昭和22年学習指導要領

英語編(試案)を読む

英語はなにゆえに長らく「選択科目」であり続けたのか?

英語という教科は実質的に「必須」であったにもかかわらず、平成14年(2002年)までの長きにわたって「選択」であり続けました。その理由は、フランス語やらドイツ語などの他の外国語も選択できるからだと私は思っていましたが、学習指導要領の変遷を遡っていくと「昭和二十二年度 学習指導要領 英語編(試案)」にたどり着き、そうではないことが分かりました。その「序」の部分で、英語がなぜ「選択科目」になったのかが記されているのでした。

義務教育の年限が延長されて,中学校の教育も義務教育の一環として行われることとなった。義務教育における教科目は社会の要求と生徒の興味とにもとづいて編成されるべきであって,必修科目は社会から求められ受けいれられる公民となるのに必要にして基本的な知識と技能とを与える科目のみに限るべきである。英語については,これを非常に必要とする地方もあるであろうが,またいなかの生徒などで,英語を学ぶことを望まない者もあるかもしれない。それで,英語は選択科目となったのである。

昭和二十二年度 学習指導要領 英語編(試案) 学習指導要領データベース作成委員会(国立教育政策研究所内)

「なんじゃ~、そんな理由か!!」と私は笑ってしまいました。最近はなにやら日本も “グローバル化” が進んだようで、だれもが英語で即座にそして柔軟に対応することが要求されるようなスゴイ時代になっているらしいのですが、私のように地方に住む人間にとっては「いなかの生徒などで、英語を学ぶことを望まないものもあるかもしれない」という感覚は、時代を越えて分かるような気がします。

この「昭和二十二年度 学習指導要領 英語編(試案)」を読んでいくと、私が漠然と抱いていた“昔の英語教育”のイメージがガタガタと崩れていくのでした。そこに示されている理念や方法論などは、今の英語教育にも通じるところが大いにあるどころか、むしろ参考にもなることすら含んでいます。こんな私の考えが単なる懐古趣味ではないことは、実際に文章を見れば理解していただけると思い、「『昭和二十二年 学習指導要領 英語編(試案)』を読む」というタイトルでまとめてみ ることにしました。

その前に少し時代背景に触れておきます。

昭和二十二年という時代

「昭和22年」は西暦では1947年にあたります。1945年終戦後、日本は連合国軍の占領下に置かれると、日本の言論や思想は、マスメディア、教育をはじめ、ほぼあらゆる分野にわたってGHQ (General Head Quarters)による検閲や統制を受けるようになります。昭和22年3月31日には「教育基本法(旧)」が施行。4月1日には「学校教育法」も施行され、六三制が始まりました。

前年の1946年(昭和21年)3月30日には、「アメリカ教育使節団報告書(REPORT OF THE UNITED STATES EDUCATION MISSION TO JAPAN)」がマッカーサー司令部に提出されていますが、これを受けて戦後の日本の教育は形づくられます。アメリカ教育使節団報告書の解説(PP140-141)で村井実氏は「『アメリカ教育使節団報告書』は、敗戦による教育勅語体制の崩壊とそれに引き続いての空白の中で、日本教育の再建へのまったく新しい報告を指し示した文書に他ならない。以来、現代に至るまで、日本の教育は、どうであれ、この報告書の指示した軌道の上を動き続けているといってもよいのである」と述べています。

このように昭和二十二年という年は、連合国軍が占領政策の一環として、日本の教育を “アメリカ人の視点” で早急に改善しようとしていた時代ととらえてよいのではないかと思います。こうした時代に「昭和二十二年 学習指導要領 英語編(試案)」は書かれているため、“試案” となっており、 「序」の最後には次のようなことも書かれています

もちろん,この「学習指導要領」は完全なものではないから,実際の経験にもとづいた意見を,どしどし本省に送ってもらい,それによって,年々書き改めて行って,いゝものにしたいのである。

昭和二十二年度 学習指導要領 英語編(試案) 学習指導要領データベース作成委員会(国立教育政策研究所内)

テレビ番組でのご意見募集のようですが、全国の英語教師がこの後どしどし意見を当時の文部省に送って、その後の学習指導要領ができあがったのでしょう。

「英語」から「外国語」へ

現在の学習指導要領では「外国語」となっていますが、ここでは「英語編」になっています。教育情報ナショナルセンター過去の学習指導要領 のコーナーを参考にして変遷をまとめると次のようになります。

・昭和22年度 英語編(試案) *「選択科目」としてスタート

・昭和26年度 外国語科英語編(試案)改訂版

・昭和31年度 外国語科編改訂版

・昭和33年度 中学校学習指導要領 第9節外国語 *選択教科

・平成14年度 中学校学習指導要領 第9節外国語 *必須教科

当初は「選択科目」として “英語” 教育が始まり、昭和33年には選択教科扱いで「第9節外国語」という表記になり、平成14年に「第9節外国語」という同じ表記で必須 教科になったことが分かります。「国社数理英」とよく言われるにもかかわらず、指導要領では第1節から第9節までの並びが「国語・社会・数学・理科・音楽・美術・保体・技家・外国語」 となっていて、「外国語」は最後に来ています。それは英語が昭和22年の段階で「選択科目」としてスタートしたためその位置にあり、さらに必須教科になっても特に教科の順番は変え られなかったからこのようになっているのでしょう。

「昭和二十二年度 学習指導要領 英語編(試案)」 を読む

すでに重要視されていた「聴く力・話す力」

さて、やっと本題なんですが、第一章の目標を見ても私としては驚きました。というのは、私には「昔の英語教育は、読み書きの能力重視、近年の英語教育が聞く話す能力重視」という勝手な思い込みがあったからです。「第一章英語科教育の目標」の二と三には、次のように「聴き方、話し方」を第一次の技能として重視することが明確に打ち出されています。

第一章 英語科教育の目標

二.英語の聴き方と話し方とを学ぶこと。

英語で考える習慣を作るためには,だれでも,まず他人の話すことの聴き方と,自分の言おうをすることの話し方とを学ばなければならない。聴き方と話し方とは英語の第一次の技能(primary skill)である。

三.英語の読み方と書き方とを学ぶこと。

われわれは,聴いたり話したりすることを,読んだり書いたりすることができるようにならなければならない。読み方と書き方とは英語の第二次の技能(secondary skill)である。そして,この技能の上に作文と解釈との技能が築かれるのである。

昭和二十二年度 学習指導要領 英語編(試案) 学習指導要領データベース作成委員会(国立教育政策研究所内)

「第5章 学習指導法」の「各単元の学習指導法」の中にも、音声を重視した指導をしていくことの重要性が述べられています。

各単元の学習指導法

一.聴き方と話し方。

  • 英語の学習においては,聴き方と話し方とは,読み方と書き方とにさきだつ第一の段階である。
  • 英語の話し方を学ぶことは,英語の音(English sounds)を聞いて,みずからもその音を出してみ,そしてそれをくり返すことである。そのために英語を用いての作文やあいさつや問答などが効果のある指導法であろう。
  • どんな場合でも,忠実にまねることと,何度もくり返し応用し復習することが望ましい。教師ができるだけ英語で話すばかりでなく,生徒もまたできるだけ英語を話すベきである。
  • 身振り単語絵・実物および模型は,生徒にとってことばと事物とを結びつけるのに役立つ。

昭和二十二年度 学習指導要領 英語編(試案) 学習指導要領データベース作成委員会(国立教育政策研究所内)

このように昭和22年の学習指導要領英語編で既に「聴き方・話し方」は強調され、教師もできるだけ英語で話すということが勧められています。

研究授業などの研修

「学習指導法の改善」では、現在の研究授業にあたるような研修会の提案がされています。また、英語教師自身が英語力の向上に努めるべきであるということも示されています。

学習指導法の改善

  • 1.学習指導法は,学習結果の考査にもとづいて改善さるべきである。
  • 2.教師はときどき集まって,教科目・教科書・教材・学習指導法・学習結果の考査およびこの「学習指導要領」その他の事項について討論することが望ましい。
  • 3.英語の授業は平常から他の教師がいつ見に行ってもよいことにしておきたい。
  • 4.また定期に公開授業を行い,率直にして建設的な批評会を開きたい。
  • 5.教師は他の学校の授業を見るのがよい。
  • 6.教師も自分の英語,特に発音をみがくべきである。教師の英語は生徒に対して模範とならなければならない。

昭和二十二年度 学習指導要領 英語編(試案) 学習指導要領データベース作成委員会(国立教育政策研究所内)

課外の読み物としての英米文学作品

「第九章 第九学年の英語科指導」でさらに驚いたのが、「課外の読み物」として挙げられているのが英米文学の作品であることです。

(二)課外の読みもの。

  • 次の表のうちから選んで各自の単語を増して行くこと。(試案)
  • Fifty Famous Stories
  • Irving : Rip Van Winkle
  • Hawthorne : A Wonder Book
  • Kingsley : Jungle Book
  • Stevenson : Travels with a Donkey
  • Hawthorne : Twice Told Tales

昭和二十二年度 学習指導要領 英語編(試案) 学習指導要領データベース作成委員会(国立教育政策研究所内)

Fifty Famous Stories は、James Baldwin によってまとめられたもののようで、Fifty Famous Stories Retold のサイトで英文も見ることができます。子ども向けに編集されている内容なので英語自体は簡単なのですが、The Sons of William the Conqueror などはうちのサイト内でも書いている Norman Conquest の歴史を背景として知っておかなければならないでしょうし、King Alfred and the Cakes を理解するにはアルフレッド大王という存在がイングランドのアングロ・サクソン人にとってどのような意味を持つのかを知らなければならないでしょう。その他、ジュリアス・シーザー などもありますが、これもローマ帝国の知識が最低限必要になります。

Rip Van Winkle は、アメリカ人作家 Washington Irving によって書かれた短編小説で、日本の「浦島太郎」のようなストーリーとなっています(参照 リップバンウィンクル)。

Jungle Book の作者は調べてみると Kipling とされているようなのですが、間違いなのでしょうか? ちょっと分かりません。(参照 漱石文庫目録データベース

現在では英語教育の中からこうした英米文学の要素はほとんど消えてしまったと言っても過言ではないでしょう。最近の英語の教科書に載っているリーディングの教材などは、個人的にはあまり好きになれません。きっと私の頭が悪いのだと思いますが、「異文化理解」や「環境問題」といった 英語教育や国際理解などの流行のネタにあまり興味が持てないし、読んだ後で何の話だったかあまり頭に残らないのです。

このような傾向は英語教育の重点が「教養」から「技能」へシフトしたからかもしれません。英語のリーディングの指導といえば、「速読して、トピックセンテンスを見つけて、段落のおおまかな意味をつかんで…」といったのが最先端のような観がありますが、先ほど述べたように簡単な文学作品をその背景も学びながらチビチビと読み進めていくのも良いのではないかと思います。確かに生徒にとって退屈で無意味に見えるような感じがあっても、文学作品であれば大人になってから「学校の英語の授業でアルフレッド大王の話を読んだ」という記憶は残るかもしれませんし、そうした文化的背景は仮にビジネスマンになって英語圏の人間と話をするときにでも大いに役立つのではないかと思うのです。

こうした経験が「外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め」(平成10年12月告示中学校学習指導要領第9節外国語第1 目標)というところにつながるのではないでしょうか。歴史や宗教といった文化的背景の根源を勉強したり、旅をして観察してきたりするという一見実用的なものとは無縁のようなことを追究し続けてきた結果、逆に英語圏の人間と話をするときに実に話がスムーズに進むようになったという個人的な 経験からもそう思います。

古臭さを感じさせない「昭和二十二年度 学習指導要領 英語編(試案)」

このように、「昭和二十二年度 学習指導要領英語編」を読むことによって、私が勝手に想い描いていた“昔の英語教育像”が見事に崩れ、理念にしろ、方法にしろ現在最先端であるかのように紹介されている教授法とさほど変わりはないのではないかという感想を持ちました。現在のようにテレビでバイリンガル放送が楽しめたり、CS放送で海外のメディアを24時間いつでも見ることができたり、CDやDVDなど音声を重視した英語学習に必要な道具は当時はありませんでした。今のようにALTが頻繁に学校を訪れるということも 当時はごく一部の学校に限られていたでしょう。現代との違いといえば、ひょっとしてそのようなハード面だけだったかもしれません。

今までの英語教育にどのような理念や方法論が示されていたかを学ぶことは、これからを考えていくうえで重要な意味を持つのではないでしょうか。