炎のような舌 glossolalia

tongue が言語であるということの謎

母語という意味の mother tongue という表現は、language ではなくて、なぜ tongue(舌)なんだろうと、以前から思っていました(*辞書によっては mother language をmother tongue と=であると記述しているものもあります)。言語は口から発せられるものでもあるので、それが理由なんだろうなと自分なりに解釈していました。

先日、また以前同僚だった音楽の先生と焼鳥屋で飲みながら話をしていたときに、キリスト教プロテスタントの「ペンテコステ派」の話が出てきたのですが、あまり気にもせずにいました。翌日、歴代アメリカ大統領の宗派を調べようとしていたときに、 プロテスタント宗派一覧にある「ペンテコステ」がふと目に留まり調べていくと、なんと「舌」の話が出てきているではありませんか!!そして、それが今までに知っていた英語の語源に関連してくることに気付いたので、まとめてみることにしました。

ペンテコステ

「ペンテコステ」という名称は、“ Pentékosté ”というギリシャ語に由来していて、「50番目」という意味です。キリスト教の復活祭を第一日目として、50日後に祝われる聖霊降臨の日ですが、年によって日付は変わるそうです。

この聖霊降臨の話は、新約聖書の『使徒言行録(Acts)』の2章に見られます。

イエスは死んで3日でよみがえり、40日間弟子の前に現れて神の国について話します。そして、近いうちに聖霊が弟子たちの上に降り、彼らに力を授けると告げて天に上っていきます。それから10日後(つまりこの時点で50日後)、ユダヤ教の五旬祭の日に使徒と他の弟子が集まっていたときに、聖霊が降りたつのですが、実はなんと「炎のような舌」が現れるのです。そして、聖霊によって皆がいきなり外国語をペラペラ話し始めるのです。聖書 『使徒言行録』の日本語訳と英語訳(New International Version)を実際に見てみましょう。

聖書 新共同訳 (日本語)New International Version

使徒言行録 2章

聖霊が降る

1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2 突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。

Acts 2

The Holy Spirit Comes at Pentecost

1 When the day of Pentecost came, they were all together in one place. 2 Suddenly a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the whole house where they were sitting. 3 They saw what seemed to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. 4 All of them were filled with the Holy Spirit and began to speak in other tongues as the Spirit enabled them.

聖書の他の英語訳でもやはり tongue が使われています。3節の tongues は「舌」を、4節の tongues は「言葉」を意味しています。mother tongue という言葉を最初に使ったのは、イングランド人でオクスフォード大学の教授であった ジョン・ウィクリフ (1320年頃~1384年)であると渡部昇一氏は「秘術としての文法」の中で述べていますが、おそらくこの『使徒言行録』の聖霊降臨のシーンに現れる「炎のような舌“tongue”」が、ウィクリフ の発想の元になっているのではないかと思います。 ウィクリフは14世紀に英語の聖書もあっていいはずだと主張して聖書の英語訳を試みました。こうした聖書の英訳から始まったウィクリフの教会改革のために、彼は後にひどい目に遭ってしまいます。

ちなみに、『使徒言行録』の同じ部分のジョン・ウィクリフの英語訳 ( Wycliffe New Testament )は次のようになっています。

3 And diverse tongues as fire appeared to them, and it sat on each of them. [And tongues diversely parted as fire appeared to them, and it sat upon each of them.]

4 And all were filled with the Holy Ghost, and they began to speak in diverse languages [and they began to speak with diversetongues], as the Holy Ghost gave to them to speak.

New International Version では、“the Holy Spirit” が使われているのに対し、こちらの Wycliffe New Testament では“the Holy Ghost” が使われてるという違いも興味深い点でもあります。

異言 Glossolalia

このように、聖霊に満たされて見知らぬ言語を喋り始めるという現象を「異言(いげん)」 といい、英語では glossolalia という語が使われます。 大辞泉によると、グロッソラリアは「ある言語社会で、理解不可能であるような形のくずれた語や無意味な音声連鎖を作り出して話すこと。ある社会では宗教性・呪術性をもち重要視されるが、現代の多くの社会では精神障害の一例としてとらえられる。異言」とされています。

この語(glossolalia)をまた辞書で調べていると、語源の項目でおもしろいことを発見しました。この gloss(a) の部分がギリシャ語で「舌」という意味なのです。また、glossa は Attic 方言では glot になります。glot も意味は同じく「舌」を表します。これらの語がもとになっている英語には、次のようなものがあります。 ぜひ、お手元の辞書でも語源を確認してみてください。

gloss(a) glot 「舌」がもとになっている語

gloss 注解、解説、polyglot 多言語で記した、多言語を話す(人)

glossal 舌の、舌に関する(lingual)、monoglot 一言語だけ話す(人)

glossary 書籍の巻末などの用語解説、glottal 声門(glottis)

glossator 注釈者;(特に中世の)ローマ法や教会法の注釈者

glottic 《廃》言語の、言語学(上)の、 glossectomy 《外科》舌切除術

glottology 《廃》言語学、glossalogy 《廃》言語学 (linguistics)

このなかで特になじみがあるのが、glossary 「用語解説」だと思います。「聖霊降臨」で、“炎のような舌”が現れて、未知の外国語を喋りだすという現象から、「舌」と「難解な言葉」に関連性が生まれ、それがこの glossary 「用語解説」にも繋がっているのだということを考えると、まさに世界が広がったような気分になります。英語を通して世界が広がるというのは、私にとってはこのようなことなんです。