にしつつ、しっかり楽しめるようになった。
しかし、まだ、初対面の人や関わりの少ない人との会話は苦手だ。でも、これから少しずつでも話せるようにしていきたい。自分の思いを自分の言葉でみんなに伝えていきたい。
ご清聴ありがとうございました。