聖書を英訳するということ

PartⅠ~ジョン・ウィクリフが起こした宗教改革の波~

炎のような舌 glossolalia のなかで、「mother tongue という表現を最初に使ったのはジョン・ウィクリフであり、彼について機会があればまとめたい」と書いていました。そのようにいったん気になり始めると、不思議なもので本を読んでいるとやたらとジョン・ウィクリフが目に留まるようになりました。「今までに読んだ あの本の、あのあたりにもウィクリフのことが書かれていたかもしれない」と思い、実際に本を開いてみると、やはりそこにウィクリフの名前が出てくるのでした。 あたかも「『英語教師の基礎知識』に、はよ~ワシのことを書かんかい!!」と私にウィクリフがせがんでいるかのように… というのは勝手な思い込みですが。

それは英訳からはじまった

「宗教改革」というと、私などはルターしか思い浮かばず、彼が始めたものだとばかり思っていました。ところが、佐藤優氏の私のマルクスを最近読んでい たときに、次の記述が目に入り、それまで私が知っていたジョン・ウィクリフ(John Wycliffe または Wyclif など綴りは複数)が起こした「教会改革」というものが発端で、一般的に知られている「宗教改革」につながったという見方があることが分かり感激しました。

フロマートカをはじめとするチェコの神学者たちは宗教改革を第一期と第二期に分ける。

第二期宗教改革が、一般に世界史で言われるところの十六世紀にドイツでルター、スイスでツビングリ、カルバンが行った宗教改革のことである。

これに対して、第一期宗教改革は、イギリスのウィクリフ(オックスフォード大学教授)の教会改革運動の影響を受けて、十五世紀チェコで発生し、中央ヨーロッパに拡大したフス派の宗教改革を指す。(私のマルクス pp294-295 佐藤優著)

講談社大百科事典(3巻)の「ウィクリフ」の項目を見てみると、同じように「ウィクリフによる教会改革」が「ボヘミアのフス派」と「ルターの宗教改革」へつながっていることが記述されています。

ウィクリフ John Wycliffe 1320頃~84 イギリスの神学者、教会改革論者。その教説はイギリスではロラード派と呼ばれる信奉者を生んだ。ボヘミアのフス派の源流でもあり、やがて宗教改革へとつながる。(講談社大百科事典 3巻 p307)

同じく、講談社大百科事典(12巻)の「宗教改革」の年表(p245)には、最初の出来事として「ローマ教会の分裂」が挙げられ、続いて「ウィクリフの聖書の英語訳」が記されています。 ウィクリフによる英訳の聖書は、ウィクリフ自身も当然手がけていますが、実際には何人かが英訳の作業に携わったのではないかという見方もあるそうです。

1378 ローマ教会の大分裂(シスマ)始まる(~1417)

1380 ウィクリフ、聖書の英語訳に着手

1411 フス、教会から破門される

1414 コンスタンツ公会議開かれる(~18)

1415 フス、焚刑(ふんけい)に処せられる

1419 フス戦争が起こる(~36)

(講談社大百科事典 12巻 p245)

イングランドにいたウィクリフの思想が、なぜボヘミアのフスに影響を与えたのでしょうか。ウィクリフが英訳に着手し始めたのは1380年ですが、その2年後の1382年にボヘミア王カール4世の娘アン・オブ・ボヘミア(Anne of Bohemia)がイングランドへ来てリチャード二世と結婚しています。おそらく、アン・オブ・ボヘミアはイングランドでウィクリフの著書に触れる機会があったのでしょう。その影響でウィクリフの哲学書がボヘミアにも行き渡ったようです(ヤン・フス 「ボヘミアにおけるウィクリフの影響」参照)。

“異端”であるとされたウィクリフ と火葬の意味

ウィクリフは1384年に亡くなっていますが、1414年に開かれたコンスタンツ公会議で“異端”であるとされ、有罪になります。そのため、後に彼の墓は掘り起こされ、彼の遺体は焼かれ川に捨てられます。これはキリスト教の「復活」の思想と関係があるわけですが、井沢元彦氏はユダヤ・キリスト・イスラム集中講座の中で次のように解説しています。

宗教改革者というと、マルチン・ルターやカルバンの名前が浮かびますが、彼らが成功をおさめる以前、たとえばイギリスのウィクリフという人は法王庁に異を唱えたため、生きているうちは死刑になりませんでしたが、死んだあと、墓を掘り起こされ、その死体は焼かれて川に捨てられました。キリスト教では火葬はしません。将来の復活に備え土葬にするのが建前ですから、ウィクリフは極刑に処せられたことになります。(ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座 p61)

Wikipedia の ジョン・ウィクリフ の項目に、「審問を受けるウィクリフ」と「暴かれて焼かれるウィクリフの骨」の絵画が掲載されています。「墓を掘り起こして、死体を焼き川に流す」という日本人には異様に見える“正統派”の行動は、“異端者”から復活する機会を完全に奪い取るという意味がありました。時代や文化の異なる人間の行動原理を理解するためには、その背景となる思想を知らなければいけないものです 。

火葬(cremation)はキリスト教では基本的にしないことになっているものの、現在は増えつつあるようです。調べていると、Cremation Association of North America というところでアメリカ合衆国とカナダにおける火葬の件数と割合のデータ(HISTORICAL CREMATION DATA)を見つけました。このデータによるとアメリカでは、1876年-1884年の間に41件、1885年に47件が火葬をしているようです。1895年になると、1,017件と初めて1,000を越します。 1913年に10,119件になっています。

1934年以降に割合が表示されています。この頃はまだ2.56%ですが、次第に上がっていきます。しかしながら、2005年で31.99%ということなので、やはりアメリカで火葬は主流ではないと言えるのではないでしょうか。

「人民の人民による人民のための…」もウィクリフの言葉

Wikipedia の ジョン・ウィクリフ のページにはもうひとつ興味深いことが書かれています。リンカーン大統領によるゲティスバーグの演説にある“the government of the people, by the people, for the people”「人民の人民による人民のための政治」という言葉は、実はジョン・ウィクリフによる旧約聖書訳の序文にウィクリフが書いた“This Bible is for the government of the people, by the people, and for the people.”「この聖書は人民の、人民による、人民のための統治に資するものである」がもとになっているということです。

かの有名な「人民の人民による...」というリンカーンのゲティスバーグ演説の一節が、宗教改革の第一の波を起こしたにもかかわらず、あまり世に知られていないジョン・ウィクリフの言葉であったことを知ると、また点と点が線で つながったという感動を得られるのでした。

ウィクリフが英語に与えた影響

L.P. Smith は、著書 The English Language のなかで、Wycliffe は Chaucer と並んで、英語という言語の形成に重要な役割を果たしたと述べています。

Almost equally important in their influence on the language were the Wyclif translations of the Bible, made public at about the same time as Chaucer's poems. Wyclif, like Chaucer, wrote in the dialect of the East Midlands; like Chaucer he possessed a genius for language, and in number and importance his contributions to the English vocabulary seem (according to the results published in the Oxford Dictionary) to have almost, if not quite, equalled those of Chaucer.

While Chaucer borrowed mainly from the French, Wyclif's new words are largely adaptations from the Latin of the Vulgate; and, as he finds it necessary to explain many of these new words by notes, it is fairly certain that he himself regarded them as innovations. (The English Language p.44)

Chaucer は主にフランス語から語彙の借用をして英語に取り入れ、Wyclif はラテン語の聖書である Vulgate から語彙を取り入れたらしいです。そのため Wycliffe は注釈で多くの語を解説する必要が出てきはしたけども、彼自身がそういうスタイルを“革新”であると捉えていたにちがいないということです。

ジョン・ウィクリフという人物が聖書を英訳したということを知ると、このようにいろいろなことが見えてくるのです。

聖書を英訳するということPartⅡ~古英語時代の聖書英訳 Bede~ へ続く... ...φ('-'*)

参考文献

私のマルクス(佐藤優著) 13『なぜ私は生きているのか』 pp294-295

ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座(井沢元彦著) ユダヤ・キリスト・イスラム ◎一神教の世界はこうなっている p61

イギリス国学史 (渡部昇一著) 第22章 Parker による古英語聖書の出版

秘術としての文法 (渡部昇一著) 世界最大の言語戦争

あらすじで読む英国の歴史(ジェームズ・バーダマン著) Capter 3 The Early Middle Ages pp68-71

The English Language p44

講談社大百科事典 3巻(p307)、12巻(pp242-245)