ヘボン

~「和英語林集成」にこめられた思い~

「ヘボン式ローマ字」でおなじみの「ヘボン」。英語教師のみならず、だれでも知っているものですが、「『ヘボン』とはなんぞや?」ということになると意外に知らないものです。ヘボンについて調べていくうちに、英語が日本に普及する過程において、彼がいかに重要な人物であったかが分かりました。

「ヘボン」という人物の本名は、“James Curtis Hepburn”。ごらんの通り “Hepburn” で、もし彼が現在の日本に来ていたら、「ヘップバーン」の名で知られていたはずです。アメリカの医師であった彼は、1859年日本が開国したばかりのころにやってきました。当時の日本人は当然ながら英語の音に慣れておらず、Hepburn の p が聞き取れず「ヘバーン」のように聞こえたようです。そして、いつしか人々は彼を「ヘボン」と呼ぶようになったようです。「ヘボンの生涯と日本語」望月洋子著(新潮選書)には次のように記されています。

ヘップバーンというスコットランド系の姓を、彼はテノールのよく響く声でヘバーンと発音していたという。当時の日本人はその発音をうまくまねられず、「ヘボン」と訛って呼んだ。呼ばれた本人は、いやがるでも訂正するでもなく、素直に受け入れ、自ら「ヘボンでござります」と名乗り、時には「平文」と漢字で署名もした。

私たちがよく使う「ヘボン式」という名前には、こんな背景があったのです。

1867年に上海で印刷され、最初の和英辞典となった「和英語林集成 A Japanese and English Dictionary」はヘボンが編纂したものですが、この辞書にも「美國平文」という漢字による日本名を使っています。中国語を勉強された方は分かると思いますが、「美國」は中国語でアメリカのことを意味します。ヘボンは、日本に来る16年前に中国で2年間診療をした経験がありました。それで、アメリカ人である自分の姓に「美國」を使ったのだと思います。

なぜヘボンは日本に来たのでしょうか。ニューヨークで医師をしていたヘボンにはかなりの財産があったのですが、キリスト教を伝えたいがために自分の資産をなげうって日本にやってきたそうです。「和英語林集成」を完成させるため7年近くも編集に費やした目的も、最終的には聖書の日本語訳をすることでした。「ヘボン式ローマ字」もあくまでも辞書編纂の過程での副次的なものだったのです。ヘボンは、書簡のなかで「日本語の十分な知識なくしては、聖書を翻訳する充分な資質に欠けるところが多いからです。」と述べています。

「人物叢書へボン」(高谷道男著)に「和英語林集成」の一部が掲載されています。

ABARA アハラ 肋 The side of the chest

ABAREMONO アハレモノ A riotous mischievous fellow

ABAYO アハヨ Good bye (used only to children)

ABUNAI アブナイ 浮雲 Dangerous

「バ」は BA とローマ字表記されても、カタカナでは「ハ」になっています。「ブ」は BU、カタカナでは「ブ」で表記されています。おもしろいのが、ABAYO 「あばよ」という表現にある used only to children という解説です。ヘボンは日本人の生活をつぶさに観察したうえで、日本人とこの辞書を編纂していたことを考えると、この時代の大人は子どもに向かって「あばよ」と言っていたと推測できます。現代の「あばよ」とはニュアンスが全く違うことが分かります。私の手元にある辞書を改めて調べてみると、確かに「あばよ」は「さよ(う)ならの口頭語的表現(もとは幼児語)」とされています。

日本に33年滞在した間に、和英辞典の編纂、聖書の日本語訳、キリスト教の布教、医師としての施療事業、ヘボン塾開校などさまざまな分野で貢献をしたヘボン。ニューヨークを出発して日本に向かったのが44歳のとき。辞書も文法書もない時代に、異国の地で日本人と生活をともにしながら、地道にひとつひとつ言葉を拾い集め「和英語林集成」第一版が完成させたのが52歳。念願であった日本語旧約聖書の翻訳を完成させたのが72歳。「大人になってからでは外国語を学ぶのは遅い」という俗説をヘボンの生き方は覆してくれるような気がします。

現在は、二ヶ国語放送、インターネット、CD や CD-ROM 付きの英語の実用書など英語学習教材には困らない時代です。文部科学省が「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」の中で英語教員に求めている英検準1級やTOEIC750点の英語力も、ヘボンの1/1000の努力でもすれば、英語教員ならばとれるはずです。時代は違っても、外国語を学ぶには地味な努力が必要であることをヘボンから学ぶことができます。

ふだん何気なく「ヘボン式ローマ字」と口にするたびに、彼の生涯を思い浮かべてみてください。